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2015年 01月の日記 2014年 12月へ |
1月30日 昼あたりから降りだし 大雪警報もでるも深夜解除になる ■人質問題で思うのはとても現代的な事件だなーだ。 議会すらないのにインターネットをフルに活用している ITと相性がいいのはなぜか? そのことにも触れている文章があったので 早速よんでみた 面白い指摘がたくさんある 武力では解決できないだろうとも思った 。 現政権は日本人救出だ自衛権を使だとか言いだし 自衛隊を派遣し武力行使に出たいと思って居るのだろうが・・で実行されたらと思うと嫌な気分だ。 今回の人質事件はだから危険極まりい状況になったものだと思う。 読んでみるとく武力で解決出来ないことが分かる もし実行すれば 日本は永い泥沼戦場に参入することになる。 軍産国家こそ閉塞した現在の経済的事態を打開すると思っているのかもしれない 宗教が運営する領域 である イスラム国という表現が 日本のような立憲民主主義で国民国家に暮らす者を惑わすんだね 複雑で込み入った花氏だが 事件の 背景を知る切っ掛けに読む イスラム国躍進の構造と力
イスラム 国 を オバマはガンと見なして空爆を展開しているが そうした生物学的なアナロジーより 情報学的なアナロジーで有効な策を考えられるのではないか との話し http://cruel.org/other/koukenikeuchiisis.html … |
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1月29日 1960年代末のアルバムをデジタルデータにし保存方法を終日試してみる。 半世紀前の会社内部の人と人のつながり方 や 家族の暮らしぶり、友達とのハイキング+フォークダンスなど遊びのそれぞれと 男女の関係などが見えて来る。現在のそれらと比べながら撮影してるので 見入ってしまうことが多い。 すっかり失った暮らし方だ。会社の人間関係が家族間のそれのようにも見える濃い人間関係。 高度成長期の懐かしい空気が写真の中から吹き出てきている。(そう感じる)日本の高度成長期 まっただ中の暮らし方が今もそこにあるかのように思い出される。(非正規と正規に分かれた会社ないでの社員旅行なんていまもあるのだろうか)、 現在は新自由主義の考え方で運営されている。で高度成長期の暮らしぶりは消えた。一億総中流と言われた中間富裕層が消えちゃった(俺はお金がない貧困老人になった) 少数の金持ち富裕層と大多数の貧困層に分かれた国家になった。 格差が世代を通して固定拡大し 社会の隅々にまで行き渡り 人心や人間関係は殺風景な ものになったように思う 当時楽しんで生きていたかどうか? 20才で結婚し 一生懸命生きすぎていて思い出せない。が古いアルバムを観ていると 瞬間 瞬間 楽しんで 楽しもうとポジティブに今を生をいきていないと 貧しい生の連続になってしまうんじゃないか〜・・そんな錯覚に襲われる 古いアルバムなどの整理はその点が明確になるので面白い。 ポジティブに暮らす 今ある人との関係を自ら豊で暖かいもにせよ!って気分が湧き上がる。それが古いアルバム整理の効果なんだと気づくことができた 1960年代末は白黒写真が多い 70年に入るとカラーがほとんどだ。我が家の家族の写真は全てカラーである 20世紀末はほとんどスライド撮影だった。 21世紀に入りデジカメのデータ をpcで観る 写真という媒体もドンドン変わる。 下の2セットは 1987年におこなった尾瀬の山登り写真データ。黄色い上の絵はネガをデジタルスキャンもの。下のやや色が鮮明なものは 上部のネガを焼き付けアルバムで整理してた物をスマフォーで撮った絵のまとまり。 ネガは保存も悪かったので 変色したり 傷や埃や劣化が激しい。 アルバムは変色は少ないが 表面に光沢があり輝。 照明装置が無い我が家での撮影では デジタルデータにしにくい。 ■ 通常国会が今週から始まったが首相の所信表明演説が無かったようだ。 今日は予算委員会の質疑がラジオから流れていた。 人質、原発事故処理 再稼働、アベノミックスの失敗、介護現場の人離れ 子供達をおそう格差問題などが続くも 議論はかみ合わない。合わせようとしてないようにきこえる。内閣の要人たちは 権力を握ってしまえば やりたい放題の感あり。 米国追従+軍産国家への路を歩み始めたと書いて置こう |
