佐藤敏宏の 2009年 8月の日記       home  

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 8月31日 台風11号の影響で雨 夜半やむ 

鼻詰まりの薬を水割りでのんで、2週間ほど。胃が痛くなてて文字起こしが快調にすすまず岡田栄造さんことば40分ほど起こす。川勝真一さんからメールあり感想頁にはる

衆議院選挙 民主党115議席から 308議席。自民300議席から119議席と入れ替わって政権交代が実現することになった。まずは45兆円の補正予算の凍結と組み替え。それに来年度の予算編成をスムーズに行い 社会が変わるのだということを示せるのかどうか?で、民主党の船出 最初の関門を通過出来るかどうかだろう。

冷戦崩壊をつげたのは1989年だから20年前 冷戦終了後の日本の姿を示すことが出来ず既成政党は右往左往。 もちろん官僚機構は140年来同様な姿勢で 既得権益を拡張すべく頑張っていて、御上の言うは正しいと嘘ばかり(15年戦争の悲劇と喜劇、900兆円の負債や バブル経済戦争の敗北などみれば判るだろう)言い続けた。 冷戦後この20年間ほどんど無策に均しい様だった。失われた10年もあり、めためたに地方は崩れた。所得配分政策も大失敗で格差は希望の持ち方にも影を落とし固定、働く場所にも入り込みもは解消しそうもなく固定してしまた

めざすべき国家理念も持たず揺らぎ続けた この20年間は本当に酷い政策ばかりしておるな〜思い続けるたのは俺だけだったのか。とおもいきやとうとう選挙で代わる(チェンジ)かも去年の経済危機で一層の福祉切り地方切り、弱者切りの職場の無さ、ひどさは誰の目にも明らかになり自民は政権の座を降ろされた。記念すべき2009年選挙で、歴史上記録され人々の記憶から消えないことであろう。

無収入の俺にはまずは喜ばし政権交代だ。しかし 政権交代したけど、各政党はあいかわらず、与党である政治政党の理念は、うやむやの寄せ集め体質。でポピリズムに専従しそうなマニフェストだらけだ。まあ当座はそれでいいだろうけど、「国民の生活が第一」なんって言葉が 最初に掲げられるなんてのは情けないではないか 大人として恥ずかしい

政治が目指す結末の当たり前が 当たり前に出来てないことを示す言葉であることも記録される事だろう。民主党は 政党の理念が異なる寄せ集め政党だから 揺れ戻し対応すべく ポピリズム優先以外に何もない。企業に付く自民か国民に付くかだけだ。民主の「国民の生活が第一」て言葉はまだ信用してはいけない。 寄せ集め政党であるは認識し彼らの源流を忘れてはならない。 民主の政党の理念は元自民と社会党右派の寄せ集まりだからまともな政党の理念なんてのはあるべきもない(冷戦後のおみやげ)。 だからマニフェストだって揺らぎ続けるざるを得ず 大きな期待をすべきものではないことは確認しておこう

武士の時代から140年ほど間掛かってようやく 自分たちで 政治家に仕事を外注してやてもらっているという認識が主権者に生まれたか!やれやれトホホの状況を みんなで自覚できるのは好いことである。自分の姿を直視できなのはガキだ。民主政治視線からみるとガキそのものだったのだ。 ちょっとは大人になろうぜ



 8月30日 曇りときどき小雨  データ重しなので画像なしよ

川勝真一さん記録を公開する。予定外だったが大学内・路上であるから仕方ない、途中に副学長の古山正雄先生が飛び入り。30分ほど漫才となる、言葉の端々から生古山さんが浮かぶようで、興味深い


■衆議院投票する。家人、人の多いところは難しそうだ。苛立っているので言葉が険しい。棄権でもやむを得ない。

■オバマ大統領はネット状況から生まれた初の大統領だ。法のしばりもあるのだが今回の選挙では しょぼいネット選挙情報しか流れてない、現状のネット力が活かされない選挙になっていることは記憶しておいていいだろう。

報道によると民主党が大勝ちし300議席をこえるような状況で自民100割れそうだとか。結果はまだわからないが、小泉改革である自民党が解体されることになわけだ。 小泉チルドレン返って09選チルドレン=小沢チルドレンが多数生まれるようだ。そうなるとそうそうに民主党内で分列が起きるのだろう。民主党内に在る元自民の人と新自民が合流し、新たな対立構造が出来、丁度よい2大政党の様相になるのではないか。主権者としては大変拙い状況だと思うが 選挙を経ずにそうなってしまうような気がする。献金問題をかかえる 鳩山さんの力がどれだけあるか、小沢氏の献金問題があるし、国会は荒れ模様だ。 ゴタゴタがあったしても政権交代が起きることで 1票の力を主権者が実感できるのはよいことだ

社会状況が本当に隅々までへたへたへたになってしまって!よ〜 そこでようやく政権交代が起きる。そのような貴重な体験を得ることになるかもしれない。


 8月29日 曇りのち雨ありあがり

川勝真一さん言葉を文字に起こしwebぺーじを作る 3頁ほどつくる。


 8月28日 晴れ コオロギのね盛ん

「ことば悦覧in京都」8人目 満田衛資さん記録を公開 したとたん満田さんから面白い参考になるすぎる反応続けて2通のメールがある、内容には間違い箇所の指摘があり早!とビックリした。 メールで判ったことだが、満田さんはテレコで音を採っていて、それを何度も聞きまくっていたとの内容!。だからあんなに超素早く反応が出来たのだ。それにしても何度も聞きまくるってことはだよ・・・他の人も聞きたいのではなかろうか!。佳きことなのだろうか?。 まあ誰でも自分の記録は何度でも読むに決まっている。それは俺は知ってるんだけれどもだ。テーマを明確にさせるのが効果・仕事であるし。 京都では 5年を待たずに 一端整理し 終えたら 再度ワイワイする機会を作るほうが、5年後のテーマが見えやすくなって 好いかもしれないと思う

満田さんは売れっ子らしい。で時間がどうも合いそうもないということで、インタビュー予定はしてなかったのだ。 都合がついたというこでpm8時から二条駅傍の 回転寿司屋で聞き取りとなた。入店早々おれは顔にはださすもげんなりしたのだった (文字起こでけんよ)。そこは大騒音の大繁盛店内 俺自身の耳でもところどころ聞き取れてないのであった。 せっかく貴重な時間を割いていただいたので、強引に無理やり大騒音の中で聞き取るのだが。起こしてみるとやはり聞き取れない〜やめたいでもバンバリ起こしweb頁を作る。

満田さんのレコーダは明瞭な音だそうだ、俺テレコよりも俺の耳より優れている 性能の良いIC欲しくなる。 止めておこうきりがない。イカレタ身体とイカレタサイフとイカレタテレコが相応しいんだ 。色々な文字起こしもそうだが、レベルの低さは知っているのですが、建築あそびも、ことば悦覧の記録だって 継続しないと ほとんど意味が無い。その事も知っているので、身の程に機材やテクを身につけて進めます、余裕がありましたらお下がり機材など ご支援お願いいたします。PCは田中浩也さんももらいました。デジカメはmy長男にもらいました。日々使い続けている言葉は58年生きてきた社会からもらいました。my身体は両親にもらいました。自分で手に入れた、ものは何もないんですよ。

