鈴木達治郎先生2015年以降を語る 20250110─19時〜 作成:佐藤敏宏 |
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佐藤:きこえますか。 鈴木:はい。 佐藤:鈴木あけましておめでとうございます! 鈴木:今年もよろしくお願いします、そっち暗いね。 佐藤:照明の置き方が悪いようです。我が家は暗いと文句いわれているんです。暗いですけど音が採れていればいいです。私のカメラなにか変ですね。青くなったり暗くなったりしてますね。 鈴木:そうですね、大丈夫ですかお体は。 佐藤:大丈夫です。今日は2015年から語りをお願いします。前回聞き取りから鈴木先生も世界と日本各地を飛び回り、お疲れのことと思います。ストレスないですか。 鈴木:大丈夫! 佐藤:今日は長崎大学にRECNAに移ってからの話をお願いします。このカメラなんかへんですね。 鈴木:暗くなったり明るくなったりしてますよ。カメラの調子が悪い? 佐藤:じゃ今日はよろしくお願いします。 鈴木:はい。 佐藤:長崎大学RECNAですけど、核軍縮と不拡散、それからポスト福島の原子力政策ということで、最初の年はスタートされたんですか。 鈴木:RECNAは2012年にできているんです。梅林宏道先生、彼は活動家なんです。ピースデポという新しい自分のNGOを作られて平和問題とNGO、日本では草分けに近い任NGO団体です。彼をセンター長に任命した経緯があるんです。大学の中のセンター長が市民団体のトップというのは珍しいでしょう。しかも就任されたときは76才でとっくに大学の定年は過ぎている。ひとことで言えば、特別余人に代えがたい、特別な人を選んだ。 佐藤:カメラの調子がわるいので・・・ 鈴木:もういちどやりなおしましょうか? 佐藤:スマフォでやることにします。ちょっとまってください。 鈴木:どうぞどうぞ。 佐藤捜査している 佐藤:画像行ってますか。スマフォだと明るかったり暗くなったりしないので・・ 鈴木:なんでだろうね 佐藤:何かに感染したかな?? 鈴木:それはやばいですね。 佐藤:どうも、どうもすみません。大丈夫です、スマフォでいきましょう。余人に代えがたいというか、で先生は長崎大学に呼ばれて。座りがいい感じはしますけれど。 鈴木:梅林さんに呼ばれて、一年後にはセンター長になる前提で来たんです。正直、私は原子力と核不拡散はやってきたけど、核軍縮はあまり研究やってなったでんすよ。それで来てすぐに、核不拡散条約、NPTの再検討会議の準備会合が2014年の5月にあったんです。直ぐ行け、と言われて。初めて行った。 佐藤:人使い荒いですね。 鈴木:人使い荒いというか、4人しかいないのでね(笑)。すぐ行ってくださいと言われて、わかりましたと、私も初めてだったけど、勉強になるなと思って行ったんです。私自身初めてのNPT国際会議だった。それですごい勉強になったんです。 長崎の人達の評判は、人から聞いただけですが、東京から内閣府の原子力委員会の委員長代理が来る、っていうので、原子力のガチガチの推進派が来るんじゃないかと、恐れていた人たちが一杯いたらしい。 佐藤:なるほど、肩書が推進しそうですから、恐れられた。 鈴木:それで長崎大学のRECNAの重要なポジションに調さんという当時担当理事でした。調先生が「鈴木おまえ、身の潔白を・・したほうがいい」と言って、長崎新聞にインタビューをしてもらった。長崎市は狭いコミュニティーなんで、長崎新聞をみな購読しているんです。長崎新聞にトップインタビューしてもらって。事故起こした原子力については、減らしていったほうがいいとか、原子力発電の福島の事故のリスクと核兵器のリスクというのは繋がっている、とか。福島の被害者の方々と被爆者のかたとも繋がっている、そういう話をした。 佐藤:その前に、2012年毎日新聞の記事問題があるんですけど、フェースブックにある当時の投稿は見ました、Twitterとは連動しているんですか。 鈴木:連動してます。TwitterからはFBにはデータ行くのかな、いかないのではないかな。 佐藤:設定の仕方だと思います。Twitter発信は英語でなさっていたんですか。 鈴木:Twitterは日本語だった。FBは英語でやっていて、FBに載せたらツイッターに載るように今でもなっていると思います。Twitterに載せたものはFBには載らない。 佐藤:ツインログは無いですよね。 鈴木:無い。 佐藤:先生のTwitterを辿って行き方、しらないのでお聞きしました。 ■長崎パグウォッシュ会議開催 佐藤:NPTの国際会議にいきなり出てしまったと、これは長崎で開催されたんですか。 鈴木:ニューヨークです。2014年はまだ準備会合といって、2015年が本当の再検討会議でした。 佐藤:2015年パグウォッシュ会議開催とあります。これは委員長ですから大変だったでしょうね。 鈴木:大変だった。その話をしましょうか。2012年ぐらいに2015年にちょうど被曝70年で、10年前の2005年に広島で開催しているんです。10年後の2015年は日本で開催したほうがいいだろうという話になって、2012年ぐらいに2015年は長崎でやりましょう、となっていて。まだ原子力委員会の委員でしたけど。 佐藤:何年前から決めてしまうんですか。 鈴木:遅くっても1年前。だいたい2年前には決めないと・・・。 佐藤:原子力委員会にいながら、長崎でのパグウォッシュ会議開催を段取りしていたということですね。 鈴木:そうそう。まだ長崎に行くとは決まってないときに、2012年にRECNAができたということで、梅林さんに長崎大学でホストはできるかどうか、相談しんたです。その時に調先生を紹介していただき、調先生は「パグウォッシュって何かわらないなー・・と。IPPNW、ご存じですか。核戦争防止のための国際医師会議というのです、International Physicians for Prevention of Nuclear War。調先生はお医者さんだからこの委員でした。IPPNWも毎年総会を開いているんです。2012年にちょうど、広島で世界大会を開催した。福島の話をしてくれ、と言われて私も出ていたんです。大変だったですよ。 そこには環境派というか、放射線の研究している人の中に、原子力の、低レベル放射線のリスクは高い、我々が知っているよりも高いので、福島は危険だという人がけっこういて。日本のお医者さんたちは「いやいやたいしたことない」という人が一杯いた。で、えらい大変なことになっちゃって、日本の代表のかたが司会してたんだけど、糾弾に遭ってしまって収拾つかなくなってしまった。私は横でじっと見ていた。私もターゲットになってしまって「お前は原子力委員だろ」と言われて。「関係ありません」と。 佐藤:鈴木先生はどっちへ行っても攻撃に遭いますね。 鈴木:そのとき、調先生には会ってないんですけど、長崎で調先生に会ってIPPNWのようなものです、という話をして。で、ちょっと来てくださいと2013年の会議に招待した。で、福島の話も含め喋ってもらいました。 その会議から帰ってきたら、面白かった、と仰って。じゃ長崎大学でホストしましょう、という話になった。その時は梅林さんと私の間では、私が2014年ごろにRECNAに行くかもしれないという話はしていた。だけど、まだ決まっていなかった。調先生はそのころから「わかった」、と言ってすごい積極的に動いてくださって、学長を説得して長崎大学全体でパグウォッシュ会議をサポートしましょう、ということになった。 |
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佐藤:会議に際してホストが宿、など全て段取りしなければいけないということでした。飛行機代は参加者負担だけど。 鈴木:そうそう。 佐藤:何人参加されたんですか。 鈴木:130人?ちょっと待って。 佐藤:それは大変ですね。 鈴木:これね、webに載ってない。いまや紙で資料つくらないでしょう。報告書があって、これは大変だった。 佐藤:宿の手配も現地スタッフの調整もあるでしょうし。 鈴木:参加者は195名でした、38ヶ国。 佐藤:すごい参加者ですね。段取り大変そうですね。誰か長崎県で事務局をやってくれる人が現れたんですか。 鈴木:長崎大学と長崎県と長崎市がRECNAを作ったときに、同じように核兵器廃絶長崎連絡協議会という組織を作ったんです。それまで核兵器の問題は長崎市がリーダーシップをとっていたんです。県は控え目でした。佐世保がありますので、基地があるのであまり核兵器廃絶を言ってなかった。 佐藤:米軍は持ち込んでいたでしょうからね。 鈴木:おっしゃる通りで、日米安保の問題があるので、RECNAを作るときに長崎大学が頑張って、県と市と長崎大学で500万円ずつ毎年お金を出し合って、1500万円で活動しましょう、ということで長崎県も合意してくださったんです。