『どうすればよかったか?』映画鑑賞録 「鑑賞録」は統合失調症患者のように繰り返す構成にしてます。web頁を開いたらAIに読ませ音でお聞きください。音楽が繰り返すようにです。 |
作成:佐藤敏宏、2025年1月18日。 | |||
佐藤は鑑賞後、藤野知明監督の姉・雅子さんは統合失調症ではなかった、と感じた。意味不明な発言は増えてたが、彼女の妄想と幻視・幻聴に基づく行動は映画の中で見ることができなかったからだ。また藤野家の人々は、それぞれがあれでよかったのだ、と思った。 食卓から理屈をなくし笑顔を 佐藤が提案できることは、室内と冷蔵庫内が乱雑を通り越し汚い域に入っていたので、─脳内の反映を表すさまだ─、まずは親子で掃除しあい、快適な住環境を確保すべきだったろう。お皿の上だけ綺麗でも健全な暮らしは継続できない。日々掃除する、そのことによって脳内に集中し溢れそうな血液を全身へ再配分すべきだ。頭でっかち言葉多量を脱し、暮らしに体を動かしたり運動を取り入れるため、町にでて散歩する、そんな暮らし方に変えることが、通勤地獄外に暮らす人の生活では一番たいせつだろう。 人は身体が健康でなければ、脳の働きである心の活動も健全にはならない。同様で室内も町中も健全に保ちながら生きる、平凡で単純なことを忘れてしまうと、映画に記録された家族の暮らしのようになったり、病を発症してしまうだろう。 観客の皆さんは部屋を掃除し、余力があったら協力し合い、町を掃除し体を動かしましょう。体を使わず食べ過ぎて、脳から血流を胃袋に送ってストレスの解消をしはじめると、カロリー摂取オーバーとなり、太るのではないか。ストレス喰い、それも自重したい。これらが映画を観ての佐藤の最初の提案である。 椅子に座りベットにゴロゴロし、親密すぎる親子関係からは毒も発生する。親離れ子離れは、人が生きるうえで細心の注意をもって実行する必要がある、おお仕事だ。ある者たちにとってはとても困難で苦痛を伴う仕事の一つだろう。親子離れをし合い、他者としてお互いが生きることの豊かさを求める、複雑で成熟した世にあっては他者と交流し育つ、育ててもらう、それらを欠いてはいけない。具体的には感想録を綴りながら断片的に表していきたい。 |
2025・1・13観た。映画の予告篇 |
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■『どうすればよかったか?』佐藤はどういう経緯で観たのか 佐藤は長年他者の肉声を聞き取り、文字にしweb記録をつくり公開し続けている。2025年1月10日午後7時から、長崎大学核廃絶センターの鈴木達次郎先生の、「2015年から5年間」、を聞き取った。後半の雑談で『どうすればよかったか?』を観ましたか、と不意に聞かれた。変わったタイトルだし、過去のことをどうすればよかったか、と聞かれても・・・答えられない。で、観てないです、と応じた。 鈴木先生は大阪生まれで幼少から、お爺さんに連れられ、お母さんにも手を引かれ映画館かよいをしはじめたそうだ。また映画を撮影した現場を巡る映画的聖地巡礼もするし、多数の鑑賞メモも持つ大の映画ファンなのだ。専門はプルトニューム問題を研究しパグウォッシュ会議を運営する科学者である。 昨年公開された『ゴジラー1.0』『オッペンハイマー』1954年『ゴジラ』の三本と原爆開発と後の問題をネタに、社会学者の花田達朗先生と三人で長時間語り合い、記録を作って公開した佐藤の映画友の一人でもある。 鈴木先生が『どうすればよかったか?』を観たかと聞いた訳は、佐藤の妻が35年ほど分裂病(名前が変わり統合失調症)の患者であり、死ぬまで通院しなければ生活は営めない、と知っているからだろう。だから統合失調症と共に生きている家族の一人が佐藤でもあり、日々の暮らしぶりを赤裸々にフェースブック(FB)に投稿している。そこで多くのFB友は、統合失調症と暮らす佐藤の変わった生活を知ることになっているかもしれない。 統合失調症は病気ではない、奇妙で強い逆照射思考を放つ奇怪な個性の一つだ、と佐藤は受け止めて久しい。 世の中には身内の病を隠そうとする者が多い。身内の恥と思うのだろうが、その発想は自らが統合失調症患者に対する蔑視観をもっていることを隠ぺいし振舞う、そのことに大変有効で誰も間違った対応をしてるなどと批判を与えない。隠すことはそのように勘違いさせるに十分なものだ、だから隠す者が多い。