FBグループ 「サンチャイルド像」 記録    home  2023年5月5日作成


■ 2018年12月14日 ・

鈴木達治郎先生の「核兵器と戦争の根絶を目指して」講義録作りました。
3本の記事を含む全6頁(2016年3月2日長崎 特別市民セミナー)です
http://www.fullchin.jp/sunchild/suzuki/201606/01/0401.html 

■8月28日、市長は撤去会見で「今回の件を教訓にしながら、県都福島市として、どのように災害に向き合っていくか、議論を深め、福島市の新たな未来の礎としていきたい」と語ったが9月定例福島市議会で語られたのは2分ほどだった。「議論は誰がどこで深めるのか?」市議会は問わない!だれが問うのか。
■サンチャイルド設置事件を議論し合うためには原子力についての知識は欠かせない。特に、「脱原発か自然エネルギーか」という単純な二極対立にしない場を作ることが肝心だ。そのためにはサンチャイルド制作者と福島市民も私も「原子力と核兵器は何が現在問題なのか」よく理解する必要がある。
 2016年末現在で「分離プルトニウム」の世界の在庫は推定518.6トン(日経新聞より)あり長崎型原爆にすると8万6440発に相当するという。その事実も知らなければならない。「平和利用は何が問題なのか」原発は止めても使用済み燃料やプルトニウムは47トン日本には残ってしまう。さらに使用済燃料の再処理を続ける法律をつくる日本政府、さらに世界の情勢、パグウォッシュ会議の活動や、鈴木先生の提案しているのは、第三者機関による、査察の強化とテクノロジー・アセスメント(TA)を日本に根付かせようという研究も知るべきだろう。そうして語り合うのがよい。
そう考えたので2016年03月02日長崎 特別市民セミナーにて鈴木先生が長崎市民への講義内容を文字にしweb録を作った

■原子力災害の記憶の継承について熟議せず「復興五輪へ」前のめり?で忘れるのか
 福島市民に市長は「復興五輪」のために・・・「サンチャイルドは原子力災害の記憶を継承しつつ、原子力災害からの安全と克服、未来への希望を表現して私たちを励ますと共に、対外的には福島がくじけずに、復興に立ち向かう姿を比喩するもの、言わば復興の象徴と。なりうるものと期待をいたしました」・・「2年半後には大震災、原発事故から10年になります。この間、復興五輪の開催など、復興に向けた取り組みが加速し、福島市では新たな未来に向けた、総合計画の策定に取り組んでいかなければなりません。」8月28日から復興五輪へ気移りしてしまい原子力災害の記憶の継承なと忘れてしまったのだろう。
さてコツコツ議論のための準備はすすめたい

鈴木先生の講義録は6web頁。大まかな見出しをつけておいた、以下各頁のそれを記しておく
(1頁)核兵器と原子力 違いと共通点 
http://www.fullchin.jp/sunchild/suzuki/201606/01/0401.html
・ 核兵器と原子力発電は何が違うのか
・ 今でも続いているオッペンハイマーの悩み
・ 平和のための原子力演説"Atoms for Peace"
・核兵器と原子力の違い(高濃縮か低濃縮ウランか)
・原子力の最大の悩み
・ 原子炉は低濃縮ウランを使用(トンか、キログラムの使用)
・プルトニウムの入手は簡単
・平和利用と核不拡散について

(2頁) 濃縮施設と再処理施設、2つあれば核兵器は作れる
http://www.fullchin.jp/sunchild/suzuki/201606/02/0402.html
・悩みの種 (濃縮された核物質とプルトニウム)
・原発の使用済み燃料の再処理
・小型民生用でも高濃縮ウラン作成可能
・保証措置 IAEA査察重要
・分離プルトニウムが一番怖い
 ・使用済み燃料 使い難い 熱も中性子も一杯出す
・テロリストでも作れる広島長崎級爆弾
・核兵器の製造をどうやって止めるか
・重要な無告知査察(AP)
・2国間協定

(3頁) インド 米国が二国間協定の例外に
http://www.fullchin.jp/sunchild/suzuki/201606/03/0403.html
・イランの濃縮問題
・イスラエルの核兵器(中東の非核)
・核セキュリティ テロと核

(4頁)核燃料サイクルについて
http://www.fullchin.jp/sunchild/suzuki/201606/04/0404.html
・高速増殖炉 超高品質プルトニウム
・貯まり続けるプルトニウム
・使用済み燃料の直接処分、出来ない日本(資源)
・余剰プルトニウム
・再処理燃料は2倍する(高価)
・余剰プルトニウムを持たない政策
・六ケ所村の再処理工場を止めたい
・空冷で貯蔵しておけばいい

(5頁) 米MOX燃料諦めプルトニウム希釈処分
http://www.fullchin.jp/sunchild/suzuki/201606/05/0405.html
・プルトニウム在庫に関するパグウォッシュ会議の議論
・再処理を続ける法律をつくる日本政府
・人間性を忘れない政策と研究
(6頁)記事
・ 2018年7月26日 日経 プルトニウム管理の論点
・2016年3月3日 朝日 米、MOX工場重荷
・ 2016年1月20日 日経「脱原発か否か」対立超えよ


■ 2018年12月25日 ・

敵をさがし、二項対立で解くのは次世代にとって有効な行為なのか
 (サンチャイルド設置事件の後も敵探しを続けていて、いいのか)

 マスコミ報道の世界も被害者対加害者の構図で語るのが常で、購読者・視聴者は敵が存在していると刷り込まれてしまう。「勧善懲悪によって世が善へ向かい動いている」と勘違いし暮らし続けているようだ。『国会事故調』の結論の一つに「規制当局と東電の立場が逆転関係となることによる原子力安全についての監視・監督機能の崩壊」が起きた点に求められるとし、何度も安全対策を立てるチャンスがあったことをもって、自然災害ではなく「人災」であるとしている。人災の「人」とは誰なのかは強制起訴された「東電刑事裁判」(注1)によって今後、解明されることを待ちたい。しかし結審に至り責任をとるべき「人」が明らかになったとしても、それで、フクシマへの歴史が好転し問題が解決し原発全ての困難が解消されるわけではない。
 前回投稿で紹介した日本原発の通史の一つと言える『原子力政策研究会100時間の秘密音源』を最後まで目を通すと、原子力村の人が悪意を持って原発と核燃料サイクル政策を進めて来たとは考えられない。むしろ資源の無い日本が敗戦後なんとか生き残るため、軽水炉をたくさん作る事ではなく、夢の原料であるプルトニウムを手に入れ、FBR(高速増殖炉)をつくり核燃料サイクルの道へ入り推進している。敗戦後、夢の計画を立てた。その時私は生まれていなかったが、立案者たちの気持ちは理解できる。原発使用済み燃料から分離プルトニウムとりだし濃縮し核兵器を保持しようとしてはいない。ただ高速増殖炉「文殊」稼働させて原子炉の燃料を増加させようとし結果、失敗するなど、誰も考えもせず、ひたすら資源貧国の理想である、高速増殖炉夢街道を進む。敗戦直後の父親世代を敵と定め否定する気にはなれない。歴史の必然だったように思う。

 戦後50年の1995年12月8日米開戦記念日に、高速増殖炉「もんじゅ」がナトリウム漏洩事故を起こす。
戦後66年2011年3月12日15時36分、東京電力福島第一発電所1号機が水素爆発を起した。同時に戦後の理想と夢が挫折し吹き飛んだ日だ。原子炉という「夢の玉手箱」、その蓋を東日本大震災が開けた、あの瞬間、原発の姿を福島にあるTV局の固定カメラから世界中へ送信され、多くの人々が目撃してしまった。六ケ所村再処理工場も満足に稼働せず、使用済み燃料から夢のエネルギー源を取り出す夢の作業も、あの映像配信と共に一瞬にして消えたのかも知れない。
 夢の後には鈴木達治郎氏講演録
 http://www.fullchin.jp/sunchild/suzuki/201606/04/0404.html  にあるように、核兵器換算で40発から50発分の高品質プルトニウム331kgを米国に変返しても、さらに多量の使用済み燃料と、MOX燃料用プルトニウム47トンが残っている。それらを地層深く埋め込む直接処分ができたとしても、半減期である2万4000年の間、だれが責任をもって管理するのか、できるのか。その問題が残ったままだ。

 教科書にも書いてあるだろうが、太平洋戦争を含む15年戦争を開始し敗戦に至った道程をふりかえれば、夢のエネルギー立案者の気持ちは分る。日本に暮らした先人たちが、地球を取り巻く帝国主義思想下にあって、エネルギー資源を手に入れようと、精神主義をかざして一度目の災をつくった。
二度目の災をつくったのは、夢のエネルギーを手に入れようと原子力村の人々が頑張った帰結なのだろう。夢のエネルギーを手に入れようと考えたその時、国民の多くは「頼もしい人々だ」と受けとめ予算も多量につぎ込んだ、そのことは推測できる。推測は誤りではないと思う。

311後、原子力政策よる悲惨な結末を消化するため、敵を見出して語ることで、将来身に着けなればいけない知恵を一つ失うことを確認しておきたい。原子力通史を経て思えば、原子力村と被災民の対立を離れ、第三の目と立ち位置を手に入れ語り合うことが、311後の課題のはずだ。事故後8年目に入ろうとする2018年末においても、その構えを見出すことはできない。そればかりか、原子力村を敵とし単純化する思考は、311原発事故後から強さを増し広がったままだろう。勧善懲悪のもと「自分の正しさは敵を見つけることで証明される」という思い込み。そのように世界を仕分・分析し思考してしまうことが、一般的なように思う。何度でも書いておくが、その姿勢は次世代に対して大きな過ちを犯す無責任というものであり、3・11原子力事故と災害の現実を克服する知恵には至らない。
日本のマスコミには少ないジャーナリストとしての姿勢と、質の高い作品のなかにある「敵を描く」その事を「フクシマの嘘」(ヨハネス・ハーノ記者制作)作品を通して考えてみたい。
https://www.zdf.de/.../die-fukushima-luege-106.html... 原子力村から眉をひそめ弾かれた者たちとして、井戸川元双葉町長や元佐藤福島県知事などが取り上げられている。動画に登場する順に文字にし、登場人物を見ていこう。