そこから県は毎年1/3出すと決めたんで、見返りを要求するようになった。 佐藤:結果出せ!ということですね。 鈴木:おっしゃる通りです。そうい言う限りは中に入ってもらわんないと分からないので、それからかなり関心を持っようになったんです。 佐藤:長崎のことを伝えろ、ということなんですか、それとも。 鈴木:そうですね、主に長崎県のアピールをしてほしい。それと県民にフィードバックしてほしい、ということ。何か会合があった場合に、長崎市だけでやらないで県民全体に声をかけてほしい、とか、そういう話でした。長崎市だけでなく、佐世保で講演会をやったり、大村で講演会をやったりした。 佐藤:核兵器の専門家じゃない人たちもかかわりますので、原子力委員会当時よりもややこしいですね。 鈴木(笑)どっちもややこしいんだけど。 佐藤:片方は専門家どうしで語り合うんでしようけど、市民が参加すると固まっている人も多いと想うんです。 鈴木:似たようなものであまり変わらないですよ。市民の方が固まってない人が多いですよ。核兵器について言えば広島も長崎も固まっているので、それはあまり変わらないですよ。 佐藤:で会議を開いて、そればかり専念している感じになりますよね。 鈴木:そうです、2014年は私は組織委員会の委員長になってしまったので、お金集め。 佐藤:地域の企業を含めて回るんですか。 鈴木:今またやっている2025年大会を広島でやるので。 佐藤:ジャパネットタカダさんは支援しそうですね。 鈴木:その時はまだ行ってない。行ったかな・・?長崎は主に調先生が頑張ってくれました。長崎実行委員会を作って、調先生にトップになってもらって。調先生があちこち回りました。 佐藤:3000万円ぐらいは掛かるんですかね。 鈴木:全体の予算は5000万で、半分以上長崎で集めていただきました。パグウォッシュの本部とやりとりして、アジェンダーとか、誰を呼ぶかと調整をしなければいけないんです。2015年11月1日から5日間開催でした。大物は河野洋平さんが来てくださって、スピーチをしてくださいました。 佐藤:で長崎県と長崎大学の反応はどうでしたか。 鈴木:よかったですよ。デカい国際会議をやったのは初めての経験だったみたいで、しかも1995年にノーベル賞をとった組織ですから。被団協もとったけどね。1995年広島で開催したときにノーベル賞をとったんです。戦後70年の長崎大会の時にパグウォッシュ会議がノーベル賞のメダルのレプリカを贈呈してくださったんです。今でも資料館に飾ってあります。 佐藤:どちらも同じと言われましたけれども、原子力委員会のスパイ問題はあるけど、鈴木先生追い落とし問題ですけど・・・。市民対応の方が大変なんじゃないかなと想ってましたけど。 鈴木:直接、市民の人たちが組織のアレンジメントに関わってくることはないので、それはないですね、 佐藤:市民の人たちが発言する、そのような場所は無いんですか。 鈴木:もちろんありますよ。あるけど、こちらが主導権を握っているというか、市民と一緒に決めるわけではないので。 佐藤:いつまでも語り続けてやめない人とかいそうですね。 鈴木:必ずいらっしゃいますよ。被爆者の方はすごい思いが強いので、スピーチの内容にかかわらず同じことを何回もおっしゃいます。 佐藤:それがいいと思います。 鈴木:それをずっと言い続けているわけです。 佐藤:すごいエネルギーですよね、それがあるから長生きもできてしまうかも。 鈴木:(笑)田中熙巳(ひろみ)さんのスピーチ内容は心から出ているから、政治家のような脳からじゃないから、訴えるちからが全然違います。 佐藤:同じ言葉でも田中さんの肉声には力がある。 鈴木:彼ら被爆者の話を聞いたら、私はテレビで言ったけど、核のボタンを押せないと想うんです。 佐藤:パグウォッシュ会議にて被爆者がスピーチしたのは、長崎が初めてだったんですか。 鈴木:いや、1995年の広島の時も、2005年の時もやりました。パグウォッシュ会議の人の方は変わっていきますからね。 佐藤:長崎に行かれていきなり裏方仕事を頑張られて、ご苦労さまでした。 鈴木:長崎にとってもパグウォッシュ会議は大きかったと思いますよ。 |
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■6ヶ国協議 北朝鮮の核開発 佐藤:RECNAの話に移りますが、東アジアの非核兵器地帯の包括的アプローチとあります。これは、韓国の大統領が非常事態戒厳令を出してしまっておかしなことになっています。6か国条約はこの時成立していたのなら、当時とは変わってしまいまいした。 鈴木:長い歴史を簡単に言うと、北朝鮮は90年代、冷戦終わって一時、アメリカと仲良くしようと、韓国とも仲良くしようということで、非核化宣言をしたり、アメリカと枠組み合意といって、核兵器の開発はやめます、という合意をしたりして、90年代はうまくいっていたんです。 ところが、2002年にブッシュです、イラク戦争と同じようにブッシュ政権の時に、6ヶ国にいく前です、その枠組み合意を破棄しちゃった。 佐藤:アメリカが率先して外してしまった? 鈴木:それは北朝鮮が秘密のウラン濃縮プログラムを持っているんじゃないか、と言って聞いたら、北朝鮮はそんなのは知らない、と否定してしまった。で、アメリカは証拠があると言って、合意違反だと言って出ていっちゃった。それはイラク戦争の時と似ていますよね。 イランとの合意から出て行ったのとにています。北朝鮮はそこからもう一度核兵器開発を始めちゃった。 佐藤:アメリカは分かっていて出ていったんでしょうか。アメリカはなにか戦略があったですか。 鈴木:わからないですけど、イラク戦争の経緯を見ていると、仰る通り決めつけ。イラクとイランと北朝鮮は。 佐藤:悪の枢軸。 鈴木:そうブッシュは悪の枢軸と呼んでましたから、秘密のプログラムを見つけた瞬間に、こいつらを切ろうとなったかもしれない。 佐藤:アメリカ映画並みに白黒はっきりさせ過ぎちゃう、中間が無い。 鈴木:そうですね、もったいなかったと思うんですけど。その後六ヶ国協議が・・・中国が頑張って作った。その時もアメリカと北朝鮮は六ヶ国協議で合意していたんです。 佐藤:中国はやはり一帯一路政策です、拡張していくので戦争している場合じゃないという意図があるんですか。 鈴木:仰る通りです。中国は北朝鮮がアメリカにあんまり近寄ってもらうのも困るし、かといって北朝鮮が核兵器造って暴れてもらっても困るので、その中間あたりで置いときたいわけですね。 佐藤:難しい外交ですけど。 鈴木:中国も管理下に置いておきたいというので、六ヶ国協議を自分たちがホストして、アメリカを巻き込んで、北朝鮮の核兵器プログラムをやめさせようと。で、一度、合意したんですよ。だけど北朝鮮はまたアメリカなんです、やめちゃって、2006年についに核実験をしてしまった。 佐藤:今起きているロシアとウクライナの戦争のように北朝鮮がロシアに派兵して、ロシアと北朝鮮が手を結んでしまった。6ヶ国協議の時はそのロシアとの気配は無かったんですか。 鈴木:その頃は全くないですね。なぜ北朝鮮が核兵器開発始めたかというと、中国にも見捨てられ、アメリカにも見捨てられ、ロシアにも見捨てられ、国をアメリカから守ろうと思ったら、核兵器しかない、と決めた。 佐藤:難しい問題ですね。広島と長崎の惨状をみて、指導者は震えあがったと聞きます。人が多く死んでしまうのを見ると大きなエネルギーを他者に与えるっということなんですね。 鈴木:2006年に核実験をしてから6回も核実験をしているのです。2015年の頃はまだオバマの、ときだったんです。うまくやれば北朝鮮は核兵器開発をやめるだろうと。非核兵器地帯構想というのは、90年代から梅林先生が抱えてきた懸案で彼が座長になって、RECNAでもその構想を 佐藤:三番目の内容は梅林先生の悲願だったんですね。 鈴木:そうです。 佐藤:鈴木先生はその時は何をなされていたんですか。 鈴木:実は私も90年代に韓国の研究者と一緒に「日韓非核兵器地帯構想」という論文を書いているんです。それに北朝鮮を参加させればいいと。 佐藤:科学者たちは参加する気配はあったですか。 鈴木:90年代はありました。ですからそういう論文を書いたんですね。それを梅林先生は読んでいた。私はは入ってすぐだったので、私がやったのは原子力の協力とエネルギーの協力という項目が提案の中にあったんで、そこを担当しました。 佐藤:北朝鮮はエネルギーとかお金が必要とかではなくって、核の脅威を自分でも持って均衡させようという発想でしょうか、お金をいくらあげてもだめですよね。 鈴木:いや、必ずしもそうではないですよ。やはり経済制裁をなんとか解きたい、というのが一番大きな原因ではあったので、経済協力をするというのは核兵器をやめるインセンティブ、むしろ逆に核兵器を持てば、やめさせる条件になりうるので、それは一つの外交手段として当初はあったと思います。