石巻本間家 土蔵修繕工事 について      home   HP管理人佐藤敏宏 
            本間英一さんの地域活動記録 門脇2〜4丁目コミュニティ ニュース録
門脇町2〜4丁目コミュニティ ニュース No.1
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                         東日本大震災より復興への記録
       
                   3月11日午後5時頃 日和山より撮影 本間

3月11日
 午後2時46分、M9.0の大地震が発生しこの地区では震度5強の揺れが3分近く続いた。直後に大津波警報が発令され、津波到達時刻は午後3時頃と発表された。その後余震も度々起こり、午後3時50分頃、津波(第2波?)が瓦礫と共に来襲し門脇町、南浜町のほとんどの建物は流失倒壊した。津波は海抜6.5Mまで達したと思われる。この地区では山際の数軒は直接の被害は免れたが、電気・水道などのライフラインは寸断された。この地区では津波の後も数世帯が生活しており、不自由ながらも復興に向けて努力してきた。当日、ほとんどの住民は日和山の各避難所に避難し、外出中で家の戻れない方々もいた。市立女子校に避難した者は夜半午前1時、門脇小学校火災の延焼のおそれから門脇中学校や石巻中学校に移動を余儀なくされた。外は氷点下の寒さで道路はすでに凍っていた。

3月12日〜
一部の住民は避難所から降りてきて、生活できる世帯は自活を始めた。残された家から食料や生活用品を確保し、生き延びるために各自働き始めた。生活に欠かせない水は日和山中腹の「井戸っこ清水」より汲むことができ、煮沸するなどして使用した。しかし、生活道路は瓦礫のため全く通行不可で当面、日和山からの道路が唯一の交通手段であった。その後、門脇小学校体育館脇からと西光寺本堂の中を通る通路が自然と出来上がった。また数軒は共同炊事を行い、1ヶ月間にわたり夕食を共にした。
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              (上) お地蔵さんへの道路(3月12日)瓦礫・車・家のため通行不可能だった

        

               (上) テニスコートへの道路 瓦礫などが道路をとおして押し寄せる

3月16日
本日、自衛隊が来る。ここでは何の援助も受けられないとの事で自衛隊員に背負われるなどして、石巻市女校へ避難する。(避難者は、阿部伝一郎夫妻・田代寛夫妻・橋本庸子親子・須藤英三氏)また、この頃より自衛隊より支援物資が届くようになる。この日も寒く日中は雪が積もる。

3月18日
この朝の最低気温は、−4度となり厚く氷が張る。各自、瓦礫の片付け方など。

3月20日
高橋進氏の遺体の搬出が行われる。夕方、門脇2丁目の阿部寿美さんと孫の任君(じん)が9日ぶりに自宅瓦礫の2階から救助される。

3月26日
朝、積雪1センチ。本日、自衛隊によりお地蔵さんに通じる道路が開通する。

3月27日
水道企業団の給水車が初めてくる。

3月28日
本日夕方、馬に乗ったボランティアさんが来る、神奈川県より来たという。

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3月29日
本日より水道企業団の給水車が毎日来るようになる。自衛隊より支援物資くる。

3月30日
石巻市役所市民協働推進課へこの地区の避難所指定を申請するが不可とのこと。

3月31日
東京からのボランティアさんより菓子パンを大量に頂く。

4月3日
今日より自衛隊による仮設の風呂がつつじ園跡に開設される。

4月4日
水道企業団で給水タンク2基をテニスコート駐車場に設置してくれる。

[4月12日〜13日]
鎌倉・山形よりボランティアさん30名ほど来てくれ瓦礫の撤去をしてくれる。

4月30日
鎌倉より再びボランティアさん7名来る。鎌倉市建設組合のメンバー。

5月2日
阿部規子・和田佳子さん架設トイレとゴミ処理の件で市役所へ、夕方その報告会。

5月4日
鎌倉のボランティアさん主催のお別れバーベキューを阿部公夫さん宅前で行う。

       

5月6日
石巻市へライフライン(電気・水道)復旧の要望書を作成する。

5月8日
今日よりこの地区も市の避難指定所となり、食事・支援物資が届くようになる。
架設トイレ3基、和田さん宅裏・阿部公夫さん宅倉庫脇へ設置してくれる。
5月12日
石巻市役所へ要望書、副市長ほか各関係課と東北電力へ提出する。
5月17日
待ちかねた電柱2本道路沿いに立つ。翌日は10本立つ。
5月21日

 電気が70日ぶりに復旧する。街灯も燈る。バンザイ!
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5月26日
太陽光パネル、テニスコート事務所・阿部公夫さん宅へ設置

5月27日
石巻市役所より側溝掃除の準備で土嚢袋・石灰をもらってくる。

5月29日
イタリア料理の昼食会 渋谷のレストラン寺崎シェフら6名来る。30数名参加

        
 
                (上) イタリア料理とワイン 被災地での御馳走に感激!

