佐藤敏宏    HOME  

2025年6月の日記      2025年5月の日記へ  FBへ   







6月5日  

午前中、鈴木達治郎先生2020年代を語る、チェックPDFがきていたので、こつこつ修正する。その後食材を買い出しにいく。

■午後1時半に雑誌社の斎藤さんとあってワイワイする。
■そのご、とあるギャラリーを訪ね、今後の展示予定を聞き取る。
■そのご、市役所にいき情報開示請求書を出す。県庁にも提出しようか迷う。

■FB投稿

福島市駅前そばに出現したサンチャイルド像について聞かれた
で、その方を関係する場に案内しつつ、ついでに55回目だけど、福島市公文書開示請求書を提出した。(まだ続けている、馬鹿だね俺って・・・)次に像に関係する箇所の現場に立って、いろいろ聞き取りもした。事件当時より会う人皆口が軽くなっていて情報は得やすく、起動させた面々のその後(当時の腹の内)も分かりやすくなっている・・・と感じる。時間のフィルターった想っているより人に思わぬ効果を与えているんだ、と知り、いい系経験をしている気分。(数年ごとに開示請求は続ける覚悟で何年目だかわすれた)
●絵は解体撤去するようすを佐藤が撮影したもの。

●美術品を公共空間にセットすることに作家も行政もかなりでたらめ・・・をやっているよ。法律ないのだから仕方がないんだけど、それは国会議員からから地方の市町村の政治家たちの怠慢と無知、どちらが先でもいいだけど。アートと街づくりなどと言う前に議論しないと始まらないんだけど。









6月4日 

■8時頃菊眞さんのFB投稿によって、渡辺豊和さんが4月30日に亡くなっていたとしった。長いあいだパーキンソン病を患っていたし、新コロナがおきて会いに行くことがはばかられるようになってた。10年ほどまえに訪ねてお酒をごちそうになったことがある。それが最後となった。


    1992年3月メキシコにあるモンティアルバン遺跡で

■FB投稿

渡辺豊和さんが4月30日亡くなった。
いい奥さんにめぐまれた豊和さんは「幸せ建築家」だった。さらに仲のよいご夫婦の暮らしぶりで幸せ建築家の2階建てのような暮らし方を所有し営んでもいた。だから、あるときは福島から3人の友達をつれてもいった、いつ訪ねても歓待されたし笑い声と対話の切れないご夫妻であった、としみじみ思う。(近頃、なにかにつけ笑い合う夫婦や家族同士が少ないのは気になるけど原因は明らかだ)
●田舎者の佐藤は建築家という生き物を身近に知ることがなかったので、1991年奈良県中央部にある渡辺豊和さんの自邸に2週間泊めていただき、いわゆる日本の建築家の暮らしぶりという実態をありのままを観察させていただいた。同時に初期作品を虱潰しに観て歩いた。そこで所有者に叱られたり、説教されたり、寿司や酒をふるまわれ歓迎されたりした。なるほど建築家とその建築と世の中はこういうことになっているのか、と。建築の事実を自分なりに確認することができた。貴重な体験を得た。
●東北人(南三県は東北じゃない、と語ってたが)佐藤はなぜか、建築の関係ではなく人間としてお付き合いさせていただき、福島市の我が家に来て12時間の講義を頂戴し、12時間美味い福島の地酒を呑み続け、まま倒れ雑魚寝もさせてしまった・・そんな思いが懐かしい。
今日、亡くなられた豊和さんは、天空に夢を馳せ巨大な宇宙建築づくりに余念がないことだろう、と想像するだけで、悲しみというよりおかしいから不思議だ。亡くなってもそのような思いを襲う人間はほかにいないだろう。
最晩年の建築は宮城県白石市にあり、次男の菊眞さんと体験した。初期の代表作である兵庫県西脇市にある「古窯陶芸館」と対を成し現在の世に人知れず建っている。始めと仕舞もいかしている。幸せ建築家とはこのような仕事をして亡くなる人のことなのだろう。
●写真は1992年撮影で、世界の遺跡巡りと巨石文化を愛した豊和さんにつれられて、メキシコのモンティアルバン遺跡で撮った。

