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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください |
葛尾村における避難と復興に向けた取り組み 01 02 03 03 |
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02 静岡県の浜岡の方から 16:16 県のモニタリングが到着しまして。「これ県からお願いされた」ということで役場に一台設定していただきました。 その時測ったのが0.038μSv。この下の単位が380幾らって出たんですが。後で、少しずつあがってくると今度はμに変わって。初期の計測値が0.038 平常値ぐらいでました。そういうことで この頃になると午後3時27分ごろになると今度は枝野官房長官が3号機の危険性について発言なんかもしていたようです。 こういうことで村としては逃げ出すということを想定して13日の夕方。別れる前に。退散する前にミーティングを開いていたもんですから。その場所で「緊急避難する場合の避難先等について家族で話し合っておくよに」ということで文書で通知をいたしました。 その文書の通知の抜粋ですが職員の対応ということで避難勧告が出た場合、住民避難を優先させ、避難マニュアル、この避難マニュアルというのは急遽作りまして。これは国民保護法による、避難マニュアルというのは各町村義務化されていて作っておりました。これは村内から村内に避難するというような想定で。村外に避難するマニュアルは国民保護法でも想定はしてませんでした。 後々聞くと原発の立地町村でも村外、町外へ避難するというマニュアル、全然無かったということです。これを急遽、村外に避難を想定した内容に変更して職員に配りました。 議会には事前に話しをしておいたんですが。そんなことで避難を実施しますよと。このことから家族の避難については事前に家族の中で充分に協議しておいて避難先を確認しておいてくださいと。避難した後に家族どこに行っちゃったか分からない何てことが無いようにしておいてくださいと。 避難の当ての無いお宅は村が指定する避難所に一緒に避難するように各家族の中で確認しておいてください。それから職員は住民の避難が確認されてから避難しますので家族と一緒の避難をしたい職員は自家用車で家族を役場に待機させて最終待避をすることになります。というようなことで、住民優先の仕事になりますよということを事前にお話をさせていただきました。 18:49 それから職員にも正職員と委託職員おります。委託職員については10数名居たんですが。これは一般住民として家族一緒に避難をしてくださいというようなことで。「これを速やかに所属長は13日今日中に全職員に伝えてください」というようなことで話しをさせていただきました。 で14日になる訳ですが、14日事故の状況は厳しさを増す一方で。職員には「避難は時間の問題だ」ということで役割分担などをして、避難に向けての準備を進めていました。 そういうさなか11時01分に3号機の水素爆発。二回目の爆発が起きたんですが。これもショッキングな出来事でしたが。駐在所が役場に飛び込んで来ました。駐在所の姿はタイベックス上下で。真っ白い姿に完全なマスク姿で役場に飛び込んで。「3号機が爆発したので屋内待機をさせてください」と。叫んで入って来たんですね。 それで役場でも警察官のお話ですし、直ちに防災無線とIP告知放送で村内に知らせをいたしました。サイレンを鳴らして。何回かサイレンを鳴らして屋内待機をするようにというようなことをお話をさせていただきました。 そういうことで、今度は役場のモニタリングポストの数値を見てみますと設置したときとさほど変わらないで0.0幾らっていうような状況でありましたので。1時間ぐらいで屋内待機を解除して村内に再度知らせを致しましたが。その後「住民も不安を持っているだろう」ということで1時間おきに役場の放射線の値を村内に知らせておきましたが。 後々調べてみると北東方向に風が吹いていて原発から津島・飯舘方面。行くとうちの村の北東部の東っ側の北。その頃も少し高かったのかも分からないんですが。ただうちの方はそこを知る術がありませんでしたので。役場の所は最後まで一番低かった。 そういうことで一番低い値を村内に知らせていたような状況ではありましたが。そういうことで。「これはもう避難をする。しなきゃなんない」ということで村長が「県の災害対策本部の方に電話をして受け入れ可能な市町村を紹介してもらえ」。ということを言われまして。私が県の方に電話をしました。やっと通じた!無線、防災無線は駄目だったんですが。衛星回線が1回線通じて県本部と連絡がとれてたんですが。県内全町村から、あるいは色んな所から県本部に電話が行くもんですから、なかなか通じない。 やっと通じた処で、「紹介をしてほしい」と。「うちの村が自主避難をしたい」というところで紹介してほしいというような話しを申し上げたんですが。そのとき県の担当者いわく「避難指示はまだ20キロ圏外には出ていないので、何とも紹介しがたい」と。「行きたいときには自分で探して」、みたいな感じで電話が終わりまして。そのことを村長に伝えると 村長がカンカンになって怒りまして。うちの村長温厚な人なんですがその時ばかりは「何言ってるんだ」と。「俺が電話すっから、もう一回電話しろ」ということで電話はしたんですが、いつまでも県本部と繋がりません。 ようやく繋がったのが南相馬の双相の現地対策本部。そこに電話が繋がりました。村長が電話で話をしたんですが、地方対策本部なので「分かりました」と。「村長さんの言うことは。じゃ本部に伝えます」。言ったっきりそのまま。後は返事がありませんでした。その夜逃げちゃったこともあったんですが。そのような状況でありました。 6時過ぎますと2号機が空焚き状態になったような状況を、テレビで放送があったりしたもんんですから。役場の中でも、村長が「隣どうなっているのかな〜」と。気になったりして。川内村の方に電話を入れていただきました。村長が川内の遠藤ゆうこう村長に防災無線の県防の無線ですね。