(日本語の文字記録 http://www.fullchin.jp/sunchild/deutsch/01/dd01.html   )

■1)首長と原発ロビー (桜井勝延元南相馬市長と同様)
井戸川元双葉町長と婦人「誰も原発事故とそれが引き起こした出来事の責任を取ろうとしない。恥知らずばかりだ」「日本では東電が好き勝手にしたい放題で、自分たちのことしか考えていません。政府はそれをそのままに放っておきます。政治家は原発ロビーのいいなりです。私は、それを世界中の人々に知っていただきたい」
(対立1)「双葉町民 対 東電+政府 +政治家+原発ロビー」被災民の現状を世界に知ってほしと訴えている

■2)汚染水指摘で現れた敵について
「馬淵澄夫氏( 2010年〜2011年の管政権内閣総理大臣補佐官)
放射能に汚染された水が漏れているかという質問をすると東電は、水は漏れていない。そんなことはありえないと、答えました。「地下水はどうなっているか」と聞くと東電は、心配は無用だ」と答えました。でも、それは私には疑わしく思えたので、そこで私は「地下水の検査をするよう」命じました。東電が嘘をついていたことは、すぐに明らかになった。産業界と科学者による馬淵氏の専門家チームは、毎日数十万リットルの地下水が福島第一の方に流れている、事を突き詰め。その地下水がそこで汚染され、さらに太平洋へと流れ出ることを懸念した。「それで一刻も早く食い止めなければならない」と急ぎました。ゆっくり構えている暇はまったくなかったのです。
 「それを早く食い止めなくては」と事故発生後から約3ヵ月後に当たる2011年6月14日馬淵氏は記者会見で彼の計画を発表することにした。福島第一を取り囲む遮水壁を地下に建設するという計画だ。しかし東電はそれに反対した。東電が記者会見予定の前日に作った極秘書類をZDFが入手したが、このようなことが書いてあった。
「わが社ではちょうど有価証券報告書の監査期間中であり遮水壁を建設するということになればその建設費用の記載も求めることになる」「しかしそうなれば 市場は激しい反応を見せることになるだろう。「わが社が債務超過に一歩近づくと思われてしまう。それだけはぜひ回避したい。」
 要するに東電は、遮水壁の費用を、一切出したくなかったのです。私は彼らにとって都合の悪いことを言っていた、私を退任に追い込んだのです。「馬淵さえいなければ」と彼らは思ったのでしょう。馬淵がいなければ馬淵チームもなくなる、と。私だけでなく、チームが全員いなくなりますから
(対立2)「馬淵(政府))+馬淵チーム 対 東電+株式市場+株主」
    裏には原子力ロビー(産業界、銀行、政治家、官僚、科学者、マスコミ)

■3)菅直人元総理大臣対原子力ロビー
事故発生後、いわゆる原子力村とすぐに対立した当時の首相も、辞任に追い込まれた。管元首相もさんざん誹謗、中傷を受けたが後日、これらの非難はすべて当てはまらないことが判明した。事故発生から3年後、その彼が激しく非難を展開している。
「背景にあったのは、いわゆる原子力村が私をできるだけ早く首相のポストからおろせということでした。これはまったくの陰謀でした。私は、そう受け止めています」
 (対立3) 総理大臣 対 原子力ロビー

■4)研究者から観ると
「研究結果を、もう絶対にマスコミには公表するな」というのです。その研究結果というのはいったいどのようなものなのか、訊ねた。基本的には、福島第一原発の事故後の状況に関する一切のデータです。私たちは現場サンプルを採集し汚染を検査しています。実際には、なにもコントロールなどできていないのです。その指示に従わなければ研究プロジェクトの予算がカットされ、彼の元で働く研究員たちが失業することになる。不安、恐怖を育む土壌。そして、日本のマスコミはこのテーマには怖がって触れようとしない、と彼は別れ際に語ってくれた。

(対立4) 研究者 対 研究費出資者(とマスコミ)
 顔を出して語る研究者 山敷庸亮氏の場合
実は阿武隈川流域一体で汚染が進んでいることが調査で判明しました。私たちの計算では、阿武隈川を通じて1年に約10兆ベクレルの放射性セシウムが、太平洋に放出されています。この量は原発事故直後に、海に流出した量とほぼ同じです。
それで、状況はコントロールされているのでしょうか?
 いいえ! 難しいですね。分析結果はさておき、これは基準値の問題なのです。日本政府は新しい基準値を設定しました。これによれば1キロ当たり8000ベクレル以上が危険ということになっています。これには驚いたんですが、それは、事故前の基準値は1キロ当たり100ベクレルだったからです。 それで、私たちが分析した値をもう一度よく見てみてくださいどれも8000ベクレル以下です。それで誰もが、大丈夫と思って忘れ始めているのです。しかし私自身は、この汚染は実は非常に高いと思っています。このことに世間はもっと注目すべきです。けれども誰もこの結果に関心を寄せないので、政府もなにもしないのです。
(対立4の2) 孤立する研究者 対 汚染の実情を忘却したい者たち+政府
 被災民の多くも事故の事実を受け入れる苦から逃れるために忘却するのだろうか

■5)住民被災説明会で現れた者
2011年に福島で行われた説明会で撮影されたビデオだが、これを見ると日本が公に健康の危険に関する評価としてどのような立場をとっているかが明らかになる。
 山下教授は政府に任命された、福島の放射線健康リスク管理アドバイザーだ。放射能の影響はニコニコ笑っている人には来ません。くよくよしている人に来ます。これは明確な動物実験で解っています。日本政府は非人道的です。それを私は確信しました。まったく情ないことです。国民がことごとく馬鹿にされているのですと警鐘を鳴らしているが。
さらに加え、病院対県立医大という構図も描かれている
私は病院から、検査をこの病院でしたということは黙っていてほしいと頼まれました。ですから、検査をしてもらった病院と医者の名前は言うことができません。
 (対立5) 被災民 対 山下教授+医大+フクシマ内医師+福島県+政府 

■6)ヨハネス氏の前作 30分版から「フクシマの嘘」の対立関係を見よう
(日本語文字記録 http://www.fullchin.jp/sunchild/sakurai/05/uso01.html 
下請け業者からみる
福島第一とフクシマノ第二の間を股にかけて仕事をしてきた。ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで、その人たちの言うことなど誰も本気にしません。日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。原子力村、というのです。彼らの哲学は、経済性優先です。この原子力村は東電、政府、そして大学の学者たちでできています。彼らが重要な決定をすべて下すのです。

 (対立6)  下請け業者対東電+大学内の科学者 
・6の2)GE下請けの者
アメリカのジェネラルエレクトリック社が建設し、それ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。そして、フクシマでは何度も問題があった。
東電は、点検後、なにをあなたに求めたのですか? 亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。つまり、黙れ、ですよ。何も話すな、黙っていろ、というわけです。
 (対立6の2) 東電 対 GE 

■7)佐藤元福島県知事の場合 
  福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届き、その中にはスガオカ氏の告発も入っていました。経産省は、その内部告発の内容を確かめずに、これら密告者の名を東電に明かしました。それから分ったことは、私も初めは信じられませんでした。東電は、報告書を改ざんしていたというのです。それで私は新聞に記事を書きました。そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と。
 それでやっと官僚たちも何もしないわけにはいかなくなり、17基の原発が一時停止に追い込まれた。調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し、安全点検報告でデータを改ざんしてきたことを明らかにした。
 それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。東電社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが、皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。彼らは佐藤氏に報告書の改ざんに対し謝罪したが、佐藤氏は安心できず、原発がどんどん建設されることを懸念した。そこで佐藤氏は日本の原発政策という「暗黙のルール」に違反してしまった。2004年に復讐が始まった。
 12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。この疑惑は、完全にでっち上げでした。弟が逮捕され、首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。彼の名はノリモトという名で、遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に圧力がかかり始めました。少し私の悪口を言うだけでいいから、と。中には2、3人、圧力に耐え切れずに自殺をする者さえ出ました。私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。
 それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。裁判で彼の無罪は確定されるがしかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。
(対立7)福島県知事(県職員)通報者 対 東電+官僚+裁判官+検事たち+記者クラブ
8)原子力ロビーの敵はいなくなっか
 原子力ロビーからみた敵は、全て追い落としに成功し、原子力ロビーから監視が網の目が細かく張りめぐらされて、原発に対する批判が全くなされない環境が作り上げられてしまいました。ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて国全体にはびこる問題なのです。誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。

