佐藤敏宏    HOME  

2026年4月の日記     2026年3月の日記













 4月27日  

■ 博多行きを予定しているので、指定された滞在宿の周りの情報をあつめる。他は読書と飯炊き爺さんする。久しぶりに昼寝もした。


■FB投稿

庭の鈴蘭さきはじめた。
堀内誠一著『父の時代・私の時代』古い順に3冊読み比べてみた。左から順に1979年、2007年、2023年刊行。それぞれの特徴はオリジナル・ハードカバー、装丁がおしゃれ、情報がすべて整っている開いた印象は詰まり過ぎている、だった。初心者への推しは文庫版23年刊行物かな、そのなかで瀬田貞二さん追悼文を一読すると堀内さんのすべてが理解できる。と思った。今世紀になって廻りはコスパ、タイパをとやかく言いつのる者が多数派だから現在は、目の前に現れないし触れることが叶わないし、会った事がない人格の一つで、そのうえ人間の暮らしを知り尽くしお洒落に生きてしまった静かな都怪人と称する生き物だと思った。よく働くし口・理屈より、体と手が動く希人。働くことが大人と考えて働きすぎ。過剰喫煙が命を縮めたきがする。
今日で堀内誠一情報取集などの三昧は一区切りした。残るは聖地巡礼だ、気長に実践しよう。

■26日のFB投稿

瀬田貞二さんのこと(瀬田文庫)
・・・1959年(昭和34年)浦和の自宅で家庭文庫「瀬田文庫」を開きました・・←これは凄いよ・・瀬田貞二・聖地巡礼してみたくなった。まず県立図書館にある本を借りて読んでしまおう。次に聖地巡礼の順がよさそう スタート地点は「さいたま市図書館」がいいかも。

上京する機会があれば「堀内誠一聖地をめぐり」したい!
18才10か月から渋谷区の恵比寿駅の建築会社で働きはじめ、2歳上の先輩に見学につれていかれた場所は隅田川西岸にあった敷地の工事現場だった。土方バイトで鍛えていたので現場は慣れていた。が、墨田川から吹いてくる風の強烈な福島市に無い悪臭は「毒ガス?・・・」かと思うほどだった。「このような毒ガスのなかで建築を造る現場監督は偉いものだが、俺には務められない」と声にはださず黙っていた。あれから50数年たち隅田川の悪臭は水質汚濁防止法によってすっかり綺麗になったし、アサヒビール工場には金の炎(絵投稿した あれを皆は金のうんこと呼ぶ)が建つ観光名所にもなっている。
堀内誠一さんはあの辺りで幼少期を暮らしデザイン資料にうずもれながらすくすく成長したという。そこは敗戦前の、地域コミュニティの見本のような「これが日本人の都市生活!」というほどの人情味豊かな下町の日々の様子であったと推測できる。そう『父の時代・私の時代』書き残していた。
墨田区には立原道造も葛飾北斎も縁があるので、上京する機会があれば、この辺りと分かったので、1日かけて堀内誠一に関する聖地巡礼を実施してみたくなってしまった。B29の焼夷弾投下で見渡す限りの焼け野原になった向島に立ちった少年の感想も記してある。敗戦後戦争へ突き進むかのような政治家たちの選択は強くなっているので、次の敗戦がやってくる前に、見て体験し記憶にとどめておきたい (絵はweb地図より)















 4月25日 

■堀内誠一展@いわき市美術館で鑑賞した余韻にひたりながら関係本を再読していた。ひろしま美術館刊行『堀内誠一絵の世界』に目をとおしていてキュレターの林綾野さんを知る(1975年横浜生まれ。フリーのキュレーターとして展覧会の企画・制作、アートライターとして美術書を執筆。画家の芸術性に合わせてその人柄や生活環境、食との関わりなどを研究←webより