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1月25日 ■ 23,24日は仙台のmy長男の家にて 去年起きた困難で 訳のわからない事態を 解きほぐし 共有し話し合うための準備会議を開いた my長男は今年度初頭から大学のある領域の責任者になり やることなすこと初体験 かつ意味不明な指令にが出続け もう対応したくない 出来ないなど かなり混線模様のなかである。 遺書事件は 心身が安定してない状態下で 意味不明 不用意におこなった動たったことが分かった 重要なことを決める時期ではない 酷く忙し過ぎるってことだね 分かり易く一言で言えば 初体験で疲れ続けている そのなかで 何かしでかしただけだ。 それが分かったので この半年間の「不毛」とも言える 俺の事態は消え 成すべきことが明確になったので よい話し合いだった。 my長男は疲れが取れ 体力が付き 安定した状態で 多様な未来の道を決め進むのが良いのではかと思う 今は疲れているので未来の事は考えないで 日々よく眠り 食べ 日々の研究生活を淡々と続け欲しいものだ。 環境が変わり my長男は 消化できず 長男らしさが消えた その事実は my長男の能力とはほとんど関係無く グローバル経済化+少子高齢化が進む+財政難が見えている ための政治的締め付けが 大学とそれらに所属する研究者に直結し 人切り研究費切りという 極めて単純明快な事態がおこす 困難なんだと思った お金が無くなるだけで あり my長男が研究したい内容が無い訳ではないので安心だね 単なる政治経済 世情の歴史系文化に対する投げやりで無責任な指示や波が押し寄せただけなんだ 希望が無い訳では無い 混乱しているだけだった ゆっくり休めばいいし のらりくらり生き 気力が復活するまで急がず そのご決めればいい 無理せず日々暮らせば my長男は復活するだろう 数年待てばいいだけだ その間は時々会い続け話し合って 近頃蔓延しつづけている日本病に騙されていることを共有しささやかな打開行動が出来ればよい ■ 懇話会 ふくしま再生と歴史 文化遺産2015 に午後参加した。主催ふくしま歴史資料保全ネットワーク事務局。 歴史資料、考古学、自然史、民族分野、の連携した話しあいです(文化財系の建築関係者の参加なし) 被災地でおこなわれる祭りなどの伝統芸能活動の重さを浜通り地区の被災者によるそれ等の実例の提示はとても重要な内容であった ■ 1人の日本人が首をはねられたようだ 日本政府は手も足もでないのだろうか? あざ笑うように 通常国会前に絵が晒される。 sNSを使った21世紀的しょとうの現実 。 福島原発事故対応も 拉致された日本人の命もすくうことも出来なかった 政治家などのの現況の今国会での議論内容は注視したいものだ |
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1月22日 真冬なのに雨降りつづける 木曜日は灯油配達の日 灯油1リッター82円 1週間前は90円 年度末は98円だった。急激に灯油の値下がり中 アブドラ国王が亡くなったとのことで足並み乱れ原油高になる可能性もあんだろう(絵webロイターより) |
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1月20日 寒さゆるむも風ややつよし ■奥の坪庭の自前除染をおえる 春になったら 野菜を育てるつもりなので 時間をみて土作りをしてみよう ■ 真偽は不明だが 日本国と国民が脅迫される日が始まったのかも知れない 日本政府の巧みな対応を願おう (池内恵先生の「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ を読んでおきましょう 国民も領土も無いがインターネットを活用しまくり奪い取った油田がエンジンだと言われている21世紀に出現した国家(??)殺人集団かな。 イスラム国から首相へ「お前はイスラム国から8500キロメートル以上離れた場所にいるが、お前は意欲的にこの聖戦に志願してきた・・・、「日本国民へ。日本政府はイスラム国に対抗するために愚かな決断をした。2人の命を救うため、政府に2億ドルを払う賢い決断をさせるために圧力をかける時間はあと72時間だ。さもなければ、このナイフが悪夢になる」と 2億ドルの身代金払えと脅迫メッセージが来る 首相が発した内容について批判のツイッターも多数流れていた。安倍がまず言うべきことは、「テロに屈しない」ではなくて、「イスラム国の言い分は間違っている。私たちの資金援助は非軍事的なものに限っている。人道支援、非暴力的な援助のための資金援助を暴力の理由に使ってはならない。私たちは人質の速やかな解放を求める」だったよね。 人質の首の影が右と左に別れているのでスタジオでそれぞれ撮り背景を合成し編集しているんではないか? イスラム国はスタジオ撮影なんだと知ら来る人も居た |