今は違いますよ。今は本当に戦争しようと思っているから。 佐藤:ユンソンニヨル大統領が理解不能の戒厳令を出してしまいました。真夜中のラジオから流れてきたので、南北で戦争始めた、と思ってしまいました。 この時の1番が朝鮮戦争の終結をしようと。核を含むエネルギーにアクセスする平等の権利とはなんですか。 鈴木:北朝鮮は原子力発電をやりたがっていた、NPTに入れば原子力への奪えない権利というのが認められるんです。で、それと同じことを条約には書くべきだということです。 佐藤:なるほど。加盟するとIAEAが入っていって内部査察し国際的に検証することですね。この3項目は2015年から10年間ですべて蒸発してしまいましたね。 鈴木:(笑)蒸発しましたね。 佐藤:歴史というか国際政治というのは不思議ですよね。 鈴木:2015年に出して2016年からフォローアップで、この地域に平和と安全保障を達成するための専門家パネルを作ったんです。それを私がその後、担当して今でも続いています。 佐藤:核のない世界への提言というものですか。 鈴木:そうじゃなくって、それは本です。RECNAのアクティビティの中にあり、RECNAのwebサイトへ行くと「北東アジアの平和と安全保障」があるんです。それをRECNAが作って事務局になって、この地域の専門家20人ぐらいを専門家パネル。 佐藤:40年間の私の印象ですと、先生は2015年以降は本をたくさんだしているというものです。2016年に移りますと再処理への付帯決議とありますが国会で何か発言されたんですか。 鈴木:衆議院の原子力問題特別調査委員会ができた。それのアドバイザリーボードのメンバーになっていたんです。 佐藤:なるほど、これ2016年5月、第190回国閣法17号に関する仕事ですね。 鈴木:それで国会に呼ばれて参考人として15分ぐらい喋るんです。 佐藤:衆議院TVで動画も議事録も入ってて見ることができるんですね。 鈴木:入ってます。全部観れます。 佐藤:薪ストーブに薪を入れたりするので3分ぐらいお待ちください 鈴木:はははは、寒いのね。 |
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■本 佐藤:すみませんでした。本の話に移りましよう。2017年に本が出ますが、2冊ですか2017年刊行は。英文の本があって2018年には『核の脅威にどう対応すべきか』があります。2015年パグウォッシュ会議、先生はフル回転です。新天地にいってお付き合い無かったなかご苦労様でした。付き合いないところでも成功させてしまうのが鈴木先生のすごいところです。時々相手に嵌められることもありますけど。 鈴木:大笑いしている 佐藤:垣根をなくして研究者とも市民ともメディアとも交流する、行動するところが、鈴木先生の本領発揮ですよね、2015年は。 鈴木:いやいや私のちからじゃない。長崎大学の先生がた皆さんに頑張っていただいた。 佐藤:表向きはそういうことにしておきましょう。 鈴木:(大笑)たしかに大変でしたよ。いままた今年広島でパグウォッシュ会議やっているんです。 佐藤:広島大会も事務機局をやってらっしゃるんですか 鈴木:今、やっている。実行委員会作ったの去年の夏ぐらいで、間に合わない間に合わないってずっと私、言っているけど、なかなか進まなかったんです。 佐藤:鈴木先生、広島市に暮らしていませんからね。 鈴木:そうなんですよ私が頑張ってもね。広島大学が中心になってやらないとダメだからと、早く広島大学で事務局作ってやってください、と一昨年ぐらいから言ってたんだけど。結局広島大学協力してくれないの。 佐藤:あらら、で鈴木先生孤軍奮闘ですか。それは大変だね。 鈴木:お笑いしている。稲垣先生という日本パグウォッシュ会議の代表で、広島大学で先生やっているんだけど、なかなか協力してくれる人が見つからなかった。 最初の本はどういう本でしたか。 |
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佐藤:2016年『核のない世界への提言』これは本ですかね。 鈴木:それは翻訳です。私が尊敬するフランクフォンヒッペル先生、が書いた本です。 佐藤:この本にはどんなことが書いてあるんですか。 鈴木:これはね、フランクフォンヒッペル先生が作った核物質に関する専門家パネルというのがって、IPFMという。 佐藤:年譜に書いてあります。国際核物質専門家パネルの報告をまとめたものと書いてあります。 鈴木:そうです、IPFM、それも今共同議長をやっています。当時はメンバーで、彼が、IPFMのやっていることを本にまとめておこう、と言ってまとめられたんですね。 佐藤:核物質の説明、生産、貯蔵、在庫管理、処分に至るまでの解説書。これでいいんですね。 鈴木:そうです。技術的な話は一杯書いてあるんだけど、数式は全く書いてない。一般のかたにも分かりやすい本ということで出したんです。全然売れない。 佐藤:どこから刊行したのか書いてないんですけど。 鈴木:法律文化社です。 佐藤:表紙いきなり、ファットマン、リトルボーイですか。これだと手に取らないですよね。 鈴木:(大笑いしている) 佐藤:もうちょっと漫画チックに描いてないと手に取らないのでは。 鈴木:RECNAは私がセンター長になったときに、毎年一冊本を出しましょうと。RECNA叢書といって、RECNAの名前でちゃんと本を出しましょうと。それが二冊目です。 佐藤:では2015年にも刊行されたということですか。 鈴木:2015年には私は書いてないです。一冊目も翻訳です。一冊目は『核兵器をめぐる五っの神話』という本です。それはわかりやすい本です。今は絶版になって売ってないです。 佐藤:検索すると出てきますね。 鈴木:今は電子図書になっています。今は紙の本が絶版になっても電子書籍で手に入る。 佐藤:本がこれで、2016年には日本パグウォッシュ会議は体制変更し代表になってしまいます。 鈴木:そうそう。 佐藤:疲れてしまったのに代表を背負う。これも鈴木先生らしいですね。 鈴木:せっかく長崎大会で盛り上がって、これもね、新聞記者にインタビューされたの。インタビューされて、長崎大会の成功をどのように未来につなげますか?と質問されちゃったわけです。それで困ったな、日本でちゃんと組織的な活動をしていきたい、と思います、と言っちゃったんだよ。 佐藤:なるほど、では言い出しっぺがやると。 鈴木:言い出しっぺがやる(笑)。 佐藤:これは鈴木先生らしいですね。そうでしたか。 鈴木:それまでメンバー制しゃなかったのをちゃんとメンバー制にして、会費を取るようにして、総会もやり運営委員会も作り、諮問会議といってアドバイザリーボードもちゃんと作って、一応組織、任意団体ですけど、一応ルールをきちんとしたんです。 佐藤:日本では何人ぐらい関わっているんですか。 鈴木:メンバーは50人ぐらいかな。 佐藤:男女比率は半々ぐらいですか。 鈴木:いやいや男が圧倒的に多い。運営委員会はだいぶ女性を入れたので今は7人だけど、3人は女性です。 佐藤:女性の声も入れて反映させないと・・。 鈴木:今は入れないとだめです。パネルは連続して公開講座をやっているんです。 |
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佐藤:こないだ公開していた、蔦谷さんが参加していた会議の件ですか。 鈴木:そうそう、あんな感じね。 佐藤:あの動画を拝聴しましたけれど、キツイですね。 鈴木:笑)キツかった? 佐藤:他の人は話合う余地が無い、というかもうちょっと柔軟にやってほしいと思いました。 鈴木:あとで反省しておられましたよ。いろんな見方があることを分かりましたって。 佐藤:ちょっとガチガチはわかりますけどね。ふにゃふにゃやっていると、流されちゃうからね。分かる気はするけど、難しいですよね、専門的に研究されている上から目線のものいい。 鈴木:不思議なんだけど、不思議じゃないか。私がオッペンハイマーの映画、褒めている意見と批判的な意見と並べたのが、褒めているのは皆男性。批判しているのがみな女性だった。 佐藤:それを聞いて、えーと思いましたね。女性の方が硬派でたいへんだなこれはと。母親になるからそうなんでしょうけど、いろいろ考えちゃいました。 鈴木:それはあると思います。 佐藤:完全に悪という感じですよね。悪でぐいぐい押してくるから。取りつく島が無いなと。鈴木先生独りぼっちで良く対応する・・・、と。気の毒だなと思って拝聴してました。 鈴木:廻り全部女性だったね。 佐藤:面白いんだけど話に花を咲かせてほしい。それはしょうがないですね。 鈴木:佐藤さんと花田先生との語り合いも紹介しました。 佐藤:そうでしたね、ありがとうございました。あれに対して反応無かったですね。 鈴木:大笑いしている。 佐藤:反応せず自分の言いたいことだけ言い続ける。これだと友達は増えないんじゃないか、と思いまいした。あれで友達増えるならすごいなーと思いましたけどね。 熱狂的すぎるんじゃないかと、ああいう運動風とか専門の研究の語りは難しいですよね。 鈴木:ジェンダー大事ですよね。パグウォッシュ会議の態勢を整えたのが2016年ですね、 佐藤:5月になって、国会に呼ばれて。190回国会閣法第17号、これは原子力委員会の続きの話ですよね。 鈴木:そうですよ。 佐藤:再処理処分については女性の会議でも話題になりましたけど、どこでも、鈴木先生としては30数年、言い続けているので、飽きてしまいそうです。よく付き合い続けるな、という感じですね、 鈴木:何回同じことも言っても変わらないのね。 佐藤:とういうことで2016年は飛ばしますね。 |