社会の中で病を隠すと対策が遅れてしまうし、統合失調症患者対応を誤って広めることにもなる。さらに、貴方は気の毒な人だね、と憐れみを受けることにもなり、隠すことが社会で暮らすためには何かと座りが良い選択で、抜けだせなくなる。あやまり易い行動の一つなのだ。 FB友の鈴木先生は佐藤にこの統合失調症家族の映画を観ないの?観た方がいいんじゃないの、と勧めたはずだ。鈴木先生の言葉がなければ、佐藤は見逃しただろう。福島市で1月10日公開されたことも知らず、正月をぼんやり過ごしたはずだ。 ■感染する 家族の統合失調症を放置し続けることで他の家族が感染し、似たような症状を示すことがある。(←佐藤の体験)特に親子間では感染しやすい。それは脳の作りが親子では似ているからだと思う。互いの脳が共振し合いやすいからだろう。感染対策は離れて暮らすこと。そうすると感染した者の症状が嘘のように消える。本物の統合失調症なのか、感染しただけなのか、見極めるのは大変に難しい。専門医に診てもらうべきだ。 佐藤は両者の区別を医師でもないのに分かるようになった。門前の小僧、妻を診て統合失調症を知る・・・なのだろう。言葉ではあらわしにくいが、両者は明らかに違う応答と言動をする。(註:共に数日一緒に暮らし、長時間対話しないと判断できない) |
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■妻の症状の一端を紹介 2015年6月の我が家・居間のスナップ。見ての通り、ガムテープアートの作品で内壁は覆いつくされていく。行為の発端は福島原子力発電所の事故によって家の周りへの放射能沈着であった。 普通の者でも放射能におののき何をしたのかは周知のことだ。妻は放射能の恐怖に遭いなんとか防御しようと自室に引き籠り、壁にガムテープを貼りつけつづけた。引き籠ってしまったし、佐藤は制止しないよう自制しているので、数年経つとこのような有様(右の写真)になった。すこしずつ共有の場である、階段から居間の壁へとガムテープで貼り尽そうとする妻。害はないのだが、恐怖におののき同じ行為を続けているので、放射能の恐怖から妻を救い出したくなった。2015年6月、佐藤は長男と縁者に支援してもらい、妻を強制入院させることに成功した。 入院後は欠かさず1ヶ月、毎日通っていたので(?)退院許可がおりた。あれから10年経つが新たな妄想が起きれば、統合失調症患者特有の行為を始める。佐藤の覚悟はできている、妻より先に死ぬと妻を難なく支援する者が消えるので長生きしたい。それが日本社会の貧しさに抗う佐藤の思いである。 妻は十字架の墓標をガムテープで描いたと語って聞かせてくれた。床にも同様にガムテープ模様が埋め尽くされた。2025年現在、幻視による行為が繰り返し激しい。投薬し共に暮らしはできています。 |
上の絵は2015年6月妻の自室の写真。椅子は世界的建築家である、磯崎新のモンローチェアー三脚、伊東豊雄のふーふー一脚。 それらは妻の二次創作であるガムテープ加工されていた。(入院させて後、撮った写真) 引き出しを覆うガムテープの詳細 |
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■治らない 個性なんです 統合失調症は治らない、個人の特異で奇怪な性格なのだ、と書いたが治そうとしても誰にも(医師でも)できないと思う。適量の投薬によって奇怪な言動の元であるドーパミンを抑制し、普通の生活を手に入れるために支援する。変わった豊かな感性を活かし暮らし続けてもらう。治療ではなく支援を続けるのがよいと思う。 万が一、身近な者が統合失調症と診断されたなら、投薬によって過剰ドーパミンを押さえ、怖がらず共に暮らすことをお願いしたい。(投薬せず症状を抑えることができる世が来る、と思うが佐藤の妻のケアには間に合いそうもない。)怖がると患者にされた者は、一層の孤立を味わうことで動揺し、妄想と不安が増大し逆効果なのです。親しくにこやかに共食し合いながら、ゴロゴロする、させる。説得は厳禁で害だけあって、意味をなすことがない、と佐藤は体験から思います。 親密ならハグし合い心を穏やかな境地へと誘うことができ、問題なく暮らすことが可能なんだ、と知ることが肝心でしょう。そんなことしてたら、金を稼げず家族は喰っていけないではないか!と疑問を持つ人は多いはずだ。が、障害者年金制度もあるので活かしましょう。あまりいいのがないが各種支援制度を調べることが肝心です。本人が手帳をもつと障害者と呼ばれるのだ、と語れば尊重し、他の方法を見つけるしかない、患者も他の患者を蔑視している証ですし、一方で支援制度がさほど無いこと、それが日本の貧しさの一つです。 前書きが長過ぎたかな、次に映画を観ての感想録。 |
