大室佑介 入門      2023・10・3の記録 

作成:佐藤敏宏
2023・10・2夜

我が家で福島の地酒と三重の地酒の呑み比べをしている。

福島の 寿 あぶくま
三重の 作

■ 朝飯食って車で千万家へ移動中

大室:今、出勤時間ですね。
佐藤:かさなっちゃったね!あれが吾妻小富士です。白いところは草木が生えてない、左の北側から噴煙が上がってます。
大室:うんうん、左の窪みのあるところは火口の跡です。
佐藤:小型の富士山だ。山岳修験道者が駆け巡った山々だから、一切経とか、仏教にならった名がついているんだよね。一切経は標高2000m弱だから、10月でも簡単には登れない、気軽に登山するひと増えたけど、死亡事故が起きているからね。
大室:登れるんですか。
佐藤:硫化水素たくさん噴出するときは登山禁止だけど、それ以外は登っているね。右に目を移すと、南だけど安達太良で通称乳首山がある、その一帯が修験道者が駆け巡って修行した場所です。硫化水素がおおく温泉場はたくさんあって強酸性が多い。湯治場だったり周囲には温泉だらけです。湯治場もある。


大室:病院は10時?(佐藤は前立腺癌の放射線治療をうけている)
佐藤:10時40分で放射線受付。20〜30分前から着替えて待つんです。医大には10時過ぎに着けばいいです。我が家の奥さんは変な建築つくっているから、精神が不安になって被害妄想になっちゃってね、俺のせいで統合失調症を誘発したかもしれない。

大室:行為としてはガムテープで貼る?

佐藤ガムテープベタ張りは放射能沈着してのちに激しくなって、そうしてさらに引き籠って2〜3年部屋六面をガムテープ貼り続けてて、手に負えなくなっちゃって、手足縛って2014年になって病院に強制入院させた。病院に連れて行ったとたんに普通の感情に戻るから不思議です。本人も暴走してしまって、とめるのどうしたらいいのか分からないぐらい集中しちゃうんだよね。同じこと繰り返して来る日も来る日も同じガムテープ貼る。全部、放射能の害だと思う妄想に憑りつかれてしまっているから、抜けられなくなる。二人だけで暮らしているので、夫が諸悪の根源で、誰かに指図しされて放射能まき散らしを指示している・・・と解釈しているから、俺の言うことを受け入れないので本当に困ったよ。

大室:ガムテープに関しては放射能の関係ですか。
佐藤:時々に応じていろんな反応する。ガムテープは放射能沈着してから2年目ぐらいから激しい症状でて、ガムテープを貼りだした。近所の量販店に毎日出かけて1万円分ほど仕入れてきて、毎日貼り続けてた。それを繰り返して指から血流しているほど続けてた。また自分で着る物は赤や黄色や白の荷造り紐を編んでデザインして、着てた。荷造り紐ファッションです、上着も全て編んで身に付けて買い物へでかけていたので、奇妙に思われてたけど、そのうちやめるだろうと思い好きさせてた。

2014年3月ごろ 十字型の墓標形など床・壁・天井などを覆う ガムテープアート
流しもガムテープ

この山が信夫山と言って、盆地の中にぽつんとある岩山です。出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の写しいになっていて、ふもとには修験者の町があったそうです。手前が祓川と言って清めてから登ったみたいです。
今、線路を渡るのが飯坂線といって、福島駅から飯坂温泉まで往復してます。明治には盆地の東側の掛田という町まで続いていて、川俣町から質のいい生糸を運んで横浜から米国に輸出してたそうです。福島市がもっとも繁盛してた時期ですね。

ここが県立美術館。家から歩いて10分ぐらいです。

大室:だれでしたっけ?
佐藤:目玉はべんしゃーんのラッキードラゴンです。設計は大高正人です。ヘタクソ建築ですよ、使いにくいよ内部は、誰も言わないけどね。
大室美術館どこもそうですね。古いので使いにくいですね
佐藤:そうですか、ここは最初から使いにくいんだよ、ホールと展示室に階段があって1.5mちょい下がってるから美術品の出し入れが大変ですよ。来館者もスロープあるけど使っている人みたことない。で階段を下る。なんであんな設計したんだろう。盛り土してそれで階段で下げているんだよ、変な設計ですよ。ある時集会があって、学芸員の人が問題点を語り始めたら、土木部建築課の職員が駆け寄って取り囲んで語らせない、という珍事を俺は観てた。使いにくい、って壇上で言うから慌てたんだね、建築課の職員はね。なりふり構わず囲んだね。

大室:美術館ってみなさん経験ないですからね。やっと最近みなさんが分かって来て、悪い例が一杯出揃った気がします。

佐藤:そうなの、ありがたい物を拝観しにいくという精神が溢れているからね。森さんが設計した八戸市美術館のジャイアントルームはなかなか好いです、公共圏ふう構えしてて地域の爺さんばあさんも、若者もよってきて、カラオケもやったという。聞き取りして記録作りました。今日は通勤時間帯だから混んでるね。設計者の一人の森純平さんは若いんだよ。
大室:僕より下ですよ。芸大でしたっけ。

佐藤:そう。ほぼ同世代じゃないかな、東京芸大卒。

大室:佐藤さんは福島市内に何個ぐらい造りましたか。
佐藤:14軒かな、一戸だけ千葉県で 須賀川に2軒で他は市内です。すぐそこにも建ってます。すぐそこにあるから右に曲がって見て行こう。
大室:行ってみましょうか。きてますね(笑)
佐藤:これは会計事務所。(建築雑誌の情報へ


大室:凄い。凄い。
佐藤:これも狭い敷地で全面道路4m無いので水路だから道路に1.8ぐらいとられたかな。車3台停めることが唯一の条件だった。余った土地の形に合わせただけ。会計事務所だから平面は貝殻の形にした。駐車場のうえの桟は大きな熊手ですと言って、金をかき集めますと、奥さん大喜びしてた。この建築を見て息子が後を継ぐ言い出して継いだ。建築効果大です。

