映画鑑賞録 2025・02・25 | 作成佐藤敏宏 | ||
『敵』鑑賞録 (はじめに) フィクション、映画『敵』を観て気づきが多かったのでそれらを鑑賞録にまとめることにしました。原作は筒井康隆で、1998年1月刊行の『敵』だそうです。阪神淡路大震災後に書かれた作品だが、図書館が長期休館なので大震災の影響があるのかを確かめていません。また、一度見ただけなので間違いは多いと思います。 佐藤は、映画の始まりと仕舞の絵柄を記憶にとめようと常に強く意識し、目をこらし記憶します。 『敵』の冒頭は、道路側から見える門かぶりの松と閉じた門、お仕舞はそれらを内部から見た絵柄でした。これだけ知れば映画を観ずとも、閉塞的な「お家」の事情が描かれるんだな、と理解できます。「お家は楽しい、・・」そんな雰囲気は一切描かれない作品なんだと思います。閉じた門を見れば、無意識に権威をつかい威圧的で他者に不寛容な人物の古風な物語が始まるのだと覚悟します。 門に×の表象はありませんでしたが、「蟄居閉門(ちっきょへいもん)」までは進まずとも何らかの理由で、戦前からつづく、古いお屋敷内で起きる閉じた物語を暗示されてしまいます。あまたの映画の始まりには制作意図はえがき尽くされている。 門塀が冒頭にくるので、多くの日本人はそれはステータスを表象していると考えます。井戸塀政治家の例えもあるように、落ちぶれた政治家が暮らす屋敷にだって門と塀と井戸は残る、という意味でしょうか。門塀を持たぬ庶民の家屋でも、お正月に門松を飾る風習を受け継いで、毎年入り口に細やかな松飾をする若者も多いはずです。古い認識をベースに描かれる物語のはずです。そのことを順に見ていきましょう。 次に映画の案内文をコピーします。鑑賞された方は飛ばしてください。
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予告動画 |
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(案内文から受け取ったこと) 約30年前の原作なので2025年に儀助が生きているとすれば107才の主人公です。儀助の爺さんが建てた家で暮らす孫の設定ですから、約150年前に造られた屋敷と家屋です。儀助は年金と時たま依頼がある原稿を資金に老後を暮らすフランス文学、(原作はフランス近代演劇史)記憶が定かでないので、仏・語学者にしすすめます。妻に先立たれ一人暮らしを続ける独居老人の日常が、夏に始まり翌年の春に儀助が亡くなる、預貯金が尽きる1年間の暮らしぶりと、心の変調を自覚できない、そしてPC使いが下手な老人が描かれる作品のようです。 儀助はなぜ閉じた家で閉じた日常を過ごし、PCの情報を信じてしまうのでしょうか、案内文にはありませんが「敵がやってくる」のような偽メールは、佐藤には来ませんし、来たと想定するなら即・削除、現在来るなら勧誘とスパムのはずでしょう。2025年にeメールを使っている人は私の知人にいませんので、eメールを切っ掛けに物語を展開させることにも、─0年代ならうなずけただろうが─、古臭さを感じてしまい、観ようかどううしようか・・・乗り気が起きない。 そこで香港映画で詐欺師の話と連続して観る、観る前に感じていた古臭さを事前脱色して観よう!と勘が働きました。で、2本連続してみました。(先に見た詐欺師の話はふれません。) では閉じた儀助の言動を具体的に見ていきましょう。 |