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(映画を観る) ■当日の様子 1月13日午前10時開始の上映を観にいった。観客は多くても数人だろう、予約せずでフォーラム福島4に向かった。徒歩20分ほどで着くと入り口から人が溢れ、道路まで並んでいた。その様子を見ても別のスクリーンの客だろうと、分け入りチケット売り場に行くと、列最後尾に並んでください、と言われてしまった。上映開始5分前でもチケットは買えない。10分ぐらい予告を流すので順を待ち、中ほどの列の4番目の席を選んだ。 館内に入り席に座ると、8割ほどの客で埋まっていた。隣席の若い男女カップルに、どうして観にきたのか、と訪ねてみた。「ラジオで聞いて興味がわいたので・・」との返答だった。館内を見回すと若い人が占め老人は数名しか見つけられなかった。若い人が統合失調症に興味を持つことはなぜだろうか?分からない不思議だった。上映が済んだら手あたりしだい聞き取りしようと思ったが、ポケットにはメモ帳だけでICレコーダーを持参してなかった。 ■案内文 映画の案内には枠ないの文言があった。
最初のショットは1979年1月3日、左から母、姉、弟、父が食堂の椅子にすわり、テーブルにはおせち料理が並ぶ、どこにでもある家族のお正月写真、でスタートする。 (逆だったかもしれない)映画鑑賞に際しての注意「究明することではない」との宣言文が写しだされる。監督、それでいいのです、と佐藤は同意した。
姉が統合失調症だとしても発症理由を究明することは不可能で、追求には意味はない。家族の間に心労を蓄える愚かな行為だ、と佐藤は思う。 受け入れてしまうことでしか光明はささない。 しかし、知識も体験もなく統合失調症が家族内にあらわれると、原因究明をしてしまうのは人間らしい。だが藤野家の人々は医学系であることで、さらに困難な墓穴らしき穴を深く大きく育てていた。中途半端な知識が害毒となり穴掘りを続けてしまった藤野家の人々を観ているのが辛いと感じる人もいたかもしれない。 |
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■記録された家族の構成 次に、藤野家の家族の来歴が紹介され、以下のような構成だと示される。父、大正15年生まれ医学の基礎研究者。母、昭和3年生まれ理学系の研究者。ふたりは(父29才)1954年に結婚。4年後の1958年に姉の雅子誕生。12年後の1966年に弟・監督でもある藤野智明誕生(現在59才)。 両親とともに、エジプトなどを旅しながら、両親の留学先のハイデルベルグへ至る。優しく聡明で絵が上手に描ける少女であることが知らされる。 ■発症へ至る切っ掛け 雅子さんは医学部を目指し4年浪人し合格。解剖の授業につまづき挫折してしまう。挫折後も父母の丁寧で行き過ぎた指導のもと、頑張る姿が写真で紹介される。 1982年、24才ごろからこの両親の丁寧で執拗な指導の連続は、雅子さんの心身に発症の切っ掛けを与えてしまったと、映画を観てて佐藤は思っていた。 発症へ至る、見どころは2点ある、父の容赦のない理詰め語り。次に絶え間ない母親の指導的言語の嵐である。心優しき娘は両親の期待にこたえるべく数十年のあいだ、昼夜もなく、外出もさほどせず、脳をフル回転させ続ける。だが時が経過するとともに、彼女の発する語彙の連続は、人と人とが交わす言葉としての意味をなさず、両親と同様、娘もまた対話相手に言葉を届け対話する、その術をなくしてしまっていた。家族3人が対話能力、と聞き取る能力がない、そのことが映像で記録されている。この点が見どころの1点目。 両親との対話が極端になりつづけ、同時に娘の拒否反応言動も激しくなっていく。病状が悪化するに従い父の言葉を暴力団言語だと解し、耳を傾けようとしない、(気づけよ父親!)父と娘の言語交流はここで崩壊の極に至っている。それを示す暴力団言語を拒否する娘の姿は映画の予告にも入っている。大変に重要で興味深い見どころだ。対話が成り立っていないのに無用に対話をもとめ理解を求め続ける両親の姿は暴力でしかないし、親子が陥る蟻地獄の様を意味するから、憐れみさえかもしだしていた。