編集者と建築家について語る 記録 04 20210804 文責 20210810作成 佐藤敏宏
居残り編
4:30:02
渡辺邦夫の建築的狂気

片山:東京フォーラムの天井向いたら、舟みたいなやつあるやん。あれが渡辺邦夫の最高傑作。
中村:有楽町のね。
佐藤:意匠設計が外国人で構造設計が渡辺邦夫と。
片山:それから横浜の。
佐藤:船着き場ですか。
片山:客船ターミナルの全部鉄板で、スペースモノコックみたいいなっているのも渡辺邦夫。
布野:若い外国の人がコンペでとったやつね。
佐藤:磯崎さんが審査委員長だったコンペね。
片山:そう。
佐藤:あれ、いいじゃないですか。
布野:ときめきメッセの槇さんで事故起こしたやつも渡辺邦夫さんだった。
片山:そうそう。
布野:それもあるけど、僕、渡辺邦夫さんと学会賞の審査員やった、ことあるよ。藤森(照信)の熊本農工大が候補で、結果的に藤森が受賞したんだ。その時に一緒に見に行ってね。「布野さんこれねー、この木造はね、20年経つとバランバラになりますよ。構造がなってない」と。あんまりご存知ないね。藤森の中では傑作じゃないと思う。バランバランに木造の柱が立っていてね、食堂だけだけど凄いんです。柱を、バットレスみたいなツッカエ棒で押さえてる。これはあり得ないのでね、ガンガン言って。中庭がぜんぜん生きてないなー、そんなことで、あんまり評価してなかったんですよ。熊本のアートポリスだと思う。藤森は地元の建築家と組んでやった。藤森は手作りの良さみたいなのあるから、まいいかーと。藤森も俺のところに電話してきて「俺がやるやつは、自宅含めて生木を使ったりするから、バラバラんになる」と。「だから床をネジで止めなきゃいけない」とかね。方々で評判悪い。「賞が欲し」と言うのよ、そういうことをする人だ。僕は藤森と物凄く親しい。だけど、通ることは通ったんだ。僕の条件は、4人連名だ!と。当時は電気大の大ボスの船越先生は「設計者は一人が原則だ」って言って、委員に計らずに3人を落とした。俺は怒ったね、講評にそれは全部書いてあります。現地審査に渡辺邦夫先生と行った。僕は、真っ当なことを言う先生だなーと思った。

片山:他人の仕事はすごいクリアーにやった。自分が作者になった途端,スイッチが入り狂気のデザイナーになる。
布野:デザイナーとして真ともなんじゃないの。
中村:内藤さんの益子のやつは渡辺邦夫さんですか。
片山:あれは岡村さんになっている。岡村さんはね、渡辺邦夫より社会人。
中村:おっかない人ばっかりだったので、基準が分らないです。
片山:中村謙太郎さんのライフ・ヒストリーを考えると猛獣級ばかりじゃないですか。
中村:立松さんはすごかったですね。


編集者 立松とは

布野
:僕ちょっと思い出したんだけど。佐藤さんの今日のプログラムと全然違うんだけど、中村さんに聞きたい。建築文化の田尻さんのインタビュー、佐藤さんに文字起こしてもらってるんだ。田尻さんから見て立松さんの評価が物凄い低い。
中村:田尻さんは立松とは、まあまあ親しかった。
布野:すごい親しいはずですよ。立松さんは彰国社に入ったときに、組合を作ろうとして会社に抗って席が無い。(除席)なのに、毎日通勤したみたい。僕は、物凄く立松さんとは親しかった、すごい奢ってもらって、呑んでいろんな話しした。中村さんが話した麻布の話とか、建築資料からめちゃくちゃお金を取ってくるとか、建築ブックのシリーズもやる。それから住総研の研究所便りみたいなものを、彼がやっていた。僕はそんな仲が悪い印象なかったけど。田尻さんは、住宅建築の若い連中には、相当反発されていたようですよと、喋ってる。それを佐藤さんが文字に起こしてくれた。そういうことも聞いたので中村さんに聞きたいの。

中村:反発、どうなんですかね。新宿三丁目なんかに呑みに行くと、おっかなかったですよね。
布野:そういう意味。
中村:それは世代感覚、みんな知っていることですよね。田尻さんが何をご存知なのか分らないです。
布野:田尻さんに告げ口した奴が居るんだ、たぶん。新宿三丁目ってギャバンでしょう。
中村:川とかって。
布野:川か。
中村:そこら辺からセンター街に行く辺りのいろいろ、あと中野坂上とか。
布野:中野坂上は僕は知らないな。
中村:鍋屋というのが在ったんです。
布野:呑み会の席で怒鳴られたするのは当たり前だったけど。
中村:それこそ、若い・年寄り関係なく。
布野:僕は幸いに生意気だったから言い返してたからね。
中村:言い返すと「なんだ」って立ち向かってきてくれるから。逆にそれに甘えて言い返したりする人ってのはいたと思います。反発とは違うような気がします。
布野:ある場面では怖かったということ。
中村:僕はそういうもんだと思ってたんで、いまさらそこについては特に。


布野さんの先生 

参加者男1
:ちょっといいですか

佐藤:どうぞ

参加男1:「この編集者はどうだった」みたいなの。亡くなられた人が居ると周りの方も高齢になって、歴史の闇に隠れていく、話ってある、じゃないですか。「丹下先生がどういう人だったか?」「菊竹さんがどうい人だったか?」語られいて、吉阪さんとかも、いろいろな人が書き残してます。吉武泰水さんのこと、権力があったとか、偉かったとか、本当の人間としての吉武泰水ってどういう人だったか?記録や語られた本が無いので。布野先生、ぼけちゃう前に是非!諸先輩に聞いて記録してもらいたい。

