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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください
葛尾村における避難と復興に向けた取り組み
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 で避難の経路ということで 44:55 地図上に示ささせていただきますと。葛尾村を14日午後9時20分に、早い組はですね。避難のお願いをしまして福島市にいったんですね。避難をしまして。3月15日午後1時半出発で会津坂下ののほうに避難をいたしました。

会津坂下には3月15日から8月31日までお世話になってきました。本当に縁もゆかりもない、葛尾村を引き受けていただいて、最初は坂下町、それからとなりの柳会津さん三島さん金山さん。西会津。只見の方までお世話なりまして、住民が色々ホテルの方に入りまして。

行ってみてびっくりだったんですが、会津坂下から只見まで行くとですね1日にかかりなんです。私も何回か仕事で行っていたんですが。「や〜会津ってのは広いんだなーっ」と感心をして。すごくこの会津の人達は優しくってですね、暖かくて、約半年近く我々を支えてくれました。今もってまだつながりがありまして、三春の方の仮設にしょっちゅう慰問に来てくれてます。

柳会津あたりは町長さんを先頭に色んなお祭りに葛尾村を招待していただいています。いまだつながりが出来ております。

三春町の仮設は6月の26日から入居が始まりまして8月一杯で会津坂下は終了しまして現在三春町の方に全てがお世話になっている状況であります。

避難については以上のようなことでしたが。 46:44


復興への取り組みっていうことで。村としても23年の12月に第1回目の復興委員会を立ち上げました。ここへは村の各団体の方。あるいは公募をしまして、住民の方から公募をして委員として参加していただきました。

また福島大学の方から末吉けんじ先生に入っていただいて。委員長さんになっていただいて話し合いを進めました。12月7日第一回。その同じ月に第二回。そこは全体会。それからその復興委員会を25名ぐらいになりましたもんですから3本の分科会に分けようということで。生活支援と人づくりと村づくり、それから除染・産業という三つの大きな分科会に分けました。

24年1月12日第三回目が、色々話し合っていただき復興ビジョンの素案なんかも出来て来たもんですから。それの検討。3分科会に分かれて。それから全体会。

それから検討調査会というものを設置いたしました。これはこの復興委員会の下に若い人達の意見を採り入れようということで30代、40代の 48:06核になって動いている方達に、検討調査会を作っていただきまして。下部組織として色々と  していただきましたが。毎週水曜日。何があっても集まっていただいてまして。今も復興委員会終わってからは「今度まちづくりの協議会的なことでお手伝いをしたい」ということで。今もって集まっております。毎週水曜日ほんとうに熱心に


この暮れなんかには「子ども達にクリスマスを楽しんでいただこう」なんていうことでイルミネーションやったり。そんなこともやっていただきまして。今日も若い人2人ほど来て聞いております。

そんなことで、第三回目が1月。それから24年に入りまして、1月の14日に第一回の行政懇談会を実施致しました。1月14日から各地区に分けてですね。葛尾村の復興ビジョンの素案が出来たもんですから、これらを住民方に説明をしてパブリックコメントをお願いしたりということをしました。1月の15日から25日にかけて復興ビジョンの案のパブリックコメントを実施して。

2月に入ってそれらが出来たもんですから。2月の13日に第四回の復興委員会を開いて、住民のアンケートなんかもとって、そのアンケートの結果、それから若い人達の検討調査会の報告、それから復興ビジョン。のパブリックコメントを含めて検討して復興ビジョンの中身を決定しました。

また復興計画の第一次のたたき台の検討をやりまして。2月の15日には委員長の方から復興ビジョンの答申をいただきました。3月にはいりまして第五回の復興委員会を開きまして。検討調査会の報告を受けて分科会。あるいは全体会ということで 第一次の素案をある程度できあがった。

6月1日〜から15日半月掛けて復興計画の第一次の素案のパブリックコメントを実施して。その間ちょっと間があったんですが。国からの除染区域見直し、賠償の説明を受けてからまたちょっと検討というような事もあったもんですから。うちの村、小さい村ですし、 集まって。 8月5日1日で二回に分けてですね。田村市に結婚式場を在ったもんですからそこを借り上げて、国から直接、除染 区域の見直し、賠償の話しをしていただきました。

その後にまた8月に住民の意向調査を実施しまして。8月の25日から31日に掛けては住民懇談会。これを各地区ごとに実施をしまして、区域の見直しについて政府の案を住民の方に細かく説明を実施しました。

それから復興委員会。11月に再度実施しまして、ここで復興計画の第一次の決定して村長の方に答申をしております。 51:49

ということで約1年間掛けて葛尾村の復興計画を作成をいたしました。



葛尾村の復興計画を説明申し上げたいと思いますが

村民1人1人の生活再建と古里「かつらお」の繁栄をめざしますというようなことで  決定をせていただきました。

計画期間としまして24年度から33年度までの概ね10年間。これを支援復興期と復興期に分けて取り組みましょうということで。原発事故の収束がいぜんとして見えない中ではありますが。今後 情勢をふまえて見据えて見直しをしていきますということではあるんですが。

短期計画として2年間 中期計画として5年間。長期計画として10年間というようなことで。短期計画では除染や災害復旧計画や基盤の復旧。中期計画では本格的な復興を遂げることを目指す期間。で10年間の中では葛尾村が発展し新しい葛尾村をつくり上げるんだというようなことを目標として。

