本  頁ごとの要点 2018年 作成 佐藤敏宏
福島県立図書館 書庫 043.4
 1975年3月19日発行 岩波書店
『原子力発電の安全性』 原子力問題研究会 

V許容線量をいかに考えるか 
ウィキー:1シーベルトは100レムである。(1Sv=100rem 1mSv=100mrem)

 8 許容線量におけるリスク・ベネフィット論 (利益・恩恵論)
p76 許容量概念の変遷
■放射線被曝の許容量の値は時代とともいドンドン減りつつある

■職業人にたいしては5レム/年一般じんにはその1/10の500oレム/年 の値が許容線量となってる。さらに最近では一般人の放射線被ばく量を5ミリレム/年におさえることを原子力発電所の設計基準とすることに、アメリカでは決定されている。・・初期の40年前(1935年)の値と比べると、実に10の−4乗も低い値となっている。 
(放射線被曝制限値の歴史的推移図 1971:年日本原子力研究所労働組合:原子力自主開発のためのシンポジュウム)
■1930年頃になってはじめて公式の機関が放射線障害を論じX線の耐容線量(tolerancedos)の数値を与えたのだが、それには次の背景がある
その背景は
CURIE夫人などの努力によって、第一次大戦の戦場で負傷兵の診断にもちいられ、有効性が広くみとめられるようになったのであったが、その結果、外傷ばかりでなく一般の医療診断ようにたいへんな勢いで普及がはじまった。その結果多くのメリットと同時に、多数の放射線障害の例が、治療による医師・X線技術者の側にも、また治療される患者の側にも発生した。そして許容線量をきめて、科学的な安全管理を行わなければいならない状況になった。その当時に気づかれていた障害は急性のものに限られていた。中でも最も目につきやすい皮膚炎が取り上げられ、皮膚炎をおこすX線照射線量の最低値に1/100程度の安全係数をかけたものが許容量とされていた。したがって、それ以下に被曝をおさえておけば皮膚炎やその他の後遺症であるガン、または関連して起る血液異常などはおこらないだろうと考えられていた。もし放射線障害が急性のものだけであったならば、それでよかったのである。
 第二次大戦中の原爆製造以来、原子力の利用が急速に広がるようになって、放射線の許容線量の概念も変わり、数値も大幅に引き下げざるを得なくなった。すなわちマンハッタン計画(アメリカの原爆製造計画)の実施によって原子力産業が生まれ、多数の技術者や労働者が放射線にさらされるようになってきた。
一方では放射線の生物的影響について大規模な研究が行われるようになって、放射線障害がこれまで考えられていたより遥かに深刻であることが明らかとなってきた。その結果、1950年ごろに、いままでの耐容線量とは基礎となる(考)えがことなることを明らかにするために新たに許容線量(permissible dose)という言葉がつくられ、それに今までより1桁低い300ミリレム/週の値があたえられた。同時にこれまではX線が主対象であったのでX線線量の単位のレントゲンで表されていたものが、あらゆる放射線を含めて対象とした線量単位ーレムーで表されるようになった。
 急性の障害以外に、晩発性および遺伝子の障害が存在することが分かってきたのはその頃である・・

P77
・きわめて低線量の領域まで比例関係が成立すると考えるのが最ももっともらしいせつとされてたのであった。

・1954年のICRPの許容線量の定義を見ると現在得られている知識に照らして、生涯のいずれの時期にも感知されうると程度の身体障害を起さないと思われる線量と述べられている
■原水爆実験の特色は、放射性降灰を全世界にまき散らしたことである。放射線被ばくを受ける人の数が全世界的な規模になったことである
■武谷三男:水爆実験。岩波新書1957年。武谷による許容線量概念の分析オリジナルは、改造、1955年1月号(武谷三男著作 第二巻、原子力と科学者(1968年)227頁以下に収録。によって原水爆禁止運動は論理の力をえて、アメリカの原爆主義者たちと対抗してゆくことができるようになった。

許容量という言葉は、大量ならば有害な物質であっても、そのレベルまでの少量ならば身体に安全無害だということを保証している意味にとられやすい
核兵器実験を擁護する人たちはそれをフルに利用して、核実験からの放射線は許容線量値に達しないから安全無害だという主張を繰り返して、強力なキャンベーンを行った。これを科学的な言葉で言えば放射線の障害発生には被曝線量に下限値(しきいち)があって、それいかでの線量では何も障害はおこらないということになる(しきいち説) 比例説対しきい値説
その当時の実験と観察の進歩からではどちらが正しいかを明白にすることはできなかった。

■比例値の説の・・適用領域は時と共にひろげられている・・線量ゼロのところまでしきい値がないのかは分からない
■ ■ ■

 9許容線量設定の問題点(p84) 道家忠義著
■ICRP (1969年ICRP publication9) どんな被曝でもある程度危険を伴う可能性があるのことを考慮し、不必要な被曝を避けるため、ほうしゃせんの被曝を容易に達成できるかぎり低く保つべきことをすすめている
■危険と利益とのバランスで受け入れうる線量としての許容量が決められるべきだとという考えは早くから識者によって繰り返し指摘されてきた

■公衆に対する線量限度
 少しでも危険性はあるが、利益は考えられない(p90)という場合には明らかに許容量はゼロであべきである。
基本的な方針
(1)利益と危険との間のバランスによる
(2)危険の推定にはおこりうる最悪の事態を考える
(3)技術的、経済的に可能な限り、放射線の被曝を少なくする

とくに利益の推定が曖昧な場合には、(3)のの方針を許容量の設定に優先的に取り入れるべきである。

■現在、発電所の増設に関連して放射能汚染の問題が議論の対象になっている。この問題は、発電施設のもたらす公害の程度の比較に問題があるのではなく、現在の政府によって示されているエネルギー源の増設のための計画が果たして、どの程度国民の利益に還元されるのか、逆に公害を増す事のみに終わるのではないかという根本的は危惧の念がその端を発しているのである・・社会的利益に対する評価の不一致に起因している、かかる場合の公衆に対する線量の限度の設定は当然(3)の方針によらざるを得ない

  
・10環境問題における放射能の最大許容濃度
11微弱放射線の影響に関する問題点

 


1951年3月1日第五福竜丸の乗組員をはじめ多数の日本人・漁業従事者が ビキニ環礁水爆実験で被ばくした。福竜丸以外の乗組員は何の補償も手当ても無に若死にした事も近年映画かされ知られるようになった。この51年当時は現在に比べ、滅茶苦茶被曝許容制限値が高いことが分かる。「死の灰」による人体への実被害についての研究が少なかったのかもしれない(調査中