5月30日
石巻市役所より災害に対する件での調査カードくる。

6月2日
水道企業団より2名来て水道の復旧についての説明会。6名参加。

6月5日
側溝掃除、宇都宮よりボランティア43名日帰りバスで来る。地域民16名も参加する。土嚢袋百数十体。

6月9日
 ついに、水道復旧する。バンザイ!
6月12日
宇都宮のボランティアさんより扇風機などの支援物資届く。

        

          (上)宇都宮からのボランティア 昼食風景 働きぶりに大いに感謝

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6月14日
宇都宮のボランティアさん2名 自転車など支援物資届けてくれる。

6月21日
宇都宮のボランティアさんよりギョーザたくさん届く。

6月22日
渋谷キリスト教会より殺虫剤など支援物資届く。

7月12日
青柳さん・阿部規子さん市役所へ消毒のお願い。午後より職員来て消毒作業する。





 [編集後記
 今回の大震災ではこの地域でも50名もの尊い生命と貴重な財産が失われました。
この災害の記憶が失われることがないように、このコミュニティの復興の記録を残すことを思い立ちました。今回は独断で第1号としてのコミュニティニュースを発行することになりましたが、今後は皆様よりのご意見や投稿などもあれば第2号も発行したいと思います。今回は大雑把な記録になりましたが、この他にもたくさんの出来事があったと思います。西光寺では、犠牲になった方々の49日法要と百か日法要が行われました。称法寺では京都西本願寺の門主様の慰問もありました。
 また、今回の災害では自衛隊の皆様はじめ、多数のボランティアさんと石巻市役所各課・石巻市社会福祉協議会・水道企業団・東北電力・日赤医師団・石巻警察署その他民間の皆様のおかげで生活が成り立ちました。最初に来てくれた神戸の上坂様や山形などのボランティアさんには大変お世話になりました。また、鎌倉建築組合の小宮様・山田様・岩澤様・大村様・伊藤様・松尾様・湯脇様・鈴木様・藤井様・西島様・くみこ様、宇都宮からの生野裕子様・竹内美由紀様はじめ、いきいきストレッチング・柿の木幼稚園OB会・宇都宮子ども劇場・中村きく江邦楽教室・チャイルドラインとちぎ・東京電力栃木ストレッチ体操クラブの皆様、NPO石巻復興サポートセンターの理事長鈴木奈々様・青木隆樹様と皆様、イタリア料理の昼食会をアレンジしていただいた大山和彦さまとそのスタッフ、福原礼子様をはじめとする渋谷教会の皆様、吉祥寺協会の藤本様と皆様、国際飢餓対策機構の皆様本当にありがとうございました。

電気・水道の普及については、市議会議員・県議会議員・国会議員の方々にもご尽力頂き大変お世話になりました。
このほか大勢のボランティアさんよりの支援もたくさんありましたが記録できなかった部分についてはお詫び申し上げます。
最後になりますが、もう一度お世話になった皆様に心より御礼申し上げます。
編集・文責 本間英一


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 1.佐伯隆義   3名     門脇町
 2.高橋興治   6名     門脇町
 3.樋口隆信   7名     門脇町
 4.軽部徳雄   4名     門脇町
 5.本間英一   4名     門脇町
 6.和田智良   2名     門脇町
 7.遠藤 雄    4名     門脇町
 8.細川雅美   5名     門脇町
 9.阿部伝一郎  4名     門脇町
10.越智慶子   1名     門脇町
11.青柳 繁    2名     門脇町
12.阿部公夫   2名     門脇町
13.小笠原亮   5名     門脇町
14.其川敏彦   5名     門脇町
15.佐藤あや子  2名     門脇町
16.中山亨一   4名     門脇町
17.和田佳子   2名     門脇町
18.小松原勇ニ  3名     門脇町
19.高橋英敏   3名     門脇町
20.須藤英三   2名     門脇町

名簿はその後変動があります

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