これが見どころの2点目である。 ■雅子さんが入院した年 2009年5月、知明さんの尽力によって、ようやく入院させることに成功!(心で拍手ぱちぱちしたよ)そのとき雅子51才。発症から約26年かかったことになる。その間の様子は映画に描かれているので具体的細かに記さないから、鑑賞してほしい。 3ヶ月の入院で退院した後の暮らしぶりは、部屋も綺麗に整頓され、料理も上手にできている。そこには統合失調症による言動が動画におさめられていない。推測するに、真正の統合失調症患者なら妄想による言動が現れカメラに収められていいはずだ。町中のフェスタや花火を眺めている娘の姿は一般のおばさんの姿になっていた。それにしてもこの娘はVサインを出し続ける人だ。 ■母親が亡くなった 2011年5月母親は83才で亡くなる。(娘53才)予告編で観て先入観が強すぎ誤って受け止めていたシーンは、娘が出て行かないように座敷牢として必要な鍵を写したのだ・・と思い込んでいたが間違いだった。映画を観ると、母親は娘が外に勝手に出て行かないように外から鍵を掛けていたことがわかった。年代が分からなかったが、母親自身が長年の娘との闘争に敗れ、明らかな統合失調症の症状を表す行為の結果をみせるようになっていた。母は被害妄想が原因となる、真正・統合失調症の症状だ。 母は統合失調症の治療も受けず(説明がなかった)、亡くなってしまう。この間10年ほどと推測して映画を観ていた。娘と母は心底からの対話を持つことなく、互いが亡くなっている。母は娘以上に心が病んでいたが、夫も息子も娘も気付くことが無かったのは、大変に気の毒なことだと、母のしでかす統合失調症の行為の数々をシンミリ、可哀そうだな、と言いそうになりながら観ていた。夫と娘の間に立ち、脳が崩壊することで母は救われたのだ!そう佐藤は想像した。 娘は治療後、ほぼ正常なおばさんとして再生した。脳が崩壊することはなく母親より強靭な脳を身につけ、この世に生まれていたことは、鑑賞してて分かった。母親の哀れに気付かず、娘の復活に幸いを見た鑑賞者が多数を占めたのではないか? 最後のカットは娘、雅子さんの両手Vサインだった。彼女は弟の支援を受け両親がもつ知識病との闘いに勝利し亡くなった。それを示すに充分の写真が、ラストを飾っていた。良かったね。佐藤は貴方は統合失調症なんかじゃなかったと感じました。ですから、両手Vサインを決めても許します。 佐藤から貴方へのお願いは、両親と子の間に、貴方たち家族のような関係が生まれないように、天国から見守ってください。 |
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■繰り返しのような、補記のような何度でも言う 藤野智明監督によって20年間に渡り捉えられている「禍中の家族たちは何に思い悩んでいたのだろうか?」その点は考える必要がある・・・と思った。鑑賞録を書くことで、藤野家の一員だったらどのように振舞ったかなどを含み記すことにした。なぜなら佐藤は妻の統合失調症を治療しつつ、被害妄想による言動に浸りつづけるなかで、家庭が崩壊しない手法を見つけ、試行錯誤を続け35年暮らしてきたからだ。だから分裂病から統合失調症に病名が変更されたことも、社会の多くが統合失調症について知らないことも、治療薬はきめ細かになり患者の症状に合わせ対応ができるようになったことも、知っている。その間、医師たちと何度も話し合ってもいる。娘が偶然医者への門をくぐり、医師に成長し私を支援してくれているので、医療制度が抱える問題も教えてもらい知っている。 いろいろ知っていても、佐藤は平安に暮らしているか?それは佐藤を見ている人が思い浮かべればいいことで、答える暇があるなら、佐藤は家族にうまい飯をつくり食わせ、後片付けするだろう。 タイトルを見た者はあの問いにどう応えるべきなのか?戸惑ったことだろう。が、鑑賞後に「知明監督は答えを求めていない」、と気づく人もいただろう。 だが下記に箇条書きであげた九つほど、それぞれに答えかたがあるはずだ。カッコ内は佐藤の簡単な応答だ。が、9項目それぞれが時々刻々変化し続けるので、一般解に似た、合理的な答を示すことは不可能だ。その他、医師と医療従事者が関わり、さらに治療法は世界の医師たちが連携し研究・開発し妙案が重なり続けている。だから答えがあるとしても星の数に膨れ上がる。