辻琢磨さん教えることを語る 2  原稿  2024年12月12日 作成:佐藤敏宏 

その2
浜松いいところ

辻:僕は浜松がいいとも思ったけど、そっちが向いてないのも大きかったんです。
佐藤:向いてない?
:そういう生き方。資本主義の中で生きていくというのは向いてないなと思ったから、向いている人もいるだろうし。

佐藤:辻さんは政治的な立ち位置を確保して生きていこうと考えていないでしょう。
辻:うん。
佐藤:各自個性をだして好きにやればいいんだけど。浜松の地形と天竜川の流れも浜名湖もあるし気候も穏やかだし。京都と東京の真ん中あたりだし。地勢もなかなかいいなと思った。雪降らないしいいよね。

辻:暖かいですよ。
佐藤:水田はあまり見ないけど、あるのかな。郊外住宅になっちゃったのかな。
辻:市街化調整区域が虫食い状に変わっちゃっている。田んぼも残ってますよ。
佐藤:建築家の問題というよりは都市計画家の問題だよね、もうちょっとコンパクトにつくればよかったわけだけど、敗戦時に引揚者の数家づくりを高度成長誘導が街づくりを悪くしたような気がするね。辻さんの家の傍は電車走っていて便利だよ、買い物に難があるかな。
浜松は電車の経路がたくさん張り巡らされてたんだね。あれはいいよね。跡地はどうなっているのか知ってますか。住宅建っているとか(笑)

辻:今も天竜浜名湖線は残ってます。浜名湖の西から掛川まで走ってます。

佐藤:浜北原人ではないけど狩猟採取民にはベストに地だよね。数万年村だと言える。
浜名湖は豊ですからね。
佐藤:津波が起きても、浜北原人の跡地まではこない。なかなか総合的にいい地形だよ。村上さんのように本をつくることによって浜松市を掘り起こしてしまえば、それを実践しているじゃない。
村上さんの4頁のみかわや再生宣言文いいよね。空き家が製本所に変わる様子が淡々と書いてある。あの手法で浜松市を掘り起こしていくんだなと思った。2年ほど付き合いして分かったことです。いい感じです。

昼飯食いながらのワイワイは、最近はやりの動画見ているみたい、だったよ(笑
辻さんに与えられた教えるとはそういう事だったと。辻さんが教えたと思うことと違ってるね。
辻:うん〜建築において僕が面白いと思ってることは伝えるのは難しいですね。去年の卒業生の一人にだけは伝わったかな。いい設計したんですよ。それは僕が教員辞めてもいいなと思えたようなとこもある。やり切ったというか。すごい細やかな提案なんですけど。あまり変えない提案だったんですよ。雨どいだけ換えるみたいな。雨どいを共有化して雨水タンクを共有して生活用水に地域単位で使っていくという提案なんです。

佐藤:上下水道を意識して暮らしていない人多いよね、いいね。建築家の欠点なんじゃないの。上水と汚水の処理をきちんとしないと都市にも家にもならない。
辻:そうなんですよね。
佐藤:辻さんが、そういうことに気づいているということは今後楽しくなりそうですね。
:どうなんでしょうね。

佐藤:興味ある人と連携しながら、ゆっくり作っていけばいいんじゃないかな。
辻:そうなると、いいなとは思ってます。
佐藤:なるでしょう、奥さんがまともだからなるでしょう。刺激うけると思うけど。

みかわや

辻:そうですね
佐藤:すごいなと思うよ俺は。小学校1年生のときから、頑固に一途に歩いている。それはすごいよ。そのために生きてきたという感じでもあるし。充実しているでしょう。金銭がなかったりすることもあるだろうけど、たいした問題ではない。生まれた地域から遊離していると、そう理解してないと、あのような行動はとれない。それが分かっているから何処に行っても、地域に無理して根付かなくっていい、グローバルな女の子って感じでいいよね。どこででも本を作って生きていく。

辻:でも今初めて地域との繋がりというのを感じ始めていると思いますよ。

佐藤:そのように4頁に書いてあるし。みかわやから掃除しながら町を眺めている・・・だけだったけど、逆に町の人たちに眺められている。そこから刺激をもらって本を作っていたら、古い印刷製本所を見つけて、違う展開が起きている、みかわやの作り方が町に広がって実践していくでしょう。始まったばかりで相手があるので、どうなるかは分からないけど、いい感じに展開するような予感がするよね。

