佐藤敏宏
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2024年4月の日記          

4月29日 のち曇り 天候下りぎみか

トイレの排水がスムーズに流れず、40年ほど使っているので便器が古くなっているのかも。
■昨日もそうだが、朝から記録作りと校正もどり、頁更新作業する。
■一時駅に出向き、my次男の誕生日のケーキを注文してくる。連休なので賑やかかもしれない。さほと駅に行かないで不確か。

■FB投稿 ちかごろ投稿から遠ざかっているかも

今年度は核兵器と原発について調査ワイワイ三昧か・・・
と決めたが、4月はそうなっている、真夏のようなき気温じゃないか福島市も(例年いまどき暑いけどね)
県立図書館で「コラム掘り」して熱い!4月。1960年9月、湯川秀樹博士がオッペンハイマーを日本に3週間ほど招いて各地で講演などおこなている。すらべてみるとそれ以前に招待しててオッペンハイマー日程過密で合わず1960年になったことも分かった。人間の評伝も事実かどうか?確かめるのはかなり難しいもんだよ。生きている俺の事実だって俺自身で分かってないよ、それはお前は阿保だからだといわれるそうだけどね。

原発事故当時には古い、例えば1945年の当時の新聞まま見せてもらえたんだけど、13年経った現在は閲覧も禁止になってしまったよ。ボロボロになってしまうからだね。しかし見せず見ずとも、風化してしまうのではないか?俺はそう想う、お金があったら古い新聞を撮影しデジタル画像にするための資金を寄付したのだが、食うや食わずでは俺の夢はかなえられないんだけどね。、
湯川秀樹博士日米開戦前に米国に渡りオッペンハイマーとワイワイしているし、当然日本の日米突入戦争は阿保らしいと思っていただろうなどと・・彼らの交流記録を読んでて思うよ。戦争しないためには政府が敵だという国の人々と民間人は交流することが戦争勃発の阻止になるかもしれないな。最近、敵が攻めて来るとかぬかして、戦争ずあ国防じゃふれ回る者が多くなってねーか・・


4月27日  気温上昇

今日からゴールデンウイーク。近所家に里帰りしてる人多く賑やかな声が聞こえる日中

■毎日 ほとんど花田、鈴木、佐藤により映画ついてのワイワイのWEB記録を作成している。なんとか半分ほどできたかも。
■午後、買出しにスーパーに行っただけ。たはコツコツ作業していた。



 4月24日  小雨が降り続き夕方雨あがる

■午前中、花田、鈴木、佐藤により映画ついてのワイワイを文字にしたり、4分割する作業をする。

■昼前にスーパーに行き食材を買いだす、雨なので傘をさして大きな背負いバックを身に着けていく。帰り道の方が体力いるよ

■午後から夜まで午前中の作業の続きを市続ける、だいぶ見通しが立ってきたよ。

 4月23日 曇りのち小糠雨 しっとり濡れる

■午前文字起こし 午後市役所開催の町づくり検討会に参加し拝聴する

■夜、広島のげん爆資料館をつくった初代館長のドキュメンタリーを観る

















 4月22日  気持ちのよい春の日芝桜も盛ん

■朝から文字起こしする。半分ほど文字になった。
目を休めるあめに、乾燥し過ぎてる庭に水をまく。

■家人の指令で二度スーパーにいく

■FB投稿

スタンリーキューブリック監督作品を見る
1964年制作。題名がやたらに長いんだけど「博士の異常な愛情─またわ私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか 」つづめれば「水爆戦争オ゙ッパジメタ」 だろうか。1962年10月に起きた「キューバ危機」は映画制作を誘い力を与えたかもしれない。原作はピーター・ジョージの『破滅への二時間』だそうだ。

DVDで数度観て面白さが少し分かった。鑑賞を重ねるほどにスタンリー・キューブリック監督の的確な「核戦争からPCを使ったAI戦争への道へ」その危険性が予言的に描かれていて凄いよ。いうなれば60年ほど早すぎたAI水爆戦争の反戦映画の凄さだ。
現在は本当に便利だよ、DVDを回すとそれらを浮かび上がらせる。ドイツからやってきたイカレタ博士の演技も凄いが、語りは男性中心主義と選民思想と隠されたナチス礼賛のイカレっぷりが滑稽さを露わにしていて、会議の場しか描いてないのに伝わってしまう。この点も一度見ただけでは分らなかった。

日本軍の敗戦前後に広まっていただろう米国内でのジョークと意味が分からないので、1度見ただけでは腑に落ちないように感じる。一度目はゆったりとした気分でスタンリー・キューブリックの画面づくりの美しさと、冒頭の生物の交尾を連想させるエログロへの誘導も上手いので・・楽しめる。空中給油機からたれるホースは長い男根の比喩だろうが、給油のためにゆらゆら揺れるキモイ絵だけれど、仕舞のイカレタ博士の地下内・選民計画と共鳴し合うように構成さていて上手い。

