佐藤敏宏の 2009年 11月の日記       home  

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11月30  晴れ 寒咲のバラ 俺の狂気を吸い取るがこどしか 勢いがよい 

■貧乏の大底暮らしが極まって来つつその上に、飼っている狂気が大爆発暴乱の予感もあり、防止策におおいにあわて。そんな11月であったが今日で終わり ホッ。緊急会議も開きなんとなく収束しつつ 現状認識を共有したことは得難い事、明日から師走だ 

■宿主はとっくに倒木したが寄生してついてきた藤蔓、10年経っても毎年ぼうぼうに伸びる。今年も伸び放題で 夏場は地面を覆い尽くし 地熱抑制にきよした。秋になって葉も散り 電線がグリグロゲロに交混線したようになったので 全て切り取り処置 地べただけに。

■きのう展示作品の片付けを手伝った。作家のナガバサヨさんからメールがある。展の主催者の意図は混濁しててつかみどころがないが 作家のそれは作品から滲み出てしまうので 話し合いやすい、ワイワイ一部参考になったとのこと。これからもこの町は アートプランナー不在で不毛な時間を積み重ね続けるだろう(アクチャルなアーと作品は 昔の美という概念とは馴染まない) 観客がほぼ身内のような場に引っ張り出されて気の毒でもあるような、作家の置かれた=家族内の位置や 交流が見えている   それはそれで現実的でよいだろうか。これからも多様な場に出て諸事情を乗り越え力を付けてほしいものだ

松田朋春さん夕方か Web記録の続きをつくりデータを送   明日で終わるかも


  11月 29日 晴れ 冷えだした

松田朋春さんことばのWeb頁をつくり始める。3箇所に移動しながらの音声採取だったので、画像がほとんどない。そのうえ夕方だったこともあり画質が悪い。ネットよりいろいろ画像採取さしていただいてしあげよう。

アートのある週末展最終日なので 片付けボランティアと取材をかね て夕方2時間ほどワイワイがさがさする。アーテストやボランティアの方々と話す機会があり、どういう状況なのかおおざっぱに理解できた。 やはりあるしゅの壁が高いように感ずる。 アートプランナー不在によって起こる空気の噛み合わせの悪さのように思う。

しかしアートプランナーが不在の実情は福島に限った話ではない、そういう職業を認知できず放置した社会側の責任でもあると思った。 

非日常的だった平凡な場が どんどん平凡な時空に戻る その場に立ち合うっていう事態は 2つの領域を行き来するような、境界に立ってる気分がして面白い 祭りの後片付けを想えばよいか、しこし違うな 。作家の了解を得 作品のデータをすこし 採取。例によって2ショットも多数 ゲットするも Web掲載は拒否された

2日間の交流で 40才弱の年齢差だが 若き女性アーテストの覚悟を理解できたような気分が残っている 学問や研究とはまったく違う、豊穣で危険な暮らし方の質がそこには有るのだった



11月28日 晴れ

  公開講座4回目 前半1時間が宮武弘(写真中央 県美の学芸員)さんによる市民対応に慣れなれているプロ講義 

前半部は行政主導で行われた屋外彫刻の実例と現状紹介 福島市内ににある24点 コンテスト型でつくられた200点以上の宇部市の例 作家への注文で作られる仙台市の屋外彫刻 同様の手法で公共空間に配される碧南市の例 

海外の状況について ニューヨークのリチャードセラの巨大彫刻の顛末 10年ごとに行われるドイツの実例 市民の家屋を美術館化し使った現代美術の展示例としてベルギーのお話

国内にもどて妻有トリエンナーレの序章をさらりと。2日前に行われた石川町での巨大紙相撲について 夫婦作家 kosuge1−16の活動からみえる現代アートの実情は 素晴らしい内容! 紙相撲がアートであるという解釈は受け手の知性や知識 好奇心そして社会の受け入れかたによって可視化される状況が刻々変化してしまう   アートのあるべき面白さがそこにはある とてもよい社会になって来ていると実感することができる

結びが 作品の形態がどんどん変化してアートそのものが生活化していて、アートと生活のそれぞれに相乗効果が現れているという現状認識にまとまる

その認識を受けて後半が宮武さんの司会で ナガバサヨさんとmomokoさん、そして企画者である石井辰一さんをまじえた 聞き取り形式の話し合い。

ナガバさんは環境へ柔軟に適応できる作家でそのような作品となっている。 momokoさんは我が侭とかたるだけあて環境を消化しつつ環境と激共振し問題や意味が作家の意志と無関係に生まれてしまう作品の源について。それから有機的形態に興味がある因が解かれていて なかなかよい語りであった。

やはり聞き手の能力次第で問題のありかや事実を 可視化できる= レクチャーの価値がどうにでも変わってしまう のは 建築系のレクちゃーでも同じである

現代アートが資本や芸術的旧来の権威から解放され 自然環境や資本や生活をふくむ社会環境にドンドン融合している様が 小さな如春荘にも在る事実。貨幣には産みだせない人の営為は評価されるべきだが?  


 11月27日 晴れ

太田浩史さんに教えてもらってしまって  松田朋春さんとメール交換が出来た!。松田さん分の文字起こし夕方完了する。今夜からWeb頁を作るぞ。企業の製品開発に関わる話が多いので公開が難しいと思えるが・・。迷惑を掛けたくないので その部分は削除して公開になるが仕方がない。松田さんとスパイラル/株式会社ワコールアートセンターに関わる広い仕事なのであるから。 出来るだけ頑張るが 共有した方がよいと考える部分のみ公開にしていきたい

■大学の公開講座とアートのある週末展は県美術館の南側の如春荘で行われている。町の雑事のついでに帰り道  立ち寄る。

きょうは芋蔓式(いもづるしきを発表しているナガバサヨさんが居てダベルことが出来た。ナガバさんのお母さんやお兄ちゃんを10年前から知っている俺だった。1時間ぐらいだべったので大方理解。 

明日は午後2時から4時までトークイベントが会場で行われるので、時間のある方や、まちづくりとアートの関係などに興味ある方は 参加するとよいのではないか。おれは直接いろいろ聞てしまったので、成り行きを見守る態度で参加予定。

■ ツイッターでRTをしょたいけんす、相手は松島潤平さんだった。返信とRTの使い分けがはまだ分かってないのだが、ジャンじゃんなみ語で返信して練習してみた さぞ迷惑な人もいるだろうが ゆるしてもらおう