9人目 川勝真一さんことばも 京都工芸繊維大のキャンパスで音採りしたから蝉と工事騒音とで 聞き取りにくいったらない(爆笑)でもめげず バンバリ少し起こしたよ。


 8月27日 晴れ 

■洗面所の水道のパッキンがへたって水が漏れているので修理してもらう。自分で修理すればよさそうだが、材料も道具もないし依頼する 30分ほどで終わる

■「ことば悦覧in京都」8人目 満田衛資(みつだえいすけ)さんの言葉1時間ちょい分を文字に起こしweb頁を2頁作る 

■ よる映画「レスラー」を観る。映画は作り物だから何たって面白い。作るものであるが故に観たあとでああでもない 俺ならこう作ると語れるもの 作るものを観たなら。ドキュメンタリー映画にない気楽さで語れる点が映画の良さだ

今年はまだ数本しか観てないのは、人生の楽しみを見失っているようで、損した気分がある

前半文字起こしも中程にさしかかったのでここで映画鑑賞(笑)

ミッキーローク主演の演技と体作りによって大成功を収めている映画だ。作り物にはリアルな身体と演技がなくては映画にはならない、まさにはまりで 迫力満点

話の筋はややへただと思うが 大衆は喜ぶだろう。俺ならああは作らない。

観べきは
人=男でも女でも 失職・老い・孤独・病の中で、抱えてどう生きるのか? っていう下り坂人生の在り方としては ぐーと来ない(来る人多いだろうが) やや 漫画的 であった。まあいいだろう何しろレスラーの人生だし。 だれも 自分は下り坂を生きない!とおもっているのだろうが(笑止) 新自由主義の社会では大方が敗者である。重なるように 日本は900兆円ほどの負債を抱え 少子高齢化社会に入っているので、下る社会であるわけで、少しは負けて下る生き様 を考える機会になってよいだろう


8月26日 晴れ

「ことば悦in京都」7人目 浅見俊幸さんの言葉を起こしwebを7頁作る。夕方公開

浅見さんは群馬県桐生市出身で東京の武蔵美で建築を学んだよだ。 が、卒業と同時に京都市の募集にて美術表現者として京都盆地に一歩を踏み入れてしまい、以後10年ほど経っていて、すっかり根付いているようだった。

前6人の京都で活動している人の口から 著名な建築家の名を挙げ、神格化するかのような言葉を聞くことがなかった。 多くは旅し、足の裏が地球を知っているかのようだった。

浅見さんはスカルパを神とし目標としているようだ。だが浅見さんスカルパ情報源は 日本人が作った日本の出版社による建築書によってである。実物に触れず体験せず、いたく感動しているという姿は、東京で建築を学んだ人間らしいのではないか。

京都に入ると 作られたネタによる憧れや、神格化が無いようで 自らの行為に迷い無く集中してるかのようで さわやかな気分だった。浅見さんは京都でも例外だろうか?。 そういう一例を採って見ると 浅見さんは関東圏から生まれた 建築家らしい苦悩を背負ってしまっていて、とても興味深い。それも京都にある建築家の一人の在り方なんだうか、疑問が浮かぶ。

人間によって作られた建築雑誌などの情報 VS 自ら地球 歩きで得た情報 の対立を見ることもできるではないか。どうでもいい事だけど。そう思わせるだけ 浅見さんの苦悩が大きく、やはり笑えるのだ。  勘違いして在る青春の1頁をたった3時間で拝見、そんな事で好かったのだろうかと同時に思っている。  大衆に支持され超人気を博し仮面をかむり続ける建築家の苦悩の謎や不幸を 知る術もないのだろうか。人はそんなに単純な存在ではない。もっと不幸なりたまえ。

2014年 5年後に再会し、その当たりの脱皮ぷりなのか絡め取られなのかを観察記録しよう


 8月25日 晴れ 

浅見俊幸さんの言葉を文字にしてしまう。 計90分ほど、今日は52分ほど起こす、昨日の分40ほど。雑談部分があったのか無かったのか思い出せないが、浅見さんの事務所でデータを保存したので、誤り消したとはおもえない。浅見さんに関する主要な事件は聞いたと思う。

 明日全て仕上る予定 浅見さ記録を1頁仕上げる


8月24日 晴れ 

今月の日記データが多くなり、PCで書き込みの速度が遅くなってしまっている.後1週間あるのにだ。 今日は森田一弥さんの言葉に絵を付け記録を作った。画像はwebより採取したものも多い。

 森田さんのことを知るためには1時間聞いたくらいでは無理。 1時間でその方に人生を語らせるのは本来無理なんだけど。聞かないと全く判らない。

森田産はいろいろ生み出している、多産型人間だから まだまだ言葉は続く。とりあえず森田一弥さんの1時間分だけの記録を公開した。

 
森田さんのライブなる感情をどれだけ文字に出来たかは分からない
。しかし言葉を文字にしてて面白い、それの面白さを充分に伝える術は俺にはない。 足りない部分は多い。58年生きていてたった数時間の間 昨日までほどんど 知らない初対面の人の、第1回目の言葉の集合としては好か〜と思っている。 そう思わないと起こす気が起きないというほうがただしい 。 20年後 俺が生きていればだが、5回目はものすごい音の固まりが 人々を圧倒するだろうと予想してしまうよ。 森田さんからのメールを公開


■ 浅見俊幸さんの文字を起こす。 森田さんの家から京都の街中に戻る途中の比延山電車 精華大学駅当たりので浅見さんから電話が有って出町柳駅にて 待ち合わせ。で聞き取った

時間が無いので、歩きながら、車の中どこでも聞きだした。声を採音してる。 俺の人生でたった3時間しか出会が無いのに聞き込んでいる。 40分ほど文字にする浅見さんにとって どういう意味があるのか?俺はまったく判らない。 まあ浅見俊幸さんの記録を明後日には公開し意見を皆さんに聞いてみたいので 、ばんばろう


 8月23日 晴れ 

森田一弥さんの言葉1時間分ことばを文字にし記録をつくりる。 半分ほど出来る もりたさんは色んなことをしてきた 動物としての うろうろ暦が佳い 奥さんだってうろうろ暦中に出会い目出度くなのである、が そこまでの文字の記録はまだまだ先だ〜。 世界を逍遙建築家 逍遙暦は筋金入り

 柳沢究さんから 画像が送られて来たので記録に追加する メール内容はこちら


 8月22日 曇り

ことば悦覧in京都」 柳沢究さん編記録公開する。それぞれ1時間分ずつ記録を公開しているのだが、京都から戻って2週間ほどで まだ5人分の記録しか公開出来てない。鈍重きわまる。遅さね。日々webは 時系列に並び詰める更新・速報性が命の時代にあって、それは遅すぎるのではないか?。 そんなに早く記録を作ることは出来ないやれやれ。

スパーマンのような光よりも早い!文字起こし力もなく、空も飛べず、指は10本しかなく、キーを押す力も弱く、あるのは間の延び〜た静かな田舎暮らしの時間だけ。たっぷり溢れている。選挙カーも来ずこれ幸なり。急がず記録を作り続けるよ。

■この20年ほどの自民党政治から他政党への政権移行のぶれと混乱にともなう、政治のもたつきは、負の公債を多量に増やし 国力を貶めただけだった。そう思う。この10年は特にひどかった。4年前の911選挙で大勝した あの 小泉さんが 自民党は野党になっていいと演説しているようだ。政治の自暴自棄宣言。なんたる無責任オヤジなんだ。現総理は民主党の揚げ足だけ取るような演説で聞くに堪えない、小泉発言に それもそうだな〜と納得させるほどのていたらく