 女性は ダージトソン将軍の愛人が、ベット上でゴロゴロ水着姿だけ。それは「戦争と水爆兵器は男だけのイカレタ遊戯と道具だ」と言っているのだろう。戦争を始まめるのも、やがて起こすだろう人類破滅の水爆戦争も・・・男たちの性行為観と戦争を同列にしか語り見えない男たちへのブラック・コメディーを一つ投じた格好だ。
これ一度観ただけではブラック・コメディー質の豊かさ、対話の凄さへと理解・・へとは鑑賞者は至らないのではないだろうか。相当の映画好き、スタンリー好きの男なら分るかもしれない。

筋はソビエト連邦に対し、被害妄想だけで生きているような空軍マッチョのリッパー将軍が描きだす。彼はソビエト国内の主要都市へ水爆投下指令を出してしまう。そこからの軍関係者、政府要人科学者のドタバタ、B29戦闘機内部兵士たちの慌てぶりと非常事態下での対応の様が詳しく描かれてリアルさが増す。さらに水爆投下に至るまで、そして中止令を発っするまでの男たちの滑稽さといったらないので、そこも面白い。
 建築関係者なら、なんといってもペンタゴン内部で大統領を含めた円卓討議の言葉のやり取り、そしてソビエトの首相とホットラインでの会話に興味が向くのではないか。だけど、水爆投下指令後に命令を取り消すことの困難さ、コンピューターで判断する事の危険性も、投下指令後の緊張した状況下でAIの判断させる危険性も浮かびあがっていた。筋重ねの上手さもあっていい映画だね。ただ、一度観ただけでは、交わされている言葉は早口だし、役者の演技が巧みすぎて、興奮し口角泡を飛ばし合うので、そちらへ俺の目と耳が向いてしまい、ブラックの質の不快さと深さは理解できなかった。
シツコイが、空軍基地の将軍占用の部屋での1対1の対話、ペンタゴンでの円卓会議の様、戦闘機内での上下左右の移動しつつの対話、その3つの形式と対話の様とそれぞれの役者の顔だけみていても、会議の理想的な建築配列への実践の手法は理解でき具体的に会議の場を作ってみたくなるだろう。
現在は水爆とIA兵器が合体して人の狂気による水爆発車命令をだし取り消すよりは遥かに難しいだろう。キューブリックの監督の『2001年宇宙への、』を観たなら、、pcやAIに戦争開始の判断を委ねう危うさは想像に難くない。





4月21日 のち薄日さす

草むしりの筋肉痛は和らいできて元気な気分も戻ってくる。筋肉が落ちているようだ、少しの作業をしただけなのに、翌日には筋肉痛がやってくる、老人なり。

■映画、ゴジラ、とゴジラ・-・ワンとオッペンハイマーについて鼎談の肉声を文字化する1日
昼頃に食材を買いにスーパーに行っただけ。コツコツ文字にするも速度がおそくなっていて、さほど文字にならずも、1時間ほどの肉声を文字に出来た。1週間かけて文字にして1週間かけて絵を埋め込むなどすることが目標にしている。


■FB投稿

春キャベツでひき肉などを包む
 甘味のつよいキャベツで作ることができて大好評。先日、須賀川市の伊藤弥さんに持って来ていただいたキャベツ。それを使ってロールキャベツを作る。美味いね!湯気がたち絵は撮れないもんだ。





4月20日  肌寒く天気は下り気味

夕方、町内会があり今年度班長なので参加する

■FB投稿

今日から1年間は町内会の班長です
4割ほどが若返っていた!かも。福島駅から飯坂線を使えば時間を要する人でも20分チョイなのだろうか、だから通勤の便がよいスーパーもある。311後、若い家族が越してきて子供が増え子供会設置しようかという話もでた。一人暮らし世帯を見回りしている。空き家問題は草刈りなどもおこなっていて問題がないそうだ。見守り実施ご苦労様です。我が班は一人暮らしは2軒のみ。でも、タブレット配布し紙配布を廃止する予定はないとのこと。











4月19日


DVD『シャドー・メーカーズ』を観る
 「マンハッタン計画」をイギリス人映画監督が描いた作品で、日本公開は1989年10月。 描かれている内容はペンタゴンのレズリー・グローヴス将軍が指令を受け、ロスアラモスで原子爆弾の製造の指揮を執り、爆縮によってプルトニュームを起爆させるまでだ。あえて言えば科学者を束ね人類初の核兵器製造を指揮した将軍に光を当てている。だから製造現場の指揮者の苦労話が主とも言える。

 米国で2023年公開され日本では今、上映中の『オッペンハイマー』とは質が異なる。後者はアメリカ人監督が科学者オッペンハイマーの脳内と核兵器の製造過程を前半で克明に描くが、絵柄は分かり難いのだが、だから世代を越える鑑賞の楽しさも伝わる。後半はオッペンハイマーが赤狩りや嫉妬や上司から嫌われる要因などで要職を奪われる。その過程を前半とはガラリと変えた絵柄、聴聞会などの尋問を中心に対話劇で描いている。

 両作品は人類初の原爆製造と起爆までを描いているが、イギリス人とアメリカ人の感覚なのだろうか、核兵器の理解の視点と手法が異なっている。だから2本を並べて鑑賞すると興味深いことに、両監督が描こうとした要点が照らし合うかのように、分かりやすくなる。原発や核兵器について関心のある方には2作品の鑑賞はお勧め。