布野:それはね〜もう遅いよね。香山壽夫さんが変ん、というか、捻じれて書いてきた。芦原さんが居て、香山さんがいて、三宅理一とか杉本俊多とかいた。俺は最終に香山さんに会った時に怒鳴られた。「工学部1号館の前に、赤ペンキで何か書いた奴は誰だ?と言ってね。「お前らだろう」と言ってね、凄い怒られた。「お前ら美学しらねーか」とか言ってね。本当は三宅がやったんだけど杉本が怒られた。それ以来あんまり話してない。助手をやっていた下山さんが上がってもよかったんだけど、筑波へ行ったし。助手連中は「なんで??香山さんが戻ってくるの」みたいな雰囲気があった。あんまり付き合っていなかった。
僕は芦原さんとは凄く話して、よく分ったよ。プライベートにも、僕のかみさんの親父が弁護士で、芦原さんの軽井沢の別荘の土地の問題で関わったりしていたから。芦原さんと僕はずーと親しかった。
僕は吉武研の最後のドクターなんです。だから、研究室のまとめをやった。その時は香山さんは外れている。その後吉武さんは一杯勲章もらった。何かもらったらパーティーばっかりやる。僕は下っ端でも付き合いだけど、出て行かないといけない。僕が知っている3年間ぐらいの吉武さんの話は幾らでも喋れる。それ以前の話は又聞きしかない。
例えば、吉武さんはぜんぜん運転できなかったんだ。いっぺんボロゾールって、俺は運転しないから分らない車、イタリア車かな。ボロゾールを運転して校内走った。運転が危なっかしかった、とかね。筑波へ行かれる前は「布野お前、こういう読書会やれ」って言われて、やったんだ。それから最後の晩餐っていってね「俺は57才だ、筑波へ逃げる」と逃げるとは言わないんだけど。「筑波学園都市計画があるから行く」と。定年退官まで3年余して筑波へ移転。吉武さん俺を捨て子にしていなくなった!と思いました。吉武さん何で筑波へ行くんだ?。何人かで研究室で熱心に悔いながら喋った。僕が関係したエピソードは一杯あるが、吉武さんの全体は分らん。

参加男1:布野さん、ありがとうございました。私はここで退室させていだきます。
佐藤:どうもありがとうございました。

■建築系編集者の聞き取りなんでしてないの

佐藤:布野さんいいですか。今、1970年代あたりの編集者を対象に聞き取りをしてるじゃないですか。ああいう作業は、今まで何で無かったですかね。何が原因ですか。
布野:そうだね、俺もそう思った。
佐藤:90過ぎたお爺さんだから、入れ歯落ちそうに語るので、何を言っているのか分らない。「もっと若い時分に聞けよ!」と思ったです。聞いてこなかったいのは何ででしょうかねー。建築雑誌の編集者を辞めたらすぐ聞きとる。建築界の皆さんは編集者達には興味がないんだって言うことですよね。
布野:僕が逆に自覚したけど、編集者って凄い大事だなーって。
佐藤:今日、花田さんが話したように、媒介者がいないとその社会は健全にならない。
布野:下手な建築家より編集者が一杯居た方が世の中いいじゃないかと、思いました。
佐藤:花田先生が実践して来た記者教育効果のもくろみ、日本の世では不発でしたが、webでは一部成功もしてます。そういう教育、建築雑誌の編集者、彼らへの専門記者教育の本格的な講座無いでしょう。さほど有効な媒体や記者が溢れ続ける、貧困極まる様ですね。建築メディア教育はこれからも継続するのは確定してます。日本のマスメディアも悲惨になってしまい似てますからね建築メディアになりますよ。自由を愛し挑発しつづける編集者が多く居ないと、粗悪な情報しか流れて来ない。

布野
:それで、思ったけど。布野の切っ掛けは平良敬一さんだけど。その前、馬場さんも受賞したかな。要するに建築学会に文化賞ってのが有るんですよ。編集者がもらうような賞が幾つか有って。平良さんの時には、長谷川堯と僕が動いた。僕は大した事してないんだけど、お礼に平良さんにはウィスキー送ってもらった。その後ね最近は彼がもらった。
中村:植田実さんがもらった。
布野:もらいましたっけ。最近だと渕上さんが

佐藤:植田実さんが受賞した時に、僕の家に来ていただき(建築あそび)話てもらったんですよ。肉声の文字記録もあります(2005年7月2日学会賞受賞につて語る)なんだか気分を害していました。学会の評価の仕方が気に入らなみたいでした。
布野:だれが書いたの。
佐藤:知らないです。、私の家に来ていただいたときに植田さんから、想定外の話がでたので記録しました(2005年7月2日学会賞受賞につて語る

中村:アップされてます。
佐藤:アップしてますよ。植田さんの仕事の知って賞を与えてないようです。聞き取りして事情を知りました。植田さんの仕事を理解してないで、おざなりで賞をあげたようです。受けた方はそう思ってる。
布野:だれが推薦文書いたの。
佐藤:知らないです。
中村:プロジェクトチームがあるでしょうからね。

佐藤:むかついて連覧会開きましたでしょう。塚本先生に展示を手伝ってもらい、建築会館で毎日編集作業をし、作ってきた本を展示した。自身の編集生身とその作業も展示したようです。
中村:ありましたね。
佐藤:布野さんは植田実さんも聞き取りするんですか。かなりの高齢ですよ。
布野:植田さんもリストには挙げてあります。
佐藤:植田さんよりお爺さんはまだ居るんですか、早く聞き取らないと亡くなっちゃうね。
布野:もう、あんまり居ないですよ。
佐藤:植田さんも含め急いで聞き取り作業してしまわないとね。亡くなって残された建築人は悔いを残す。
片山:編集者と神話的な建築写真家、何人か。
中村:建築写真家で、神話的な人は、どなたかご存命の方いらっしゃいますかね。
片山:だいたい、ご仏壇に入っている。