衛星でやると各町村のも繋がっていたもんですから。それで話しをしていただきましたら「、川内村さんにはそういう方がかなり移動して来ていて。大変な状況だったようで。うちの村長が「どうだい避難する準備はしてんのかい?」みたいな話しをしてみたみたいですが。川内村としてはまだその時点では避難をする考えをしてないことが分かって。村長もその場で電話を切ったんですが。 村長もその時点でまだ意思は固まってなかったようです。国県から何らかの指示があるだろうということで待っていた状況でありました。でも我々は村内でも自主避難した人が居ましたし。若い職員は敏感だったですし。「早く逃げなきゃなんないか」と下からは言われてたりもして。村長にもそんな事も言っていたんですが。まだその時点では国県からの指示を待っている 24:32状況であります。 また14日の夜の状況を、この国会事故調の報告書を読んで見ましたら。オフサイトセンターが通信回線の途絶などで充分な機能が発揮できないと。先ほどしょうかいいたしましたように。NTTの富岡局が駄目になっちゃったもんですから、地上回線が全てパーになっちゃって。衛星回線だけで中央とのやりとりをしている状況で。「なかなか機能が発揮できなかった」ということと、このオフサイトセンターにはエアフィルターが無くって外の空気が筒抜けなので、要員の健康への影響が懸念されて。内部がドンドンドンドン値が上がっていたみたいで。14日の段階で15日に県庁へ移転するということを決めていたようなんですが。それが「急遽14日の夜に移転が始まった」という情報をうちの方では得たんです。 オフサイトセンターから9時05分に「要員が待避した」ということの情報が村の方に入りました。これは消防無線を傍受した信頼できる方からの情報だったので、我々もその時点で何処かにもう村としては「これは危険でああいう原発が爆発するので危険でオフサイトセンターは大熊から逃げた」と判断した訳ですね そこで村長もなかなか決断をできないでいたんですが。9時15分に村長も決断をしまして、村外に避難指示の放送をしたわけです。 放送をした村内で今回の避難にかなり力を発揮した葛尾村情報通信基盤についての内容をちょっとご紹介させていただきますが。そもそもが地デジ対応ということで山の高い所から電波を受けて役場の方に。そして役場の方では地デジの再送信とIP音声告知放送用の装置を付けまして、各家庭に光ファイバーで繋ぎました。 各家庭の中はDONUという一線入っていきまして。これでテレビの方にと、あとIP告知ですね。これはIP告知の端末というのがこれなんですが。ここに電話を付けますと、9をダイヤルすると。みなさんホテルに行って9をダイヤルすると館内無料で電話が繋がるんですが。それと仕組み一緒で 9をダイヤルすると村内が無料電話で繋がって。村内の電話番号をまわすと、例えば役場ですと9の29の2111番って回すと、館内無料電話で繋がる。村内は無料で使えますね。 0を回すとNTT回線の方に割り振って、NTTの方の電話に行って市外を呼び出すというような。そういう設備で。震度5強くらいだったので、この光ファイバー網はぜんぜん壊れること無く今も使われております。27:56 こういう設備が在ったから住民への緊急への知らせ、あるいは安否確認等も充分に出来て。これで4億4,5千万かけた財産なんですが。これを置いたまま避難をしてきております。今一時帰宅とうで帰ったときにはテレビ等をこれで見るようですので。機器はそのまま動かしておりません。 そういことでうちの村9時15分に避難を決断をし直ちに、事前に決めておりました。避難する場所は福島市のあづま総合運動公園にしようと。あそこは広いので駐車場も在ると。あそこに行ってとりあえず一晩過ごして。そっから先また考えようということで。とりあえずは福島市のあづま総合運動公園に避難をしました。で「、もし空いてなかったら村長が直談判して空けてもらう」というような事で行ったわけですけれど。 たまたま・・したりして。体育館が空いてまして。そこに入れさしてもらったんですが。そういうことで、9時15分 20分 30分に掛けて何回もサイレンを鳴らして放送しました。9時だったので避難のお願いをすることが出来たということもあります。 「まだこの時間だったら寝入り端で高齢者の方もサイレン鳴らせば起きるだろう」ということで。サイレンを何回も鳴らして放送をしました。 で1時間後の10時15分に役場前に。自分で行けない方あるいは車でも行けない方は役場前に集合してくださいと。それ以外の方は直接あづま総合運動公園に向かってくださいと。いうことで放送したと同時に職員もほとんどの職員が集まりました。幼稚園の先生まで含めて全て役場に集まっていただきまして。 職員が事前にバス5台を用意していたんですが。それに乗る職員も決めてましたし。おのおの散って。あるいは役場の入り口で直接福島に向かうように指示をしたりですね。ばたばたとやって1時間でスムーズに避難することが出来ました。 本当に「上手くいくのなかー」っていう心配だったんですが。割と淡々と上手く避難が出来ました。たた皆さん線量を心配だろうということで。線量計を見るとまだ前と同じ状況だったので。そんなことを私がハンドマイクで皆さんにお知らせしながら。「、そんなに上がってないので落ち着いて行ってください」と 案内をさしてもらいました。 そういうことで、あづま総合運動公園に避難したわけですが。避難者全員612名でありました。あづま総合運動公園に行ったのは。これは葛尾村に避難していた他市町村の方も含んでおります。 葛尾村に避難した方が約200名ぐらいおりました。14日の時点で。その他に各家庭の、お宅の方にも一杯来ていたようです。私は避難、この地震が遭ってから自宅には3日間ですね。4日も帰らないで(村役場に)居たんですが。あとで確認すると家にも浪江の親戚が親父の親戚やお袋の親戚が3家族、4家族来て。14,5人居たということだったんで。各家庭に一杯来ていたと想うんです。役場職員の中で最大居た人は50名いた かいじょう ざわざわ ざわ 31:50 その03へ |
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