:そうですね。
佐藤:あまり邪魔しないようにしてやれば、一緒にできるかどうかは分からないけど、村上さんのやり方を見ていると、町をつくる、記憶を再生していくこと、それを知ってしまったからね。最初は一人で三河屋の掃除から始めている。あれが重要なんだよね一人で掃除から始める事が、町づくりでも肝なんだよね。そこから始めて製本所が現れてきて、町に広がっていっている。最初の掃除をして、町が現れるのを待つ。掃除しないで偉い人呼んできて頭に詰め込んでしまう人が多い。大切な手順がすっとばされている例が多い。
一枚一枚ほこりをはいで、記憶を呼び覚ますというか、ここに町がある、それを分かっている。そういう感覚を建築家も持ってほしいよね。無理か・・。残念ながら今まで会った事がない。辻さんは更新設計で影響は受けていると思う。よその奴らに邪魔されないように、あ、俺だけだ邪魔しているのは。邪魔して申し訳ない。

:邪魔ではないです。

今後何回やるの

佐藤:あと何回か書くお題はあって最後は原発の話です。毎回書く前にだべりやるか。
辻:後何回やるんですか。
佐藤:おしえるは第六回目でしょう。

辻:目次をみて、これまでの作品が次で、その次は更新設計が生まれる背景最後が原発

佐藤:適当にタイトルつけて始めたけど、なかなかいい感じだと最近思う。山勘でタイトル付けたんだけど。順序としてはいいんじゃないかな。
辻:いいじゃないですか。
佐藤:原発事故現場に来た知り合いの人、辻さんしかいないからね
辻:そうですか。

佐藤:今回の辻さんにとって教えるということは分かったので、日本社会は未熟すぎて、辻さんが教える人間はまだ生まれてきてないということでいいでしょう(笑)
辻:そんなふうには思ってないですけどね。

佐藤:おれにはそのように聞こえるよ。
辻:なんだろうね、個人と向き合うというのは自分の中ではそういう事だったという話で。個人と向き合うということが、教育なのかっていう話なんですよ。
佐藤:それこそが教育に決まってる。

辻:でも、さっきでてた言いたい放題言って去っていくとか、あるカリキュラムに学生を嵌めて、効率よく教育していくとか。
佐藤:人間はロボットじゃないんだから・・(笑)
辻:近代的な教育ではあるわけですよ、きっと。

佐藤:今は近代じゃない。
辻:でも学生の数が多かったりとか、これからは、どんどん減ってきますけど。建築学部で200人とか、設計課題200人見るなら、流れ作業になるしかないわけです。僕がすごいラッキーだったなと思うのは、割と、少人数の単位で学生を見れた

佐藤:これからは200人の生徒を前にして教えなくっていいと。
辻:そうですね、20人とか、だいたい10人前後だった。3時間で10人、一人15分ぐらいは見るんですよ、だいたい伸びて、一人当たり30分とか40分とか、掛かってしまうんです。それはすごいよかったなと思いますね。一人一人にちゃんとコミュニケーションする時間が用意されていたのはよかった。

佐藤:戦後のマスプロじゃなったと、いいときに生まれて先生やったと。
:うん。建築設計の技術を教えるという意味では、本当に初歩的な平面図がどういう図面なのか、みたいなのを頑張って教えていた気がします。なぜこういう表現になるのか、。3階建てだとして1階から2階にあがる階段の表記と矢印の向き。それと2階から3階にあがる階段の表記と矢印の向きというのは、こういう理由でこうなっているんだというのを教えて、空間を抽象化するという感覚を丁寧に説明した気がします。だから窓はこういう表現になるとか、木造とRCはこう壁で違うとか。ぶっつっと切っているからです、という。それを僕は教わったことなかったんですよ。それは教えてた気がする、図面の書き方てきな話は。

佐藤:辻さんが最初図面を書くときに悩んだ経験があって、そこを教えたと。柳沢先生と仲間たちの展覧会が終わったかもしれないが、自分の家から語りだすというのはどうなんだろう。教えるということに関わるけど。学生の住体験から始めると、それをやっているんだけど。だれでもどこかの家で生まれ暮らしてきているので。

辻:自分の家の測量と図面化みたいなのは割りと、自分が持つスタジオだったら出していたかな。 
住経験インタビューの進めについて話している

教えるほとが山ほどあっても、聞く人がいないんだなと。・・・対話するということが建築の始まりなんじゃないかな。辻さんは一生懸命学生に話しかけてたいたと。
辻:そうですね、話しかけて聞いてた。何が面白い、どうしたいのと。そういうことを聞いていた。

佐藤:聞かれることによって、初めて建築で何をやりたいのか生徒が明確になってきたり、手がかりがつかめたりするっていうことだね。それはいい先生だったということじゃないでしょうかね。
辻:だといいですけどね。

佐藤:言葉で丹下健三を語り教えるよりは、代々木に行って見てこい、と言い、学生が体験すれば丹下健三の建築は理解できる。出来たら周囲の地形と、明治神宮との関係とか歴史をついでに勉強すると、そういう観方を教えると、一瞬に建築が何かは理解できるよね。理屈で語り聞かされてはぜんぜん面白くない。

