| 佐藤敏宏・博多漫遊 2026 (5月30〜6月4日) | 作成:佐藤敏宏 2026年7月 | |
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博多漫遊(粗日程)録 5月30日 福島から多博多へ 5月31日 赤坂から名護屋城へ 6月1日 福岡城・大濠公園〜能古島 ペイペイドーム 6月2日福岡城〜西公園〜港・食堂 6月3日板付遺跡 大宰府政庁 6月4日 博多から羽田空港 東京芸大 |
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6月2日 福岡城 西公園 港 福岡市博物館 岡田栄造先生に会う 福岡漫遊の旅の目的地の一つには、鴻臚館(こうろかん)と大宰府の位置と、それぞれの役割を実際に歩いて体感することだ。どうして迎賓館と政庁がこんなにも離れた場所に設けたのか?コスパタイパ重視の現代人なら、その点に疑問を持つはずだ。 鴻臚館は、日本外交の窓口施設として、飛鳥・奈良・平安時代にも外国使節団の接待や宿泊、外交、海外交易のために設けられた日本の外交施設(迎賓館)と語られている。その実態をこれまで体験したことがなかったので、今回の旅の目的とした。 地形と宮殿跡地に自分の足でたつことで、古代の人々が考えていた宮殿の役割や、なぜそこに建設した、その意味を想像してみようということでもある。 大阪湾にあった難波宮跡(なにわのみや)は上町台地(うえまち)の北突端、大阪城や大阪市歴史博物館の南側の高台に位置している。何度か訪ねたこともあり、古代の地図などを眺めると、広大な洲や湾に突き出した半島状の地形を選んで造営されたことが分かる。現在訪ねても、ここが大地の突端であることを確認することは容易だ。大阪城跡を登りして難波宮跡に足でたどることをお勧めする。 鴻臚館は黒田如水と長政親子によって築城された城域内に2028年3月完成をめざし工事用仮囲いが張り巡らされていた。そのためその地に立つことはできなかった。けれど、工事用の塀を半周することで、遺跡の規模や海抜・などを確認することはできた。 後日、、国土地理院の地図ツールを開き、鴻臚館と福岡城跡の高さを確認してみた。鴻臚館は海抜9m弱にある。福岡城の天守のあたりは23mと表示された。この辺りは大濠公園を一体とした浅瀬に囲まれた高台だったのだろう。鴻臚館は9m弱の高台に、博多城は博多湾に突き出た小高い山を削り、湾を埋め立てて防御用掘りを築き、23m程の高台に石垣や天守を築いたようだ。 現在の鴻臚館と城跡の間には、福岡城むかし探訪館がある。館内の大きなジオラマは簡潔で分かりやすく、そのほかにも福岡城の築城にまつわる貴重な資料も展示されている。城跡へ登る前に館内を一巡し、「なるほど」と確かめてから、天守跡を目指し登りはじめた。 ![]() 展示されている「福岡城」ジオラマ ファザコン、あるいは秀吉+如水の圧が強すぎるまま成長したのだろう、長政の容姿がことのほかmy長女にも受けた。戦国武将の辛さがにじみ出ている人相で、好感をもてる一品であった。 むかし探訪館をゆったり眺め、福岡城跡へ登った。途中で小雨が降りだしたことに加え、方々工事中によって柵がめぐらされていたため、天守跡内には立つことはできなかった。城内の石段やと工事用の階段も小雨で滑りやすくなっていた。それでも注意しながら段を降りたり、さらに登ったりしながら、約2時間ほど城内を彷徨い歩き、城跡の地形を経験した。 次に向かったのは福岡城の北西にある西公園山頂だ。福岡城跡からは徒歩で30分ほどで山頂に着いた。山頂には展望台の工事中で、なかなか入りにくかった。裏山を登り、工事中の足下まで寄って眺めまわしてみた。しかし木々が鬱蒼としていて、期待していた博多湾や先に登ってきた福岡城跡を眺めることは叶わなかった。 歩き疲れたので西公園の小高い山を下り、次に漁港内の 福岡中央卸売鮮魚市場長浜鮮魚市場にあるはずの海鮮丼を目指して、また歩いた。この数日間は毎日2万歩弱の歩行を続けているので、後期高齢者に近い俺の足はさすがに重くなってきた。追い打ちをかけるように、人工的に造られた岸壁や倉庫群などは、歩いていてもバックヤードの景観なのであまり楽しくはない。