HOME     佐藤敏宏
      
 
  2015年05月の日記

   

 



 

 5月31日   

■ 除染後の初夏の様子を動画に簡単にまとめたものを昨日アップしたので貼っておこう。半年前ほどにwinのアップデートをしたら動画ソフトが動かなくなった。数ずつ前に古いpcを工場出荷時の状態にら動画編集ソフトが動くようになった。久しぶりの記念動画だし除染後の初めての夏の様子を記録できた。
  

■ 家人、近所の人に1万円借り、ティッシュペーパーやゴミ袋、ガムテープを多量に買い込んでいた。少し小言を言うと激しい剣幕になりカッカした言動をする。それは統合失調症の陽性期の症状状なんだけど・・止めるすべがない。

隣に謝るり少しだべる
 1)近所のスーパーからカートを持ってくる
 2)自前の荷造りひもで編んでつくった洋服は目立つ
 3)夜中に大きな音を出し掃除をしたり
  大きな声で独り言を言っているので起きてしまう

 などすこし近隣に迷惑が掛かっている。 放置しててもいいと言ってくれるのだが、2ヶ月ぐらい入院させて、落ち着かせてから家に戻し暮らしたほうが家人も楽なのではないか・・など思う。入院させようとの思いが大きくなる。
 my長男に相談のメールを出す。my次男には猫の処置についてメールする。








5月29日  かんかん照り  仕事部屋27度

 方々で起きている ようだぜ〜↓↓
■今日も朝から「WilFiがlenovoのpcになぜブロックされてしまうか?」問題解決のため対策作業をする。
 レノボのサポートセンターに電話すると歯切れが悪い。WiFiに問題があるようににおわす応対ぶり。 しかたなくモバイルスリムを検索し メールで問い合わせた
■my問い合わせ内容↓↓
win8.1搭載のthinkpadを使ってます。
winアックデート後モバイルスリムがブロックされてしまいインターネットにつながりません。
PCのサポートセンターに問い合わせましたら「モバイルスムに問題があるんだからそちらに問い合わせよ」と言われました。
モバイルスリムはwin8.1に対応していないなど、機械自体に問題があるのでしょうか?教えていただければ幸いです
こんな感じの返信が来た
■ 返信内容 ↓↓
@  無線LAN機能とMobile Slimを再起動
一度PCの無線LAN機能を切ります。そして、Mobile Slim再起動します。その後、Mobile Slimが立ち上がったら、PCの無線LAN機能を開始させると「制限あり」が一瞬表示された後、通常のインターネット接続に切り替わります。

A  PC側の無線LANドライバを入れ直す
無線LANドライバの不具合が影響している可能性がありますので入れ直しをお願いします。


どいつもこいつもたらい回し的対応であった。lenovo・pc  工場出荷時に戻す、復元作業5度目を覚悟し、@を信じて・・・明日winアップデートをしてみるか。やはりアップデートせず使い続けるか・・ しばらく考えてみよう

■使えるようになった動画ソフト画面 超久しぶりだ 
■ 古いpcも工場出荷時に復元したら 動かなかった動画ソフトが動くようになった。で動画を作ってみた。youチューブにアップしようとしたがブロックされた。mypcの設定がマイ黒ソフトやwinアップデート拒否に設定してあるからだろう。こんがらかって半月たったがpc使いたくないよ〜な気分。設定のあれこれは覚えるからよしとするか(笑)