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■2017年単著でる 佐藤:2017年が初の新書と書いてます。 鈴木;講談社現代新書ですね。 佐藤:いきさつは少し聞いたことがありました。日経の方だったか、知り合いでしたかね。 鈴木:灘高のサッカー部の後輩が、私に直接メールを送ってきた。赤旗か公明新聞かを読んで、「もんじゅ」の廃炉のことについて私がコメントしているのを見て、鈴木さん文殊の件で本書きませんか、と言ってきたのね。彼はフリーランスのエディターなんです。 佐藤:聞き起こし後に編集しんですか。 鈴木:書き起こしです。 佐藤:鈴木先生を追っかけている私としてはまとまっていて分かりやすいと思いました。 鈴木:この本は私が初めて単著でだした本です。出版社にプッシュされて、もっと分かりやすくとか、もっと短くとか、いろいろ言われて、かなり書き直したんですよ。 佐藤:長崎に鈴木先生が赴任され、最初のほうに市民講座ありました。あれは分かりやすいと思いました、鉄腕アトムの話もだされそこから導入でし。あれとこの本が一般向けでいいなと。専門家向きじゃなくって。 鈴木:結構、力入れて書いたので、それでエネルギーフォーラム賞の優秀賞をいただいたんです。 佐藤:よかったですねたくさん売れるといいですね。タイトルはおとなしいかもです。最近は過激なタイトルが多い中にあって目立たないですかね。 鈴木:その本は12月に出たんです。そのときはフォーラム賞の審査は終わっていた。京都大学の沢秀光先生(?)いるんだけど、彼に送っておいたんです。それを読んで、審査終わったけど、これ皆に見せたらどうだと見せた。そしたら優秀賞に入ってしまった。 佐藤:コンパクトに問題がまとまっているし分かりやすいと思いました。周囲の知り合いに買うようすすめました。花田先生も買って読み込んでたと思います。 鈴木:今でも本屋さんには売っているかもしれない。 佐藤:これも絶版になったら電子書籍になるんですか。 鈴木:どうかな、新書はわからないね。 佐藤:核兵器と原発、両方に興味を持ってもらうのがむずかしいですよね。 鈴木:むずかしい。タイトルでみるからね。 佐藤:そのしたに英語でFUKUSHIMAとあります。 鈴木:それはオーストラリアの先生が何人かのかたも書いている本なんです。その内の一人が私。 佐藤:鈴木先生は福島のどのような事をかかれたんですか。 鈴木:エネルギー政策の話、フクシマ後の原子力政策か。その頃に、海外の英文雑誌に投稿してレビューを受けて発表した論文があるんです。福島事故以降の原子力政策論議いうタイトルです。二極分化した議論で肝心の問題は解決できない、という主旨の論文を書いた。それは結構読んでいただいたんです。英文で書くと読者数が全然違う。 佐藤:世界の専門家が読むということですね。 鈴木:そうです。 ■FB投稿 佐藤:Twitterで自己弁護を発信していたら世界に広まって多く専門家に読んでもらい反応も来たと。 鈴木:それはFBです。 佐藤:本の著者になることとFBの投稿は関係は無かったですか。 鈴木:それは直接は無かったですね。FBは英文で情報発信しはじめたら、当時英文の情報があまりなかったので、専門家が私のフォロアーになって、ドンドン質問してきてやめられなくなって(笑) 佐藤:関わると大変になりますよね。 鈴木:どんどん質問来るんだもんね(笑) 佐藤:それは来ますでしょう、福島原発事故ですから。世界の専門家の皆さんも市民も知りたいですよ、私も知りたかったですよ。鈴木・速報ですからね。 鈴木:しょうがないから、分かったと。毎回記者会見やったら、記者会見ごとにサマリーを書いていた。そしたら、もっと書けと言われて。英文の雑誌があって、お前のFBの文章をそのまま載せていいか、と言うから、どうぞどうぞと。載せてくださって。そしたら、「鈴木達治郎の福島レポート」、となって、デカい見出しがでちゃって。 佐藤:鈴木先生は外国でのほうが有名かもしれないですね。 鈴木:皆さん、タイトルだけみると偉い人が書いていると思うわけ。しかも政府の人間がこんなことやっているって珍しい、と言われました。普通は政府の人間は個人では書かない。 佐藤:私も鈴木先生に会ってから、政府の情報を即公開してもらったりして、珍しい人が現れたとおもいましたよ。 鈴木:政府の人間は書かない、いや政府の人間だって書くよ。個人で書く。 佐藤:MITで鍛えられ本領発揮ですね。調査もされてますし、それは大きく影響してますよね、日本の大学の先生だったら専門のグループとか内部に籠ってしまって、外に投稿したりFBに書いたりしないですよね。 |
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■JCOの事故 鈴木:仰る通りなんですけどね、でもね1999年のJCOの事故も覚えてらっしゃいますか。あの時の臨界事故ってすごいショッキングだったんですよ。 佐藤:二人亡くなりました、あの事故ですよね。 鈴木:そうなんです。原子力学会に核物理部会があるんですよ。物理屋さんの会があるんです。彼らが一生懸命計算している。何が起きたか計算している。でも公表しないのよ。我々の所にも回ってはくるんですよ。公表すりゃいいのに、まだまだはっきり分からないので公表できないとグジャグジャやっている。皆で議論しているわけです。公表すればいいじゃないですか、専門家どうしで議論しているんだから。そしたら、韓国系日本人・安先生、亡くなりましたが、東大の原子力工学科から、カルホルニアのバークレー校、の原子力工学科に就職されたかたがいるんです。素晴らしいかたなんですよ。彼がひとりで!JCOの臨界事故の分析をwebサイトに発表し始めた。はっきり書いたある。 間違ってるかもしれないけど多くの人の理解を助けるために、私は発信します、と書いてあった。 それが学者の仕事でしょう、と。 佐藤:私の理解ではバケツの溶液を柄杓で汲んで他のバケツに入れたら臨界しちゃったと、おいおい、バケツのなかで臨界?事故かよ!って驚きました。 鈴木:バケツでやるか。 佐藤:その作業員たちが急性被曝しちゃって亡くなってしまった。 鈴木:被害者です。 佐藤:あれもビックリしました。 鈴木:私もびっくりした。 佐藤:東海村の人々はみなさん避難しましたものね。 鈴木:どうやって放射線を押さえるかというのはまったく分からなかった。その時原子力規制委員会、当時の安全委員会の委員長さんが頑張ったんです。でも何が起きているのか、誰かが分析しなければいけない。それを原子力学会は何をやっているんだ、あんたたちは(笑)中で一生懸命議論している。中で議論しててもしょうがないでしょう、と。安先生が一人で公開した。 佐藤:大反響あったんですか。 鈴木:残念ながら大反響までは無い、難し過ぎて一般の人には分からない。 佐藤:柄杓で汲んでバケツに移すなんてやるのか?そのぐらいしか覚えてませんけど。嘘でしょうとは思いました。 鈴木:でも何グラムぐらいが反応したか、どれぐらいの放射線が出ているか、どれぐらいの距離は調べればすぐ分かる、何が起きたか?を当時、事故直後に、はっきり説明した人は誰もいなかったんです。その時に何が起きたかという解析を、安先生はちゃんと計算して公表した。原子力学会の人たちも似たようなことをやっているんだよ。公開しないと意味が無い。 佐藤:安先生と日本の原子力学会の人達の違いはなんですかね。 鈴木:やはり公開性とか透明性とかをすごい気を付けて、そこに、我々の知識は社会のためだ!という意識が大きい差です。学者としての責任が大きい。 佐藤:日本人専門家だと業界での発言で個人が後退した語りになりますからね。 鈴木:業界とか、学会のためとか、だから間違いを恐れるんですよ。 佐藤:間違い恐れても間違いが明らかになったあとでも、ごまかして隠ぺいしようとしますからね。 鈴木:例のスピーディーのね。 佐藤:なぜ機能しなかったのか、公式な公開されてないんじゃないかな。 鈴木:あれは、元の、ソースの出所しているデータが分からないと正確な被ばく線量が分からない、当たり前だよそんなのは。(笑)分かっていたら誰だって計算できる。 違うの、分からなくっても大体の推定でどのぐらいの被曝線量がどこに、どのぐらい広がるかというのを調べるためにモデルを作っているんだから、公開しろって。 佐藤:正確じゃないと叩かれると言って公開しない口実にしますからね。叩かれてもいいじゃないですかね。想定で発表するんですから。政府行政の方々は絶対間違ってはいけない、だから公開しないになってしまいますね。強迫観念がありますよね。 鈴木:そうですね、間違ってはイカンという言葉は使わず、混乱を起こしてはいけないという言い方です 佐藤:大笑いしている間違ってはいかんでは、自分たちを守る話になってしまうから、混乱を起こしてはいけない、と言い換えている。自分の判断を公開せず逃げまくっているだけだろうに。 |