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1月19日 朝 うっすら 雪積もり 寒く感じる1日 ■奥中庭の雪が解けないので今日も自前除染作業は休む pcの調整とデータの整理などしこしこ作業 ■ 京都の魚谷さんから「お祝い会を開くので来て」とお誘いの電話。 家人の様子次第なので当日に成らないと何とも言えないが 久しぶりに行ってワイワイしたいものだ。長期滞在にしないと 聞き取り作業は出来ないんだが ■保安協会の方が来て漏電のチェック my部屋の一部の回路が漏電しているとのこと RCなので火災などおきそうもないが 漏電回路のブレーカーを落としてしまう。作業にあまり支障が無い。家人がコンセントをガムテープで塞いでしまっているので電気がなくっても支障はないだろう。暖かくなったら電気屋さんに調整していだだくことにしよう ■ 4月から早稲田大学ジャーナリズム教育研究所の名称を変えるので HPも新しい内容の準備を始めようじゃないかと花田先生から連絡がある 来月初旬に早稲田大学に行きワイワイすることに ■多量の古いネガをデータ化したが活用方法を試作始める。 一例として20年ほど前の家族旅行(尾瀬版)のアルバムをデジタルデータで共有してみることにする。頁一覧をつくり各頁から各写真の大きなデータへリンクを張るのがよさそうかもしれない。 |
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日本記者クラブより1970年から音声アーカイブが公開されていた 社会人になった1970懐かしい響きだぜー。暇な時聞くことにしよう |
1月18日 昨夜 降雪があり数p積もるも気温が低くく日陰はとけず 新年早々の市による除染作業に引き続きおこなった自前除染を筋肉痛もでたり手にまめも出来たりしているので、今日は日曜日でもあり のんびお休みとした。部屋に籠もってのネガスキャンもお休み。何もせずゴロゴロ。 ■低気圧の通過にともない不安体になるのだろうが 家人の荒々し言葉が消えた。一喜一憂し対応し続けると 火に油常態になるので 近頃は心配せず 荒々しい言葉が出たら一時避難し平安になるまで気長に待つことが1番の妙手なり。(2日ぐらいになることもあるが) ■今年は戦後70年なので 色々な行事がおこなわれるだろう。 戦後ってなに?その2 軍事の一部を米国にアウトソーシングし 経済最優先で団結し今日の豊かさを手に入れた日本だが、アメリカから観ると 日本の戦後はどのように見えるのか webに動画があったので観た。 渡辺靖慶大教授の「アメリカにとっての『戦後』とは何か」http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2014/12/r00029826/ PDFでテキストも公開されている (日本のリーダー達の 現首相の保守ってアメリカからの独立を目指しているのか ポチを目指しているのか分かり難いが・・その点を 整理し易い知見を得ることが出来る動画) ■正確な情報に触れ考える。その情報を理解し咀嚼するためには継続的な勉強が必要。 そんな姿勢を持つことが時流にながされず絶えず変化するグローバルに連動し変化する現在を生きるための要点だなーと 戦後日本を日本人がどのように評価するのか?(戦後の時間と俺の年齢は少し足らずも重なるので思うが) 「問題点も多いが殺し合った米国と仲直りしてよくここまで豊になったものだ」このことに評価を与えたい。 ■今日の雑感 日々症状が変化し続ける家人の統合失調症と25年ほど付き合い生き続けmy人生や家族を破綻させなかった因は 色々な事態に共通させることが出来るとおもう。 悲観的に考え身構え嘆き続けるのもよかろうが 知識を身につ続け楽観的に暮らす 心を痛める時間で自分の人生を埋め尽くす前に まず状況を訴え行動する姿勢が肝心。 行動することで 自分を救うし 周りの仲間をも救うだろう そして社会に生きる人々と共有すべき問題も見えるようになる 。問題を解決する必要は無い、問題を共有する人々が多くなれば 時が解決してくれるさ〜 楽観姿勢 |