■ FB投稿
むしのすきたろう はかせよりはいいね。

『アンアン(anan)』創刊号(1970年)をじっくりページを開き見ることが叶った。感じたことは堀内誠一さんのアート・ディレクターとしての能力と目利きに圧倒されてしまったし、編集者として─雑誌を売るために創る─能力も、やがて商業雑誌編集者ならニヒリズムの谷に落ちていってしまうとしても、創刊号の内容は驚くばかり「よい」としか言いようのない本だった。商業雑誌編集者にとどまる人でなかったことは、飯炊き爺さんにとっても幸いで、その後刊行された絵本の多数に触れれば誰でも理解できるはずだ。
昨日観た展示されていた絵本を強いて一推を選べば『てがみのえほん』だ。お祝いの手紙が方々からとどいて、その手紙を紹介する絵本形式になっていて魅力的でもある。そのなかで飯炊き爺さんが最も気に入った手紙は、はなのきやま りんご 6464ばん むしのすきたろう はかせより のものだ。 
ここに描かれている老いの対処法は幻想的であるけれど、生はこのようにあるなら不幸という事態は消えてなくなるだろう、と思ったからだ。いろいろ言い訳をしつつ、くだらないとしかいいようのない時間を持ってしまう人生もまたよいとは思う。が、堀内誠一さんの指摘のように「こびとに戻る幻影をもち、こつこつ生きることは肝要だろう。
(絵は1972年刊行 堀内誠一 さく・え 『てがみのえほん』より)








 4月24日  風がつめたい霜注意報もでていた

■高速バスでいわき市美術館を目指す。(往復割引チケットで4200円)堀内誠一展を観る。小学生は大ぜい来館していたが、大人はご婦人が数名だった。絵本はこどものための本と考えてしまう大人が多いのかもしれない。だが奥深い表現が可能で人に与える影響も広大だろう。

■FB投稿

植田実さんに堀内誠一さんは私にとってスーパースターだ」と教えていただてから20年
ようやく(人生で初)堀内絵画作品をこの目で鑑賞・確認することができた!
いわき市美術館で開かれている「堀内誠一展」を鑑賞し、堀内さんはスパースターであることを確認するためにでかけた。なるほど、これが60年以上たった原画なのか!絵本と原画を突き合せながら鑑賞どのあたりがスーパーなのか多数確認してしまった。加えて多数の絵本と原画も展示してあり、仕事量もスーパーであった。堀内さんの編集とディレクションによるマガジンは創刊時の作品から並べてあり、見応えじゅうぶん。また社会を渦巻く当時の熱情と力をに感じながら、圧倒されて仕舞う。大変よい体験がかなった日だった。













4月23日 一時晴れるも曇る

■午前中はいわき市美術館の堀内誠一展をみるための段取りをし、午後堀内本を読み続ける。

■FB投稿

堀内誠一著『父の時代・私の時代』副題 わがエディトリアルデザイン史
飯炊き爺さんの私より19才年上の堀内さんは本所向島で生まれ育ち(浅草の吾妻橋たものに見えるアサヒビールの金の炎ビルそば)東京大空襲時には疎開し、実家(お爺さんの貸家)は空襲を逃れたそうだ。焼け野原になった本所での個人の暮らしのぶりを初めて具体的に知る。燃え尽きた大地に立ち暮らし始めるとこのような心境になるのか・・・と感じ入る。浅草寺や六区という当時の中心地傍に暮らした人々は焼けだされても優しさと明快さをもつ人々が多かったのかもしれない。

たたき上げふう堀内さんは10代から仕事をし大勢の仕事仲間に鍛え上げられてたのち、伊勢丹の装飾係に勤め始め「原子力展」のディスプレイを施工したともあるが、コマーシャルベースの絵やデザインの限界を感じたようで絵本作家や装丁、編集へと多様な才能を開花させていく。現在のような祭りの後の縮退し続ける世とは対極にある世のように見えたり、才能が激しく混交交流し化学変化を起こした・・かのように人々を磨き上げ続けていくようすが分かって、興味深い世であったんだなと堀内さんの人生を納得する。(原子力展の絵は『堀内誠一 絵の世界』平凡社より)
堀内誠一展をみるために1日で読み終える。













 4月22日 

■昨日は『原発と都市計画』、『建築レコードの整理技法』を交互に読み進め、前者を読み終える。

いわき市美術館で開催中の堀内誠一展を観に行きたくなり、今日は堀内誠一本があるか県図書館を検索してみると、3冊あったので借りに行、午後かれの自伝『父の時代・私の時代』─我がエディトリアルデザイン史を読み始める。敗戦前後の東京都心の暮らしとデパートのディスプレイやデザイン関係の混沌とした様子が手に取るように描かれている。、

堀内誠一さんの自伝を通すと何かが生まれる場所と、何もない焼け野が原から事が始まる魅力が書かれていて、田舎、福島市のカオスの無を自覚せず活かせぬことで、何も創れない場所の基底ながれる都会と田舎の差を再度自覚することになってしまった。難しいこと、難解なことは何も書かれていないが、創ることを思う人には大変貴重な本だと思う。