確認申請だしたとき、あとで屋根葺くだろう、といわれて、そんなことしないです、根性悪いんだよね、20年以上経ったけどままです。

内部

大室:たしかに屋根掛けれそうですよね。熊手だったら掛けてはいけませんね。
佐藤:西日が沈むときに金色に光ることがあった、今は古くなったから光らない。そら金色熊手ですよと言って喜ばせてた。時間がたって汚くなってきちゃった。
新幹線や東北本線が交差しててダーティーな場所、掃きダメみたいな場所だったんです。隣近所も建ってたんだけど、俺が作るとなぜか廻りの解体すすみ、丸見えになってしまう。
大室呪いがあるんですね。(笑)他を蹴散らして公共圏つくってるんですね。

佐藤
:それならすごいパわーだね。あれも植田さんに褒められたんだよ。凄いねあんたはと、なんでですか?と聞いたら扉が便所以外は無い、でも部屋が独立して小さいんだけど見えないのでプライバシーも丸い部屋とかうねった壁とかあり、音も抜けないようになっている。

大室:自宅兼ではなくって事務所だけですか。
佐藤:自宅も増築できるようにもなってて、2階の一部は昼寝できるタタミ3帖の部屋がある。奥さん亡くなってしまった。奥さんたちは「建築あそび」すると夫婦で手伝いに来てもらっていました。会計事務所だからお金あるから、いろいろ買って持ってくる。大助かりのサポーターとして完璧の夫妻だったね。

大室:貴重なパトロンですね。
佐藤:そういう人が居ないと「建築あそび」、開催するには妻一人では準備できない。4人ぐらい支援してくれる人がいないと飯の準備ができないからね、大助かりでした。20人ぐらい来て講義のあとは酒盛りしてたから。人で要るんですよ。お祭りと一緒で脇役とサポーターが沢山いないと、コンスタントな祭りの運営は難しいんだよね。
今回みたいに大室さん一人で来るのは俺が作ればいいから、妻は朝飯でも対応できる。だから二人で夜通し語り合うのもいい。俺のベットを貸すのは山崎泰寛さんと辻さんの3人目です。

大室:意外に寝れましたね。
佐藤:下で寝てもいいんだけどmy奥さん4時から起きて活動するから五月蠅いんだよ。
大室:あそこはもともと寝床にしてたんですか。
佐藤:2階は3人の子供部屋だった。今は本を置いてる所には炬燵とかおもちゃとかおいて子供の遊び場で、二階から大人の建築あそびや業者が来てワイワイしてるのを見下ろしていた。

 完成1年後の1985年11月号 タウン誌「信夫野」掲載より 二階は子供部屋

大室
:戸を開けると見えた。
佐藤:あの引き違い4枚はだいぶ後になって付けた。当初はなかった。汚くなってぐしゃぐしゃ見えるから、戸を立てた。子供がいなくなって薪ストーブも焚かなくなって、冷たい空気もおりてくるから防寒扉立てた。

大室:あそこが3人の子供部屋でしたか。
佐藤:2階は18帖で階段上がって10帖が遊び場、奥が3台ベット並べた寝床だった。上から見ていると飯ができるのも見えるし、誰か訪ねてくると見えるので、静かに遊んでいた。2階から1階に業者とか来るのを見て、生な社会を見て大きくなった。
俺は離れを仕事場にしてた。忙しくなったり、子供が中学生になると部屋を要求されるし、一生けんめい金稼いで学校にあげなきゃいけない。離れを子供に渡して、俺は近所のアパート借りて仕事場にした。公団タイプの3LDKだった。震災直後まで本や模型や道具などあった。ほとんど捨てた。一番したの次男も出て行って、二人きりになった。

妻が変になったのは1991年頃なんだよね。統合失調症の症状は子供がだれも居なくなった途端に激しくなった。変な事言うな?・・・とは思ってたんだけど、統合失調症だとは分からなかった、その当時は分裂病と言われていた。病の対応が分からないから、妻の言うことを「そんなことないよ」と否定し続けていた、それも病には悪いんだよ。肯定もしちゃいけないんだけど、軽くそういうことあるかもしれないね、気にせずまた起きたら考えよう・・とか言って受け止めて、否定することは禁じ手なんだよね。理由は患者の孤立感を増してしまい症状悪化しちゃう原因になるからだけど。病気だと思ってないんだから、そんなことないよ、なんて対応してしまってた。

ここにも評判よかったmy建築あったんだけど、震災後解体してどこかへ行ってしまった。突然なくなっているから驚いた。計画道路があって、拡幅されるのは分かってたんで、木造とRC4階建てで造った。道路ができてもRC部分が残るように設計していい感じだったんだけど。

 雑誌の詳細を見る

大室
:道路拡張してもRC部分は残る。
佐藤:相談ぐらいしてよね、売ればいいだろうし、誰かに貸したり俺にくれよ、空地のじゃのままじゃもったいないよ。人の気持ちは分からないよ。

大室:佐藤さんは生まれ育ちはここですか。
佐藤:福島市で生まれた。場所は正面の山の裏あたりです。工業高校は俺の家の傍に今もあります。そこを卒業して東京の恵比寿駅前のゼネコン設計部。高校はオートバイ通学許可されてたんで。今は禁止みたいで誰もオートバイ通学してないね。

共に、アルバイト

大室:同級生とか幼馴染も。
佐藤:一杯いるけど交流してない、合わないんだよ。変人と思われているみたいです。お前変なの作っているな!高校の同級生などはけって言われるし。寄ってもこないね。変なのと言われても困るんだよね。俺の悪口を言って喜んでいる土建屋務めの同級生も居るんだけど、寄ってこないね。理由は分からないけど、彼らとは対話が成り立たない。

俺が中学から土方バイトやっていて建てた建築がこれですよ。これ50年以上前の建築だけどタイルも落ちてないよ、凄いでしょう。中学生のときの冬休みから土方バイトやってて、休みには1年以上通ったね。まだ現役で残っている。電電公舎の仕様がいいんだよね。東側が事務所棟なんです、西側の高い方が交換器を入れておく棟だ。

大室:土方というのは主にコンクリート打ちですか。
(絵 ストリュートビューより)