1月16日 のち ■ 市役所による除染作業が終わったとのことなので、放射能が取り残されたと想われる所を探し自前除染を始める 竹の根を掘り起こす作業は少しずつ掘り進めて 根気が要る気長に作業をし続けよう 線量高いときかせられた、多数箇所の自前除染。放射能多いと言われた根っ子を根っ子を掘り起こし取り除き、土を反転させちゃう作業なり。狭い庭に色々植えて楽しんだ30年の、記憶も捨てる作業なり。自分で自分が積み重ねた日々の行為もゴミとしよう! 筋肉痛おきた 今年はここで野菜でも育てるのもよさそうだ 玄関アプローチの踏み石は洗っただけで放置されいるたので 溝をほし踏み込む 家人「建物が出来た当時のようになったね」と喜んでいる 樹液で建物が汚れることは確かな事だ 桜の木ももう少し切ってしまおうと考えている 近所の人々は綺麗になったと言う 植物が無くなると綺麗系の言葉が出る 俺は植物が茂っている方が綺麗に思うのだが フクシマは周りが植物だらけなので植物は鬱陶しいやら 汚い物と感じたり、人工化された景観が進んで綺麗なんだと思い込んでいる人が多いのだろうか? |
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1月15日 のち のち 真夜中 雪になるとか 除染作業は終わったとの知らせを作業員に伝えられる。最終検査が済めば騒々しかった除染作業は終わる。終わっても取り切れずーの放射能は庭の方々に残っている。隣家の除染作業音もあるので日中は落ち着かない日が続く 我が家の汚染廃棄物は他所より多い なぜなら 建築と木々などの植物と混然一体になり生きる=小さな森に建築が包み込まれ生き続けるっていうような景観を30年掛けてつくったんで、それらの木々と植物を全て取り除いたからです すっぱだ裸になったmy建築となり時間と我が建築に対する記憶を廃棄し 青い棺にし埋めたってことなんです ねす 放射能汚染土壌を最終的に何処に保管するか?は決まってないんですよ 先送りなし崩しって手法だと邪推してますが・・ 県内(大熊と双葉町が受け入れ表明)に中間貯蔵施設をつくり 30年保管する その後は最終処分場へいく予定と環境省は4年ほど前に話していました。が 先ほどのラジオのニュースによると中間貯蔵施設の運用開始は平成27年1月からだったんですが町が受け入れを表明しただけで何もできていないんですよ。 で被災市町村が仮置き場に保管する予定なんですが仮置き場も迷惑施設なので場所が見つからず 各自の庭にて保管する仮仮置き場が出来んです 袋は3年で寿命が来るんですが 我が家の汚染土は3年以上の保管になるだろうと推測してるんで 埋めてもらったんです ■ 昨日は市役所の代役である監理員の検査をおこなっていたので 立ち会ってあれこれ注文を付けた。木の根元は大方線量が高い数値だ 1時間一μ以上の根元もあったので 埋めて遮蔽してもらうことにした。 その他に作業員の方に大きな幹を2本切ってもらった。枝を払われて上部だけがでかくなりすぎた銀杏、大風を受けると建物を破壊してしまいそうなので 色々な理由をつけ 切ってもらう。作業員は除染作業じゃないなどと言っていたが・・・始末してもらった。銀杏は生命力が強いので春になると幹から芽吹きだすだろう。 今年からは大きくならないように時々剪定し管理していこう。 もう一本は野鳥が運んできた種で大きく育ってしまったシュロの木。こちらは線量が高かったので切ることになっていたが 大木のママ放置すると言いだしたので 困るから細切れにしてくれと依頼しきってもらった。 網状の皮が邪魔して切れないと言いだしたので 鉈で綺麗に皮をむき幹だけとし、切り刻んでいただいた。 あまり時間が無かったので一生懸命皮むきしたので今日は筋肉痛が起きた シュロの皮は根元から先端へ皮をはいでいくと綺麗にむける 右の絵は30pほどの長さに切って積んだ幹 割れば薪になるだろう 煙の香りが楢クヌギ 桜に比べると劣るっていうか嫌な臭いじゃないといいんだけど。 シュロの皮は雨や雪とともに降った放射能を貯めやすい構造になっているね〜 ■ 家人は低気圧の通過に合わせるかのように 荒い言葉を浴びせてくる あまり接しないように 部屋に籠もっている。 荒れ模様の時には 入院させた方がラクダなーと家人の人権を無視し 都合の良い思いにとらわれる。 暗い悪いスパイラルに迷い込みそうになる。なので 注意しつづけている。 |
