佐藤敏宏
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2023年08月の日記          

 8月31日  暑さもどる 日没も早くなったので秋めいてもいる。

京都から我が家を訪ねきた山崎泰寛先生が福島市街を高い処から観たいというので、久しぶりの烏が先へいく。我が家との高低差は200mほどだが、我が家は見えない。美術館博物館が足下に見える。崖ふちがコワイ

烏が先から戻り、山崎さんからのリクエストである手縫いのズボンの生地を買いに家人とともに3人でいく。よさげなものがあったので、2着つくることにした。

生地を買いおえて平野の協同選果場へいき桃を買いにいく。箱売りは完売してて贈答品しかなかった。いつもの販売所にいき家庭用の桃を買い半分わけする。

昼前に山崎先生は 仙台に向けて我が家を離れた。多額のお見舞いをいただき申し訳ない。

■午後データ整理をする。

■FB投稿

京都工芸繊維大学の山崎泰寛先生と盆地中央の信夫山にのぼる。
新幹線から200m弱上空から福島市を眺める眺める。暑い!俺の母校も足下に遠く奥羽の山並みはいちぶ禿山となり太陽光パネルでも敷き詰めるのであろう・・・。
山崎先生!、遠く京都からはるばる最先端都市、フクシマの現在の一端を体感していただきありがとうございました!
お出かけください福島へ「桃」まだまだ9月末まで?甘そうです。

30日
8時半に家を出て、千万家により、瞭然霊山インターから高速に乗り富岡町を目指す。

東電廃炉館 〜 環境省現地事事務所にたちより伝承館へ。1巡して学芸員の瀬戸さんと語り合い1時間はんほど。5時前慌ててお仕舞にし 浪江小学校へいくも16時で受付はお仕舞だった。

高速にのらず114号線を走り、津島、川俣を抜け福島へ。町中で夕飯を食べ家にもどる。
1時間半ほどお喋りをして寝る。

短時間ではあったが山崎先生と浪江の津島を歩く

山崎泰寛先生フクシマ浜通りを走る!
昨日(8月30日)原発関連展示施設などを巡る。俺は山崎泰寛先生の後ろについてうろうろ楽ちん。東電廃炉館や伝承館、などめぐり学芸員や東電社員の方と個別にワイワイ。昨日、福一で作業に係わっている人4480名、環境省系除染作業は何名なのか聞き洩らす。
山崎先生は事前に手配されているので、学芸員の各位皆さんとのワイワイは大変有効で長時間内容は多岐にわたるものでありました。(つまり大人の取材方法)

29日 

京都工芸繊維大学の山崎泰寛先生が昨夕我が家に着く
恒例の自撮りを済ませ、シャーベット地酒を呑んでだべる。山崎先生は出雲出身のなので島根県の地酒をたくさん持参いただく。福島から遠い島根県の酒は味わったことがない。福島の桃などを肴にのみ長時間だべる。今日は福島県浜通りをウロチョロする。五十嵐太郎+大川信行さんの著書『ビルディングタイプの解剖学』を読むことで建築系の先生となることを知った。本の評はほぼ俺と同じだとも知る、速水清孝著『建築家と建築士』と同様若い人にもお勧めの本。











8月27日  がち 気温下がっててうれしい

辻琢磨さんの記録を毎日つくりつづけていたが、ほぼできた。リンクなど仕上げて体裁を整える作業は明日以降にしよう。


昨年10月浜松市内の辻琢磨さんの家でワイワイ記録もうチョイで完
絵も話もいろいろ雑談風だが最長記録ではないと思うが・・・我が家も同様、猫が隅々まで家内外を使い切る。それは辻家もそだ。辻さん仕込んだ猫階段は天井を突き破り家の歴史を行き来するのが特徴だ。
我が家の飼い猫は今日はもっとも家の中で涼しい場所で昼寝して蜘蛛の巣だらけで現われ大笑いする

