佐藤敏宏・博多漫遊 2026 (5月30〜6月4日) 作成:佐藤敏宏 
 福島から博多へ篇

■ はじめに

ドイツで働くmy長女が新型コロナ禍あけ帰国するたび、2023年から各地の民泊を借り、その宿を拠点に町や公園、美術館、文学館などを訪ね彷徨う、「まち歩き」し、漫遊記を作っている。まち歩きは地形を足で確認し、そこに暮らす人々の長い営みを体感する、鈍足な行為だと思う。地形や地勢から人を観るのは、建築設計を生業としてきたから自然に身に付いてしまったことで、自己流だ。

実行してみると、漫遊逍遥は坂を上り下りし1日に2万歩弱動き回るので、足が棒のようになることもある。後期高齢者間近の俺には効果のほどは検証できないけれど、体力と健康維持にもよい、と言い聞かせる民間個人信仰みたいな気軽な行為だ。

気軽に、見知らぬ街に入り昔の人々の町づくりへの思いを訪ね馳せると滅法面白い。足裏で感じる地形は書物に表現されづらい素の情報をさらけ出すし、古の人に成り替わったかのような気持ちにもなる。そのため、今後も年に一度は各地の町を漫遊し続け死んでいく予定で実践している。

今回の「博多漫遊」は、2026年5月30日から6月4日までで、福岡県福岡市の現在の町の基礎をなしている秀吉による町割り、通称博多を見ることと、黒田長政による福岡城跡や城下町を訪ねる、さらに佐賀県の秀吉が朝鮮半島と明国を手に入れるための基地として構築した名護屋城跡を、歩き回り体験することにした。

各地で印象に残ったことや気付きなどをこの漫遊記としてまとめweb公開し、老人が町をあるけば歴史が現れる、町歩きの面白さを記すことができれば嬉しい。

古来「国際都市」と言われる福岡の地は、日本に暮らしていた人々が諸外国に開いている玄関口の様をていし続けている。その地形は玄界灘に向かい「金鶏抱卵」型であり、能古島や志賀島、玄界島が荒波を防御するようにあり、吉祥の地形に見える。だが現在、福岡市は160万人を超える人々がこの地形に暮らし、観光客が押し寄せることで、上水が足らず海水の淡水化で補ってもいる(市HP)。人々の体内などを通ったそれらの上水は汚水となり処理され放流される。だから博多湾の水質は金鶏抱卵の地勢が災いし、汚濁し続けていることは明らかだ。博多出身の女性建築家に聞く機会があったが、彼女は「海水浴は海が美しい佐賀県まで行く」と語っている。

空に目を移すと、朝鮮動乱を契機となったのか?詳しく調査していないが、日本軍の板付飛行場は拡張整備され、稀にみる都心部に接近している便利な福岡空港となり、多くの外国人を招くための恰好な空の玄関口となっていた。

以下、日付順に漫遊記録をつくり右欄には日付順にリンクを張ることにした。


博多漫遊(粗日程)録

 5月30日 福島から多博多へ 
 5月31日 赤坂から名護屋城へ 
 6月1日 福岡城・大濠公園〜能古島 
       ペイペイドーム
 6月2日福岡城〜西公園〜港・食堂
       〜福岡市博物館
    (夜)岡田栄造先生と中州屋台へ 
 6月3日板付遺跡 大宰府政庁
 6月4日 博多から羽田空港 東京芸大






訪ねた町を赤文字で示した。

 5月30日 福島市の自宅から博多へ向かう

 ドイツで働いているmy長女は10日ほど前から帰国し、学会などでの講演や講義を済ませ、昨夜、my長男と共に来た。

この数年は過ごしやすいこの時期に帰国している。帰国のたびにサービス航空券を活かし、興味のある地域へ一気に飛び民泊を借り基地にする。台所付きの民泊を基地にして、街歩きをする。2024年は長崎市を(記録)訪ねた。2025年は都内と三重県大室美術館を(記録)体験した。2026年は福岡市の民泊をベースに名護屋城などにも足を伸ばす計画だ。

30日AM8時すぎ家の庭で集合写真を撮り、my次男の車で福島駅まで送ってもらい仙台空港を目指した。 (右欄 記念集合写真)

