| 花田達朗 | ||
2026年7月12日 あれから4か月が経って ユルゲン・ハーバーマスが亡くなってからもう4か月が過ぎた。世間のほとぼりも冷め、おそらくもう人々の意識では処理済みのこととして整理されて、記憶の向こうに忘れられそうな時期になってきたであろうから、そのニュースに接した翌日に書いた私的な文章を取り出して、ソロリと公開することにしようかと思う。別に公開しなくてもいいのだが、この時代を生きている痕跡を残す意味であえてそうしようと思う。 ただ、これは追悼文でも、Nachrufでもない。追悼文と言えば、故人の人柄を偲び業績を讃えるのが通例のことであるが、その点からすればこの文章は追悼文とは言えないし、そういう内容にはなっていない。しかし、数年前から心の準備はしてきたとは言え、実際に地球の裏側から伝えられたその訃報に接すると、私は彼の他界をズシンと重い響きと共に受け止め、その翌日に直ぐに何か文章を書かざるを得なくなったのである。18歳年上の同時代人を想い、心からの友情をもって私はこれを書いた。 |
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「ハーバーマスの訃報に接して考えたこと」 2026年3月15日 いつかこの日が来ると思っていた。ユルゲン・ハーバーマスが96歳でシュタルンベルクで亡くなった。2026年3月14日20時のARD Tagesschauをネットで観ていた時、不意にその報道に接した。そのようにして私は彼の死を知った。人間には寿命があるということはわかっている。それは人間にとって究極の平等だ。誰でも例外なく必ず死を迎えるという点で差異はない。彼は高齢に属していたからやがていつかは来ると思っていたが、いざそれをテレビニュースという形で知ると、ずっしりと重いものを感じる。もう彼はこの世にいない。この世から去って行ったのだ。もう会うことも、握手することも、会話することもできない。湖畔のシュタルンベルク駅まで彼の運転する車で迎えに来てもらうことも、高台の白壁の自宅から坂を下って駅まで送ってもらうことももうない。 人の死の平等性。私も遅かれ早かれいずれ死ぬ。まだ少し時間はあるかも知れないし、もう時間はないかも知れない。ハーバーマスの他界は私にそういうことを考えさせたと同時に、これからの生をどう生きるかということも考えさせた。それは「残された人生」なのではなく、これから先にある人生である。 彼の死に立ち戻れば、彼の死は私にはいろいろな意味で痛ましいものに見える。彼は生涯の最後の最後まで本を書き、自分の省察や思考の結果を公表し続け、政治的にも欧州に関わる時事的問題についてメディアで発信し続けた。彼は彼の観察対象だった欧州危機の高まりの真只中で亡くなった。ドイツをはじめとする欧州各国に広がる極右勢力の抬頭と政治的制度機構の中への浸透、欧州と新大陸米国の間の亀裂の決定的拡大、戦前ホロコーストを経験した後にユダヤ人が建国したイスラエルによるガザのパレスチナ人に対するジェノサイド、そのネタニヤフのイスラエルとトランプの米国によるイスラムのイラン攻撃、こうした矛盾した同時代状況の真只中で彼はこの世を後にした。彼はそうした同時代の危機に対して一貫してVernunft(理性)の立場からさまざまに発言し、論陣を張ってきた。そうした発言、そして彼の著作物はこの深刻な同時代の危機に対して有効だったろうか。いや、有効性の問題ではないだろう。有効であろうがあるまいが、その時言わなければならないことは言わなければならないのだ。そして、その時書くべきことは書かなければならないのだ。彼はそれをやった。その意味で、つまりジャーナリズムの精神的価値を理解し実践する人間という意味で、彼はジャーナリストでもあった。 しかし、私にはそのような外部的な時代状況の危機とは別の危機が観察対象となってきた。外部的な時代状況の危機を捉える観察の仕方そのものが危機を抱えているのではないか? その危機が前景化していたのだ。つまり一つの言い方としては、Wissenschaft(学問、学術、科学などと和訳されるが、カバーしきれない)の危機である。