佐藤:聞き取り作業を布野さんが一人でやらないで、ご仏壇に入りそうな方が多いなら、若い人と手分けして一斉に聞き取りしてしまえば。
布野:佐藤さんがやるのは適任だけど、何を聞くかとかね。僕みたいにね、いろんな事情を知ってるとね、順番とかね、いろいろ有るんですよ。
佐藤:そうでしょうけど、布野さんが聞き取りしている時に思うのは、初めに聞き出したこと、あるじゃないですか。それを書出して共有・配布して「これを聞け」と。聞き取り記録を斜めに読んで、追加したい内容を聞き取りに再度行かせると。指示書を作って若手に協力してもらほうが、悔いが残らないと思う。
布野:佐藤さんと、こういう事をやりだしたから、そういう事も思うかも知んない。まず自分を優先している訳。
佐藤:それは分かりますよ、布野さんの好きな編集者。布野さんの人生に大影響を与えた、挑発してくれた編集者から聞き取りを始めるのは当然でしょね。
布野:とりあえず順番は田尻さん、90才。僕に最初に書かせた編集者。それから『近代の呪縛に放て』というシリーズを仕掛けた編集者ってのがいて。もう一人。神子さんはAFでやった。最初に僕に「戦後建築論ノート」を書かせた編集者。こないだやったのは同世代でルモンドと言うペンネームで新建築の月評をやっていた3人に聞いた。最初のワンサイクルが終わったところ。
これから植田実ちゃんとか、馬場さんどうするかとか、石堂さんどうするかとか、いろいろあるわけ。
中村:石堂さんは今ならまだ大丈夫ですよ。


建築系編集者、納豆関係

布野:ただね、どっちを立てるか?何と。いろいろ難し話が有るんですよ。現役も混ぜた方がいいんじゃないかとか。
佐藤:若い編集者は現役は後々若い人たちにお任せするでいいのでは。若い奴が聞けば済みますよ。これまで聞いてきて、建築家&研究者と編集者、あるいはそれぞれの社会も、納豆関係でお互いつながってるんですね。「俺のところに布野が来た」と連絡し合ってしまうの?「おめーの所には布野はこねーのか」みたな。田舎者みたな編集者村だから、私は全く知らない世界です。
布野:今日、佐藤さんがこれをやってくれて、凄く好かったわけ。中村さんが出て来て、渡辺さんが出て来て、井口先生みたいに、えーって知らなかった。それをまずやったじゃない。
佐藤:私は知らない振りもできる。建築研究者とも建築編集者とも無関係で、生きていたので、義理を欠くこともなく、相手が応ずれば何でも聞き取れる。他の領域の花田先生を招きいれて建築編集者、建築界の言論にある問題点も突きまくってもらう、荒業もやっても差しさわりない。で、気楽に企画できますね。
布野:それから始めていけばいいんじゃないの。

片山:布野さんが聞き取りすると当事者なんで斜めの視線が出てこない。若いから爺さんたちの同時代的な意味なんて分らねー人が、一緒に聞くから、話に立体が出る。
佐藤:それがいいですね。
布野:俺の聞き取りでは若い奴は聞いてたけどね。そうするまでは行ってない。

佐藤:今日の花田先生のコメント聞く限りは、神子さんとその前の田尻さんは布野さんにとって、挑発的な編集者であったというのは分るけど。川床さんと中谷さん、彼らは布野さんの人生を挑発するような器じゃなかった、じゃない。
布野:だけど川床は、スポンサー見つけて来るかもよ。そんな感じだったよ。
佐藤:支援・協力者が現れたと。で、川床さんの地べたな視線はまともな人の目だった。文字にしただけの印象で言ってます。
中村:川床さんは武蔵美の先輩なんです。「編集者になりたい」と長谷川先生に相談したときに「川床を紹介してやるから話聞いて来い」と。
佐藤:聞き取り現場で、川床さんが好いことを言い始めるだけど、布野さん酔っぱらってしまい、口塞いで肝心な話を切るからね。好い話を続けない。布野さん聞きに行ってるのに、だめじゃないですか。ここで俺が布野さんを叱ってると。

布野:俺が想ってないこと、死んだ娘の話がなんか始めるからね。
佐藤:いいじゃないですか!川床さんが布野さんの娘さんの論文に感動してしまい、語りたかったんだから。聞き手はそこを我慢して聞き続けないとね。
布野:もう酔っぱらってたからね。
佐藤:酔っぱらうのはいいんだけど。川床さんの話は面白いよ、酔っぱらってる場合じゃないですよ。きちんと聞き取りすべきだ。と思いました、娘さんの話もきちんと語らせて聞いてないと。もっと聞いて記録を残して置くのがいいですよ。
布野:川床のことは僕、知らなかったけど、死にかけたんだね。大病して。
佐藤:喉みたなこと言ってましたね。煙草吸いすぎかな。
布野:復帰する気にはなったみたい。俺はそう受け止めたけどね。「任せろ」という感じだった。「スポンサー見つけて来る」みたい。あれが収穫だったかなー。
佐藤:では川床さんに今回の布野さんの聞き取り「布野修司、戦後建築編集者に聞く」シリーズの編集やってもらい本ができそうだと。
布野:それは一つの目標に、僕は頭の中にあります。
佐藤:酔っぱらっても、やることはやりますね。
布野:佐藤さん編集しない事はありえないんで〜。まず全体の、次に誰を聞くかていう編集が要るわけよ。
佐藤:それは、聞きとり相手を誰にするか、何を聞くか、その作業を編集とするとすれば、俺もの毎回編集してるな。web記録を編集しない態度は寺山修司の影響が大きいんですよ。こないだの聞き取りは「布野さんと中谷さんと川床さんの演劇だ」と思ってシナリオに起こしてる〜!気分なんですよ。ここで布野酔ってテーブルを蹴る、大声で反発するとか、そいうト書きを書きたいなー,
そのの視点で聞いて文字にしてる。やがて建築人三人の酔って語る芝居になるようにしたいなーと。
布野:それでよかった。
佐藤:布野娘の話がでて、嬉しくて、ここで酔って訳の分からんことを言い出す布野。川床ムカつき台所へ行ってしまう、なんてね。本当はト書きを書き入れたいぐらいなんですけど。現場に行ってないのでト書きは出来ない。
布野:書いてあったよ、まだルモンドの話に入らないとか書いてあったよ。

佐藤:それは失礼しました (笑) いつまで経ってもルモンド話しでないので飽きてしまったんだね。酔って同じ事ばかりグルグル繰り言のような、展開に成ってしまったので、注意を書いたんでしょう。