5月28日  夕べは冷たい風がふいていたが

ウィンアップデートすると一気に動きが悪くなる。復元してもまったく動きが悪くなるし、それぞれのソフトも立ち上がらない。動画ソフトは相性が悪く立ち上がりもしなくなる。文字を打っても表示されるまで何分も掛かるなど、pcの体をなさない日が2週間も続いてしまった。
 とうとう古いPCを工場出荷時の状態にしてしまった。リカバリーと言うみたいだがmy次男がCDに焼き付けてあったが、使わずとも初期に戻った。データも長時間かかって外付けHDに保存した。出荷状態に戻しスイッチを入れてフォルダをみたらフォルダ内のデータはすべて残っていた。ライブメールの各メールは消えた。アドレスは外に保存してたので残った。まったく動かなくなっていた動画ソフトも動くようになった。
 朝からCDから各ソフトを入れ直した。 背景は今日の我が家の様子を撮り貼った。新緑が美しい。
 この半月ほど何回もPC復元作業をしつづけてぐったりした。
 ウィンドーズアップデートは拒否しないとpcがやがて動かなくなる ということを肝に命じて受け取らないことにする。 (pc動かなくなると買い換えなどで儲うかるのはマイ黒ロソフトだよ〜 疑いたくもなる) 
 


  5月27日  相変わらず夏のような陽射しつづく

■未明にmy長女ぶじにドイツに着いたとメールあり。my長男からも返信が有って安心した。ご苦労様でした
 荷物の片づけやワイワイに10日間ほど来てくれた。研究においても得意の範囲など明確になり、適材適所の人材配置にて夏にはアメリカでパネル発表をするとのこと。色々話をきいていての感想は借家の大家さんをはじめ「ドイツではよい人々にめぐり合ってよかったな〜」である。 my長女の言動はドイツの人々のそれらに合うようである。見ず知らずの大地に一人乗り込んでいって、公務員的研究職を得その研究作業も順調とのこと。
 my長男も交えて久しぶりに家族会議を開くこともできお色々解決できた。特に今後の家人病についての対応は断続的ではあったが長時間にわたり話し合うことができた。my子たちには心のめんでも経済面でもおおいに支援してくれている。感謝しようがないほど、心強いことこのうえない。
 家人も妖怪度がぐーっと下がってきて、ほうぼうにいる、出会う、変わったお婆さん度もあるが、快活に生きている(元気なのは陽性期の症状なので、変な妄想もある。が生活に支障がない)
■早稲田大学のジャーナリズム研究所からから招聘研究員用名刺が届いた 

今年はじめに除染作業してもらい植木などなくなってしまった殺風景な物干し用中庭にナスとトマトを植えたが、何日も続くカンカン照りで根付くかどうかわからない

光接続部位が無い新pcはWiFI (モバイルスリム)接続で動きだすのだが、winのアップーデートするとWiFIがブロックされてしまい、インターネットが使えなくなる。そのたびに1日かけて工場出荷状態に復元してから各種設定を行うことになる。4度目の復元と初期設定を午前中行い、プロバイダーとの接続とメールの受け取りができるようになった。ぐったり。
 今日からはアップデートを行わないで使い続け様子をみてみよう。またまた、モバイルスリムがウィン8.1によってブロックされるようなら、どうしよう。 やはり復元作業しか方法が無いのかな〜 勉強してみよう。




 5月22日  

■昨夜のこと
 15日にwinアップデート後 旧pcの動きが極端に遅くというよりほぼ作動しなくなっていたので、工場失出荷前の状態に復元すようと決意した。復元するとすべてのデータが消えしまうので、とても遅い作動を相手にデータを保存し終えたのは真夜中だった。
 目を覚ましpcを動かしてみると原因は不明だが以前のように操作がスムーズにうごくではないか!
 原因がわからいので困る。時々作動しなくなる可能性があるので作ったデータは保存しておくことが肝心のようだ。すぐ忘れて怠りそうだが。

■仙台版だが公共放送のニュースになっていたので記念に中身をコピーしておく
  東北工業大の竹内先生によるネパール地震の報告会
 ネパールで起きた先月の大地震のあと、現地で支援活動にあたった東北工業大学の准教授が20日に仙台市で報告会を開き、仮設住宅を建てるための竹やビニールシートなどの材料が必要とされていることを報告しました。
報告会を開いたのは東北工業大学の竹内泰准教授です。
竹内准教授はネパールで大地震が起きる前から、現地の文化や人々の暮らしについて調査を行うなど交流があり、先月30日から、今月9日にかけて海外のNGO団体と共に現地に入りました。
20日夜の報告会で、竹内准教授は被害が大きかったカトマンズ市やパタン市などで▼空き地にテントを張って生活する人の姿や▼家族を失った人が髪の毛をそって喪に服している様子などの写真を使って被災地の状況を説明しました。
また、農家が多い地域では食糧が枯渇している様子はあまりないものの、仮設住宅を建てるための竹やビニールシートなどの材料が必要とされていることを説明し、「現地では生活環境を整えることが何よりも重要だ」と述べました。
報告会に参加した学生は「ネパールへ支援に行こうと思っていたので、現地で何が望まれているかがよく分かり勉強になりました」と話していました。