佐藤:コンクリート打設もする、その当時は土方は、型枠は杉の型枠で、今のようなパネコートない。打設すると釘を抜く仕事とか、コンクリートへばり付くのでそれをはがす仕事も多かったかな。その他はパラぺットのPCをかぶせたり、防水のシンダーコンクリート打設したり、電気工事用の桝を掘ったり。コンクリーと打設するときはネコと呼ばれる二輪車で運んだ、今は圧送だけど。バッチャー・プラント造ってタワー建てあげてた。
コンクリート運ぶのはかなり中学生には難しいんだよね。途中で引っ繰り返したりする。コンクリート重たいしタプタプ動くからね。

大室:バランスとれないですよね。
佐藤:そうなんだよ、足場がべこべこと撓むので、バランスとるの難しいだよ。比重が2.4もあるから足場弓なり。途中で引っ繰り返して大騒ぎ。その時に現場用語を覚えるんだよ。馬鹿棒とか馬とかシノとかいろいろ覚えた。
大室:馬とか猫とかいいますね。

佐藤:そうそう。土工の人たちがいろいろ言うけど最初分からないんだよ。現場でいろいろ教えてもらった。初めてだと専門用語は分からないね。

目の前の巨大な建築は福島競馬場です。明治時代に名古屋で反対運動が起きて福島で馬の生産が盛んだったので、引き取った。まま現在に至る。

大室:中京競馬場。
佐藤:もっと古い明治時代の話です。福島県は軍馬の産地だったんだよね。牧場あって。電電公社の現場の他にも手配されて行く。バイトでは現場監督居ないで工事やっている、酷い現場もあったよ。施工図書いてないんだろうけどサッシと躯体の間が1mも開いてたりする。モルタル詰めるんだけど、直ぐ壊れて雨漏りするよ。現場監督もいろいろ居るんだよね、きちっとしている人、何も知らないけど監督やっている人とか。
中学3と高校の3年間は休みで暇さえあれば土方バイトに通ってた。1日500円だった。今は土方仕事は東南アジアからやってくる研修生とか中東の人かもしれないけど、現場みてないから分からない。日本人は土方は誰もやってないかもしれないね。建築業界のどん底の作業をやって下から眺めていた。

大室僕も予備校から大学4年現場やってました。内装の施行の搬入とか取り付け施行とか、やってました。

佐藤:なるほど、建築の先生になっても威張る気にならないね。施行している人たちは人権無視常態で働いている、彼らが造るんだから。建築家が立派だとは言う気がおきないな。そういう事言える奴はのんきすぎるよ、世界を知らなすぎるよ。
それで人々の生活を豊かにする、とか言われても嘘だろうと思うな。どれだけ現場が絞り採ってるか分かってんのか(笑)アカディミズムの世界はわからないけど、土建業界なんかろくでもないからね。で大学の先生に騙されて学生が実態を知らないで大人になる。まともに信じちゃえるのは不思議だ。いきなり現場に行って設計者は偉い風吹かせたら現場の職人に馬鹿にされるよ。

この115号線を道なりに進んで山のてっぺんあたりが俺が生まれた地域。

大室:まだ残ってるんですか?

佐藤:弟が実家を継いだから残っている。俺は家出というか跡継ぎしない少年だったから、地域に行くと評判悪いよ。親戚に嫌われている。で俺は近づかない。酷いんだよ葬式とか行くと人でなし扱いだから。人間はどんな仕事してもいいだろうと思うけど、パターナリズムに侵されている人々だから。長男は跡を継いで、一家の長として・・みたいな事を実践しないと、人でなし扱いされる。何を言っているんだと思うけど、そういうふうにしか考えられない人々が、俺が生まれた地域には居る。職業選択の自由があると言ってみたところで、発想できない。会話が通じないのは昔からなんです。

今、渡っている川が阿武隈川です。白河から宮城県にながれていく。俺は大人は頭おかしい!と子供の頃から思ってた。大人の言うことを信じない体質に育った。偉そうな奴は信じないと決めて、生きてきた。

大室:お子さん3人は上からそれを見てたわけですね。

佐藤:そう、だから我が子たちは、義務教育現場ではひどい目に逢ったね。親の言った通り自由に発言し活動するから、生意気だと思われたんじゃないかな。中学の先生にはとても評価、低かったね。大学に行くと教授にいじめられた。俺は、お前の教授は頭おかしんいだから言うこと聞くな、とか言ってた。親父の言うようにはいかないんだよ、と反論もしてたけど、研究室やめてしまえ、とか、俺が言うから、my長男は隣の研究室に入り直して、大学の准教授になった(笑)。教授が言論の暴力して悪の枢軸、とか言われてた。そうやって教授がいじめるから、一度その研究室を退出して隣の研究室に入室しなおした。合う環境を選ばないと、虐められちゃうのはもったいないよ、逃げるのは賢いぞと褒める。

もう少し行くと左に曲がる道があるので、少しスピード落として、ここでウインカーだしてください。



千万家(せんまんいえ訪問

大室:この道はいるんですか。
佐藤:曲がって進と左側に見えてきます。今は23年経ってるから建物だか森だか分からなくなってしまっている。
大室:ああこれか。
佐藤:そうそう。建てもの見えないでしょう森と一体になってしまってる。
大室:おーお。
佐藤:もうちょつと行ってくれる、ここら辺りに止めてくれてもいいよ。こないだ山崎さんと来たときは草だらけだったけど、手入れし始めた。今何時ですか
大室
:8時半です。
佐藤:40分ぐらい大丈夫だな。



■ 千万家に着く

佐藤:イヌが吠えている。凄いね草が。写真撮るから大室さん立ってください。
今日は建主さんいるようです。行ってみましょう。エンジン切っておいて。植木屋さんすこし手入れしましたね。

おはようございます。いるかな?おはようございます。
:おー!どうぞ。

佐藤:三重県からお見舞いにきてくれた。どうですか快調ですか。俺は今放射線治療しているところだけど。
:始まった。

佐藤:この方は三重県からきました大室さんです。
主:凄い遠くからですね!
佐藤:おれは今日で放射線治療、10日目です。
主:10日目だったら慣れたでしょう。

奥様:おはようございます。
佐藤:今日は何も持ってきてないんだけど。
主:上がって。
佐藤:建て物をくるりと観るよ。建物見に来て放射線治療に行くの忘れちゃいそうだ。
主:土日除いて毎日でしょう。午後から?
佐藤:午前10時からです。見に来たんだから建物案内します。通路、ぬけてっていいかな?.