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■2017年はパグウォッシュ会議の執行委員に就任 佐藤:2017年執行委員に就任されました。 鈴木:評議員から執行委員に選ばれました。 佐藤:委員になると毎年どこかに集合して会議をするんでしようか。 鈴木:通常は、昔は世界大会を毎年やっていたです。そこで必ず評議員、が集まって来年の計画とか、予算の決定とかしていた。ところが、お金がだんだん無くなってきたのと、ホストも大変なので2年に1回ぐらいになってしまった。で、2017年が最後だったんです。 2017年はカザフスタンでやったんです。その後2023年にオンラインで久しぶりに評議会を開催。広島大会が開催されれば、8年ぶりの世界大会になります。 佐藤:専任の事務方がいないと、一人で作業の合間では時間が掛かってしまいますよね。 鈴木:一人ではもちろんできない。あいだが開いたのは世界の話です。日本では50人しかいないので、たいしたことはやってないです。世界から300人ぐらい集まる大会を毎年やっていたのが、2017年以来開いてない。2020年にカタールで開催するはずだったのが、新型コロナで飛んでしまった。 ■核の脅威にどう対応すべきか 佐藤:では2018年に移ります、『核の脅威にどう対処すべきか─北東アジアの非核化と安全保障』とはなんでしょうか。 鈴木:それは科研費の成果を本にして出した。これは私と広瀬訓、藤原帰一の、3人の編著です。北東アジアの非核兵器地帯の延長線上のプロジェクトです。 佐藤:世界情勢が刻々と変わっていきますから、永遠に使える本でなくなる点は辛いですかね、改編すればいいかな。 鈴木:仰る通りなんですけど、そんなに言っていることは変わらないです。朝鮮戦争を終わらせることは永遠のテーマです。そこにいくつか書いてありますが、私が書いたところは検証の部分、それから科学者の役割。あとのグループは トラック2と言って政府同士ではなかなか話が進まないときに、政府の人も入るんだけど民間の団体が主催して、民間同士の交流の場で政府の立場みたいにかたくなに守らなくってもいい人達が集まって議論する。そこに政府の人達もきて、そこで議論をする。トラック2というのがあるんです。その研究とか、アジアはあまりうまくいってないんです。なぜアメリカでうまくいっているのに、日本ではうまくいかないのか。 パグウォッシュ会議はまさにトラック2をやってきた。専門家が集まって専門家同士が個人のレベルで集まってやるんだと。そこに政府の人もやってきて、一緒に核問題も語り合う。 佐藤:同じことを言ってしまいますが、MITでの研究と民間研究のかかわりをお聞きしてますと、日本とまるで違いますから。そこが大きいような気がします。 鈴木:日本の人達はどうしても組織意識が強い。そういう会議に参加しても自分の属している組織のことを喋ったり、もっと言うと日本の政府の肩代わりをして、日本政府をディフェンドしてしまうとか、そういうことが多いですね。 佐藤:日本の文化と言ってしまうと簡単ですが、なんとか打破しないと世界に通用しない。 鈴木:おっしゃる通りで、韓国、台湾の人たちは日本よりもっと積極的に発言されますからね。 佐藤:いつまで経っても身内だけで議論してて、世界標準になっていかない。廃炉措置の問題も同じですけどね。 鈴木:今の若いひとは組織意識がないので、かえっていいかもしれない。 佐藤:なるほど、個人重視すると、若い人は生きることで精一杯ですから。若い博士とか研究者がそういう意識をもって育っているのかは分かりません。 鈴木:今の若い人たちは組織的なというよりも、自分の考えとか世界を守るとか。 佐藤:渋谷の仮想原爆展など、専門家からは発想されないですね。若い人が身近な問題として、自分の土地で原爆展をひらく。 鈴木:ああいうのを観ていると新しいなと思います。 |
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■2018年 佐藤:2018年に移ります、原子力委員会「プルトニューム利用の基本的考え方」とあります。国会の参考人で呼ばれたんですかね。衆議院原子力問題調査特別委員会、2018年12月7日。とあります。 鈴木:そこのアドバイザリーボードのメンバーです。 佐藤:国会の委員会は動画もありますから。 鈴木:衆議院TVにありますね。 佐藤:2019年がNuclear Energy Policy after the Fukushima Nuclear Accident: An Analysis of ‘Polarized Debate’ in Japan” 鈴木:これかもしれない。 佐藤:そうですね。これは何の話ですか。 鈴木:さっきちょっと話したことで、これ見えますか、添付すればいいかな。これは学術誌ですね。 佐藤:2016年6月に笹川平和財団「プルトニウム国際管理に関する日本政府 への提言」。これは依頼されて提言したということですか、 鈴木:笹川平和財団の中に原子力と核不拡散の研究会をつくる、ことになって。遠藤大使という、外務省のかたでもう亡くなられたんです。大専門家がいたんです。遠藤さんが頼んだと思うんです。ところが遠藤さんはかなり体力が弱られていて、お断りになったらしいんですよ。それで私に回ってきた。 佐藤:プルトニュームの国際貯蔵の追求、とは鈴木先生が永年研究されてきた専門分野ですね。 鈴木:そうなんですけど、委員会でメンバーを作ったんです。当時の笹川平和記念財団の会長、田中伸夫さんという人です。元経産省の官僚でOECDの国際エネルギー機関の事務局長をやられたかたです。優秀なかだです。どこでどう間違えたか、日本に帰ってきてから、高速炉が大好きになっちゃって。「もんじゅ」はだめだ、と言っているんだけど新しい革新的な高速炉にえらい関心を持ってしまって。韓国と、アメリカの技術屋さんに丸め込まれてしまった。で、福島のデブリを再処理して高速炉で燃やすことができるというアイディアを。 佐藤:デブリ取り出せないのに!燃やせないだろうに(笑)。 鈴木:信じられない。そんな提案だったら私は研究会は出ません、と言ったんだけど、彼はしつこく、報告書の後ろに自分の提案を付けている。 佐藤:ボケてきたんですね。 鈴木:何回も説明したんです、コンセプトとしてはありうるけど、そんなこと言っている場合じゃないですよと。高速炉の宣伝になるばかりで福島のことにプラスにひとこともならないですよと。福島の人がこれで解決できると思っちゃったらエライ、詐欺になっちゃいますよと。 そしたら、希望を持たせることが大事なんだ! 佐藤:福島の私はそんな言い回しで希望をもたね! 鈴木:でも福島の方がきてこういう新しい技術があるのでぜひ開発してほしい、という人が出てくるわけですよ。 佐藤:ボケてるんじゃなくって、高速炉サイドから買収されちゃっていたんじゃないですかね。 鈴木:大笑いしている。 佐藤:あり得ない案でしょう。 鈴木:いずれにしても核燃料サイクルの推進派の人も中にいた。一番最初の委員会に、この研究会は核不拡散のための研究会なので、原子力や核燃料サイクルについての是非は問わない、と。それで皆さんいいですか、と。念書を書いてもらって、ここでは核燃サイクルも原子力も推進も否定もしないという前提で作った。 佐藤:少し政治的な振る舞いかたが身に着きましたね。 鈴木:ものすごい政治的(笑)。 佐藤:脇を甘くしていると、また嵌められちゃいますからね。 鈴木:ものすごい政治的、それでないと私はやりませんと。 佐藤:鈴木先生はすぐ人を信ずるから、すこし疑いを持つとだいぶ違いますよね。 鈴木:人を信じちゃうからね。 佐藤:鈴木先生がストレス感じて目まい起こして倒れたんでは良くないので、疑うことにして挑むと。あのことは毎日新聞と電事連の連動行為でしょうからね。