1年ぶり、家族集合写真を撮る

仙台空港には10時ごろ着き手続きを済ませた。11時15分発、FDA・福岡行き、翼の上の窓側席に着座した。仙台空港から福岡行きの飛行機に乗るのは初めてだったので、日本列島をどのように南下するのか興味が湧いた。時々左側の窓から見下ろし経路を確認するのも楽しかった。 

仙台空港から福岡空港を直線で結ぶライン上を、南西に飛び続けた。離陸すると直ぐ白石から福島市上空を通過したと分かった。その後はほぼ一直線に飛んだ。能登半島を横断し島根県そして山口県上空を突き抜け、玄界灘に出ると大きく左旋回した。90度ほど旋回し、機体は左に傾き続ける。すると博多湾と町がジオラマのように美しく見えてくる。

低空飛行となり、着陸姿勢を整え、博多湾を抜け博多市内上空に入る。埋め立てによって造られた湾岸には、整然と区画された兵站基地─港・エネルギー各種・食料倉庫などだろう─が広がっている。それを左に見ながら、建物で埋め尽くされた博多の上空を南へと飛び進む。

福岡空港の滑走路を左手に見下ろしながら通過すると、大きく180度、U字ターンした。北北西に向きをかえたようだ。何度も旋回したような気分になり落ち着かない。

それは、窓からに見える左翼が、町の建築物に引っかかるかのではないか?そう思うほど、飛行機は斜め45度ぐらいに傾き続けている。日常では体験できない怪しい角度で進むからだ。

そう思えるほど傾いたままターンする。少し怖い。翼がしなり、揺れるのも見えるから、なおさら落ち着かない。飛行機に乗り慣れていないからだ。機体の方向をかえるその都度、気分はよくなかった。俺は鳥人間の末裔でないことを確認できた。

飛行機の窓から福岡航空の滑走路が消え、町並みで窓は埋め尽くされる。博多城や大濠公園は見えるはずなのに、見まわす余裕がなかった。

不慣れな緊張の数分後、滑走路に無事着陸。飛行機だと早いですね。所要時間2時間ちょいで、福岡市の町中を遠くに見つつ、飛行機は滑走路を北にトロトロと進んだ。しばらく進むと右旋回し、国内線ターミナルビルに接続した。



はるばる来たぜ博多!


繰り返すが、機内から遠くに富士山見えるだろう・・・と想像し着座したのだが、福島県をへて新潟県を越え、西に突き抜けて日本海沿岸を南下しはじめた。遠くに太平洋も見えず山並みが空と一体になる空模様で、地形の中に富士山の頂を見つけることもできなかった。

その代わり進行左下には富山県内の白馬岳や立山の残雪がシダの葉のように見えた。それらは生き物の体内を飛んでいるような幻想を誘う。だから盛んにきょろきょろしてしまった。首が痛くなるほど眺め続けていた。

2時間にわたる「日本列島体内風景」をテーマにした映画を鑑賞している気分を楽しみながら、さほどの揺れもなく順調に飛び続け、福岡空港に着いた。予定通り13時20分福岡着。

web地図上で仙台空港と福岡空港を結んでみると、今日の飛び方は最短に近いルートを飛行していたのだと分かる。

福島からだと、羽田に出て、そこから福岡へ飛ぶ・・・・そんなふうに東京中心の脳になっている自分が悲しい。

仙台から南下し、太平洋上を飛び福岡に着くのだと思い込んでいたからだね。地図の上で仙台と博多を結んだこともない福島市に暮らす者にとって、博多は遠い遠い町なのだ。富士山を眺められず残念ではあるが、それは帰路の楽しみとした。


仙台空港から福岡空港へ空路予想ラインを描く。



 
福岡空港は南から滑走路に入るようだ。



東京から福岡間の着陸が多いのが分かる
図は福岡進入管制区内の航空交通流解析 九州大学東野伸一郎PDFより


お世話になったFDAの飛行機と2ショット。

左絵:遠くに博多湾

■博多駅へ

地下鉄の福岡空港駅から乗り、2駅目が博多駅。博多と福岡の地名は全国に知られているが、駅名だけが「博多」であり、福岡市全体を「博多市」とは呼ばない。秀吉の町割りによって固まった地名なのかもしれない。その点は、今後調べる必要があるだろう。