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1月13日 寒さすこし緩む 今日も朝から除染作業員5人が作業を終日おこなっていた。 北側の側溝や南北に在る2本の側溝を丹念に除染していた 舗装部分は6気圧の高圧洗浄にてあらいゼオライトに吸着させる手法だった ほぼ終わりで明日10時〜監理員の検査を受けるとのこと。 左:大きなフレコンパックに入れ 我が庭先の仮仮置き場に中間貯蔵施設ができるまで埋める保管する 右:隣地境界と建物の間が狭いので作業はやりにくそう 右下:水道・ガスメーター周りの洗浄 建物の壁は高いところから洗浄し今日は足下周りの洗浄 水を使うので 今時分は寒いから作業は大変辛いだろう。 今日から数日気温があがるのだそうだ。我が家の除染中ほぼ降雪にあわず やれやれよかった。 それにしても作業は賑やかな音を立て続ける。は ■除染作業員の出入りによって 家人のハートが変調をきたすか?〜と心配であったが 放射能を取り除いてもらう作業なので 落ち着いているんだろうか! 変調せずはとても嬉しい。(除染終了後に変調が来るのか←疑い性に陥っている俺) 311以降 建築の壁と木々そして舗装に苔が生えてきて 「苔気持ち悪い!からとって」を連発していたので さぞ安心しただろう。 細かな木々や蔦はみな取り除いてもらっったので ますます建築当時の姿に近づいてしまった我が家。 ■ 11日に追加で見つけたスライド(my長女の大学入学式などの絵)をデジタル化してしまう。ポジフィルムにカビが生えてたり 劣化していたがそのままデータにした。 ■ 日記を書いている部屋の隣が風呂場なのだが、風呂場に来ても家人はなかなかシャワーを浴びず 30分ほど換気扇から外気が来ると言いはり 換気扇の周りに ガムテープ貼り付け作業をしていた。 日に3度シャワーしていた家人。近頃は朝と夜になる。 同じ食べ物を食べ続けたり日に何度もシャワーしたりしている。その間 絶えず独り言をいう。生を楽しんで居るように見える。 仕事の成果をあげ お金を儲けに勤しむのが正常な人の暮らしなのだろうが 病の家人の方は食べたい時たべ、寝たいとき寝、 お気に入りの作業は寝食を忘れ没頭し 誰に指図され訳でもなく 生存し続ける様は動物的人間暮らし。このような生き方が本来の人間らしい暮らしじゃないかと思う 支える家族が居るから可能なんだが=家人の幸いの源なんだけど そんなことは何も気にせず 毎日毎日動物的人間に暮らす。 うらやましいよ!。 水も油も電気もお金も無くなると動物的人間ぐらしは一気に破綻してしまう。で 俺は目を離さないで裏方の作業をし続けている 疲れると気が滅入るし お金が無くなると 増し底なし沼にめり込むかのよな胸苦しくなる凡人の俺様だ(笑 正常は俺はなんだか 家人に比べ 生を楽しんで居ないような気がしてきたりして おかしいもんだね 正常って (笑 憎たらしいが 子供を産み育てた家人へのご褒美がこの老後動物的人間暮らしなのかもしれない。 視点をかえれば誰でも家人のような ご褒美暮らしを出来ないことはない。 レビズトロースふう構造主義ふうに倣えば 自ら学んだ人はこうあらねばひとではないと自らを縛り 青息吐息で暮らすことになる。自分が自分地獄をつくりそこで生きている人も多い 暮らし方など人の数ほどあるのだが・・そうとは気づかない、それって病だよ。現在のおおかたの正常と言われる暮らしは病的であるように思う |
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1月11日 午前 午後3時ごろから 2011年の3月11日 東日本大震災から3年10ヶ月が過ぎた。(もうじき阪神淡路震災から20年) 新年早々始まった我が家の除染の実質作業はあと数日で終わるだろう。その後 監理員の計測と客土を戻す作業がある 客土は要らないような気配だが・・実質作業が終わってみないと判断できない 今日は日曜日なので作業員も休日で朝からとても静かだ。この環境が本来の日常の朝なんだが。我が家の地域はあと1年ぐらいはどこかしこで除染作業の音がたち続けるんだろう。 降り積もった放射能は見えない 人間の知覚で知り得ないので 屋敷の大掃除ににている除染作業。 我が家の庭には大きな木々があるので枝を切ったりしたので 見た目が激変したので記念に写真を撮る 1984年の冬の竣工直後の同じアングルの写真を並べておこう。 無一文だったが家を建ててみた〜 何にも無いすっぴん〜建築 が 今も昔も貧乏だ〜 何とか30年間 生きてきたーねこの建築も (笑 それが気持ちよい事実だ 庭木と建物が有機的に同地している現在。それは時が生み出す価値で人間の手では作り出せない価値ある風景だと思える。 この地も放射能が多量にああったなら 人が暮らせない地域となるんだと想像すると 今日もつづく県内各地の原発事故の多様な現実を痛感できる 銀杏と桜の建物に掛かる枝をとったので空の部分が多くなった 壁の蔦も全て取り払い 洗ったので ついでに汚れも落ち 白っぽい色になったか 作業車の腕の先当たりに 穴をほりおこし 取り除いた汚染土などを埋める。 そこは大熊町あたりに出来る予定の中間貯蔵施設が稼働するまでの仮仮置き場 数年はこの場所に埋蔵しておくことになるんだろう この40年ほどに暮らすために必要に集めたがそれらの物をほぼ廃棄処分した。