よって統合失調症患者や家族に対し、最新かつ正確な答えを与えることができる者はいない、(出会えない)と佐藤は想い生きている。 ■関係している人々 1)父親へ(親だと思い上がり娘を過監視+過干渉!娘を信じ自由にさせよ) 2)母親へ(同上+晩年はあなたが統合失調症で、治療せず没し気の毒です) 3)雅子さんへ(中卒後、家出あるいは独立し生活すべきでしたね) 4)知明さんへ(20年にわたり誠実に家族史を録画し公開いただき感謝) 5)藤野家の親戚と友人(統合失調症は病ではないので支援せよ) 6)共に暮らす地域の者(住民登録者は自由に出入り可の場所を) 7)行政・支援する立場の者(居場所を作りケア力のある者を雇い置け) 9)観客(統合失調症を学ぶことは脱・近代の精神を宿す事) ■正常とは 1990年頃、妻の担当医師に「正常とはどのようなことですか」と聞いたことがある。彼は「戦争に行ったら人を殺すことが正常だ」と「何に?、聞くんだ馬鹿」とは言わなかったが、苦渋の表情を表し絞り出すように答えた。佐藤は医師も狂っていると思った。その後、精神科医に妻の暮らしぶりは説明するが、「正常って何」その問いを発することは禁じている。あの時、医師が「分からない」と答えてくれたら・・・と何度も思った。 繰り返し書くが、統合失調症は人の多様な中にあって、症状が現れたなら単調で同質な個性となる。だから病と捉える者は患者と示された者に対し、人権侵害を与えたり、その行為に加担する可能性が高くなる。その点も記しておく。 |
観て直後FB投稿した内容 映画『どうすればよかったか?』を観た。 1月10日、鈴木達治郎先生の2010年代後半語りの聞き取りを終え、雑談していたら・・・観ましたか?と聞かれたが、知らないと応えた。統合失調症を抱えた家族が撮影したドキュメンタリー映画だ、と教えていただき──佐藤の妻は統合失調症歴35年なので、FBにも書いているので知られているかもしれない。またこの病に偏見をもってないので隠さない、かなり対応しにくいが人間の個性の一つのあり方だ── 検索するとフォーラム福島で10日から2週間上映とあった。で、13日10時から上映を観た。 鈴木先生に教えていただかなければ、見過ごしてしまう一本だった。 ■統合失調症についてと映画の感想は今週中に書く予定。暗い映画に仕上がっているのか、と思ったが予想は外れた。どうしてこうなっちゃうの、とも思った。完璧な人間はいるわけないが──自分が完璧だと思い込む人間は時々見る、阿保だね──そう思いこみ仕事に励む大人はいそうだな。 予想がはずれたのがもう一つあって、観客の多さだった。映画館の受付からあふれ出て道まで人が並んでいた、まさかこの映画を観にきたんじゃないよね・・・並んでいた人に聞くと、この映画を観にきたという。驚いた!─統合失調症に興味を持つ老若男女(若いカップルが多かった)で席の75%ほど埋まった。 佐藤は35年も付き合っている病なので、映画を観て新しい気付きは無かった。家族が映画を撮って他者に伝える方法はナイスだとは思った。泣きながら撮影した、と思えるシーンは無かった(勘違いかも)。問題と距離がある、あるいは編集で外したのかもしれない。 とは書いたものの多くの人に見ていただき「統合失調症について、これを機会に調べる、語り合う、その扉にしていただきたい、と思った。詳しくは感想録に長く書いちゃうだろうな・・俺・・注意しても長くなりそう。 (問いにこたえて) 統合失調症歴35年の厳しい(笑) my 感想録おまちください。私は暗いとはおもいませんでした、家族という、他者集合態を親も子も勘違いして暮らし、解決の糸口を見つけられない・・・気の毒というか相互に対話が下手で技を磨くことに怠慢ですね。国内わかものの長男・長女病は蔓延してて、そこはかなり暗い救いがたい、にげるしかない、それが常態化してますので、とらえ方次第でしょうか。相互に対話力と聞き取り力が要りますね。 |
