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  2015年 10月の日記
  

   

 

 10月31日   11月の日記へ

県庁の新関さんに古建築調査のお誘いを頂いたので、参加する。吾妻山真下とも言える温泉宿の調査だった。 標高が高いので市内より数度は寒い、冬ごもりのため部屋にはカメムシが大発生していた。今年は異常に発生してると、貴重な建築資料を出しながら宿の親父さんは話していた。

 古建築を登録文化財に登録したりするため、公務員の休日をいかした自主活動に主になってしまうようだが、新関さんはまとめ役として有識者や施工専門家と連携し調査活動を実施し登録申請までの全体を指揮されている。 若い大学生も2名参加しされていて頼もしい。 

 新関さんは長年古建築の発掘や登録申請の活動などを行っていて、尊敬すべき建築人の一人。



 10月30日 

家人の誕生日が明日なのだが、学会があるので前祝いと称してプレゼントを持参しmy長男。 家人大喜び。4年ほどへた2階の引き籠もり生活も脱し平安な生活になりつつある。
 毎日編み物をしている。作品がどんどんできる。指先と編み目を数え脳も使うので長生きする予感。

長年の病と付き合う暮らしだったのでようやく平凡な様にすこしホットしている。まだ後始末をしおえてないので済ませ、来年春からは活動をはじめたいと 思う

 10月29日  今朝 作業部屋から吾妻山を眺めたが雪はなかった

 すこし余裕が出てきたのいろいろ作業。

水野和夫さんの『資本主義の終焉と歴史の危機』は数年前に発売されている。当時の動画を聞きながらネガスキャン。  (pcに動画が表示されない,タグを埋め込めない、でURLを貼る通勤の友に、睡眠誘導にといろいろ活用できます

投資先を探しつづける巨額の資金が世界中を駆け回りる状況は続いている。

 住宅用資金スーパーふらっと35という住宅資金をつくっても借り手がすくないらしい。投資意欲がなくなっている現在。日本国内では投資先がないのでゼロ金利が続き財政赤字1000兆円をこえるなかスーパーグローバルゼーションイにどのように対応し、生き抜くのがいいのか。山下範久氏と語り合っている。本の解説

 脱近代をどう生き方をすればよいのかが示されてておもしろい。(販促よう公開動画だから おもしろく語る・・それ分からない)

 1970年代から脱近代社会が現れだして(my子育て真っ最中にプラザ合意後の狂乱、85年から90年のバブル経済とその後の崩壊し、就職超氷河期やポストドクター問題も体験) 2008年のリーマンショックで近代が終わったことを知らされた。だが、今でもまだまだ近代の成功手法を捨てきれず、工業製品を沢山作って儲けて楽し、みんな頑張ればなんとかなる、と無責任な事を政府はばらまいている。時代錯誤の発言が多い。こう言って目先をごまかすしかないのだろう・・。

 近代化の政治手法は格差拡大し続けるので 要・社会立て直し状況に合ってない。原発事故から再稼働への経緯で誰のために再稼働するの?でいっそう深く思い知ったはずなんだが。

 脱近代をなんというのかまだ名は無いが、その状況に合わせ準備しつつ賢く生きぬかなければいけない。ドイツの国家運営を見本にすればいいような言い回しだった。 詳しくは動画を見てもうちょいお勉強して整理していつか書いておきたい。

 1億総活躍社会だと言い放つ安倍政権は法人税を下げ消費税を上げる。労働分配率を悪化させて企業従事者をいためつける。日本公務員の数はすくないにも関わらず締め付ける。文系の学問より銭が儲かる工学系学問にしか支援しない、と通達をだす。
 相変わらず人々を締め上げている。世界の工場は中国だっていうのに、家電や車や物作って輸出で銭儲けだ〜と古い。時代錯誤ぶりは周知の事実。(兵器を輸出できるようにもしてしまったし)


 絵 内閣府pdfより 


 労働配分率7:3が社会を安定させるんだそうと水野先生は語る。来年前半は水野先生や山下先生の本を図書館から借りて勉強してみよう。 


  10月28日  やや冷たい風がふいている 秋は深まっている



 吾妻山は鉛色の雲の覆われていて山裾は時雨がきているようで 山裾まで作業机の前からは見えない。庭の木々も散り始め柿の実だけが目立つようになった。隔年で柿の実は数ががらりと変わる。今年はたった4個だけ。もぎ取り皮をむき干し柿に仕立ててみる。1月後には食べられるかもしれない。