   11月26 はれ

食材を買い出す、水物が多くって重たさ倍ほど。果物は買わず。今日もPC稼働重たし、短めの日記しか書けず。 頁を改めるのも やなので、そのまま書き継ごう。

松田朋春さんのことば のこり15分ほどかも すこしずつ楽しみつつ起こす

地元アーテストインタビュー依頼 予想どおり 断りのメールがある。自己満足のアートなのか、医療型のそれなのか、建物の価値体系破壊に挑んでいるのか、他者に不寛容な姿勢は演技なのか、いろいろ聞き出してみたかったが 縁がないのであきらめることにする。インタビューは話したいという相手のモチベーションがないと成り立たない。

個人の聞き取りは大手マスメディアのそれとは違って 公開されたかたらといって 何か誉れ高いね他者が認めてくれるわけではない。だからインタビーイの境界や構えの構図が明確に見えてしまうのである。 

こう見えるよ!と言うのは止めているが、オイラは鏡の様な役割でしかないのでそうなる。とういうことが伝わってないかもしれない。

11月25日 晴れ 

松田朋春さんのことばを30分弱文字にする 残り20分ぐらいとなる。松田さんはスパイラルホールでアートプランナーとして活動されているのでアートのアーテストの心情を知っている、希な人であるとインタビューしているとそう感じる。それから建築家に対して冷徹な視線を持っている人なのであり、それもリアル感覚なので嬉しい、こういう人が建築界に居ないので悔しい

月末になると 日記頁のソフトが重くって動きがとても悪くなる! メモリー不足なんだろうな 大底貧乏なので交換出来ない 

昼傍の一時的美術館に展覧会を観に行き アーテストが来たのでインタビューを申し込む。実現するかどうかは 分からない  地元が一番困難な地域である   


11月24日はれ 子が泣く 晩秋の夜

松田朋春さんのことばを30分弱文字にする。 ことば悦覧in神奈川は最後の番外編の部分に掛かっている。松田朋春さんのメールアドレスが分からない 古いノートをすこし開いたが見つからず。文字にしちゃってWeb頁も仕上げてからでも遅くはないな。途中で捜すのをやめる。

myツイッターの使い方わからず(涙)。Web頁の様子と混濁しつつあるので何とか仕分けしないと どちらも俺にとって面白くない 道具になってしまう気分が芽生える

ツイッターは 140字以内で全く意味の無い!だけど読めてしまうものにしたい。 簡易な文字の羅列を練習中 だまだまだ駄目。 

文字が並んだとたんに 書き込む俺の意志と関わらず急ぎ足で立ち上がる調整不能の味 意味 そいつが生まれちゃう厄介さがある。長年人間が使い込んで積み重ね研ぎ出しを繰り返し 使い続ける中で 未だに 生き続けている道具の亡霊のようなものだろう。  それを火葬しし天空に解体してしまい、オイラの発明した言葉で埋め尽した先に無意味が立ち現れたらいいな〜と大風呂敷を広げてみている

 簡単に読めるけど無意味  で楽しい 文様ではない文字の羅列をつくりだしてみたいものだ  真空のエネルギーのような 文字の羅列が いんんだがな〜 何も無くなったときに不意に現れる何か そういうもの 道具になったらいいんだが 若者の方が上手く使い子でるぜ  哀しがって見妙   

■写真家の鈴木豊さんから写真データが届く 2008年ことば悦覧in横浜のおり参加したピクニック 前列中央俺  松田朋春さんも  俺列の後ろ列 向かって右側女性のなかの一人の男性が松田朋春さんです、鈴木さんは向かって左端のメガネの人です  鈴木さん感謝です



 11月23日 晴れ 

緊急家族会議をする。my長女の家に集合し16時間ほどワイワイする。行き帰りの電車は連休とあって、仙台買い物の母娘恋人たちが多い。晩秋の信達平野は土色を増し冬支度はもうすぐ終わる気配。遠くの霊山の山並みが青く北から南へ延びてライトブルーの空を絞めている

100年に一度の経済危機とは 無関係だが 長い間 我が家の経済事情は世間以上に悪い大底。原因は俺がまったく労働し賃金を稼いでない期間が長いからである。と簡単明瞭でばかばかしい限りである。で働く肝もない。 だからそんな内容の話を誰が相手にするのだろう? 相手にされはしない。社会の貧困率を引き下げている元凶の一人なんだからウザイを言われる、 なかば自慢げに自覚している。

今月に5回ある福大の公開講座で教えてもらったが、ヴィクトリア朝の紳士の定義は働かない人ってことだそうだから、その時に暮らしていれば(中身は無いが)俺は紳士なのだ!と胸を張って自慢出来たかもしれない。 180年ぐらい生まれて来るのが遅かったと 悔しる振りをすうる。

my子達に与えた 俺の教えは役に立たない人間になるように日々努めて暮らすであったから 言いつけを守って大きくなったので俺が働かなくても 文句は言わない。言われたことがない。 晩秋の空にあるタンポポの種よろしくぷかーぷかと世間から浮き生きしている。どこに所属するでもなく漂っている変な生き物なのだ。  

2ッつめの言いつけはやりたいことはその日の内にやる 厭なことはやらない。 死んだ人が悔いを語るなんてことは無いんだが 何時死でも悔いは残さない生き方はこれしかない 我が侭に生きるってことは少し違うが 説明 省略、その当たりを延々16時間語って とても面白く 楽しかった。言いつけを守って大人になってくれてありがたい、と こちらが感謝するような塩梅であった。で皆貧乏。 


2回目の 俺は何時死んでもいいと思っている がmy子達が何時死んでもいい生き方をしているかどうか? 確かめるための緊急会議であった。けっろんは書かない。

 俺がこの冬 餓死・凍死しても泣いてはいけません、恐れてもいけません 笑いましょう! それが俺の快楽なのですから喜んで欲しい。働かないで生き続けるとどうなるのか? 果たして餓死?凍死は訪れるでしょうか? ここからが俺の貧乏力の大底力が試されるわけで、なんだか思った以上に貧乏時空も楽しい覚悟が要る時空なのだよ。(注)*小さなお子さんをおおもちの方かたは 真に受けないよう、家族の幸せこそ、宝なのです、平凡な労働こそ幸なり トシススロの教え13章) と書いたら コメ15kgを持ってきてくれる人あり 世はあたたかし 

