森田一弥さん 渡辺菊眞さんと語る 2022年1月4日午後1時から
作成:佐藤敏宏
 余談 あるいは2022年4月4日 ZOOM語りに向けて
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菊眞さんよりのメッセージ
4月4日を皮切りに22年度末にリアル展示会をめざすという流れのご提示ということで把握まちがってないでしょうか?新コロナで作品さえあれば場所問わずできるというのはその通りですが、リアルは場所問いますよね。オンライン講義などの問題を打破する必要はわかりますが、場所のない展示会、私塾というのも、ありなのではないかとか思っています。各場所で展開していることは、バーチャルでなく、リアルでしかない(例えば森田さんが静原で民家をすこしずつ増やして改造しつつ村の風景もすこしずつ生き生きとしてくるなど)。しかし、ネットがそれぞれの地に足のついた活動なんかを場所問わず結ぶ。それを展示会とする。なんてことです。なんだか私はご提示のことについて捉え間違いをしている気がしていてならないですが、いま感じていることを備忘かねて記しておきます。
Kikuma
先に記したことに近しい立ち位置の記事を昨年書きましたので添付いたします。よろしければご覧ください。雑誌の校正ゲラですので拡散等ないようお願いいたします(そんなもん送るなよ、という気がしますが)。

(1) 4月4日を皮切りに22年度末にリアル展示会をめざすという流れのご提示ということで把握まちがってないでしょうか? ■ 4月4日の語り合いはリアル展示会を目指す語り合いにもしたい
 その通りです

(2)新コロナで作品さえあれば場所問わずできるというのはその通りですが、リアルは場所問いますよね。 ■オンラインで作品展開催は考えていません。
リアル展に参加できない人にはオンラインで配信も考えのか?

(3)オンライン講義などの問題を打破する必要はわかりますが、場所のない展示会、私塾というのも、ありなのではないかとか思っています。


(参考)関西にあった建築的私塾の流れ
野村藤吾塾→ 西沢文隆+渡辺豊和さんが開いた塾→豊和塾→春秋塾大島哲蔵さん→大阪アーキフォーラム(休眠中)
 
■オンライン講義は人と対話を著しく棄損する道具だと思ました。
現状のオンライン社会を補完するために、社会人(建築家など)と学生さん+一般の人々が交流し語り合う場を積極的に提示し、新コロナ時代の諸問題を把握する
(オンライン私塾も考えていません)

4) 各場所で展開していることは、バーチャルでなく、リアルでしかない(例えば森田さんが静原で民家をすこしずつ増やして改造しつつ村の風景もすこしずつ生き生きとしてくるなど)。しかし、

ネットがそれぞれの地に足のついた活動なんかを場所問わず結ぶ。それを展示会とする。なんてことです。なんだか私はご提示のことについて捉え間違いをしている気がしていてならないですが、いま感じていることを備忘かねて記しておきます。
■佐藤のメッセージ投稿の拙さによって菊眞さんに誤解を与えてしまいました。
申し訳なく思います。

神楽岡塾 あるいは豊和塾など関西のリアル交流の場を再考し再興する。それが4月4日の語り合いをする目的の一つです。


5)先に記したことに近しい立ち位置の記事を昨年書きましたので添付いたします。よろしければご覧ください。雑誌の校正ゲラですので拡散等ないようお願いいたします(そんなもん送るなよ、という気がしますが)。 ■面白い指摘のある記事です

現代イワクラが現在の社会批評になっています、その意味をよく表し理解のための助言あるいは補完的論考の一つだと思いました。

柳沢先生のバラナシ「融合寺院」や魚谷さんの『コンテナ町家』 が生まれ出る対極大地に生まれてしまう事実、あるいは隠された限界集落(かっての農業生産地)の現在を指摘していると受けとめました。

近代化というのは生きられる大地を方々に生み落としながら延命しているんだよ・・・その指摘は、これからの社会=人間終焉後の社会をつくりだすために重要です。

足下の延命し続ける社会、その現実を見ようとしないのは問題の先送りでしかない。

世界各地にある限界集落化(原発事故の福島の一部もそうです)その問題を抱えながら目を閉じて近代の社会を享楽的に生き続ける。それは次世代に対する罪は重いでしょう。

インターネット化で「人間の終焉」を加速しながら生きている。そういう捉え方でいいと思います。

その事実を知らない、あるいは忘れている人が多すぎる。この実感は放射能が沈着して多くの大地から人が消えてしまった、福島の現実も照らし出しことができる論考の一つだと思います。

そのような指摘だと受け止めました。

森田一弥さんに関する 参照文献 『建築雑誌』2021年11月号

静原での落ち着かない日々


Unsettled Life in Shizuhara, Kyoto
森田一弥|Kazuya Morita

京都市北部の山間の集落、静原に移り住んで15年ほ
どになる。150戸ほどの家々からなり千年の歴史が
あると伝わる古い集落だ。2006年に築120年の古民
家が格安で売りに出ていることを知り、かねてから
田舎での生活を夢見ていたこともあり、購入を決意
した。移り住むにあたって水回りなど最低限のリノ
ベーションをして、妻と3人の子どもたちの5人家族
で生活を始めた。
当初は家の一部屋を事務所として仕事をして、ス
タッフとの昼食も自宅のキッチンで済ませていた。そ
のうち家族とスタッフの生活を分けるために、事務
所用のキッチンとトイレを同じ建物内にあつらえた。
2017年に、ずっと空き家になっていた東側の隣地
を購入することになった。最初に手狭になっていた
事務所スペースを拡張するために、付属の納屋を事
務所スペースとして改修した。その後は少しづつ母
屋の改修を続け、今年の冬にようやく私たち夫婦が
隣家に引越しをした。元の自宅は大学生になった子
どもたちの生活スペースとなり、かつての事務所ス
ペースは事務所の食事とミーティングスペースとし
て今も健在だ。現在、敷地のなかには3棟の建物が
あり、そのなかにはキッチンが3つ、薪ストーブが4
箇所、トイレも4箇所にある。
田舎の民家は一見、無駄なスペースばかりである。
田の字型に連なる和室は個室としては使いにくく、玄
関や土間もやたらと広い。とはいえそのルーズさが
さまざまな用途に使い続けられる理由でもあるよう
だ。海外からのインターンの滞在場所、客人をもて
なす場、妻の藍染の工房、模型置き場、薪置き場、古
建具のストック、左官仕上げのサンプル置き場と、用
途の定まらないスペースをいろいろな用途で使い回
している。
ここでは「動いている」のは建築であると同時に、
私たち自身のことでもある。



森田一弥(もりた・かずや)
建築家、森田一弥建築設計事務所主宰/1971年愛知県生まれ、
1997年京都大学大学院修了。左官職人修行を経て、2000年
自身の設計事務所を設立。2007年EMBT(バルセロナ)勤務、
2011年カタルーニャ工科大学留学を経て、2020年より京都府
立大学准教