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  2015年 04月の日記

   



 4月27日  全国各地快晴で夏日のところもあったようだ。浪江は32℃、明日も30℃超えるらしいので熱中症にちゅー意とラジオから流れていた。

■家人気温につられ活動はやや活発気味で言葉を交わさないようにすごす。

■昨夜は久しぶりにスカイプ花田先生とワイワイ。ちかごろは電話もほぼ使わない、メッセージやメールのみの生活になっているので、交信時間を待つったり話した内容を互いに共有出来てないことが多いので電話やスカイプを使うのは抵抗が強く成っている。

文章のやりとりで、あとは現実にあってワイワイするをベストとしたい。だらだら電話するのが好きな人もあるし、先日老女から電話あったが対話しようという姿勢無く 世間話や噂話だけしているので あきれて用件を聞いてしまった。

ラインを活用し、関係者が集合しワイワイする若者気分は理解出来る。

SNSも色々あるけれど それぞれ特性をしって使い分けしないと、ネット中毒状況に陥るように思う。 近頃はmySNS活用はメモ代わりになっていて、発信はしなくなったような気がする。

以前の掲示板のようにある日気づくと無くなっているということも起きるだろう。10数年の経験でみるとアーカイブ機能、利便な一覧性はHPが最も優れていると思う。
■年度初めの色々あったり、気温も乱高下してあっというまに4月が終えていくかのようだ。


■ ネパール大地震による カトマンズの被災状況
   ネパール中部で4月25日に発生した大地震は死者が4000人を超えた
   






 4月22日 朝夕と昼の寒暖の差が大きくって安定しない春の

■ 家人は病以前のような明るさを少しずつ取り戻していると感じるが、我が儘な行動には対応しにくいので8帖ほどの部屋に籠もりっぱなしになりすぎる。近頃ほとんど動かないので足腰の筋力が一段と衰えた気がする。 暖かくなったのだから少しは運動しなければ身体に悪いよなーと思うばかりで何もせずの日が続く。

■my家人との関係に限らず 男と女の愛情などという迷妄は長続きしない。一人でも暮らせる現在にあって近代的婚姻制に囚われず、ルーズでお互いを縛り合わない関係に変えた方が好いとしみじみ思う。

モデルは通い婚だ。子育てや老人介護は多様な他者でおこなうような社会の出現が望だ。

現在の婚姻制度に囚われて家人の看護に顎を出し続けながらも病の家人を捨てないのは婚姻制度に縛られているからではない。

 へ理屈で言い表せるほど俺の看病的生活の長い実践過程は単純ではない。人間の生活生き様は多様で複雑なのだ。 

長年掛かってもいいから 今のmy精神状態を他者に伝えられる技を身につけたい。

■ 昨日県立滋賀大学で2年前話した俺クチャーの内容が文字となりプリントされた原稿が送られてきた。殆どの部分は削られていた。 当時の考えを思いだして内容を変えないように校正しだす。

原発事故に関わること色々話し過ぎまとまりない。原発事故の現実を伝える技が身に付いてないと、確認できました

原稿ざっと読んだが 資料と突き合わせると削られすぎた印象だ 短くまとめ共有すべきフクシマ問題を伝えねば・

 原発立地地域には 原発事故教科書とその授業が要るとしみじみ思う。一緒に作ろうとしる人現れないかなー

■ 地域の自治などについて永い間考え提案しつづけている岡田知弘先生の動画がおちてきたので貼っておこう 小さな政府や派遣労働を推進したり大学の法人化など 新自由主義者たち 中曽根、小泉、安倍の政策はいかに拙い政策で東京だけが太るだけだと 理解出来るだろう

  「中央集権 vs 地方分権」は偽りの構図である:岡田知弘インタビュー

   




 4月16日  昨日は上空に寒気が入り込んだとかで激しい春雷と雨がやってきて、どうなることやら不安だったが今日は一転


■早稲田大学のジャーナリズム研究所の招聘研究員に俺が承認任命なったと知らせあり。おれがーとやや緊張したがいままで通り生きて行けばよいと思い直す。

大学のホームペイジにmy名前が掲げてあったので。記念に画像にし日記に貼る(右絵)

 5年間つづく研究所のテーマは4つ

1 大学でのジャーナリスト養成教育モデルの完成とフォローアップ

2 アカデミズムの場とジャーナリズムの場を連携させるツールの研究開発

3 放送番組を活用した大学教育システムの研究開発

4 原発事故報道を事例とした報道問題研究
ジャーナリズムの世界ではとても有名な人が多いなか俺の役割は2と4当たりだろうか。 
・・大学も出ていない64才間近の老人俺が招聘研究員に任命されるとは!人生何が起こるか分からんものだ。生まれたらみっともなくってもいい生き続けることで何かが起こるそこが人生の肝心だってしみじみ思った 