あの記事を読むと、原子力委員会は鈴木先生が就任する前から、電力業化へ会議内容はダダ洩れだった、と分かります。 鈴木:そうそう、前からやっていた。 佐藤:鈴木先生が始めた、知らない人は思ってしまう。近藤委員長は当たり前にやっていたことだと言ってた。なんで鈴木先生が嵌められた形になるの・・と思いましたが。 鈴木:大笑いしている。私が悪者になっちゃった。 佐藤:どういうことなのか?ピンと来ないですね。就任したばかり、といってもいい。2年目に入ったばかりなのに鈴木先生が嵌められてしまうのか?甘く見られたこともあるのかな。 鈴木:役人さんが私を落としこめたかった。 佐藤:そうとしか考えられないですよね。鈴木先生は間違ってなかっと第三者委員会で記録してくれた? 鈴木:私が間違ってなかったとまでは言わないけど、座長は賢明に公平に運営したとは書いてくれた。(笑) 佐藤:鈴木先生はいろんな所に関わっていますね。笹川財団ですね。 鈴木:今でもやってますからね。知っている人も何人かいました。私がお願いしてはいってもらった、共同通信の方。何人かはわたしは知ってます。 ■エネルギーの自由化 佐藤:エネルギーの市場の自由化は、日本では無理なんでしょうかね。政府が守ってあげている感じになってますからね。 鈴木:何のための自由化なのか、という根本的な発想が弱いんじゃないか。 佐藤:自由化とオウム返しに言っていればいいと思っているのかな。 鈴木:競争があればいいと思っているんですね。 佐藤:新自由主義をかじって、気分よくしてる程度ですね。 鈴木:90年代にアメリカの真似をして日本が自由化を始めようと、当時の経産大臣が言ったときは、日本の電力料金は高い、安くすべきだ。その一言だったんですよ。競争したら安くなるという大前提なわけです。だけど必ずしもそうではないんですよ。競争は市場原理に任せることだから高くなることもあれば、安くなることもある。そんな事も分からないで必ず安くなるはずだと。で後になってヨーロッパの電気料金は高くなったから、自由化失敗だというが違う。高くなるときもあれば安くなることもある、これが自由化なんだ、と。市場の原理のメカニズムって分からないです。そうやって良貨は悪貨を駆逐していくわけです。 基本的な考え方としてですが。必ずしもそうじゃないんだけど。そのためには公正な競争がなければだめだ。誰かが権力を握って、コントロールし始めたら、自由な市場経済にならない。そこをすっぽかして安くなる、安くなるばっかし言ってたんで、電力会社は安くすればいいだろう、みたいな感じで確かに安くなった。でも本当の競争はいまだに入ってない。いまだに9電力会社はまま。 JERAという電力会社ご存じですか。東京電力と中部電力が作った火力発電の合弁会社があるんです。自由化したらこういうことができちゃう。強い者同士が強い電力会社を作ったら強いよね。 佐藤:値段下げることはない。で、儲けますよね。 鈴木:巨人と阪神がオールスターチームを作るようなもんだから。勝てないです。JERAが価格操作をしていたんですよ。それが分かった。その価格操作を見つけるための機関がある、市場取引監視委員会があるんです。欧米では自由化したら、その規制機関は権限が強いんです。で、かならず命令してやめさせることもできるし、罰金も課すことができる。日本の監視機関は法律で罰則が無い。骨抜き。 佐藤:いつものやったふりする得意技ですね。再エネ賦課金もそうですね。 鈴木:賦課金は、なんで賦課金だと思います。 佐藤:電気料金を高く保つためにやっているのではないんですか。 鈴木:賦課金は電気料金高くなる、賦課金というと、まず目に見えるんです。電気料金のところに×からね。だからこれだけ高くなっている、これは再生可能エネルギーーのせいだと、皆さん分かる。賦課金は税金じゃないので、財務省は何も言えない。電力料金の中に入っているものは見えないです、ずるいんだ。再処理とか、廃棄物処分費とかパッケージじゃなくって中に入っちゃっている。しかも原子力のコストなのに、原子力で割るんじゃなくって、全部送電網の料金にのっけちゃっている。だから、みんな再生可能エネルギー発電会社も風力発電会社も火力発電の会社もみんな再処理料金払っている。 佐藤:それでは競争にならない。 鈴木:酷いと思わないですか。 佐藤:競争じゃないですね。 鈴木:強い者が弱い消費者をいじめて、金払えと言っているようなもんです。 佐藤:政権交代しかないか?そうしてすこしずつ直していくしかないかな。 鈴木:日本はどの分野も透明性が少ないんですよ。どこに国にも悪い人は必ずどこかに居るんですよ。でも透明性がはっきりしていると分かるじゃないですか。酷い話ですよ。 佐藤:電気料金の話になると腹立ってきますね。 鈴木:いまや税金と電気料金は似たようなもんだからね。 佐藤:消費税も安くしない、電気料金も安くしないということですよね。どちらも高くなることはあっても、安くならない、庶民は困ります。貧しい者には寂しい政策状況で。今後20〜30年はエネルギー革命の時代。これからはそうなんですか。 ■エネルギー革命 鈴木:そうです、間違いないです。 佐藤:トランプ大統領は脱炭素しないと言ってますけど、影響ないんですか。 鈴木:ありますね。火力発電を規制して高くして火力発電を使わせないようにしようとしてるわけです、CO2減らすために。関係ねーよそんなの、火力発電安いからどんどん燃やせ、とトランプが言ったらCO2減らない。 佐藤:日本もアメリカに倣うことになるんでしょうか。 鈴木:アメリカも実はトランプがそうなると確かに変わるかもしれない。実はアメリカの産業界、アメリカだけじゃないですけど、地球温暖化問題は産業にとってもものすごい大きなイシューなので、産業界自身がカーボンニュートラルを一生懸命プッシュしているのが多い。ご存じの通り、マイクロソフトとかグーグルとかみんなカーボンゼロエネルギーと宣伝している。何がエネルギー革命かと言うと、巨大、大規模集中発電所から分散型の小型分散型へのシフト。それをネットワークをコントロールするIT技術が進んだので、今はネットワーク、送電配電網がデジタル化が進んじゃって、メーターもデジタルメーターになった。そうすると何が違うかと言うと、メーター見に行かなくっても、手元でどこの人がどれだけ電気使っているか直ぐ分かるわけです。リアルタイムで分かる。そうすると何ができるかと言うと、そこにスイッチを付けておけば、今電気が足りなくなってきたな、と思えば、御宅の電気をリサーチして切ることができる。そうするとディマンドリスポンス、その時だけ需要が減る。そうすると発電所を造らなくってもよくなる。 佐藤:電力会社が調整できる、やりたい放題できますね。 鈴木:問題は公正にやらないと。悪いことができてしまうかもしれない。公正な第三者機関がチェックする仕組みを作るわけです、アメリカでは。日本もあることはある。だけど権力が弱い。 もう一つはデジタル化をすることによって、電力需要の質が変わってくるんです。だから電化は進みます、電気を使うことが多くなるので、電力需要は増えるという予想が多いんです。逆に効率ものすごく上がっているので、デジタル革命が起きる。 佐藤:生成AI使って思うことは電気かなりくいますね。世界中生成AIつながなくってもいいんじゃないかな、と思ったりします。 鈴木:生成AIは特に電気食う、ものすごいデータ処理量ですから。 佐藤:で、しょうもない事を言ってくるから、こんなのに電気使っていいの?と思います。 鈴木:コンピューターのほうも、効率も桁違いにどんどん良くなっているので、競争ですけどね。 佐藤:大勢の人が生成AIと浮かれている。が、原発稼働させるために賑やかなのかな・・・と思ってました。 鈴木:オール電化住宅を電力会社が宣伝してたのは原発を造るためで。 佐藤:あれで老人はやけどしなくなったから。 |