30日の投票を期に予算編成が大きく変わればだが政治の激動期=生活の激変や自分で何とかしないと何ともならない社会。そういう季節が日本に到来したと知らせる、国民の生活政治のスタートの合図が鳴り渡るわけだ。 まだら状態である政治勢力分布だが 市民の政治に対する一層の混乱をうむことだろう。政治家を育てずに来た責任は自分に還るわけで、自分たちの政治を政治家に外注出来ない時代の到来を思い知らせることだろう。150年経ってようやく 政治の季節の到来だね。 米国に外注してた多様(食料・軍事・冨の安全保障など)な問題も自分たちで解決しださないと、しょぼじょぼの 日本になってしまうね。

小泉チルドレン逆向き、民主党チルドレンの大発生のようだが、頭の佳い者は志も高いので、俺は心配はまったくしてないよ 状況がもっと悪くなるのは将来の為にはよいと思うね。

 8月21 晴れ よる一時雨ぱらっく

 朝から柳沢究(きわむ)さんとのワイワイを文字に起こす1時間ほどの言葉を文字にしたので明日はweb頁をつくりあげ 公開する予定

俺は近頃 建築系の人々と会っているのだが、幸せだな〜という気分に包まれる機会はあんがい少ない。なぜかと言うと何かに向かって闘争逃走しているような気配を感じてしまうからかもしれない。

柳沢さんも闘っているには違いなのだが 柳沢さんの話を聞いているとなぜか 幸せな気分になって来るから不思議なのである、あまり無理がないのだろう。その姿は闘っているけど幸せだな〜という気分にしておこう。そう他者に思わせない生き方。 巧く説明は出来ないのだがそう感じるから仕方がない。

それは幸せの才能を身につけている者、俺の証明に他ならないが、柳沢さんにとって役に立つかどうかわ判らない。。本人はそう思っていなかったようだから、本当の才能なのだと思う。 自身が自覚している才能なんてのは 自分を演じる一つの仮面そのものだから、他者にとっても大した物ではない、だから鴨川に捨ててしまえばいい。鴨川に沢山の仮面が沈んでいるのが見えれば町が幸になったということだ。

生きていて 自分が気付いてない才能に 多数出会えることほど 幸せで面白い事態は無い!と思う。俺が知らない俺の才能を訪ね歩く旅を作ったり 旅を得るのは、とても贅沢な暮らしかただと思う。何によってその気付が得られ気付いてない才能に出会うのか 方法が判らないだけに、そう思う 


 8月20日 晴れ

朝から岩崎泰さん言葉を文字起こし、のちiweb頁をつくり公開する(記録へ) 
仕事場傍で造成工事や舗装工事を行っていて機械音まったく限りなく喧しいったらない、だけどイヤホーンからも鴨川の草刈り機の騒音が溢れ
 ガンガンギリギリゴワゴワ 騒音の中聞き取りて文字にしていまった。

だいぶ文字起こしも慣れたなと 我思うのであった。


 8月19日 晴れ

食材の買いだしをする。コメ10kgも買ったので二度スーパーを行き来する。盆中は満員だった店内も平時に戻り、真っ昼間はよぼよぼ歩く年寄り多く 若者は見あたらない。

■ 3時ぐらいから文字起こし開始 今日は岩崎泰さんの(当日の様子)言葉を文字に50分ほど起こす。かんかん照りの下 鴨川の河原で聞き取りは気持ちよいですよ〜 だったので

 蝉の大群の音と 草刈り機の騒音が乱入しているもよい。 酒屋の騒音とは違うので、文字起こしには支障はない。 居酒屋の騒音は人間の話言葉が混じるので、本当に辛い 

蝉や機械の音 
彼らの息づかいや感情を俺が受けとめる事が全くできないので、音が無いと同じである

夏の京都、鴨川での得たライブ感に溢れた記録になるだろう。写真少々で足らないな〜 2009年8月04日昼前の 鴨川縁の記録を作ることができるとは、福島をで予想してなかったので嬉しい。

 比叡山 草刈り機 鴨川 木陰 蝉の音 かんかん照り てるる京都
 全身に浴びながら、岩崎産の言葉を聞き出す 音録するは 幸いなることだった

インタビューは外 からからもオモロイ。侵入者歓迎、こうじゃなくちゃとも思うのだ。 同日午後の柳沢究さん室内インテメート・インタビューああねっとり光線あびあびおじゃま虫 いい〜 幸な者〜 内外両刀使いの俺ってことでだな(笑)  


 8月18日 晴れ

■30日の投票に向けた政権選択選挙?かも、がはじまった。衆参の捻れが解消され 民主党を中心とした政権が実現するのか。戦後政治史にとても 記憶されるべき重要な選挙となることは間違いない。

雑事で町に出たついでに、本屋により『中央公論』と『世界』9月号を買う 『どーん』は売ってないがそれらは売っている。

世界は「総選挙何に向けての転換なのか」が特集で。公論のほうは竹中平蔵しと山口二郎氏の「医療は市場か政府かの選択」などが特集である。 論壇での 今回の選挙の議題設定されていて面白い。記憶用資料になるので買う。

金大中さんが亡くなった。日本で 金氏が当時の韓国政府による組織的な拉致が実行された、と公開されている。日本は口をつむったまま、日本外交の無責任のがれからいい加減さが露わになたことは記憶に新しい。 韓国の民主化にとって記憶されるて しかるべき人物だ。共存し平和を求めて人を差別しない活動する国際的な政治家であった、と思う。

■ 「ことば悦覧in京都」山本麻子さん記録をすこしこ作り公開する。 といても二度同じ作業をした。 頁を作りあげ 最後に何を間違ったか、その1〜3まで全て消してしまって、どこを捜しても見あたらない。あちこちのサブHDにすべて古いデータで上書きしてしまたのだ。やれやれ、思い起こして また最初からweb頁を作り直す。作り直すと先に作った方の頁が圧倒的によい仕上げであった、とういう幻想が消えない。だから作り直している間中も何倍も疲れたような気分になる。 厭なものだ。


 8月17 晴れ暑し 

仕事場の目の前で宅地造成工事中にて 今年の夏の暑さは短そうだが 騒音多し

イヤホーンつけて文字起こししていると、騒音に負けないかと思われるが、騒音振動とは文字起こしにだって悪影響がある

朝から山本麻子さんの言葉を文字にする。1時間分言葉を文字に起こしてしまう。web頁は明日1日掛かって仕上がればよいのだが。どうなるか 人/3日で公開予定なだが、色々雑事が飛び込んで来そうだ。

■山本さんを訪ねた時に彼女は留主だった。だが、男の方が出てきてなんんだかんだと喋る。だれだか判らない。だれやねん。しばらくして二人のお子さんをつれて戻った山本さんを早速、インタビュー開始。 

山本さん面会早々、御主人の竹口健太郎さんだということが判るも、どういう人なのかもわかないまま、いろいろ話していると、割り込んできて、話が曲がる、それはそれで好いのだが、まとまりのない内容になってしまうこと必至だ。

竹口さんは自信満々の建築家だということ、は判るんだが、何がそんなに満なのかさっぱり理解出来ない俺であった、トホホ。今時の30代にしては希な人だ。自分語りに終始している先人達を見続けた30代は大方静かめであり 自分からはそうは話さない人が多いので 聞き手としては困るる場合が多かった。今回はラクチンなのか困ってるのかさえ判らない様であった。

この事務所を二人で経営しているようだ、確かめたわけではないが 聞き取り中の周囲の様子から多分そうだろうと思った。後で集合写真をとったので完全に 理解できたが 話を始めたときは判らなかった 

京大で共に学んだという。そのような成り行きになつたので 成り行きで竹口さんをもインタビューした。成り行きはいつもの姿勢だから問題はない。その分山本さんのネタは半分以下になってしまっ山本さん情報は聞き漏らした点が多すぎて、山本麻子さんの面会インタビューとしては失敗記録になっている。


