本宮市伊藤家古文化財保存に関し興味をいただき感謝申し上げます。ぜひ古文書と古建築の保存ができますよう尽力いたしますのでご支援お願いいたします。 以下、自己紹介などを記します (佐藤敏宏 2020年5月21日) 
保存活動を支援している意味と考え方について
 日本各地の個人の家には世界に類をみない 古文書などの古文化財があります。時間の経過や各種災害に遭い、そのたびに、日本人特有の記憶の元である記録や建築などが廃棄処分されていてしまっています。埋蔵文化財については法整備が整い、記録が残らずに廃棄されることはありませんが、古文書と古建築などに関する保存の法整備がいまだにありません。(政治家の先生たちの奮闘にかかっております)
 法が無いことによって、貴重な文化財は各種災害に遭うたびに、公費解体によって「環境ゴミ」と称されてしまい、多くが公費で処分される事実があります。それは今・生きている日本人自身が記憶のもとである、記録を自分で廃棄し、祖先の記憶を捨ててしまうという 記憶の自殺行為をしています。(そういう自覚がほとんど福島県内でも育っていません)
 繰り返しますが、世界有数の古文書や古建築などの文化財を、公費をもってゴミ化する行為は、COVIDー19後の社会にとっては「私はいかに生まれ来て、地域に育てられたのか」それを廃棄することです。そのことを自覚し共有すべき記憶を育てるため、次世代に記憶を継ぎわたす行為は、今・生きている地域の私たちしか出来ません。生きているからこそできる人の行為一つたど思っております。
 日本各地には、古建築と古文書と古い生活の記憶(生活史)を共に残すという機会が、災害のたびに与えられています。ですが、残念ながら「保存するための理念手順も、連携の仕方の手法」が整えられておりません。そこで、本宮市伊藤家の各種文化財を残すことができれば、その好例となり、日本各地にある文化財の保全方法事例を示す機会が目の前にあります。そのことは文化財などの保存における福島県本宮モデルがつくれる、本宮モデルと称され世界各地にも普及されるだろうと考えております。足下の文化財から地上の文化財保全のために考える機会があたえられておりますので、先生方の参加と支援を賜りたくおもいます。よろしくお願いいたします。
 以下参考資料などを列記いたします。
■「地域で残すべき文化財とは何か」の議論は成されておりませんが、本宮町史を読み込むと伊藤家に関する人々は本宮市にとっての政治史と経済経済史、生活史においては失ってはならない大切な本宮市民のための記憶の宝庫と源泉の一つだと言えると思います
佐藤敏宏の自己紹介
・1951年福島市生まれ 一級建築士 
・福島県の発注によって本宮の家畜市場の設計と監理をおこないました(40年ほど前)
・福島県ヘリテージマネージャーに登録しています
・311後宮城県内の長男や仲間とともに古建築保存支援活動を行い、石巻市本間家土蔵を市民と有識者が連携し、日本各地の人々の寄付金によって、保存しました。同時平行にし、宮城県気仙沼市唐桑町鮪立港まちづくりの一つ、津波被災者高台移転について、人々の意見をまとめ、高台移転地を決め、その土地を確保するための地権者との交渉、錯綜し止まらない地域の人の意見のとりまとめなど、あらゆる支援を行い、高台移転造成支援し実現しました。(実施設計などは地域と専門家にお任せいたしました)              右写真:『本宮町史3より』
■私の長男と福島大学の阿部浩一先生に 伊藤家古建築支援活動をたのまれました
 長男は近世史の研究者であり、東北大学災害研究所の准教授の任についております。そこで被災古文書の保存を全国各地の歴史資料保全ネットワークの人々と各地の研究者と共に、前世紀から実施しております。
■2018年7月11日参議院に参考人招致され意見を述べ質疑を受けました
   同年12月11日パリユネスコにて日本各地の歴史資料の保存活動について意見を述べ日本の文化の姿を伝えました
■ 参考文献紹介
  
江戸末期 仙台藩の起きた地震、津波、洪水、飢饉に対応し若くして25歳で亡くなる政治家・伊達斉邦(なりくに)に投光し検証した著書。(なりくにさん 1817年生まれ)
  
左:1995年阪神淡路大震災に遭い奥村弘先生と仲間たちが歴史資料を始めた
右:友達、東京大学から早稲田大学で定年退職した花田達朗先生の『公共圏』歴史資料保全活動の概念的ベースをしることができ、私の活動の一例が67頁にわたり記述されています