で復興期の事業であっても可能な準備はすぐに取り掛かりますよというようなことを明示して計画を定めました。

葛尾村復興計画の方針と施策ということで基本方針を3つほど立てまして。村民の将来にわたっての安全安心を最優先する。避難している方への支援を続け、村民全体の帰還を目指す。村のさらなる発展をめざして村民一体をなった復興をめざすということで。ここで支援・復興期、あるいは復興期などで生活の支援、あるいは除染、子育てやコミュニティーの強化 ひとづくりだったりインフラ整備強化と産業の育成ということでこの矢印のようなかたちで葛尾村を大きく飛躍していきたいというような思いで、こんなかたちを作り上げました。


で生活の避難生活の支援というようなことではこのような色々な項目があるわけですが。大きく村の絆の維持をもっていこうとで、村民全員での帰還をめざそうっていうことで。主な事業として居住環境の改善や災害公営住宅の村内外での整備など。コミュニティーの維持と生きがいづくりの推進。細やかな情報発信。とか色々と教育であったり村民の健康管理だったり、村内の安全の確保などを生活支援としてやっていこうと。

それから第二番目が葛尾村の復旧。これは除染と放射線対策も含めてですね。一番は放射能があって避難したわけですので。うちの村は地震津波ではほとんど被害がなかって。放射能が恐くて逃げ出した状況でしたので。放射能の問題を克服しようということで。国のよる除染。村による除染。あるいは村民による放射線管理をいっしょうけんめやって克服していこうということで。

村民の将来にわたっての安全安心を確保しようということで、主な事業としては安全な線量の早期設定だったり、優先順位に基づいた集中的な除染であったり、農地の除染、あるいは除染については地元の雇用などを確保するというようなことで、放射線の正しい知識の習得であったり帰還後の放射線の管理。

こういうなかで安全な線量の早期設定ということを国の方に再三申し上げていますが、なかなか国は良い返事をくれません。今回ようやく、大臣が替わって地元の大臣さんがなって。この間うちの方に来た時にそんな話しを申し上げたら、「やーなんとかしなきゃなんない」ということで。先日被災市町村と県国の会合があった中で、県からもそういう話しがあって。大臣は「少し考えなきゃなんないなー」と。今までなかった一寸前向きな話しがあったんで。期待をしているところなんですが。

今後帰還するに当たっても1ミリから20ミリ。国は「20ミリを下れば安全だ」という言い方をしてますが。長期間では1ミリシーベルト・年間。追加被曝は線量は1ミリシーベルトに するんだというような目標があるわけですけど。その1と20の間のなかで揺れ動いているのが村民で。どうしても「危ない」と言われる方に気持ちが行きがちで。「低線量でも危ないんだよ」ということはどうしても信じちゃったりするもんですから。なかなか厳しい状況にあるので。「そういう処を国あるいは県のところではっきりして欲しい」というようなことで今やっています。


それから葛尾村の復旧。元の葛尾村に戻るための復旧というようなことですが。うちのほうで今一番心配しているのは飲み水ですね。うちの村は沢水を引いてる。あるいは地下水を使っているというのが多くって。

村の中心部は簡易水道なんですが。簡易水道も沢水を採り入れて濾過して呑んでいる状態ですから。そこらへんの事を心配していまして。今 国にかなり働き掛けをしております。なんとか一戸一戸ボーリングをしていただくような処まで話しは進んでいますが。そんなことで飲み水を最優先にしてということで今進んでいます。

それから葛尾の復旧災害対策。これも大きな災害が無かったにしても。やはりかなり痛んでおりますんで。これらを早急に、この25年度26年度掛けてやっていきたいということであります。

国は「除染は25年度1年で全て終わらせる」ということを言っているんですが。この4月から発注をして秋口。 葛尾村冬になると雪降るので。12月までには全て終わんなきゃなんない。という状況で本当に出来るのか?なーっという心配はあるんですが。国は「2000人規模を投入して1年で終わらせる」と言っているようですが。「たぶん無理だろうな−」と考えております。

5番目は葛尾村の復旧。子育てやコミュニティーの強化ということで、この辺を力を入れて。「若い人達を支えていかないと葛尾村は成り立たない」ということで。あるいは「高齢者の生活支援も含めて充分にやっていこう」ということで今進めております。

6番目が復興発展。この辺から少しはもう一度失った村を作らなければならないだろうというようなことで。人づくりと文化の向上ていうようなことを掲げまして。主要事業は 将来の葛尾村を担う創造性と自主性に富んだ人づくりを行うんだと。少人数教育に取り組み学力の向上。健康教育 食育の推進。地域の伝統文化や自然・歴史的建造物の保存など。スポーツレクリエーションの進行 あるいは双葉地域への医療福祉の核となる施設の整備などをやっていってもらおうというようなことでうたっております。

最後、7番が葛尾村の復興・発展 これから新しい葛尾村 ということで主要事業として色々農林業から風評被害、うちの村は畜産がメインでやってまいたので。今もって牛を70数頭、田村市の牧場に預けて飼っておる方。繁殖牛ですね。で意欲がありまして新たにこれから導入をしてきてやっている方などもおるもんですから。今回の競り当たりでもかなり高値で取引されてたようなんで。この辺を復活していかなきゃならという思い今 頑張っております。

・農林業の人材つくりであったり葛尾村の推進ということで。なかなかこの除染のことを考えると葛尾村は8割が山で。除染。山林の除染っていうのは国はまだはっきりした方針は示してませんが。 国の方針としては間伐をやりながら全体的に、相対的に落としていくというような ことであるわけですが。なかなか期間が掛かることだろうなーということで。うちの村は山に抱かれて、山の中で育ってきて、そこが好くって暮らして来た人達ですので  1:00:39

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