エドムンド・フッサールが1936年、ヒットラーが政権を獲得したその年に発表したDie Krisis der europaeischen Wissenschaften und die tarnszendentale Phaenomenologie: Eine Einleitung in die phaenomenologische Einleitung (ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学ー現象学的哲学への手引き)が想起される。欧州の知性が直面している知性の方法論の危機のことである。その知性とは欧州を越えて世界を支配してきた知性の型である。その知的枠組みや観察方法がもはや時代の状況や構造を捉える力を持っていないという深刻な事態を迎えているのだ。近代という時代区分を創出し、そこでは人間の「理性」が働くという構想(ビジョン)を発明し、各国言語への翻訳事業によってその理念を世界化させてきたのは欧州の知性であった。「理性」という構想の、現代における代表選手がハーバーマスであった。その象徴的な言葉は「未完の近代」であろう。理性の発展をビジョンとする「近代」は未だ形成プロセスの中にある、つまりそのプロセスはまだ完了しておらず、その完成に向かってプロジェクトは進んでいる、進めなければならないという見方だった。理性の完成が近代のミッションということになる。 こうした構想には欧州内部の知性からも、それは「欧州中心主義」ではないかという反省や批判や抵抗が起こっていた。それは言説カウンターであったけれども、欧州中心主義の現実と実態を変え、克服することには至らなかったと言ってよい。実態は思わぬ方向へと進んできた。実態をヒタヒタと変えてきたのはイスラムの移民とその定着であり、それによって欧州は内部から変化し始め、その変化への反作用として「欧州アイデンティティ」を強調する排外的な極右勢力が抬頭してきた。そういう現実の展開に先立って、むしろ「欧州中心主義から脱却」とは淡い希望的表現というか願望でしかなく、実際にはそこから脱却するための方法論と実践が欠如していたとも言える。確かにそのような克服のアプローチはあったけれども、現実の中ではいわば空転してしまって、事態を動かすまでの力はなかったと言える。そして疲弊してしまったようである。 ハーバーマスは21世紀のEU危機の中で常に欧州統合の政治思想的な支柱として機能してきた。危機が再燃するたびに彼は公の発言を躊躇しなかったし、そうやってEUのテコ入れをしてきた。断固として欧州統合を支持してきた。2012年夏に彼を訪問した時も、私を駅まで送る車を運転しながら、「明日はブリュッセルに飛ぶんだ」と話していた。すごい精力だなと感心しながら、私は黙って頷いた。その時のEU危機が何だったか、私は思い出せない。1990年代にその展望が論じられた欧州公共圏は形を取るよりも前に後景へと退いてしまった。今や欧州とは何なのか? 何を指すのか? その統合とは何を意味するのか? そして何のために? そう問わざるを得ないのが外的な状況だ。以前とは違って、今や全てが形骸化して、カラカラに乾燥しているのだ。それに目を瞑るわけにはいかない。 ハーバーマスとの会話を思い出せば、それほど楽しいものではなかった。私はいつも質問を考えて用意していった。当たり障りのない四方山話をしても仕方ない。絞った質問から会話を始め、話を繋いでいった。しかし、彼の意見や感覚とのズレを感じ、失望した印象の方が強く残っている。夫人が用意してくださったケーキと紅茶は美味しかった。シュタルンベルグ駅まで車で送ってもらって握手をして別れ、線路の下の短いトンネルを通って湖畔に出る。ベンチに座って湖面と空と雲を眺める。来し方行く末が頭に浮かんでくる。来し方では対岸の小村ベルグに下宿していた頃のことが蘇ってくる。目の前の桟橋とベルクの桟橋との間を往復する小型船に乗って湖を渡っていた頃のこと。運賃は何マルクだったろうか? 行く末では先ほどの会話を反芻しながらズレと落胆が蘇り、そして自分の今後の舵取りをどのようにするか、そのイメージを追いかけていく。鋭いカモメの鳴き声でベンチから立ち上がり、歩き始めた。その意味でなら、感じた意見や感覚のズレは良い刺激であり、むしろ楽しめることだった。 