:そう。
佐藤:広島の平和公園で語るのもいいけど。語りかけることが教えることの始まりだったということなんだね。辻さんはそうだったと、たの教員は自分の事を語りつくしたらさようならと教室を出ていく、それが近代の教育だったんだけど、今は違うんだと。だいぶいいんじゃないですかね。




交流はどうなっているの

佐藤:辻さんの建築家界との交流はいまどうなっているの。
辻:けっこう減ったかな。
佐藤:村上さんと息子さんと語り、背中にある展示室と語りそれだけで十分、他にほとんど情報は要らないよね。事務所はあるし、猫も行き交っているし。猫まだ生きているの。

辻:建築の付き合いはがくっと減りましたね。大室さんと森田さんぐらいかな。

大室祐介さん

佐藤:大室さんのことはちゃんと聞いていないので、詳しく分からないんだけど、私立の公園つくっているようだね。
辻:庭園美術館と美術館

佐藤:東京に実家あって新築したし。雑誌の写真で観た、そのかりぎりではいい感じだったね。一番奥の高いところにお母さんが寝ている。対面の低い場所場パブリックスペースになっている。大室さんとちゃんと話したことはない、我が家に家に一泊したときに少し語っただけ、音は記録にしてない。無口だから。
仙台日本一展で日本一になった学生に連絡して聞き取れ、と電車賃と文字起こしおれがするからと、学生の尻を叩いて、全員に連絡してもったら、大室さんだけ反応して仙台に来て夜通しワイワイした。
辻:いつのことですか。
佐藤:記録つくって公開しているので、ちょっとまってくさい。卒制の説明も濃いです。その時に大室さんに初めて会って知り合いになった。その次に3・11後に俺の家に来た。お線香もって被災地に行くとお線香あげて回った。いい方法だね。

辻:どういうことですか。

佐藤:津波が注目されていたんだけど、農業用ダム決壊して人が亡くなったんだ藤沼湖という農業ダム。
辻:大室さんは建築が墓ですからね。
佐藤:SDL日本一については2010年に仙台でワイワイしたんだね。俺は途中で寝てしまったけど、学生たちは朝まで語り合っていたよ。卒業設計のことを語っていた。

辻:移築家ってなっている。(記録を見ている)
佐藤:自称移築家って言っていた。
辻:僕ね、二代目移築家襲名してたんです。

佐藤:大笑い)知らなかったね。年は一緒なのかな
辻:大室さんはすこし年上ですね。5才ぐらい僕は二代目移築家なんです。

佐藤:更新設計が生まれたからいいじゃん。、そういうことだったのか。大室さんに何処で知り合った?
辻:どこかなー。橋本さんかな。家が練馬で大室さんも練馬です。練馬会みたいなのがあったんです。大室さんの家におじゃまして、最初は川勝君とかと一緒に行ったきがするんだけど。
佐藤:棺桶のようなものが庭にたくさん立っていたでしょう。

辻:その直後ぐらいかな。
佐藤:磯崎アトリエにはそんなに長くいなかったのかな。
辻:2、3年じゃないですかね。

佐藤:大学の先生と喧嘩して居場所がなくなったような事は言っていた。大室さんは日本一をぶん取った感じだよ。最後の決めぜりふを言って引っ繰り返した。この記録は大室さんらしい記録になっているよ。

辻:おもしろそうですね。
佐藤:そうだね、面白かったね。その後は3・11直後に俺の家に来て、一緒にダム決壊被災地めぐりした。大室さんは線香をあげ祈っていた。被災地巡りにはいい方法だと思った教えられた。線香はゴミにならないんだよだね。農業用ダム決壊して5、6人亡くなっている。全国ニュースにはなってないと思うけど、俺が動画アップしたら、一斉にマスコミ取材が入って知り渡って、スマフォ動画は役立った気がした。
ダムが地震にあうと、波が干渉しあって天に昇っていくんだ。それが一気にダムに落ちてくる。その時に弱い部分が抜けるんだね。それでダムの水が空っぽになって濁流が人を押し流してしまった。まだ見つかってない人もいる。そこに大室さんを連れていいたの。
その時に動画もYouTubeにアップしてある。3・11後被災地録画もたくさん撮った、千年に一度の大震災だから、忘れないように記録作り続けた。
辻さんの家の上流には農業ダムないよね

辻:天竜川の上流にはダムたくさんありますよ。

佐藤:地震でダムが決壊しても天竜川を流れ下るだけじゃないかな。
辻:そういう意味ではここは台地ですし。
佐藤:地震大きかったので周囲にダムあるかと気になるね。地形とか地図を見て、災害を想像する。

こんな感じでいいかな。

11月26日の東北大での阿部仁史さんの講演(音源あり)について仕事の話をしている。

佐藤:更新設計で、3Dくりくり動かしてワイワイしてるから、辻さんはこれからデカいの頼まれるぞ〜笑う。