:いいけど、ゴミがたまちゃっている。
佐藤:息子さんはここに住んでるんでしょう。
主:住んでる。
佐藤:この建物の半屋外は冬場には野鳥のたまり場になるそうです。
主:寒いと鳥小屋みたくなって。
大室:へーえ、そうなんだ。
  チャボがときを告げている
佐藤:体調はどうですか
:放射線は体に影響ないんだよね。その間休んだから体力が落ちちゃったかな。
佐藤:酒のんだけど問題なさそうだね。先日来たときより元気になったね。
主:でも、言われてたんだけど、排尿がどうしようもなくなって。
佐藤:ここも所有地でしょう、周囲の地上げはどうなったんですか。
主:わからない。
佐藤:冬になると葉が散るから、全体見えるんだけど。
主:建物廻りはぜんぶ落葉樹だから見える。

佐藤:やく24年ぐらい経った。2000年にできて、主さんは庭造り上手だから。
主:建物を隠しちゃった(笑)
佐藤:以前は南側のアプローチだったんだけど。
主:そう。軽トラック入るぐらいな枕木が腐っちゃって、20年ぐらい経つとだめですね。こっちからどうぞ。
佐藤:三重県から見学なので、お茶をいただきましょう。

主:まだ病院の間に合うでしょう?
佐藤:間に合う。
:ちょとだけどうぞ。
佐藤:医大までは1時間かからないで行けるよね。
:行けるね。40分みれば着く。
佐藤:中はこういう感じ。

大室:最高ですね。
佐藤:この突きあたりがトイレや風呂洗面棟になっている。この通路は使わなかったね。
:自転車置き場になっている。
佐藤:上手に住んでいる。
大室:車のハザード切ってきます。
佐藤:どうぞ。4

主:医大も型とるんでしょう。
佐藤:とらないよ。体にマークつけられるだけ。型採るって動かないようにするためにね。
主:型採って、マジックで×描いて、合わせて放射線あてる。
佐藤:俺は20日間照射予定。

主:おれは38回。骨に転移してた。
佐藤:骨のほうはどうなったの?
主:ちょっと薄くなったけど、普通は26回位放射線当てる。大変なのは綺麗に排便しておかなければいけないこと。夜下剤と朝昼晩。

大室:突き当りにある陶板はだれのですか。
主:田島征三のものです。
佐藤:造園やっているけど絵とかアートと本好きで、教養人だから本もたくさん読んでいる。
:敏ちゃんに言われると恥ずかしいな。
   がやがや
佐藤:普通の植木屋さんではない。

主:おれは最初ころはノイローゼになるくらいだったよ。行くでしょうまずCT掛ける。エコーで尿のたまりぐらいをチェックする。溜まるまで待つ。検査の1時間前に400CC水飲んで。
佐藤:多いね、400CCは俺は250CCだよ。俺はお茶だめなんです。今何時かな。
奥様:8時45分です。
佐藤:9時半に水250CC飲むことになっている。
主:1時間前に400CC飲んで、その後。

がやがやワイワイ

主:敏ちゃんは値が高かったんだね。
佐藤:俺はマーカーは50代前半だった。
主:これは20いくつだった。でも高いって言われたんだよ。で、再度MRIを採った。そしたら骨に転移してた。骨に転移したら終わりか・・と思った。男性ホルモン抑える薬飲むと骨のほうも消える、消えはしないんじゃない。薄くなったとは言われた。

佐藤:いろいろ言われて数値高いとか、で先生にお任せ好きに処置してください・・。
 ワイワイガヤガヤ
:おれも最初数値、分からないから。
佐藤:一般的には3とか5で騒いでいるらしい。俺50、60近い、あんたこれまでよくほっといたね、と言われて。いろいろ言わない。
主:数値が10位になるとだいたい癌。でも人にひょってだから、俺は日赤だったから。

佐藤:俺は数値高いから前立腺を手術して切除されるとばかり思い込んでいた。今は手術しないらしいね。
主:姪が医者と結婚したのね、医大はロボトみたいなのでするみたい。日赤は手術すると神経壊すので尿漏れの可能性が出てくるらしいと。今は放射線の方がいいですよ、と言われた。
佐藤:勃起しないと言われたけど、放射線かけてもまだ朝立ちくるね。
:たいしたもんだ。
      わいわいがやがや
佐藤:男性ホルモン多すぎるのかな俺は。大室さんとワイワイしてたら興奮してきて元気いっぱいだよ。おかしいな・・・。
主:それは脳のほうじゃないかい。

ワイワイがやがや

佐藤:薬飲むと朝立ちしなくなる、と言われたけど・・・。
主:胸が大きくなると言われるね。
佐藤:たしかに関取衆みたいになりはじめたね。
主:男性ホルモン抑える去勢と言われたよ。
佐藤:そんなこと言うんだ、おれは言われなかったな。

主:病状が進んでくると球を取るんだって。今はそれではなくって、注射だと言われた。皮下注射は1ヶ月に1回。
佐藤:俺は6ヶ月に1回だけど痛くって高額だから財布にも痛いよ。
主:高額だから6ヶ月にしましょうと言われた。
佐藤:6ヶ月おきに2度注射済んだ。腹が紫になっちゃって痛かったよ。お互い病気自慢しているから、すごいね。

 ワイワイガヤガヤ
主:俺のはもっと数値高いぞと!
ワイワイがやがや
佐藤:しょうもない爺たちだね。
主:若いうちはわからないけど年取ると病気になるまえから血圧とかも俺はもっと高いぞとか ふふふふ。病気自慢になる。60才ぐらいになるとだいたい病気自慢だね。

佐藤:いいな、ススキが飾ってあって秋だね。
:中秋の名月。放射線を掛ける時間は10分か15分でしょう。
佐藤:そんなに長時間照射しないよ、15秒位だからあっという間に終わる。
:俺のは長いよ。