対立8) 私 対 原子力村に封じ込められたままの私

■ヨハネス・ハーノ記者の優れた作品は「私 対 原子力村に封じ込められたままの私」というフクシマの現実の姿を教えてくれる。それは、サンチャイルド設置事件によって「対立している市民と善なる私」という構造を市長が仕立てあげ市民に押し付けた、あの姿勢と相似だ。その事実をそのまま放置している私を照射している作品でもある。
■(ざっととまとめ 課題)。暴力団と除染作業員のブラックな関係には触れなかったが、大震災によって多重防御としていた最後の命綱・外部送電は、311の大きな揺れには耐えられず倒れてしまった。ターンキー契約によって、GEの設計ミスを長年見過ごし続け、津波対策を怠り続けたことでディーゼルエンジン・非常用発電は起動せず。それは原子力ロビーの不作為と、安全神話の中に暮らし続け身近なエネルギーの未来を、日常において話題にしてこなかった市民、私たちの無関心さも露わにした。この二つの事実を大津波が暴いてしまった。
原発事故後の事実も調べ市民それぞれが、あの災害の記憶を継承し、次の世代に伝えようとする姿勢も、福島市刊行『東日本大震災の記録』の中に見出すことは出来ない。世界史に記録された3・11福島原子力発電所の事故を、敵を探す行為を続けることで、さらに不作為を重ね繰り返すような気配である。
「勧善懲悪によって世が善へ向かい動いている」という理念に、改善を加えることをサボータージュしている。原発事故やサンチャイルド設置事件後に起きた、私とあなたの幼児的行動と不作為を続ける姿を、次の世代へ記録を残し、伝える努力をせよと、今でも福島に暮らす私は、次世代から要求されているように思う。
■次の投稿は チェルノブイリ原発事故後、今もチェルノブイリ原発と共に暮す人々の声を通し、まとめに書いた「その後もフクシマに福島に暮らす私の課題」をどのよう消化しフクシマを暮らし続ければいいのか、その事について考えてみたい

 ■☆☆
 注1)東電元幹部3被告に禁錮5年求刑 強制起訴公判
毎日新聞 2018年12月26日 17時19分(最終更新 12月26日 17時26分)
東京電力元会長の勝俣恒久被告
東京電力元副社長の武黒一郎被告
東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣3人に対する東京地裁(永渕健一裁判長)の論告公判で、検察官役指定弁護士は26日、勝俣恒久元会長(78)、武黒一郎元副社長(72)、武藤栄元副社長(68)の3被告にいずれも禁錮5年を求刑した。                                       

■2018年12月21日 ・

サンチャイルドの敵とは誰? 居るのか?
「敵を想定すべきじゃない」「原発事故への怒りは理解するが、対立姿勢を仕立てるのは時代錯誤だ」と考える。それは敵を想定することで敵なる者から、過酷事故の経過、原因、反省と対策、そして次に備えなければならない知見を、対話によってつくりだし共有する機会を失う事になるからだ。福島市民の半数以上がサンチャイルド設置に反対しているとし、対立をそのままにし、早々に撤去した市長サイドから見ると「甘いね」と思われるだろ。だが、後に紹介する『原子力政策研究会100時間の秘密音源』(注1)に目を通していただくことで、敵なる人々に「いかに語らせるか」それが原発事故へ至った、その歴史を検証する手法として重要な一つだと分るはずだ。彼らを敵とし想定し、攻撃姿勢をとっても一時的に解決した気分になるだけだ。福一原発事故の経験を咀嚼共有する範囲を狭くすることだ。
 現在も続いてる無念で悲惨極まる愚かな事故後の体験を、次世代への知恵として伝える事は、敵を探し出し定め憎み罵倒する事より大切だ。さらに加えれば、現在も事故現場で働いている、原発被災民である数次下請け労働者(注2)を含む隣人たち。彼らを敵と見なす行為へ繋がり、彼らへの差別意識を生み温存し続けることになるだろう。

■前回の投稿には木村英明記者を、社内の害敵とみなし記事を取り下げた。その事で朝日新聞社は「記者はこう見た」に書かれている「教訓」を共有するために必要な追加行動を怠ってしまった。それだけ記事取り下げに懸命になりすぎのだろう。彼を窓際においやり、会社から叩きだすことは簡単だった。しかし彼が書いた教訓をさらに掘り下げ話し合い「原子力村&原子力ロビーの人々」(注1)に書かれている人々と、被災者を含む原発立地の人々と語り合うことで生み出すことが可能な知恵、さらにそこで獲得できる知恵を共有する機会を消滅させた。その責任は大きい。
 投稿した参考画像=記事に「その教訓」は書いてある。「・・吉田調書(注3)が残した教訓は、過酷事故のもとでは原子炉を制御する電力社会の社員が現場に居なくなる事態が十分におりうるということだ。その時、誰が対処するのか。当事者ではない消防や自衛隊か。特殊部隊を創設するのか。それとも米国に頼るのか。現実を直視した議論がほどんど行われていない・・」

■東電から被災者と認定された自分が、あの体験を経て「教訓」を読むと「そうだよなー」と思う。余震が15分間隔で続く中、3月12日から、福島第一原子力発電所の原子炉付近が次々に爆発する映像などに接した。もしかすると福島市の俺も「全機爆破つで死の灰を浴びで死ぬ事になるかも知れない」そんな恐ろしい事態も想った。事故詳細や対処の現実・現場の事を何も分からず、異様な高揚状態が2年ぐらい続いた。(今だにそうかもしれない)
 放射能・放射線量による被曝の実態を知り、対策しながら「正しく怖がる」術を持ち暮らせるようになるには、時間と知るための行動を要した。原発事故現場で何が起きていたのか、「余震が続く中で最も危険だ」と言われた4号炉の使用済み燃料が1300本ほど。それが天空に浮いたような恰好で大きな余震が来たらどうなるの。再度放射能をまき散らす。知らない間はそんな事に怯え続けた。
 一方、冷静に「原発事故を沈下制御させるために、誰が数十年働くのか、働いている者には家族がいて、彼の無事を祈る伴侶が居るはずだ。彼には高線量の被曝してまで頑張り続け、そこで死んでも原子炉の最悪な状況を押さえてくれ!。そう誰が言えるのか。言っていいのか。言えないけど、何とか頑張って原子炉の連続爆破暴走を止めて欲しい。そうしてくれないと、原発と無関係に暮らして来た多くの人の営みは、根こそぎ日本の大地から消されてしまう」できることは、心の中で祈るぐらいしかなかった。
 「教訓」にあるように、過酷事故のもとでは、誰が原子炉を操作し鎮めるのか、全く分からないし議論されていない。その事を思い出す。

■今日、全ての東電社員と全ての下請け業者が福島第一原子力発電所事故現場から、逃げ出したら、誰がその後の過酷な仕事を続けるのか。朝日新聞が記事を取り消したことで、54機の原子炉を抱える地域の人や被災者と、敵なる者達とが討議し、今後の対策を立てる機会を失わせた、マスコミの態度。そのことは次世代に対して無責任極まると考える。

■「敵なる者たち」と対話することがいかに大切か。その事例に移ろう。
元東電副社長の豊田正敏氏は、原子力発電所を造る過程で津波対策に目が届かなかった理由をNHK取材班に語っている。
『原子力政策研究会100時間の秘密音源』p280〜「スペインで造るものと同じものにすれば設計も製作図も、そのまま使えるから安くします」とGEが言ってきた。・・福島の1号機を造るにあたり、GEと東電は原子力発電所のキーを受け取って、ひねって回すだけでいい、ターンキー契約で契約を交わした。なんでもかんでもGE任せていれば発電所は出来る。ほぼGE任せにすればいいんだ」知識も技術も無かったなかで経済優先するためにとった姿勢が記録されている。
 「GEのポンプは10mしか海水をくみ上げる能力がない、・・設計も工事も全てGEにお任せなのだ。設計を変更指示をだすと高額の追加請求が来ちゃう。なので海抜35mの福島の大地を25m削ってしまった。(掘削の様子や工事前準備の様子など観ることができる 参照動画:「黎明 -福島原子力発電所建設記録」日映科学映画製作所1967年製作 https://www.youtube.com/watch?v=Ayh_PveSU6g&t=257s )
 「そのままの35m大地でつくれたかもしれないけど、非常に高たかいものにつく」発電の単価が高くなるので火力発電と比べ採算に乗らないということだ。
 もう一つターンキー契約によって不幸を招いてしまった事がある。「非常電源を供給するディーゼル・エンジンがタービン建屋の中にあることに気付かなかった。GE下請けのエバスコ社の設計ミスでしょうね」と豊田正敏氏は語っている。「40年ほどその事に誰も気付かず、大津波で非常用発電機は駆動することなかった。外部電源を確保していたが、3・11の地震で鉄塔が倒壊した。その事で外部からの送電機能が停止した。(p188)
 さらに、漁業補償費が高いので1機づづ毎回交渉せず、4機まとめて交渉(P216)。その事が複数炉が同時にメルトダウンする世界初の事故となった。

■『原子力政策研究会100時間の秘密音源』を著したのはNHKのジャーナリストたちだ。彼らの優れた仕事によって、敵なる人々(原子力村人たち)に、多く語らせる事が後世の者にとって有効な知見を得るための情報源となる。その事が分かると思う。目先を変え新奇な事態をつくり出すことより、今起きている事実を丹念に拾い集める努力を続ける事でのみ、次に有効な事態を手に入れる可能性が高い、と考える。敵を作り出すことは311後の社会にあっては時代錯誤だと言える。
 直近の課題はサンチャイルド設置によって明らかになった分断と対立、それを解消し賛否ではない合意形成の手法を見つけ出す事だ。その努力を私を含めた福島市民が怠っている状態をどのように転換させてい行くのか。
 たぶん福島市議会でほとんど討議されていない、サンチャイルド設置の時に市長が語った、最大の目的であった原子力災害の記憶の継承がどのような経過かを辿ることで成るのか、興味は尽きない。
次の投稿は、先の投稿をもとに「原子力村・原子力ロビーから追い落とし」などの被害を受けたと語る方々の事を、ドイツ人ヨハネス・ハーノ記者報告 「フクシマの嘘」を通して考えてみたい。(動画内肉声を文字にした記録 http://www.fullchin.jp/sunchild/deutsch/01/dd01.html 
 桜井勝延元南相馬市長のように怒りをマスコミ、東電や原子力ロビーにぶつけたままで、それを乗り越えるめの対話の努力はされているのか、していないのか。誰がそこにある対立者同士に架橋し、対話の場をつくるのか・・など。