■6日間のFB投稿

工業高等学校の建築科の先生に鼻でわれた本
猛暑なので半地下にのがれ作業中。建築本が多い半地下、でつい手に取ってみちゃう、この本高校1年で手に入れたからそろそろ60年かも。日当500円の土方バイトで手に入れた650円の黒川紀章著『行動建築論』初めて買った建築論(?)専門書だが建築家という表記がないし、先生には笑われるし、高校で黒川さんの設計の話をするのは禁物なんだと・・ひどく教えられた本、なんでだろう?いまでも不明だ。先生は酷評しかしなので先生が読んでないからかな?と思うことにした。
就職すると黒川さんは評判わるく、口汚く語るのでまた驚き、負け犬の遠吠えという奴だなと思って構わず。京大卒で背中を見て育った人は多いのではないか、東大卒からは嫌われる最も風当たりの強い人だったと思う。


辻琢磨さんとワイワイ1泊2日の記録に絵付けはじめる
6時間弱の肉声を文字にし終え絵づけ開始。街角製本所は浜松市内の一角にある辻さんのパートナーである村上亜沙美さんが主宰している。津々浦々に村上さんの製本所のような場があり老若の交流が盛んになるとどうじに本ができる場所がある、これもいいと思う。村上さんは各地に招聘され製本のあれこれを教え制作指導もされれています。

寺山修司著書 ぷちコレクション
最近、寺山話もしている。著作物を集めなくなったかな、が風化しない一人 晩年の演劇「百年の孤独」は語り継がれる作品だが
三沢周辺は米軍基地に六ケ所村も寺山修司記念館も、斗南藩もなにかと縁が続いている

8がつ24日汚染水放流し始めた。
また酷い行為積み重ねやがって 開始だ 午後1時から


辻琢磨さんとワイワイ1泊2日の記録に絵付けはじめる
6時間弱の肉声を文字にし終え絵づけ開始。街角製本所は浜松市内の一角にある辻さんのパートナーである村上亜沙美さんが主宰している。津々浦々に村上さんの製本所のような場があり老若の交流が盛んになるとどうじに本ができる場所がある、これもいいと思う。村上さんは各地に招聘され製本のあれこれを教え制作指導もされれています。


お盆過ぎても雷雨・夕立頻繁@フクシマ我が家
海洋投棄に抗議する天、号泣する天・・・でもあるのか・・ように大空哭き大気割れる2023年夏の終わり
いまだけここだけ自分だけの政治家だらけになってしまったな・・・どういうことになるのか分かっているのとは思えない総理の言動 {東京電力福島第一原発にたまる処理水を薄めて海に放出する計画をめぐり、岸田総理大臣は漁業者の代表と面会し、放出が数十年の長期にわたっても国が安全性の確保などに全責任を持って対応していくと強調し、理解を求めました。
漁業者側は反対の立場に変わりないものの、関係者の理解は進みつつあるという認識を示しました・・・」。雑な発言だな・・






8月21日 晴れのち  夕方激しい雷雨あり

昨夜my長男が仕事の帰りとかで寄る。久しぶりにワイワイ。相変わらず元気そうだ。スマフォ中毒気味かも。ストレス解消しようとスマフォでマすます脳が疲れるのではないか?

■FB投稿

お盆過ぎても雷雨・夕立頻繁@フクシマ我が家
海洋投棄に抗議する天、号泣する天・・・でもあるのか・・ように大空哭き大気割れる2023年夏の終わり

いまだけここだけ自分だけの政治家だらけになってしまったな・・・どういうことになるのか分かっているのとは思えない総理の言動 {東京電力福島第一原発にたまる処理水を薄めて海に放出する計画をめぐり、岸田総理大臣は漁業者の代表と面会し、放出が数十年の長期にわたっても国が安全性の確保などに全責任を持って対応していくと強調し、理解を求めました。
漁業者側は反対の立場に変わりないものの、関係者の理解は進みつつあるという認識を示しました・・・」。雑な発言だな・・・