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■2019年 佐藤:2019年の〆は国民の信頼に向けて何をすればよいか。これは鈴木先生がずっと仰っている行政の意思決定の透明性、公正性で。TAからずっと言い続けていることです。このデータはどこかで講演したときにデータでしょうか。 1.行政における意思決定の透明性、公正性 2.意思決定過程への国民の参加、双方向コミュニケーション 3.科学技術に関して、国民が信頼できる情報提供機関 ここで想定していなかったことは、ロシアの戦争とかイスラエル・パレスチナの戦争とか。 鈴木:それはまだ入ってないですよね。 佐藤:AIがこんなに騒がれるとも思っていなかったでしょうし、その3点ぐらいは変わってきました。韓国で起きた大統領による不可解な戒厳令、帝国主義に邁進するのか?分からなくなってきましたね。鈴木先生は世界のニュースを観てどう思っていますか。 鈴木:昔の右翼が、今はセンターになってしまったので、昔の左翼は極左翼になったから。トランプの影響も大きいですけど、自国第一主義。結局コロナの時にワクチンの配布をどうするか、その時に貧しい人たちに当然配布すべきだという、先進国から貧しい人たちにワクチンを流す仕組みを作ったんです。ある程度は機能したんだけど、思ったほどは機能しなかった。リッチな国が先取してしまった。貧しい人に回すワクチンが減ってしまった。それで多くの方が貧しい国で亡くなってしまった。 佐藤:コロナと二つの戦争と、南北朝鮮が現在のようになるのは想定外ですよね。 鈴木:ウクライナのロシア侵攻も大きいですよ。国際法を、法の秩序が崩れ掛かっているので、長い目で見るとアメリカのイラク戦争、アフガン戦争、今思えば国際法違反と言われてもおかしくない。 佐藤:大量破壊兵器なかったですし。 鈴木:ロシアははっきり言ってますから、お前たちもイラクに行ったじゃないか。だから安全保障理事会の決議なしでやってますから、いずれにしてもアメリカとかロシアとか超大国が平気で国際法の秩序を破って、好きなことをやり始めたら、もう世界は乱れていきますよね。 佐藤:アメリカは凋落し始めているという見方もありますし。 鈴木:し始めていると思います。 佐藤:日本はそういうアメリカに追従という、隷属してて大丈夫なのか。 鈴木:大丈夫ではない、と思います。5,60年もそうでしたが、90年代に蘇って、アメリカがまた世界のトップによみがえった、ソ連がつぶれましたから。それがオーバーコンフィデンス、自信過剰になってしまったんですね。 佐藤:でしたね。鈴木先生がロシアに行ってミサイル解体してあげたりして、アメリカのお金で、支援してたのに、今じゃそんなこと知らないと。 鈴木:今は本当に軍拡が当たり前の動きは怖いですよ。 佐藤:核兵器使うぞ、と言い出しているし。危険。 鈴木:困ったもんですよね。 |
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■原子力基本法改正される 佐藤:2010年代後半は鈴木先生としては遠くの方から原子力を観ることができるようになって、ゆとりが出てきてる感じはします。 鈴木:ゆとりというか、あまり変わらないので。新しいことがあまり無い。GX、グリーントランスフォーメーションの時に原子力、大復帰と岸田さんが転換しましたよね。新設を認めると。その時は結構忙しく勉強しました。私があたまにきたのは原子力基本法の改正です。実際はどうなるか分からないですけど、原子力基本法の改正酷いです。憲法みたいなものですから、そう簡単に変えてもらっては困るんです。 基本法ですから、細かい事は書いてないんです。原則しか書いてない。ところが今回の改正には、国の義務という項目に原子力産業の維持と書いてある。支援しなければいけないと書いてある。あり得ない。基本法に書くか?書かなくったっていい、政策でやればいいんだから。基本法は具体的な政策は書かないと書いてあるんですよ、だから基本法なので、考え方しか本当はか書かない。 佐藤:日本人は馬鹿になったということですかね。 鈴木:経産省や安倍さんからかもしれないですけど。 佐藤:巻き返ししているんだ。 鈴木:そうだね、経産省がすごい権力を持ってしまっているということです。 佐藤:福島原発事故以来、原発廃止措置廻りはほとんど進展しない、希望が見えてこないですね。 使用済み燃料の問題もあるし。発言する場所もなくなってきてます。やりたい放題やられてしまう。 鈴木:やりたい放題ですよね。 佐藤:こんな感じですかね。次回はもし先生がよかったら、この5年間、というか2014年一年間もすごかったですよね。コロナ以降の世界と原子力発電に関する情報ということになります。語ってもらいたいですけど 鈴木:今見ていただいている資料はいつ頃の資料ですか、 佐藤:先生は40年を語るです。どこかで講演したときのPDFをいただいて分解しなおしたんです。 鈴木:原子力政策を振り返る私の40年史というやつですか? 佐藤:そうです。 鈴木:2021年ですね。 佐藤:ですから1〜5年ぶんを語っていただいて年代を語るは終わり、あとは私が鈴木先生自伝を書いてくださいとメッセージを送る。聞き取りしててそうとう面白いことが分かったんですけど。どうやって多くの人に伝えるのかは難しい、原子力に興味ないし。その点は悩みどころだとは思っているんです。鈴木先生のようなかたが原子力委員会に居たというのが、私としては光明がさしてました。 鈴木:ありがとうございます。 佐藤:普通だったら、声かけたら、相手にされない処を私が観てて、鈴木先生は一貫しているなと思って、他の人は業界のためにやっているけど、鈴木先生は違って市民や国民、世界のために活動されてます。その辺のところは何んでだろうと、思って聞きとりお願いしたんです。 鈴木:これは2021年までしか書いてないので、次は2021年以降を語りましょうか。 佐藤:急ぎませんけど、語っていただけると嬉しいです。 鈴木:最後の5年間ですね。RECNAは私は居なくなってしまいますので。 (雑談は非公開 主に佐藤が抱える統合失調症について) |
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(参照文) 国王・王妃両陛下、皇太子・皇太子妃両殿下、ノルウェー・ノーベル委員会の皆さん、ご列席の皆さん、核兵器廃絶を目指して闘う世界の友人の皆さん、ただいまご紹介いただきました日本被団協の代表委員の一人の田中熙巳でございます。本日は受賞者「日本被団協」を代表してあいさつをする機会を頂きありがとうございます。 私たちは1956年8月に「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」を結成しました。生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害を再び繰り返すことのないようにと、2つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。1つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。2つは、核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり人類とは共存させてはならない、速やかに廃絶しなければならない、という運動です。 この運動は「核のタブー」の形成に大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。しかし、今日、依然として1万2千発の核弾頭が地球上に存在し、4千発が即座に発射可能に配備がされている中で、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、また、パレスチナ自治区ガザに対しイスラエルが執拗な攻撃を続ける中で核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど、市民の犠牲に加えて「核のタブー」が壊されようとしていることに限りない悔しさと憤りを覚えます。 私は長崎原爆の被爆者の一人です。13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆しました。 ノーベル平和賞の授賞式で演説を終え、フリードネス委員長(左)と握手する被団協代表委員の田中熙巳さん(10日、オスロ)=共同 1945年8月9日、爆撃機1機の爆音が突然聞こえると間もなく、真っ白な光で体が包まれました。その光に驚愕(きょうがく)し2階から階下に駆け降りました。目と耳をふさいで伏せた直後に強烈な衝撃波が通り抜けていきました。その後の記憶はなく、気が付いた時には大きなガラス戸が私の体の上に覆いかぶさっていました。ガラスが1枚も割れていなかったのは奇跡というほかありません。ほぼ無傷で助かりました。 長崎原爆の惨状をつぶさに見たのは3日後、爆心地帯に住んでいた2人の伯母の安否を尋ねて訪れた時です。私と母は小高い山を迂回し、峠にたどり着き、眼下を見下ろしてがくぜんとしました。3キロ余り先の港まで、黒く焼き尽くされた廃虚が広がっていました。れんが造りで東洋一を誇った大きな教会・浦上天主堂は崩れ落ち、見る影もありませんでした。 麓に下りていく道筋の家は全て焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながらもなお生きているのに、誰からの救援もなく放置されているたくさんの人々。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした。 1人の伯母は爆心地から400メートルの自宅の焼け跡に大学生の孫の遺体と共に黒焦げの姿で転がっていました。 