現在上映中の『オッペンハイマー』については、先日、花田達朗先生、鈴木達治郎先生と鼎談をおこないその内容の文字記録作成をしようとしている。記録が完成したら読んでいただき、平和や戦争について語り合っていただく材料にしていただければ嬉しい。

今日は『シャドーメーカーズ』のあらましと気付きを記しておこう。

 前半は原爆製造コミュニティーの事が描かれる。ポール・ニューマン演ずるグローヴス将軍の指導で極秘のゲーティッド・コミュニティー(ロスアラモス)が造られ、急造の町づくりの問題が顕在化し、それらの問題点をあられもなく描く。同時に暮らしぶりもえがかれている。例えば、科学者4000人、軍関係者2000人の意見の対立が克明にあぶりだされつつ、年間80人の新生児が誕生したという、極秘の町に暮らす平均年齢25才の若者たちのストレスの様々、若者たちの性愛物語。大人たちのロスアラモスでの日々の暮らしぶり。
それは伝記『オッペンハイマー』に書きあげられたように、映画になっても詳しいので理解はすすむ。人間が一つの目標に集中し核兵器を造る過程が克明に描かれてることで緊張続きの核兵器製造過程は風化せず伝わってくる。(具体的な戦争を知らないと分かりずらいかな・・)

例えば軍人と科学者たちの交流は毎夜のパーティーと劇場鑑賞も詳しい。彼らは交流しながら、家族持ちの科学者たちは妻や子供を顧みず・・・・24時間制限なく議論し合い製造目標日に集中していく様子が、具体的にえがかれてることで、原子爆弾の緊張ある製造過程が目の前で展開しているかのように思える。

 見るべきは後半である。ドイツが敗戦し、日本も同様に誰の目にも時間の問題で連合軍の勝利が明らかななか、秘密裏に原爆を製造する意味と異議が起き、シカゴ大学の科学者たちが軍の頭越しに大統領に直接伝えようとする動き(後のフランクレポートと称される極秘文書)と、ともに製造期限が押し迫ってくる科学者たちの焦りは映画の見どころの一つだ。

反目の主点は、米国が核兵器を製造したことを製造過程と実験現場を公開し、世界に知らせ、核の国際機関での管理を訴える科学者たちと、製造したのだから投下したいと、核兵器使用を押し切ろうとするグローブス将軍の対立が一気にロスアラモスの製造現場に緊張をもたらす。

間を取り持つことになる、オッペンハイマーは使用するのは軍で科学者の判断ではないとし、爆縮とプルトニュームの起爆実験成功まで、科学者たちを束ねることに集中していく。

この映画に緊張を与えつつ目を釘付けにする。それはプルトニューム融合実験中に被曝する若い科学者が死亡する内容が組み込まれているからだ。被曝は試験室の事故現場から治療のための病棟内での急性放射線障害患者の様態を、医師や恋人との交流で具体的描く。だから核兵器が1人の人間にどのような害をもたらしてしまうのか。それを1人の科学者の被曝事故死を通じて核兵器製造と使用の結末を並列して描き込んでいて見ごたえがある。この点は現在上映中の『オッペンハイマー』には無い。

〆は起爆に成功したオッペンハイマーの勇壮を褒め称える車列パレードと、被曝事故で亡くなった科学者を弔う哀しみと平和を願う、軍医と看護師の二人が鳩を青空に放つことでえがいている。車列と鳩の絵を通し核兵器戦争と平穏な暮らしを願う人々を対比して描いている。二つの絵があることで鑑賞者に問いを与える。オッペンハイマーの妻キティーは問う、「あんなもののために全てを犠牲にするのか?大事なものは爆弾か私か?」と。

ロスアラモスでの初・核兵器製造過程では科学者が被曝死するような事故は起きていないと思う。が、後1年間の間に「デーモン・コア事件」が起き、急性放射線障害で2人の科学者が亡くなっているようだ。



4月18日 

昨日午前の草むしり作業の影響で前身筋肉痛になる。

■1日中、鈴木達治郎先生の70年代語り前半WEB記録に絵をつけたりチェックし仕上げる。
■昼すぎに買い物にでただけ。

4月17日  のち晴れ

午前9過ぎに雨があがったので家の北面境界20m程草をむしる。暑かったね。
草むしり終え、近所のスーパーに買出しにいく。

■午後2時過ぎ、須賀川市の伊藤弥さんが沢山のお土産を持ち尋ねてくる。ワイワイする。


須賀川市の伊藤弥さん(BOX11発注者)とワイワイ
映画『オッペンハイマー』を鑑賞してのち我が家に寄っていただきました。お土産(自家製の白米30kg、野菜二袋、地酒一升)頂戴しました。伊藤さんありがとうございます!
伊藤さんの家は私が設計し1996年完成しました、もうじき30年が経ちます。伊藤さんは少年たちのサッカー指導者でもあります。新緑も美しい、山わらう季節となってお祝いです、頂いた品々、調理し炊いて会津娘も・・いただきます!