布野:俺だって40年振りぐらいで会ったから、それぞれの人生を確認したかった訳ね。今日、佐藤さんもえ!とか言って全部書いてあったから。そうだったのーと。
片山:今その話だと、要は凄いたくさんの人間が布野先輩のセンチメンタルジャーニーい付き合わされている。
布野:そうそう。
片山:大笑いしている。
布野:誰からを殴ってやろうなんて全然思ってないよ。自分がお世話になった色々な人の人生をもういっぺんちゃんと再確認して位置づける。 
片山:布野修司ノートとして書くべき話だな。だって布野さんのセンチメンタルジャーニーじゃねーって。
佐藤:もう歳なんだから感情旅行記の語りでもいいじゃないですか。


布野式センチメンタルジャーニー

布野:だから平良さんもその一つなの。それをやるべきなの。他にいなようだから。それで神子さんも尻込みしているのよ。布野だったら小泉(淳子)さんに声かけたらやるかもって。でも『住宅建築』にそんな余裕は今はないし。もうちょおっと経ったらお別れ会とかね。長谷川堯さんはやった。
中村:それは僕らがやったんです。
片山:こんだけ布野さんがね、自らのセンチメンタルジャーニーを記録したいと言うのは、悪い病気を持ってんじゃねーかぁ〜って感じで、心配に成ってきましたよ我々は。
布野:だから佐藤さんは「香典代わりに手伝う」って言っているだよ。
佐藤:俺は「香典代わりに文字にしてやるから死ぬまで聞い来い」って言ってね。こっちが死ぬかもしれないほど多量になりそうだ。「幾らでも文字にしてやろうじゃないか」と。若い人が手伝って文字にするだと思い込んでたんですよ、違ったねだれもやらないよ。布野さんと若い人達が肌割れして、巧く行きそうもないんだなー。俺は離れてしまい、聞き取り文字起こしだけ付き合うと。

片山
:三月に『日本の近代建築史と』いう好い本書いた日埜君というのがおるんです。
中村:日埜さんこないだ参加してましたよね
佐藤:こないだZOOMで聞く会に、石川初さんの聞き取りしたんだけどその時に居ましたよ。
片山:日埜君が70年代以降の建築を彩って、位置づけたのは布野である。布野修司がポストモダン以降の
布野:間違いかも知んない。
片山:そこまでね、布野修司さんを買っているね、日埜君が最後の布野修司ロングインタビュー。最後に布野修司を聞くというのをやらないと。布野修司論、最後の一筆は日埜君を呼んでくるべきやなと。

布野:それは、どうでもいいよ


布野を聞き取れ!弟子たちよ

佐藤:俺は青井さんに「一番弟子なんだから布野さん人生聞き取って記録しろよ」と言ったら「だめなだ途中で酔っぱらって、話が分からなくなって、お手上げになる」と。
片山:そうそう、だから、布野さんが。
布野:それは嘘ですよ。
佐藤:聞き取りたくないて言うのを上手くかわして言ってるわけですか?。

布野:3回やって、2回はアップされているんだけど、3回目はテープ起こしする奴が居ない。まだ学生の処で終ってるわけよ。俺は喋りたいことが一杯あんのに〜!!。青井、あいつが来てないだけの話。いままで話したのは僕は東大の助手時代まで入ってないよ。俺、喋りたいことが一杯あんのに〜!!東洋大から京大時代は一番喋りたいんだけど。どんだけ虐めに遇って、どんだけのことをやったかを。喋りたいんだ、聞きに来ねーんだよ!!
佐藤:ZOOMでやれば簡単じゃないですか。
布野:ZOOMでいいよ、それは神子さんも言っているんだよ。神子さんは僕がインタビューして、どっかに記事にするって言っていたよ。それは受けますよ。当然。

佐藤:同じことを、それぞれが、バラバラに作業しててもしょうがないね。布野さんが仕切ればいいんじゃないの。
布野:今、僕のやつは青井のサイトで2本読めるはずですよ。けっこう喋ってます。
佐藤:布野さんの聞き取りは青井さんにお任せしましょう。

片山:本当に、布野さんの周りにいた先輩とか、も〜鬼籍入っちゃう人が一杯でちゃって。
布野:弟子がね、俺が死んでからそういう事をやるとは、俺は信用してないわけよ。
佐藤:ははははは
布野:信用してない!してない。少なくっても色々みんなで調査したとこと、とか、全部、自分でまとめて本にする。それは着々とやっているよ。今年出した『スラバヤ』という本は一番通った都市についての集大成を作った。次は僕がメーインでやっているのは町づくりの本。皆でやった、アフリカまで調査を今やっているよ。それを出すためのテクニックとして、研究助成費をとれば出版社が乗るって、分っているから。部数は少ないかも知れないけども、ハードカバーにして国会図書館に入れて記録は残すと。
それからもう一つは若い奴へのプッシュ。2年ぐらい前の『進撃の建築家』を出したんだ。パート2は別プログラムでやろう!と思ってる。建築ジャーナルに了解はとった。準備中だけど。その話も動かそう、と思った、けど、固まらずで。もうちょっと準備するかな〜と。来年の頭ぐらいで。片山さん、もし何か書く気があれるら連載頁を設けるから、原稿料は無いかもしれないけど。

佐藤:みんなでボランティアするする、メディアだからな〜、同人誌だ。


課金システム あれこれ

布野:「自分でそれは本にせよ」といって。それは『群居』でやっていた。勝手なことを書いて、勝手に好きなこと書くぞと。今日の花田先生のようにね、出版社に送り付けたら採用だと。『群居』の場合は4人はフリーパスだった。自分で書きたいことを書いて、それぞれ本にしていた。新メディアはどういう形態にするか・・・。今のwebマガジンで、どういうのが好いか、いろいろ模索中だ。若い奴が詳しかと思ったら、たいして詳しくないのよ。
佐藤:若い人もwebを構築するのは詳しくないでしょう。使っているだけだからね。