ひさしぶり駄弁る!暑いので裸同然2ショット
お互い年齢を重ねるだけ。行いは40年ほど変わらず。


8月20日  33度ほどと まだ暑い日が続く

■午前中は近所の量販店で食材を買う。
■午後、昨日my長男 東大で歴史系の発表したとかで仙台に帰る途中寄る。疲れているようだからあまり話さず昼寝夜寝をすすめる。

■2日前から巨大設計と辻琢磨さんの家で語り合った文字起こしをし続けている。3時間ちょいあるのでまだまだ。何気ない家族の会話を記録してこなかったので、面白い。











8月17日  猛暑日にならずほっとする でも30度超えているよ

午前中 製図台周りを整理し、製図用紙を探し出す。
午後、巨大設計は位置図から描き始める。

■FB投稿

巨大すぎるぜ!冥途土産設計(笑)製図用紙を引張り出す
これを使い切ったら製図は関わらないつもり。PC流行りで一時CADで描いていたが忘れてしまったので手描するよ。
製図用紙は18歳から30歳までは日持ちの悪い、パリパリと崩壊してしまうトレペは使わないのがゼネコン設計部の流儀。高価な特注和紙(美濃紙)に柔らかい鉛筆で描せられた。俺・ゼネコン設計部仲間は全員和紙に描く。
福島に戻り独立したが貧乏なので美濃の代用品として、とある紙を使ってイラストも図面も文字も全てそれに描いた。美濃紙より手にへばりつかない(いい)上に鉛筆の乗りがいいのだいい設計図しているように思えちゃうわけだ。
手元の紙はすこし日焼け(酸化かな)し始めている。100枚ほどあろうか?捨てずに倉庫の棚にあったので引っ張り出す。お盆も過ぎたので今日から巨大な冥途の土産設計かくよ。鉛筆のB芯、箱買いしいてので寿命は尽きても余るほど。5mmと3mm厚のコルク材は模型の土台ように使うのだが、デカすぎて模型作っても他者に伝える模型にはならないのでコルク材使わない。

ムトウさん製図台 快適
お盆おえ猛暑も和らぐも背中にセンプーキ背負って手描きで巨大配置図を描きだす。大きくって気持ちいい、道路や新幹線の路線設計する人の気持ちが分るような気もする。建築CADは10年ほど、建築手描き図は70年かもなので老人は手描き方が勘が戻る。18歳から手描きしゃから物の現実のスケールとの交通できやすいので、老人でありから図の完成の姿を手に取るように想像しやすいかも。それにしてもデカイ!よ。

■昨日のFB投稿
家族それぞれの各種資料をまとめ並べる
ほぼ終えた。こどもたちの写真・作文多数ファイリング。長年の資料整理は家人が得意で、各人各年代綺麗にある。
















 8月15日 晴れたりして雨も落ちた

■午前、家人と食材を買出しにいく。往復尾瀬の話する。ちかろは写真を整理していることもあって、80年代の話をすることが多くなっている。

・1980年代のネガスキャンをしたのだけど、湿気にやられてネガがとけだしたのだろう、変色して印画紙のような色彩にスキャンできない。ギンプであれこれそうしても思うようににはならない。もっと手間を掛けるしかないのかもしれない。

それならプリントした絵をデジタルデータに撮った方が早相だ・・などと試行してみる。あまりうまくいかずフリーソフトを手に入れてもみたが、ギンプの内容とさほど変わらずだった。