30才前後を対称にしたインタビューを事務所内で行うと大方一人で寝床兼ねていたりして、所員を抱えて仕事をする人はほとんどいないかった。 山本さんの事務所は所員が数人いて仕事をしていた場で、俺としては初体験の面会状況であった。で、いつものように追い詰め聞きはあきらめざるをえず。柔らかい聞き取りに終始してしまった。聞きたい事を聞かぬは取材者としては失格だと思うのだが、何しろ様子が分からないから 乱暴な振る舞いや発言も出来ず。俺満足を満たすための聞くこと止めた。もしかすると所員のまえで恥をかかせてしまうかもしれない、それは俺の仕事ではないからだ。

少々賢い所員ならキャプテンの能力なんぞは直ぐ見破ってしまうのだから問題はなさそうだが、俺がダメを押すこともあるまいと思う、尊敬できる親分ならそれも同様だ。

このような虻蜂取らず状態の記録はどうなんだろうと思うも 今後の事もあるので、公開記録を作り公開してしまうよ。基本は一対一が俺は好いと考えている一対の場合は多の方の人間関係や力量の関係がもろに発言に投影されて、俺が記録したい、作りたい記憶とは違った性質の情報になるように思い 好ましくないと 考えてもいるんだ。そうはいうが一対多の面会を多数経験してから結論を出したい。今後の課題としてある。その過程での 山本さんと竹口さんの場合だ。よい記録として仕上げることにつとめたい。 

山本さんの面会や記録を作る上でも俺のための課題が沢山出た、良いのか悪いのかまだ判らない。5年後までお預けにしておいきたい

■ 大まかな俺の姿勢を確認しておきたい。

 路上インタビューなら乱入者を追い払うか、こちらが逃げ出すかだ。 たまたま事務所内所員大勢のケースを俺は想定してなかっただけだ。 さて30才前後ですでに建築家と成功しちゃっているような場合、何でおれが聞き取り記録しなければならないのよ〜?俺はそのいう順調な人を対象にインタビューしたいとは思ってない。出来上がっている人は建築専門誌に任せ、俺に振らないでほしい俺は建築専門誌の商売をじゃましいたくない。じゃまするほ力もないんだし 退屈してなんだ。ということも伝わってなかったな〜と反省する。

日本の建築専門誌に何度も登場している人は、ある種の有名な人だからね、俺のインタビュー対称とは しないよ 専門誌に登場した人間を演じ続けて専門誌に貢献しつづけてもらいたい。 無名な人・やる人・若い人!が俺が記録を残さなければならない人間の為の情報の記録の束だと思うんだ

 8月16日 快晴 お盆

■お盆にて5人そろってワイワイす。お前の家は俺の家、俺の家はお前の家。俺の家は俺の家。参番目が一番俺にとっては困難なのだ。正月いらい8ヶ月ぶりに俺の家で寝る、起きて8時間ほど下痢しつづける。たぶん我が家ストレスによる下痢だと思う。

多文化主義者の欠陥が暴かれてしまい、たいへんおかしい下痢内容だ、多文化主義者を承認する下痢でもある
。 みんなを愛する男は、あらゆる女性から愛されないって事、それと同じだ。自業自得と暫くはあきらめて、より快適なお前の家は俺の家主義で生き続けることにする・・(笑い)

みんなの集まる意味はそれぞれの問題を認識しあい、その困難を確認んするための集合行為なので、楽しいとか・苦しいとか、つまらないというようなことではない。ここにある問題を確認し記録し記憶しつづける行為ということで、生きるって事と同様に面倒臭い面白いわけだ。 NHK的な、ありそうな脳天気な盆や正月を迎えることは無い!それでいい盆、正月なのだ。


■ 門藤芳樹さんの言葉1時間分を文字にし整理して、公開する。ここです実・門藤さんを語っているかなんて、そんな問題ではなく、文字に記録されたような言葉が話されたってこと。第一回ワイワイ。その一時間を互いに作ったということなので、それで好い。内容の誤解は読み手の自由なので、それなりに門藤さんとの記録を読み込んで 触れていただきたい。 なにしろ 聞き間違い以外はすべて門藤さんの言葉そのままである。もう門藤さんだって忘れちゃっている言葉の集合だ。 なんだけど、5年後まで、20年後まで 待って色々語りだしても好いのだから、あの幻の時間を知るのが俺だけなのはもったいないので文字化し記録を公開するよ

■ 魚谷繁礼さんが鳥人間写真を送ってきてくれたので。記録その04に貼る。京都から戻って1週間で2人分の1時間の言葉を文字に出来た。予想より早い、・・このペースで起こして 俺クチャーを 含めて2ヶ月掛かる。それぞれ1時間分は起こさずに、 死ねないな。58才にしてやっと生きる目標ができた(笑)(笑


8月15日 快晴 お盆

 8月も半ばにしてようやく夏らしくもあるが鱗雲が出て秋の兆しあり 

お盆です my長女 長男来て、1年ぶりぐらいでみな集合かも

猫も磯崎さんデザインで天童木工が売り出しているモンロウーチェアー戯れ 飽きると壁に飛び乗り 招き猫のようにおすましてい、年に一度の日に相応しい格好をしています

門藤芳樹さんの文字起こし1時間ぶん終え、webぺ^じを作りは始めた。

やや 画像が少ないのですが、webから拾いまくって話の相応しい絵が沢山あるので 便利です。

ようやく夏らしくなったけど、あっという間に秋、夕べコオロギg鳴いたからな〜 頑張って京都でのweb頁つくろ〜

8月14日 晴れようやく夏らしい空気と気流と入道雲と青空 オロギが初音

工学博士で建築構造事務所を営んでい門藤芳樹(もんどう)さん(33才)の言葉を文字に変換し続ける

門藤さんは両親の愛に溢れた暮らしの中で育っち大人になった希な人だ。昨日アップした魚谷繁礼さんがもっていた家族関係とは 対極にある門藤家族暮らしの中でそだっていた。 そいう環境の中で構造家になった人だ。だから魚谷さんとは仲がよい。なんたって対極にある存在だから引き合うだろうし、喧嘩にはならないはずだ。欲望のベクトルがまるで異なるからだ

しかし5年後かれらの欲望ベクトルが逆転している、そういう姿も想像できて 吹き出してしまいそうになりながらの文字起こしだ。

夏だ蝉の音だ団扇で煽いで昼寝だ で、午前中寝て、昼寝もして、夜も寝るから 寝てばっかりだけど門藤産の言葉を45分程を文字にした。おおかた俺が喋っていた、初回なのでしかたない思っている。 

建築関係者はインタビュー受け慣れしてないこともあるし、被取材者が若いてこともあるだろう。出しゃばり喋る場が設営され話に慣れてないってこともある。複合的に偏りがある。俺の方が聞きに行っているので押し黙るわけにはいかないので、俺がが喋ることになっているのは仕方ないことだ

20年後は喋る割合が逆転していたい。俺の言葉はほとんど少なくなっているのではないのかと予想している。元気で若者にシャベリ負けしないように、脳みそを日々使うようい暮らしにしたいのだが。福島の俺の仕事場や暮らしの廻りには 話し相手が誰も居ないから、脳が衰えるかもしれない。もう衰えているのに、どうなるのだろう最初から衰えているから変わらないんだけど大げさに書いてみる

しんみり、静かな福島の暮らしは好いね。夏だいい、静かでいい夏。 友達が死んでしまって静かな福島は好きである。なんたっ野鳥や虫の音が訪ねて来るだけだし我が家は相変わらずだし、福島に戻ってから30年間 友達が死んでもなにも変わらない静けさがいい。