☆☆☆
(注1)『原子力政策研究会100時間の秘密音源』は詳しく書かれているが、ETV特集の一部がYouTube「シリーズ原発事故への道程 置き去りにされた慎重論}
 https://www.youtube.com/watch?v=YHHw4jHRqeQ&t=205s 

( 注2)福島県内の被災民が原子力事故によって仕事を奪われ、原発事故処理の下請け労働者なった事例が記録されている。「ETV特集 ルポ原発作業員〜事故から3年 それぞれの選択」 ('14年8月8日放送) https://www.youtube.com/watch?v=rmSfhXN-7n4 
(注3)吉田昌郎元所長への『国会事故調』徴取結果など追い検討した海渡雄一弁護士による「PRC見解-事実と推測の混同」が『いいがかり』に収められている。
 「裁判資料として制作した」 映画『日本と原発 4年後』この映画は海渡雄一弁護士が脚本編集を行い、河合浩之弁護士などレポータを務めたという。YouTubeで完全版が公開されている。
https://www.youtube.com/watch?v=WQvEdNXm_bk&t=235s )
 河合氏は、サンチャイルド像を福島市に寄付させた「ふくしま自然エネルギー基金」設立の支援当事者でもある。「原発対自然エネルギー」の対立に回収されそうで現実はややこしい


■2018年12月18日 ・

桜井勝延(元南相馬市長)様・訴える内容今は違うと思います
(自然エネの連中もサンチャイルドも敵を東電と見立ることで奮い立つ、システム人間だし、なんて古くせーんだろー)
彼はその時こう感じた
 2011年3月15日午前6時すぎ使用済み燃料がたくさんある4号建屋が爆発したことで、午前11時、福山哲郎元官房副長官が「20〜30km圏内の6万2千人に対して屋内退避を指示した」(朝日新聞2014年9月14日4面)そのことで道路にバリケードが設置され、外部からは生活物資を運んで来る者が居なくなってしまった、「兵糧攻めに遭っている」と強く感じた。さらに市の記者クラブにからメディアが逃げ出した。
 南相馬市の現状を発信する者が居なくなった、周りで何が起きているのか?TV情報と電話連絡のみになったのだろう。待てど暮らせど来ない福島民報・民友のマスコミ人。新聞も配達されない。(いつから配達されたか調査中)
 2011年3月24日YouTubeにて訴えた、が3月末までに応じ来たのは海外メディアのみだった。と言う。
(15日前後の大混乱時期の発電所事故現場の事は今も解明され尽くされていないが、その時の吉田所長の証言について、2014年5月20日朝日新聞記事を参考にしたい。この記事によって「朝日叩きメディアスクラム」が起き、新聞史上最悪の大事件になった)
 桜井さんの発言に戻る。

■「第一原発から20kmから30kmの範囲が、屋内退避措置という事で、物資もなかなか入りずらい状況に置かれております。政府からそして、東京電力からの情報もかなり不足をしている状況です。」 「メィデアの方々も直接入って来るメディはほぼ少ない。テレビ取材する事なく、電話取材が圧倒的に多いのが現実でございます。現場を知らない、現場を直接取材しなければ、市民の今の実情が伝わりません。是非とも現場に入って頂いて、多くの方々に、この現場の現状を知って頂きたいと思います」
(海外メディアは来た)
「3月24日に私がYouTubeで世界に向けて、南相馬市の現実を発信したときに、3月末には、もうすでにヨーロッパを始めとして、世界中のマスコミがタイベック・スーツを着て私の所に取材に来ている訳ですよ。」
 ★参考動画:(ドイツ取材班の記録なのだが、取材対象は南相馬市ではないけれど、記者クラブ内取材人とは突っ込み編集が違うので参考に貼る http://www.fullchin.jp/sunchild/sakurai/05/uso01.html   )
■自主避難された5万に連絡のつけようもない。全国何百か所に市民が退避をしたのかさえ、掴めないのが現状です
(詳細  http://www.fullchin.jp/sunchild/sakurai/01/katu01.html 

■桜井市長は時を経て当時をどのように振り返り、訴えているのだろうか。
 4ヶ月ほど前の 2018年9月1日このように訴えている
(東電から連絡がない)
「3月12日の3時過ぎに爆発事故起きた時には、何が起きたかさえ南相馬市には連絡が無いわけでありまして。東電と協定を結んでいた浪江町にさえ連絡が来なかった。南相馬市に東電から連絡が来たのは3月22日です。」
(腐乱し続ける遺体 家畜の共食い)重油が無く火葬できないのか・・。
「遺体が腐乱状態になって来る時に、家族から叱られ懇願され、「家のお父さんを、家の家族を一刻も早く焼却して欲しい」と。「お父さんが腐って来ているじゃないか」いう事を言われました。」
(南相馬市日本一507人の関連死)
など、当時を振り返り、日本国憲法を守れ、と 東電と政府に強い怒りを露わにしている
(桜井氏の訴え内容を長いので2頁にまとめた 

 http://www.fullchin.jp/sunchild/sakurai/02/katu02.html http://www.fullchin.jp/sunchild/sakurai/03/katu03.html  )
★桜井氏の訴えはすこし間違っているのではなだろうか

■国会事故調の提言と桜井氏の発言比べて考えてみたい
提言は2013年半ばに公開されていたから、桜井氏は国会事故調の提言にしたがって政策を実施せよと訴えるべきなのだろうか。怒りの相手は3者(システム)だ。官邸(政府)規制当局(監視・監督機能が崩壊したのだから経産省と保安院)東電(事業者)に向けるべきだろう。さらに加えれば福島県選出の代議士たちへだろう。

■住民避難について国会事故調(福一原発事故後16ヶ月)を見て再確認しておきたい。
(人災だと明言している)
 当委員会は、本事故の根源的原因は歴代規制当局と東電関係について「規制する立場とされる立場が『逆転関係』となることによる原子力の安全性について、の監視・監督機能の崩壊」が起きた点に求められると認識する。何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことを鑑みれば、今回の事故は「自然災害」ではなく明らかに「人災」である。(提言1に対応)
(住民避難について)

 当委員会は避難指示が住民に的確に伝わらなかった点について、「これまでの規制当局の原子力防災対策への怠慢と、当時の官邸、規制当局の危機管理意識の低さが、今回の住民避難の混乱の根底にあり、住民健康と安全に関して責任を持つべき官邸及び規制当局の危機管理体制は機能しなかった」と結論づけた」(提言2に対応)
(体制の見なおしについて・・・自治体が中心となって・・・政府と自治体との見直しをせよと提言しているわけで、彼らを敵に見立て勢いに任せかたるのは、いくら怒りが貯まっているとは言え、リーダーなら「共に、一緒に答えを見つけよう」と訴えるべきだろう。)

提言2: 政府の危機管理体制の見直し
緊急時の政府、自治体、および事業者の役割と責任を明らかにすることを含め政府の危機管理体制に関する制度について抜本的な見直しを行う

1)政府の危機管理体制の抜本的な見直しを行う。緊急時に対応できる執行能力のある体制づくり、指揮命令系統の一本化

2)放射能放出に伴う発電所外(オフサイト)の対応処置は、住民の健康と安全を第一に、政府及び自治体が中心になって、政府の危機管理機能の基に役割分担を行い実施する。

3)事故当時における発電所内(オンサイト)での対応(止める、冷やす、封じ込める)については第一義的に事業者の責任とし、政治家による場当たり的な指示・介入を防部仕組みとする。
提言3:被災住民 に対する政府の対応
被災地の環境を長期的・継続的にモニターしながら、住民の健康と安全を守り、生活基盤を回復するため、政府の責任において以下の対応を早急に取る必要がある。
1)長期にわたる、健康被害、及び健康不安へ対応するため、国の負担による外・内部被ばくの継続的検査と健康診断、及び医療提供制度を設ける。情報については提供側の都合ではなく、住民の健康と安全を第一に
住民個々人が自ら判断できる材料となる情報を開示を進める

2)森林ある河川を含めて広範囲に存在する放射性物質は場所によっては増加することもあり得るので、住民の生活基盤を長期的に維持する視点から、放射性物質の再拡散や沈殿、堆積の継続的なモニタリング、及び汚染拡大防止対策を実施する。

3)政府は、除染場所の選別基準と作業スケジュールを示し、住民が帰宅あるいは移転、補償を自分で判断できるように必要な政策を実施する


■2018年12月15日

今夜はフクシマにおけるマスコミが残した課題について
線量計を測定するために原発周辺には、モニタリンポストは今でも要る南相馬市より線量が高い福島市に避難した、事実は記憶したい)

■南相馬市桜井市長の言葉からあれこれ思い記録。
桜井市長は「我が家の記者クラブがモヌケの殻になってしまい、実情を伝えるマスコミが役立たない事に気付いてしまいました」裏切られたと思ったのかもしれませ、しかたなくYouTubeで2011年3月24日世界に動画配信しました。
https://www.youtube.com/watch?v=YsbjfoyNNjA&t=20s 

 この動画配信によって一躍世界中から注目を浴び、米国タイム誌から、2011年版の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。その事を多くの人は記憶している
(動画のmy作成文字記録 http://www.fullchin.jp/sunchild/sakurai/01/katu01.html  )

■桜井氏は招待された日本記者クラブで
「 2011年3月12日、福島県の民報新聞、民友新聞も 南相馬市の市役所内には記者クラブが在るんですが、原発が爆発をして、その直後から残念ながら、日本のマスコミと言われる人たちは南相馬市から去って行きました。戻って来たのは6月になってからだと思いますし、それも線量計を付けて、なんとかこわごわ入って来ました」と問いました。