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■まとめ 繰り言が肝心だ (統合失調症を病ではなく奇怪で強烈な個性と捉え支援しよう) 統合失調症は脳の働き(過剰ドーパミン)によって、幻聴や幻視、妄想がおき、理解を超えた言動をもふりまく人間の表現の一種だ。それを対面することになる患者周囲の共に暮らす者は(特に家族は)体験したことのないショックを受け、自己安全な立ち位置をたもちつづけることで患者を苦しめる。 または患者には適さないを判断し周囲の者は自己肯定したり、原因探しするのだが、それらはほとんど患者には意味のない、意に反し害を与えてしまい徒労におわる。映画の冒頭の注意書き「発症した理由を究明することではない」との、あの文字を思い起こせば分かるだろ。 統合失調症に家族全員が感染すれば、誰も気付かないまま暮らし続けることになる。新宗教の教祖とその家族もその類だろう。そういう厄介な問題を恒常的に生み出す人ゆえの個性のひとつ、それが統合失調症と名づけられた症状だ。 何とかしようともがけば時間ばかりが過ぎゆく。理屈を持って家族などが患者を危険領域まで追い込み、相互の状況が悪化する。その様を他者が観察していたなら、家族の精神も相互に影響を受け、傷つけ合い、どちらかが閉じこもり、解決不能とも思える事態に至るのだが、映画というメディアを家族の一人が使って完成した作品を観れば、その実態が具体的に理解できたことだろう。 人は脳内のことは理解できていないので、統合失調症患者に興味を持ったり、近づいて支援しようと思うものはいない。支援行動に至るのは統合失調症と共に暮らしたことのある者と精神医療系で金儲けのため運営している医師以外の、医療従事者だけかもしれない。 親密な関係性がおこしてしまう逃れ難い病。関係性が起こす病名はないが治療の為に統合失調症を与える。子が両親を上回る知恵者であれば起きない、関係を絶てば起きない病。健全な関係を思い言葉を探り共有をせまることが、これでよかったかと均衡する行為だ。 例えば父と娘の問題、母と娘の問題、夫婦間、個人と会社学校などでも、起こす可能性はある。それらの一つを弟が観察し続け、治療という親子関係をひと時、遮断することを提案したことで、姉は本来の平安を取り戻し、人らしい晩年の生を全うできた。一方母は統合失調症を発症し亡くなる。父は何も気付こうとせず、全能の神でも、あるかのように、柩にも踏みいる。両者の論文を入れ娘の胸に覆い被せ、自分の行為が誤りでなかったと主張していた。父は敗北を自身で認めることのできない、その人格が20年の長きにわたり妻と娘の悲劇をもたらした。彼は死後も変わらぬ人だと想わせるが、私はあのような父のもとに生まれ、養育されることが無かった。その幸いのようなものを再確認し、自身の父としての行為を振り返ることになった。 親子におきる普遍で体験することなく突入する平凡で困難なテーマであるから、多くの人がこの映画を鑑賞することで、親子の呪縛から解放され、互いが、それぞれの幸いある路を尊重することになることを願う。加えれば映画『どうすればよかったか?』、のように撮りためて編集し、その過程があぶりだし絵のように表す、そうすると他者への理解・共有が可能だ。映画を作ることは、その困難を他者と共有するための第一歩として良い策だと確認しておきたい。 さらに繰り返すと、藤野監督は当事者であり観察者であり続けたことで、他者に統合失調症の理解と知るための扉を開いたことになっている。彼は統合失調症患者の媒介者であるが、苦悶の果てから困難を外部化した。映画に転写した当事者が現れたことを、歓迎したい。 藤野監督の媒介によって統合失調症について知り、事態全体を改善しつづけようと思う者は、精神科の専門医師と患者をサポートする者に限られる現在だが、患者の人権第一とする適切な医療政策、社会で暮らしながら治療することが要る。だが、病室に施設に閉じ込め隠ぺいしたままなので、社会の中で統合失調症患者と共に生きる手法はひろまらないのも現状だ。 そうは言っても医師とケアをし続ける人の存在がなければ、患者は社会性を持った暮らしが可能となる道に至る、その扉は開かれない。人口の1%もいるそうだが、見えない、存在していると言われる統合失調症患者、彼らは今日も存在しなかったことになり続けている。 藤野家のパパとママと対極を生きてきた佐藤は変人なのかもしれないな・・・と鑑賞して思う。映画に捉えられた家族の対応のしかたは、あれでいいと思う。 変人である佐藤は違う対応をしている。それは統合失調症の症状のなかにあっても、妻が人らしい生活を営む日常を手に入れ、生を全うできたなら、佐藤自身が変人域に暮らす者に見えてもよいではないか。人が生きることには意味はないと考えるし、意味を求めない日課を生きている。 |
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