布野:課金システムとかね、あるけれど、僕はだいたいイメージあるんだけど、最初はクローズドで始めたい。
佐藤:東浩紀さんが実践してる課金形式でいいんだ。でもシステム作り作動させる構造は素人で構築するのは無理ですよ。
布野:彼は喰っていかないといけないからタレントを呼んでYouTube配信して、本も出してだけど、そういうことを余り考えない。
佐藤:建築系の五十嵐太郎さん市川紘司さん、浅子さんなども取り込まれちゃってますね、既に。
布野:だけど、(東サイトの番組)それを「時間とって聞きたい」と思いますか。僕は余命がないから、聞きたいくない。要約だけは聞きたいけど。見出しだけ。だから活字に残す形ね。佐藤さんのは貴重なわけよ。斜め読みでも雰囲気が分る。テープ聞いたら、3時間聞かないと、いけないけど。
佐藤:聞いたら全部文字にしてしまう活動はそういう意図です。間違いがたくさんあっても文字記録が残っていると後の活用方法と編集は、できますから。他者に対して活用しやすい記録の始まりは、WEB文字化にするってことでいいんじゃない。
布野:佐藤さんのように、ままアップすると、差別発言とか個人情報とか、人権問題とかあって出たらヤバイでしょう。
佐藤:明らかに問題の部分は文字にしてませんよ。問題になったら「謝って」削除する。今は拡散されるの早い。俺の記録は長いので、難癖付けたがり屋は目を通さないよ。読むの簡単な、Twitterの短文ツイート形式に激反応して炎上されて楽しむ人が多い社会になったので、長いweb記録を見てしないと思ってます。私の文字おこしは肉声のシナリオ化なんで。

布野:だけどそういう事を言ったら「ここで布野が読みあげる」と言ったら、文字に起こしてない。どこだか分らなくなっちゃう。
佐藤:あれは最初に3人で月評始めた、一番最の新建築ルモンド月評の記事を読み上げて語り合っているので、文字にしなくっても分るでしょうよ。最初の月評について語り合ってるんだから。あんなのが分からないのは、難癖付けと受けるとかないです。
布野:読み上げたのも起こしてくれないと、そういう事もあるんだよ。
佐藤:あほらし!それも起こしましょうか。そんな語りがあったら何年何月の月評を読み始めると書名でも書いておくことにします。あれを読んでれば簡単分るよ。

片山:それは、それであれなんですけど。例えば「布野さんがこれは阿呆でも分る当然のこっちゃ」とうと思う言葉で、建築の初学者が読む中かで「訳わからん」と、なんねいかな〜。俺らが若い頃は、こんなん大先生の言うてること、自分で調べろや、それが当たり前やたんだけど。今は、そこの文章の中に注釈が入ってないと、あかんねん!。そういうのを含めて布野さんが語った、ほにゃらら、を。途中に布野さんが語った、内田というのはこの場合、内田祥哉(よしちか)先生だ、と。註が要るんやねん。
布野:それは編集者がやればいいの。

片山:最低限それを付けていかないと、本当に、若い奴は読めへんよ。布野さんの文章と語りだけでは。
佐藤:俺。布野さんが編集することを前提に文字にしている。で、固有名詞も分らい人多く出てくる。布野さんが訂正するという事が前提です。ですが、出来た本を読むより、文字起こししたままを読むのは、おもしろい。布野さんには意味が通じないかもいれないけど、楽しいですよ。あにゃらら語の世界って。

布野:こないだのは俺も楽しかったよ。
佐藤:久しぶりに仲間に会って盛りあがり脱線しまくる、無意味山盛り。あの楽しさが分りますね。気持よく酔っぱらって迷走する世界の快楽だよ。
片山:でも本当に。
布野:一緒に行ってくれた、岸君も楽しがっていたよ。岸君が家の近くに住んでいるというのも分った、タクシーで送って帰ったからさ。


世代を越え理解される記録は作らないといけないのか

片山:若い人に伝えたいのであればね、今の布野さんて学生から見たら50学年上の先輩やねん、俺から50学年上やったら山田守になんねん。山田守の言ってた言葉なんて、20才の俺は分らへん。
中村:分離派になっちゃう。
片山:だからね。
布野:それねー片山さん。僕はどうでもいいのよ。貴方が知っている種田君とか、今日来た岸君は、だいたい僕の息子と娘の世代。それで伝わるレベルと。今の学生はそれより10年ぐらい下だから。まだ孫の世代ではない。それは別の世代の子供なわけ。今、家に孫が来ているけど。孫は今の40前後の娘息子の世代の子供、それは喋る側としての意識は全然OKなの。学生の方からは爺だと思われていい。山田守の世代って言わなくっていいの。そういうもんだと思うよ世代ってのは。
片山:そんなもんですか。
布野:生まれた時より前の事なんか想像は出来なじゃないです。親から話を聞くか、それを読むかでしょう。そんな心配してないですよ。伝わる奴には伝わると。
片山:伝わる奴には伝わる、そうだとは思うんですけど、ただ。
布野:伝わらなくっていいの。無理やり聞かせようとしているわけじゃないから。
佐藤:同世代にだって伝わらない。心配する必要はなんですよ。伝わるやつには伝わる。心配する前に記録作れ。記録が作ってあれば、誰か見るよ。
片山:中村謙太郎さんのようなプロの編集で飯を食ってきた人はね、売った本がその月に売れないと、おまんまにはなりませんからね。残したいのと、その時読んでもらいたいと、二つのテキストには。
布野:商業出版するなら、当然そういうのに入って来る。それでいいと思います。 5:13:28