■その時「民報」はどのように状態にあったのでしょうか。内密に会津若松市に本社移転を相談していた事を先日紹介した。
 今日は南相馬支社にM記者とsS記者について、内部資料を読んでみました。彼らは民友新聞社の仲間K記者が不明になっていることを案じております(三週間後遺体発見)
本社機能も混乱をきたしていて、社員の安否確認に追われまくっていて、新聞づくりの場は戦場に化していた。その様子も内部資料で詳細に分かります。
 翌12日双葉町によった民報A記者は井戸川町長に「こんなところに来るな、早く帰れ!」と吐きすてられたと記しています。
15時16分一号炉水素爆発した事で「あの爆発なら、放射能物質も相当拡散しているはずた、一刻の猶予もないぞ」と浜通り記者と、通信手段がと絶えたなか「浜通りから中通りへ避難させろ!どうか原発には近づかないでくれ!」と、皆が祈るような思いで 安否確認しまくりの連絡をしたと記録されています
 13日は会社内で炊き出しし、女性社員は握り飯づくりで、新聞社と言え「現在だれが一番悲惨な状況にあるのか、そこへ行け」と冷静に判断し、行動する余裕もなく、他人のことなど考えている暇はなかったのだ。目の前に生きている者の飯!と仲間を案ずることが優先していた。
■線量計を記者、誰も持ってはいないし、本社にもなかっただろう。(内部を調べてみたい)
3月15日に最も線量が高い福島市は24.04 その時南相馬市は4.83μSV/h。中通りへの避難指示は線量の高い場への避難を指示したことになる、なんとも滑稽だったのだが、新聞社も線量情報が無い、その事をしめす事実だろ

■ 2011年3月13日 私はツイッターでフリーランスの方々が双葉町に入り報告している動画を観た。早稲田大学石橋湛山記念ジャーリズム大賞記念授業によって独立系ジャーナリストの動向はTwitterなどで知っていた。
双葉町に入った綿井、豊田、野田、広河氏などによる報告で、彼らの移動から福島市もかなり汚染されていることを知った。を文字にして公開した。
あおるな、大げさだと叩かれたのは懐かしい。メールで苦情を言う者もいた。単に警鐘を鳴らしたが、あのような混乱期は色々ある。今でも混乱していると言えるか
(その記録 http://www5c.biglobe.ne.jp/.../2011higasi/20110314htm.htm  )

■2011年4月13日に行われた、被爆二世である今中哲二先生による「放射能汚染調査から見た福島とチェルノブイリ」を記録しフクシマが、どのような放射能汚染状態なのか、それが腑に落ちた。
その記録
http://www.fullchin.jp/.../www.../f/imanaka/01/01.html  
 
福一が最後の事故にしてほしいが、原発発立地周辺には、モニタリングポストは要る。そこから知り得る情報を、瞬時に共有し避難する仕組みは作っておいた方が、もう、万が一のために被ばく量を少なくできる



■2018年12月11日 ・

「水爆と原発とサンチャイルド設置事件]」に今日から戻ります
■ 今夜から、鈴木達治郎先生の講義録を少しずつ投稿します
  今夜作ったweb記録です http://www.fullchin.jp/sunchild/suzuki/201606/01/0401.html 

■上記web記録の内容は鈴木達治郎先生が2016年03月02日長崎 特別市民セミナー「核兵器と戦争の根絶を目指して」講義された動画を元に文字にし記録にしてみました。(動画はhttps://www.youtube.com/watch?v=bupdmYBcIJk ) 

■東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きるまで、ほぼ安全神話に浸り続けました。1995年阪神淡路大震災は日本が地震活動期に入ったことを告げていましたが、原発事故を考えない、考えたくないので、根拠の無い神話に浸りっきりって、のんびり暮らし続けていていました。原発だらけの日本で「核兵器と原子力 違いと共通点」を真面目に勉強したり習ったりしたくない、そんな人が大多数の一般人だったと想います。
福島で事故が起きてから「何にも知らんなー」その事が身に染みて分かりました。原子炉の停止、冷却、放射能を格納容器から出さないは常識なのですが。原子炉が停止しているにも関わらず、「核分裂が続いてメルトスルー=原爆のような爆発になるのか」なんて、阿保丸出しだったわけです。
 それに上乗せしたように、1、3号炉が水素爆発の映像が引っ切り無にスマフォ動画から流れ来たことで「連続爆発で福島市は汚染されたんだ」と、当時は思い込んでしまっていました。事故から数か月たって、ようやく2号炉が壊れ、2011年3月15日、滅茶悪く、南東の風に乗って放射能と雨と雪が共に福島市を襲い来まして、放射能が沈着してしまいました。そんな事も知らない!で「恐ーい!、死ぬかもなー」と大きな声で言うと、「不景気風が風てた福島に、飯の種が出来ちゃったー」と放射能汚染大好きと語る、男たちから、あざ笑われました。(変な人間の存在を許しますが、いかれているね)
 日々暮らしている大地から放たれる放射線量は知らない、計測器がない、支援物資で我が家に送られて来たのは中国製のそれ。計測してみると10μSV/h なんじゃこりゃー計器壊れているわーと思い、二度と計測器は使わなかった(中国品は出鱈目という偏見だったのです)
 福島市内には県の保健所にしか線量計が無く、my線量計を持参している者など、いるはずもなく(今は多くの市民が簡易線量計を持っている、が使ってないだろう)3月15日に16時10分4.13。16時40分13.58、18時40分24.24μ?/hの最高値を記録し、その後はすこし下がり16日9時30分20.1と再び高くなりました(放射線量は、福島市刊行『東日本大震災の記録』より)

■放射線高い日俺は何をしていたのか、2011年3月震災後、多量に呟いていた。15日と16日のツイッターログの一部を見返すと、迫るなー
■15日
(posted at 20:26:08)ラジオから佐藤雄平・福島県知事のメッセージが流れていた。相変わらずの国の下請け続けます。飼い犬が吠える内容。異常時の政治の現状を確認は出来た。海水を投入決定した時点で福島第原発は廃炉なのだ。死地を抱えた県知事だから(東電+国)vs福島県」解消!情報を共有させろ!と迫る機会をのがしちゃったよ。

(posted at 20:03:26)@★ D感謝 提案の件了解。原発難民が市内に8500人ほど暮らし一杯のようです(東さんはどこかに疎開と呟く=通例、金持ち海外当たりに逃げる)東北方面のJRの路線が復旧するのは半年以上掛かるな〜と推測中。落ち着いたらお願いします。もうすこしお待ちください
(posted at 18:24:27)「風呂に入りたい。地震列島に暮らす者たちは 「浴場と炊事場」を「災害ハウス」としてシェア運営する義務をもうけようじゃないか。普段は旅人に低料金で開放し 非常時に偶然そこに居たもの全てが使える「(仮称)災害ハウス」 近世期には「お寺」が担っていたんではないのか?今夜は雪がふり積もるよ」
■16日「
(posted at 00:47:41)放射性物質の拡散シュミレ → http://bit.ly/ep5I5K あるのは知ってたけど 誤差があるだろうと貼るのをやめていた(位置については100kmの不確定性があって当然の計算であることを知った上で見てください)100kmも誤差がある!ないよりましの気分図 藁を掴む県民です
(posted at 00:28:08)@★ 俺の皮膚は爬虫類のそれに似てきたよ 明日当たり両腕から翼が生えてきます。ガソリンが無くっても、キングギドラはどこへでも飛んでいけます。待ってて、まっててください。その前に「ちょいと福島原発を火を噴いて蒸発させちゃいますので。あ人間が作業してたな〜・・」と悩むキング偽ドラ

(posted at 00:18:46)わいいわいーいい。今なら言える 俺はいつも1週間に一度しか風呂に入らないがははは 

ツイッター過去ログを離れて鈴木先生の話にも撮ります。数日公開し続けます。主要な内容は
■核兵器と原子力 違いと共通点
1)核兵器と原子力の共通点と違い
2)原子力平和利用が拡大していったら、どういう心配があるのか
3核燃料サイクルによってプルトニウムが出て来る
■ 今夜の記録の内容は以下
〇核兵器と原子力の共通点と違い
〇平和のための原子力演説"Atoms for Peace"
〇核兵器と原子力の違い(高濃縮か低濃縮ウランか)
〇原子力の最大の悩み
〇原子炉は低濃縮ウランを使用(トンか、キログラムの使用)
〇プルトニウムの入手は簡単
〇平和利用と核不拡散について

■2018年12月9日 ・

福島市中央で24.24μ?/h(2011年3月15日)
「誰がいつ報道したの」現在、県紙を現在調査中
今夜も横道。派手な爆発でじゃなく3月15日2号炉割れ汚染

■正力松太郎が戦後も政治家となり、原子力推進し首相の座を目指しマスコミを活用したったことは知られています(読売新聞、日本テレビを手に収め)
1955年10月26日の読売新聞記事のように(米国CIAと協力して『原発・正力・CIA』)「原子力の平和利用展」を全国各地で開きました。広島では平和記念公園で開かれ109、500人が入場。日比谷では367、669人、最も多い80万人は岡山県内庁開催(『戦後日本のメディアイベント』より)平和利用展開催から原発への舵が一気に切られました。現在そのことを多くの人が知っていると思います。
 県内の毎日系だか県庁広報部の民報であれ、読売子会社の民友においても、さらに県でつくった、フジサンケイ系のテレビ局FTVなど、県内のメディアは、販売部数がダントツ読売新聞に忖度しつつ倣い、記事を書かいて来たことは周知の実と言える。(私の亡くなった友は1980年初頭に、日テレ形列である福島中央テレビに在職し、原発を推進した中曽根系政治家の不正を暴いたことで、テレビ局を首に成りました。辞めた。それが中央マスコミに逆らった唯一だと私は思っています)