その作業中に多量のカラーフィルムのネガでてきたので 正月の時間を当てて1コマごとにスキャンし終えた。データ化したままでは時を越えて他者に伝わりにくい。単なる絵データが残るだけなので編集をどうしたらよやらあれこれ考えてみた。 家族版 俺版、家人版 my長男版 my長女版 my次男版と区分けしそれぞれの歴史をしめすかのような方法でネガデータを整理し my子達に手渡すのが 時を隔てても観やすそうだ。 時々に家人がコメント入りで作ってあるアルバム出してきて眺めてみた。編集しコメントが付いているので観てて楽しい 新たな思い出も追加できていい アルバムの中からもネガが出て来たの追加のネガスキャン作業をする必要がおきた。(デジタルデータ化したそれらの絵がどう残され誰が観たりするのか?それはは不明だが フィルムとカラー写真は変色劣化が激しいのでデジタル化作業だけはしてしまいたい) |
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メモ) 集団的自衛権の行使についての解釈は現首相が吹聴しているよ状況下では おこなうことには無理がある、公明党と法制局がギリギリで従来解釈にとどめた件 について 現総理は気づいてないらしい 憲法73条によると内閣は軍事をおこなえない 憲法学者の木村草太先生の動画を観て思った 優秀な憲法学者がいた! グーグルと色々あるので観てください 日本国憲法第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。 一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。 二 外交関係を処理すること。 三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。 四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。 五 予算を作成して国会に提出すること。 六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。 七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること |
1月09日 6日から始まった除染作業にて我が家は作業員が出入りし方々から音がなり来て 賑やかな日だった。(我が家はコンクリート作りだし木々が大きいので 近隣の木造民家よりは一層除染作業が手間が掛かる) 今日は昨日に続きコンクリートの壁を洗う除染。洗って下に流すので移染と批判されてもいる作業だ。 放射能の除去を誰でも出来る手法でかつ 安価にするには これがいいのだろう。 建物は水浸しとなるので凍らない季節の除染時期になればよいがと願っていたが 日頃の行いが悪いのであろう(笑)よりによって我が家は正月早々で厳寒期の除染だ。 日中暖かいからよし! 今日の大除染作業は庭木の枝おろし。高所作業車を上手にあやつり切り刻んでいく。 (元なのか現なのか 電工で凄腕の親子だとか 作業員の方々はとても若い男性たちだ) (枝が切り下ろされると 家人は丸坊主!ね〜 の木々となる) 西側壁の洗浄 除染。側溝に流れ落ちる が・・。細かい事は言わないようにしている。 実態は作業員も 監督も、市役所も 環境省がおこなう除染を丸投げ 押しつけされている多層下請け構造の仕事だ。 これが日本の政治と福島の貧しさってことだ。 で俺が細かな文句を言うと 被災者同志が虐め合うという 最悪な構図になる。お金をまき黙らせる そうなることをしって被災地に丸投げ押しつけしているってことだ・・(国民の2%の福島圏民は居なくってもいい 封じ込めだと言う者も居る つまり沖縄の米軍基地偏在同様の犠牲の構図がここに在るってことだ) 県庁建設当時 東電と東北電力からお金をせびって 自慢げに語っていたのは福島県知事の大竹さんだ 2億円ほどだったかな 民友新聞から木村〜大竹などの対談本が出ている) 高所作業車と洗浄機をつかって壁の放射能を流している様子 動画も撮っておいた 左下の絵のように放射能水が冬の陽射しにあたり 虹が出るのが辛いね。 放射能水による虹を眺める正月 春から演技がいいね ここはやはり未来都市の風景がある。(除染が済んだら 今セシウム都市に生きている事を細かに書いてみたい) ■ 環境省の講習も受けた。除染作業の監理員の仕事もしてみた。研究者が多数集まるフクシマ問題の話し合いにも多数参加した。被災者達の声も多数聞いた。 飯舘からは我が家の裏にお爺さんが引っ越してきたので 彼の声も聞いた。 そして正月早々 除染作業を受ける側の人間の体験させていただいている。監督の生々しい声も聞いた(除染作業関係者が 俺に時々大問題発言をするんだけど 黙っているよ) この底にあるのがフクシマ問題の解決しなければならない源・根幹だと思って居たので そういう目に遭うと やはり! 現場には 小説ネタのような反応が 顕在化するんだよな よな 1995年の我が家の木々の写真 一端 木々を切り取って 20年前に戻して 再度 庭は春からちょこちょこ自前で造りなおそうと思っている |