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(映画の舞台)次に (リアルと妄想と夢と被害妄想) 舞台は老教授が受け継いだ古いお屋敷とその家屋。場所は都内であるが、映画に映った道路と門塀や街並みから想像するに、杉並あたりの閑静な住宅街に建つお屋敷としておこう。小金持ちが暮らす地域の2階建木造建築の内部が儀助の心情を描くための舞台でした。建築設計をなりわいにしてきたので、映画にある建築の細部をみてしまいます。 建具は障子です、縁側付きの和室なんですから、たぶん畳の上に絹の緞通(だんつう)ではなく、安もののジュータン敷き、食堂用4人掛けの椅子とテーブルが設えてある。そばには食後にごろ寝するための長いソファーが一脚。食堂の前にはさほど手入れしていない庭が見え、縁側からは門も塀も見える。庭に古井戸と物置小屋がある。セット撮影も加えてあるので、ショットをつないで想像するのですが、古い一軒家として成立していないのです。食堂と台所がつながらない、風呂や洗面所が繋がらない、書斎と食堂が繋がらない、被害妄想に落ちた儀助が階段から下りてくるシーンがありますが、二階の寝室と階段と食堂が繋がらない、ように感じます。(庭から2階を映すシーンが無いための混乱です) (人間らしくない表面だけ知識人の儀助) 庭にある物置に目を移しましょう。儀助と家族に関した古いアルバムが納められている。それを観た瞬間に思うことは、儀助は家族の写真のような親しい人と共有した記憶や時間を大切にしない人だと分かります。身近に置かず物置にぶち込んでも平気な精神を持つ変な人格をもつ老人だと解することになりました。 妄想シーンの中に、儀助と妻がお風呂に入っているシーンが差し込まれています。湯船の中の二人の対話を聞いていると、フランスに妻を連れていけよ!そこかしこを妻には丁寧に案内していない男なんだと知らされます。人生を共にしてきた妻を、儀助の職業の基をなすフランス観光に連れ出さない男です。妻と快楽を共有しようとしない家父長制に胡坐をかきつづけた、佐藤が嫌いなタイプの老人が主役の映画なんです・・・・観るんじゃなかったな、途中で抜け出そうか、とも思いましたね。 家族と過ごした記憶が定着しまとまっているアルバムを、物置小屋に放置し続ける出来事と重ねると、儀助は基本的人間性を失くして久しい男なわけです。─そのくせ若い女には興味があります、儀助のエロに関する内容は後に細かくみていきます。(と書いたが、貧し過ぎる性愛を書いてもあほらしいのでやめました)─ 片付けが下手な老人だとしても、広い家なのだから、屋内に保存すべき書物は家族のアルバムですよ。家族を持たない老人男性ならガールフレンドとの思いでの品々を保存することでしょう。そう佐藤は思うのです。 (リアルと妄想と夢と被害妄想) 冒頭に書くことなのでしょうが原作がリアルと幻想を重ねえがいた物語なので、妄想や夢に意識をもたず暮らす人には、映画がすすむほどに理解しにくくなる構成に仕立てています。ですから、儀助の生活を包むリアルと妄想と夢と被害妄想について外してしまうと、映画(原作)の特徴は蒸発し意味をなさなくなりますので、少し記録しておきます。 夢について 初めは古い家屋の中で暮らす、儀助の日常を細かく丁寧に描き切る。次に描き切った日常に妄想を加え、あるいは夢の中の出来事を挿入し映画を仕上げていました。 佐藤が観る夢は『敵』に描かれた夢のシーンのように整然とした日常でもあるかのような動画ふうには一切観ることはありません。理解不能な絵柄と場所、登場人物の連続で、物語としては断片の連続で統合することはかないません。簡単にかけばそれがリアルな夢です。 映画ですから、現実を少し歪めて描くものを夢だとして観るしかない、こんなシーンは座席で心地悪さを堪えねばなりません。本来の夢をシナリオで描けば、シュールで分裂し、本人も理解できないのですから、狂人の言動に似てしまうはずです。そのことを聞かされても他者には理解できない。夢を観ている人の深層の現れが夢で、本人だって「?」の連続なので夢は映画で描けない。理解できない!でアニメやメタバースを使ってリアルな儀助から離れて描くしかないと思います。それが夢です。 被害妄想について 次に映画のお仕舞のほうには、被害妄想のような痴呆のような老人特有の振舞いを提示してえがいています。それらは統合失調症を患った本人、痴呆になった本人にしか分からない、そういう絵の連続を正常な人が描こうとする、限界が露呈していました。正常な人間がみたら正常にしか見えない、その中に異常を観てしまう、それが幻視です。