■調査中の最も高線量はいつだった、の件に戻ります。 我が家の周辺は最高線量は22と記憶していた。昨日、県図書館で借りた福島市刊行の『東日本大震災の記録』で再確認したが3月15日24.25μ?/hだった。福島市内で最も線量が高かった地域は、私が18年才まで育った大波地区で、2011年5月2日から7月11日までの平均値が2.24μ?/hでした。福島市中央の1.4倍ほど。粗いですが大波地区で線量が減らないとして年間211o?の被ばく量となっていた。

■放射能影響予測システムSPEEDIが瞬時稼働しなかったのは東京電力からの放出原量が知らされなかったためでした。2013年に語られた、元気象庁の方の講演録を貼っておきます。
http://www.fullchin.jp/f/spe/11/11.html 
会議の内容データが公開され、映画になった東京電力テレビ会議を観ると、東電はf1サイト内の汚染量を刻々連絡し合っていて.汚染量や放出量を知っていたことが分かります。しかし福島県サイドはその数値を公開しないよう東電に要請して(たぶん現知事)いた事が映画で語られています。
今日は、記事や記録を見調べ、重ねることでしか、あの日起った事実を知ることは出来ない。その例として福島市内の高線量の日の事を書いてみました。

■『 チェルノブイリダークツーリズム』を眺めますと、事故当時福島第一原子力発電所の中で働いていた人が中心人なることでしか、あの事故の詳細は分らない、彼らの記録参加なしには、福島原子力発電所事故を真にせまり記録し、あの事実は伝えられない。その事に突き当たります。
ですから昨日投稿したように、福一サイト内を敵とみなしては、全く益がないばかりか、自ら事実を知る一つの道を閉ざすことをしていることに気付くべきでしょう。
 当時原発事故の被害を最小限にするため、必死に働いた人々を敵と設定しては誠に拙い。彼らは民報新聞2102年12月7日の報道によると、サイト内で最も多い被ばく量が(よく生きてますね)12、000ミリシーベルだったそうです。1万o?超が2人だった。
凄い被曝だ!

ツイッターから落ちて来たドイツの画像、この動画で汚染度を想像することが出来た https://www.youtube.com/watch?v=L6ysi7GooD4

■2018年12月8日 ・

「友と敵」を脱して語り合うために
■サンチャイルドは「水爆と原発事故」から生まれ出た
なので鈴木達治郎先生による「核兵器と原発の現在」について「核」の多重なる板挟み問題に入る予定でした。ですが、たっぷり情報が詰まっていてweb頁ができてません。
 なので、今夜は横滑りします。フクシマで起きた「友と敵」についてメモします。

■2011年11月22日、大阪万博記念公園にてサンチャイルドをお披露目したあとヤノベケンジさんは満面笑みをたたえてながら「サンチャイルドのモチーフはミケランジェロ作・ダビデの像である」語っていました。
http://www.fullchin.jp/sunchild/yanobe/20111122/banpaku.htm 私には「敵」に向かって立つダビデの像をモチーフにする作家の意志に、いささか驚きました。それは21世紀現在において「友と敵」に仕分けし事物を語る論法に嫌悪さえ覚えました。(確かにトランプ風手法そのものではあるが)さらに言えば「時代錯誤野郎」とレッテルを貼りたい気持ちでもあります。

東京電力を「敵」と設定し、東京電力福島第一原発事故の1、2、3、4号炉の事態をあれこれ語っても「フクシマの事態」は解決しない(廃炉作業員たちはフクシマの敵たちなのか)。そればかりか、事故以前の経過も飛ばすことになるし、廃炉作業さえ目途が立たないあの4つの原子炉から電気の供給を受け首都圏をはじめ多くの者は栄えてきた事実を棚上げし語ることになります。その愚かな姿を想像するにつけ、「友と敵」で語ろうとする「私の存在」そのものに呆れ果てるわけです。3・11以降、私は被害者でもあるし加害者でもあります。人はいつでも加害者なるのだは常識のハズですが、そういう構えで考える、21世紀の視線が欠けていてると思います。(作家は何をやっても許す立場です)。
ヤノベさんの設置会見での言葉をおさらいしてみましょう。

「 ダビデの像は宿敵ゴリアーデに立ち向かうエーゲ海の少年(イスラエル国王の二代目統治者)の巨大な5mほどの大理石の像なんですね。巨人、巨大敵に立ち向かって二本足で、今まさに石を投げつけてコリアテを倒そうとする。(巨人コリアテとの戦いに臨み石を投げつけようと狙いを定めている)少年の睨み付けた像ですよね。左斜め上を見て、手には石を投げるための道具を持っているという。」
おいおい フクシマ問題の多重板挟みを棚上げし単純に「友と敵」仕分けして語るサンチャイルドを制作し福島に持ち込まれてもなー・・今時あんたは馬鹿じゃん。そう思いました。ですが、ふくしま自然エネルギー基金の方々も原子力発電を「敵」とみなすことでのみ、頑張って事業展開が果たせる、彼ら自身は「敵を作りだすことで」彼らは活動のエネルギを得てい(目立てしまう)る。または小泉元首相などや、飯田哲也さんに乗せられた、田舎者にして21世紀のお銚子者達に見えてしまいます。そうではないと願いたいが。

核兵器と原子力発電は誕生の当初から幾重にも板挟み状態を抱えているので、「友と敵」に仕分けして発想することは禁じねばならない。そうしないとフクシマ問題の本質は一面しか見ることが出来なくなるうえに、友と敵の関係が多層に生まれ、数限りない対立が核分裂のように産まれ続けてしまいます。ここはひとつパグウォッシュ会議のメンバーにならい、敵対から外れ、どちらへも行き来し語り合うことが肝要かと思います。 特に マーク・スー・パグウォッシュ会議評議員 のような構えこそが「フクシマ」にも必要なのだと思います

マーク・スー・パグウォッシュ会議評議員 の動画へ
https://www.youtube.com/watch?v=tg0VfuVCZUk...

■2018年12月7日 ・

今夜は、サンチャイルドの制作者ヤノベケンジさんと福島市民の対話記録を作っていたので、お知らせします。
http://www.fullchin.jp/sunchild/taiwa/181110/01/te01g.html 

■2018年11月10日「てつがくカフェ@ふくしま」(福大・小野原先生が主催者)の主催でヤノベさんと市民のフリートークが2時間ほどありました。その時に語られた市民の声をweb記録にまとめたものです。私が勝手に記録をつくり、主催者に連絡したのですが、反応は今日現在になってもありません。
サンチャイルドが設置された8月3日から流れ来る投稿やマスコミの記事などに接すると、ヤノベさん本人と制作意図、それから福島市に寄贈された経緯が理解されていないと思っていたので、私が口火を切った格好で話し合いが進むことになりました。

あまり質問ばかりする私、は主催者に嫌われたようで、十分にはヤノベさんに問うことは叶いませんでした。ですが、対話が止まる瞬間に問いかけることで、主な疑問点をヤノベさんに語っていただくことになりました。京都まで聞き取りに行く必要ながくなり、時間足代などが不要になり、私には大いに助かる場となりました。

さらに、各種データを重ね合わせると(詳細は省きます)ふくしま自然エネルギー基金の理事長は、福島博物館長である赤坂館長(基金の幹部)のシナリオを基に動いていることと推測していたので、偶然でしょうか、対話の様子を会場の外廊下で観ていた理事長を見つけました。で、運よくその事をずばり!対話終了後に問いました。その記録も紹介します。
http://www.fullchin.jp/sunchild/taiwa/181110/06/te06.html 

強者というのは弱点を問われると、反撃し攻撃的な言動をなすのですが、基金の理事長も同様な発言をしています。「福島市民について僕は、ちょっと。みなさん福島の方かな。あんまり、おとなし過ぎるんじゃないのと。情けないなーと思うんですよ。」さらに「戦いに行かないとしょうがないのに、だめだめ、だめだめ、あれもだめ、これもだめ。そんな思いもあった。」というあり様で、福島市民やるきない闘わないとはなにかと詰め寄りたいほどの、根拠なき発言に吹き出し笑ってしまいそうでした。赤坂シナリオ説に対してはずばりだったでしょう、笑ってごまかすしかない始末で、なんだか可哀そうでもありました。

 「サンチャイルド設置シナリオ、赤坂先生、あんた書いたでしょう」それを確かめるために赤坂憲雄氏に会い問う事にしました。運よく11月18日に福大の会合を赤坂さんが主催の会合があり参加しました。(広島平和資料館の元館長のお話を聞く会)参加市民が3名しかいないので、絡みつくようにし、開催前の30分ほどでドンドン質問攻めにしました。

赤坂氏がどっぷり関係し設置へ至る全体のシナリオを書いたのは明白なのです。サンチャイルド設置事件に渦巻いた誤解を解くために、担当されている福島民報の論壇で堂々と主張してほしい、と。その論拠は私が作った各種webデータです。それを持参し見せて問い語りました。
 やはりはり理事長と同様に「お前の記録は歴史に残らない、無駄!無駄!」と言って私の愚かさを語り続けていました。同時に「不安におびえるカナリア」を福島民報に寄稿したことで、「俺は今酷いパッシングに遭っているんだよ」と弱みを見せる始末です。強味と弱みを見せる見っともなさ。新聞はこりごりだという様子でした。(聞き取り内容は公開しまい約束なのでオフレコ破りはしないことにしました)