大室:前から三重に引っ越して、家は山奥のほうですね。
奥様:主人は昔から本と植物関係とか集めているんです。
:資本主義に毒されているから、知的所有もする。
佐藤:大室さんは美術館もやっているんだ、大室さんの奥様のお爺さんの屋敷を相続したそうで、私設美術館を運営してる。奥様もアーティストだよ。

:失礼だけど今の時代に美術館とはなかなか大変でしょう。
大室私立だと気楽に開いてる
奥様:三重は海側と山がありますけど
大室:ちょつと山寄りですね。
佐藤:室生寺に車で30分ぐらいだそうです。

:名張葡萄酒事件もある
佐藤:へんな事件知っているね。
ワイワイがやがや
:有名だよね。絵描きの木村さん2回ぐらいはがき送ってよこすのね。白黒になったから絵具を買うお金が無くなったみたい ふふふふ。
奥様:最近そうなのね、kさん変わってきちゃった。

佐藤:死期が近いのかな、黒い絵だ。人人会というのがあって、中村正義という日本画家がボスでした。彼は篠原一男さん設計の直方体の森の発注者。かれが主催している会のメンバーです。
山下菊二の仲間。
佐藤:そうそう。俺たち知り合いで、中村正義・美術館の前は自邸だったんだけど、いろいろ相談受けた。第一種住居専用地域だから美術館は建設できない。排煙設備とかも無い。天窓あるから開閉式に取り換えればいい。
:俺も行ったことあるけど。敏ちゃんが関わってから美術館にかえた。
佐藤:旦那さんに相談受けた。離婚しちゃったから、今はどこに居るか分からない。
:名古屋にもどったとか、画材屋やっているという話は聞いた。

奥様:木村さんの絵が好きで、上は四方に木村さんの絵飾ってます。
佐藤:文字もあるけど、ダレの書ですか。
:柴さん
佐藤:精神が病んだと聞いたけど回復したかな。
主:母親はけっこう書で有名。

大室:昨日から聞いているとだいたい皆さん頭がおかしいことになっている。
 わいわいがやがや
大室:どっちがおかしいのか?
ワイワイがやがや

佐藤:敏ちゃん頭がおかしいからね。ここは楽しいからね。奥さんが暮らし方上手だから。
奥様:上手じゃないけど、ただ楽しいです。季節ごとにいろいろ。
佐藤:外で暮らしてたり寝てる感じは満喫できちゃいからね。

:年取ったらどうかな。
佐藤:もう年取っているよ (笑)
主:足腰うごかなくなったらたいへんだよ。ポータブル使うしかないかな。以外なのはガラスで寒いだろう暑いだろうと人は言う。以外と暑くないんだよね、夏は日差しこないから
佐藤:断熱財材ばっちり入れてあるから。
主:冬、人が来ると、え暖かい。
佐藤:ローコストハウスだったので、床は断熱材敷きならべてコンパネ仕上げです



大室
:本当だ。
佐藤:グレート黄色の二色仕上げです
:見に来たしと、完成してないと思ったんだろうね。いや贅沢ですねこのコンパネ使って下地にとか・・これで終わりだよと。
        ワイワイがやがや
:下地だと思ってた。これ下地では贅沢な使い方しますねと言われて。
奥様:すみません、これがそのまま仕上がりなんです。
佐藤:貧乏を楽しんで、豪快に自然と一体で暮らす。
奥様:この前。畑を見せてくださいという方何人かみえたです。その人もちょっと中を見て、敏ちゃんに前聞いたていたんで、年取ってもっと部屋がほしくなったら、また建てることできるんですよ。
佐藤:あと○い部屋4つ建てないとね、いまは千のままだから。

奥様:なかなかないですね、と感心してた。
佐藤:○増やして借家にすればいいし。世界に1軒しかない。
:なかなかないけど、それを受け入れた施主もエライ!
佐藤:自分で言う(笑) 楽しそうに暮らして住んでるから・・・いいよ。造るまでに時間かかったよね農地転用とか開発許可とか。ひどい目に遭ったよね。何するのか忘れちゃうぐらい掛かった。

:かかったね
佐藤:農地転用の許可がおりなくって酷かったね。理解できないから掛かったんだよね。
:理解できないし、あとはこの場所がダメだったんだよね。農振地域でそこに建てるのが難しかった。実家には雑地がありながら、なんで農振地域に建てるんだと。排水が無かった。側溝ないしと言われた。それで、前の家に繋がせてもらって、許可もらって合併浄化槽に我が家3人入っても余裕あるからOkとなった。ところが繋がなかった。自然沈下にして大丈夫、道路が広がり下水が来る計画があったから、1年ぐらい間が、下水を繋ぐまであったかな。

大室:凄いクリアのしかたしましたね。
奥様:友達のひと頑張ってくれたんです。測量事務所の人が頑張ってくれた。
主:市役所で五月蠅くいうひとなので、嫌がっている人だった。俺が初めてだったみたいだよ、借地で家を建てたのは。農振は贈与しなくちゃならないんだって。福島県で第一号。父親から借りて家を造った。贈与しないとダメだ、と言われてもいた。
奥様:相談した人が贈与だったら税金払わなければならないから、それなら借地でいこうと。
佐藤:この「千万家」ができる過程の物語が沢山あって、語りだすとオモシロすぎて止まらない。俺の設計からはじまり、とんでもない事件を方々にまき散らいしていた。
主:そうなんだよ。

奥様:最初、電話でこういう形って説明してくださったんですけど、ぜんぜん想像がつかなくって。模型もって来て「こういうことか」と。
佐藤:電話掛かってきて、すぐできた。打合せしてないのにもう模型できてしまった。
大室:直ぐにOK?
主:そうです。センセーショナルで、若い時だから生活の細かいことを考えてない、面白いなと。
佐藤:二人で暮らしていると居間兼台所応接で寝泊りもできちゃうし。
主:もっと年取ったらここで寝る。
佐藤:今はロフトに寝てないんですか?
主:もう寝てない、物置になっている。