 5月19日 昨夜降ってた雨上がり午後から

■昨夜作業していたら、数日かけてデータを入れた新pcがウィンドウ8.1アップデート後にwifiがサーバーとつながらなくな原因はファイアウォールの設定が接続をブロックしているとの表示がでた。いろいろ設定を操作してみたが深夜になってもつながらない。諦め寝た。

 午前中に近所のアイティー教室へ出向き設定をしてもらった。3500円だった。   家に戻り確認するとpcをリフレッシュしただけだった。それでもソフトと入れたデータはすべて飛んでいた。PC故障ではなくデータのミスマッチ、相性の悪さで偶然起こると言われた。
 中途半端な処理だったので工場出荷の初期じょうたいに戻した。最初にライブメールを契約しているプロバイダーhpに出向きソフトと各myデータをダウンロードし入れた。次にホームページと転送ソフトを入れ直した。その後転送そふとのデータ入れを行った。
 その後、クラウドメモ代わりにしているのでフェースブックとツイーッターにアクセスし書き込んでみた。パスワードはすべて忘れていた。また壊れそうな気がしるので再度初期化しても困らないようにメモを書き残した。
 つぎに問題が発生し解決できないときは工場出荷の状態にもどすことにしよう。



 5月18日  のち 

新pcのwin8.1で現在契約しているサーバーからのメールの受け取り方、設定の仕方が分からず8.1マニュアル本を買ってしまう。見てもわからず長時間挑むもできずぐったり。イライラしてしまったが・・はたと契約サーバーのサイトを尋ねたら変更のしかたが出ていた。自動的にライブメールソフトをインストールでき、契約サイバーへの設定も自動で処理してくれた。新outLookメールは表示が大げさで使いにくいので一安心。 
 動きがとても悪い旧パソコンからアドレスは抜き出すことができないので、とりあえず手打ちや返信時に保存していくしかない。
■新pcへ画像や文字のデータをコピーを保存したり作業がたくさんある。こつこつこなしていこう。

■家人の見守りは俺だからできている。裏返せば俺しかできない無茶な行為をしてmy子たちに迷惑をかけ続けているのだろうか?。家人の姿を見て思う。
 病院に閉じ込め続ければ死んだときに自由な時間を与えなかったなと悔いることだろ。入院させず家で見守れば毎日が辛抱たまらん時間が家人が亡くなるまで続く。どちらも茨道だ。やはり無茶な俺だと自覚する。その感情は日々揺れ動き寝ても覚めても考えてしまう。すでに俺が精神疾患者なのかもしれない。そして身近な者へ害をまき散らしているの??のようだ。

 5月17日  さわやか〜五月晴れ

■午前11時15分仙台空港にmy長女ドイツから到着。昼飯を展望室そばの和食屋に行き蕎麦とかつ丼セットを食べる。
■my長男の家に13頃着いた。長男は布団に潜り込み起きられないのか口をきかない。不明だがどこへ行っても俺は消耗するような星の下に生まれているのかもしれない。口をきかない長男はこれらも困るんだが・・まずは台所回りのゴミを片付けだし、使いおえた食器を洗い夕飯の準備。 食材が無いので街中のスーパーに買出しにでかける。
 鯵の干物卵焼きとサラダジャガイモと味噌汁の夕飯をメニューをつくる。my長男は離れた場所で食べる。小さい時分に頑張りすぎて十分に甘えてこなかったように幼児かえりに・・・でもなったような気配。時間をかけてもいいので元の明るいmy長男に戻ってほしいよ〜 気長に見守ろう。
 my長女と今後の家人の対応を話し合う。
 1)俺が生きている間は家で看守つづける
 2)俺が死んだら病院に入れる
 3)精神科の先生に相談するのがよいだろう
そんなことを話し合い遅く福島に戻る 