 原発事故を経た社会に生きる私たちは人間失格という言葉を使う資格が無いことを自覚しよう

2時間ちょいの人間失格と題した恋愛を題材にした映画がwebに落ちていた。

お金を稼ぐ気がない モテモテ、だが次から次に女性にもて続ける生きてしまう男の物語。ヒモ野郎などと揶揄するむきもあるだろうが、その見方は男性社会が作った男目線による発言だ、この映画の欠点はそういう古い思考を抱えたまま作ってしまったこと。
弱さを抱きしめ生きる女性目線を全く理解できないだろう視線 っていうことに社会の多くの人に気づいてもらいたいものだ






 4月14日    や  ぐずついた天候 近頃晴れないぞー

■この4月から3年ほど続く年新しくなった早稲田大学ジャーナリズム研究所のホームペイジを作っている。学内手続き中なので内容が明確になっていないから中身は何も無く、時々手直しているindex頁が出来ただけだ。3月までの旧HPも4,5年掛かって中身が濃くなったのでスタート時はこんなものだろう。(花田先生によると5月から活動開始とのこと) 

■「被害妄想」「加害妄想」「人間失格」「あんな奴と口をきく聞き気にならん」「自信満々」「自信喪失」について、この10日ほどぼんやり考えている。

家人が統合失調症暦25年ほどで、原発事故災害が起きてから怯えているうちに通院しなくなり、一昨年からは家の中にガムテープを貼りまくる(何か吹き出てくると言っていた)などの激しい薬切れ症状が2年続いていた。このままあちらの世界に行ったきりで戻ってこないのだろうか?と(正常だと思っている俺のひとつの欲望の現れ→悲観的に思うことが多かった。(敗戦直後の暮らしから比べ贅沢過ぎる暮らしをしてるのだが、その今風贅沢生活のためのお金が無くなると、さらにそう思い込む傾向が強くなるもんだ オレオロカ現象

単に家人の思いのままに合わせ(←かなり辛いことだよ・・)余計な事をしない看護法に変えて4ヶ月ほど経ったこの頃25年ほど前の性格が少し戻ってきたように感じる日常の振る舞いが時々現れだしている

 
精神疾患ほど人間らしい病もない。ホルモンによる脳の機能の混乱が原因なので症状は社会の中の価値観の作られ方と不可分だ。年老いた者が多く患う認知症とも似ているが精神疾患ほど社会の他者から理解されてず、津波や原子力災害に比べたら社会的支援がほぼないまま放置されて、内向きで小さな閉じた患者系社会で対応するしかなくなる。

なぜそのような小さな閉じた社会での対応になるのだろうか。「私とは何か」を考えずも暮らせる(=組織人)ように社会のシステム作り上げ運営しているからだ。システムには哲学など無用、時間の無駄だ、入り込む隙間がない。だがシステムの中で生きる人間の考え(脳の働き)や振る舞いは揺らいで続くので集合態となる生きた社会は少しずつ変容する。古い思考が合わなくなる、「時代遅れな野郎」などと言ったりする時がやってくる。さらに、何がどうするとずれるのか?を考える機会を持たなかったり「私とは何か」という思考の基盤を作る機会を持たなかった人々が組織人として社会を運営したりする。だからシステム運営者から観たら意味不明で無意味の精神疾患の治療や看護などの対応は一層ふかく放置され続けることになっている。哲学が欠如した社会の不幸の一例だろう

とは言え、家族や親戚や友達などの身近場に精神疾患と暮らす事になると哲学を身につけていないで暮らすと、不安になった末に無理心中や患者の自殺で残された者が涙を流し続ける日々が生まれる。そのような無為で空虚とも思える時間が患者の家族の中を流れ貴重なそれぞれの「私の人生が無意味に費やされていいくだけだ」と考えてしまい、本質から目をそらし生きることになる。

 そんな状況をなんとか変える端緒は無いものか?この10日ほどぼんやり考えていて、気になった言葉を先の文言しておいた。

あんな奴と口をきく聞き気にならんと研究者が発言したとすれば、私は研究者ではありませんと公言したことになる。多くの仲間からそう思われる。駄目烙印を自分で押したことになる。さらに哲学などを含む文系の研究者がそのような言葉を吐いたとたん研究者としては失格である。なぜなら他者との研究交流、議論討論を経て過去の研究結果の上に自分の研究課題を構築し解明し公表し次の世代へと研究分野を継いでくことが研究者の本分だからだ。

