編集者と建築家について語る 記録 01   文責と作成2021年8月佐藤敏宏
2021年8月4日 13:30より ZOOM開催 タイム・キーパー岸祐さん

花田達朗さんの講話

佐藤:次は花田達朗さんです。花田さんをちょっと紹介しますと、仙台メディアテークの設計者を選ぶ時、花田先生がつくった「公共圏概念」を小野田先生が使って造っていたということです。僕はあの建築がオープンした時に、イベントをやっていたので、見に行ったら柱の裏の方で「いいこと言っている人いるなー」と思って終了後、挨拶して呑みにいきました。花田先生が言った事はおれがやっている「建築あそび」だと。あの晩一緒に酒呑んだのが最初の出会いです。
少し遅れてメールで「建築あそびをやっているから我が家に来て講演してほしい」。で、同じテーマで春と秋に2回講義をしてもらいました。それ以来20年間も付き合っています。(建築あそび 第一回講義録 第二回講義録

この新聞は東日本大震災が来て、全国の方から義援金をいただき、津波被災地の支援活動している時に発行したブランケット版の新聞です。(PDFを開き新聞の一面を見る)
この実践は花田先生の影響だと思います。新聞を発行して地域の人々、津波被災地の人々の多様な声をまとめて、可視化して共有し高台移転地を示し、人々をまとめる。新聞は本当に効きますね。先ほど井口さんが発行した「こんにちは!TERAUCHI」という地域新聞の話もあり、そういう町になったと。自分が立っている土地にメディアをつくることは大切ですね。「発行すると、こんなに地域・世界が変わってしまうのか」と思いました。私が新聞発行したら市会議員と漁協関係者に回収されました。言論弾圧だと裁判してもよかったんです。漁協の悪さ、ふれてはいけないことが書いてあったんですね。

中村:喋った事をそのままのっけたという話ですよね。

佐藤
:「そのまま載せますので、拙いことは言わないで」と言ってから聞き取りしてまして。悪口はカットしてますよ、喧嘩になるので。音もあるんです。「配慮しません」と言ってから聞き出しているのに。区長さんは「あんたは間違ってない。内容は誇張はあるが、問題は何もない」と言いまして、「もっと居てほしい」と電話してきましたね。「なんで俺は漁協の広報マンしなければならんのだー」と思いました。被災地において、目の前に在る問題を共有して解決するため、新聞はひとつの手法だよと。「まち壊しだから出て行け」と言われ。これはしめしめと。高台移転のための地権者との土地交渉は終えてました。で。「これで港町づくり支援をおえられる〜」と思いました。大変良かった新聞です。


最近花田先生は花田達朗コレクションという著作集を刊行し始めまして、4巻がすでに出てます。これは第3巻の『公共圏』。私の家での2度の「建築あそび」、私が作ったweb記録が、そのままこの本に掲載されています。絵はないのですが、文字はそのまんま掲載です。

花田さんは「パブリックスフィアー・公共圏」という概念でいろいろ考えて論じています。概念的な空間です。これは第4巻の『メディアの制度論と空間論』、「メディア制度は表現の自由を助け、人々を解放しているのか?」という帯がついてます。『公共圏』の帯には「権力と対峙する市民社会の創造とジャーナリストのために、その社会空間の主体は誰か?」が帯についています。
渡辺恒雄とか正力松太郎とかの考えているジャーナリストではないですね。その対極にある記者や市民のこと、そんなことです。僕はずーっと花田先生と20年間付き合ってて、こういう概念を考えだして論が精緻に組み立てて書かれている。20年前はさっぱりわからない日本語の文章でした。今は書くことはできませんが、読んでわかります。そんなことで花田先生よろしくお願いします。



花田:みなさん、こんにちは。初めまして。花田です。3年前に大学をリタイアしまして、今はフリーランスの社会科学者になっています。で、佐藤さんの追悼座談会にならないように。

佐藤:あとは死ぬだけ!の俺ですから、追悼で、いいですよ。(会場笑っている) 

花田:佐藤さん、死ぬのはちょっとまだ早いですから。知り合ったのはちょうど20年前で、2001年の事でして、切っ掛けは佐藤さんがさっき言われたように、仙台メディアテークの見学に行ったことですね。その時、東北大の小野田泰明さんにメディアテークを案内してもらったんです。
その前に、東北大の二人、小野田さんと阿部仁史さん。会ったことも無かったんですけれども、随分長い手紙をくれまして、「私の公共圏という事について書いた論文を読んだ」と。「それに刺激をされた」と。確かTOTOギャラリーだったかなー。その二人が「展示会みたいなのをやる」という案内をもらって。そこに出かけて行きまして、二人に初めて会ったんですね。
それで小野田さんと知り合ったものですから、「仙台メディアテークを観てみたいんだけど」と言ったら、「案内しますよ」ということになって、仙台に出かけて行きました。