■午後、フォーラム福島に『野火』観に行く。1度だけの上映で25人ぐらいは入っていたかもしれない。

■FB投稿

2023年の敗戦記念日『野火』を観る。
陽が傾き部屋の中まで陽射しが入るようになり秋もそこまでと教えている。8月 15日は敗戦記念日なので太平洋戦争に関する著作物を手したり、関連映画などを観たりするのがよさそうだ。特に福島県民は福島第一原発が3・11で電源喪失したことで現在も手に負えない状況、ゆっくりと核爆弾が爆発し続けている有様に似ていて、人手も金も人心も、12年間ですり減っている。
福島県民の多くは次の戦争が始まれば日本列島の原発が狙い撃ちにされ、各所・電源喪失で戦争どころではなく、てんやわんやさと思っている。俺が日本を狙うならそれを目的に簡単なミサイルを撃つね。日本を潰すには核爆弾や高度な兵器など要らない、原発の電源を喪失されれば、現在の福島県内同様に日本の各地は核廃棄物に汚染され尽くす。おまけに太平洋戦争当時より食い物、自給率はぐーんと下がって、農家の数も激減させてしまった。喰い食い物がなくなり兵隊が餓死ではなく日本国民が餓死するだろうことは容易に想像できる。江戸の飢饉どころではない令和の飢饉が現れないようにしてほしい。そうなれば戦争遂行能力はなくなるは各地の原発から出続ける核廃棄物の対応に負われ、食い物に探しに負われ、財政や人材のほとんどがそこに注ぎ込まざるを得なくなるだろう。
だから・・一生懸命、福一で廃炉措置訓練しているのか?と馬鹿な問いも浮かんでしまうほど、防衛費を増やすなど狂っていとしか思えない。そう凡庸な俺でも優秀な福島県民なら、なお想像することだろう。兵器を買う前に外交せよ、近隣諸国との友好を保つために働け政治家諸君と言うはずだ。
今日の映画は『野火』を1時間半ほどだったけど、途中すこし飽きたが、それでもじっくり観たみたね。(原作:大岡昇平作、塚本晋也監督作品。主演塚本晋也、脇:森優作・リリーフランキー)日本の兵站が破綻してて日本兵の死骸の人肉を喰らい生き延びた兵士の物語。それを怪奇映画に腕のたつ塚本監督自身が主演していて、周囲に多量にある死骸の細部が微に入り細に入り恐怖と凄惨と悲劇を煽る。つくり過ぎてリアルを突き抜いてしまい、コミカルな滑稽な絵作りにも見えてしまうほど。美しい自然と死骸やぼろ泥まみれの日本兵のみすぼらしいさの対比(演出だが)。映画の中の大気と大空と水の美しさが悲劇をさらに強くするように絵作りされていた。実際の太平洋戦争の様はどのようなものだったのか、叔父や戦争体験者からは聞いているが、絵が浮かばなかったし、塚本監督の絵が戦争体験者の見た戦場だったかはわからない。美しい自然のなかで兵站が初めから無かった日本兵が仲間の死骸である人肉を食し生きながらえようとするも餓死する。原作者の大岡昇平氏は生き延びただろが、生涯あの戦場の現実ににうなされ続け止むことはなかっただろうと容易に推察できた。戦争などしてはならない、生き残ってもみな悪夢を見続ける日々に襲われるだろう。
塚本監督は映画の冒頭で「戦争体験の無い人に不用意に戦争に近づかぬため、戦争はどういうものだったがか?この映画を観てそれを知る機会にしてほしい」と語っていた。
岸田さん太平洋戦争の実態を知らないあなたも観るべき映画です。次の戦争は南洋の島々での共食いではなく、国土に暮らす国民の餓死や共食いにまで至りますよ・・・そのように塚本監督は言っているような気がした。岸田氏は俺は戦場になど行かないから知らんわといいそうだからコワイ。

塚本監督は高橋哲也氏に似ていて気が逸れてしまって、高橋監督さんと呼びそうになってしまった(笑




 8月14日台風の影響で断続的に雨南から蒸す風は入りむしむし。

■2階の物の整理をほぼ終えたかも、同時にデジタルデータなども整理している。さらに整理しながら冥途土産設計をあれこれ思案している。何かを同時にするのが気持ちよくなる老人。さっぱり整理つかないのだが、何とか成るのでいい。

■ FB投稿

子供と夏休み(古アルバム・ネガデータ整理中)燧ケ岳きつい!
夏休みだ山登り1985年頃かも・・といえば福島県に暮らすなら「尾瀬」周辺の3泊4日の登山だな。製図台を抱え、ドアからドアへ車に乗って移動だけの俺は尾瀬に行くと毎度グロッキー家族の皆から大いに馬鹿にされは笑われるは散々であったが何度も行った。福島市からは尾瀬は車で東京へ行くより遠い。沼山峠から尾瀬ヶ原に入るのが比較的いいかも。2日目、3日目はグロッキー敏ちゃん

ネガとアルバムをデジタル・データにしおえたかも。家人の子供の頃のから整理抜群コンメント入りアルバムの充実ぶりに圧倒されながら。俺、子供の頃の写真ほとんどねーじゃん(笑)

■ 庭に壷を置く
いける花を買う金もなく、野に咲く草花をとりにいくと蚊に襲われるので空っぽの壷、キジバトが来て賑わう

 熊本震災ミュージアム o+H 
 









8月12日 つたり 台風のえいきょうなのだろう、不安定な天候
             2階も蒸し暑い。
■my長女の誕生日なので、ビールで家人と乾杯する。メッセージも送り、ドイツでの仕事は楽しいなど、好ましい応答もあった。不満は日本語の本屋さんと刺身を売っているお店がないことだそうだ。ドイツ人は刺身を食べる習慣がないようだ。沿岸に暮らす人々もそうなのだろうか??分からい。日本の刺身や寿司を食べるとドイツ人といえど美味くって鮪くうようになるのではない。、