佐藤:大阪の千鳥文化には3帖に台所付き個室があった。この1/3だった。港湾労働者の部屋。それからくらべたら・・。
主:我が家は贅沢だな。
ワイガヤガヤ
奥様:贅沢ですね。
佐藤:ロフト周囲に床貼ると、そこで寝ることできるし、揺れにもさらに強くなる。梯子は自分で造った?
主:大工さんに頼んだ。

奥様:検査に来た市役所の人、おたくはところ普通の住宅とはちがうんで、普通だと1時間ぐらい、外回りして検査して1時間ぐらいですが、半日とって来てますから、ははははは。
佐藤:我が家の傍に造った野球選手の家(BOX10)に来た家屋調査士は面積だせなくって怒って帰ったらしいよ(笑)、直線は南側だけですべてワン曲しているから面積出せないと怒ったらしいよ。

奥様:そんなことあるんですか(笑)
佐藤:俺はどうも問題児らしい。違反してないんだけど、問題児扱い。

:BOX12の扇型の桟の駐車場のところね。
佐藤:大型熊手なんだけど。頑丈な熊手つくって、福島の金を集める熊手。おまえ屋根かけるつもりだな!ってずっと言ってる。屋根かけないと言っても信用しない。漫才になっちゃうから、そろそろ医大に行きますか。

主:またゆっくり来て。医大にいかないとね。
大室:お世話になりました。ここは見ごたえありますね(笑)
奥様:いらしてくださいどうぞどうぞ。

佐藤:23年経ったから住体験談聞き取ったらいろいろ面白い話あるよ。大震災でもガラス割れなかったし。

主:これはkさんが個展開いたときに拾ってきた材料で造った作品で。
奥様:お祝いだと送ってきた。
佐藤:ここにはアート・お宝が一杯あるんだよ。どうもありがとうございました
主:いえいえ。

佐藤:この一重さんの作品凍み割れしないね。一重さん亡くなったね。喜多方、塩川町の陶芸家の作品です。大室さんはここより山のなかですか?

大室:ここよりは山寄りですね。
:美術館って地元の、奥さんの作品を展示してる?
佐藤:大室さんも個展開催している、設計仕事の合間にアーティストもやる。
:普通の人と逆だね。

佐藤:そうだね、どうもありがとうございました!
主:いえいえ。
佐藤:渡利を抜けてったほうがいいかな?
主:敏ちゃんも頑張って治療してください。

大室:ありがとうございます。




























 千万家・廊下

医大へ向かう

車で移動し始める。

大室
最高ですね。凄い、楽しいですね
佐藤:もめながら設計していたわけじゃなく直ぐできた。廻りの人たちが呆れてたかも。あいかわらず楽しそうに暮らしている。住みこなしているからね。

大室:住みこなしていて楽しそうですね。
佐藤:庭の手入れしてもと綺麗だったんだけど病気なって造園活動停止なのかも。平面図が草木と一体化して分からなくなって。
大室いやいや、それがいいと思いますね

佐藤:それが設計の目的の一つでもあるけど。建築が消えてしまう。そらから見ると1000。あの建築が完成したときは検索地図がなかった。
大室:航空写真だけですよね。
佐藤:ドローンもなかった。撮ることを考えなかった。あっというまに検索地図ができて、どこでも上空から見ることができるようになった。木造建築でも充分かもしれないな。木造で独立前の習作は2軒か・・・建てたかな。
大室:あれは実際一千万円ですか。


 絵:検索地図より

佐藤:違う。100しか出来なかった。一千万円でできたんだけどローンにしたためにセルフビルドで造る予定だったんだけど、材料費も借りることになって、3年ぐらいかけて造ったらどう。丸なので柱の加工は全部同じなんだよ。だんだん上手になるからセルフビルドでできるよ。
銀行にお金借りにいったら、返済できる金額だと一千万円だった。月3万円返済だったかな。それで総額が抑えた、1800万円かかると見積が出てきた。抵当付けられないから貸さないと言われて。で、お金を借りることになって条件が変わった。
それで大工さん探して1500万円ぐらいだったかな。100で完成でいいんじゃない、と言ってた。奥さんの実家から支援があったのかな。

大室:ゼロ一個分ね。
佐藤:そうそう。あとゼロ4個寄付してくれる人がいるとゼロが7つ並ぶ。そこで完成する。ゼロ7個で老人たちでもいいし、若い人との混在でもいいし共同ハウスが完成。そうすると楽しい共同の家になる。

大室:そうですね。

佐藤:まるそれぞれ独立してて声も聞こえないし。集住する。野の者たちの集合ハウス。廊下は共有の図書室。

大室:廊下いいですね、よくできてた。
佐藤:植田さんに廊下すごいねと言われたことがある。
大室:朝、見せてもらった模型も片廊下で似てますものね。
佐藤:そうだね戻した、3.11後の最新作あの模型から真ん中2室を抜くと千万家になってしまう。ズドーン・ハウスも地震も放射能も福島にきたので造ってみた。小学生でもつくれるプランを造ってみた。

大室あんだけ物と作品と本と畑仕事の道具と食べ物がごちゃ混ぜになってても汚く見えないですものね。何されている人ですか。
佐藤:植木屋さん。それ以前は、ほるぷ出版の販売勤務だと言ってたかな。今朝は俺の建築ツアーになっちゃったね。

もう一軒通り道にある。子供が県立滋賀大の建築に入学した。小学三年生だったかな。模型やるから建築家になれと。本当に建築の道に入った。東京で事務所開いていると聞いた。仕事とっていると言ってる。大室さんより年上だよ。談話室をつくらせた、彼の活動を別な先生が引き継いだ。


  絵:1986年タウン誌掲載BOX4 佐藤・35才

建築家の人達は竣工したら写真撮って、写真集作る。それ俺はプロに撮ってもらうこと、習慣化してないから完成して10年ぐらい経ったらちょうどいいかも。記念写真とってお仕舞という発想が無いから。竣工・写真撮ったりしないんだよ。時間たってからの方が設計意図が露わになっていい感じがするんだけどね。

大室:そうですね、佐藤さんのは特にそうですね。
佐藤:千万家は2000年に完成した、23年経っている。
大室:四半世紀経っていいですよね


千万家のまとめなど

大室:見えてきた、あれですね。増築ですか。
佐藤:後ろの木造は最初からあった。右側の建築も俺が設計した。
大室:おお凄い!
佐藤:これも雑誌掲載してない。この建築が県大に入学した人が育った、お兄ちゃんが新海誠の映画背景画を担当している。