無理に描くなら正常の絵柄になります。こう描いたら狂ったように見えるだろう、という思い込みは幻視を描いていることにはなりません。制作者の意図になります。夢や妄想は描けない、その困難は制作者をきりきり舞いし制作なったとしても、夢そのものではありません。 妄想や痴呆は正常に見える風景の限界を超えたところに現れてしまう、意図的に描く類の絵柄は、無用な混乱を招くでしょう。痴呆老人や統合失調者の理解を妨げる、間違った情報を与えることの、害をもたらします。フィクションに痴呆や被害妄想を持ち込み描く行為は適していないと思います。 小さなまとめ @ 儀助はしいて言えば人間ではなく、システムとして、あるいはシステムに拘束されて生きてきた、その凡庸さは、凡人な老人から共感をえることになるのだろうか?佐藤には儀助はアホナ人、あるいは人間じゃないよ、他者と共に生きることを大切にしようよ、そう返したくなるような老人に映りました。フィクションの人物に人間性を求めてもせんないことですね。老衰を描くことは脳が正常な人には不可能に思う。描くことができたとしても、観客には理解できない、中途半端で脈絡がなく断片がつづく絵柄になるしかないはずだ。 ■おおよそ30年後にweb使いが下手な、儀助を登場させる意味 ゼロ年代直前の原作には無かった世と、現在の新型コロナ後とフェークニュースの嵐が吹き荒れる世を、儀助の暮らしから描く、映画化するのか面白い試みですが、成功しただろうか?原作を描くことに忠実だったのではないだろうか?佐藤はその課題は芯はかすっただけだった、と思いました。 路上の犬の糞に怒りを向けるなら、 あなたが暮らす目の前を掃除し道を綺麗に保ちましょう HPやSNSなどで情報を発信し続けなかった老人はwebの偽メールや偽ニュース、また2025年に話題になっているAIにハマるのだろうか。汎用AIなどできるはずはなく、事務的文書に役立つと囃され、課金・購入しても、不明な生成AIを使いこなせないだろう。生成AIから溢れるネタと、いわゆる炬燵記事を浴びては、自身も炬燵記事をひたすら発信するだけのアホな老人になるだろう。 そういう時間があるなら散歩すべきでしょう。掃除をすべきでしょう。 儀助の隣人は犬の糞を見つけると発生源を探るために道路に突っ立って見張る。そんな時間があるなら、身の回りの路を掃除しますよ。突っ立っていないで、散歩することで炬燵でのPC作業を減らすことを選ぶでしょう。町の清掃も自分の身体の清掃も同時にでき、怒りも収まり気分も晴れると思うのですが、映画ですから、どんどん怒りが積み重なりつづけ、人格が壊れるように描いているのは納得して観てました。『敵』が出現するまえの演出なんですね。 現実なら、webクレーマーになるなんて、web社会の阿保でしかない。 散歩をするだけでも、webのテキストの字ずらは変わるでしょう。散歩し眺め歩く、現地に立ち風に吹かれ、臭いを感じ、行き交う人と町を目で見る。webには間違い多いな・・・と感じるのが正常な人でしょう。目の前の犬の糞を見て怒り、見張るなんてことに人が使う時間は無いはずだ、と佐藤は思います。 生身の人間は時間が経過した動物の糞より臭いし、死体は肥料にさえなれない。そんなことは子供だって知っている。「爺さん臭い」でも一緒に遊べる技をもっていれば臭いなどと言われることはないでしょう。同様に性交渉可能な、貴方を愛する女性が現れたなら、臭い貴方を風呂に入れて手入れしてくれるでしょう。それが人と人の親密な交流の結果です。 終電まで15分しか無いと言われ、ズボンを下げて挑もうとする、妄想を持つなんて、なんとも哀れな老人ですね。性交渉は高度な対話の延長にあってこその人らしいし、もっとも人間らしい行為の一つです。一人ぐらしの老人の家に若い女性を誘い、きたとしても、飯を食わせワインを飲ませ、寝込みをおそう(笑)、ばかな想像する老人は人間として問題が多い。エロDVDの見過ぎ、エロサイトの見過ぎて脳が腐っている老人にしか見えませんでした。筒井康隆さんの計略でしょうね。そう思って観続けても、教え子に手料理を食べさせ、ワインを呑ませ、終電に間に合わない、計略にひっかかる素敵な女性はいません。フィクションならではの作り話です。 |