■FB投稿

堀内誠一関連書籍を県立図書館より借り受ける。
『父の時代・私の時代』副題(わがエディトリアル・デザイン史)は年代順に3冊借りる。堀内誠一さんが生前に見ていたのは日本エディタースクール出版部の1970年刊行のものだ(県内で借りた人は俺が初めてだった!)。他の2冊は増補改訂されて刊行されている。
県図書館での堀内本の貸付窓口は子供図書コーナーが担当となっていた。ついでに堀内絵本を推していただき、とりあえず5冊かりた。このぐらい事前勉強して展覧会に望むことにしよう。
パラ見すると堀内誠一さんは若い時分30才前後にはモディリアーニにあこがれていた・・と推測できる絵画作品も多くおさめられていた。モディリアーニのように退廃的に暮らしてたわけではないが都会人ならではのセンスを持ち家族に愛され暮らしていたことも分かる資料もたっぷりおさまっていた。なるほど。。

推していただいた絵本は『てがみのえほん』これは物語を読み込めるし構成意図も俺好みであった。いいね 

堀内誠一作品が福島県内にやってきちゃってる
故・植田実さんが最も尊敬していた編集者であり絵本作家であり・・絵本作家、デザイナー、アートディレクター、著述家・・・など多彩な堀内誠一さん。『真夜中の家』の中に(P120)「スーパースター的存在」ともまで書いている。堀内誠一作品群が福島県内にやって来てる。いかねば・・・。
2005年我が家の講義では『新・真夜中の家』を書くために来たと語っていたのだが・・・植田さんにはいろいろお世話になりっぱなしだった。ご冥福を祈るしかできない飯炊き爺さんである。
















 4月20日  暖かいいちにち

午前本を読んで感想をFBに投稿する。

■夕飯作り始めたら、大きな警報ののちゆらゆら気持ちの悪い揺れの地震がやってきる。三陸沿岸は津波が押し寄せ、東北新幹線と本線は止まってしまったとのニュースあり。

数日注意して暮らそう。

●齋藤歩博士より『建築レコードの整理技法』ー副題日本近現代建築のアーカイブをめざしてーを送っていただいた。
齋藤博士と出会ったのは2000年頃だと思う。メディアデザイン研究所(『10+1』など編集)にあそびに行ったことがあり、齋藤さんが編集の仕事をしながら勤務されていたときだった。その後我が家に遊びにも来ていただいた。「福島市内の小学校で学んだ」と語っていた。その語りは2005年7月、植田実さんをゲストに「建築あそび」を開催した日だったと思う。齋藤さんは「植田さんの話を誰も聞きにきてないと思い来ました」とも話していた。齋藤さんの指摘のように、齋藤さんと我が家族とサポーターのみで、学会賞を受賞された植田実さんの近況を語っていただいた。内容が(豊富だったので記録は公開している)その時、齋藤さんとは多様に語り合ったので記さないが記憶している。建築を記録する仕事に光を当たることもなく、光をあてる建築家群の不在を痛感した。
そんななか俺はweb初期でもありフェークニュースも無かった社会なので、思ったより遥かに豊かな建築交流人生を続けていた。そのことは今日の生活をも豊かにしていると実感しつづけている。
齋藤さんと出会ったあの日から20年間は音信不通だった。数日前一冊の書籍が届いた。それは、齋藤さんが学習院大学に博士学位請求論文を元に加筆修正され、東京大学出版会から3月27日に刊行された『建築レコードの整理技法』だった。
しびれちゃう!内容で、広大な地平を持っている、と中身を読まずとも手に取っただけで分かった。なぜなら3・11後、建築のアーカイブをどうするのか?突き付けられた問いでもあり、悩み考え続けている一つだからだ。加えて自分自身の終活をするにあたり、my建築の模型だの図面だの聞き取り記録など・・・それらのアーカイブをどうすればいいのか?買い集めた本は多くは整理処分した。が、まだ残っている、どう整理処分すればいいのか?なども悩み日々考えているからだ。建築設計業を始めるにあたり知っておきべきことはカネを稼ぐことも大切だ。が身に付けておくべき一つが齋藤博士が示した『建築レコードの整理法』だと気付いていたからだ。誰も手を付けていない事態を10年かけて解明されていた。そして建築界に警鐘を放った・・・そう感じたのが手に持っての第一感だった。
連休内にゆっくり拝読して感激しよう!