 8月13日 晴れ お盆に入ったようで、仕事場傍の工事現場なりをひそめる 

昨日のあさがた 静岡方面で震度6弱の地震があって、東名高速の路肩が崩れ不通になって大わらわしている、お盆で1000円料金で、車が大渋滞。けが人が少なかったのが幸、浜岡原発も無事だったようだ。やはり怖い、地震。新幹線の線路の路肩が崩れ 車両が転倒することはないのだろうか?と思ったりする。
ことば悦覧in京都 俺クチャーワイワイ感想頁に 榊原充大さんのメールと森田一弥さんのメールとを貼る
■朝から晩まで 魚谷繁礼さん言葉を文字に起こし、web頁作り、一度だけ色づけ写真付けしたものアップ公開してしまう。間違いは多い、数日後もういちど読み返して訂正予定。魚谷さんが鳥人間を目指したそうだが魚谷人間飛行機エンジンの写真が無い、メールで送って来てくれるだろうか・・

8月12日 晴れ 仕事場の家賃など支払いに行くも暑い

ことば悦覧in京都 俺クチャーワイワイ感想頁に 岩崎泰さんのメールと柳沢究さんのメールとを貼る 感想頁は、終えた後のさざ波状況を知ることができるので面白いと思っている、だから公開しちゃうのです。記録が多量になりそうなので、web頁サーバ容量を100MBから150MB増量する。毎月525年支払いが増えるのだが。

■「ことば悦覧in京都」の最初にインタビュー対象者紹介を依頼をした魚谷繁礼さんの言葉45分分ほど文字に起こす。魚谷さんを糸口に伝って大勢の人々に出会った、出会えたのだ。だから今回最初に聞いた。
■魚谷さんを糸口に京都インタビューを始めたわけだが、何の根拠もなくmy動物的感による起点作りだたのだ。だが結果は大正解だったと喜んでいる。さぞかし魚谷さんにとっては骨の折れた行動だったのではないかとも思ったりする。 しかし魚谷繁礼の良さ引き出すためにはそれで好かったとも感じている。インタビューして何度も説教しているわけだが、説教しがいがあるひとは珍しいのだ。途中でほどほどにし切り上げ終わってしまうの通例だ。魚谷さんは剛直で堅いんだけれど、そこだけは粘る、最後は粘る粘りきりで好ましい奥さんも多数の友人達もよき先輩も多数の人々を 手に入れているのだろうと、想像してしまうのである。堅いけど粘り強い新素材ってことだ。 親密〜堅い他人までの トランスフォームが動物的に巧い出来ちゃうんだよね。 

魚谷さんはメールは得意でないようでpm7時でんわあり。携帯電話を25分ほど使ってワイワイ。電話で感想を伝えてくれた。「どうでしたか?」と聞かれたけど、まだ全てが終わってないので答えは保留。「インタビュー中に喧嘩にならなかたので第一関門は好かったですよ。毎日川勝さんの家ワイワイも好いしね、よいよいの二階建てですね。 でも文字に起こし記録を公開した途端に 拒否してくる人は過去に多数いたので、ハッピーでしたと 今は言い切ないんだよ」と、お伝えする。

魚谷産もだけれども、あとで校正なしだからとICレコダーを突きつけられて語るのに慣れてない。もちろん、何にも判ってない夏休みに来たおじさんに、自分の仕事の話を簡潔に語り理解させる話術を日頃から身につけている人は、そんなに居ない。「何におまえってなんだ?」マジに音採りしつつ聞かれたことは無いはずだからだ。

 だから建築界の人による建築界の人のための聞き取りや文字化のための 自主トレになるんだけど。そう考えて応じることも出来ない。面食らっている。「何これ、どう話していいの?」自分で考えろ!とマイクを突きつけている、ずーっと夏休み中の叔父さんは怖い存在でもありまするよ。まずはwebは身内メディアで好いと俺は考えている。本質的には俺の記録だから俺様メディアだ。10年も過ぎそうなのでやや大人になて来て 建築圏の身内メディアよか〜と 思うようになっている。 

俺クチャアに来た人は、それぞれが喧嘩していた人も、だいぶん会ってない人も、恋人を取られてしまった人なども 知らない人も来てて交流したんだと想像している。問題を抱えたどうしが田舎から叔父さん夏休みを使ってせっかく出て、出掛け来たんだから まあ好いか〜 そんな叔父さん効果もあると思う。 葬式に集まって親戚同士が仲直りしたり、一層けんかし互いの傷が深くなったりするように、とどちらでも生きているからこその幸な事象なので、おおいに好い。 叔父さんは無責任でよいのである


8月11日 曇り 

京都に出掛ける前に、足利事件で犯人とされた菅家利和さんが弁護士とともにジャーナリストから取材を受けた音声内容の全てを文字に起こした。

日本の憂うべきただしく稼働したシステムの現実が語られている。強引に取調の警官が脅し菅家さんを追い込み 意図的に冤罪を起こしているわけではない。という奇妙な、本当に奇妙な事件の真相なのだ。それを見破ったはプロではない市井の人だった。 新聞記事を読んだ西巻糸子さんという家庭の平凡な一主婦が菅家さんの証言の食い違いに「おや?」と思い文通しだしてからだった。本が出来るので詳細はこれで終わる

どうしてそういう間違いが起こってしまったのか?、背景が理解できた。なぜこのようなことを書くかとというと、最高裁まで至る裁判官当時の担当の弁護士警察の取調官、DNAを鑑定した科警研の技官、事件を報道するジャーナリストそれそれが 正しく行動しシステムも正しく機能していたにも関わらず 菅家さんを犯人として扱ってしまった人々の誠意ある正しい事の積み重なり冤罪のような間違えを起こすんだと言う事実を知って欲しいからだ。菅家やさんは助かったけれど、DNA判定があっても無罪を主張し続けた飯塚事件の久間さんは去年末死刑が執行されてしまった。 正しい事の積み重ねが無罪であろう人を殺した事実がある。(飯塚事件の真相は明かされないだろう) 私達がつくりだした問題の一つ明らかになっている。

まいにち正しい記録を読んでいるつもりになる。朝日や毎日が一番売れたのは戦前である、植民地があったから、売れた。内容は当時正しい事ばかりだった。そう正しい事の積み重なりの暴力となり崩落した事実の一例として 戦前のジャーナリストの記録も在る。

 各地ことば悦覧の記録は正しい記録でありたくない。ではどんな記録なのか、単に言葉を記録し続ける、そうありたい。でも何か意味のある問い発し 意義の有る言葉を引き出そうとする。どうもそれは誤りかもしれないと、思いつつ 意味不明な文字の羅列ではまた トホホになる。 

俺は正しい事が出来ません!。いわゆる正義というやつですね。 ということで好いこと正しい事なんか、やり続けて生きたくはない。そう思ったりもするので宣言しておこう。 myhpの内容は それぞれ全てが俺の為の 単なる記録なんです。京都での俺クチャーの後の被取材者の感想記録頁を作り公開しました。暇潰しに 単に触れ楽しんでいただければ好いですここです

 30分文字起こしweb頁にするのに 昨日の夜からおこしたから丁度24時間ぐらいかかった。途中寝ました、飯もくいました.