■注意しておきたいことのメモ 長くなりそうなん、鑑賞録として残したい主な内容をダブルのこともあるがメモとして列記し、次に要点を選んで細い内容をすすめよう。 建築に関すること 1−1)始まりと仕舞にいて。表から見た門で始まり、〆は内側から見た門だった。 1−2)家屋について─空間あるいは建築として統合されていないのではないか。縁側風呂、台所とダイニング、小さな物置小屋は一人暮らしの老人に不要なはずだが、片付けべたならあるあもしれない。有り余る時間を使って掃除整理ができない頭でっかち老人なのだろう。 1−3)井戸は何を象徴しているのだろうか、映画の妄想シーンで死体を投げ入れるための小道具の一つだと分かる。 語学と人格 2−1)フランス語を学び教えた者が、預金を使い果たす日を計算し、その日を目指し暮らす?あほな老人だ。(原作では自死らしい)ことはないだろう。 2−2)性愛と老人男性現実と妄想。描かれかたで理解できるのは儀助はフランスの文化を学んだのだが、異性との対話がまるでできない、あるいは自己満足型の知識人の性だ。 3−1)妄想とリアル、妄想と夢、被害妄想と老人性痴呆、それらを混在して描くことは、観客を混乱させる、それなにに混雑し描き観客を拒絶しているように見えるのはなぜか。 体と心の健康 4−1)大腸内視鏡検査について 4−2)幻視の内容 夢の内容、妄想の内容 物置に隠れる春になれば皆に会える 情報機器 5−1) PCを使ったweb情報を含む処理対応の仕方。 5−1)〆双眼鏡が壊れるは何を表現しているのだろうか。 暮らし方 6−1老人のお金の使い方 6−2)食事のしかた 6−3)他者との交流の貧困、 教え子 出版社の男 隣の老人 バー 6−4)〇遺産の残しかた、遺言を何度も書く老人は存在するのか 儀助はやり残したことはある。 映画化にあたり、現在ネット空間で毎日、吹き荒れている偽情報、真偽はわからいが、米国大統領は意図的に民意を探るためだろう偽情報を流して煽っていたのだ新宗教にハマった信者の一人が、首相を手製の銃で打ち殺す事件もあった(裁判さえ開かれず動機は不明、全体は謎のまま)。昨年は兵庫県知事選のドタバタで、兵庫県の有権者は偽情報を浴びたと言われ、奇妙な結果となったばかりだ。 遠目で見ると、第二次世界大戦後、日本の平和を支えていた仕組み全体が崩壊してしまった、と誰の目にも映る世が到来している。映画より現実の方が奇妙で不安で、偽情報は地球を覆って、フィクションをもとに語るのはかなり厳しく残酷な影響を制作者たちに与えているだろう、そのことは想像に易い。 古来から世の乱れによる深刻な影響は低所得者層に大きく与える。『敵』の主人公である元・大学教授など富裕層は無関係とやり過ごすことができるはずなので、映画のような筋でも悪くないのだが、佐藤には物足りない、と感じる。 それは、地球上の情報を扱うニュース番組を作る、マスメディアは信頼を失い、エンタメ界では芸能プロダクション長による若い男性への性加害事件、追い打ちを掛けるように関東でもTV業界では視聴率をかせぐために、女性アナを上納し、人気タレントにゴマを吸らせていたと哀れなさまで、そのような醜聞はやみそうもない気配だ。 マスメディアを担う企業がぼろぼろで、その影響は当然で、彼らの発する情報は信頼されない。影響は連鎖的に続くので日本の民主主義も崩落しはじめている。 (忘書き) 25年前なら悪を「敵」と擬人化して語れたろうが、悪の根源が組織そのものになっているので、「○●敵族」と、国民国家を超える仕組みを悪として語らない、と現在はバランスは悪い、と思った。 世が崩れだしたので、現実の方が加速度的に壊れ続けているので、フィクションでは追いつかないだろう。佐藤の暮らすフクシマでは、首都圏に電気を供給するためにフクシマの民は放射能を浴びせられ、心身を保持継続するためには「あの災害を無かったことにし」、口をつぐんだままだ。