博多駅は、南から北へ流れ下る二本の河川、御笠川と那珂川に挟まれた、南北に細長い大地の上にある。北部が先に開拓され、秀吉によって町割りが行われ、中世の町として整えられたという。博多人を自負する人々が暮らす商人町であったようだ。

現在、駅名以外で「博多」を刻印してないのは寂しい。古来、博多は東アジアとの交流拠点であり、外国との交易で富みを蓄え、教養にも励んだ商人たちが築き上げた町だからだ。

商人たちも仏教を受け入れ、書や絵画、陶器、中国の銭などを多く陸揚げした。商人たちは経典などを学び、茶道の湯をたのしみ、互いの情報を交換する場ともした。博多には教養豊かな人々あり、たくましく、教養も豊かな人々が集まり、富と名声も築き上げることができたという。商人でもあり、茶人でもあり博多の町を豊かにした戦略家たちは、その頂点にあったのは堺の千利休との情報交換を怠らなかった、と語られている。

「福岡」という名は黒田官兵衛(如水)と息子である黒田長政が、秀吉の命によって、現・姫路市周辺から国替えとなり、この地に移り住んだことに始まる。家臣団や町人などを引きつれ移り住んだのだから、古来の博多人たちとは容易に馴染まなかったことも想像できる。

黒田親子は山を削りその土で博多湾の一部を埋めたて福岡城下町を築いた。下図のような古図がある。那珂川をはさみ東が博多、西が福岡という位置関係だ。

2026年現在、博多湾では埋め立てが進み、福岡市の生活に必要な物資やエネルギー基地、そして屎尿処理場などが湾を囲むように配置されていようだ。

都市には大量な上水が必要だが、背景の山が浅い福岡市では上水は足りないようで、一部海水を淡水化し利用している、と福岡市のHPにはある。

170万人が暮らし、国内外から観光客が訪れる福岡市は、これからも上水確保に苦労し、知恵を絞らなければ都市経営が成り立たなくなるだろう。


      古図に地名を入れてみた。

博多市周囲の地形図 博多には大きな川が流れていない、周囲の山も浅いので水には苦労しそうな地形であることが分かる。筑後川は久留米から柳川そして有明に注ぐ。柳川は洲で浅瀬が広がることで、吉野ヶ里遺跡などが位置するのも納得がいく。豊かな漁場を持ち少し高台に水田は造りやすかっただろう。

次回福岡を訪ねたおり、それらを確認したい。

■博多駅前広場に立つ

東京駅に降り立つと分かるのは、辰野金吾設計による丸の内駅舎が、皇居に向い屏風のように建っていることだ。

丸の内と八重洲を結ぶ1階の自由通路は北側にあるが、見つけにくいうえ、何度も曲がるので、通る気にならない。だから、存在を知らない人も多いだろう。仕方なく入場券を手に入れ、駅舎構内に入り通り抜けることになる。無料で通ろうとすれば、北側の道路、南側なら有楽町駅北まで徒歩で迂回するしかないのだ。

博多駅1階にある自由通路は快適で明解だ。博多口と筑紫口の機能分担と整備が行われていて迷うことないし、行き来も快適だ。

ただし、筑紫口のバスプールは狭い。バスの出入りも多いから、窮屈な感じはいなめなかった。しわ寄せがここに出ている。将来、改善可能なので期待しよう。

1階に快適な自由通路を作ることは、日本の鉄道史に目をやるまでもなく「こりゃ大変な難改修工事だったろう・・」と誰にでも想像できる。

博多口広場は「憩い、賑わい空間」と名づけられ、観光客に木影を与え、振り返れば博多の街並みを一目で把握できるように構成されていた。呑み介たちには1階奥に飲み屋街も設えてある。

