建築あそび記録 佐藤敏宏 作成

 home
      

2001年3月3日 
 槻橋修氏を囲み「建築あそび・・記録集
                その 3 


 



m:カバーという元は、ガラスのスカイスクレーパーを彼がやって、皮膜というテーマを一方で考えてたから、皮膜というテーマがクロムメッキというテーマに移ったのか、その当たりの歴史的確証がよくわからない

t:ミースはガラスのスカイスクレーパーの時に、ガラスの透過性よりもむしろガラスが反射をして、透明で奥の景色と反射して写る景色とが混ざり合って、表面が特殊な状態になるということを、言ってると記憶いしてますけれど、・・僕の自然な考えかたからすると、今の宮島さんの話は賛成できるかなと・・

w:クロームメッキというのはウイリアムギブスンとかクロームメッキフェチじゃないですか。3行に1回ぐらい出てくるんですけど・・ミースとかがクロームにフェテッシュだったのは・・

t:フェテッシュじゃないんじゃない

w:思ってしまうんですけど、クロームメッキした十字の柱に美学を感じてたんじゃないかとぼくは思うんです。

t:彼のフェテッシュはどこかというと、むしろクロームの十字の柱と屋根スラブのとりあい、支えてるという関係の所にフェテッシュであったんで・・クロームの柱自体にフェテッシュじゃないと思うんです。

w:なるほど

t:僕の根拠というは、ファンズワース邸といのは、白塗りのH鋼が建ってるけれども、H鋼の柱の上にスラブが乗ってるのではなくて、H鋼の柱の横に溶接してくっつけてますよね。あれはその後のイリノイ工科大のクラーンホールに続く、屋根を吊ってるような構造、スラブを吊るという解放に、方向が偏向されて行くと思うんだけど。柱と支えるという関係とか、そもそも壁をフリースタンデンディングにするという発想が、あるいじょう、柱だって、柱と柱が支える屋根とに関しては、非常に意識的だったんじゃないかと僕は思うんですね。

m:最初壁で支えてたと八束さんが言ってましたよね。多分それはその通りだと思うんですけど。結果として出来たものがドミノプランにすごく似てたのが、彼にとっては当惑したんじゃないかと、アメリカの後の時代の作品を見て思ったことなんですよ。
それはどういうことかというと、ドミノプランをコルビュジェは疑わなかったと思うんです。その中でどれだけ自由な造形を俺は出来るんだぜーをやったのがコルビュジェで。構成主義が巧くいかなかったのは、技術的なところが追いつかなかったところで、ドミノプランの柱を抜いてキャンチだけで・・とかでやるとかは技術とか経済的条件とか、建築外部の問題が関わってくるから、コルビュジェはそれを聞かない振りをして、ドミノだけでやったから巧くいったわけで、

t:おそらくドミノの考え方というのは、屋根スラブとういのは、一方で床スラブですよね・・階段が付いてるのがドミノにとっては重要だと思うんですけども・・

s:そんなことないよ・・と重要な箇所で茶々を入れる

t:う・・ふぅ・・そられはとっても重要なことだと思うんです。

     会場 笑う


m:そんなことないない・・と槻橋の言うとおりであると念をおす・・

t:例えばバルセロナパビリオンやファンズワース邸とドミノを比べる際には、ドミノに壁が付いて2階の床があって2階の屋根スラブがあるということはとっても重要な事だろうと思うんです。つまりコルビュジェにとっては、そのスラブというのは床と等価なフレームとしてね・・

m:どこだっていいんだ、別に

t:そう・その中に自由なモノを詰め込める。スタッフ出来ると、いうような発想だったと思うんです。今宮島さんが言った、コルビュジェに対して、ドミノに対しての差異化を意識してたどうかは僕には・・僕は証拠を掴んで無いのもあるし、推測の域をでませんが、ミースは明らかに屋根スラブを床スラブでもあるようなフレームとしては考えてなかった。バルセロナパビリオンを見れば明らかですけれど。ファンズワース邸においても有る程度・・ファンズワース邸の方が床スラブと屋根は等価になりつつあるとは思うんですけれども。・・でも階段・その辺は良くわかんなくなってくるんですけど・・

s:続けてドンドン・・。酔いながら・ヒンシュクをうける

m:ドミノはスラブを支える柱としてあるのだが、ミースの中では柱とスラブという従属関係を絶ち切った・・。そこがミースは意識的にやったんチャーゥかなーという推論ですけど

w:あ・・なるほど

t:ドミノの中には繰り返しみたいなもの、フレームがあるから繰り返しというのは前提になっているような感じがするんですけど・・

w:それって美学ですか・・技学・・

t:それを美学と呼んだら美学として作用するかもしれないけれども、それは設計する人が、建築について考える時に、全体像を有る程度モデル化するような、そういう所の問題だと思うから、美学にもなるし、方法論にもなるし、建築感というふうに呼ばれるかもしれないものであるとは思う。

w:解釈は別にして

m:自己言及のところまで、例えば柱は柱でなんでやるか・柱は柱でしょうね・・

s:すみませんねー、勝手なことばかり、言ってから・・わからことばかりいってんだよねー。おめーら勝手にしゃべるなぁ〜・・

        ・だだの酔っぱらいぶりをチョー発揮するS・

会場 おまえが呼んだんだろう・・と会場が佐藤に突っ込む・

・        ・階段の小口の大理石が映しだされる・・
s:俺がよんだの・・こいつら勝手にしゃべるから・・厭な奴らだねー

    超酔っぱらいぶりを発揮しまくる佐藤

      

   ・・建築=諸行為の織物と白抜きで大映し・・佐藤にたいする反論が方々からデルデル

y:いいジャン
s:石井ちゃん、なんか質問しなさい

       東北人の無口さにしびれを切らした佐藤、ろれつが回らぬ、酔いながら催促してる・

s:ゼンゼンすすまねぇージャンかおめーらー
                  と・・を入れて力む会場大いに笑う

w:すごくいい間だと思ういますよ僕は       会場笑う・

t:今ミースの話で広く広がりましたけれど、建築というのは例えば八束さんもミースの方で述べてましたけれど、ミースでも、壁の配置から決まって柱の配置は後から決まったとかね、そういった建築の設計をする段階では、どこから決まるというような順序というのがあると思うです。

s:個人個人・・

t:個人個人に。どこから始まり、どこっていう分け方は、建築家によるものだと思うんです・

s:こいつは賢いからね・・

t:え・・

 次へ