■往復の車中で「可視化」のジャーナリストを読む、講義をする、文字を起こす、編集する、一冊の本に仕上げる、 出版するという一連のながれから生まれ出る本を直に体験出来た。その幸と中身の濃さの2重の幸があるんだな〜と確認できた! 全て文字起こしたのが省略 中身 オモロイ


 11月22日晴れ

■敷き詰めていた銀杏の絨毯を掃き片付ける。ゴミ袋3個ほどの絨毯廃材。銀杏はほとんど散ったがケヤキはまだ残る。銀杏の葉は片付けやすいがケヤキのそれは軽くてカサカサで集目 憎し

■ことば悦覧in神奈川 番外編 松田朋春さんの言葉を文字に起こし始める20分ほど起こす。途切れ途切れだが、1時間40分ぐらいあるので、週末までは起こしてやんる象 

■ツイッター雑感 追記 掲示板とブログ合成され 一覧性を活かす使い方を身につければよさ毛

■久しぶりに 緊急家族会議in仙台にて開催予定 粉これから仙台へ 菜宇・なう (爆笑)

つーったーふう味の 日記にしてみる


 11がつ21日 晴れ 寒くなった

ツイッター1週間体験雑感。 全ての人が使っていないのが救い

詩や死という言葉がこれほどに似合うツールは無いかもしれない。

書き手の失った時空が文字で記述され尽くしているかのようである。 見てはいけない秘密をもった無意味な死体を見ているようだ。

過去の文字を見て ヘドを吐き出すことは無いのか? 不思議に感じる

 不可能だろうが 一斉に同じ事を書き出し アップしたら どうなる?それを想うと何時も恐怖がつきまとう。気味が悪い、そんな気配が漂いとても気楽に付き合う気分になれないし、気楽に見ることも出来ない。覚悟が要るのだが・・。

いまなにしてるって気持ち悪い表示が出る、 pcの前に居る決まってる。 愛ボットを使ってないせいかもしれない。

情報の均質性の進展が目立つと感じるが 間違いであってほしい。 ローカルな多様性は蛸壺のタコ足を喰らうように 失っていいく、 ローカルな本体=我をも食いつくすのではないか。そんな気配もある。 ネットの自死・崩落の悪夢を見ることになるのではないか。どこかで何かをコントロールして 2週目も付き合い続けてみよう

動員や勧誘、囲い込みを主目的とするフェースブック・ユーチューブ・ポリテぃコ やブログとは全く違う。そう思う

■ 公開講座3こま目来週が作家が語る。今日は図像学入門、5コマのなかで一番講義らしいのではないか。図像学だから絵解き語りなんだが、古代史好きはよだれものかもしれない。 文字が普及してない古い時代作品なので読み解くしかないわけだ。 質問者が時代が進展すると絵が整理されて色彩が明るくなるんだと思いこんでいる人が居て、思わず笑ってまった。多数を知ることは 世界は不明としることだ。カオス状が普通の様。無理に整理すれば欠落感はついて回るはずだが。



 11月20日 晴れ相変わらず寒いと愚痴ってみる 

■仕事場に、林檎を数個置いて林檎の香りで満たしている。なかなか好い。香りがよい、好きなジョナゴールドはもうスーパーには無いので王林で間に合わせている。代替え香りなんだがまあまあ。

■ことば悦覧in神奈川 最後の面会者 松野由夏さんの記録を公開する。

09年10月末現在 松野さんは(株)みかんぐみにチーフとして勤務している。ことば悦覧は独立系建築家や表現者を対象とし聞き取る活動なのだが、曽我部昌史先生の推薦なので 松野さんのインタビューをしてみた。 人の話に乗ってみる、他力本願インタビューだったのだ

その日は 朝から一食もせず! どうしてそうなったか?いつか食えると思って食えない日もあるでしょう誰にでも、そんな感じだった。 インタビューの場所は
曽我部昌史先生の家の居間。 1時間遅れで到着したので 皆さん(みかんぐみの所員さんや神奈川大学の学生さん)を集め 打合せも兼ねている 歓迎バーベキューパティを屋上でしていました。 時間も少ない 美味そう〜ぐーぐー腹が鳴るなり 臭いの拷問ハウスのような中で 1時間ほどの聞き取りで 不備な点が多い。

腹減りすぎて 一時間で切った というのは嘘で 可愛い松野さんになるべく早く会いたいので続きを残しておいた! 
ことにしよう。だから時をみて松野さんに会い聞き取り 追加していきた。

■俺の感覚だと 1年位前からデフレスパイラルに入ったと感じてたが、ようや政府も認めた  デフレ止まらない、100年に一度の金融危機の影響はこれからが本番だぜ、泣いてる場合じゃないので 暮らし方に工夫と志を失わないことだろう、なんだ 俺の嫌いな気合い論を書いてるな〜 しかたないか 失われた30年が保障されたようなもんだからそう想う  冷戦崩壊後20年 あの当時 今日のような金融危機嵐が吹くとは誰も想像してない 生きている事態はスリリングでよろしいのだ。

 11月19日 曇り とても寒い 

2009年4月から7月までの講義を俺=文字起こし人が起こしたものをベースに 1/4ぐらいにつづめ編集された本が早稲田大学公報室の稲村智恵子さんから送られてくる。
 石橋湛山記念早稲田大学ジャーナリズム大賞記念講座2009 「可視化」のジャーナリスト コーデネートは花田達朗先生 早稲田大学出版部1800円+税  昨年尖っていたジャーナリスト1名の話などがまとめられている

14人の講師は
フリーじゃナリスト・土江真樹子 西山ビル代表・西山太吉  朝日新聞・植村隆 NHK・鎌倉英也  沖縄タイムズ・謝花直美 映画監督・李纓 人権委員・藤田博司 もやい事務局長・湯浅誠  高知新聞・石井研  南日本放送・山縣由美子 NHK・宮田興 毎日放送・奥田雅治  弁護士・村上満宏 映画監督作家・森達也 

多くの人々が  ジャーナリズムの現在に興味をもち、買って読んでいただけるようになると いいのだが


表紙絵は今年も ことば閲覧in金沢で出会った寺尾ユリ子さんの作品を推薦して採用された  作品名「The  White Vase
 11月18日 山は雲の包まれっぱなしだった雪だな〜

