井上拓巳さん による 阿武隈川舟運における物流について HOME 01阿武隈川舟運 02 荒浜 03 梁川 04 割り勘明細 2006年9月9〜11日近現代史版建築あそび 旧福島町フィールドワークが行われたので 阿武隈川の舟運について9日よる 話して頂いた記録である。 01 阿武隈川舟運 機械を調整する佐藤 「後70分と書いてあるから・・」・・・もう大丈夫ですよ」。 会場いいですか。 s:大丈夫です。俺も資料もらっていいの、わかんないけど 会場笑い 井上 「はい これで」 会場 文字みても全然わかんないね、会場笑い 外国語みたい ある種 s:米を運ぶはなしかな 井上 はい s:じゃお願いします 会場拍手 井上:お手柔らかに おねがいします。(微笑) 「阿武隈川舟運における物流について」(荒浜 武者家 と 梁川 関東屋直右衛門家 を中心に)という題で報告をさせて頂きます。 僕の研究が福島の信達地域(しんだつちいき)でとれる、信達地域の幕領の城米輸送(じょうまい)についての研究ですね。 福島から河口の荒浜まで送られて、太平洋の海運を使って江戸まで輸送されるというものなんですが。それに興味があって 阿武隈川舟運をすこしみていたんですけれど、ちょっとそれを簡単にまとめました。 荒浜 武者家(むしゃけ)というのは 佐藤さんと 岩田さんと 斎藤善之さんたちと 調査した家なんですけど、阿武隈川の終着湊ですね。 レジメのほうの地図をみていただければわかるのですが、阿武隈川の一番河口の所にある荒浜という 所の 武者家 。 こちらの方の調査をしまして、2年ぐらい前に目録が出来て こちらの文書が研究に利用できるようになったので、こちらの分析と 梁川の岩田さんからお話のありました、関東屋直右衛門家ですね。福島県歴史資料館に入っている資料をちょっと見たんで、その内容を組み入れながら阿武隈川舟運についてやりたいと思います。 また阿武隈川舟運の開始ということで、切っ掛けになるのが寛文4年、信達地域(信夫しのぶ・伊達)が幕領となって城米輸送の必要から阿武隈舟運の整備や改修が行われるようになっています。寛文4年に江戸の商人の渡辺友以(とももち)という人物が私財を投じて、幕府からの人員の提供を受けて改修を行っています。 こういう改修があったうえで 寛文11年(1671年) 河村瑞賢(ずいけん)による城米輸送が行われているのです。資料1を読みますと 「寛文12 子年(ねどし)より 福嶋 渡辺十衛門と申すもの ご公儀より 金5百両拝借いたし、阿武隈川通し 水沢・沼の上より 上の川 滝々切り開き 普請いたし、小鵜飼い 通船いたし、お請負 申し上げ そうろう」 というように、このときに福島の商人である渡辺十衛門が幕府から500両を拝借して水沢沼の上の部分を改修しています。小鵜飼舟問屋として ひとり 御城米輸送を請負っているという 研究資料になっています。 天和(てんな)2年に 福島の商人の上総屋兵吉という者と 亘理郡荒浜村の武者宗三。おそらく武者家と同族の人だと思うのですが、この二人が共同で伊具郡耕野村付近の 川底の岩石を壊すなど改修を行っています。 (← 猿羽根滝付近 古絵図より) これ以降 福島−水沢・沼ノ上間の城米輸送は渡辺家が 沼の上より荒浜までの下流部分は上総屋 がそれぞれ請け負ったことになっています。 渡辺家も上総屋も自費で阿武隈川の改修を行い、運送方法を工夫するなどして それ以降問屋として城米輸送を行うようになっているようです。 「このようにして阿武隈川舟運が開始されている」と考えられています。 次のページへ |