 5月15日  

 winプログラム更新の後 pcの作動がめちゃくちゃ遅くなり困る。原因が分からない 直し方が分からない 
 しかたがないのでmy長男にいただいた父の日pcに切り替えてしまおう・・としているがwin8.1 使い始めて半年ぐらい経ったがまだ理解できていないので骨が折れる。覚悟を決めて本格的に使いこなそうと気合を入れてみる。まったく精神論では通じないわけだがしかたなし。



 5月13日  台風が温帯低気圧にかわるも風強く、黄昏どきにやむ

■ 朝6時13分に東日本大地震の余震があり震度3ほど揺れる。岩手県内で震度5強の揺れがあったそうだ。まだ余震の可能性があるので注意したい。

■ 家人は明るく生活していて言葉数も多くなっている。だが、意味不明の場所にガムテープを貼りまくる作業に明け暮れている。心が安らかになるのなら家中ガムテープで貼り尽くされるのもしかたのないこと。とは書いたのだが理解不能、俺には止める手立てがない。

■ 2012年11月に布野修司先生からいただいた『建築少年たちの夢』を2日前から読みはじめる。311後ようやく落ちてついて建築系の本を読むきになったように思う。読んでいると心が落ち着く。不思議だ。
 布野先生は2才年上であり渡辺豊和さんとの交流もながい。京大着任講演会のときに、俺は偶然だが渡辺豊和さん建築を片っ端から観るため奈良の渡辺邸に泊めていただいていた。「一緒に行こうか」と誘われ講演後大阪で呑んだ記憶がよみがえる。そこで多くの建築仲間に巡り会ったことが懐かしい。
 3年前に久しぶりに県滋賀大に呼ばれ再開した。そのとき頂いた本だ。
 どいつもこいつも建築好き〜だぜ。 福島には共に建築を語り合える人がほとんど居ないかったのはとても残念である。一人で考えていても建築は面白いよ。少しずつmy建築のことを考えていこう。

 屋敷の除染作業が終えた後からぐったり感が吹き出て、意欲が湧かなかったが本を読んでいると少しずつ昔の環境が再現されてくるような気がして嬉しい。 311以前の日常が少し戻ってきたように感じて嬉しい。
 放射能によるぶらぶら病なのか男の更年期障害なのか?近頃めっきり他者と交流しようという気が薄れたと感じる。だけど、この状態を脱して311以前のmy活動など取り戻していきた。そう思った



 5月10日  気温下がり風が強い一日 

母の日my子たちから家人へメッセージ伝言がとどいたいてので、伝える。喜んで長い時間対話していた。他者との人間関係が無くなってしまったが、家族に思われている家人は仕合わせものである。「伸び伸び楽しく生きている」と話している。年老いたせいであろうが「すぐ眠くなるので寝るの」とも話す。ぐっすり眠れるのはよい傾向だ。
 近頃では普通の会話が成り立つ時間が長くなっているように想う。幻視なのかも知れないが、ゴミ袋とティッシュとガムテープにお金を費やし汚れを取りつづける暮らし方かをやめることが出来ないようだ。 コンクリートの壁は汚いと感じているようである。そんな住宅に暮らす生活が無理でガムテープアーテストになったようにも思う。my身から出た錆なので気長に付き合い崩れさり生活が破綻しないように看守ろう。

■ 台風6号が近々日本に上陸しそうだとか。気象庁の予想進路図を貼っておこう。温暖化で海水温の上昇が影響しているのだろうが5月に台風が来るとは驚きだ。今年は頻繁に台風上陸しないといいな




