東北工大卒制 2020-2-28 (仙台メディアテーク) 2019年 作成 佐藤敏宏
 鈴木祐琴彩(ゆきな)「ニートを社会から孤立させない}

 ニートになったのは彼らのせいでしょうか。又は親の育て方が悪かったせいでしょうか。個人や家族だけで解決できることでしょうか。

 日本には今現在、71万人のニートが居ると言われています。または自分がニートにならないと自信をもって言えますか。というような、事で、題名が「ニートを社会から孤立させない」ということでやっていきたいと思います。

 さきほど言ったように71万人のニートが居るんですけれども、これは15歳から39歳までのなかで、48人に一人が今現在ニートであるということが示されています。定義としては15歳から34歳までの個人で、妻帯者が居ない独身者。で、高校や大学などに通学していない人で、就労もしていなくって、職業訓練も受けていない、というような人が全て該当する、とニートと呼ばれてしまいます。

 彼らがニートになったというのは様々な要因があると思うんですけれども。例えば学校時代にいじめを受けて、今現在ニートだったりとか、一度就職はしたものの、社会に溶け込めず、ニートになってしまったなど様々な要因が考えられます。

 彼らは、そのような様々な要因のなかで、生きているのですけれども、結果として親が亡くなった後には、彼らは必ず孤立してしまうというような未来が分っています。

 こちらのグラフなんですけれども、厚生労働省のアンケートが委託したところのアンケートなんですけれども、ニートというのはコミュニケーションが苦手で、比較的対人関係に苦手意識を持っているということが分っています。で、そのような、なかで、私は社会と個人や家族の中で、様々な問題があって、それでも、社会と個人のなかで相手との間で、溝が深いと考えています。その間を埋めてるためにセーフティーネットが必要だと考えています。

 で、セーフティーネットを今回、設計しているんですけれども。まず一つ目がハローワーク。二つ目が職業訓練センター。三つ目が合宿所。四つ目がゲストハウス。というふうになっています。そのた他にも銭湯などを設計しています。

 ハローワークというのは今現在、私は日本では、かなり孤立していて、内容としてはどこも同じような、内容であるというふうに考えています。

 ですが、海外を観てみると、孤立しなどしておらず、一階部分に開いた、ハローワークが目立っていて、内装もかなり、カラフルで日本よりかは明るいイメージがあります。これが比較のダイヤグラムになっています。こちらが日本で、一階部分に店舗などが在って、その上の階にハローワークが在ったりしますが、海外では一階部分にハローワークが在ります。

このような、海外の形式を用いていきたいというふうに考えています。

で次に職業訓練センターですが、仙台周辺にこういうふうに職業訓練センターがまばらに在るんですけれども。この場合だと、様々な場所に行かないといけなくって、不便なので、私の設計では一つの場所に集約するというふうに考えています。

 で、なのでハローワークと同じような考えで、比較的低い部分に職業訓練施設を設けたいと思います。

 次に合宿所ですが、ニートを(更生)包摂するうえで、個人で彼らは今家にいると思うですけれども、共同生活をさせることによって、より社会に出るのが早くさせてあげる。炊事や洗濯なども自分で行うことによって、今まで家族に頼っていた部分を部分を自分でやってみる。そのことによって社会に出られるようにするというふうな、考えのもと、合宿所を設けています。

次にゲストハウスですが、滞在している人人は海外の人だったり、バックパッカーだったり、いろいろあると思うんですけども。ニートの方々に無い価値観を与えてくれる存在になるというふうなことを期待して、ゲストハウスを造っています。

対象敷地ですが、仙台市の青葉区、一番町一丁目を敷地にしています。対象敷地が、ここで、1、2、3と三つ在るのですけれども、この一番大きい所がこの設計になっています。ここが、柳町通というのがありまして、ここに商店街が広く分布されています。

一番最初に合宿所ですが、一番上の所に合宿所になっていて、二階部分が職業訓練センター、先ほど言ったように、ハローワークが一階部分で、ここの辺りに在ります。

職業訓練センターですが、先ほど二階に在ると言ったんですけれども、二階部部には座学のための教室がありまして、先ほど言った2、3階のところには、美容室であったり、介護士などの訓練を受けるための店舗兼教室が一階部分には在ります。その上部分にゲストハウスが在り、職業訓練というのは再教育の場でもあると思っていて、再教育できるような場所と言うのは限られているので、そうう場所を社会的に皆さんに認知してもらうという事で、この商店街に協力してもらいながら、職業訓練というものを、拓いていきたいというふうな考えです。