  松野由夏さんの文字起こし と写真の整理を1日する 

11月17日 終日雨

昨夜 大混乱が起きているさなか my長男来て混乱が静まる。人の存在は有り難いものだと思って、酒を酌み交わした。my長男はなかなか芸の深みと厚みがまして話せるやつにドンドン変化してて、嬉しい! このように書くと単なる親ばかだねと間違われるが、混乱の様を知ると、それは親ばかじゃなく互いに救済している記述だと分かる。だれも傷つけず問題を確認するだけで、散会するは高度で政治的態度と似ている。

なかなか身につかないのだが、その極意が分かってお互いに使い込めるということで嬉しいわけであるよ。

 それでも混乱は残ったままだけれど日々の生活に混乱をきたさないように静まった。その疲れ、こりをほぐすためにそして 運動がたかた愛人を訪ねてみた。 顛末はttps://twitter.com/satoutosihiroで書き始めたが終わらないので途中放棄した 

■庭の寒咲きのバラと 銀杏絨毯は雨にぬれて冷たく美しい 手足を付けてやりたくなるな〜 

■ことば閲覧in神奈川 の最後に登場するのは曽我部昌史先生推薦の松野由夏さんだ。 30分ほど文字に起こす。9月31日は曽我部さんの家の屋上ででバーベキューパティだったのだが、朝から飯喰ってなくい俺めがけて焼き肉煙を吹きかけまくるもんだから まじな聞き取りが出来てない やれやれ。目ぱっちりの松野さんが目の前にいても食い気とは情けなし 、腹へると口も脳も固まるオイラはオヤジになったな〜とつくづく思うのである 


 1月16日 晴れ 近所で建前にて終日賑わう

■庭は銀杏の絨毯敷き詰めて真っ黄色になっている。しばし楽しむため掃かずにおく。かじん達は しょうじょうが悪化していることを確認する日になる、対応は熟知しているのであるけれど・・・・

■ことば悦覧in神奈川 2日目に登場した本間義章さん記録公開する。本間さんは何か努力を続け 迷いを多くもっている人で 建築系に参加している。 その事が分かる記録となっている。 建築が好きなのか建築系に関わることが好きなのか 単に多様な議論が好きなのか明快に出来てない。 建築の総体が好きではないようだ。5年後大きく変わっている人の一人だろうと思う。

ツイッター子 3日め各地の 色々な方がフォローしてくれている。ありがたしかな。 使い方が不明のため 反応はしないで置いておこう。各地ことば悦覧に応じてくれた人々の所在確認用にフォローを使ったり、建築あそびに参加してくれた人々のそれ、そして講師それなどを主にフォローして 、5年後のインタビュー面会の備えるようにツイッターを使い込んでみたい誤字脱字はそのままツイッタ子でも使い込むつもり そう考えてみるようになる ツイッター子3日め


11月15日 晴れやや北西の風あり冷たい

■ことば悦覧in神奈川 2日目に登場した本間義章さんことば45分ほどを文字に起こす。神奈川ことば悦覧も後半を過ぎ のこり1/4ほどとなる。今月末には全てweb頁にしたい。

■2006年半ばに世にでたと言われている、今年から流行りだしたツイッターに登録。 流行りを体験してみることにし  のこのこのったり〜たり〜と登録する。ttps://twitter.com/satoutosihiro だれでも無料で使える。 間抜けな写真も貼ってみたので笑ってしまいそう ググググぐぐぐ

140字以内書き込みが出来るので掲示板のようだし 少し違う。用途は プチweb小説でも、俳句でも短歌でも、無目的でも書き込める、何でもありだから使い手が 使い方を発明すれば 大流行になるんだろう。

登録も簡単でも 俺!やめかたが分からないぞ、放置すればいいのかも。使いながら理解していくつもり。

速報性はバツグンから災害や事件や 皆での待ち合わせ連絡板としたり、祝いごとのお知らせ板にしたりと威力を体験することになるだろうから、とても 使い勝手は良さそうだ。

こうなるとアイホンが欲しくなるな〜 確か月1万円で20ヶ月の縛りがあるとか、昔聞いてたが今はどうだろうか。機械だから使い勝手の善し悪しは当然あるだろうな。 月1万円でアイホン入手は今の俺の経済力では無謀なので、PCからのみのツイッター子 になっちゃったよ。ちょこちょこ書きためみて練習してみようっと 

 11月14日 曇り

公開講座を聞きにいく。美術館の誕生 ルーヴルというお題。仏文研究家が語ったからなのか分からないが、メーンのルーヴル語りでNHK制作DVDが登場。違和感を感ずる。講師身内のラブラブ語りは呆れるのではないか学生でも。20年前の改築でイオ・ミン・ペイが設計したピらミット形玄関の話も語られず。web情報肉声で語ることで与える情報の在り方、やそれぞれの差異や要点について考えたりした。 今後の活動の参考にできそうで よい機会となる 情報を伝える者は誰でもが均しく晒される今日の問題だからだ。 

■ことば悦覧in神奈川 丸山美紀さん新田有平さんの記録を公開する。同業者とは話がどうしてこうも続くのだろう 異なる他者との交流を努めて続けねばと思う


 11月13日  小雨

昨日につづき丸山美紀さんと新田有平とのワイワイを文字にしまいweb頁作りつづける。目が疲れる〜  15日の日曜日までかかりそうだ

  11月12日 晴れ ひえだす

この時期は我が家のケヤキだの柿の木だの白樺だの銀杏や蔦が一斉に落ち葉となり北風に運ばれホウボウへ旅立っている。 多量の落ち葉に気兼ねした家人は低気圧の影響も受け どうも険しい反応になる 。気圧変動に過敏なのは動物として至極当然の反応だ、ナメクジやカタツムリであるまい人間は 雨は嫌いなはずだからだ。

道路や庭を掃き落ち葉を集める。今週末で落ちてしまうのか 来週初めまで葉が残るのか分からない。 数日落ち葉掃きをしよう 。インテメートナ庭部は掃かずに銀杏の落ち葉を数日敷き詰めて眺めることにする。綺麗な一時を眺めて暮らそう

■ 昨日につづき丸山美紀さんと新田有平とのワイワイを文字に起こす。残り20分ほど。明日で起こし作業を終えてweb頁作りに掛かりたい

11月11日 世界が終わるかのような、暗い雨降り やや暖かい

どんりょり寝込んで 昼寝などもしてしまい、30分ほどしか 文字起こせず。

横浜では 丸山美紀さんと新田有平さんには 2泊もさせていたいちゃいました。初対面なのにとてもお世話なったのであった。
ご夫妻の言葉は 沢山あるけど画像が少ないのだ。なんとかしよう。訪ねた時刻がまつくらくろい深夜であることもあり絵が少ないのだ。