ランウンド・アバウト・ジャーナル 秋吉など

中村:スピード感を重視するのと、商業出版でやるのと、分けた方がいいかも知れない。藤村龍至というのが、ちょっと前に、ランウンド・アバウト・ジャーナルっていうイベント開催しました。銀座でやっていた。シンポジュームやっている傍から、文字起こして新聞にする。恐ろしい事をやっていました。
布野:誰か付いてるんじゃないの。
中村:今でいうリクシルが付いたんです。商業出版的なテキストのクオリティよりもスピードをとにかく重視した。そういうやり方もあるのかなーと思いました。
布野:それは若い奴がやるらないと。年寄りがそれやるのはありえあいですよ。
中村:僕にはぜんぜん考えられない形だと思いました。
片山:クオリティよりまずは、タニマティーを探して来る、というのが大事だという話ですね。
中村:川床さん高島屋とか、そういう事ですかね。
布野:分らない、出版社、六曜社とかいろいろ、酔っぱらっていたから分らない。「任せろ、分かった、布野がやりたいのはこういう事だろう、任せておけ」とそういう感じだった。

佐藤:布野さんたち三人の話合いは、久しぶりに友達に会って楽しくってしょうがない、という感じでお互いに「おまえは馬鹿」の言い合いで、それは置いときまして。
俺はランウンド・アバウト・ジャーナルのイベント、「お前ら何やってんだ」と聞きました。「ランウンド・アバウト・ジャーナルって何だ」と問いました、4人のメンバーなんです。福島市に呼びつた格好になりまして、2008年2月10〜11日、飛んで来たんです。全部聞き取りし記録をweb公開しています。私がやっていた「建築あそび」に藤村さん参加していた。「建築あそびをロールモデルにした」と言ってましたね。福島市内の宿屋に1泊してもらい、動機から裏方の動き、誰が関わっているか、など全て聞き取り記録してます。(イベント当日の意図)建築イベントと編集を同時にその場でやって見せ、新聞にして当日議論した内容は新聞にして土産で渡す。それを全部やって見せた。結果は藤村龍至さんの力、軍曹魂でもって、統率しまとめ切った。藤村さんが名を成し、社会性を独り占めし、スターになる切っ掛けとなっていた。そう言えるでしょう。

中村:あそこを経過した秋吉浩気さんとかが。
佐藤:秋吉さんや辻琢磨さんなども、文字起こし部隊の兵士として参加していました。私は若者の感想も集め記録を残しました。(21才秋吉さんの感想)秋吉さんは、2000年ごろ我が家の「建築あそび」に度々参加してた田中浩也さんの一番弟子です。
中村:田中浩也さんの弟子が活躍しているから、僕も年をとるわけだと思いましたね。
佐藤:田中さんの弟子である秋吉さんが木造建築をキャドと工作機械をフルに活用して、原寸の木造プラモデル・キットのようにして構法を変えてしまいましたね。これからも移民を入れない限り日本人の職人が激減するでしょう。あの手法は採用せざるを得ないと思います。建築の農業化、工業化というか、大量生産して同じ物を世界中に配布する。で、秋吉さんはぼろ儲けする。地方の職人たちは単なる組立工になる。現在の状況に合っていると思います。秋吉さんには経産省あたりが投資しているんじゃないんですかね。田中さんは会った当時から、学生の時から天才プログラマーとして政府公認でした。田中さんのバックに総務省ついたんだと思う、違うかも、政府の省庁がついてます。

片山:秋吉は実家が太いんです、
布野:秋吉の話もしたいけど、会った事あるし、面白いと思っている。そろそろ抜けていいですか
佐藤:居残りタイムは出入り自在なので、どうぞどうぞ。
中村:布野さんどうもありがとうございました。
布野:中村さんまたよろしくお願いします、孫に飯を食させるから。
佐藤:どうもありがとうございました。
 5:18:55
■佐藤は不良老人だ説 佐藤的・老老介護

片山:天然の佐藤さん、拝見して、佐藤さんみたいな不良老人に我々もね、ならなければと。
佐藤:俺、不良ですかね。
片山:不良老人でしょう〜。
佐藤:そんなこと言われたの初めてだ。
中村:50過ぎたら初老ですからね。
佐藤:俺70だから、数を数えてえて生きてないけど。

中村:立松が死んだのが70チョイぐらいだった。
佐藤:俺、布野さんの文字起こし介護してるから、老老介護者だね。建築界の介護行為も楽しいです。なんで若い奴らが介護を手伝わないのか、分りません。勉強になるように思うけど。不思議です

片山:たぶんね、本当に、こういうのが勉強になる、という意識が、学生の内に無かったんじゃいんじゃないですか。香山壽夫先生の研究室で勉強させていただいて、『建築意匠工芸』っていう本があるでんすよ。面白い本なんで読んでください。あれをテープ起こし、したたんですよ。で、俺は個人的にはあんだけ今でも読み継いでもらえる本のテープ起こしして、巻末の言葉に片山と書いてもらった。
佐藤:歴史の記録に残った一人じゃない。
片山:25年、まだ、教科書として使われている本に関わると、割と人間はそれに関しては「ありがてー、ありがてー」とは思います。内容もいいのあれば、人は読み継ぐ。好い内容じゃないく、伝いえたい内容を作るかどうか、だと思います一番大事なのは。
佐藤:伝わないとすれば、若者たちが伝えてもらいたい、その内容を作ってないと言えるね。若者達が手伝いと思う活動しないと、若者は参加しません。
片山:ちゃんと若者に魅力的な内容なですかどうなんです。ということは若い人は言えない。佐藤さんが布野さんに「これ面白いからどうか分らないよ〜」と言える。それは佐藤さんの不良力に期待する。

佐藤:ははは、酒呑んだくれているから何やってんだ、爺!と言ってるよ。布野さん介護している。聞き取り介護だけど「戦後建築編集者に聞く」の活動お介護だね。歴史もあって、昭和史にもなるし、業界の癒着が鮮明になってしまうのでいい記録活動だよ。俺、先生はいないので遠慮することも人もいないなんでも言えるかもな。めんごくさいから言わないだけ。