■朝から2階を掃除しながらあちこち整える1日。2021年4月、19日、村上亜沙美さんにいただいた各種資料をようやく見つけた。

■FB投稿

早朝から屋探し、見つけた。こんなところに隠れていたよ。
街角製本所を営む村上亜沙美さんからいただいた各種フリーペーパーと本を探し出す。web記録の頁はこれらの画像をはめ込むと理解しやすく目にも楽しくなるなる。

■11日のFB投稿

辻琢磨さん記録作成中 「街角製本所」でワイワイ版できた
浜松市は初体験だ。「みかわや」と名付け空き店舗をみなで借り、改修。シェアし食堂などの活動している。隣には静大の学生さんも3人ほど住んでいて2階では陶芸もつくるなどワイワイ協働しているそうだ。





















8月10日  

辻さんとワイワイした記録に絵を付け続けている2日間 暑さも峠を越したように思いたいが・・・
■9日は家人と近所のスーパーに食材買出しにいく、往復1時間チョイのよき運動だ。


■FB投稿

15年前発行されたLRAJフリペを引っ張りだした(笑)
日に晒さないようにしているのだけど更けた。この絵を辻琢磨の聞き取り記録に付けるため。だいぶ変色してしまったよ15年だものな・・・。

■昨日のFB投稿

my長女よりドイツにある戦闘機博物館などの写真届く
この絵は古い飛行場をいかした戦闘機博物館だという、別に屋内博物館もあるらしい。
■ここ数年はドイツでも日本のような混乱はなくても新コロナ対応に明け暮れ医療現場は大変そうだった。が、医学部も新学期前・・夏休みのようだ。10年以上暮らしているので余裕ができたのかも・・・ドイツ内の各種博物館めぐりをしているようだ。日本でも例年8月は太平洋戦争関係のニュースであふれる。日本ではゼロ戦など戦闘機博物館ってないね。ドイツには屋内博物館もあり輸送列車も整然整と保管しているそうだ。■帝国主義の時代に一気に逆戻りしてしまったので、武器を買い集めても気ちがいに刃物の日本では危なすぎる。で武器を買わずに太平洋戦争資料館を今からでも造ったらどうだろう、そこで戦争の実態を知る。■戦争の悲惨さを知るためにも靖国神社傍の「遊就館見学」お勧めします。

311以降、特に記録に対する日本人をふくめ機関も意思の弱さにすこし呆れ気味。記録や物が保存しておかないと反省と検証のしようがないよ、気分と感情で済ませるのかも

台湾海峡有事をあおられてミサイル買う金が無駄すぎるし、台湾と中国の内政問題になぜ首を突っ込まなければ駄目なのか理解できない。スーパー食品売り場や衣料品のなどちょっとした物販店に行くと中国との交易がないと生活が成り立たなくしたのは政治家日本政府自身なんに、中国と戦争する理由はない。なら政府や防衛関係者は気がくるっている、あるいは米国の軍産複合体脳に汚染され毒が回り切っているだけだろう。死ぬのは日本人米国は武器を日本に押し付けて大儲け、明治維新以来構造は何もかわらず米国に益を吸い取られつづけ、政府は飼いならされているあり様だ。何とかしろと言っても米国の思うつぼか


8月8日 ときどき雨。蒸し暑い。

午前中、近所の量販店で食材などを家人と買いだす。他は昼寝をはさみ文字起こしする。

my長女からメッセージ多数入っていた。夏休みなのかもしれないベルリンにいるようだ。
■FB投稿なんもせず





8月7日  今日は風があるも猛暑

■午前中町に行き雑事を済ませる。午後本の整理をする汗だく。

■FB投稿

人生初文字起こし記録。篠原一男さんの講演@「直方体の森」
1995年12月2日2時間の講演録。PC買ってはじめて文字起こしの記録が出て来た!懐かしい。たしかPC使い方分からず2ケ月ぐらい掛かったような気がする。■篠原さんが横浜の船着き場を取れず、ハウスインヨコハマは解体に遭うなど辛い時期の講演だった。懐かしいこの記録を皮切りに独立系建築家30代他者推薦の肉声を文字にしだした懐かしい記録