 8月10日 雨のち曇り雨ぐずぐず 

ことば閲覧in京都」でうまれた領収書を日付順に並べ直しA4の紙に貼り付ける。無収入であるから、税務申告には不要。なのに 領収書を整理し保存するのか? 領収書には住所・日付・時間・買った物、支払った金額に釣り銭・レジを打った人の名前まで書いてある。どこをうろうろし何を買ってうろうろし、何を喰ってうろうろうし〜の行動記録の一つを示す 貴重な物証だから。

■ 7日pm8〜10時まで京都で行った俺クチャーに対する感想が送られて来ている。

左絵の24才小池智久さんのテキスト感想。個性がにじみよい内容。5年後は 今回の人人+小池の推薦する若者(今24才前後)数名を加え、2014年in京都の活動をしようと思う。

二人目の感想は牧野研造さん(この方ですから。グーグルが出現したからそこ造れる映像作品による感想。なかなか手の込んだ 京都人らしい味な反応だ。 佳い切り口と手法である。完成度ややミカン気味かも。 手間暇を掛けて作り上げてる。内容は「ほどく ちがえる」を模索中に相応しい牧野さんの将来像を示していた。 テキストを書くのだって 手間が掛かる、覚悟がいる。多量な絵のエッセイに頭が下がるも、せっかくだから やや見にくいんで、作り直して再度送り返すようメール(笑い) 

 8月09日のメモ。
 帰り道の新幹線急停車 地震ありて20分急停留。異様な車内になるもんだ

■インタビューに応じていただいた各人への感想やお礼は公開しちゃう! web頁を作りつつ公開だ。みんなが聞きたがっている最悪だった人とか、佳かった人とか、俺が捏造した暴力的なレッテル=悪意溢れる御礼メッセージをつくり。と思い想い描きつつ、名古屋データ・昨夜の池袋データを整理。  

■ 今日は松島潤平さんの聞き取り。13時から。間が空いたので京都での俺クチャーメモを 追記する 時間に遅れてきた 岡田栄造さんなどの映像が無い、など不備な点が多いのよ。今後も追記し、日記は3ヶ月間しか公開していないので、今月の日記にあるメモを元に さらに手を加えて in京都my日記 記録をつくる予定。

13:30分代々木駅にて松島さんと待ち合わせる。ピカチュー・スタンプラリーにて、電車が着く度に多量の親子が押しまくる。JRも商売上手。国鉄時代に出来た多量な赤字は減っているのだろうか?とふと思う。

右・松島潤平さん 背景ピカチュー・ラリーの皆さん
松島さんは、RAJの一員でもある。アトリエ系設計事務所の所員でもある。演奏もする。生活ももっとも楽しめる。、日本の中で光る多彩な才能を持つ若者の一人である。10年間HPで日記を公開している人でもあるから、松島日記ファンは全国各地に多数存在しているはずだ。同時にナルシスの馬鹿者と 思っている者も沢山いるだろう。で直インタビュー。 2007年2月10日福島内竹屋旅館にて話し合っているんだけど、松島潤平さん個人に光を当てた話し合い無いの で彼の事を聞く必要がある。

RAJのメンバーは全て今年度中にインタビューしてしまうつもりだが、お金次第ってことでもあるので、この稼ぎの様では 来年へ掛かるかもしれない。

松島さん話は 「生い立ちから学生までと 漫画の話は音取りしたが、オフレコ松島さんの家族問題 人はなぜ記録し続けるか?問題ワイワイは 次回改めて行う。そこには 記録すること 記憶することが語られるだろう。だから 当然人の死にまつわるアレコレに至る話を いたしたいと思いますので 考えておいてくださいませ」。とお願いしておいた。そんなメールを打つ

■ 今夜から文字起こし開始。総数18人分なので1時間だけに絞っても54日はかかりそうだ。 俺クチャー分は2時間+感想と質疑応答分1時間ほどあり。 起こしてそれに手を加えて、冊子に仕立て、各地ことば悦覧時の行商品にしちゃうのだぞ〜行商品発明記念日となる8月11日 1冊1000〜1500円にしたい。と妄想が湧いた。金になるなら この作業を優先し 先か〜(爆笑)


 8月08日 晴れ

京都から名古屋を経て東京に来た。 ことば悦覧in京都編もいよいよ最後1日を残すのみ

京都での聞き取り最後は寝ずにおく覚悟だったので、一睡もせず川勝ハウスを出る。京都駅へ。

各停にて名古屋を目指すも、爆睡してしまう。米原駅で車掌に起こされたり、名古屋駅を通過しまったりしなんとか名古屋に辿りつけた。名古屋は学生の時代2005年8月6日に話していただいてから4年がたった。その後建築から離れ 時給千円ほどだったかで、地図会社で派遣社員しつつ建築士を目指している小林聖明さんの4年間の彼がいやがるにも関わらず ・あれこれ話を聞き取り 4時間ほど停留。

後新幹線で東京は代々木へ。そこででワイワイした。それら様子はまだ書いていない、少し書いた昨日の日記は途中で終わってるので  完成するかどうかはわかんないけど カキコなどしよう

■そのまえに 御礼ことば のようなものなどあれこれ
京都で出会うことができました〜 京都の皆様ありがとうございました。

昨夜は 「ことば悦覧in京都」の最終日でした。インタビュー中に出てくる質問に応えるべく ワイワイ会をセットしたいただきました
当然なんですが怪しげな俺が「お前って何?」と聞くと、谺のように問いは戻ってきます。インタビュー中に 一人一人に語っていたのでは、聞き取る時間がなくなってしまうので 最後の夜にまとめるわよ〜、 多くの逆質問に応えたような(俺ばかっり喋ってしまい大失敗でした) イベントをおうことにしておりました。


下の絵左より  神楽岡工作公司の 柳沢究さん  RADの川勝真一さん

それは 神楽岡工作公司
RAD皆さんの尽力にて出来る事なので、頭が下がります。話始めると偉そうな、不遜な態度に成ってしまう、馬鹿丸出し状態 (笑) その時の様子をメモふうに
下の 絵は
ことば悦覧in京都の人選をデザインしてくれた魚谷繁礼さん

俺クチャー =おれくちゃーは親切で優しい大勢の京都の人々に参加いただき大成功になっちゃいましたね。
赤ちゃんや小学生の女の子参加はとても佳い) そこでは、25年前の俺の事態を語ることになっちゃうでんです。内容ですが、当然ですよ昔語りも嘘の多い作り話」になっちゃいますね!じゃ〜現在自己語りは 俺の今の事実を語るか?、そのような行為は人には可能か? 出来るのか?」疑問が浮かびますけどね。 無理やり行い ました。 
後 二次会 そののち 「
ぷち建築あそびなのだin川勝家」を行う幸運がやって来てしまいました。好いことだで、 無事終了!! まだ2〜3週間は居続けられそうでしたが 無理やり終えたわけです「家人の病がある」ことで ブツと終えられる 病有る」は幸なだと思いました。
 
昨夜も「お前の家は俺の家=星座型居住を実践」つづけております。 代々木駅そばに て研究所の事務所に泊まりました。 「貧乏神の おでまし〜」などとからわれますが(爆笑) 世界各地の都市状況を研究している人達なので時々来て各地ことば悦覧結果や印象を報告します。 左絵はデザインヌーブの樫原徹さん 

建築系の人々をインタビューすることが都市を調べることになってしまう。俺は都市農業観察人でもありますから、 報告することはそれぞれの都市の違いを語るようなものになります 俺は「デザインヌーブの押しかけ研究員」なので、報告をしてます。報告後 飯 の後 東京で今もっとも興味深い 都市広場の様を を調査した。東京(池袋広場)と京都(京都駅前ビル谷状広場)の比較を語り ワイワイになります。 それらの様子なども音や絵を採取し保存しましたのでマトメが出来た時には 日記にてお知らせし続けますので 時々たずねてきて myHPを見ておおいに 笑ってやってくれたり、感想などメールにてお寄せください くださいませ