片山:中村さんは不良老人慣れしているから、ひるまないけど。普通はひるむからね。
佐藤:布野さんに呼ばれて、話しても布野やん五月蠅いって学生の前でも言うし。不良化やっぱ俺。「布野先生に向かってこんな事言う、ゲスト初めてです」って教え子に言われた。
片山:帝国大学・教授様に、そんなことを言う奴は不良だよ。
佐藤:俺だけだなのかなー、いるでしょうよ。
片山:布野さんは元帝大教授。
佐藤:あんたら裸の王様に晒したいだけね。でも、布野さんに追っ払われ、毛嫌いされても、日常生活になんの影響も起きないんだ。で、帝大村とか学会村とか、大学者に無縁だ。「酔っぱらって聞き取りしてんじゃねーぞー」とト書きに書いて送りつけてないが悪いや、不良演じてているだけだ。

片山:それはわかりますけどね。
佐藤:天然不良と言われたから、明日からは天然でいくか。
片山:本ものの単なる不良だと、一級建築士になれてませんから。
佐藤:ははははは
片山:本物の単なる不良だと、今ごろコンクリートの自社ビル持ってません。
佐藤:自社ビルでなく、我が家です。

片山:不良は白亜の豪邸には住んでません。単なる不良ではない。ここがね、佐藤さんの厄介な部分でもあるんだけど。布野さんもあれで、元帝大教授、でなかったら単なる「もの好き」ですからね。だから私たちはそういう「質の悪い70代をどうしよう」と。
佐藤:布野さん三人の呑み会では「お節介爺」と言われてました。「お前は天然の編集者だ」とも。そうだ、そうだ布野は天然編集者だと呑べいどもが盛り上がってました。

■布野ってどんな学者なのか 片山節

片山:布野さんの文章の書き方って。布野先生よりもっと上のジェネレーションの建築の論者というのは、自分の凄く単純化したテーゼをまず仕立てて、俺のテーゼで建築の歴史を切り直す。それがフォーマットだった。けど、布野さんって博識だから、いろんなもの切り方で、もろにブツケて、何でも切っちゃう。これまでストレートとカーブしかない者達、昔の堀内投手みたいなのが昔の学者だ。けど、布野さんは七色の変化球投手なんだよ。だから布野さんの論理というのは、布野以降の人たちに魅力的なわけ。

佐藤:浅古さんまだやっているよ
浅古:まだやっているんですか ふふふふふ。
佐藤:今布野さんの悪口言っている。
浅古:僕もまぜてください、カメラが壊れちゃって顔だしできないんですよ、音声だけです。
佐藤:布野はなぜ若者に人気がないかと盛り上がているです。

片山:人気がないとは言ってないですよ。、布野さんの偉さは、勉強しないと分からない!布野さんの書いたことのありがたさは勉強しないと本当に分からないんだよ。「こいつの言っている元ネタは、ここから引って来てるんだなー」と、物凄い。「布野さんはこの若さで、こういうことを分ってたんだ」みたいなことを言うたびに「あのおっさんの早熟性と天才性と、引き出しの多さ、博識さに」単なるパワハラ・オヤジではないんだ、という気付いた瞬間に、割と尊敬できる。

佐藤:先輩にはわり尊ね、なるほど。
浅古:片山さんに同意しますよ。私のような者にいろいろ教えていただける、いい人ですよ。
佐藤:浅古さん、俺は天然不良だそうですよ。若者が俺をビビっているんだって。
浅古:あのね、初対面で、お会いしたこと無いじゃないですか。僕の自己紹介もしてないし。
佐藤:いいんだそんなのは。
浅古:最初、あんまり近寄りたくないなー、との印象でした。だけど、中村謙太郎さんとは面識、別の所で知り合って、佐藤さんの作品とか見せてもらったんです。表紙になっているやつ、あこんなことやってた人なんだ、というのを理解してからは、今でもフェースブックで挙げている、福島のあれとか、たまに見させてもらいます。凄い人なんだなーと。
佐藤:お、俺は凄いのか〜!自覚ないよ。

中村:千万家は今行くと凄いですよ。
佐藤:理解されずに、死ぬだけオヤジだと思ってる。浅古さんのように、my建築を取り扱っった雑誌を見て、凄いって言われるとは!30年ぐらい前の建築ですよ、「千万家」は今世紀に合った建築だと思う。新コロナ対応もばっちりで、離れて建ってて、廊下は屋根はあるけど片面外壁無いので解放してる、ほとんど外部。雉も飛び込んで来て、雉鍋にされちゃった。野生の外部みたいに常に風通ってる。、
中村:すごいですよ。
佐藤:千万家ってギャグ・プランに見せてる、そこで思考停止になってしまう人多いのよ。最初の仕掛けで止まる人が多い。あれは千万円しか予算がない。だからセルビルドでも作れる建築なんだで、同じ形のくり返の部材で造ることができる形にしにしたんだ。材料費は千万円も掛からないんだよ。そうい話は誰も聞いてこない。

中村:佐藤さんは一回フェイントかますんですよね、目くらましというか。
佐藤:そうそう、一回ギャグかましておいて、猫騙しかな。
中村:油断させるみたいな。

佐藤:俺のやってることに届かないうちにギャグで追っ払う。笑っていただいて退散していただく。そういう意図で設計しているから、ポストモダン・パロディーですよ。で、my建築の面白さについて語ることはしてこなかったです。植田実さんは分ったね。「こんな事が分る奴がこの世にいたよ」と、驚いた。世の中に一人いたと。で編集者には頭があがらないね。