で、「伊東豊雄さんはこういうチューブ状の柱を造るのか」と思って、実際に見て「おもしろいもんだなー」と。「こういうスペースで、パブリックスフィアーというものが実現できるかも」と。つまり「空間というものが人々のコミュニケーションを誘発する」、そういう空間のつくりかた。建造物のつくりかたですよね。

小野田さんと阿部さんは、熊本アートポリスでしたか、何かプロジェクトをされたそうで、私は観てませんので、どういうものか分りませんが、「社会学の概念が建築家の琴線に触れることがあるんだなー」という経験をしたのですね。




2002年3月3日 我が家の庭で
花田達朗さんと建築あそび
左から 佐藤、花田達朗さん、
日本画家の加山又造さんの孫
(花田ファンの一人)












 
公共圏という名の社会空間―




花田達朗さん最終講義録
「公共圏におけるアンタゴニズム、そしてジャーナリズム」




2次会で食べた仙台の秋刀魚の塩焼きが美味かった!

けど、私自身は空間という概念には案外ずーっと長い間関心を持っていまして、さっき著作集の第4巻の表題に『メディアの制度論と空間論』というふうに出てましたけれども、空間論ということに社会科学としてずーっと関心を持ってきました。それはですね、世界的な思潮と言いますか、そのものの考え方と言いますか、「思想」と言うか、そういうものの中で社会科学には(私の見るところ)近年では大きく三つターンというものがありまして。回転のターンですね。第1は語用論的転回ですけど、これは社会科学の中に「言葉とかコミュニケーションとかいうものを中心に置いて考える」という考え方ですね。プラグマティズム的転回とも呼んだりするんですが。

要は社会というものを観察し説明し解釈していく時に「言葉とかコミュニケーションとかいうものを基軸に置く」っていう、そういう転回ですね。それは従来の社会科学からすると当然、新しいわけで、従来の社会科学は物質、マテリアルなものを重視していましたから。「コミュニケーションというマテリアルじゃないものによって社会が編成されていく、そのモーメントとして注視する」というのは新しい方向への転回なわけです。

それの典型がドイツのユルゲン・ハーバーマスですが。さっきから出ている「公共圏」という言葉は実はハーバーマスの「エッフェントリッヒカイト」というドイツ語を日本語に訳して公共圏としているわけです。ハーバーマスの翻訳書はたくさん出てます。が、『公共性の構造転換』という翻訳書があって、細谷さんという哲学者が翻訳していますけれども。70年代の初めに出てます。公共性の構造転換と翻訳しているんですねー。公共性、公共性という言葉は非常につかみどころの無い用語でして。例えば「建築の公共性」なんていう言葉も使われるかもしれませんし、「医療の公共性」という言葉も使われるかもしれませんけれども、意味不明で、何て言ったらいいですかね、魔術的というか、厄介な影響を及ぼす曲者でして。
ハーバーマスは「公共性」のことを問題にしているのではなくって、空間の概念としての公共圏のことを問題にしている。その事が日本の社会科学の中では全然理解されていなくって、翻訳書のせいもあるんですけれども。ドイツ語原書で読む人も少ないもんだから、『公共性の構造転換』という本の書名のみ有名で、みんな「その公共性の話だ」と思っているですね。そうじゃないんです。空間の話なんですね、社会空間の話。パブリックな社会空間の話を書いているんです。

そこで「どういうコミュニケーションがパブリックなスペース、パブリックな場所、要するに空間や場所をつくり出すか、コミュニケーションを通じて、どういうパブリックなものがつくり出されるのか、つくり出されないのか」、そういう話しなわけです。


ハーバーマスと花田達朗氏。2012年9月ハーバーマス自邸にて







で、そういうコミュニケーション重視の社会科学的な思想への転換。この後カルチュラル・ターンというのが来るんですが。これはイギリスのスチュアート・ホールとかの、カルチュラルスタディーズに発するもので、今度は「カルチャーということをキー概念にして社会的な事象を捉えていく」という、そういうターンですね。
その次に来るのがスペイシャルターンで、これは「空間論的転回」と訳してもいいと思うんですが。新しい地理学者などが中心になってやりました。
これは案外ちょっと不発でして、第一発、第二発は形を作ってきたんですが、第三発目の空間論的転回というのは社会科学的にはちょっと、なんて言うかな、十分にターンしきれなかったというところがありまして、若干、今は下火になっていますけれども。とは言え、私はずーっとこのスペイシャル・ターンっていうことに拘っていて、そういう論文を書いたりもしてます。


今日のテーマは「編集者と建築家」、ということで、「編集者」ということがテーマになっているわけですよね。私自身は研究者として編集とかジャーナリズムとか、そういう職業の人との付き合いというのはあります。新聞記者から取材を受ける。あるいは原稿の依頼を受ける。あるいは雑誌の編集者から原稿の依頼を受ける。そういう形ですが、編集機能を持つ職能人と接触をしてきたわけです。