今年の3月から東京大学生産研究所の先生に就任された、太田浩史先生に案内していただき=解説付きで都市観察をしました。 ついでに音と絵を採取させていただく。太田先生でも俺にICレコーダーを突きつけられると緊張するとのことです。もう 俺はある種の権力を身につけたということを自覚がうまれちゃいます。my権力を自覚して各地ことば悦覧をしないといけないってことを 緊張するッて言葉が 知らせてくれます。

左写真は15kgの減量を果たした太田浩史先生です。都市に興味のある若い学生はドンドン受験して欲しい、そして太田先生の研究室で一緒に研究しませんかと話しております。

夜の池袋広場の様はたしかに 面白い。多文化主義=主なる人人を排除しないで包み込み在る、そうあるべき未来都市を見ている、体現するかのような 宴会都市の一つの優れた様子のように思います。

日本全体では警察などの記者クラブが垂れ流す情報=事実がまだ不明なのに権力側が創作した物語=解説された内容の記事などを そのままマスコミが垂れ流す。 警察情報でつくられた記事とも言える報道で まるで社会が悪い状態になったと人々は 刷り込まれてしまいます。そして監視カメラが配置され 従順な心優しい都市市民によって見守り隊が権力の支配下に組織されています。 監視強化圧が高まり、他者を恐れる傾向が今でも強く 監視仕様の考えやツールの活用が日本各地で続いています。監視カメラが付置されていれば安心する。

環境監視型の中で生きていると 当然生まれる反動力によって出来上がる、なんでもありの 宴会状況が欲しくなります。サイバー空間では巨大掲示板の祭り、路上でも祭り、人々は昔から 祭りを欲する 祭りをしつづけないと死んじゃう動物なわけですね

 建築の理想は路上である と言い続けている俺としては、好ましいけど 理想を求めた原理主義的思いで造られた都市が敗北しているから生まれる、理想の市民をつくれなかった原理主義型の力は力は、都市間、人間に各種の格差を生みだしてしまいました。都市住人が互いに監視しあう社会を造っんだと思うんです。 監視する権力は市民であるが市民は監視する行為を警察などにアウトソーシングしますから、その力が跳ね返り我に返り監視されちゃうわけですよね

 監視する権力存在があるから 生まれる! 自由を希求し体現したかのような宴会都市状況は やや!市民敗北から生まれる、皮肉的な結末状況だとも俺は思います。しかたない、そういう 結論を急がず保留し都市を観察し続けることにします 




 8月07日 曇り蒸し暑い

昨夜、自主的な取材依頼があった 牧野研造さんと四条駅1時待ち合わせ。交差点では辻説法ふう政治演説ありて賑やか。

5分ほど待ちすんなり合流、東へ徒歩で10分ほどで住居兼事務所へ着く。4階まで上がると息が切れる。

まだ独立したばかりだそうであるも、違えるほどくなどのキーワードを手がかりに計画しているとのこと。 今日のインタービューのためにつくった都市計画訓練用模型がありなかなか真剣で積極的な態度。 修士論文をいただく。 4時に修了し徒歩で魚谷繁礼さんの事務所に向かうも途中靴底がはがれる。聞き取りの勲章だ、な。

今夜8時から10時までの俺が話をすることになっているので、4:30分から魚谷繁礼さん事務所の机をかりてデータをつくる。

ことば悦覧in京都」データを整理する。 収録した言葉が31時間分ほど。文字起こし予定は15時間ぐらいだろうと予測すると毎日起こし続けても45日は掛かると思う。採取写真1006カット。公園やキャンパス・インタビュー2回。事務所兼住宅インタビュー6回。事務所4回。俺を泊めていくれた人、2人。論文などの文集三冊 

超熱い好意を知るようなデータなんだと思うが 「川勝さんの家は俺の家」形式でのぷち建築あそび2回を行いて参加していただけた人。満田さん2回、岡田先生2回。山崎さん1回、森田さん1回、川勝さん2回。榊原さん1回。

 データを整理しおえて、柳沢さん段取りたる、魚谷さん事務所ビル8階にある会場をにて6:30から投光器とPCの調整 7:30開場  8時10分俺クチャー開始 10時過ぎまで。参加者 赤ちゃん1人、子供2人を含め多数。 10人ぐらいにしてほしいと申し込んでおいたのだが どこからともなく大勢の人達が!
 
10時集合写真を撮り二次会場や 深夜・川勝さんの家でワイワイ様子は 後ほど追記します

 追記1 (2009年8月09日 晴れ渋谷区千駄ヶ谷にて
   
「各地ことば悦覧」をしていると 被取材者から逆質問あり答えていると、俺の言葉ばかりで記録wb頁が埋まることになる。俺は伝道師説教師に成り下がってしまうのはイヤだ。対話が生まれることが佳い。それを文字にするのはもっと辛いので、今回の「ことば悦覧in京都」では 質問は受け付けない」という条件で募集した。もちろん被取材者が文字校正する事も許さない 無しだ。やらせや被取材者のためのPR活動補助員ではないからだ、俺様活動行為をPR 目的にされては迷惑なんだ。強いて目的を捏造すれば、対話の内容を録することで(しか)記憶できる ことも一つの目的だ 。ことば悦覧inにて俺の 聞き逃げ姿勢を被取材者の人達は許さない。当然だと思う。そこで最後の日に俺クチャーを企画していただき答える。 

俺クチャーは俺が俺自身のことを語るんだが 本当の事・俺の真実は語れないに決まっているのに語る矛盾。 だから他者がとりあえず俺らしく思える今夜かりぎの嘘 話を、作り語らなければならない。当日だけの生俺を俺が演じ語る。 俺クチャーは俺の一人演劇のような内容の時間にしかならないのである。 それでもま 好い〜か〜。 

逆に言えば、俺は被取材者からはき出された大量な言葉を真実だとは受けとめていない。大方はその場で消えてしまう、俺によって起こされた一時期の被取材者の感情の固まり、音声の固まりでふらふら消えちゃう 怪しい信用ならない固まり。その固まりを文字化し続ける、文字にし記録し残すことで、ようやく記録の束によって 被取材者が意識することが出来ない被取材者自身を知る手がかりになるわけだ。同時に真実なる被取材者像にそうとう近づけるかもしれない。

 だから俺が聞くという活動をすると生まれてしまう義務倫理・・被取材者に対して観察者俺が背負わなければならない重い義務やmy倫理は 被取材者を観察し続けるため 生き続けなければ成らないという不可能な義務と辛い倫理観だろう、そのことによって 日々の俺様拘束生活を負う。そんなことを俺は出来ない。

そういうことを 判っていて行う活動だから なんたるインチキ者の行為なんだ!とつづく俺は思いやっている。 生きることが出来る範囲で やれるる範囲でやることしかやれないと 開き直って ことば悦覧を行っている。


俺クチャー開始

 簡単な自己紹介をしつつ、25年前の「温泉街でのパフォーマンス」 を活動紹介。意図は路上が保証する野生の自由と 建築的権力のブツとしての壁 と 実態それらを具体的に語るつもりだったが、上手く語れていない。

そう思いつつもドンドン進める。 対話形式のワイワイ会にしたいのだが、その前に俺の情報を伝えないと、対話がなりたたない。

ので辛い一人語りを延々と続ける。合いの手は途中で掛かってくる携帯電話の音とモシモシ話。 赤ちゃんとことも達はとても おとなしくて、期待していた 俺クチャーをグニュウーンとゆがめることが赤ちゃんパ^わーは来なかった。