、サンチャイルドを寄贈されてたサイドとしては、誠に情けと愛の無い姿に、あきれてしまった次第です。お前らこそ福島の恥さらし、その者だろうと言ってやる機会があるといいのですが、弱い者いじめは時間の無駄です。雲行きが悪くなると、彼らは逃げる卑劣な人間(志がないは、近頃の政治家に多いみたい)
■卑劣な人間に囲まれる運命、そのフクシマの道をどのうように、見出し、そこをヤノベさん歩いてしまったのでしょうか。続きの語りは後日とし、今日の投稿はこれまでとします

■2018年12月6日 ・

ヤノベケンジさんの変節をどう受け止めるのか
ヤノベさんはどのような事態を経ることで変節したか見てみたい。日本に初登場したサンチャイルド。2011年11月22日の設置会見(以下会見)で発した彼の言葉と、福島市民などが寄せたアンケートの言葉を比較する、簡単に明確な違いが分かり、彼の変節内容へ近づける。
会見録のweb頁URL 
http://www.fullchin.jp/sunchild/yanobe/20111122/banpaku.html 

会見でヤノベ氏は「福島」という言葉を一度も使っていない。創作のショックはあたえられたのだが、フクシマを思うより、作品創作で自分のジレンマに解を与えることに余念がなかったのだと思ってもいいのではないか。
 福島市民が寄せた110通のアンケートには「福島」76回も使われた葉だが、彼は一度も使ってはいない。その事を確認しておきたい。
 
ヤノベさんの会見言葉の数について記録web頁
http://www.fullchin.jp/.../anketo/kotoba/yanobe/yaktoba.html 

 会見でヤノベ氏が多く発した言葉が「太陽」であり「作品」であり「未来」であり「岡本太郎」である。サンチャイルドは岡本太郎へのオマージュ作品であり、ミケランジェロへの憧れに似た気持ちによって制作された、そのことが分かる。
ヤノベ氏は水爆や核兵器、それにチェルノブイリ原発事故の現場体験などを通して原子力について世界の人々と普遍的な、それらについて考える事によって、新しい明日をつくりたい、そう考えたいたと推測し得る。だが彼は理由はおおよそ分かっているのだが、今回はこの程度にとどめ、ヤノベ氏が変節を続たことによって7年後の8月3日、突然福島市のこむこむにサンチャイルドは姿を現した。
2018年11月10日 福島市民とヤノベさんの対話する機会が福大の小野原先生によって設けられた。その席でヤノベ氏は自ら設置の事前調査の手抜きを認めて、次のように語っている。

 「(福島市の設置)今回に限っては、自分がちゃんとコントロール出来なかった。そのプロセスをやはり・・・。当然、市長が「良かれ」と思ってやっておられる事も分かってはいたんだけど。表現者の自分としては、きちっと責任持って「プロセスもきちんと踏むことも、行政に提言して行うべきだったかなー」と正直感じます。それは作品に対する製造者である自分自身の責任でもある。それは思い切り受け止めてます。事前の話し合いがあり、きちっと理解していただける。その場を自分自身も作れなかった。」
なぜヤノベ氏は対話の場つくることができなかったのか。それはヤノベ氏から作品が離れて、他者の私有物になってしまったからである。野心好きの酒蔵のオヤジと東北千年植民地論をもつ博物館のオヤジたちに寄贈してしまい、そこからさらに転がされた。そこは未来なにゃらと称す、原発事故バブルでお金じゃジャブの地元ゼネコンと、地銀の連合会。その会は市長の選挙参謀の会でもある。もちろん選挙の常だが会は現市長の対立候補にも乗って二股をかける、それは業界の常套手段である。その会から福島市に転がされたことで、ヤノベしは設置検討についてコントロールできなくなったのだ、そう推測している。

「自分の作品をサバイバルと言うてる時に、自分が生き残るために、という前提で作っていた時期があったけど。2000年に子供が生まれて、それを観た時に、新しい世紀が始まろうという時に。やはり世紀末思想の中で世界の終わりを行って、ずーっと生き続けて行く子供たちに向けて作品を・・」
 ヤノベ氏は我が子を持つことでアトムスーツを脱ぎ捨て、子供に着せ替えたのだ。原子力・サバイバルの主体は子供に変わった。

「 賛否を呼ぶのが目的ではなくって、やっぱり前に向き合っていける、それはもう、もしかしたら廃炉作業をしている人たちも、応援するようなね。人類共通の問題として受けとめられる、表現に向かいたいという思いで作品は作っている。」
そう語っているのは記憶されるべき大切は発言である。とても残念だと言えるのは、これが消えたことだ。ヤノベ氏がサンチャイルドを通して廃炉作業に携わっている人々へも視線が届いている、これこれである。(後付だけど許す)それがサンチャイルド解体鉄去されることで、その視線も解体撤去されてしまった。まことにもったいない。
 そのことは、サンチャイルドがお隠れになった事よりも、さらに重要な欠落を福島にもたらしてしまうだろう。私はそう想っている。

 サンチャイルド撤去事件を解凍し、日本に原子力がもたらされた当時のこと、何も分からないのに予算をつけ、ターンキー契約によってGE任せっぱなしで、本当に作ってしまった、あの出鱈目さ。さらに福島県に多数の原発を誘致した近代の前に進むだけの出鱈目さ。原発事故原因確認が何か、それも突き止め、責任も問わずに、またまた新しい産業なにゃ復興とかたる 私たちの愚かさ。
 サンチャイルドが手にもつ小さな太陽の光が、それら全ての愚かしさの像を保存し逆照射するはずだった。私はサンチャイルドの設置をそう受け止めていた。しかし全てお隠れになった。
 ヤノベ氏が変節し、サンチャイルド創作当初想い抱いていた考えを捨てさったのはなぜか。それを仕掛けたのは誰か、などを解明していくことで、戦後を見つめ振り返る機会にし、私の愚かさを知ることでのみ、ヤノベさんの当初の思いは実現するように思う。

 ヤノベ氏も私も福島原子力発電所の事故を語り続けることでのみ、このような惨状が再び世界のどこでも繰り返す事を阻止する事が出来る。フクシマを記録し伝える、事故へ至る経過も含め記憶することでしか、それは成しえない。サンチャイルドさへ隠してしまうこの福島に、それは出来るのか、サン君が私に与えた課題がこれだ。

■2018年12月5日 ・

投稿言葉を仕分けし表をつくりました
■サンチャイルド 設置に関して福島市民などが投稿したアンケート110通の中に書かれた言葉を世代ごとに仕分けして、言葉の種類と使われる頻度などを観るために表をつくりWEb頁にしましたのでお知らせします。

http://www.fullchin.jp/sunchild/anketo/kotoba/00/hyou.html
表を作っての感想は 表の下部に書きましたが同じ内容を貼っておきます。感想などありましたら投稿くださいませ。
(今後への検討課題など。注上記仕分けは、アンケート110通を読み仕分けした、佐藤敏宏自身の主観が多く入っている)
1)サンチャイルドの製作者がヤノベケンジ氏であることを知らない市民が多いのではないか。
2)黄色い服はアトムスーツと称する。アンケートに一度も書かれていない。防護服として機能しないだろうし、宇宙服でもない。

  ヤノベさんによるサンチャイルドが生まれるまでの作家活動と、彼のアート活動、制作意図が理解されていない。(2011年初設置in大阪万博跡地での記者会見内容の記録作成中)
3)水爆実験による第五福竜丸の被曝と美浜原子力発電所の事故によって生まれたアトムスーツ。
 
 ヤノベさんも福島市民も 核兵器と原子力発電所の相違が理解出来ていない、または混乱がある。(←対応策として、鈴木達治郎先生の講演録作成中)

4)市民の多くはマスコミからの情報によってのみ仕入れたサンチャイルド情報を受け取り考えている。
  マスコミやそこで活躍する記者などの、市民に対する真摯な態度が欠けていると言える

 (記者クラブ制による弊害の一例。加えて福島市による設置に当たっての説明不足が甚だしい事で制作意図もとうぜんだが広く理解されぬまま現在に至る)


■2018年12月2日

10通のアンケートweb記録完成!
■サンチャイルド像の設置に関して集めた声です。アンケート用紙は福島市子供を育む施設 こむこむ に設置したアンケート台にて書かれた用紙110通を、情報開示請求をし手に入れ コツコツ打ち込んでweb記録にしました。ご覧ください。出来たら感想などコメントを頂けると活動が増しそうですが、やり過ぎるかもです。(福島市が公開すれば私はこのような作業をする事はないのですが、関係者を尋ねても気がないので 作業をしました)  http://www.fullchin.jp/sunchild/anketo/10dai/10dai.html

■2018年11月29日 ・

対立を越えた対話 について
 その事例としての「パグウォッシュ会議」URL記録は通勤時間にでも目を通していただければ幸いです。  http://www.fullchin.jp/sunchild/suzuki/02/ta02.html 

1995年にノーベル平和賞を受賞された会なので、ご存知の方も多いかと思います。鈴木達治郎先生は核燃料リサイクルを研究されている方であり、パグウォッシュ会議日本の主要メンバーでもあります。
 私が鈴木先生に出会ったのは、福島原子力発電所の事故後を受け2012年11月に福島大学で開かれた「ふくしま会議」除染部会でした。当時民主党政権であり、鈴木先生は内閣府原子力委員会委員長代理でありました。現在は長崎大学核兵器廃絶研究センター長に就任され世界で活躍されています。
 原子力利用については、核兵器か原子力発電と軍用か民生かの利用目的が違いますが、原理とそこに起きる問題の色々は乱暴ですがほぼ同じだと書いておきます。