● 乾康代著『原子力と都市計画』よみおえる
「敗戦後日本史ー原発開発とその結末編」と読み替えても適している著作物だった。科学者と市民の方々には福島県民の方々へも、おすすめします!(福島県内在住の有識者こそ編むべき書シリーズ)
4章「原発と過疎地─福島県大熊町と双葉町」から最終章「現代科学と原子力」までは一気に読んでしまった。「原発立地地域の未来を考える」では夕張や常磐炭坑開発と閉山、次に産業転換(常磐炭坑は観光としてのハワイアンセンター)が取り上げられていた。炭坑へと寄り道するなら、グラバーが日本初の炭坑開発した高島炭鉱やその炭坑産業によって岩崎弥太郎が三菱財閥の基礎を築いた点にも触れておいてほしかった。
最終章「現代科学と原子力」。原発に限らず町づくりや建築家や都市計画の専門家は行政サイドを見て、市民の顔は見ているふりしていて、声を聞いてはいない、きくふりしているように感じていた。その点は福一事故後も続いている姿勢だ。例えば廃炉監視会議や各種まちづくり討論会に参加すれば一瞬で体感できることだ。まとめとして提示された最終章は多くの科学者は読むべきだ。市民との協働とは言うは易しいが実現実施はとても難しいし時間もたくさん要する事象にある。
専門家である科学者と市民たちのよき関係が構築されないまま、上意下達方式で進められる事態と現状に警鐘を鳴らすのだが、浜通りのイノベ構想が実現施行されつつあるのを見るまでもなく相変わらず、市民と共に原発事故後のフクシマ県浜通り地方を再興している事態ではないように見える。あれの総体を把握しているのはだれなのだろうか?やはりバラバラな上意下達になっているように感じる。双葉町や浪江の住民の帰還率を確認すればみれば明らかであろう。住民不在の街づくり再興計画が実施されているから帰還数が低迷している、と読み替えたほうが理解が進む。
繰り返すが、最終章こそ科学者に限らず専門家も被災市民も、自らの足元を見つめなおし、事故に至った原因を徹底追究し、国と県も反省点を明らかにし終えてから、復興ビジョンを立案すべきだったのだ。なぜか原因解明なくして復興計画に前のめり、で呆れてしまうばかりだ。個人のことなら、あの順序にはならないはずだ。同じことを繰り返すことになるからだが・・。
311事故直後から感じている住民不在で空疎な事態で復興計画が進められてしまているのではないか。そのことは日本の民主主義がまだ幼児期にあることをしめしてもいるように思う。だからといって原発事故後も上意下達の都市計画と実施になってよかったのか?。遅々として実現しない福島市の東口再開発を例に出すまでもなく、事故後、浜通りの農業は蒸発し後は荒れ地が残る様が続くのだろう。新産業がおきても、福島県民は何を食べ、何で収入を得て、若い家族を養おうとしているのか・・そこから始めるべきだったのではないか・・県の人口は減るばかりで止まらない。本書はそこを指摘していよい。が、市民は手も足も出せないまま原発建屋が構築されていく様を口を開いて眺めていただけの状態を、またもや国策・イノベ事業の場においても繰り返す、それしか術はないのだろうか。


















 4月19日  気温上昇し 暑さなれせず 無理せず昼寝する

■予約者が現れ2週間しか借りられないと分かったので朝から『原子力と都市計画』を読む。読みやすい内容なので7割りほど読んで夕方。夜に寝ころがりながら読んでしまおうかな・・。