■家人は退院後の2月は編み物三昧 の日々

今日はレース製 70p角ほどの壁掛けを仕上げ飾った。先日はセーター2着を仕上げたので2ヶ月ほどで三着のセータとレース2枚を編んだ。(普通の老女とはちがう暮らしぶりかもしれないなー)

薬を飲み続け4ヶ月ほど経ったが 少しずつゆったりと 穏やかな老女となりつつある。4ヶ月前には想像できなかった。主治医の適切な判断による投薬、相性もいい。25年来ほとんど無かった穏やかなmy日常が戻りつつある。

 この2年ほどは困難なことが続いたが my子たちや友人に支援してもらい一つ一つ解決しつつある  
  
             

■早稲田ジャーナリズム研究所の hp更新をする 第四回目のドキュメンタリーカフェ 『ヤクザと憲法』先行試写会の お知らせについて 

茨城大学から「東日本大震災と文化遺産−学生と市民が守ったふるさとの記憶−」の展示のため 石巻本間家土蔵に関する311に関して撮りためた動画と画像の展示許可依頼が来たのでOKの返信をする 展示は茨城大学図書館で11月16日から12月6日まで。本間さんの講演など多数用意されているので近くの方は講演に参加し 多数の展示品をご覧いただければ嬉しいです
 

 10月27日  

■ 午後2時ごろ市役所の方が来る。除染作業にともなう樹木伐採の費用は支払う必要がないとのこと。 関係者のそれぞれが判明したとのことだ。業者が謝罪に来ると言うも来る必要はない、しかしなぜそのような行為に至ったかなどの動機や氏名など事実を書面で出して欲しいと伝える。詐欺未遂として警察に届けるかどうかは判断してほしいとのこと。

 面倒になりそうな事に見通しが立ったので、夕飯時に家人と刺身と日本酒で一杯やる。 純米の日本酒は美味い。2合ほどのんだらいい気持ちになってしまい そのまま寝てしまう。

めも)詐欺未遂に遭! @我が家の除染作業にて
 福島県内発マスメディア言説は復興うまういってるという言論だけ〜のファジズムをつくり、本当にこまっていたはずの多様な言葉を被災者自らが封じていることに自覚できでなければ、福一原発事故災害をともに乗り越えることは不可能である そう思うのでこの2、3日我が家に起きたことをメモ
 詳細は書けないが我が家の除染作業の行為により金銭は支払わななったが詐欺未に遂あった。詳細を書き記録し人々と共有するために記録し公開したいのだが・・戸惑うこともある。(書面で記録はすべてのこしている)
 それは 東京電力福島第一原子力発電所の311による加害の全貌がわかっていないので今は示せない。それから被災者でありかつ除染作業従事者がなぜ詐欺未遂を起こしてしまうのか、動機を解明しつつ知りたい。個人の境遇による311以降の動機が果たして個人の問題に押しとどめていいのだろうか判断がつかない。だって原子力発電所の人的災害よって起きた様々な問題は国家から線引きされ、納得できる問題の多様性ではない。それらを知るためには5年の歳月は少なすぎるからだ。だから胸をはり、日本の各地にくらすmy友人の前にたってこの災害の何たるかを語ったり記述したりできない俺なのだ。

1970年末から日本列島に原子力発電所建設バブルが起きその是非は311の災害によって明らかになった。それから5年ほどでは世界の人々とその難問にある共有すべき言葉を俺自身が持っていない もっているかもしれないけれど、おれが最も悲劇多岐な事故による放射能に災害者であると 日本の誰一人として責任をもって語れないだろうし 俺の背中お押せないことは明らかだからだ

 福島市役所の担当者の方が来て 警察に届けるか否か 佐藤が決めることだという。俺が日本の人々と共有したいのは原子力災害が起きることで等しく被害者であるのにも関わらず 事故終息に当たり作業に従事することで被災者になり加害者にもなりうるという現実だ

◆15年戦争により中国侵略しその地に暮らす人々に私たちは大な大で多様な多災害を起こしたという事実を 盧溝橋事件を仕掛けた日本人たちは自覚的に知っらず命令に従い作業をしただけだ。それは無自覚であるけれど、戦後70年たてば明らかに戦争犯罪だったし。田中角栄と周恩来が1972年に交わした外交文書でも明らかなようにでる