今、欧州から生まれ、そして欧州から自らを分離し独立した米国に生まれた鬼っ子が、これまでの真摯で、しかし欺瞞的な努力とその蓄積を無視して他の民族を、他の文明を野蛮に攻撃し破壊している。欧州や米国の内部の知性にそれを止める力はない。ブレーキの外れた車の暴走をただ許している。そして、欧州や米国の外側で、その鬼っ子の行動を模倣する者たちを生んでいる。あれが許されるのなら自分も、という具合である。グローバルな傲慢の連鎖が始まっている。 近代の知性を生み出した欧州は、今日このように内部からの変質と分裂に晒され、かつての内部から一方的に絶縁して外部となったものから攻撃と蔑みを受けている。そういう欧州の実態の中で欧州の知性は自信喪失状態に陥っているように見える。ハーバーマスはそのような外部状況の中で他界したのである。外部状況としても内部状況としても「未完の近代」の継続はもはやあり得ないだろう。もう後戻りはできないところにまで来た。次の歴史の段階がすでに確実に始まっている。それは少なくとも「理性」の時代ではないし、その居場所にはならない。 フッサールが「ヨーロッパ諸学の危機」を認識し、「危機」として公表してからすでに90年が経つ。その間ハーバーマスはこの「ヨーロッパ諸学の危機」に答えることはできただろうか? 彼の70歳の誕生日を祝って1999年にフランクフルト大学で開催されたシンポジウムから生まれた本が2001年にSuhrkamp社から出版された。その書名はDie Oeffentlichikeit der Vernunft und die Vernunft der Oeffentlichikeit(理性の公共圏と公共圏の理性)だった。この理性と公共圏の概念はヨーロッパ諸学の危機に答えることはできただろうか? 深まる矛盾と不幸と不正義に満ちた、今日の悲しい現実を目の前にした時、答えは否とせざるを得ないだろう。成功しなかったのである。それに「今までのところは」という留保を付けるのは妥当だろうか? しかし、問題は極東に住むわれわれの知性だ。われわれとひとまとめにすることには躊躇するところがあるが、「われわれ」はグローバルな諸学の危機に応える答えを用意しているか、持っているか、用意できるか? Wissenschaftenの危機に対峙する意志と感性があるか? フッサールにとって「ヨーロッパ諸学の危機」とは間違いなくヨーロッパを居場所とする自分たちの問題であり、自分にとっての危機だった。アジア諸学の危機でもなければ、日本諸学の危機でもなかった。その危機感は自らの知的伝統と現在に対する危機感に他ならない。それはわれわれにとっても危機であるのか? ヨーロッパ諸学を受容し、それと同化しているのであれば、そうなるかもしれない。しかし、おそらく共通の危機もあれば、われわれ自身の危機もあるということに違いない。 むしろその前に、われわれは日本の諸学の危機を対象化して観察しているだろうか? 中国や欧米など外部からの影響に晒され、それを取り込んできた日本の諸学は自己観察の軸が複雑であることは間違いない。しかしその複雑さに身を任せて、鋭利な焦点化を回避してこなかっただろうか? 私自身は遅ればせながらやっと最近になってそのことに意識が向くようになった。実に遅いと言われれば、確かに遅い。どうして今頃になってなのかと呆れられても仕方があるまい。しかし見方を変えれば、私としては死ぬ前に気が付いただけでも良かった。これから先の人生の展望がひらける気持ちがする。 その対象化の先遣隊として書いたのが、2024年の総合雑誌『地平』の創刊に合わせて書いた短期連載「第三のジャーナリズム」(7月号から9月号)だった。とりわけその第3回目の「身体に発するコトバ」だった。そこで私は公共圏概念が破産した状況を確認し、新たに身体圏概念の定立を打ち出した。身体性に依拠した反撃の構想を描いたのである。それから2年が経った。今、何をしているか? 私の身体はその構想の現実化のための準備をし、やがてモノにしようと企んでいる。 (ホームへ戻る) |
シュタルンベルグ湖畔の自宅の庭で1981年夏に撮影されたユルゲン・ハーバーマス 撮影: Roland Witschel/picture alliance |
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