好ましい話が多かったので記録公開を依頼したがとうとう果たせずだった。勝手に公開してしまいたいが・・・・もう少しまとう
絵本作家兼絵描きさんの田島征三さんと知り合い、東京都下の焼却灰置き場を設計し、石原都知事へ代案をだしこといなる出会いがあった建築でもある。田島さんは俺がフォーク歌手・小室ひとしに激しく文句を言ったのを見て焼却灰置き場の代案作成を頼みに我が家まで来た。変なオジサンだった。


我が家には肉筆の絵がある(40万円で買った家人が好きな絵)田島さんは女を垂らす手法が優れていて俺は呆れたし絵本作家はこの技ながいと本が売れないよな・・・とも思った。絵本作家は女性にもてる!建築家はモテナイ(笑
直方体の森は友達の実家だったので、それを美術館に用途替えをした。などいろいろ相談の乗った。建築系学生の見学の態度の悪さは持ち主を苛立たせていて解決しにくい問題の一つだった。建築系学生はマナーが悪いと言い続けていた・・今はどうか知らない。


直方体の森 絵はwebより、この住宅の2階に何度も泊めてもらった。美術館に変更してからは後ろの自宅は借家などに泊まるようになった。建築家の設計した家に泊まる率高い俺かも。O邸は1月ほど前に、渡辺菊眞さん自邸は10か月前に泊まった。泊まると建築家の住宅は何かが分るのでお勧め・・。

汗だくになり本の整理する
人生の仕舞が見えてきた・・・で本の整理をしよう!・・・暑い中整理し始める。さほどない本だが仕事場をたたみながら建築系の多数の本は棄てた。まだ残っている本を選び出しやすくしよう。聞き取りでいただいた資料もたくさんあって乱雑すぎて取り出しやすくしたい・・記録つくりながら、資料も整理する。料理の要領で出来た時には片付いている・・それをめざそう。







8月6日  今日も猛暑であった。庭の桜に蝉がたくさんとまり蝉時雨の夕刻

暑いので外出せず、辻さんと語り合ったWEB記録をつくる。途中昼寝もする。

■FB投稿

今ごろかよ!記録作り開始「辻琢磨さんと1泊2日@浜松市」
2022年10月7日から辻さんの家に泊めていただき、辻さんの過去の仕事と暮らしぶりを体験しました。今ごろかよ!そのながい体験記録を作り始めた。2022年は長い記録が多いが、辻さんの記録が最大最長なんじゃないかな・・。
■福島市の我が家は今日も猛暑なのようだ。外の寒暖計38度。まだ気温上昇中なので家に籠り記録作り。
投稿した絵は初期の仕事で浜松市内の陶芸屋さん。洞窟ないであるかのようのうに・・・自然光の操作が辻さんらしいような気もする。








 8月5日  福島市39.1度伊達市40℃の猛暑だった


午前中は「護福まち計画」を考えながら、資料を読み込む。淡水湖も計画しようと思う。浮遊タンクも計画した方がいいのか迷っている。
午後辻さんとのワイワイ6時間弱のうち1時間分を文字にする。

■今日のFB投稿

聞き取り記録作成中の原田祐馬さんも推してます!ギャラ間での家成俊勝さんと仲間たちの展覧会。「ドットアーキテクツ展」
■7月4日「森純平+家成俊勝+岡田栄造+所員の方々+佐藤」とで「雑談」会ひらきまいした。その記録は今年中にできるか?不明ですが、その前にぜひ物をご覧ください