もう1人の伯母の家は倒壊し、木材の山になっていました。祖父は全身大やけどで瀕死(ひんし)の状態でしゃがんでいました。伯母は大やけどを負い私たちの着く直前に亡くなっていて、私たちの手で荼毘(だび)に付しました。ほとんど無傷だった伯父は救援を求めてその場を離れていましたが、救援先で倒れ、高熱で1週間ほど苦しみ亡くなったそうです。1発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪ったのです。 演説する被団協代表委員の田中熙巳さん(10日、オスロ)=共同 その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと、強く感じました。 長崎原爆は上空600メートルで爆発。放出したエネルギーの50%は衝撃波として家屋を押しつぶし、35%は熱線として屋外の人々に大やけどを負わせ、倒壊した家屋の至る所に火を付けました。多くの人が家屋に押しつぶされ焼き殺されました。残りの15%は中性子線やガンマ線などの放射線として人体を貫き内部から破壊し、死に至らせ、また原爆症の原因をつくりました。 その年の末までの広島、長崎両市の死亡者の数は、広島14万人前後、長崎7万人前後とされています。原爆を被爆しけがを負い、放射線に被曝(ひばく)し生存していた人は40万人余りと推定されます。 生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられ、さらに日本政府からも見放され、被爆後の10年間を孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けました。 1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、日本の漁船が「死の灰」に被ばくする事件が起きました。中でも第五福竜丸の乗組員23人全員が被曝して急性放射能症を発症、捕獲したマグロは廃棄されました。この事件が契機となって、原水爆実験禁止、原水爆反対運動が始まり、燎原(りょうげん)の火のように日本中に広がったのです。3千万を超える署名に結実し、1955年8月「原水爆禁止世界大会」が広島で開かれ、翌年第2回大会が長崎で開かれました。この運動に励まされ、大会に参加した原爆被害者によって1956年8月10日「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」が結成されました。 結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」との決意を表明し、「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて運動に立ち上がったのです。 運動の結果、1957年に「原子爆弾被爆者の医療に関する法律(原爆医療法)」が制定されます。しかし、その内容は、「被爆者健康手帳」を交付し、無料で健康診断を実施するほかは、厚生大臣が原爆症と認定した疾病に限りその医療費を支給するというささやかなものでした。 1968年「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(原爆特別措置法)」が制定され、数種類の手当を給付するようになりました。しかしそれは社会保障制度であって、国家補償は拒まれたままでした。 1985年、日本被団協は「原爆被害者調査」を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたる被害であることを明らかにしました。命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない実態がありました。この調査結果は、原爆被害者の基本要求を強く裏付けるものとなり、自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならないとの思いを強くしました。 1994年12月、2法を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)」が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい。 これらの法律は、長い間、国籍にかかわらず海外在住の原爆被害者に対し、適応されていませんでした。日本で被爆して母国に帰った韓国の被爆者や、戦後アメリカ、ブラジル、メキシコ、カナダなどに移住した多くの被爆者は、被爆者特有の病気を抱えながら原爆被害への無理解に苦しみました。それぞれの国で結成された原爆被害者の会と私たちは連帯し、ある時は裁判で、ある時は共同行動などを通して訴え、国内とほぼ同様の援護が行われるようになりました。 私たちは、核兵器の速やかな廃絶を求めて、自国政府や核兵器保有国ほか諸国に要請運動を進めてきました。 1977年国連NGOの主催で「被爆の実相と被爆者の実情」に関する国際シンポジウムが日本で開催され、原爆が人間に与える被害の実相を明らかにしました。この頃、ヨーロッパに核戦争の危機が高まり、各国で数十万人の大集会が開催され、これら集会での証言の依頼なども続きました。 1978年と1982年にニューヨーク国連本部で開かれた国連軍縮特別総会には、日本被団協の代表がそれぞれ40人近く参加し、総会議場での演説のほか、証言活動を展開しました。 授賞式を終え、引き揚げる被団協代表委員の田中熙巳さんら(10日、オスロ)=共同 核拡散防止条約(NPT)の再検討会議とその準備委員会で、日本被団協代表は発言機会を確保し、併せて再検討会議の期間に、国連本部総会議場ロビーで原爆展を開き、大きな成果を上げました。 2012年、NPT再検討会議準備委員会でノルウェー政府が「核兵器の人道的影響に関する会議」の開催を提案し、2013年から3回にわたる会議で原爆被害者の証言が重く受け止められ「核兵器禁止条約」交渉会議に発展しました。 2016年4月、日本被団協が提案し世界の原爆被害者が呼びかけた「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は大きく広がり、1370万を超える署名を国連に提出しました。2017年7月7日に122カ国の賛同を得て「核兵器禁止条約」が制定されたことは大きな喜びです。 さて、核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです。 想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4千発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。皆さんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中の皆さんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。 原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代の皆さんが、工夫して築いていくことを期待しています。 一つ大きな参考になるものがあります。それは、日本被団協と密接に協力して被団協運動の記録や被爆者の証言、各地の被団協の活動記録などの保存に努めてきたNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の存在です。この会は結成されてから15年近く、粘り強く活動を進めて、被爆者たちの草の根の運動、証言や各地の被爆者団体の運動の記録などをアーカイブスとして保存、管理してきました。これらを外に向かって活用する運動に大きく踏み出されることを期待します。私はこの会が行動を含んだ、実相の普及に全力を傾注する組織になってもらえるのではないかと期待しています。国内にとどまらず国際的な活動を大きく展開してくださることを強く願っています。 世界中の皆さん、「核兵器禁止条約」のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の策定を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っています。 人類が核兵器で自滅することのないように!! 核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!! 著作権?ノーベル財団、ストックホルム、2024年(オスロ=共同) 田中熙巳 |
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