1月06日 のちが出て 気温下がる 発災害から もうじき4年経過するがようやく 朝から除染作業実践員たちがやってきた。(一日遅れ) 足場組み立て 庭の草木を取り除く除染作業が始まった 総勢7人ぐらいのようだ。隣の除染作業でも音が出て やかましかったが我が家の除染となると 音が大きい 20数年で育った大きな木もなるべく切り倒してもらうよう申し出ていた・のでできる限り切るそうだ。 我が家は鉄筋コンクリート作りなので内部に暮らしている分には放射線被曝量は少ない。しかし近隣の家々は木造なので我が家から出た放射線は突き抜けてしまう。 そのことを近隣の人々は口コミで知っている。我が家のように大きな木を庭に植えている隣家はほとんどいないので さぞ迷惑だと思って居るだろうから、まずは切れる木は切ってもらうってわけだ。(4年経っているし 高い木があっても放射線量は少ないが このように考え実行する=自己規制は良くないのか判断できない) 木々を育つのには時間が要るが 見た目は建築当時の景観になるかもしれないけれど 切り倒して木々が積み重ねて来た我が家の時間も捨てさることにした。除染後に再び数十年掛けて我が家の景観をつくり上げればいいからだ。 ■ 除染作業によって家人が不安定になるか心配だったが 毒系が少なくなるので喜んでいる様子(放射能と共に汚れも落ち見た目も綺麗になるかもしれない) 除染1日経過だが 一安心 |
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1月05日 寒さがゆるみ大地が凍らない日だった 昨年末除染作業の監督さんは「今日から除染用足場たてをする」と話していたが来ず。どうしたことか・・? 大地が凍てつく冬場は除染休みになったのかな。 ■ 緊張と疲れがとれたようで 落ち着いた暮らしぶりになった 家人。 ■古フイルムスキャン 80本目終了 80本のデータを並べるとそれぞれフィルムの撮影年がわかるようになってきた |
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1月04日 暖かく夕方は小雨が降っていた ■年末にパンクした自転車を修理にだす。 側溝と歩道に間にタイヤが挟まりリムでチューブが切れたとばかり思っていたが よほど珍しかったのだろう 自転車屋のおじさんが 「長い月形ガラス状の金物が刺さっていた」と指に載せて見せてくれた。 ■年末に始めた カラーフィルムネガスキャンは70本終了した。コマ数を数えてないが 千数百コマスキャンしたかもしれない。 東京生まれ育ちで現在は福島で病の暮らしの 家人 は小学生から自分のアルバムを編集整理し共有出来るようにしていた。記述されている時々のコメントのある編集が素晴らしい、レベルの高い内容だ。(大量の物を処分してて発見した写真集) 結婚後 子供の成長記録も編集整理しているので 戦後個人史としても貴重になるだろう 子供の成長記録を重ねながら およそ70年ほどの個人史録が作れる予感が湧いており。 今日最後のスキャンは my次男が中学2年生の時に 県北中学陸上競技大会の100mハードルの手動連写 1992年物。23年前の競技大会の様子 写真撮影時はなにげに撮っているのだが 時を経て写真を観ていると 言葉では表せない 写真を撮った現場に居る仕合わせというのを自覚する 現場に沢山居るのは仕合わせに決まっていると改めて確認してしまうものだ ■ my長男に参加してもらった「病の者と大晦日からお正月体験」話し。問題点が明らかになったと思う。311後から怠薬=薬切れの家人は現在は陽性期なので今日も平安でモリモリ食べる〜 ゴミを出す出す〜 my長男は統合失調症というものがどのような症状を現すのか?社会的にはどのように扱われているのか?など知らなかった、知る気がなかたようであるが 遺書事件を切っ掛けに 文句を言い続けたので ようやく目が開かれたようである。 作者の母親が統合失調症で成長の日々や暮らしの時々で起きた症状のことを漫画にしているのだが、その本(左)を買い持参したので目を通した。 