福岡行きの件でmy長女とメッセージをやりとりする。7時間の時差はあるけど距離のストレスを感じることなくやりとりできる。

■ FB投稿

乾康代著『原子力と都市計画』3章まで読み終える

借りてる時間が短いので午前中から読み三昧。敗戦により日本人にうまれた劣等感は正力松太郎や中曽根康弘などのアメリカ政府エージェント・まんずの欲望が描き出した原子力政策にまんまと?み込まれ、原発列島と姿を変えた。結末は人類史上に記された福一の過酷事故だ。あれを生み出す源に私物化された都市計画を入り口としていた。(2026年現在なら誰でも知っている・・かな)あの悲劇が生み出した原動力は、国内にある格差を活かした新植民地主義と差別思想。
その事例の積み重なり「劣っている地から脱出したい」という底流があり広まり、原発と関わる具体的な東海村の都市隔離開発によって記されていて興味深い。3章「東海村と植民地主義開発」
思っていたよりスイスイ読める。読書前に『巨怪伝』上下を読むことによって敗戦時以降の正力松太郎の魂胆を理解しておくと、『原子力と都市計画』正力などの私物化した公的都市計画である東海村が進展した姿の理解は深まるし、読売新聞系メディアは政府自民党の広報機関なのでは・・と読みながらも思ったりする、これも周知だろうな・・日本のマスメディアにもご用心ということだろう。午後は4章から読み進めよう。











4月18日 

■FB投稿

乾康代著『原子力と都市計画』(西山夘三記念叢書)
福島県立図書館へリクエストしていた。1月ほど要しようやく「貸出準備整いました」と電話が入っていたので、借りて来た。延長期間入れて4週間あれば読み終えるだろうと、想定してでかけた。この著書の存在と県図書館で蔵書したことを知っている人は福島県内に居るとは思っていなかった。が、窓口でいきなり「すでに予約が入っているので2週間で返却してね」と言われてしまった。パラや目次前書きに目を通してみたが2週間はかからず読み終えそうだ。
(資料として買うかな・・迷う・・借りればいいな目次だけweb頁作っておこう)

●1951年7月14日─俺が生まれた10日後─から、西山夘三助教授と医学部の天野助教授が支援し京都駅前の丸物百貨店で京大の学生会が主催した「綜合原爆展」が開かれた。その記録集が『占領下の「原爆展」』で西山博士と原爆には深いつながりがあるように感じる。

●また、ノーチラス号 (原子力潜水艦)をもって原子力平和利用に大宣伝とともに、プルトニウム(PU)の米国一括管理を企てたなど・・原発前の動きもどう描かれているのだろうか。

●女性の方が原発と都市計画に関する論文を纏められた、ことにおおいに興味を持った。そのわけを知りたかった、なるほど2001年から茨木大学に勤務されていた研究者であった。東海村の原発事故もあり、福一の大事故にも遭っていた研究者ならではの論文成就に大拍手を送りたい。感想文を書いておくろうかな


■ 蔵書の大移動始まる
my次男は我が家の蔵書(主に俺とmy長女の本)の大移動を始めてしまった。今月末に整理が終わるのか?不明だ。しかし蔵書を引き継いで、探しやすく見やすしたいとの動機によ俺生前の書庫整理は大歓迎。(漫画は多量に捨てるみたい)
残る整理は仕事場にある建築や絵画などの書籍は移動後、俺がするしかなさそう。(今年後半に整理しちゃうのが目標)天窓がある半地下への通路廻りは家の中で一番明るい場所の一つで読書には最適だが、猫グッツに占拠されている昨今。








 4月16日 時折小雨のち 

■作詞ししAIに極にしてもらう。すぐできてしまうので驚いた!

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my長男、「脱・新聞脳の証」かも。
小学1年生の入学以前から新聞愛読者(文字好き)だったmy長男。新聞脳になっちゃうかな??・・と思っていたが、放置していた手抜き親父の俺。紙面評を担当したようだ、それは新聞脳から脱した証だな・・・と受け止め「めでたい!かぎり」と思った。自分で固有の情報を発信する者になった、そのことを新聞社も認めたんだろう。(50年弱かかった、少年老い易く学成り難しか)

お茶うけに 蒸かし芋と筍の煮つけと筍めし。
春先なので薩摩芋は安値
筍も一気に安価に。(注:福島市産は放射能の影響で出荷制限中)

飯炊き爺さん 「ロールキャベツ」を作詞
 AIに曲付けしてもったよ  (ai男性歌手 採用)
愛する人と食べちゃう 言葉を追加してみる






4月15日  

のんびり・・・1970年代のフォークからロックへ移行する音楽を聞き続けてたり、動画を検索したりして過ごす。今年度は積極的に聞き取りなどの活動せず、体調を整えるつもり。

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1991年7月福島県美術館で買ったヤンセン図録より
北斎と広重の展覧会があるそうなので、図録を引っ張りだす。ホルスト・ヤンセンが描いた北斎自画像を観る(北斎に興味がない人は分からないかも)。
そこには日本人北斎とドイツ人ヤンセンの自己認識の相違を確認することが出来るので面白い。1929年ドイツ、ハンブルク生まれのヤンセン。1760年ごろ?生まれただろう、画狂人北斎の異能は西欧の現代画家にも届いている。さあて、久しぶり、墨田区にある北斎美術館以来か・・・北斎が残した絵画に会いにいくか。