大室植物多いですね。みんなちゃんと分かってくれてるんだな。
佐藤:角地だから四角にしないで半丸。卓球ができる家にしてくれと言われた。家の真ん中に卓球台をおいて、親子で卓球して大きくなった。子供が大きくなり居なくから、後ろの木造をつないだ。食堂兼喫茶店にした。今はやってないのかな。

大室:そうか、そういうことですか、いやいや多いですねやっぱり福島の人ですね。
佐藤:自転車でこの辺の現場で行き来してたからね。では医大めざしましょう。昔は夜間高校だった、今は男女共学になって名前がかわったかも。発注者も個性的な人がおおかった。デリケートに対応する建築家は多いんだろうけど、俺はそういう対応しないから。

大室:相性合う合わない人いますよね。

佐藤:うん。住宅依頼してくるのは高校の先生が多かったね。やや柔軟性に欠けるかもしれない。植木屋さんは自然相手だから理屈が通らないので大らかだからね。まいいか、そういう点あるじゃない。

目的通りに大学受験合格させるみたいな人は俺に依頼してこない。個性が建築に反映しちゃう気がする。俺は子供たちが大人になって学費稼ぎ出す環境じゃなくなちゃつたから、稼ぐ意欲が落ちてきている。生活のために設計事務所開いたからね。お金稼いで株投資して海外旅行して毎日おいしいものを喰ってフェースブックに投稿する。そういうのは、恥ずかしいと思う。飯炊き爺さんして飯を投稿するぐらいで、くだらない努力はしない。50過ぎてから車も持ったないことにしたから、だいぶ乗ってない。

大室:自邸を建てて子供3人育てあげているんですからね
佐藤:目的は、それで終わりでいい。建築家になるために生きてきたんじゃないからね。普通の社会人だったから。
大室:普通の社会人ははははは。

佐藤:子供育てたら、もういいと思うじゃない。子供たちが大学生になったら、雑誌社の人達がやってきて、賑やかになって建築家って、こんな感じかと。
大室:やっと建築家になった(笑)

佐藤:建築家を目指してこなかったからね。建築家は特別な者だと思っている人が多くって。自分が建築家プロトタイプにはまって建築家になるわけじゃない。何かやってたら建築家みたいな者になってしまう。行基とか重源が日本の建築家だと思っているから、俺もできる社会活動している。彼らは意識も高いし、ちょっとでも身の回りの社会をよくしていこうと活動している。そっちの方がまともな人間だろう、と思う。立派な形つくって面白がる人には魅力をかんじないね。

見たことない発想の建築は面白いとは思うんだけど、そんな簡単にはできないよね。建築概念を超えた建築なんて簡単にはできるものではないし・・今は主体は要らないし、いろんな建築を繋ぎ合わせて全体が建築になる、そういう発想の方が楽しいし合っている。
一戸一棟で完結する貧しさはあほらしい。それよりは他者の家に泊まって、歩いて、俺の家だなこれはという、日本列島内に星座型に俺の家があると考えればだいぶリッチだよ。
今日は大室さんの家は俺の家だから泊まろうと。365日泊まり歩いたらいい、2日泊まるとして100人ぐらいそういう友達が居ると、人生飽きない。毎日訪ねると嫌がられるけど1年に一回ぐらい泊まるならさほど邪魔にもされないでしょう。そろそろあの爺さん来るなと歓迎される。酒のみ過ぎて倒れるかもしれない。客死だね。山頭火のように旅の途中で没する。若い時はそれいけそうだなと思うけど、年を重ねると毎日環境変えて泊まり歩くと疲れる、そこに気づいた。俺には客死は無理だね。

大室:さつきの千万家の居間は昔の茶の間の雰囲気ありましたね。上りがあってちゃぶ台があってお茶があって。
佐藤:そうだね。ご夫妻はおしゃべり好きだしよく笑うから明るい。病を他人に言えるようになると心は晴れるだろうと思う。今何時ですか。
大室:9時半です。

佐藤:放射線防御の水をのまなければと。250CC飲もう。
大室:今日で何日ですか
佐藤:十日めです。
大室:だいぶリズムはつかめてきましたか。
佐藤:そうだね。


医大前で 大室さんの軌跡

佐藤:大室さんは何年生まれでしたか
大室:1981年です。
佐藤:バブル前夜の生まれだね。小中学校まで練馬で育ったんですか。
大室:ずっと練馬ですね。高校生ぐらいの時に原宿のお店に興味を持って、内装とかをやりたかったんですよ。内装のデザインとか設計をやりたかった、かっいいなと思ってました。原宿に行って見てました。流行ってたんですよ。
竹の子族は終わってました。裏原宿とか流行っているときでした。

佐藤:家から近いし、30分位で原宿でしたか。
大室:そうですね。専門学校に行こうとしたら多摩美術大学受かっちゃったんです。で美大に。そこに毛綱さんがいて、多摩美の環境デザイン学科長でいたんですよ。入学ししたら直ぐ夏、いなくなった。肝硬変と言っていた。毛綱さんが亡くなったあとの展示手伝いしたときに、毛綱さんの模型とか図面見て、ビックリしましたね。

医大到着

佐藤:医大の駐車場に入ってしまうと出るのが面倒だから、路駐でいいかな。
リアル毛綱は会ってなかったですか。

大室:最初だけです。1年生の夏までです。その後は飯島洋一さんです。
佐藤:建築家じゃないですよね。
大室:批評家です。

佐藤:病院、出て道路の上で喋ろう。こんな不便な場所にデカい病院建てどうするんだ、そういう気分。ここでいいね。では10時まで。

大室:15分ありますね。飯島洋一先生の影響は大きいですね。美大で建築をやるとは何か?を教わりました。東大とか早稲田に勝つには理論やれと。
佐藤:競争になっているわけだ。
大室:その時に、仙台日本一というのが第三回目でした。過去一回二回は東大で一位とってたんです。それに勝にはどうするか・・・。
佐藤:飯島先生、打倒東大で燃えてたんだ
大室:そうですね。飯島さんにも、これとこれ来週まで読んできて・・お勧めされた本を読んで、食らいついていってました。

