| 『兄を持ち運べるサイズに』映画鑑賞録 2025年12月14日 | 作成:佐藤敏宏 | |
| (予告動画) |
【監督・脚本】 中野量太 【原作】 村井理子 【出演】 柴咲コウ/オダギリジョー/満島ひかり/青山姫乃/味元耀大/斉藤陽一郎/岩瀬亮 |
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兄と妹による愛情フィクション。長年行方知らずの兄が宮城県多賀城市内の木賃アパートで「亡くなった」と警察から妹へ電話が入る。そこから物語がはじまる。兄を荼毘に伏し遺骨を骨壺に収め滋賀県内の自宅に持帰る。その4日間の顛末譚。 物語の展開は日を追う順に進むので受け止め易い。兄と妹の成長過程の様子、次に二人を育てた両親や地域の暮らしぶりのことなどが、兄の人格を分かり易く理解させるためのエピソードと織り交ぜ展開する。 次に兄家族はなぜ離婚し二人の子供は離れ離れになり両親に引き取られたのか・・それらのシーンが、兄の破綻している性格を強調するように描かれる。兄妹愛の落ちはネタばれになるので、映画を鑑賞することを推します。 兄・妹に焦点をあてると「ダラシノない兄」と「しっかり者の妹」という人格設定が世の定番となるだろう。両親の期待に背伸びしてこたえて暮らし続けることで、大半の長男は自覚無しの病を発症している。長男(長女)病に患う兄の背中を見て妹は成長する。で、目の前の失敗事例を反面教本として育つので賢い女性に成長するのだろう。そう受け止めるのが一般的だろうか。兄妹が共にだらしなく育つことは、核家族が蔓延している世では、あるいはコスパを求めるパパ・ママ圧全盛の世では、常識になりにくいはずだ。だからこの物語は受け入れやすく制作されていると思って鑑賞しに行った。 しかし鑑賞者は3名しかいなかった。それを見ると、このようなテーマはweb映画やTVドラマで溢れるよに湧いて制作されているのが、この映画不人気の因かもしれない。あるいはダラシノない兄のことなど知りたかない!という態度が星野源・人気以降の常識になっているのだろう。今世紀の地球上では稼げる、コスパの良い男が勝ち組としてマスコミで持てはやされているのだが、そこに到達するのは数が限られている。だけれど人々は中毒薬を浴びるように成功譚の受容にいそしむ。それが人間が患ってしまった21世紀病の一つだ。 21世紀病をすこし見てみると、核家族のもとで子たちは義務教育を受け、中等教育を受ける、そこから就職あるいは高等教育に歩をすすめ組織人、あるいは会社人間になるのが当たり前の成人道。映画で描かれた兄は当たり前な道にさえ立てずに亡くなる。妹は専業主婦と作家の二足の草鞋をはいていて、ちょっとした成功道に立ち生きる、家族も上手にまとめる要のしっかり女性として描かれていた。 数日前に福島駅傍で見た「ゴッホ模写+オマージュ展」の表彰式で優秀賞に輝いていたのは少女たちだけだった。なぜ女性が勤勉なのかわ分からない。審査委員長の女性も「女の子たちは頑張るのよ!」と語っていた。短絡的に書けば、女性は知らず知らずのうちにしっかり者を演じさせられる世になってしまったのかもしれない (気になった点) この映画で気になった点、だらしない長男はお金にだらしない、ゴミ屋敷をつくり、アルコールに溺れて脳梗塞で亡くなる、この設定はあやまった認識を世に広める。そこは問題だろう。そうなってしまった背景の描きが省略されてる点は納得できなかった。ゴミ屋敷を営んでしまう人を理解しようとせず、人々にゴミ屋敷が生まれる社会を把握し原因を解決する道を閉ざすことになる。21世紀のグローバル、ハイテク封建社会に適応出来ない者は果たして駄目で厄介な生き物なのか? そう認識して生きるのは誤りだ、人は社会に適応せずとも生きられるような社会を営むべきだろう。 現在は長男病、あるいは長女病、そしてしっかりし優しいパパ・ママ像からも解放される必要がある。そこから積極的に多様な人間に出会いを求め活動することができる、だらしない人、傷つけ合うことでしか生きられない生物だと自覚する。そのことが初めの一歩と考え太ももを上げたほうがよさそうだ。 この映画の始まりは息子が机で何か書いている、仕舞の絵は母親が書いた叔父さんを荼毘に伏して家に戻るまでのエッセーを読み終える姿だった。先人が残した記録を後の者が読むことで記憶を継承する姿は見習うべきことの一つ。〆方に少し救われた。 |
福島フォーラムの説明文 理子の元に、何年も会っていない兄が死んだという知らせが入る。発見したのは、兄と住んでいた兄の息子だった。東北へと向かった理子は、警察署で7年ぶりに兄の元妻・加奈子とその娘と再会。兄たちが住んでいたアパートはゴミ屋敷と化しており、3人が片付けていたところ家族写真を見つける。マイペースで自分勝手な兄に幼い頃から振り回されてきた理子が兄の後始末をしながら悪口を言い続けていると加奈子が、もしかしたら理子の知らない兄の一面があるかもしれないと言う。もう一度、家族を見つめ直す、4人のてんてこまいな4日間が始まる―。翻訳家・村井理子のエッセイ『兄の終い』を実写映画化 |
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