政治家や行政マンは復興しているとうそぶくし、ウジ虫のようにフクシマに集まる者たちも同様に扇動する。電気を消費していた首都圏の民だって「生成AIで革新だ」と多量な電気エネルギーを使う領域に夢を託しては、馬鹿な情報を信じ切っては、うつつを抜かしSNSでふりまく始末だ。 それらに老人が巻き込まれてしまう、その点をを加えていることで、、web初期の2チャンネルの罵詈雑言、肥溜よりきたない、肥料にもならない、何の役にも立たない情報にまきもまれる、話にはならず。最近のフェークニュースは知識があって暇がありあまる老人やインテリが落ち込んで、極右化したり被害妄想になったしちゃう、それだけの末期1年の老人話ではなかった。 フィクションなんだからも、老人を閻魔大王に焼きつくされるほどにと残酷に仕上げるべきだとは思った。大金(2500万円)を巻き上げられた福島の老人のニュースが流れているが、フィクションで300万円を若い女性に巻き上げられる老人話では、リアルのほうが強い恐怖を与えので、フィクション300万円騙されるのでは弱すぎる。 迫力がないに欠けるのではないか。 大学でフランス文学を教え、退職後20年ほどの独居老人の淡々とした平凡な日常が夏から描かれ、年が明けて、春には亡くなる、という急変ぶりに、それはないだろうと思った。 |
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PCと老人 映画ならではの信じがたい出来事がつづいていく。偽メールを開いてPC感染させてしまったまま放置などあり得ない、web回線を遮断し電源を即切る。その後駆除する。 紳士もどきだから嘘ネタメールにハマってしまう設定なのだろうが、そんな老人はいるのだろうか。いるならば、世は倫理で保たれていると思えてしまう老人が多いのだろう。 佐藤は建築業界に暮らしたので、他者に倫理勘を保全してほしい、とは思わぬ習性が身についている。建築業界の人はお金とエロと権力欲を求めるので、操りやすい。大きな建築物を発注する者だってさほど変わらない俗物だらけだ、と想像する。紳士は建築を作り続け不動産を転がせない、やはり、現在の米国大統領のように山師でエロとお金と権力を目指し地域で一番目立つビルを買う。これでは香港の詐欺師映画の様だ、あれが実際の世だ。お金を得ることを目的にしてしまうと、日銀になり印刷を刷りまくるか、詐欺師ややったふりする政治を演ずる者になるしかない。 で、佐藤は映画の中の老教授のような紳士にはあったことがない。インテリで老紳士なんか存在するのだろうか、宮台先生は若い女性と手をつないでラブホテル行きを、さらされたが、彼は若い時からナンパ王だから老人になり大学を退官してもまま実行する希な人だ。映画はフィクションなのでインテリ紳士はいることにして、彼のPC暮らしのおかしな日常を描いたのだろう。そんな筋書きを観てしまった!観てる俺の方が気の毒な老人だと思った。 PCも中途半端な知識では使いこなせない、ぼんやりしていると囲い込まれて、月々の多量なソフトを契約させられて支払も多額になるだろう。 貧乏なので佐藤は体を使って手に入れた情報を発信するために、若い人と交流し、彼の住む家を訪ね、泊めてもらい30年以上すぎた。年老いているが今年も若者の家に泊めてもらう計画があり、ちゃくちゃくと準備をすすめている。 そうすることで地域の文化を知り、土地に触れる、体感でき、若者の友人たちとの交流の輪は広がりつづける。PCは道具だ、炬燵に座っていて幸いな人生を送れると思うなかれ、という筒井康隆さんからの戒めの1本として受け止めた。欲を言えば仕舞はもっと悲劇的な老人に堕ちる筋書きの方が好かっただろう。 儀助の性愛の貧しさを徹底的に書こうとおもったが筒井さんの策略にはまっては、阿保らしいので、『敵』の感想はお仕舞とします。二度目は観ないよ。 2025・02・19 佐藤敏宏 |
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