◇明らかに原子力発電所により現実を語りみんなと共有したい。個人の生活でもつらいことがありすぎる。繰り返すが それに、正確に語りだすためには体験を経過した時が少なすぎる ので 許してもらい


 10月26日  日照時間も短くなり朝晩冷えるようになってきた、山に初雪も近そう

■多量の粗大ゴミの処分も一段落したので、地下室の片付け時に多量に出てきたネガをスキャンしている。今日で50本ほどのネガをスキャンした。今日までデータ化したのは主に1980年代の写真だ。(子供たちの小学校での行事にまつわる絵が多い) 残り100本ほど有るが、この冬の間にこつこつスキャンしてしまう予定。
 
 ネガはおおかた劣化しているがあまりそうでもないものもある。劣化があってもアイコンを観ていると 昔のあった貴重な時間が記録されていることが分かる。

■不可解な事に巻き込まれないために市に教示願い書を出す

 先週の23日の夜6時ごろ我が家の除染作業をした方がその時「立木を伐採した料金2万円を支払って欲しいと誰かに依頼された」と言いながら予告もなくやってきた。領収書をもらって支払うつもりだったが領収書に書いてある電話番号に電話すると「現在使われていません」とのコールだ。代理なのだから身分を示す免許証の提示を求めても出さない、自分の氏名も書かない。
 我が家の除染作業をした元請け業者ではない、もすかすると詐欺未遂にあっているのかも・・しれないので、代理じゃなく本人が領主書を持参し来たら支払うからと言い聞かせ一端引き取っていただいた。

 早速それらの状況を文章にし午後一番に福島市役所に出向き「教示のお願い」書として提出した。除染は国よる押しつけられた仕事なのだが市役所の担当者は親切な対応だった。時間は掛かるが調べて対処方法を教示してくれるとのこと。

 ざっと見渡して100人ぐらい市の職員が除染作業事務に関わっているように見えた。もう5年も経つのになんたることだ。


 10月25日  

■ 久しぶりのmy日記。
 家人退院後は家の片付けを続けていた。my長男に手伝ってもらい運び出した粗大ゴミ化したタンスなどは先週末でおおかたが片付いたので少し余裕が出てきた訳だ。残る処分品はテレビゲームや漫画の本となる。
 昨年からmy仕事場の品々を処分し始め12月まで3ヶ月ほど掛かった。時間を要するは指定のゴミ置き場に一気に山のように出せないので毎週こつこつと近所迷惑にならない量を出し続けたからだった。
 6月に行った家人の入院。退院が1月ほどは早まり、灯油を使ったガムテープの解体できなくなったので何とか部屋が使えるように仕立てるまで予想外に時間が掛かってしまった。毎日こつこつ少しずつ不要なゴミなどを仕事場の片付けに倣って出し続けたのだ。半年はかかってしまうことになった。
 長年生活の中にあった物を処分するのは文字に書くより簡単にできるわけでない。お金を出して集めた品々なのでもったいなーと思ったりして作業が進まないものだ、ととしみじみ眺め時間が掛かるものだ。
 しかし俺が死んでそれらを残されたmy子たちは処分することになるので、彼らに迷惑を掛けるわけにはいかないと何度も思い直し作業をした。 

■ フリーランスのジャーナリストの藍原さんに誘われたので午後13時よりフォーラム福島にて映画 種まきうさぎ を観た。4人の女子高校生が被爆地に生きる心境を綴った詩の朗読を全国各地で行ったドキュメンタリー内容だった。

上映後は2時間ほど発表と討論が行われた。主要な点は福島県内で原発事故後の心境を語り合うことが暗い話だからと避けたり、いやがる若者がほとんどなのだそうだ

また高校生の声を綴った文集は福島県内ではほとんど売れない、との発言を聞いた。他県の朗読会では飛ぶように売れるのだとのこと。幾重にも自己規制が無自覚に生まれ、自らに働き効き目を現す福島県内の哀れさが示されていた。

福島県内で原発事故に対する考えを声にだし、語り合えない状況はとても暗く重たい。マスメディアや権力の発信によって県民の声は一色の復興ファシズム化していて他の意見は暗い話なんだと封じられているかのようだ。その空気を打破しようという気分も湧き上がらずそれぞれの内部に未解決のまま溜まり続けているとのこと。

 原発事故の実情を後世に記録し残す義務があるが多くの若者にも自覚も気力も無いらしい。自らの愚かな姿を見ているかのようだった。 なるほどそういう実情 それを知った