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2015年 09月の日記 |
9月18日 たり ■今日までと明日からはまったく変わった社会になる。 今日も安保法案に関して多くの情報が流れていた。経済も自衛隊もあからさま〜に対米追従で進んでいたが、とうとうここまで来た。歴史に記録されるし主権者の記憶に残る日となった。 現実にはまだ先だろうが法的には米軍と一体になり世界各地へ出向き戦争ができる国に切り替わった。 安倍や中川が起こしたNHK番組改編事件のとき「彼らが政権を取ったらどうなるか?」憲法を改正し戦前の米追従+帝国主義に戻もどそうとするだろうなと思った。 小泉劇場型選挙では小選挙区比例代表制と政党助成金の配分権を握り総裁に刃向かえば刺客(亀井氏さんの選挙区にホリエモンを立てた例など)を立て多様な意見を封じる、ファシズムへの道が手法が拓かれた。自民党内から異論が全く出ない今日の安倍政権のようなファシズム型の政治状況まで来た。(違憲と言われほうが聞く耳もたず理が通らずもやりたいことを貫く。俗称・戦争法案を成立させるまで一気に進んだ。 主権者も憲法学者などの知性も無視し、一部の政治家がやりたい放題の惨状を見てしまい、黒船来航いらいアメリカに影響されまくるこの国を、アメリカから離れ真の独立国になるために本腰をいれて憲法を改正する道を歩み出そうと若い人間が現れるかもしれない。目が離せない状況がはじまる、もきちんと観察していこう。 ■ 小林氏の意見がまとも。保守=自民党ではなくなった。 |
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9月15日 のち 強い日射しがほとんどないこの頃。2階に移動した寝具を干したいのだがお天道様は雲間から時々顔を出す程度だがベランダの手すりに掛け干す。 2階の床面のガムテープはすべて剥がしたが糊を取り除けないので、歩くたびにスリッパが音をたてる。今日から家具に着いたガムテープ痕を灯油を少し塗り取り除き始めた。臭いがきついので一気に作業を進めることはできない。扉2枚の作業をしただけで家人は「灯油臭いのでやめて」と言う。作業を終えて見ると千切れ千切れに着いているガムテープの着いている家具より、なしの家具の方が親しみやすいし中身も見えるようになるので、亀の歩みのように見計らいながら作業をしていく。 退院後の家人は自分のセーターを編み続けている。家事もし普通のおばあさんになった。一月分の薬代が3割負担で1000円ほどだ。 ■my次男が『アルゴリズム辞典』を送ってほしいとメールがあった、買った方が安いのでは無いかと思ったが送料350円と断然安い。普通郵便で送る。 ■宮城史料ネットのインデックスページを試作するために、去年の11月に行われたシンポジウムの記録と歴史学研究増刊号を読む 史料保全に関わる現在の課題を理解。課題を知ってそれをタイル状に並べる案にしようとしている。win8もそうだしタイル形式=グリッド状に項目を並べるホーム頁が多いように感じる。アイフォンなどのスマフォ表示方法に影響を受けているのだろう。それらに倣うつもり。 項目は書き出した。課題は少子高齢化社会によって起こる後継者不足問題。活動や資金の問題。それらを社会にどうやって還元して郷土社会から支持を得た学問にするための活動とするか、専門家が孤立した学問界で立ち尽くす状況からいかに脱した学問にするのか・・・など いろいろある。 いろいろあるが史料ネットがすべて解決してくれるのね、何でも活動してくれるのね・・と誤解されないホームページすることが肝心だ。ホームページをに触れて史料ネットにすべて処理してもらえそうだと誤解し受け止められることは避けたい。 |
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9月13日 いっとき小雨あり ■午後2時から福島県庁前広場で俗称 戦争法案 にたいする反対県民集会があり参加する。総勢2500ほどが集まったとの発表があった。アピールが宣言された後50分ほど市内をデモ行進する。手を振る人が多い。いらだちクラクションを鳴らす車2台あり。 ツイッターから全国各地での集会の様子が流れていた。延長国会も残すところわずか、今週強引に採決するのか注視している。 落ちてきたなかでは広島での人文字が印象に残る (下記画像ツイッターより採取) 日曜討論で木村草太さん、最後に「議論は尽くされたか」について「多くの憲法学者が違憲としており、多くの国民も反対している。そして政府も丁寧に説明する気も無いということがハッキリしている。廃案しかないということで議論は尽くされている」と表明したとツイッターが報じていた 多数の有識者が反対を、大方の憲法学者が違憲を表明しているなかで、聞く耳を持たず、丁寧に議論する姿勢も見せず不誠実で中身のない答弁を続けている現政権は戦後民主主義が生んだ独裁政権と言っても過言でではない。 安倍広報局とやゆされる現公共放送の調査でも延長国会つづけ説明するほどに反対者が増えてしまう事実は隠せないようだ(画像ツイッターより) 戦後70年にあたり俺個人として集会やデモに参加し戦争法案に反対を表明した日として記録。実は2週間前の集会にも参加していたので2度目である。 |