其上3日続けてあっているにも、酔っていることもあって、ぶれぶればかりで使いもんにならへん絵もある。

修士論文の梗概が送られてきたので、記録に付けるよう。PDFをJPGにする方法知らんがなんとかなるだろう



 11月10日 晴れ午後から曇り 日が変わるごと小雨

■ 鼻づまりの薬をもらいに、耳鼻咽喉科へ行く、いただいた薬は2.5倍ぐらいの間で呑むのが丁度よさそうに思うので、指示された量は呑まず。そのまま呑むと胃が痛くなって毎日は呑めないのだ。胃薬呑みながら鼻づまりの薬は飲みたくないので 無謀であるも、そうすると調子が良いので仕方がない。

神奈川大学建築学科m2の坂本友里恵さんからことば悦覧の記録に付ける、絵などのデータが送られてきたのでその1のペジに付ける

坂本さんは近い将来 神奈川大学のカリスマガールになるだろう。それは彼女の積極的に社会と関わって横断している姿勢にが証しいる、今は やりたいことが多すぎで困っているわけで強さはないのだ。 まあ先は永いのでじっくり着実に歩んでいただきたい。 あまり見かける事がない自分の疑問に対して真摯な態度のそれの結果は 近い将来 僕にとっては 無くてはならない 一人の 心強い建築 スフィアーニストに成長しているだろうと思う。

■ ことば悦覧in神奈川 丸山美紀さんと新田有平さん ご夫妻の肉声を言葉に起こし始める、総計2時間ほどあると思うも、45分で今日は終わる。3,4日後に公開できるようシコシコばんばるにょ〜。

 
 11月09日 曇りのち小雨 あがる

数日暖かかったが天候が崩れ雨ふる、今日は「ことば悦覧in神奈川」で採取した音声の文字起こしセズ、お休み。目が疲れてしまっているようなので、1日 休目とする

マルセル・デュシャン書簡集
(フランシス・mナウマン+エクトール・オバルク編 7400円+税 白水社)が訳者である北山研二先生から送られてきてたんで、読もうと思うも、雑事にて手が付かず。

北山さんはマルセル・デュシャン全著も訳している先生で、昔の福大で教えていた時期の 呑み友達である。今年はジョルジュブラックの本も訳して出している。エンジン全開のようだ。

20年かかって世界中を経巡り フランシス・mナウマンさんが集めた1100通から選んだもののようだ。デュシャン小辞典というべき充実の資料集とのこと。

マルセルが美術館制度を否定しつつも最後には 作品を米国の美術館に寄贈してしまったことで美術史上伝説の人になったのはなぜか マルセル彼の動機の謎がとけるような 手紙があるかどうか  興味が沸く。明日発売であるが高価であるから図書館で借りていただければ その謎の裾のに触れることが出来るかもしれない。


11月08日 晴れ

神奈川大学 俺レクチャーから帰って1週間が経った。ことば悦覧in神奈川 坂本友里恵さん記録を公開する。 学生さんの分全て公開し終えほっとする。

学生という身分を経たことが無い俺は、彼らの心情を理解出来ないと思っているからだ。さぞかし宙ぶらりんで 生きにくいだろうと思うのである。

だからインタビューして色々教えてもらえる事が多い。すっかり白髪が多くなってしまったオヤジになってしまているのにだ、それでも教わる事が多いのである。その教えとは若さとは何か?という事である。一生若いままでいることは案外難しいのではないかとも推察もできる。彼らが30年も経たないうちに 浦島太郎の如きに あっという間にオヤジにならない事を期待してしまうのでもある。
 
2009年のことば悦覧目次の追加は京都だけで終えるはずだったが、出会いというのは偶然あり、そこから進展することもある、曽我部昌史さんに出会い色々な人々を紹介していただた幸の結末を記録するのは  とても幸なことである。すこし賢くなったように思える 晩秋

 ■
ことば閲覧in京都や神奈川共にそこでのmy旅行記を書いていない。来年は、年度末までには それらを仕上げていたいものだ
11月07日 晴れ

今日から5週間にわたって行われる福島大学公開講座「アートのある生活について考える〜美術館と地域の関わりかた〜 」に参加する。 講義前の準備は泥縄状態で緊張感がなくこちがら焦るような・・。 どうなるんやろう〜多数の講演会に参加しているし、建築あそびことば閲覧も主宰してるので その体験からこれはどうなるとやら、で心配になり少し手伝う。終えても 大丈夫なの?の印象は消えなかった。 残り4回に期待しよう。(無料だから文句は言えないのかもしれないな、しかしな〜・・・)

■ことば閲覧in神奈川 長谷川明さんのweb頁を公開する。

長谷川さんはどうして建築に迷い込んで6年間も勉強しているのか?その事を聞き出せず終えてしまっている。

初対面で30分制限の中ででも 聞き取りだすのは困難にも思うが。

そうそう短い間に彼の核心に迫る問いを発見するのは困難なのだのだろうか?、次回5年後には設問能力 その腕の磨いて、挑んでみよう。

11月06日 晴れ 

ことば悦覧in神奈川 村上敬祐さん分をweb頁に仕上げ公開する。村上さんは目と鼻の先の中学校へほどんど通うことが出来なかった、ゆわゆる不登校児だったそうだ。であるが高校へ入り、大学に入り、今は修士1年生である。不登校でからと言って どうなのか? は分からない。僕にとってはどうもよいことだ、なんたって楽しく話が出来るじゃないかそれだけでいよい。

村上さんの話からの印象だが、人間が作った価値体系を素直に信じ込み易い マジメな家族同士だったのではないだろうか? 母息子がなにかを強く信じている、そして情熱的であるが お互いの行動を上手くかみあわせることが出来ず、 不幸な時が流れたのではないか、そんな印象が残った。 僕は両親や兄弟をすっかりと 信じたことが少ない。で傷つけ合うこともない。 人間関係の多文化主義者である。 血縁者廻りもほどほどにしか信用してなかったが、ほどほどでお互い上手いこと暮らすことはできる。 

多動性障害とかアスペルガー症候群とかいろいろ病名を発明されてしまい、カテゴリーに追い込まれて処置され本マンの病に陥る。 その時 病を留める術は、生な相手を 先入観や、常識を捨てて 生な動物として付き合えばよい、問題は起きない・。しかし人間は社会の中で生きているので それぞれ規制のなかでうろたえ生きざるを得ないから、子供や病を持った家族と長い間、付き合い事に耐えられないのだろう。