 あんな奴も他者であるからにはそのような機会を自ら減らす愚を自ら実践しますと公言したことになる。

 商売でもそうだが嫌な奴に欠点を教えられることによって自らが磨かれ鍛えられるのは研究者だって同様。他者(=社会)の存在にによってのみ自己が磨き上げられるってわけだ。それなしに自己の研鑽はありえない。人間嫌いが研究者の領域に入ってはいけないし、人間は他者を嫌いになった途端に自己の消滅が始まる。このことを自覚し行動することで新しい世界を観ることが可能になる

■ 明日は病の家人の存在と 家人から観た私についてメモ書してみたい


 4月11日  気温あいかわらず低いまま

■病の家人は昨年末まではカップ麺などの簡単飯ばかり喰っていたので、年の初めから食材を買い冷蔵庫に入れ続けている。近頃はインスタント食を脱しほぼ手造り飯にかわった。後片付けはこつこつ俺がている。病院で「妄想はありますか」と毎日聞かれていたと今日は笑って話していた。 扉の鍵の多くは紐でぐりぐり巻にしたままなので、不安な面もあるようだ。徐々に被害妄想から出つつあるのかもしれない。手造り飯のおかげだと思う。

キチンと食べキチンと寝る単なる暮らしが健全な心身体をつくる基本だ

■数日前の福島県紙をみる機会があったが、ピンクづくしで一面から社会面まで桜の花盛りのなか新しい高校がスタートしたとの情報で埋め尽くされていた。なんだろう??広野町にできた福島県立ふたば未来学園高校って何かを知るため 検索してみたら動画が落ちていたので観た。

 双葉郡内8町村の教育委員会の強い要望によって国営型でつくられたようだ。

 応答の感想は校長は訛りありでたどたどしく固いが副校長の説明はそつなく標準語ですいすい。不思議に思い検索したら文科省ばりばりの方のようだ。
 
 連携型中高一貫校であるけれど、my長女が卒業した中高校舎が同一敷地に一体に在るわけではなく、県内に散らばった双葉郡内の中学校と広野町に将来国営で建設される高校が連携して授業をおこなうのだそうだ。トップアスリート養成のための校舎も静岡県三島に18名 猪苗代に9名があり、広野校舎には125名ほどが寮や通いで学ぶんだそうだ。(連携したかたちで福大内にもOECD東北校があるそうだ)
 (肩に力が入りすぎてるし、ソ連型でもあるまいに形態が古くさすぎる。)

 時系列にならべる未来という言葉には甘くて古い近代人の希望が内包されているのだが双葉町に看板が示すように 過剰な未来への期待は311後謹んで慎重に使うべきだと思うが 未来学園って漫画的ギャグ風味ありて失笑がおきそう、脳天気すぎる校名だとの印象を受けた。
 一方で、原子力村のオヤジ達がしでかした不始末の処理を 未来の夢多き若者に過剰に背負わせようとするかのように写らないでもなく諸手を挙げて喜んでいいのか不明である。 諸手を挙げて応じる若者も125名とは言わないた多い事に驚く。 4,50年後に正否が分かることだ。311の喪に服す時間が少なすぎる、急ぎすぎなんじゃないかと思ったりする。

 線量が高い場所に、原発事故が収束しない中なで最前線に高校生を集めるのかなど疑問の声もでている。

■フクシマ圏内では県知事も天下り型だし、県の1.2兆円の復興予算が落ちてきていて膨大で大忙しだし 予算の面からも、教育の面からも、異論反論が出しにくくなってしまっている。金目を流し続け口封じと官僚支配が強く進められているのかも知れない。  


 4月09日   昨日は、我が家周りには降らずも 東京にも雪がふり、福島県内では積雪もあったとのこと。2〜5月並みの気温を行ったり来たりの乱高下

 htlmとCSSのお勉強中。なんど勉強してもホームページソフトの単純な便利さから離れられず途中で放りだしてしまう。相手に伝わるのだからそれでいいかなどと安直に考えだす。でも少しずつテキストの内容は分かるようになっている。HTMLだけつかってホームページの更新実践はまだまだ先。

■ 白井氏設計の庁舎保存を 湯沢市雄勝のニュース 
自動運転、水素社会 東京五輪を技術見本市に政府・都が1000社募集 のニュースがながれていた
■公明党への最後の盾に期待はずれ。近頃は日本が軍産国家への道を歩みだし法整備もすすむなか、ほぼ餓死した兵士達がいたことも70年前の敗戦のことをも考え生活の一部にし実践しているのは天皇しかいないのかも。 


  4月06日  のち 雨も降りそうな空模様

■昨夜仙台へいきmy長男とワイワイしもどる。my長男にシカゴ土産の本をもらう。29.95ドルとあり日本の本の価格よりやや高め。ミースなど盛りだくさんの建築ガイドブック。ミースの代表的高層住宅建築もあり