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9月12日 台風一過の晴れが続かず、夕方から曇り。夜になり小雨ふりだし夜半に本降りとなる ■今日の作業。地下室にあった品々を運び出し、寝具などは2階に移動し晴れ間をはかり干す。タンス2本と家具が残っているので整理し粗大ゴミとして出だす準備を始める。地下室にある品々は子育て期間に要ったものばかり。子供が成人した今は不要な物だが処分する機会を逃していた。それらは沢山あるので一気に出せばゴミ置き場も迷惑するだろう。数ヶ月掛けて地下室をからっぽにする予定。 長雨で地下室の一部は水分がにじんで湿っている箇所あり。築30年経過したrc建築だが今まではそのようなことは見なかった。長雨で敷地周囲の地下水位が高くなり水圧で目地のあたりが湿ったのだそうと推測。乾かしてから処置しよう。快晴が続けばいいのだが。 ■午後は憲法学者の長谷部男氏と木村草太氏の師弟コンビがアオウゼにて講演だったが行かず片付けや雑用をする。明日は俗称・戦争法案反対。阻止のための全県集会が県庁広場であるので参加するつもり。 ■花田達朗先生の最新伝言「日本版9.11の一周年に寄せて」を公開する、早速ジャーナリストたちは読んでいた。(fbで既読人数が表示されるので分かる) ■近代化が始まり140年ほどが経ち、資本主義はグローバル化しとどまらず、有り余った貨幣が瞬時に株などに投資され、お金がお金を求める後期資本主義の様は、地域社会と人と人の素朴な関係まで解体し続けていると感じる。この地域に生まれて育ち、働いて良かったと素朴な幸いを感じ生き続ける者が減少してると推測している。戦争法案も一例だが、派遣社員化などのような、近代化の断末魔とでも言うような事象が多い。資本を持たない平凡人々の生活をを苦しめ続ける。そればかりか人間の行為が気象まで変えてしまって多様な災害が起きる。 今回の台風でそのことに気づいた人は多いだろう。 被災者の救援対応も市町村単位で完結させる近代の仕組みが、近代の行政の仕組みが行き詰まっていることを常総市の災害対応事例は示している。それは市内の真ん中を流れるような鬼怒川が決壊していいても、それを越えてゆけ〜的な高台である西側に避難指示を出したわけだが、東側で水浸した地域住民は 濁流を越え決壊にし鬼怒川に流れにあらがって安全な地に行ける訳はなし。環境汚染対策も気象の激変による災害対応策も原発事故対応を体験している今は広域連携によってそれらに対応しないと 被災民を苦しめる結果をもたらしてしまうことも明らかだ。 近代化の断末魔症状を一つ一つ体験し受け止め、、問題を咀嚼し新しい暮らし方を手に入れ次の世代に引き継がねば先人の努力に応えることにならないなーとしみじみ思う。やらなければならないことは多数あるができることを継続してすることが肝要。 |
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9月11日 たり 昨日やってきた台風はとても変わっていた。大陸の高気圧と次に発生した台風に挟まれほぼ北上し続けた。で雨も同じような場所に線上に降りつけ北上する。そんなことで鬼怒川の堤防が数カ所で決壊した。特にひどい常総市は全部川にでもなったかのような大きな被害だ。幸い我が家の周りは8.5水害のようなことには成らなかった。 東日本の各地に被害をもたらした台風は去り、晴れたり曇ったりだったけど久しぶりに日射しをみた気分。大げさに書けば、この一月の間雨ばかり降っていてお天道様の顔を拝んでいない。だから「気が滅入って日記など書く気も起きなかった」と。 そうではないのだが、7月末に退院していた家人は1日2錠(35円ほど)の投薬でほぼ正常女性の心になった。そうなった家人をどうやって受け止め暮らしたいいのか、さっぱり分からない日が続いていた。全身に力が入らない気力が湧き上がらない、やることなすこと脱力。まったく俺らしくない。どうなってちゃったのか分からない。何もする気が沸かないから不思議だった。 無理はせず何もしないで過ごした。自然に活動したくなるまでサボりの構えで一ヶ月ほど暮らした。 発病以来25年ぐらいだが、家人の生来の心と接してないように思う。(病の影響により俺もかなり気が変になっていたのでたぶん違うだろう、時々正常な心と接していたんだ)。で心に病をもたない女性の家人との暮らしが分からない日が続いていた。自らの無能さに打ちのめされ気力が湧かない、やる気が起きなかったのか、自分自身の精神分析の記録をきちんと書き残していない。 今日はようやく日記を再開。書こうかという気が起きてきた。少し書いておこう。 311後4年半経ったし 書き始めの切っ掛けとしてはいいだろう。 自己分析記録は長くなるので毎日少しずつ書くか、別のページに書き継ぐかも考えてみたい。 ■家人が入院した日から三月と3日だ。狂気の強力仕業だろうが、まだ今日も家人が制作したガムテープアートを少しずつ解体している。まだまだ残骸だらけだ。元の室内の様子に戻そうとしているのだが、戻るはずもない。でもこつこつと。千里の道も一歩からなので遠くにある気分の良き室内を夢想せず、目の前のゴミなどを処理続ける日々だ。 今日の作業は地下室の物を片付け処分。写真やmy長女の貴重な手紙が痛んでいず!出てきた。さっそく2階に救出。ついつい見たり読んでしまう。福島の家を出て神奈川県内の進学校=神奈川桐蔭に入学した。その当時のmy長女の心の揺れ動きが丹念に書いてあって貴重だ。 ■ つらいことも、嬉しいことも、何でも文字にして抽象化し記録しておかないと思い出せなくなる。今の自分は将来の他者なんで心が伝わらないので今起こっていることが将来理解できなくなる。で過去の自分自身の記憶が消え去る。 |
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