 1943年オッペンハイマーさんは、ロスアラモス国立研究所長に任命され、原爆製造研究チームを主導したそうです。そこで世界で最初の原爆を開発し、ニューメキシコでの核実験=『トリニティ実験』の後、大日本帝国の広島市・長崎市に投下したことで日本は無条件降伏という敗戦にいたる事は周知の事実です。が、地方に生まれた2018年現在の若い人は、福島の原発事故の事さえ知らない人が現れているので、当然、1945年の日本での原爆投下の惨状を知らないかも知れません
核兵器を手に入れた各国政府や、科学者の多くはその事の悩みを抱え対立を続け今日に至っていると推測します。ですがその実態を越え対話の場を作りを続けている科学者がいるのもパグウォッシュ会議の事実です。

オッペンハイマーさんの苦悩と自身の分裂した生活は推し測ることは出来ませんが、福島原子力発電所の事故に直面してしまった日本における科学者たちの、苦悩と生活の実践は鈴木先生を通すことで推察することができます。(鈴木先生は例外的に貴重な存在なのだとも思いたくないのですが)
鈴木先生の言動を受けて、少し大げさではありますが、サンチャイルドの設置によるサンチャイルドの事件。その事によって起きてしまった対立を解消するたにもパグウォッシュ会議の話合いの場づくりと、継続するためのルールと、強要しないルーズな在り方は大いに参考にすべきと考えています。そういうことで、パグウォッシュ会議in長崎についてweb記録を作りましたので紹介しました。

金正恩に関し正確な情報満載である動画。また、北朝鮮への働き掛けは功を奏している。長崎会議の東日本アジア会議開催提案を受けて金正恩はパグウォッシュ会議に参加の意向を示しているとこと 。 https://m.youtube.com/watch?v=tg0VfuVCZUk

https://m.youtube.com/watch?v=tg0VfuVCZUk

■ 2018年11月28日 ・

共産党福島支部に行く
(数ヶ月かかったが.関係主要者 全てに聞きたい。記録は後日作成)

 サンチャイルド設置に、共産党の議員たちが、被災者を傷つけるなど.ふさわしくないと撤去申し入れた事をきっかけに、マスコミで騒動になった。一月ちょいで解体撤去。共産党の反対理由やアート作品に対しての不寛容についてなどと、福島市の村山国子市議に私の質問意図を直接ぶつけ答えてもらった。裏話も教えて頂きましたので、サンチャイルド中学校教科書に掲載の事を教えた、知らないかった。
??次に、村山市議の質問に応じた6月定例議会の答弁を書いたのは、こむこむの方なので、訪ねた。疑問と応答と、それから私の提案など1時間ワイワイする。保管場所は教えてもらえず。市の施設に保管とのこと。
 こむこむそばのベンチで仕事をしていた、開沼博さん(上野千鶴子さんの弟子にて立命館大衣笠研究機構准教授)見つけたので、質問などするも、ほぼ勝手にやつたら、と言った感じ。サンチャイルドに関心なさそう。(私の質問の質が悪かったからだが.いい答えを引き出さすには、ナイスな問いが要ると反省する)

三体目のサンチャイルドの居場所判明しました。ジャイアントトらやん、ラッキードラゴンの揃い踏みにて、大阪の造船所でした。

旧知の京都の建築家が写真撮ってくれたした。(事故が起きる可能性があるので在りか情報を秘密にお願います)

■2018年11月27日 ・

中学校の教科書 美術2-3下ー美術の探求
日本文教出版、通称 日文が刊行している
教科書です。51頁にサンチャイルドが載っていて、322円です。

サンチャイルドの説明は[FRP-発泡スチロール-アクリル-ライト/高さ6.2m]2011時ヤノベケンジ[大阪府-1965?]あいちトリエンナーレ[愛知県] 東日本大震災に希望のモニュメントとして制作された。と記されています。

福島県内全域の中学校で美術の教科書として平成28から31年度まで使用しています。福島市で今年8月にサンチャイルド事件が起きる以前から教科書でした。福大の渡辺晃一先生に教え頂き、実物を確認しました。実際に教室で使われている場を見ていません。

県立図書館には全ての教科書がありますが、著作権のことでコピーも、貸し出しもならず、買いました。誰でも買うことができます。平成27年3月10日検定済。

■2018年11月27日

福一事故直後の県職員の動きの一端を知ることのできる貴重な白板が公開されたようです。共同通信初
現在知事が陣頭指揮をとつて対応するはずだった、オフサイトセンターは、気密性が効かずセシウム乱入にて、使い物にならず。県庁まで避難するというトホホな様とのことでした。(副知事の行動録を調べてないので、単なる噂話かもしれません)
https://this.kiji.is/439713520096838753?c=0

■2018年11月26日

サンチャイルドは三体ある。福島市の像は2011年に作られた最初の作品でいちチャイルドとヤノベさんは呼んでいる。三体の中では最も貴重な作品であるとヤノベは語っている。

■2018年11月26日

2018年11月10日@てつがくカフェ@ふくしま
福島市民と作家ヤノベケンジさんの対話集会での2ショット。質問と確認事項を連発し司会さ者から、やや嫌がられた感あるも、要点を聞き逃さないよう努めてた。2時間ほと語られた内容のweb記録はほぼ出来ています。ですが最後の確認が出来ていないので、少しお待ちください。


2018年11月26日

2018年9月10日 福島市・市議会定例会での一般質問
解体撤去後、サンチャイルドに関しての質疑応答でした。

2分足らずの質疑応答でした文字にしてweb録として公開します
(共産党の議員も 市議団の申し入れなどで撤去が決まってしまい、ほぼ聞く気なさげです) http://www.fullchin.jp/sunchild/gikai/fukusima/20180910.html
■2018年11月26日

美術家 若木くるみさんの作品 と2ショット サンチャイルドの成りすましとして、目の前に登場したので思わず撮る。彼女は後頭部にカミソリを入れ、つるりんつるつるに剃り上げ、そこもサンチャイルドの顔を合わせ鏡を用い自作し、こむこむ館から二本松駅までおよそ20km(ハーフマラソン)を走る、表現にて、福島ビエンナーレ作品として参加されました(福島ビエンナーレについて 

Festival FUKUSHIMA BIENNALE 2018 福島ビエンナーレ 。 2018年9月9日〜11月25日 ※会場により会期が異なりる)


2018年11月26日

新たらしい皮膚としてのアトムスーツ@サンチャイルド(2011年制作。作者ヤノベケンジ、設置福島市)

■福島市民などのアンケート110通は手に入れ、全て文字を打ち込み終えています。アンケートの中で嫌われたサンチャイルドの部位の一つがサンチャイルドの股間の突起です。この像は子供の像だとヤノベさんは語っていて、男の子とも女の子とも語ってはいません。ですが明らかに男根=玉にある精子とその機能を放射線から防護するための機器のように見えます。しかし子供なので精子も卵子もつくることはできないと考えますので、作家の被害妄想によるディフォルメした表象です。事実をディフォルメし自己の表現とするのは、彫刻家にかぎらす、小説家の筆さばきもそうなので、この股間の突起を問題にするのは、いささか表面に反応してしまう、一般の市民の感情であると思われます。さらに医師の所見によると、遺伝子の、DNA2本鎖線切断された細胞は死んで体内から排除されて生き続けることはできないんだの〜とのことです。

作者のヤノベさんは1991(平成3)年2月9日、関西電力(株)美浜発電所2号機で、蒸気発生器の伝熱管の1本が破断したため美浜発電所2号機事故を知り 、放射線防護服(アトムスーツ)新しい皮膚のようなイメージじで作ったと語っています。黄色については、ヤノベさんからまだ聞きだしていません。


2018年11月26日
東京電力福島第一原子力事故によって福島県および日本全土(あるいは世界各地)に起きた事態と騒動などの記録を、福島市民自らが作成ししょうとし、その準備会議をFBなどで開き起動を促すためのグループのサイトです

■2018年11月26日 ・

勝手ねサンチャイルドと称するグループを作成しました。私の信頼出来る方々を勝手にグループ仲間としてしまいました。興味のない方は外しますので連絡願います。

会を作った目的は、突然、2018年8月3日福島市にヤノベケンジさんが2011年に作成したサンチャイルド像が設置除幕されました。設置から1週間後にsnsに投稿された内容などから話題が広まり、河北新報に第一報が掲載され、瞬間に日本から世界にニュースとして配信されました。
snsにネガティブな投稿が多く現れた事の対応、そこで福島市市長はアンケートを市民から募りました。
その内容を公開せず、原子力災害の記憶、継承などとした設置意図にふさわしくない、と判断し福島市は9月17.18.19日にサンチャイルド像を解体撤去してしまいました。
(解体撤去像は福島市によって場所不明で保管)

サンチャイルド像はヤノベケンジさんから、ふくしま自然エネルギー基金に2016年11月17日に寄贈目録が渡されたました。
約1年半後の2018年3月2日にヤノベさんと福島市市長と寄贈を受けた基金とで、福島市に寄贈することが決められたようです。(市長ツイッターに写真あり)
その4月後の7月6日、4者によって設置記者会見が行われました。(福島市サイトに動画あり)なぜか?福島市と基金の間にもう一つ民間法人である、ふくしま未来研究会を挟み込んで福島市に寄贈となりました。

(未来研究会は福島市の地上げ屋と政治家と業社が連携し続けてる建設業社と東邦銀行がつくった会?)

この事件をどのように受け止め、健全な民主主義を再生させたらいいのか、それを試行錯誤するための会でもあります。具体的には、福島原発事故災害を福島市民と行政が、記録を保全し、記憶を残し、上記災害にどのように抗い、どのように判断を誤った事て、この事件のような無用な混乱と騒動を起こしてしまったか。それらを知るために私的なクロニクルを作成しようとするためのグループでとしておきます