4月16日 初夏のような気温

■鈴木達治郎先生の1970年語りを文字化しおえ、ボーカロイドに読み上げさせ間違いをチェックする。

■辻琢磨さんにいただいたインドPUNEの画像を記録に貼り付け公開する

■夜、スタンリーキューブリック作『博士の異常な愛情』を見直したが途中で眠くなり、中断する。

4月15日  気温上昇する。夜になっても2階の仕事場は25℃。日本海側で30℃超地域にあったそうだ。

■鈴木先生の1970年代語りを文字にしていた。今週中に記録になればいいかな・・・

■辻琢磨さんからインドで撮影した報告記録に使える写真が送られてきた。文字にはなっているので、この記録も今週仕上がれた良しとしよう。
■イランがイスラエルに攻撃し中東戦争に拡大するのだろうか?

■FB投稿

赤い衣装を身につけた飯坂線の車輛に出会う
 電車に乗って町でビールを呑んでみた。1杯しか呑めず年老いたと実感する。見回すと工事が止まった駅前の空き地=ビル工事現場。3・11後に人の入れ替えが起き、衰退を加速している象徴のような事態の一つだったが、新しいビルも活気がない、それは当然だ(理由省略)町中から親父たちは家族を連れて消えていった。町に残ったオヤジにはビルを建てる経済基盤もやる気も無く、見かける工事現場は補助金頼みの改修みたいに見えて哀れだ。飯坂線は開業100年だそうで「一部車両を衣替えし運行している」と車掌は語りながら賑わう車内で切符販売に追われていた。
 外気は電車の衣装に合わせるように一気に夏場なみの気温になった。「ビールでも飲むか・・」と街に出てみた。90年代には呑んだくれていた友達は町中の衰退に合わせるかのように次々に亡くなった。この四半世紀のあいだ町中から友達が消えた。だから今、町に出ても知り合いに会うことはなくなった、それは大都会の一人暮らしの様ににているのかもしれない。
うろうろ歩いていると40年前は同世代が呑んだくれて喧嘩をしたり、空出張費でのんだくれたオヤジが痴話げんかで火事騒ぎになったり賑わっていた店が消えた場所に行くと、昔の人々がジワシューシュと40年間で消えた様を思い出す、けれどそこには何もないただの空き地だったり、中身のない建物だったりする。
■100年前の世界恐慌と共に福島市の衰退が始まり今日にいたりさらに加速する。40年前から商売を続けている店を探して入ってみた。「こんな商売のやり方では客離れしてしまうだろう・・・」と思うほど酷い有様だった。40年前の店舗は残っていても21世紀の商売に切り替わっていない、人口減少が加速化するのでさらに、目も当てられない気の毒な状況になっていくだろう。でも、浦島太郎の後日談に出て来そうな過去の町の衰退を観察し続けることも高度成長期と衰退期を生きている俺は好きだ。
 亡くなった友達よ、この陽気につられ土の中でうずうずしてみなさい、地上に這い上がり、赤い電車を見に来てみたまえ!などと言いそうになる、知り合いに出会わない町は今日も静かに見知らぬ資本が荒らすたんなる荒れ地に戻っていくかのようだ。


4月13日  爽やかな1日

■京都の川勝真一さんが新事務所を開所したと聞いたので、WEB電話で少し近況をおききした。
■午後、鈴木達治郎先生の1970年代をお聞きする。福島の原発事故から13年が過ぎて、フランクレポートに到達すした。核兵器の開発時にシカゴ大学の研究者たちの極秘レポートだ。興味深い内容だ。

■FB投稿

第2回目。鈴木達治郎先生「私の1970年代を語る」
 今日お聞きした内容。1970年代の先生の東大入学からMIT修士課程入学、論文提出など・・・その後の鈴木先生の人生を決定したと言ってもいい人々との出会い、西欧での活動や米国での暮らしぶりなどでした。
 鈴木先生たのしい話を聞かせていただき、鈴木先生の明るさの源の一つがまた分かった気にまりました。本日はお付き合いいだだきありがとうございました。
■福島原発事故から鈴木先生の教えなどによって13年かかって『フランク・レポート』に到達しました!このレポートは政治や世界の多方面に影響を与えている味わい深い内容です。(米国ふところ深いです)核や原発にも関心のある方へ推します。
■次回は、いよいよ1980年代を語る・・・です。


























4月12日  いい季節というか例年より1月早い温かさかも

■ビックローブサーバーからfullcinサイトにデータを移動していたがおおかた終わって、目次から各頁のリンクチェックも終わった。残るは各頁のリンク切れをチェックする。量が多いので数ヵ月かかけて作業する予定。

■明日の鈴木達治郎先生の聞き取りの準備をする。1970年代の話なので思ったより長時間になるかもしれない。おわらなければ次回に追加聞き取りで対応したい。


■辻琢磨入門の章立てを決めWEB頁のベースを作る。これで8章ほど12月完成目標でこつこつ書いていきたい。

■今日のFB投稿

春だ!「辻琢磨入門」を書き始める
 お礼、遅れちゃったよ。2022年10月7日浜松市にある辻琢磨さんの居宅を訪ね1泊させてもらった。翌日は秋晴れの下息子さんと3人で保育園の運動会観覧させてもらった。それらの「お礼に辻琢磨入門を書くよ」と伝え福島に戻った。
あれから病院に通い続けてしまい、あのお礼が遅れに遅れてしまった。近頃体調もいい、新しいPCももらったので当分壊れないだろう。そこでこの春から8ヶ月かけて「辻さん入門」をかくことにした。章立てはできた(変えるかも)ので、毎月一章ずつ書いて送る公開することにした。