招聘研究員用書類を印刷し押印と必要な部分を手描きし郵送する。

 


 4月04日  風も収まり 穏やか 

■家人はお手製の荷造り紐で編んだど派手ズボンをはき、雨でもないのに長靴で 大黒様でもあるまいに背に大きな包みを背負い手には袋を下げ近くのスーパーに買い物にいく。
 買い物に行っている間に不在の部屋に誰かが忍び込み無くなると困るモノを取りに来ると思い込んでいる。思い込んでは居ないかもしれないが無くなったら困ると思うと大きくって重たい包みになるのかもしれない。
 外出してしばらく道を行くと火や電気の消し忘れが心配になることは誰にでもあることだろう。心配の内容が高じて食材や掃除用具など 買い物に持って行くには不要な品々を背負い出かける。 「心配が消えるまで背負っていく」と語る

大きな荷物を背負って大きな荷物を買うと持ち帰れなくなり 時々スーパーのカートを借りてきてしまうことが起きている。買い物用4つ車を与えた手当したほうがいいのだろうか。

■ とある研究室から招聘研究員に押したいので書類を提出してほしいとメールがあったのでで書いた。実作建築は色々あるんだけど記録が無いので書けない物件がほとんどであった。雑誌掲載分は書くことができた。大学の審査があるのでたぶん駄目だろうが出して欲しいとのことだ


 4月03日  やや風強い

■雑事処理のため町中まで2往復する。近頃部屋に籠もり過ぎなので足の筋肉が落ちてしまい見た目の両足細くなりすぎてるので適切な運動でよかったかも。

■ 『布野修司の世界』ー滋賀県立大学の10年 川井操編集長より頂きました
・桜が咲き始めたばかりの福島なのに、この本を開くと瞬時に布野修司先生と研究室の熱風や酒の臭いや喧噪が小さな仕事部屋を満たしました。先生が教え育てた建築好き〜の者どもが、今日もそこかしこで連携し合い楽しみならが息を切らし建築の世界に挑み駆け巡る。そんな様子がユーチューブの動画のよう現れ飽きませんです。
 川井さんありがとうございました。編集に携わった布野研のみなさんご苦労様でした。布野先生ご苦労さまでした。記録集完成おめでとうございます。

・老人の俺も、京大と滋賀県大時代の布野先生の教え子の皆さんに親切にしていただいています。大学の建築教育のこともほとんど知らないけれど「建築への道」の扉を開き、布野先生におおいに叱咤激励・指南された人達がうらやましい。布野研卒業生のみなさん胸張り、無理なく、おおいに活躍してください。機会がありましたら交流しましょう。

■ 震災後活動の反動か?老人になって気力が衰えたからか活動意欲が湧かず。もらった「新pcに慣れるために」と古い映画のユーチューブを見続けたりしている
 家族を含む他者との人間関係や間取り、家の構造など改めて他者の視線で映画をみると映画制作当時の人間関係や風景など色々分かる。映画は作り物であるけれど現実に影響されているので、まるで現実の風俗や思考から逸脱することはありえないのでドキュメンタリー映像でなくっても時代を記録してしまう。で制作者の意図とはことなる状況が分かったりして面白い。
 
 シェアハウスという視点で観てちゃうことが多い。戦争をまたいで売春宿を舞台にした映画も多数ある。人々が生きている空間(=時空)を仕切る人それぞれの役割・考え方それぞれに制作者の希望がすけみえて興味深かったのは 雨あがる(おおかた全てが他人である)

 もらい子を育てあげ嫁にやる時期の研究者家族の様子を描いた好人好日(3人それぞれ他人なんだけど・・) など 伊丹十三の映画も多数あるので観ちゃったりする
 

 


 4月01日 曇のち昼前より 

■除染で枝が切り落としまくって丸坊主であるけれど、昨日一斉にさきほこる庭木の桜の絵を撮っていた。白木蓮、杏子の花たち 春の到来をつげるようだ。 不慣れなGIMPを使い 加工してみる 画像あり日記を毎日記を書きなれるようにしていこう。文字の間もすこし広げて読み易くしている。今日はこの単純なタグで広がる。CSS<!-- TD{line-height :140%;-->も使え慣れたい。
  

■ 昨日とどいた花田先生より朝日新聞経営人による吉田調書記事取り消し事件に焦点を当てた『いいがかり』に目を通した。花田先生の吉田調書記事取り消し事件の論理的解剖と組織ジャーナリズムはどうかわるべきかを読んだ。
  (目次などは七つ森書館のサイト内で見ることができる