家族の者自身が社会的無能者に進んでなってみれば、そのことが解るのではないだろうか。村上さんの話を聞いていると いろいろ人間の生き方の 端緒を教わることが出来た。話してすっ切りしたような彼は 人生はまだ始まったばかりなのだと自覚している。


11月05 晴れ 

ことば悦覧in神奈川 小金丸信光さん分をweb頁に仕上げ公開する自分の事をもっと理解しよう 知ろう!知りたいと インタビューに応じてくれました、果たしてどうだったでしょうか、感想など聞いてみたいのですが。

続いて村上敬祐さんぶんの文字を起こしてしまう。

ずーっと文字起こし、web頁をつくり続けていると目もあたまもぼんやりしてくる。ちょっとやり過ぎ 気味かもしれない。感想など書くことあるのだが、眠いので間違ったことを書いてしまうのは問題だから今日はこれでやめておこう。 


 11月04日 晴れ 冷える

例年より早いかもしれないが我が家の床暖房のスイッチが入るぬくーいね! 灯油はリッター58円だったかで、去年の高直と安値の間。月2〜2.5万円ぐらいの灯油代が半年必要だから 半年で12〜15万円との予想を立てる。飯は食わねど床を暖めるねばと。

神奈川大学建築学科 4年生の杉山聖昇(きよのり)さんに宿題を出しておいたが、自分で自分の言葉を起こすことだ。その内容の文字データが送られてきたので、聞き比べて、文字なを整理し、画像を付けてweb頁記録をこしらえて公開した。

今時の青年とか末っ子であるとか、加味すれば杉山さんのような、やる気が出すぎるのは不思議である。自分を知りたいってのもそうだけど、なぜそうなって行動するのかは聞き取れてない。5年後にまた記録してそれらの補いたいものだ。

俺は工業高校の建築科を卒業した者だけれど、卒業当時建築の施工の対して杉山さんのような偏見はなかった。むしろアトリエ事務所に興味が無かったと言ってもいいだろう。作ることと設計することは離れてあることが解せなかった。 杉山さんはどうしてアトリエや設計事務所 偏重 思考になったのか?も聞き出せてない。好きだと語る ガウディは現場で暮らしそこに住んでいたはずだ。

 情報化社会にあって 起こるべきして起こる、偏りの様と言えるかもしれない

■同上大学のM1 小金丸信光さんの言葉27分を文字に起こす。明日web頁に整えて公開したいものだ。


 11月03日 今日の風はとても冷たい!半田山に雪が降ったとか 

■高校部活の先輩が熟したラフランスを20個ほど持ってきてくれたラフランスリンゴと俺は何もしてあげてないけど、毎年頂く。

お姉ちゃんはもちろん、親にだって見放されているに俺に、毎年毎年 自分で育てた果物を持ってきてくれる、神様のような人であるな〜と毎度思うのである。

皮をむいて食す、あますっぱく柔らかな歯触り、スプーンですくって喰うとよいとか言っていた。ウィスキーのつまみとしてかじる、よく似た味だが相性はよいよい

■庭の柿の実を20個ばかり採り入れ、皮をむいて2階のベランダに干す。 柿は豊作不作を交互に繰り返すようで、今年は不作だった。放置してたので、野鳥に10個ぐらい食べられた。

■ ことば悦覧in神奈川 でインタビュー中に唯一 文字起こしは自分でしなさい!と宿題を与えてしまったが、今日データが送られてきた。 聞き直して訂正し、2頁ほどにまとめる。明日写真など付けたり、文字に色を付けたりして 最初に公開しよう。


 11月02日  曇り 山は雪だろうとおもうような冷え冷え気温 初冬ってことだ

資源配分を コンクリートから人へをスローガンとする 政権交代後 初の予算委員会の審議を聞きながら書いているが、質疑応答の様子が分かり易く一変してる。野党自民党のネガティブ態度が続出するのかどうか。

昨日の夜おそく 神奈川大学の講義に便乗し 「ことば悦覧in横浜」を行い、福島の仕事場に戻ってきた。 10月29日〜11月01日までの事を日付順に書いてしまおう。
 
  29日講義のこと ・ 30日後半部へ ・ 31日
     曽我部さんの家でバーベキュー ・  1日のこと  )

★ 11月01日 東京 快晴 夜 福島 雨の中戻る 

昨日像の鼻公園にて申し込んでインタビューにて 午後松田朋春さんに会う予定だ。

デザインヌーブの研究員でもある俺は 研究室で目覚める。昨夜は 研究室にpm10頃戻り、画像と音のデータ整理など整理しようと思ったが、ネットのつなぎたが分からず、色々格闘したが つながらず断念。 AM1時頃寝。

AM 9時まで ごろごろして起き出し、再度ネットつなぎに挑戦するもだめだった。次に大阪から六本木あたりに出て来ている柳原照弘さんに電話するも、午前中は時間が無いようだ。 午後は俺がだめだ。 1時から柏の葉キャンパス駅に出掛ける予定なので、柳原さんとワイワイできない。 am11時に研究所を出て代々木駅前のいつもの中華屋で朝飯を食う。秋葉原駅に出て、筑波へ向かう電車は初乗り、柏の葉キャンパス駅 12:30着

■田村市まちおこしUDCTでお世話になった兄弟たちがいる。 UDCKの建物が目の前にあった。周辺の様子は聞くと見るとでは大違い。なるほどこういう配置と駅前広場になっているんだ〜と確認。のっぱらに新しい建物を建て道路をつくり商店をドンドン作っている。今郊外と言われるような姿とは違う手法で町が作られているようだ。

1時から始まる、第二回「はっぱっぱ体操コンテスト」を観ながら松田さんにインタビューするために来た。インタビューイは 松田朋春さん(ワコールアートセンターチーフプランナー)体操などを企画のアートプランナ〜だと思う。、各地での産品を作る企画などもしている方なので色々聞きたいことも山ほどにある。が、まずは松田さんの基本的な仕事の様子を観ながら松田さんのベーシックな事を聞きたい。

昨日で行われた横浜ピクニックイベントの会場で申し込んでおいたのだ。

■晴れ晴れとした青空の下 ららぽーと柏の葉の2〜4階に当たるような 中庭 で はっぱっぱ体操のコンテストが始まる。今回が第二回目で、毎年ゴールデンな連休の春と 秋と行われるコンテストだそうだ。