終活作業、旧myホームページを新HPに取り込み作業中
 首がつかれ過ぎ猫背になってしまうので、PCをエキスパンドメタル製籠に載せて、作業している。ようやく旧目次と各種データを取り込み作業ほぼ終えたようなきがする─各頁内のリンク調整が残っているけど、ビックローブサイト使わずも23年間のデータをmy次男サーバに移築保管できた。
・便利なFBなどSNSサービスは外国の民間会社のサービズなので、依存・信用しすぎてデータ保管など続けてしまうと、落とし穴があるのでは・・と思ってしまう。たとえば会社はつぶれたりすると長年作り続けた、あるいは発信し続けたデータは、その途端に蒸発してしまうだろう。また、潰れなくっても高額・料金請求したりしてくるような気がしたり・・・など考えたりする。
 2000年頃はネット参入する人もすくなく、他者承認をもとめるわけでもなく互いに楽しみつつ情報共有するなど、ある種一定の倫理をもって発信してたり関わっているいるweb人が多かった・・ように思う。
 だが現在のwebは何でもが過ぎて、広告だかけなど、欠点も目立つうえに、加熱依存しすぎることで、問題も起きたりして、老人にはハードルが高いツールになったかもしれない。
 お客を囲い込むような民間サービスの荒波にもまれ漂うのもいいのだろうが、俺は老人なったのでweb波乗り用の体力がなくなってしった。で2000年頃ののような静かな気分でwebと関わりつづけていきたい、目次も第三期ように模様替えしようか・・そう思って古い目次を見ると文字だけの方が使い勝手がいいのかな・・など目次の全体を決められない。こつこつ手探りしよう。


4月11日  

fullcinサイトにビックローブに保管してあるデータを移動する1日。サーバーが不審者扱いするのだろうか?分からないけどすぐ詰まってしまうので。切ったり、つないだりで1日終わる。ほぼ3分の2はアップしたような気がする。毎日コツコツアップする方が、断然快適だと分る。一気にやろうとせずコツコツがWEB更新作業もよいことが分る。


■FB投稿

木蓮の花散って季節はすすむ!(web終活作業中)
 前立腺癌が見つかってから「終活せねば・・・」と考えているが、終活の種類も多様にあるもんだ。その一つはweb内myHPデータの終活はじめて半年ほど。新PCを使いだして加速したかんじだ。それは2か所でweb管理してたHP=WEBサイトのデータを移動し始めたことだ。20数年間myデータ庫にしてたHP、bibiglobサイトのデータを(意識としては公開していないんだけど他者が訪ねれば悦覧可能)次男管理のサイト(full chin)にまとめだす。
 ゼロ年代10年間のmyHPデータたった100MBしかないのにファイル転送ソフトが詰まるのか?my次男サーバー連続ファイルアップを少量に制限しているのか?詰まる詰まる。
間をおきアップせよ!ということなのだろう・・・そう考え、辻琢磨さん刊行の『辻堂の引っ越し』、奥さまが刊行された『街角製本所』を読みながらアップ中。本の内容がアップ作業と共鳴しているく。「植物は種で時空を超えるが、人は本を書き表すかwebデータを残すしか時空越えの方法はないと」決め打ち作業。
死後迷惑を最小限にしようと思って始めてみると、終活作業って多量にあるものだ。

10年代にはじめた full chin サイト内データは30GB 3000倍に増えちゃった。大震災の記録と写真を大きくしたことによるデータ量の増加だ。環境負荷かけすぎているのかも?

0年代のwebは公報や宣伝したり物を売ったりのためのツールではなかった気がする、20年代は物売るか公報するか自己アッピールだらけになったように感じる。SNSが爆発したことで、興味深いwebの扱われ方の変化、変質したのだろう。0年代のweb初期が懐かしく思える。年は取ることもいいな。

一推し森純平さん 東京藝術大学の特任教授 就任!
この2年間、森さんを追っかけできました。これからの活躍を刮目していきたいですね。






4月10日  嵐が去って快晴

■プロバーダーのパスワードなど更新するためにプロバーダーイン書類を郵送する。
■2000年から10年間のHPのサーバー移動作業をしているが量がおおいので、転送詰まりが激しくさほど進まない。こつこつ急がずアップしよう。

■FB投稿
一推し森純平さん 東京藝術大学の特任教授 就任!
この2年間、森さんを追っかけできました。これからの活躍を刮目していきたいですね。

PCデータ整理していて『ボクセルハウス』my制作動画発掘
 発注者花田達朗先生 設計:藤村龍至さんと漢那潤(ベラ・ジュン)写真+動画編集:佐藤敏宏、音楽:佐藤my次男。 新築当時は渋谷区にありましたが、現在は移転して早稲田大学の近所に住人もかわるも、存在していると思います

4月9日  春の嵐き午後から平穏になる夕刻陽射し射し

■朝から晩までビックローブサイトのデータをfullchinサイトにいどうするための作業。数ヵ月掛かるかもしれないが、コツコツ続ける。今日は目次頁のリンク切れをチェックしながら、リンク張り直しする。