佐藤:大学に本があったんだ。
大室:そうですね、図書館にありましたので借りたりして、行き帰りで読んだりして。で、その頃から理論を持っている建築家に興味を持って、磯崎新さんは気になってましたね。
大学院までいって、最後は大学院の時に彫刻学科とか絵画とか多摩美のなかでも、建築じゃないところに行くようになっていた。その頃から建築だけじゃなくって、美術界隈と繋がりができてきました。

佐藤:それまでは作品は作ってなかったんだ。
大室:大学院が最後で自分の作品をつくるようになってました。お墓みたいなものです。棺桶みたいな作品つくったり、地鎮祭みたいな作品つくったり。

佐藤:なんで宗教系なのかね。
大室:興味があったのはお墓ですね。お墓が建築と芸術を繋ぐというかな
佐藤:エジプトでも飛鳥でもお墓が建築だからね。
大室:内部空間が有っても無くても成立する。そこに興味があったので、お墓とか記念碑とかに興味を持って、卒業設計がゲルニカミュージアム、記念碑と作品。

佐藤:かなり複雑だよね。
大室:いやいや佐藤さんの建築に比べたら分かりやすいと思います。

佐藤卒制の意図は記録になっているから、パスして。磯崎さんの事務所には何年いたんですか。
大室:僕は短いです、1年半です。

佐藤:磯崎事務所を辞めて、その後はどうなっていくんですか。仙台で会ったときは磯崎事務所を辞めたばかりだったんだね。
大室:その頃ですよ。2010年ですか。10年だと辞めて1年ぐらい経ったときです。
佐藤:その後は個展をやったり、実家の庭に小屋を作ってた頃だ、ネットで観たのかな。大室さんはHP持ってましたか。
大室:一応あります。それで小屋を作ってましたね、それで住んでいた小説家を研究したりして。
佐藤:隠遁者が好きなのかな。
大室:そうですね。大学院の時に詩人の先生に習っていたこともあって、詩人とか小説家とか繋がってきましたね。

佐藤:大室さんとは日本一展があったから、学生が文句を言ってたから、ずるずると出会った。建築設計してなかったら出会わないし。
大室:そうですね。
佐藤:人に出会うって何か不思議だね。知り合いがなんとなく集まってきて世界が狭くなってくるね。他の人が変には見える。変な人が集まって。

大室:自分だけがまともだと(笑)
佐藤:かなり変だと思うけど、変な世界の方が楽しいと思うだけです。普通の人は気の毒だという気はするね。テンプレートに型押しされた幸せを追求している人。それをなぞったり、観光地に行ってカタログなぞって見て歩くのは、そういうの楽しいのかな。俺はガイドブック人生を生きるのはちっとも楽しくないな。

大室:僕も建築家双六みたいなの、やるのもポジティブに捕らえられたし。美術館も一人でやっていくなら、公共建築って大きくなくっても作れるじゃないかなと思って。で、5万円だけ掛けて美術館作った。そういうのが冷静にできた。

佐藤:あの建物に住んでたんですか。美術館です。
大室:目の前に住んでます。
佐藤:家と美術館は別棟なのね。
大室:道をはさんで別の建物です。

佐藤:都落ちの発想がなくっていい、東大との競争にも勝ち、都落ちか俺は、と思わないところが今日につながっている。
大室:逆に山を背負った方が東京とか、町がクリアに見えす。
佐藤:終末論ではないけどこのまま都市化していったら、災害で文明が成り立たないだろうと、エネルギー問題も核廃棄物一杯出して支えている。実はあの生活を維持するためにはどれだけ世界中にゴミを散らかしているのか、めちゃくちゃバックヤードではやっている。地方にいるとそういう事が普通に分かるよ。当たり前のことが当たり前に分かる。人間が生きてい行くためには食料とエネルギーが要る、集約して都市を作ってもゴミとか廃液とかお墓とか、多量に要る。矛盾したものが地方に住むと露呈して見えているので、面白いよね。

大室:地方は分かりやすいですよね。形がはっきり見えるので・・・。
佐藤:限界集落じゃないけど、老人問題も都市生活では若い人一杯集まってて、見えにくいけど、田舎の方が見えるよ。とりあえずは練馬と三重を行き来して健全な生活をしている。
大室:笑い。そうですね。9年ぐらい三重に住んでて、特にi違和感ないんで。
佐藤:ストレスないよね。川勝さんとか辻さんみたいではない。川勝さんRAD解散してイベントやってたね。
大室:あと4分で10時です。彼らは彼らで楽しそうですから。

佐藤:大学や建築家から離れて力を抜いて自分らしく生きている、体重移動しているのは分かるね。
大室:そうですね。
佐藤:そういう職業に名前つけられない、名前はなくってもいいんだけど。
大室:どうやって食べているんだろ、建築家の変人たちが佐藤さんみたいに出てきてくれると勇気づけられます。(笑)これでいいんだと。

佐藤:金もってる人からもらって来ればいい(笑)困ったら誰に頂戴と言える人になるのがいいよ。おれは適当だから鎧着て戦って金稼いで、YouTubeでいいたい放題言っているやつらは、それだけで馬鹿に見える。無い時は無いと言えることが肝心。あとは愛されていればお金も仕事もいただける、人たらしコミュニケーションパワーは要るかも、それがないと建築家はしょうがないよ。福島に来たら佐藤と喋ってこようと思い出される人はいいよ。そういう人間関係が一杯できている。
大室:そうですよね、全国に散らばってる。

佐藤:その方が面白いね、今はネット使ってメッセンジャーで連絡し、web電話で語り合いもできる。距離が離れているのはさほど障害にならなくなっているよね。そんなことで、これからも楽しくお付き合いしていきましょう

大室:はい。

佐藤:冬は福島寒いから夏は馬鹿暑いから 今頃来るのはいいよ、春先かな。薪ストーブと床暖してても寒いかな。
大室:ちょうどいい時間ですね。

共に ではさようなら。




 2025年3月9日語り合いに続く