●東日本大震災後、豊和さんの自邸をたずね呑んだ。そうそう?む前に辺りを30分ほど散歩して語り合った。両手の筋肉の動きがおかしかったと記憶している。あれいらい自邸を訪ねてはいない。

●豊和さんに尋ねたことがある「芥川龍之介を目指していたんじゃないですか」と。「なんでわかるんや?」文章を読んでいるとそう感じるんです」と応じたら、微笑んでいた。本好きの豊和さんは幼少のころから図書館通いをつづけ、作家になるつもりだったそうだ。作家になるより建築を目指して物書きになるように、遠回りの道をお母さんに指南されたと語っていた。数えたことはないけど多数刊行している。出版社に原稿を持ち歩いているよ(笑)とも語っていた
●佐藤は最初の著書『芸能としての建築』が一番すきだ『大和に眠る太陽の都』も推し、初期作品が建築どうよういいんだ。












6月3日 曇りのち

■昨夜は同世代でフランスの映画監督ジャンピエールジュネ監督2014年公開の、『天才スピヴォエット』を二度観た。お話の筋や人物設定はアメリに比べれば感情移入しにくいんだけど、画質と色彩はロードムービーになっても冴えわたり、どのように撮影したのだろう・・・と思い二度見た。『アメリ』の味はままを突き抜けて、奇想天外でありえないんだけど・・・面白い。映画の面白がりかたを拓いているように想えた。

■蒲生氏郷の故郷体験記を書くため、午前、県立図書館に行き、蒲生氏郷関連の本を借りてきて目を通しはじめた。おれより400才ほど年上の戦国武将で、会津若松の町づくりや産業の基礎をつくった武人におもえる。毒殺説もありそれだけ、嫉妬と羨望が入り混じった目立つひとだったのだろう。

■FB投稿

滋賀県 日野町案内役は氏郷くん、彼のにわか勉強しはじめる
県立図書館へいき蒲生氏郷関連本や資料をあたる。貸出不可のものもあって寂しいが貴重な資料は図書館内で目をとおせばいい。
福島県会津若松の若松の鶴ヶ城というなも蒲生氏郷ゆかりのものだが、戊辰戦争敗北の痛手がおおきく、斗南への国替えもあり、松平容保が人気なんだと思う。









6月01日 曇りのち夕方 ひさしぶりに陽射しをめでた。

■午前と午後、先月20日鈴木先生と語り合った内容を見直す。
 昼飯をくいながらレモンを煮る。最近トルコ産レモンが安価で手に入る。ワックスと防腐剤をとるため洗剤と塩で洗い、その後煮る。俺の内蔵にいいようなので、食べ始めた。健康にいいという民間信仰みたいなもにだが、多少の防腐剤とワックスの摂取はしかたがない。
■午後いちでシチューのリクエストがあったので食材を買いにいく。

■FB投稿

トルコ産レモンを煮る(煮る前に食われちゃうんだ・・)
酸っぱいの嫌いなのだが、大混乱の世を見届けたいので俺の体に効く・・と風聞が流れたのでスーパーからレモンを買ってきて煮た。甜菜糖を入れても苦い、その苦さが内蔵に効くのだという。

長生きして歴史の終わりに現れた、帝国主義の大混乱を観察して記録もコツコツ、落し蓋してコトコト煮詰めるだけでも唾液でるよ。(トルコ産でも洗剤と塩で洗い水でも洗うことを忘れないで処置後、ガブリとやることが肝心のようだ)

夕刻、ふいに陽射しきた!うれしい。

除染前は外壁は鬱蒼と蔦が茂り、新緑も紅葉も美しかった。除染から1年経ったけど植物繁る外壁は戻る気配ない。蔦植えなおしがいいのかな。