■FB投稿
今日は春の嵐、桜吹雪が外壁に張り付いて外壁の桜花びら仕様は希だ
しずかにPC壁紙張り替えた
RCセパ穴から雨水風で押されて突き抜けき

「旧・fullcin」サイト終活開始
新PCの設定と使い勝手分かってきたんでサバ―へのデータ転送の設定を終える。10数年更新もせず放置していた旧myサイトの終活を始めるような雰囲気になってきた。旧サイトのデータ量は135MB。0年代はサーバ契約すると100mbのデータ保管庫兼HPが無料でついていた。で、2000年代の記録があるので現在・使用更新中のfullcinサイトへまま移動ししたいのだ。そうしておくと俺がお陀仏し現在使用中のサーバーを解約しても、0年代のデータ生き残りまま見ることができる。(一番観るのはおれだから俺が観たいからそうするだけだけど)
思ったより再編集するのって難しいので、のんびり時間をかけてやろう。ファイル転送がすぐ目詰まりしてしまうので一気に移動できないのが辛い。一定のデータを受け取ったら、転送詰まりさせないと巨大サーバは熱くなりパンクするのだろうな・・ぶつぶつ



4月8日  温かいが天気は下り坂

■朝から辻さんのインド報告を文字にして午後終えて、ボーカロイドに読ませてチェックして、辻さんと中村さんに送る。

■昼前に近所のスーパーに行き食材を買いだす。家人はスズランの周りを草むしりしている。薬害で口を開いたりするんだけど、呼吸も身体全体でしているように思う。薬飲まないと妄想と狂気で大変そうだし、もう少し弱い薬はないみたいだ。仕方ないかな、次回医師と相談してみよう。

■FB投稿

雪柳咲き誇り桜吹雪もあり
我が家もも春がおとづれたもよう。
ぼけ、雪柳は昨年ぶつ切りにして移植したが芽吹き花咲く



映画『オッペンハイマー』を語りつくす動画公開
https://www.youtube.com/watch?v=4rSmNCXVV4Q
4月7日にNHKのニュースでも取りあげられた上記タイトルのオンライン対談動画記録が公開されました。映画を観る前後で視聴(できるのかは不明)し描かれていない内容を想うことは「核」と共に暮す現在人には必要不可欠な行為のように思います。たった80年ほどの歴史しかない「核兵器史」を理解するためには想ったよりは手強いので、この語り合い内容を参照されて今後の勉強の手がかりとしてはいかがでしょうか(余計なお世話かな・・わからんけど)

4月7日 25度こえ夏日だったようだ。

■朝から新しいPCを使って文字起こしをした。快適だ。自動文字起こしアプリを使う便利なようだが、再度聞くことも大切だと思っているので、のんびり手打ちで文字にしていこうと思う。

■今日のFB投稿

めも)フクシマ問題に関するワイワイを今年からはじめました。その資料です。
 広島への原爆投下まえに政府に提出された科学者の忠告翻訳版。フランク・レポートは「政治ならびに社会問題に関する委員会報告、シカゴ大学・冶金工学研究所、1945年6月11日」
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/flanc_report.htm 広島の方のHPよりのリンクです
(新潟投下のための訓練で、模擬爆弾は福島市内の渡利に投下された─広島、小倉、京都、新潟が投下目標地)

映画『オッペンハイマー』上映を機会に議論が起きていることは、原発事故被災地に暮らすおれとしては大歓迎。
途中(30分後から)拝聴している。


















































4月6日  気温下がり気味

朝から気合を入れて、my長男に買ってもらった新品ThinkPadのリカバーコピーをする。旧シンクパットで動画を観ながら操作したので、思ったほど混乱もなくリカバリーデータをコピーできた。

新旧どちらもThinkPadなのでキーボードなどの配列はほぼ同じ、メモリーが16gbなので倍増したことで画像処理もスイスイな感じだ。動画編集はしないつもりなので、8GBでも十分だったが16GBをもらった。

夕方までにHPのデータと家族分の画像データをコピーし移動した。日頃使っている古いソフトもインストールしてみた、一部機能が使えないけど主な機能は使えるので不足はない。無料の画像処理ソフト、GIMPもインストールできた。

■今日のFB投稿

新PCにまず、画像とHPのデータ注入中!
 絵は俺様20歳前(笑)1年後、結婚するためにバイトも寝ずに請負ってましたね・・モダンバロックしている4階建の建物は人生最初、設計ほとんど写しだけんどね、RC造4階の小さな会社の社員のための社宅8戸@川崎市内。これを設計して現場監理もして現場監督にしバンバンごかれた(笑)愛の鞭ってやつかな(鶴見市場駅から徒歩5分)サボりベタだったんだな、寄り道して川崎球場で野球観戦せずなんて馬鹿じゃねーか・・今となっては悔やまれるぞ!
 東京支店設計部員は10人ほどで、支店は山手線「恵比寿駅」と接続しているほどと言ってもいい距離だった。恵比寿で10年間、設計部員してたけど、しごかれたけど何でもやらせられて、現場監督に儲けさせないといけないし、あちこちヘトヘトだけど、楽しかったです!
打ちっぱなしRC、ピン角使用で図面描いて知らんぷりしてたら、1972年当時はヤクザ風貌の工事部長に「ばかもん!馬鹿野郎!」と怒鳴られてしまい、図面に角!全部付けたとほとの思いでもあります。