3才ぐらいから80才をしぎた老若男女が集いて競うイベント、体操そのものも体操音楽もさすがにかっうがいい。

なかなか好い交流風景であるよ 。コンテストを眺めながら30分ほど聞き、審査を挟んでた聞くなどと仕事とインタビューをビックなハンバーグ状の様に 3回繰り返して2時間ほど聞き取る。

中断時にはUDCkの若者たちとダベリつつ、雑談などしていた。色々人が出入りして、UDCkの様子が理解できたような気分になる。

松田さんとは お互いの話がヒートアップしてとてもよかった、今度まだ忘年会を兼ねて呑みかいダベリ場を持とうと約束していただき別れる。駅まで送ってくれそうだったが丁寧にお断りする。 駅や町は、もう真っ暗なり明かりが方々にともっている。

25年前とは 町の作り方も随分と好い方へ変わったな〜と 実感する半日であった、良い勉強になった

■東京駅にもどり戻り構内で夕飯を喰らう、動き回ると腹が減るものだ。  新幹線に21時頃福島駅に着く、冷たい雨が降りしきっている。さむいな〜うろちょろし10時仕事場着。誰も居ない仕事場の沈黙の時空は 俺にとって必要な場である。 2時間ほどデータ整理し寝る。 この間の出来事が頭の中を 駆けめぐっている。

 曽我部昌史先生が 作り与えていただいた幸運な機会であったな〜と 改めて感謝  お礼にかえるべく、ばんばって記録をつくらねば と思うのであった
  
 10月 31日

 丸山美紀さん新田有平さんの家で 8:30分に目覚める。有田さんはお茶会なので出掛けていない、シャワーを借りてのち、丸山美紀さんと二人っきりでラブラブ談義2時間ほどする。あわただしく立ち上がり 丸山家を出る

■ ピにクックを見学しい行く

丸山さんの家の目の前の片倉駅から 横浜地下鉄のブルーラインで関内に向かう目指すは太田浩史伊藤香織さんなど東京ピクニッククラブが行う像の鼻公園での実践ピクニック。 (後で横浜で乗り換えみなとみらい線の日本大通り駅で降りればよかったと気づく。トホホタクシー代損した気分。アイホンが要るな〜要る要る。

会場にはベビープレーンと呼ばれている飛行機形のエアマットが敷き並べてあり、マット方々で手作りでリッチな食事や酒や談話が広がっている。やや〜今回は吹き流しも作られていて華やかさを演出していた。それしても多数の人々や飼い犬など賑やか。

各パーティーを太田さん香織さんフードコディネータのかたの三人組でアンケートをしいて普段とは違う気合いの入った様子にやや驚く。イギリスでも行ってきたので慣れていると思っていたんだが?

調査版の後を2人の酢タップが釣り竿にデジカメ付けたカメラで上空からの記念写真を撮ってその場で印刷を行い渡すという、気が利いたサー^ビスでもって好い。毎度彼らのはやることはセンスがいいというかレベルが高いのであるな〜と思う。

ここまでの質を考えてやらないと、高度になった、お目が高くなった一般市民=他者に受け入れられないかもしれないな〜と 考えてみる。 

会場には ピクニッククラブの会員でもある 松田朋春さんが来てたいので、インタビューを申し込むと、携帯の番号を教えていただき、明日の午後1時柏の葉駅に来るようにと言われる。ようやく松田さんとお話が出来ることになるぞ〜!! 5年ほどまえから知っていて、機会ある事に 2回ほど申し込んでおいたのだが、なかなか実現できなかった。
そうこうする内に 建築写真でも名高い写真家の鈴木豊さんも来る、鈴木さんも会員である。鈴木さんんも面会を申し込んで置く、OKとのこと 携帯を教えてもらう、2年以内には実現するだろう。。 

アニメ は 太田浩史さん 伊藤香織さん松田朋春さん 鈴木豊さんの 順


 10月31日夕方、から 

曽我部昌史先生のご自宅にてバーベキューパーティーに招待というか ついでにインタビューをするというか、多義多重意の集合なのであるるよ?ふふふふ

曽我部先生はアウトドア派だそうで、網で焼くものが得意とか言っているのだったがはだしてどうか。

3時過ぎに、妙蓮寺駅から曽我部さん直筆の案内図にて 曽我部さんの家をめざず。

道々は横浜の起伏を活かすかのような配列で 住宅やマンションがびっしりと建っていた、案内図完璧にて 10分程で着く。地形形状や景観から 以前 反対側の家をフォトコラ用撮影しに来たことを思い出す。ここか〜! 

自宅前で写真を撮っていると、家のなかから曽我部さんが「あれあれ、またやっている〜」と半ば呆れ微笑んでいる顔がのぞく。どうもどうも宜敷、横浜で買った土産「会津の味噌」を渡す。 インタビューイの松野由夏さんが待っているのであった。お互い、挨拶し早速2〜3ショットは恒例化して、皆さんも大理解しているようす、流れるように進むも 俺 朝から何も喰ってないのでへとへとであるよ〜 

俺お姉ちゃん大好きなだけど若い女性相手のことば悦覧は大苦手であるよ、まあ仕方ないと、開始すると  由夏さん、ものすごくよろしい人であり、楽しくなりすぎるも、やはり腹減りまくり〜の俺は エンジンが時々止まるような気配ありて、1時間ちょいで終えてしまう。残念ガソリン切れであった、とほほお〜。 再度お会していただいて、補足部分を付け加えて行く予定にしたつもり。 データなど整理し屋上へ移動いよいよバーベキューパティなのだ


屋上に沢山の人がいるも、何やら焼き上がっている様子、臭いだけでも倒れそうなおれだが、底はばんばって、集合写真と押してもらい、セルフ撮りにも挑戦してみるも、こちらはやや難しいのであった。

こんな感じ、何時も笑われている俺なのであった。やれやれ、格好よくいかんもんだよ

2時はほど暗いながらもたのしいバーベキューパティであるも、奥様のお帰りいただき、合流し、笑っていだだくよう芸の限りを出し尽くすかのような気分でワイワイ

どうもなやら光線があると感じるのだが、?昨日泣いていた内山さんが参加しているので、彼の怒り念かなと思ってみるもと聞いてみるとインタビュー受けたいと杉山聖昇さんが目を輝かせている、俺って人気あるね〜と、 へとへとになりながらでもそこは 銭もらってないけどなぜがすっかりプロ意識が噴出するのであった ははははは呆れたもんだよ。 

