本 『原子爆弾 1938〜1950年』作品社 2015年4月10日 著者 ジム・バゴット 青柳伸子 訳 |
2019年 作成 佐藤敏宏 | |
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表紙袖の書き込み 「我は死なり。世界の破壊者なり」後に回想 オッペンハイマー(p373) 「これで、みなろくでなしに成り下がったな」 ケネス・スペインブリッジ 1945年、人類初の原子爆弾の閃光を見ながら、二人の物理学者はつぶやいたー。(p373) 1938年、ドイツで核分裂発見ーアインシュタインとシラードは、ナチスが原爆を開発することを恐れ、ロースヴェルト大統領に警告の書簡を書く、この一通の手紙から、人類の核兵器の歴史が始まる。 「物理学のために戦争を利用しなければならない」と語るドイツのハイゼンベルク。 独の動きを探りつつ、米国でマンハッタン計画を推進するオッペンハイマー。 原爆の破壊力を危惧する亡命学者ボーア、クラウス・フックス、ローゼンバーグら、暗躍するソ連スパイたち トルーマン、チャーチル、スターリンによる原爆をめぐる駆け引き。 そして1845年8月、広島・長崎への原爆投下が決定される 著者:ジム・バゴットについて 世界的に著名なサイエンス・ライター。1957年、英国サウサンプトン生まれ。マンチェスター大学で1978年化学博士号取得。わずか3年後にオックスフォード大学の博士号を取得。オックスフォード大学、米国スタンフォード大学の特別研究員として研究活動を行ったのち、英国のレディング大学の化学講師となる。しかし大学を辞めてビジネスの世界に入り、ビジネスコンサルタント、トレーニングコンサルタント会社を設立。 現在、その学識と精力的な行動によって、科学、哲学・歴史などの広範囲な分野に渡って、執筆活動を行っており、次々に著作を発表する一方科学雑誌の「ニュー・サイエンティスト」をはじめ新聞・雑誌に寄稿しているほか、BBCラジオ番組にも協力している。著作は高く評価され、英国の王立科学協会「マーロー・メダル」「グラソク・サイエンスライターズ・プライズ」など数々の賞を受賞している。 邦訳に『究極のシンメトリー フラーレン発見物語』1996年 『ビックズ粒子 − 神の粒子の発見まで』 2013年など 目次 序文 いかに物理学者たちは、世界を残虐と恐怖へ導いていったのか? プロローグ ベルリンからの手紙ー発見された核分裂 1938年12月〜1939年9月 第一部 物理学者たちの戦い 第一章 ウランフェラインー始まったナチスの核開発 1939年9月〜1940年7月 第二章 足踏みする米の核開発 −亡命科学者と政府機関の軋轢 1939年9月〜1940年9月 第三章 原子爆弾の現実性ー英国における物理学者の焦燥と不安 1938年9月〜1940年11月 第四章 ボーアとの面談ーハイゼンベルクのファウスト的契約 1940年10月〜1941年9月 第五章 チューブ・アロイズー英国の核兵器開発計画 1941年3月〜12月 第二部 原爆開発競争 第六章 兵器としての核物理学ーナチス高官と物理学者の駆け引き 1942年3月〜11月 第七章 史上初の臨界達成ーマンハッタン計画の誕生 1939年9月〜1940年9月 第八章 ウラヌスとウラン=スターリンの二つの反転攻勢 1942年3月〜1943年3月 第九章 〇HOPMO3−ソ連の諜報作戦 1943年1月〜8月 第十章 アメリカの終結ー頭脳化学集団とスパイと 1943年1月〜11月 第三部 戦争と原爆投下 第十一章 ボーアの先見性ー物理学者たちの研究生活と葛藤 1943年11月〜19944年5月 第十二章 漏洩する機密ーロスアラモスのソ連スパイたち 1944年2月〜12月 第十三章 アルソス・ミッションーナチスの原子爆弾計画を探れ 1944年1月〜12月 第十四章 ドイツ最後の原子炉ー連合軍の爆撃下で続けられた実験 1945年1月〜6月 第十五章 トリニティ実験ー人類発の核実験 1945年4月〜7月 第十六章 広島・長崎ー原爆を投下した人々と投下された人々 1945年7月〜8月 第十七章 イプシロン作戦ーナチスの原子力開発の全容解明 1945年4月から1946年1月 第W部 世界に広がる核の恐怖 第十八章 新たな戦争の始まりースターリンの焦り 1945年8月〜1946年2月 第十九章 鉄のカーテンー核の国際管理か国家管理か 1945年9月〜1946年3月 第二十章 クロスロード実験ーソ連への「ありぐれた恫喝」 1945年11月〜1948年1月 第二十一章 アルザマスー16 −ソ連の核開発機密都市 1946年8月〜1948年6月 第二十二章 ジョー 1 ソ連初の原爆実験と核競争の始まり 1948年6月〜1950年1月 エピローグ 恐怖の均衡ー冷戦と相互各確証破壊 役者あとがき 原子爆弾年表 登場人物紹介 原注 引用文など 写真提供一覧 略号一覧 著者紹介 訳者紹介 |
トリニティ実験 で使われたプルトニウム爆弾(ファットマン型) 1945年7月16日 実験を観ていた物理学者二人はこのように呟いたそうだ「我はしなり。世界の破壊者なり」後に回想 オッペンハイマー(p373) 「これで、みなろくでなしに成り下がったな」 ケネス・スペインブリッジ 爆心地と 実験後オッペンハイマーとグローヴェズは爆心地に立つ(防護服もヘルメットもマスクさえしていない) |
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