 5月09日 のちひさしぶりの

■完了検査で高かったようだ。昨日の午後、作業員が来て「放射能防御のため欅の根回りに土嚢を積み」ますと。許した。
 今日は雨にうたれても野バラも咲きだす庭。除染作業で庭の木々も地べたもくりくり坊主で咲く物少なし。バラも咲き出す。抜根するようお願いするもならず。放射能は土嚢がへたれてもあり続ける。所在を知り近づかない セシウム都市の暮らし方、作法か。

■放射能が人体に与える影響については未だ解明されていないのだが6説ほどある。(1)生涯100ミリシーベルトなら安全(2)年間20ミリなら安全 (3)年間100ミリでも安全(4)わずかな放射線は身体によい=ホルミシス説(5)放射線の影響はくよくよしている人に来る (6)ほんの少しでも恐い=ゼロリスク。

 自分で決めるしかないのだが。国と東電が原発事故以前の環境に戻す努力をし終えてから行政と住民が話し合いで「許容するしかないよね値」決めるのが良いと考える。しかし現在の除染作業は市町村それぞれが環境省の下請けの構図でで進めている。作業員も県民が多いので福島に暮らす被曝者同士がののしり合い+虐め合う構造になる、で物が言えない。その状況を意図して作ったと思う。ここらを解決しないであれこれ言っていても不毛な時間と状態ができるだけだ。明治時代のような統治方法に変えようとしている現在の政府に要望しても受けてはもらえない。住民自治を想っても果たせぬ不毛感が湧く。 幾重にも被曝者は無力感を味わうことになる

■強制避難させられ故郷に戻れない、見通しが立たないなか自殺者や関連死が止まらないようだ。放射能で荒れ地にされた家屋敷を思ったり、伴侶に先立たれ孤立感を増した末に死を選ぶのかもしれない(← 推測で因不明

 人は一人では生きていけない。人は関係をつくっても傷付け合う。家族や知り合いの間での殺傷事件はあとを断たないことも知っている。豊かな人間の関係を自らつくりだし、維持し続けよとする日々の暮らし方(努力じゃない文化かも)、そこに生きる意味が立ち上がるように想ったりする。

そうは書くものの、豊かな人間関係を作り維持することはたやすいことではない。 病の家人とのよき関係を日々作りつづける営みに疲れ切ってしまうこともあるのだ。生き続けことはハードだ。老人にも容赦なしだが俺は生き続けるよ。

セシウム都市福島に生き続けることはやがて来るだろう日本各地の未来都市に生き続けることに似ているからさ



 5月07日   さわやかな風と時折強い陽射しあり

■除染した中庭に野菜で植えようかと耕している.。が、桜と竹の根がびっしりでそれらを取り除くために作業をまずするしかないトホホ土である。来年までにまあまあの中庭畑ができればいいだろうと緩く休みの方が長い〜 時々耕し始めた。

■ちかごろはご飯を炊いて食べるようになった家人。脱インスタント食による食生活が数ヶ月続いているのでか? 対話内容の妖怪度が下がって普通の女性の話す内容になってきている。 ジャンクフードのせいだとは思うが体重は高校生の当時より10キロ増えていているとのこと。皮下脂肪が付きすぎてんだろうか?合う洋服がないのだろうか?荷造り紐を編んで服をつくり着ている。 荷造り紐が気に入っていると言っている。世界でただ一つの洋服だと自信満々。ガムテープインテリアに合うかー・・・

 体重計を出してきて測ってみた。my体重は57kg。高校生時分にほぼ同じだ表情は老人化進む。


■1月に除染が終わったが、色々考えてもなかなか気力が満ちないので、この数ヶ月ずーっと「元気が無いね」と言われているんだけど。やる気が出ない男の更年期症状か(笑) 無理せず気力充実するまで待っている。春のさわやかさに誘われるように少しずつ元気が出て来ているように感じる。 まぁ老人なので出来ることをコツコツやっていこう  






 5月06日  信夫山も新緑に包まれ美しいが放射能もある

増田レポートの腹の底、真意を知るための講義動画が落ちていた。地方の消滅は本当か? 人口減少は自然現象ではなくブラック+グローバル企業に奉仕しつづける規制撤廃による政策にって地域を消滅させ続けていると語っている