この日は赤シャツ軍団が、ぐびぐび、ワイワイと呑んでいて賑やかだった。広島カープと福岡ソフトバンクホークスのセパ交流戦があったようだ。

博多口広場に出ると、背の高い樹木も植えてるから、木陰も快適に設えてある。だから駅広場を逍遥するのも楽しい。

外人観光客も木陰でお茶を呑んだりしていて、見るからに気持ちよさそうに、あちこちのベンチに腰掛けて語り合っていた。

日本列島の大多数の駅舎が博多駅1階のように更新されたなら、老人にも観光客にも快適な駅舎となるだろう。名古屋駅の1階自由通路も快適だったと記憶している。

東京駅はまだまだ、1階通路は快適にならないだろう。辰野金吾設計駅舎を耐震改修し保存継承しているので、これからも快適な1階通路の改善は期待できそうもない。

駅構内を行き交う人の数が違うこともあるけれど、博多駅の1階自由通路は東京駅にくらべて使いやすい。

自由通路を彷徨い駅の観光案内所で無料の観光地図を片っ端から手に入れる。地域の観光案内図は俺のような初めてこの地に立った者には大変ありがたい。

押し付け気味の情報なのだけれど、この地を簡潔に、しかも無償で町ネタを与えてくれる。お上りさんを決め込むなら、無料の観光案内図を片手に持ち、お勧めの経路をなぞり歩くのも博多を知るには簡便でいいかもしれない。

貧乏な俺・飯炊き爺さんは、観光地図に掲載されている品物や名店情報を欲しない。街区や街路、そして河川の位置情報が欲しいのだ。

店は歩いて、店の面構えを見て、山勘を働かせ入店
することにしている。動物的な勘を働かせ、外れることもあれば当たることもある。そのどちらも楽しむ。それが初めて訪れた土地に対する好ましい振舞い方だと思って久しい。

観光案内図に紹介されている品々は観光客相手の商売情報なので、俺には首をかしげる値段と品々が多いように感じる。

初めて訪ねた町でも、美味・いまずいにかかわらず、地元の人が日常食べ、呑んでいる店に行きたい、そう思い込んでいる。


 博多口の広場 お昼すぎの様子 170万人の暮らす玄関口は緑豊かでのどかだ

 青のライン東京駅1階自由通路





博多駅舎について整備資料 国交省PDF

■豚骨ラーメン店を探しながら博多歩き

各地で町の大きさを知るため、観光地図を片手に歩き、その町のオモシロさを味わうと病みつきになる。福岡市のメインの大通りは歩道も広い。車道との間に高木が等間隔に植栽され、仕切りを付てあるがベンチも設えあった。だから体力が乏しい者や町に不慣れな旅人には親切な町だと思った。

博多からの町・初体験は、整えられた大通りを中州まで歩くことだった。足もとの地下中には地下鉄七隈線が走っているが、乗らずに歩く。博多駅前2丁目、博多区役所南口、櫛田神社前と続く地下鉄駅の各駅を通過し、博多川を渡り北上する。右折し150mほど歩いた所にある博多橋のたもとに「元祖ラーメン長浜屋」の看板を見つけた。

面構えもいいね!

博多川を再び渡る。どこにでもある、うまいラーメン屋さんの店構えで飾り気なし!それが好ましい。

昼はとうに過ぎているのに客の行列はある。空腹なんだけど、並んで待つ。やはり地域の味を初体験するには昔ながらのお店に入るに限る、そう決め込んでいる。

ラーメン屋の店内に入ると、30席ほどだろうか、カウンター席がL字型に並んでいた。その内側は厨房機器が並んでいて、調理人は外国人2人と日本人は1人。一杯700円と手頃の値段だ。

行列が出来るラーメン屋さんなので、厨房内からは次から次と豚骨ラーメン配られる。て見ていても気分がいい回転速度だ。

素朴な店づくりなので、客の出入りも、仕入れや下働きの店のラーメン職人の動きも、手に取るように見えちゃう。内部もフル・オープンで飾り気なしのラーメン屋さん。

豚骨ラーメンというと、気合の入り過ぎた白濁した濃厚なスープだと思うだろう。味はこってりギラギラを想うものだが、博多の長浜屋はすっきりしたスープ。だから体にも負荷が掛からないような気がし、ラーメン食うことを控えている俺にも大変好ましいスープ味だった。