ただ私は全く満足できてないんですね。新聞記者との付き合いは全く満足できないし、それから雑誌とか書籍の編集者との付き合いも、本当には満足できないですね。で、「編集というのは、媒介機能、メディエーションの役割を担うものだ」と思うんです。編集者、エディターというのは、メディエーターですね、媒介をする。言わば「つなぎ役」と言ったらいい。著者と読者をつなぐ。著者と著者をつなぐ。それは「本来非常に重要な意味のある役割だ」と思っているんです。ですから期待しているんです。

例えば、具体的に言えば、新聞記者と会って「文化欄にこういう記事を書いて欲しい」とか、あるいは「論壇にどういう記事を書いて欲しい」とか、あるいは「何かの社会現象についてのコメントを求められる」とか、そういう時に「なぜ私に依頼しているんだろうか」と。その理由がほとんどの場合いっこうに分らない。何か駒を当てはめている感じで。私に向かって問題提起をして「あなたはこれまでこういう事を書いてますよね、ここのこのポント、これがよく分らないんだけど、この事と、今回起こったこっちの現象とがどういう関係があるのか、それ、どう考えますか」とかね。そういうのがない。

要するに挑発的に迫ってこない。挑発です、いい言葉を思い出しましたね。「編集者にとって重要なのは挑発能力だ」と思います。私を挑発してくれる、新聞記者とか雑誌編集者とか、残念ながら私はほとんど経験できませんでした。私がメディエーターと会う時に、こちらはコミュニケーターなわけですね。つまり著作物のプロダクションする側で、そこにメディエーターが居るわけですね。メディエーターが私の所に来る時に、私は当然、私に何か得るものを期待します。それは自分の思考への刺激ですよね。「刺激があるんじゃないかなー」と思って期待して会うわけで、挑発して欲しいわけです。ところが今時の記者は、申し訳ないけども、最近になればなるほど、そういう機会は、まず経験できないですね。

で、これは、私はある意味「媒介機能の危機なんじゃないか」と。メディエーションという機能、メディエーターという役割の衰弱。あるいはもっと言うと「不在」というところにまで行きつつあるんじゃないのかなー、と。そういう思いを今は持っているんですね。それは非常に残念な事です。私は「編集者から挑発を受け、刺激を受けたい」と。なかなかそういう者は訪れて来ない。

挑発というのは、読者に対してもそうです。「あんたはこういうことを考えたことがあるか? ないのか。ダメじゃないか。著者をたぶらかして書かせたから、これを読みなさい」、そういうこと。

私が考える編集者というのは、仕掛け人であり、発注者であり、ゲートキーパーです。ゲートキーパーは評価基準を持っていて、原稿を通す、通さないを決めて、合格した原稿をゴールに通す。この三つがエディターシップだと思います。

このエディターシップの危機はメディアの変化によっても増進されています。これまでパブリケーション(思考や情報を公開すること)では編集者が介在してきたわけですが、SNSではメディエーターはいないわけです。仕掛け人も発注者もゲートキーパーも蒸発している。

それで、実は、ここ3週間、どういう事をやってきたかと言うと、「もう編集者の注文を受けずに、ものを書く」と。つまり編集者抜き。編集者を中抜きして、執筆をしちゃう。そして、勝手に雑誌に送り付ける。「採用するか採用しないかはそちらの自由ですよ」と。そういう行動をとるようになりました。採用されないなら、webの個人サイトで公開しよう、と。
実は、昨日雑誌編集部から掲載しますという返事が来たんです。ゲートキーパーがゴールに通してくれたわけです。それはとても嬉しいことです。が、「これはどういう事態か」と。私が書いたものの中味に編集者がコミットしてないですね。ちょっと中味がややこしいものだったのですが、「昨日編集会議があって、掲載という結論になりました」と、返事がきました。掲載してくれるので喜んではいるのですが、私が書いたプロダクトの中味には編集者のコミットメントはゼロだということですね。仕掛け人と発注者はいないわけです。

で、私は一方で「そういう事で雑誌はいいのか」という気はするんですよ。でもそれは「ひょっとすると案外ノスタルジックな話なのかも知れないな」とも思うんですね。寂しがっているわけですよ。でも、むしろ「今や時代は編集者中抜きに移っちゃっているんじないのかな」と。「私自身もそれを実践しちゃったのかなー」と。

まあ、今の私の拙い話が皆さんへの「挑発」になったとすれば、多少、幸せなんですけれども。以上です。
 

佐藤:どうもありがとうございました。 つづいて皆さんで語り合い移ります。












スチュアートホールに関する 
花田達朗の伝言 2014年2月13日 「未完の対話」参照 


 
  詳細を見る 


 詳細を見る 


 内詳細を見る
 語り合い記録へ つづく    1:45:52