マーガレットサッチャーさんは一方、大学時代にはフリードリヒ・ハイエクの経済学にも傾倒していたそうだ。大学時代に培われた経済学に対する思想が、後の新自由主義(ネオ・リベラリズム/Neoliberalism)的な経済改革(いわゆるサッチャリズム)の源流になったと言われる。日本では中曽根の国鉄解体、小泉の郵政民営化、竹中+オリッXによる製造業への派遣やりたい放題によって地域社会とそこに暮らす人との富は東京に吸い上げられつづけている。現在はTPPやFTAによ安倍氏は地域社会に死を言い渡しグローバル企業にための政策が盛んである。

そんな状況下で増田レポートは地方の切り捨てに旗を振っている。東北では松下塾での宮城県知事が地域を死に追い利続けているのだが 「あんたらの言い方ごまかしやと」異を唱えているのが岡田先生だ。
 4月22日に貼った岡田知弘先生の講義の前半部分が公開されたので左の欄に貼っておく。 やや長い画 下の動画の方が岡田先生の全体の論の主旨が分かり易いかも「地方消滅」ショックドクトリンと新たな道州制導入論:岡田知弘教授講演




 5月05日  快晴 時々強い風もあったが夕方静かになる

■ 病の家人は「避難させた」と語り食器や寝具を2階に隠しもっていたがネコ臭害に遭い、臭さに閉口し物置に捨ておいた。ネコ臭が鼻をつくきたまらんのだが、この快晴を活かし、食器などは綺麗に洗い落とし離れに保管した。家人は数年すれば自分が捨てた事も忘れてしまうだろうから、好き品々なので出して使おう。
 洗濯したが猫臭が抜けない寝具などは可燃ゴミとして捨てた。
 40年ほど集め使い続けた物がほとんど無くなってしまった。物はだいぶ捨てたが本にはほとんど興味を示さないので本は有る。 
   
芽吹きだした銀杏 除染作業に遭い頭が茂りすぎて強風で倒れそうだったので、幹を切ってもらった記念樹の銀杏芽吹き出す。種から芽吹いた銀杏は東京千葉時代は鉢植えだったが、実家時代に地植えし刈られた。自宅が出来たので移植し30年ほど大木となり放射能汚染されたので切り倒した。ジュラ紀から生き残っている銀杏らしので生命力は絶大なのだ。数年たったら個性的な銀杏の姿になるだろう 


 除染作業にて庭の草花木々はほとんど無くなってしまったが、徐々に花物など植えていきが咲く庭にしていこう。




 5月04日  午後やや風強くなり 出入り口の扉などバタバタと鳴る

■ネパール地震後カトマンズ入りし連日フェースブックで被災情報を発信している東北工業大学の竹内泰先生。

短い報告であるが色々分かるような気がする 竹内先生ありがとうご苦労様です。¥¥¥¥銭主義が蔓延し尽くすことで多くの人の精神も荒れ地になっているかのような日本各地と異なり「古い伝説による一体感が、現代に機能しているのではないか」との推測報告は、ネパール大地震の各被災地の再建に底力を発するように感じる。分断対立しつづけ人が砂粒化し分離しあるような現在の被曝被災地に、共有少なき精神と世代を超えてその精神を継続させる手立てがあるようで興味深い。

 原発被曝被災地、津波被災地、ネパール大地震被災地の絵を見たり報告書を読んだりして、初期被災地に共通する事項は水、食料、医療、衣料や家が要ることが分かる。

 コミュニテー崩壊消滅したかのような日本各地311被災地。再生は絶望的な半減期の30年を費やして不可能なのではないか、という気もしたりする。
 (写真:竹内先生のFBより)
なぜなら地域や家族の仕組みやありかたや現在のアメリカの手先になり金儲け主義を隠し耳障りのよきコメントを発し続けソフトなイメージ作りを猿芝居を確信犯として演じている現首相が把握し有頂天の政治状況が激変しなければならないからだ。被曝被災であえいでいる人人のおかれた状況は好転しないし、半減期だって30年後だ、俺は生きていないよ的な長期に渡り被災し続けると被災者は無関心になるか、過度に心を病むかの2つの分かれ対立することで、無力感を抱えお金を蒔いて目に見える効果を手法とする政治家の思う壺に落ち込むだけなんじゃないか。