山勘で探したラーメン屋さん、その味はよかった。この味は博多漫遊のスタートを飾る、大当たりのラーメンだった。

のちに東京九段下に暮らす博多出身の28才の女性建築家に聞いたけど「博多豚骨はすっきり爽やかな味なんですよ。」だった。

■民泊の宿へ向かう。

豚骨ラーメンをいただき、店をでる。予約の民泊は午後3時からチェックイン可能なので、少し間があった。アーケード付きの川端通り商店街を少し歩く。

途中、博多祇園山笠の山車のようなものがあったので写真を撮る。また歩く。喫茶室にはいりしばらく涼む。my長女と駄弁る。

30分ほど涼んで後、店のそばにある中州川端駅から赤坂駅まで地下鉄空港線に乗る。2駅なので徒歩で赤坂駅までいくことも出来るが、お上りさんなので地下鉄にも乗ってみた。

博多漫遊の旅の基地は民泊だ。場所は大濠公園と、福岡城、鴻臚館の東南東にあった。割れ残りもあるとされる警固断層沿いにも位置する場所だ。

赤坂駅
を降りて地上に出ると、福岡城の広いお堀が目に入る。先に貼り付けた古図を見ると築城時には那珂川から水運で東西に物を運搬したようで、広い運河が描いてある。

現在は見当たらないから埋め立てて、ビルやマンションが並び建ち、目を凝らして歩いたが、痕跡は見つけられなかった。赤坂駅から数分で民泊に着いた。

■ 民泊

博多漫遊の宿は、民泊の1DLKのような間取りで、天井が高い造りだった。セミダブルベットが2台とロフトには1台。居間にはソファーベットもあり、詰め込めば家族旅行なら5人ぐらいは宿泊できそうだ。

便所・洗面がセットで、そこに風呂場が接続していた。この配置では大ぜいだと朝は使いにくいはずだ。子供一人と夫婦ぐらいが最適だと思った。

食堂には丸いテーブルと椅子3脚。洗濯パンもあったが、洗濯機は故障のためか、無かった。台所は流しと電磁調理器2口、それに冷蔵庫と簡便な鍋やナイフ、ホーク、包丁などが備えあった。

民泊は夕食と朝飯は自分に合った時間に作り食べることができるので、食い物でのストレスはない。食い物屋を探したりするのが面倒で、探すにも時間も要る。自前飯に慣れてしまうと、旅先でも外食する気にはなれない。

年老いたから外食の味が濃すぎて美味そうに思えないことも自前飯を作りつづける要因だろう。

だから旅にでる前に、民泊そばにスーパーマーケットが存在するのかは必ず確認する。都会のスーパーの営業は24時間・年中無休が増えている。会計は電子化されて現金は要らない。その点は老人には扱いにくいけれど、いつでも買える店が民泊そばにあると、これほど快適な漫遊の旅を約束してくれる施設はない。

俺は団体で行動する観光客
になったことは無い。だからそう思うのだろう。






民泊に着き少し休憩しながら身体を町に慣らす。その後、近所の街を歩き目星をつけていたスーパーや店に入ってみる。

赤坂の民泊にはすぐ傍に好さげなスーパーがあった。その店も24時間営業だ。福岡の中心街は眠らないインフラに支えられていた。

夜と明日の朝食用食材を手に入れる。一旦民泊に戻り飯を炊いて食べて、ゴロゴロして寝た。今日は移動日で博多の街に心身を慣らす日だ。

食材、九州産あまくち味噌は福島や仙台の味噌と違い俺好みで嬉しかった。すぐ使い切った。米は福島産の方が美味い。うどんは讃岐産の方が美味い。

明日は早朝から名護屋城に向かうので、初日から無駄に疲れをためないのが良いから早寝した。老人は旅先で疲れをためない工夫は怠れない。疲れていては好奇心の湧き上がりが少なくなるからだ。

福岡城と大濠公園に接続しているような民泊。外壁工事を始めたので1万円値引きされた、とmy長女は微笑んでいたが、唐津街道とお城の堀をはさみ、すこし遠くに位置しているからだろうが、夜は静かだ。

民泊は旅先の基地だ。その目的は飯をつくり、洗濯をすること。あとは寝るためだけの基地。日中は漫遊するので塗装工事の音は気になることはなかった。

ただ、台風が接近し、福岡市を直撃通過する予報も出ていた。だが博多は直撃せず、東へ大きくそれ進んだ。

だから時々大風吹くと足場と防護ネットが揺れ少し、ばたばた喧しかったけれど旅の疲れで気にならず寝入った。


 名護屋城漫遊へつづく

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