4月14日 曇りのち



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ロールキャベツつくる
誰が作り始めたか知らんロールキャベツだけど・・。日本人かな?スーパーの入り口にキャベツを目立つようにどーんと幅広く積んで安売りしてた。
「貧乏飯炊き爺!これを買って食え!」と言われている気になって無視できなくって・・・。買ったキャベツに具を包み込み煮る。(具材はピンキリで際限なし)味は好みでどうにでもなるけど、キャベツの甘さは今がベスト。

HOSONO HOUSE
  隣の木蓮 眺めながら 聞いている 
 まあお茶でも飲んで 平和のことなども・・・




4月11日  のち晴れ やや風つよい日 

多様な支援についてあれこれ。
知人が働きながら両親の介護にあたっている。いろいろ聞いていると、介護を家族や専門家などの人が担うことは、限界が多すぎるように思う。単身者世帯が40%を超えるのはもうじきなので、老人に限らず、若い人でも病になれば支援が必要で、それを誰が担うのか・・その先には、家族の支援で亡くなるという夢物語を実現するのは、今後難しくなるのだろう。
介護や死、人間の仕舞い方を発明しなければ、相変わらず家族や介護支援労働者の負担が増すばかりだろう。小さな支援だが飯炊き爺さんをしている。飯炊きだけでも体力と時間を必要とする。目的合理にそくせば、健康な人は働き自身の生き方を介護で阻害されぬ社会システムを構築できればいいように思う。
涙物語的に自分の家族に看取られて亡くなりたいと想うのは、あまりにも牧歌的時代遅れのように思えてくる。飯炊き爺さんはAIロボットに亡骸などを含む後始末をしてもらえれば、他者に負担を掛けず、お陀仏できるように想うのだが。一気にはそうならないとしても、家族会議のテーマにはいいように思う。機会をみつけて話合ってみたい。

めも)我が家も老・老介護にならないといいな・・
飯炊き爺さんへの介護ロボット支援要の時間はまもなくやってくる
そ時の介護環境は人間+AI眼鏡対応か、全てAI人型ロボットになるのか、楽しみだ。金がないとAIロボット買えないな・・・政府はなぜそれらの開発に資金をどっと投入しないのか、、次回の総選挙の争点になるといいな・・・。


















4月10日  ときどき小雨

3ヶ月ごとの検査を受けるために予約制の日赤の泌尿器科へ。

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前立腺癌の定期血液検査を受ける。
今にも雨が落ちそうな空の下、いつもの赤十字病院へ自転車飛ばす。今日は通路待合が個人の家の居間のようになっていて賑やかすぎた。春になったので患者とその家族たちは陽気になっているのだろうか。
泌尿器科に関する検診は不要なのだが、担当医が「チェックしよう」ということになって、尿酸値もアウトプットし続けている。高止まりにならず、その因は食い過ぎているのか?水の摂取が少ないのか?両方か?不明だが上昇中。通風に遭いたくないので食事、質素にして量を減らそう。水も飲もう。いつものピンピン係数は徐々に上昇しているが危険値にはまだ遠い。が止まる気配が現れていない。一定に止まり続ければ、それが「俺値」なのだそうだ。
放射線治療の後遺症も抜けて、去年より心身とも元気のこの頃。財布はしおれ気味。採血係のお姉さんも「戦争のことはわからないけど、ガソリン192円で入れちゃって失敗よ、食い物も上がり財布がしおれ気味よ」と語っていた。採血時間の短い対話も担当者によってさまざまな応答があり、福島市に生きる人の生の声なので興味深い。だから採血してもらいながら話しかけている。皆さん余裕の採血態度。

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戦国時代の日本は、なぜ旧教の連中に植民地化されなかったのか?
それを体験するために、名護屋城周囲の地形を体験しつつ資料に触れてみたくなった。「博多みるみる」ついでに─21世紀的帝国の世になった─で、ポルトガルやスペインから帝国日本と恐れられ、秀吉が朝鮮そして明を植民地化しようと企てた基地、名護屋城を観る時期がやってきたな・・・。(秀吉は天才的な政治家だったと分かる気がする。秀吉が現在の日本列島を見たら「敗戦後日本は米軍基地だらけの植民地だ!と、言うんじゃないか)