「F1汚染水プチ史」(福島民友新聞社が全国で最初の記事)
のために12年間に集めた汚染水に関する資料を見比べてみている。最も充実している資料は東電から配られる資料(原子力学会と県民会議で配布される資料が分厚く内容も細かく納得できる点も多い。しかし思いもよらぬことが書いてあって、楽観的で嘘つき・・だが「護福まち計画」を作図するには欠かせない。なぜか、エネ庁、規制庁の資料は東電に作成したもらったのか?・・貧相のうえ広報が主で技術的な問題が詳細に東電を指導している資料になっていない・・・と思う。
■公文書開示申請し情報開示された、東電から福島県への「排水基準を超える放射性レベル線レベルの海洋放出について」は2011年4月4日となっているが、民友新聞より遅い・・本当か?お茶を濁した資料だと邪推しておるよ・・・で汚染水の表記は無い。
■マスコミ最初は民友新聞。記名記事ではないので記者の名前が分らないのが残念だ。最初に記事をスクープした記者は現在も民友に勤務しているのだろうか?あなたが汚染水と表記したことで一気に広まった・・そう思う。基準値超えの水と書かなかったことで12年間生き続けた「汚染水」







8月4日   昼前後に雷おきそうな空気だったけど起きず。

午前中、護福まち計画をすすめようとしたが、猫が製図板で寝ているので諦め、辻琢磨さんとワイワイした内容を文字にしだす。5〜6時間ありそうだが、こつこつWEB頁にしていこう。

■my長女よりメッセージあり。7月から病棟チーム配属になっていろいろな患者さんと対応しているようだ。で、ドイツの患者さんから花束をいただいたと知らせがある。ドイツも日本も同様いろいろな人がいる。人種差別せぬこと感謝の心を忘れないことは万国共通なのかもしれない。

■ FB投稿

猫も気に入る「護福まち」計画??
8月に入るととたんに猫が製図台をベット代わりに1日中寝ている。・・・スフィンクスにならって護福まちに猫像を造れと強いメッセージを発しているのかも・・「核廃棄物と黒猫」猫があきらめるまで考え続けてみよう。


 8月03日  正午過ぎ激しい雷と少しの雨あり

午前中、原田祐馬さんの記録を見直し、加筆などをお願いする。

■午後、護福まち計画を再開する。いろいろ資料を読み込んでいる。汚染水の問題は400立米から150立米に減少したとはいうが、基本は何も汚染水対策の問題がままだというしかない。海洋放流を決めても残70%とフィルターなどの核廃棄物は溜まってしまうので、いずれにしても敷地からあふれ出すしかない。12年間分っているけど何も対策が立てられない、東電と規制庁。政治の力が要るのだが、だれも不人気まちがいなしの政策を率先してやる政治家は現れない。 (汚染水に関する要点など

■FB 投稿

全部屋に朝陽が射しこみ続け今年40年目の我が家(へや北面が朝、輝く)
トイレや地下室など全ての部屋に朝陽が射すようにした、40数年前の設計だが今日もどの部屋にも朝陽が射し風が通り抜け、物干し場が見えない。何も変わらない陽射しの様。台所と食堂に朝陽がさすのは気持ちがいいのでお勧め。トイレ洗面も同様。人は太陽とともに変わらす淡々と暮らすのが平凡だけどいい。ぜ

日々酷使する物干し場を設けるのはおもったより・・・






















 8月2日  すこし暑さはやわらいだかも。

昨夜は夕飯後すぐに寝、12時間も寝てしまう。暑さ負けしていたのかもしれない。

■原田祐馬さんのWEB記録を仕上げる。

FB投稿

森の家には遠いが、木陰が猛暑を和らげている我が家
猛暑がもどったように気温上昇中
野鳥も集まってくる木陰があるといいよ



■昨日の投稿

15年ぶりに原田祐馬さんに聞く2022年10月記録できた。15年前は独りぼっちの事務所だったが若者にも人気のデザイン事務所になっていたのが嬉しい。相手にしてもらえるものいい。
■この間、9ヶ月間作業をサボっていたわけではないが、聞き取りweb記録づくりのスピードが落ちていて、老人らしいような気もする。いろいろ想定外のことも起き、無駄な時間も費やしたと言い訳せずこつこつ記録作ろう。昨年音撮りした各種雑談はコロナかなので何でも貴重なのだが、多量に音源はある。今年の分を記録し終えてから考えよう。

新型コロナの下からうまれた『One Day Esquisse』は若いデザインを志す人には必読書だと思う。ここから始めよだいい本が刊行されていたね。2020年11月発行

飼い猫の寝床?猛暑続きなのに毎日気持ちよさそうに寝ている
おれの製図版、「護福まち計画」は猫の寝床になっている。急ぐことでもない作図だし