20才前、営業マンにに連れられて、企業の社長さんと社宅について打ち合わせしてると、お客様は神様なんで 何でも言われちゃうから気が弱い人は持たないかもね・・・言われるほどに儲けてやるぞ!と思ってしまうから馬鹿な社長なんだな、おだてて値切られるのが一番効くよ


■もらった新品PC、今日から使い始めるぜの準備開始
人生最後のPC(?)になるかもしれないので、これで何をするか思案中・・・セットアップしなければ使えない、ソフトはなんも入っていないので・・1週間ほど要して手持ち既存PCのようなPC環境にできるか??自信ないけどこつこつ・・タートアップ作業にとりかかってみた。うまくいきますように神棚にむかい柏手を打つ(新旧PCどちらもThinkPadなのでキーボード配列ほぼ同じ、機能ボタンがちがうな・・・新品の重さ半減して軽かるタイプだ

リカバーコピーって時間要るんだね 10数年前どうしてたか忘れてしまったがCDがたくさんある。

5日夜の語り合い FB投稿より

辻琢磨さんによる「インド旅行について」お聞きする
 昨夜8時に始まって11時は過ぎていたが、あっというまの3時間超の語り合いだったよ。web会議の詳細機能は知らないがグーグルのミーテング機能を使って俺は初語り合い。(ZOOM機能とさほど変わらないかも)
辻さんのインド旅行語りは2009年ごろ横浜大学の学生った辻さんが、インドのプネという町のスラム改善計画に関する仕事に興味を持ったことから始まった。希望していた学生時分のプネ行は学業の関係で果たさなかったそうだ。2024年になり15年ぶりに念願の地であるプネの地に立つことができたそうだ。プネ体験感想語りは、日本の若者たちが体験した高度成長期を経て爛熟した社会が崩壊しだし格差が拡大固定したなかの生活文化とはまるで違っていて、自分を相対化して観ることができる貴重な旅の一つだったようだ。1週間ほど滞在したそうだが、プネの家族の一日の過ごし方を詳しくお聞きすることができ、勉強になった。公開は未定だが「辻さんインド紀行」の詳細をweb記録にする予定。






4月5日  放射冷却により朝夕冷えるとか

二階の仕事場に荷物を移動するも夜冷えるので1階の居間に戻る。


■夜は辻琢磨さんによる「インド紀行について」語ってもらうことになっている。

■3月31日取手でのフォーラム動画が公開された。

■4月4日、昨夜は花田達朗先生、鈴木達治郎先生と映画談議を3時間弱おこなった。語り合った映画はゴジラ、ゴジラ-1.0、オッペンオッペンハイマーの産作品。音採りしたので文字にするかはあとで考えよう。


■FB投稿 
それぞれ同じ映画を観て語り合う3時間弱、終わった!
面白いね!さほど映画みてないだけど映画を観て語り合える人、WEB友いるのは大変いいし、語り合うと映画はさらに面白くなるから不思議だ。観てから語ると記憶が脳内で再構成される興味深さが増幅されるからだろうね。
今日の話題は三作で1954年上映『ゴジラ』、2024年『ゴジラー1・0』月曜日 4月1日に観た『オッペンハイマー』について語り合った。

4月3日  桜満開 夜小雨降り出す。

花見団子を買ってきて食べる。ほかは1993年9月22日刊行なった『マンハッタン計画』にある解説を読みメモする。読みながら、映画『オッペンハイマー』で疑問に思った点を確認する。

■台湾で大きな地震が発生しビルが倒壊している絵が流れ落ちて来た。大地動乱の連鎖の一つだが、気球上に人が暮らすことは災害とともに生きることにほかならないのだろう。日々地震にも備えて長生きできるようにしていきたい。





















4月2日  いい天気で庭の桜満開となる 杏子と木蓮散り始め

午前中は家人と共に雛飾りを片付け箱詰めする。午後図書館に行き、オッペンハイマー来日の1960年の9月の新聞を調べコピーをとってきた。

■今日のFB投稿

昨夜『オッペンハイマー』をフォーラム福島で鑑賞(客2人)
 4日夜、関してワイワイ企画中(非公開)
311の大震災を切っ掛けに、1Fの事故そして「サンチャイルド像の騒動@福島市駅傍」などが起きて以来、あ、核兵器の歴史を勉強しておこう・・そう思い、核発電(平和利用)や原発事故や使用済燃料の処分(平和利用の弊害)平和利用の源である核兵器と原子爆弾の開発と製造、そしてそれらを支える世界的経済的な背景と政治史(アメリカの移民史も関係するだろう)
そしてその後の災禍や住民への核被害に関する資料を気の向くままに集めてきた。何年も集めているのでだいぶ増えたよ・・(自分でも腹案を描いたりしている)