 4月8日  昨日の強い風はおさまり穏やかな晴れだった。

■鈴木博之著ー伊藤毅編『建築未来への遺産』をこつこつ読んでいる。今年度の国の予算は122兆円ほどで成立。

イラン戦争は2週間の休戦にはいったとのニュースが朝からながれていた。日本列島にある米軍基地から戦艦がイランに向かっていたので、イランとの今後の交渉は困難を重ねざるをえないのだろう。トランプ大統領に抱きつく現首相の行いも世界は記憶しつづけているだろう。あのように行為を伴い隷属の意思をあらわす総理大臣は初めて。

■FB 投稿

葉桜にかわり 雪柳など咲きだす
信夫山まもうじき芽吹き萌えそうな雰囲気 
天気次第だけれど登るのもよさそう、天辺は寒いかも





















4月6日  一気の気温上昇し暖かくなった。

■天皇家族が原発事故から15年の福島を明日まで視察する・・・と、知人から連絡あり。ニュースにもなっていた。
■my次男相変わらず本の整理をし、資源ごみへ出すなど仕分けもしている。

■ウナギを食べたいというので一尾買ってくる。中国産で1300円ほど、値下がりしているとの記事もみたのだが、そうではなかった。


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福島市民は辰野金吾建築2棟を幻とすべきだったのか?

鈴木博之著ー伊藤毅編『建築未来への遺産』V章建築批評クロニクル 7 1970年代「列島改造と地域の文化財」を再読していて、思い出す建築は福島市にあった辰野金吾設計による二つの銀行のことだ。1970年代は東京圏に暮らしていたので、消えかかった辰野建築の事態を知らずに暮らしてしまった。
福島市にUターンした1982年頃、日銀福島支店の保存運動の話は福島中央テレビの記者だった友人から何度か聞かされ、詳しく知ろうと保存運動を始めた女性にも会って酒を酌み交わしたことがある。夢幻と消えた建築の事などいまさら語りたくない・・・というフテた態度だったので、掘り下げることはかなわなかった。そのTV番組を探し出すことも叶わなかった。
鈴木博之著作に目を通して改めてだが、建築という文化財の保存運動とその実現の困難を指を折り数えてしまう。鈴木は「・・文化財として指定され・・・・結局は人々がその作品を大事なものと考え、それが時代遅れになった今でも、その事物の存在自体に重要な意味があると思って認めたときに、文化財は文化財になるのである。」(255頁)と1972年11月に表明している。福島市内にあった2棟は福島市に暮らす人々が「重要な意味があると認めず、文化財にもなれず幻になった」ということだろう。古建築保存に関わると文化財とはなにか、保存すべき文化財とはどういう事態なのか・・など福島市で思いめぐらすと手も足も脳も動かなくなる。そんな病に罹って久しい。だから薬がわりに鈴木博之の著書を再読したりする。鈴木は東京駅保存を実現したことは周知の事実だろう。
(建築設計を生業として暮らしていたので、写真データなどで見ると想像はつく。だが、物が存在する意味はデータで存在することは異なり、厄介で人を傷つけもする、存在自体が重くのしかかって人々を襲う。それそこが人を逆照射し鍛えつづける建築の良さの一つでもある。)市議会を傍聴し「移築し、使って保存せよ」という質疑と応答に出会った。が、あの思考態度は建築の保存そのものではない。安易すぎないか(理由省略)

●メモ)旧横浜市庁舎改修工事完成したようだ。(観に行こうかな)
1970〜5年頃の横浜市役所、この庁舎には確認申請の事前相談などで頻繁に通った記憶が蘇ってくる。改修されオープンしたとのこと。恵比寿駅から品川駅で乗り換える横浜駅からさらに乗り換え関内駅の階段を下ると目の前に村野さん設計の庁舎がドカーンとそびえたっていた。
同時期には旧東京都庁舎の建築指導課にも頻繁に通った。なにしろ事前協議の長蛇の列で岡本太郎さんの壁画と丹下健三さんのコラボでなるホールはお気に入り場の一つだったので、一打ち合わせを終えると見上げて眺めた。(あの陶壁画はどこへ行っちゃったのだろう)。20代の記憶は思ったより消えない。