 対立せず対話し続け他領域の他者を招き要れ膠着しつづけどん詰まる、行き着く先は殺し合いの場の出現だ。そんな貧しく悲しい結果が見える閉塞感を脱する手立てを模索し続ける態度を身につける以外に方法は無い。はやりその場には、当事者ではないボランティアなどの他者の支援や介在は必要不可欠だ、無責任に去るかのような支援者が要ると感じる

 その手法は家人のように精神を病んだ人と共に生きる人々にも有益な手法だ。共通すると思う




 5月02日  気温25℃超えの日続き 夏のような陽射し 例年この時期は紫外線も強く 変温動物化している老体なので激変する寒暖の差にて体調を壊さないよう注意が要る 汗をかくぐらいが良さそう 

■ この1週間ほど早稲田大学ジャーナリズム研究所のHPのあれこれを作業する
 4月に承認を得本格的に作業が始まったのは4月下旬だ。内容のイメージも実際に活動が起こるのかも不明なので頁のイメージもつかめない。活動の様子をみつつ対応しつづけよう。
 マスメディアは現首相の意を忖度しすぎて自主規制の嵐吹きまくる。それは日本の民主主義を支える一つの基盤が崩れ続ける様をみていることなので辛いものだ。何かの役に立てるよう作業をシコシコする。ストレートニュースしか流さないマスメディアなら政府の広報機関に成り下がったっていうことだ。

の家人は木の芽時になると狂気に似た活動が盛んになりすぎる (遠い昔。母の日に強制入院させたことがあった)朝からビリッ ビリッガムテープアーテスト作業音が一日中! 作家の鳴らす音に耐えきれず家出して過ごす
 「やめろ、お金をガムテープに費やすな」などと長年の徒労に似た声を浴びさせると自信満々に狂気的な意味不明の反論をする。興奮させてしまっては看護の意味が吹き飛ぶ。我慢!我慢または家出して対応する。
 妖怪ばあさんはいつも自信満々でどこかの総理大臣ににているように思う。他者の考えを聞き入れ一緒に考え抜き困難を乗り切ろうとする態度を無くした人間は人としてお仕舞いであろうな・・ ま疲れるし気が滅入る。自分の未熟さを日記に書いて記録す。死ぬまで続くような気がして滅入る。  
 ネコの排泄の世話と悪臭で寝具などは捨てるしかないもの多し。生き物にうんざりだが 対応しつづけよう。妖怪度を下げる作業は根気が要るよ

■昨日午後に、除染作業終了検査あり。半減期が30年なので生きている間は続くのだがこれから続く放射線量が判明した。また放射線量が高く出る場所も分かる。やはり高い木々の根元が高い。切り倒して根を抜くしかないだろうがそこまで除染作業ではしてくれない。 東電と交渉するしかないのだろうが 相手にされない予感あり
 除染作業後の線量検査 (庭の木抜根要ると再確認 )外で生活を何時間するかだ子供への対応は放射線量高い場所を知ってその場所へ近づけないなど要注意点明らかになる 庭中央値0.41μSV/h(作業後)一年間居続けると3.59msv...屋敷内平均 外で暮らし続けると3.8mSV(前)→2.19msv(後)
木の根元高し 欅根元 0.7μsv 一年間居続けると6.132msv被曝する

 
セシウム都市で暮らすには放射能の在りかを知る 感を身につける
そんなことから始めるしかなんだ
(サイレントウォーは俺の生きている間には終わらない)
      

■ドローンで撮影された鮪立湾をふくむ唐桑の町の様子がフェースブックにおちていたので貼る。2年間ほどお手伝いしたが地図に記される仕事が出来っつある。 

   
新緑の中に
新しい護岸のラインと高台移転のための造成工事中の土色くっきり鮪立湾