フクシマ的震災スターあれこれ

中村:話はちょっと飛びますけれど福島のサブカル・ネットワークというは話で、詩人のWさんとは、その末裔みたいな感じですか。 
佐藤:中学校の後輩です。で、高校の国語の先生。無名時代は会田さんのビル、コンクリート雑居ビル、パロディー建築すけれど。あの建築は1階がギャラリーで表現者のたまり場だった。2階がジャズ喫茶。3階が一時期、書店だったんです。詩集が売れない高校教師の詩人たちが3階に集まっては、詩の朗読会を開いてた。そういう詩人の一人でした。朗読会に参加してWさんの詩は、明治国家ふうな古典大衆みたいな詩だと思った。震災後は日本会議味というか現政権的な詩風だったかな。ちら見だけど。以前はメジャー志向でもなく。詩集で賞を受賞した。だけど、地元の人は誰も祝ってやらないんだよね。「詩人なのに仲間いねーのかよ、1年間祝う人が出なければ、俺がお祝い会してやる、俺の造った建物使ってお祝い会してやるよと伝えてた。朗読会とか合わせてやったですよ。それは大震災の10年ぐらい前なので、もっと前かな。受賞しても、地元のマス・メディア騒がない、見向きもされなかった。
大震災が来て原発事故で放射能沈着した後、Twitterで投稿して一躍世界の詩人・スターに祀り上げられたみたい。震災後スターです。ここは想像言うけど、間違ってたら削除するけど。俺は「県の役人に媚売ってるような詩人は好かん」と言ったんです。もちろん嫌われるわけです。「佐藤がおかし」と言い張る。行政ともつるんでしまって、被災福島的善人路線を走り出しのではないかな。途端に以前の地元の支援者たちはみな離れてしまった。でも、マスメディアでは震災後スターで大人気者。災害の波が浮き上がらせた人かな。マスメディアはわかりやすい悲劇を語り、売りやすい人を探して報道するんですよ。それでお互いの利害が合致してマスメディア拡散されて、有名人に仕立て上がったように思います。10年後の今は福島の現状を詩にしているのか分からないけど。深刻な福島の詩を投げつけられても受けとめられないですよね。日本の一般人は。

中村:そうですよね

佐藤:洗練されたかのような言葉で、受け手が理解し易い詩の内容になっているのでしょう。おお受けしスターのなって編集者が張り付いて本を出し続けるとしたら。俺たち被曝当事者からは、外向きでぬるいんです。外からフクシマに目を向ける人に受ける。そういう言葉で表現できてしまう。プロだからね書けるでしょう。被災地人から見るとちょっとおかしいかな。彼から離れた地者とよって来る地者ミーハーとが分離し対立するんだね。売れれば東京在住の詩を媒介する編集者たちが重用する。買う人はフクシマを代表する悲劇の詩人で受けとめるのでしょうかね。NHKの番組みたいなもので、これを見ると世界の潮流が分って教養が増すみたいな感じで外の人たちは読んだり見てるんじゃないのかな。フクシマを理解し易いイメージで。読み手はそれをなぞりたいんだと思います。供給者と受給者の関係がバランスよくマッチして売れるターに成っていく。スターなるプロセスはどの業界もにてるかもね。俺は今は交流てないですよ。

中村:なるほどね

佐藤:でも一方では、若松さんという元教員・詩人が居るんですよ。フクシマ人が読むと真っ当な表現もある。


片山:人を定規にすることによって若い人の違いが見当たらかった、まず貴方は文化基準から自分を外してもらわないと。
浅古:もっと有名な人を切ってほしいですよ、逆に。
佐藤:有名な人も知らないよ、会ってないよ、有名人も知らない、身近にいないよ、ドド田舎だよ俺の家は。
浅古:有名人に会いましょうよ。ふふふふ。
中村:あんまり有名な人って、興味ないんですよ。定型人間が多いのでね。
佐藤:俺が聞き取ってた若い人たち、有名になってしまったね。「これはなんじゃろう」とは思う。俺が聞き取りした時は皆が、無名だったよ。誰からも相手にされてなかったよ。
中村:佐藤さんのHP見ると「みな若いなー」と思いますよ。だから佐藤さん登場して、まだ有名になってない人。

片山:佐藤さんのTwitter1800人フォローしてて、950人フロアーがいると。佐藤さんのコンテンツの強さは900人程度のフォロアーの人じゃないんだよ。面白過ぎるんですよ、本来佐藤さんは。
佐藤:Twitterしてないよ。地震が来て逃げなきゃいけない時はweb記録作ってられないから。刻々とツイートしまくって、後でまとめて日記としてweb記録にする。今はフェースブック投稿はメモ代わりに使っている。災害時の忙しい時の記録Twitterは便利ですよ。
中村:大震災の時はwitter見てたから、「フクシマでなんとか、佐藤さん何かいろいろやっているなー」と思って。それで「話聞きに行こう」とおもって行ったんですよね。
佐藤:311の地震以降、ツインログが残っていて、日記に移し替え作業は最近ようやく終た。震災時にセルフジャーナル、記録すること熱心だった。放射能と闘っていた記録は、その痕跡は残したいんだ。ここで俺は放射能とどうやって対応しているか、放射能除去作業のことも、記録してました。放射能的myジャーナル活動だけど。

片山:佐藤さんってフクシマのどこら辺なんですか。
佐藤:福島市です、福島駅から歩いて40分ぐらい。自転車で15分、タクシーで5〜8分位で家に着きます。
片山:福島市内。
佐藤:電車は飯坂線で福島駅から5分。天然不良が暮らしている場所は。天然不良はよいあだ名かも。
片山:天然ですよ。
佐藤:天然田吾作でもいいかな、天然豊作でもいいかな。俺は無名な独立系建築家に焦点を当てて聞いてきたので、無名好きと言ってもいいかも。天然無名好きだな。

片山:佐藤さんは普通の人より聞く時間より喋る時間がエレーナ長いんです。
佐藤:俺れ今日はそんなに喋ってないよ、印象が強いだけだよ。
片山:違う、喋りたい意欲がすごいんだよ。70才でそんだけ人に「何かを喋りたい人って、家庭で崩壊しているんじゃないか」と心配になちゃうくらい。外の人に、70でね、そんなに喋りたい人って、奥さんに逃げられた人、か嫁に虐められてる老人しか居ないよ。何かが佐藤さんの中で表現したい欲望が半端なくって。70で、50ではないけど、70でそれは人に勇気を与えるからいい。

佐藤:褒められたところでお仕舞にしましょう。今日は長時間お付きありがとうございました。またお誘いしますのでZOOMで遊びましょう

一同:よろしくお願いします

 5:43:49 


2021年8月4日13時30から「編集者と建築家について語る」、これでお仕舞です。参加いただいた皆さんありがとうございました。ZOOMは〆時が分らないね、どんど延びる伸びるなー。 面白かったです、参加いたいた皆さんありがとうございました。
 佐藤敏宏