 4月5日  吹く風は暖かい 桜吹雪が家の周りを吹き荒れる1日に

■米が無くなったので農協直販に行き手に入れる。10kg玄米税込み7050円もっと値下がりしてほしいのだが、イランなど中東で戦争が始まって1ヶ月過ぎたが、ますます混乱しそうなので、物の値段は下がらないような気配だ。

my次男が本の整理をしだしたので、階段と地下室がだいぶ整理され、物置に移動。処分するかは整理ができたら考えよう。

■フランス式空気入れの使い方を動画で勉強し、自転車に空気を入れる。ついでにチエンに油をさす。

■FB投稿

陶仏の頭

40年前に手に入れた陶仏を屋外に立てていたが、素焼きだったので徐々に凍み崩れていき、頭だけ残った。作家(一重さん)には申し訳ないが全体のままより、頭だけの方が表情と合っている・・不完全がいいな、と思って保存している。
数日前からmy次男が地下を整理し始めて、様子を見にちかにおりたらなつかしい陶仏の頭。一重さんは塩川駅そばに家があったが工房は磐梯山の西側に雄国沼によりやや下ったあたりに構えていた。遊びに行ったのはある大きな陶の座像が欲しくって直談判に行ったのだ。作家は大変気にいっていたようで手放すとは言わなかった。あの陶器の座像は現在どこにあるだろう?頭だけの陶仏を見て想像にふけってしまった。桜が散り始め気温は一気に上昇し生暖かいそよ風が吹いている。春風にさそわれほっつき歩くのもよさそうな季節になってきた。






4月4日  やや強い風の 午後から雨

■天気は下り坂なので、出かけず。本の整理をしつつ読む。 庭の桜、散りだす。

■FB投稿

植田実著『都市住宅クロニクル』2007年刊行
鈴木博之『建築 未来への遺産』2017年刊行

植田さんが亡くならたと知り探していて、見つからない!『都市住宅クロニクル』隠れていたのだろう、不思議なことに目と鼻の先の本棚から顔を出していた。(MY設計建築についても評されている)
植田本の隣に故・鈴木博之博士本が何冊か並んでいた。(ヘリテージマネージャー受講者にはお勧め)10年ほど前に手に入れて読んだが再読千回!ということだろう。内容は読むべきなのだが、どちらも高価なので推せない。県立図書館にもないのかな、檀一雄本返却しに行って検索することにした。

 4月2日   昼過ぎ雨あがる

徒歩で40分ほどの町に出て用事を済ませる。帰りは循環バス100円に乗り途中下車しスーパーによる。

夕方まで本を読みながら飯炊き爺さんする。


■ FB投稿

自転車愛好者の飯炊き爺。4月から青切符・罰金徴取16種

自動車捨てて何年になったか忘れた。(少エネ生活兼ね)迷ったら不便な生活を選択しつつ足腰を鍛える。そんな暮らしに有効な道具の自転車と公共交通機関。(自転車漕ぐ漕ぐも罰金ありになったんだね。)不便を選んだおかげで足腰強くなった。普段も無茶に自転車漕いでないし、スマフォ見ながら漕がないし・・でも罰金取られない漕ぎ方しよう。








 4月1日 時々晴れ小雨も

午前10時頃震度3ほどの地震がある震源地は栃木県

新年度スタートという自覚がある4月1日となる。市議会傍聴効果だ。

福岡市へいきたいので、webで情報を集めたり、歴史に関してはmy長男のアドバイスを得たり、だんだん楽しみになってきている。

今日から義務教育における昼食代は無償となる。高校の授業料も無償となる。大学の授業料はまだ無償にならず。

■FB投稿

若林克友さんの木彫作品について

若林さん入選おめでとうございます+メッセージありがとうございました。(展示期間 2026/03/28〜2026/04/17 鹿島KIビル・アトリウム)
我が家で開いていた「建築あそび」のゲストの多くは著名で長命な建築家の路などを歩んでいる人が多い。若林さんは日本大学工学部で建築を学んでいた2002年前後に「建築あそび」に参加していた。若林さんは家具づくりに道をうつし現在は山梨県藤川町に移り活動している。

026年「第19回KAJIMA彫刻コンクール」にて、木材の「節穴」をテーマにした彫刻作品が入選し、メッセージをいただきました。メディア種類は不明ですが、ともに作品も紹介いたします。
「建築あそび」に刺激を受け20数年後・・参加者自身が連絡をしてくることは希なことです。