『リンダリンダリンダ』映画鑑賞録 2025・9・15 作成:佐藤敏宏


4kリマスター版『リンダリンダリンダ』を観る。

タイトルはブルーハーツの歌う「リンダリンダリンダ」のまま。歌の出だしは「ドブネズミみたいに美しくなりたい、写真には写らない美しさがあるから・・」だ。女子高生がドブネズミみたいに美しくなりたい、と歌うのだから、どんな異常事態が起きていたのだろう?と、思った。20年前にあったその原因を想像してみたかった。

筋は4人の女子高生が、高等学校の学園祭のステージに登って「リンダリンダリンダ」を歌うため三日間の練習から、本番当日に至るまでの時間に起きるトラブルを描ききる映画。
持ち歌は3曲だったが、彼女たちの不注意で2曲しか歌えなかった、ことでお仕舞となる。その筋は、青春は不完全でも目標に向かって─、日々高校生活のなかで起きる、互いの問題やできごとを抱えながらも─、共に同じ目標を目指して歩むことこそ、生きる喜びである、と伝えていた。

人は成長するほどに、社会がつくりあげた若者にとっては不要なイメージ、「大人像」にガンジガラメにされ、生きることに大切な自由と責任と義務を一体に考えられなく、なるのかもしれない。自由を諦め責任と義務だけを処理する社会的機械に成り下がるり若者を多く観てきた気がする。社畜や社会的奴隷とは気づくことなく人生を浪費してしまう人も多いかもしれない。

描かれていた4人の女性たちはどのような社会人になりたいのか、映画で語り合われるシーンはなかった。だが「自己をドブネズミのように美しいいきものなんだ!」と声を張り上げ、見えない壁を突き抜けていく。そこには若さの疾走にも無自覚で生き抜いてしまう清々しさが描かれていて、気持ちがいい。

マウント獲り合う輩の情報が氾濫している現在、ドブより汚い情報を浴びてい生きると、鑑賞者の一部には、「学園祭でヘタクソな演奏で歌うだけで、つまらない映画・・・。」と感じる者もいそうだ。美しい人生は一見、つまらなくみえる事態なのだし、人生でそのことこそ貴重な時だと捉え、日々感じながら生き続ける人は、希である。それも再確認できる映画だった。

「ドブネズミみたいに美しくなりたい、写真には写らない美しさがあるから・・。」あの女子高生たちには、写真には写らない美しさを生きる、そんな日々を暮らす人々であってほしいな・・・と願ってしまうのだった。

タイトルの歌は1987年にリリースされ、映画は2005年に劇場公開された。28年後に、4kで再上映された。検索すると、動画が出てきて4人の女優たちは、それぞれ、専門の道を生き続けている様子も分かる。今世紀にはり、デジタル封建社会を生き続ける者に、未来はなく過去と今の分厚い集積のなかで丁寧にいきる豊さを知りながら、生き続けること。それが若者にも肝心な暮らしのように思える。

(深堀りし、続きを書くか思案中)

文化祭前日に突如バンドを組んだ女子高生たち。コピーするのはブルーハーツ。ボーカルは韓国からの留学生