福岡市民の方も遊びにくるような場所でもなさそうで、お昼前の勤務時間中ということもあり、人の気配もほとんど感じない。時折、鴎が悠然と飛ぶ姿を一瞥し、「生きている」と実感している。そういいう旅の気分もあってよい。 目指していた市場の事務所ビルのような建物に入った。1階が食事処になっていて、店が何軒も並んでいたが、古いからなのか、商売熱心でないからなのかは分からないものの、雰囲気造りに趣向を凝らしておらず、なんとなく殺風景だ。それはここは市場に関する仕事をする場所であり、飲食店として商売をすることは、二の次に扱われているからだろう。 海鮮丼は大雑把な盛り付けであったけれど、美味かった。足を棒にして辿り着いても甲斐があり、悔いは残らなかった。海鮮丼で腹を満たした後は、ビルの展望台に上り、港を見下ろすことにした。その場所はビル内で働く女子事務員さんたちの弁当を食べる場所になっていた。そこへ分け入って窓際の椅子に座る気もならず、娘としばらく、空席が確保できるまで突っ立ってまった。 ![]() |
![]() 黒田長政(1568〜1623) ![]() |
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■福岡市博物館 魚市場で海鮮丼を食べ、展望台に上って港を遠望した。その後、市場傍のバス停からバスに乗車した。バス停で待ち時間が20分程あったので、市博物館に入館したのは1時間後の午後2時過ぎだった。 大きな博物館なのは、福島県民の人口とほぼ同じ170万を抱える福岡市だからではなく、それほどに歴史に関わる古くからの資料が保管・展示されているという証なのだろう。200円で入館できるのだが、11のコーナーに区分され、内容の濃い展示がつづいていた。詳細は省くとして見どころ満載なのでコーナー名だけでも列挙しておく。 1)金印の世界。入り口に展示してあり強い印象を与えていた。 2)福岡のあけぼの。旧石器縄文時代。ここで板付遺跡を知り体験した。 3)奴国(なのこく)時代、村落の始まりや奴国の成立について。 4)鴻臚館の時代。福岡の地が外交交易の窓口であったことを示している。 5)博多綱首の時代。大陸から新しい文化が流れ込んできた。 6)博多豪商の時代。世界と日本海を繋ぐ、蒙古襲来や戦乱期の登場。 7)福岡藩の時代。黒田長政による城下町建設と商業経済の発展、文化の舞台。 8)近代都市・福岡の時代。福岡はモダン都市に大変身。 9)現代の福岡。高度成長期を経た福岡市。 10)福博人生。この地で暮らしたていた人々について 11)山笠の世界。祭りの期間は2週間。心の宝「博多祇園山笠」。 この中で、強いてお気に入りを書くと、甕棺と遣唐使船だった。どちらも異界へ移動させてくれる装置だからだ。 |
![]() 1・10の遣唐使船模型。全長さ30m幅9m排水量300トン、乗り組み人数140人との表示あり。 |
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■岡田栄造先生 数年前に九州大学へ転任された岡田栄造先生には、京都にある自邸に泊めていただいたりなど、数々お世話人なっている、好ましい男性だ。事前に連絡し天神駅に集合。中州の屋台や「これぞ博多」というとここの肴を出す博多ならではの店に案内いただき、久しぶりに御酒を酌み交わす気になった。 話の中で「京都が一番いい町だ」、という発言が印象に残った。なぜなら岡田先生は鹿児島で生まれ、九州大学を卒業した人だからだ。九州地方に熱い愛着を持ち続けているとばかり思っていた。 京都は千年の都といわれるように、長年政治の中心地ではあったが、海にも面していない盆地特有の気候で、夏暑く冬寒い。そのうえインパウンド効果で観光客が押し寄せ、繁華街は満員電車なみの混雑になっているもの見てきた。 それでも、「京都が良い町だ」というのは、家族が暮らすご自邸があるからなのだろうか。今度再会する機会があれば、そのあたりを聞き取り、記録してみたい。 おりからの台風にも襲われず、風は強かったが美しい夕焼け空にも歓迎された。 ![]() 福岡市役所東の好い天神公園にて 那珂川を背に 板付遺跡 大宰府政庁につづく |
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