40分ほど聞き取る、なるほど色々分かるも宿題を与えてしまう俺であった。インタビューにて宿題与えたの初めてて〜 果たして宿題は実行されるのでしょうか? 夜になって冷えて冷えなのでセーターを着るんであった。


8時お開きとし、若者達と妙蓮寺まで歩く、途中道路に寝ている人あり、警察を呼ぶ。渋谷方向と横浜方面に別れ手を振り合う。 渋谷方面の松野さんとワイワイしながら楽しい電車内での時をも過ごす 

 はなつ     (詩戦かな)

楽しく興味深い女性であるとシミジミ思うのであった。

曽我部さん奥様  お世話になりました!ありがとうございました。参加者のみなさんも楽しかったでしょうか?、また機会がありましたらお目にかかりましょう!。

■曽我部昌史さんの家の簡単なメモ いずれ暇なときにでも体験記をかくかもしれない。 横浜の 多様な 地形や路上の有様をぐーっと圧縮した形式を簡単に外壁のような壁で包んだ建築であった。ズルズルしだらしないように 様が変化して在るにしつらえてあった 。広くなったり狭くなったり段があったり、床の形状に対応して視線が激しく移動させられるので、それらの多様が 足の裏の体験が視線の体験と連動させられちゃうのであった。建築の理想は路上であると語っている俺としては  佳き建築の一つの在り方だと思った。 



  10月30日夕方からの事 

  30日の前半丸山美紀さんの家で5時間ほど寝た。起きて1時間ほど御主人の新田有平さんと 3人で昨夜のマトメ討議をする。景観や建築家の役割や 法のあり方などを、ウメヅカズオさん=マコトちゃんハウスを題材に立場を整えて1時間ほど話す。お二人は東工大出身者らしく議論がドンドン進んで行くのが心地よい。

のちバスで移動し神奈川大学で本間義章さんを取材。午後 神奈川大学散策をし日本常民文化研究所を探し訪ねる。そこが主催すてる構内の展覧会を観る。それから pm6時まで採り貯めたデータを整理したり、画像を処理したりする。までが30日の前半のあらまし

■ 後半部はこんな感じであった。
今夜は俺アートストという肩書きで 寿町で泊まることになっているのだ!。で寿町の和尚という居酒屋さんで 曽我部昌史さんと呑むことにしていたのである〜、7時石川町駅集合として、6時10分に大学を出てる。

道案内は左絵の 内山雄基さんと昨日インタビューに応じてくれた、小金丸信光さんだ。

俺は白楽から乗るを主張するも小金丸さんは東神奈川駅を主張し、小金丸さんの感の悪さに 少々げんなりしつつも子に従うことにした。 途中起伏が予想外に多く横浜を歩きは疲れるものの、横浜の地形・地べた足の裏で体感できて、それはそれで有意義であった。(状況の従うのもいいとの見本みたいなもの)。

案の定!大学を遅く出た、曽我部さんの方が先に石川町駅に着いていた。やれやれ。今夜の宿第一浜松荘の受け付けに入るも、おばさんは知らん顔をし「ここじゃないよ、後ろの受け付けだよ」冷たい。後ろの受付オヤジは「この建物じゃない」と言い張る周辺をAAでもBBでもないと捜すもやはり!最初のここが宿だともう一度、受け付けに挑戦する。「あアーテストなの、そんならOK 早く言いなさい」と今度はおばさん受け付けてくれる、この町は色々な人間が混在混している町なので、手続きに手間取るのはしかたがないね、と言いつつもやれやれ気分。居酒屋までの途中火事らしく警官野次馬いとりろ ここはコトブキ〜 と鼻歌交じりですすむ

居酒屋 和尚の前で myセルフで 4ショット、曽我部先生には 何時もフレームから外す魂胆がばれているので、曽我部視線はいつもモニターに向かっているよ、注意して観ると面白いです。和尚で焼き肉を食いつつ呑む呑む喰う喰うダベルタベル うちに内山さんが泣きだしている。何か感動したのがわからぬも、泣きたい奴は泣けばよいのだ〜。 酔いもほどよくなると頭もクルクル〜 曽我部さんが和尚なのか?この店の名が和尚なのか境が紛らわしく なてくるくると出来上がっていくのである

でタクシーに4人で乗り 二次会場は横浜駅前の、狸小路へ狸と和尚は相性が良いどちらも騙すようであると俗世の人人は信じている。横浜のここ小路も 各地の狸小路と似たり寄ったり、であるも、やは満杯の店多し。とある店の二階に上がる呑む。 曽我部さん丸山美紀さんに電話をして呑みに出てこいと誘う。この当たりでようやくことば悦覧モードに染まってきてるよ〜こりゃ俺の世界だね、それからどした  ふふふふふ 曽我部さんは誘い魔?なのかもしれない、俺は誘わない派であるが、居る人 居るだけで何時までもダベル派なんだな。

そうこうしていると、丸山さんと新田さんご夫妻がやって来て、またまだ3ショットをする。呑んでいてもショットを忘れないようにしたいんで、俺は 人を誘うと忙しいので、うろちょろしなければいけないので、うろちょろ疲れが出るので 誘わない派なのだろうかな。

狸小路のとある店で曽我部さんはこっくり和尚になっている。狸が化けてコックリなのか 和尚がコックリなのかマスマス紛らわしい狸小路の一コマ絵を撮り逃すのであった、何時頃だかわからぬも、散会する。

狸小路にあってはこの手しかないでしょうと 小金丸さんは 俺に化ける はははは オモロイな〜  俺そっくりじゃねか 化けアーテストに変身は 小金丸  寿町の宿へ、内山・佐藤・丸山・新田さんは タクシーで丸山さんの家に戻る。俺は朝の振りだしにもどる

ワイワイ呑みつつ、内山またまた目が大泣きす、俺が悪いと、新田さんに抗議される、俺 酔っているのかな〜 狸にまだだまされている気分であるも な、あれこれ 言い訳しつつ、内山を追い出し寝る。 内山さん=酔うと啼く者なのかな〜。俺の親戚の叔父さんによっぱらと必ず大泣きする者が一人いて宴会では 一人 人気を博していたが そのタイプではないのだろうかな〜 はて?彼はどうかな・・

今日も一日長いく色んな事を話体験出来て、佳かった好かった。ぐーぐーAM3時間ぐらかも 床に就く。

 30日の前半へ