100人に1人が発症して癌とほぼ同じ割合なのだが 精神疾患に対し根強い偏見が残って居て 西欧のように社会の中で健常者と共に暮らしことを制度的に選ばず 閉鎖病棟に入れて死ぬまで退院させず 病院経営の貴重な資源であるとまで抜かす医者輩もいるほどの遅れた認識しかないのが日本の実情だ 家人の人権を無視せず 人間らしく暮らす方法を家人の病が発祥してからおよそ25年 間試行錯誤して来たが 案外人間の脳は勝手に働くので 対応が難しいし慣れることはない。 体調が悪いと 辛くなることもあったが 今では病を癒やすという希望や欲望を持たず 単に病の家人と 平安にその時だけ 一緒に暮らし未来を思い煩わない このことだけに目を向けているので疲れなくなった 。疲れる場合は 家から逃げ出して息抜きをすればよいがその手法も編みだしなんとかやっている。 成長過程にあるmy長男はまだまだ 達成なんか〜不可能にきまっているような 理想を追い求めつづけ 青息吐息で 生きているように見える 少年老いやすく学なりがたしを生身を使って映画のように示している。周りの先生達も職場環境も どちらも過度〜な 理想病や成果主義病に陥っていて俺には日常をきちんと暮らしもせずアホちゃう? 滑稽にも見える 平凡な俺は 死んでも学が成り立たない、どころか 学など成り立たせようとしていない。 家人の病と共に暮らし家人の葬式を済ませるために 1月ほど家人より長生きすれば よいと思って日々 歯磨きと ファーストフードを採らず食事を自分で作って家人より1月だけ長生きできるように努めている。 明日家人が死んだら 来月 死んでもいいということである 現在 妻をもたない my長男は 精神疾患(=大方は心根が優しく小心者で親に囲いもまれ身動きできないふうかも )を罹患してるパートナーを選ぶ確率がとても高い。 それは 病の家人の資質(お人好しと 押しの弱さ など) を受け継いでいるからだ。優しい相手の方が楽だ という怠け精神が如実にでるだろう、かだらよほど心して 強いハートを持つパートナーと選ばないと my長男の妻も母親も 自らの子も精神病へ通う 集合態となるだろう それが不幸なことか 幸いなことかは分からない 学門など 高度な贅沢な時でそれは 蒸発してしまい 家族の病に縛られ 現在よりさらに青息吐息 苦悶する暮らしになるように思う 父親が躁鬱病だった俺は精神病には慣れているはずだし 自立・独立的で行動的な女性を選んだつもり だが 妻が統合失調症(更年期せいパラフレーニーと称されていたが)を発症した。 想定外の事態におとされた。25年前は病と共に 子供育て資金をかせぎならら 片方でばかばか金を使いまくるmy妻:にどんなに苦悶油を注ぎこまれるような 閉塞し辛い日々の連続だったことか ← 俺。 親兄弟は病を理解せず 原因探ししかしない馬鹿ばかりだった。 夢判断を毎日して自分の精神状況を分析し自覚しながら生きていたんだけど 辛いものだった 大晦日から昨日まで新年を共にした観察していたが my長男に統合失調症の母親を看取ったり、平安な日々与え 生を終える その環境を整える与え続けることなどできっこないと思った(理由の詳細は書かずだけど できるかもしれないなー分からない) 俺が妻より1月ほど生きするしかないなーと自覚した正月の数日であった。 お金も稼がねばとも自覚した老人の正月であったよ 今夜の家人は 妄想を内容を明るく語り続ける人であった |
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1月01日 京都など西日本は大雪が降っているとのことだが 夜 うっすら積もった あけまして おめでとうございます 今年も平安であればいいのだが 我が家は 統合失調症暦25年ほどの家人と暮らし続けているので平安を望むことはない。問題が発生したらその場対応できたら めでたしだけだ。 精神疾患=病を社会の人と共有するためにはまず我が家から実践しなければ社会の対応救援の扉は開かない。 そんなことで そのため いつからだったか覚えてないが 家で年越しをすることがなくなっていたが 大晦日から数日の正月を過ごし発生し起きる 色々な問題は何かを共有するために my長男に来てもらい大晦日から新年を家で実験的に過ごしてみる 色々問題 に対応出来なんんだけど 出来ることだけ対応して いけばそれで 100%の対応成功を望まず 1%できたら 喜ぶことが 解決不能の 精神疾患対応は肝心なのではないか 写真に撮るとそれなりのお正月風景に見えている |
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