■映画『オッペンハイマー』はこの数年の資料をまとめて核関連史を学ぶために余りある資料となるのか?そう思って観ていたが、だいぶ偏りが多いな・・・と思った。オペンハイマーが原爆を造ったかのように描かれているが・・そうではないだろう。書籍『オッペンハイマー上下』は伝記だからそのように編集しているのは分る。
今回の映画は娯楽作品で映画の良し悪しを決める一つの指標である賞も多数受けている・・・との前評判に原爆史にはかなり歪んだ情報として人々に提供されるように成っているだろうと思って観た。
 その通りだった、この作品は映画であって歴史を検証するために制作した教育・公報の映画ではないのは当たり前の商業映画だ。で、内容を観ると原爆開発と投下使用、その後の時間が攪拌され描かれているので、前知識がないと理解しにくいだろう・みながらそう思った。オッペンハイマーは変人であるけど、それが分り易く描かれないのは商業映画だからだ。観客は原爆に関した人々の原爆系精神の病の映画を観たいわけではないからそうなる。
 オッペンハイマーの脳内をノーラン監督が想像し、都合よく時間を切り貼り前後しつつ想像の映像が散りばめられていて理解しがたくしてあり、原爆の歴史を期待した人からは批判されることが・・・上手くさけた娯楽化を選択していた・・・・と、そう俺は思って観ていた。
その結果、映画だからねいいだろう・・という思いと、史実に沿って人物を描け・・・という高齢者も多く現れるだろう。原爆なんか知らない若い世代にはさっぱりわからんだろう・・そして、投下された被災地で何が起きたかを伝える映画ではないのだが、それを期待する人も多くいて、この映画の面白さがゆがめられてしまうだろう(感想が、たくさん落ちてきている)
ノーラン監督の意図とは異なる鑑賞者の解釈の人々は核廃絶を訴え、戦争を起さないような内容の発言を多数していただいて、原爆を使わずに済む、そんな日常を継続をみなで共栄すすればいい。そのための活動を続ければいいように思う。
映画を心底楽しむために観た人は、ノーラン監督の映画手法と監督自身がオッペンハイマーを借りて自分を表現していると受け取ってもいいだろ・・・多様に解釈できる点で優れている作品の一つだ。(聴聞会、公聴会の行き来はわかりにくいのではないかな?)
 いろいろこの映画を批判するまえに、原爆製造と投下の世界史を知るため『マンハッタン計画』に目を通すこと推したい。それを忘れないで日々活動したり映画をみたりすればいいればいいと俺は思った。(日本軍は市ヶ谷で戦争に関する貴重な資料を三日三晩かけて全て燃やしてしまったんだよ)
■、さて4日のワイワイはどのような展開になるか、これから県立図書館に行き合った資料みつけてこよう。話題づくりのための作業しよう。


4月1日 

昨日の疲れがでたので、さほど動かず、資料地調査をする。午後、14時30分からフクシマフォーラム福島で『オッペンハイマー』3時間長いけど観た。感想は明日書こう。


昨日は温かくコートだけでいい、でも夜になると寒さが戻ってきた。朝起きて掃除と東京行きの準備をして11時40分の新幹線に乗り久しぶりに上京して、1時半の取手駅についた。そこは森純平さんの活動を観みるためにいった。17時まで語り合をきいたり場を体験したりして面白かった。17時に会場を出て、御徒町駅18時10分に花田達朗先生に会って近くの中華屋さんで一杯呑んだし中華も食べて話も3時間して21時10分解散。最終の新幹線で福島に戻る。



花田達朗先生と「建築家の病」について説明を受け議論する
31夜は御徒町駅に集合し中華料理屋さんで3時間・・時間切れまで語り合う。花田先生は大学を辞してから元気いっぱい別人になってしまいましたよ!
4日夜、語り合う内容についても少し触れた。オッペンハイマー新書翻訳本が3冊にて刊行されているとのこと。新幹線最終にのって福島に戻る。



VIVA@取手を体験しつつフォーラムを聞きメモ!(動画配信あり)
 ひさしぶりのお上りさんして人生初!取手駅下車。その目的は多様な活動をしている森純平さんなどによる取手での活動例を実見すること、そして場を体験することだった。31日のVIVAはトークセッションとパネルデスカッションのオマケが付いていたのでこれは濃そうだ!との直感に誘われた足が動いた。そして場を全て体験し、語られた中身のほぼすべて拝聴メモした。

(福島駅前再開発の議論にも参加したが福島の場は圧倒的に古臭くって貧しい前世紀の異物のようなものだ、がVIVAは明らかにちがった)
 一部はVIVAを運営している人たちの語り合で地に足がついた言葉の連続で魅力的だったし面白かった。二部は「頭でっ価値」のオジサンたちが語る、でいつもの内容なのだった。1部語りは手探りで21世紀にふさわしい場をどうして作り続けるか、それが語られていて、並みの街づくり語り合いとは違った。美術アートを中心にして町を体感・体験しつつ町と自分の記憶、歴史を血肉かする行為への挑戦なので面白い内容になってしまうのでした。
 会場には仕切りが無いので子供達も集まっていて、泣いたりわめいたり飛び回ったり、参加者は100人超だと思ったが、そのなかでの各種語り合いと美術体験があり、魅力的な場の一つ語り合いが立ち上がっていた。
自分たちで町をつくるぞ!の市民が主役で、その人たちに市長さん、ビル所有者が協力しちゃうよ!という雰囲気が伝わっていた。 フクシマには何が無いのか?実によく浮かびあがるので分かってしまうのだった。