続いて 竣工25年目にして初めて語る my住宅=BOX1についての解説。この建築のダイアグラムと実建築の説明をすれば、おれが作って来た、my建築の深層構造はおおよそ理解出来てしまうはずだが・・理解されたかどうだか、質疑応答時間も作れず俺が話してばかりいたので、(笑)判らず。

締め切り時間のpm10時になってしまうのであった。 プロの講演師じゃない俺クチャーは、時間の進行など考えて話しているワキャ〜ない。

でも、インタビューに応じていただいた方々での 面会受けての感想は 時間を延長してしまい 聞きだすことが出来た。

二次会 と 川勝さんの家でおこなった。三次会の様子はまた 後で記述予定です 



 8月06日 曇り pm4時頃小雨降り 京都工芸繊維大からの戻り道ずぶ濡れになり、PC機器関係が濡れて「壊れしゃいそう」と不安になるも、無事。昨日からの俺の家である、川勝真一・ハウスに戻った。

今日のこと 11時 川勝さんと家を出て京都工芸繊維大のキャンパスを目指し、20分ほど東へ東へ徒歩するとキャンパス内。学食にて飯を食う。キャンパス内のほど好いインタビュー場を捜し川勝真一さんの話を聞き始める

工事車両音さかん。人人もひっきりなしに行き来してる。聞き取り開始そうそう、昨夜一緒に寝た岡田栄造先生が学食に向かう路姿!目の前を通過。外部聞き取りはこれだからやめられんね。 どんどん聞き取り、取られる者の感情が外部状況の影響を受け続け思惑外をコントロール出来なくなり、想定外の話が出だす様が好い。

故・大島哲蔵さんたちの建築系グルであるよ!旧知の古山正雄(4才年上)先生のゼミ生だったと話しているよ!。狭いね

古山さんのうわさ話の花を咲かせし、「後で会いに行こうよ」 川勝さんは「目の前の建物の秘書付き部屋に軟禁されてコンタクト無しで、佐藤さんなんかに会ってくれませんよ」と 「不自由な身になったものだ」と悪口。おやまぁ 古山さんが目の前を通過

やーやー 古山兄〜こんにちは」「あんたなにしとんの?!あれこれ若者をインタビューしとんのよ??、古山ハト豆状顔。にも関わらず二人は話し出すと止まらず・。即興漫才話へと。やがてどんどん嘘か本当か判かったもんじゃない身内悪口話に変わっていく・・(ゲラゲラ)・・「このまま文字に起こし公開しちゃいますのよ?俺に話した内容は」とICレコーダーを見せ副総長古山を注意す。古山ますます話し出す 「最近ね、米田君 学校へ来はらへん、困ったもにゃ!」学内の教師態度問題を語る。 川勝さんが古山さんに変身したようなもんで面白し。、30分ほど古山話を聞き取り中、秘書ふうの者現れ、軟禁部屋へと古山さん 引き連れ去るる。川勝 あきれ顔。

続いてam7時頃に「行ってらっしゃい」と送り出した岡田栄造先生の部屋に行く。インタビュー開始

倉俣史朗さんをテーマにした修士論文の話、社会人を経て千葉大で書いた椅子についての博士論文の内容やその経過の解説をしていただく。面白し(記録公開に期待しててください)サイン入り博士論文内容本を催促しもらう

話の内容は全て興味深いんだけども、研究者として行っている社会活動家ふう顛末内容が俺好み活動家岡田栄造の話が重要だよ。ぜねなるまねーじゃー岡田身銭を切っ超優秀デザイナー5人に号令を掛け集め 「箱」「日本史」を「お題」にし作らせた品々。 その品々を展覧会した記録本。などなどてんこ盛り 4時間ほど。

5時頃戻り1時間データー整理。30ごろんごろん憩。 6時半から1時間榊原充大さんに話を聞く。神戸大文系を出ていて、今は専門学校で2級建築士の製図の勉強をしつつ、川勝さんと共に建築はおもしろいな〜活動をしている若人

建築を楽しむ新たな視線を発明しようしているそうで、そのために若い建築家の卵の感覚を捜し出すために、 捜し出し人の展示を企画したり 紹介しようとしているのだった。フリーペーパーやブログなどあらゆる媒体を使い込んでいて楽しい。多いに期待できるよ この状態の総体と構え方は!と思う。 一緒に夜飯を喰らう。

pm9時20分頃 缶ビールにつまみ持参にて山崎泰寛さんがチャリンコで来る来る

明日の晩のイベントの打合せかとおもいきや、外れる。 山崎産の深くて暗くて重くて、他者にとっても重要な悩みの数々を延々4時間 独白文様。 ほぼひたすら聞き役にて、楽チン

山崎さんとは2001年頃から面識はあったのだが、長時間話を聞いたのは今夜が初めて。

帰り際に「すっかり自分の家のように使い込んだ 居ずまいは 佐藤さんは建築圏のおじさんだねからだね、腑に落ちた」んだそうだ 京都建築圏の親戚の叔父さん京都日焼けしまくり、ヒリヒリゆでタコ顔に 変身しちゃったよ

予想通り 「ことば悦覧in京都」も終盤に来るほど 1日に会う人の数がますばかりである


 8月05日 きのうかんかん照りよりより弱 にも暑い

鼻の頭が京都焼けし皮が赤むけす。半袖夏文様が両腕ににわか入れ墨の文様ひりひり痛し。

朝食をすませ8時50分四条大宮駅から阪急にて河原町下車、京阪つぎに比叡山電鉄と乗り継ぎ無人市原駅10時15分頃着く。既にズントー・カズヤと俺が呼ぶ森田一弥さんホームに立っている。
(上右・森田さん、左下森田さん長男)

巨大な採石場を左に見て東へ15分ほどで1年前から森田さんが借り暮らしている静原の家に着く。木造2階建のべ120坪ぐらいの古民家であるが、玄関右側が事務所、西半分が住居に使用してあった。前庭には家庭菜園がありトマトなすカボチャ・・オクラブルーベリー喰い頃、美味そう!

10:30から4時頃まで奥様手作りの和風パスタ昼食をいただき、休憩もせずひたすら話し続ける日本の名だたる川をカヌーで下り尽くし、1年休学し上海から北回りシルクロード経由しユーラシア大陸横断する(経費50万)頭の中では同時に建築概念や歴史の旅を続けて、今日の暮らし方至っている様子が語られた、森田旅の起源についても語られてる。意味を求めず地球をうろうろすることこそ人間のあるべき一つの姿なのだと語る、同意

それは日本人の暮らしに対しる批評的姿であるから、応答としての、日本のこれからの建築家のあるべき一つのモデルが体現実行されている。設計仕事とワールドな暮らしかた、や教育とが 幸いな様で提示されている。10月からは2人ほどヨーロッパの学生がインターシップでやって来て、静原暮らしを体験し建築を共に考えるそうだ。


5時:15分出町柳駅にて京都に入ってから面会申込があった浅見俊幸さんと面会する。

浅見さんは群馬県うまれで武蔵美建築科を卒業すると同時に、京都市で応募していたアーテストとし京都市内の廃校に暮らし続け、作品をつくり、展覧会を完成させると同時に役所からポイと洛中に無慈悲に捨てられた芸術家も演じた 建築人である。

捨てられると同時に暮らせなくなる。人のつてを辿り、設計施工で町家をアート気分で改修した物が、好評をはくし難を逃れ生き続ける。10年経ったいまでも暮らしぶりは厳しい。

長屋を14500円折半でシェアし、下鴨神社にただでもらった中古外車を月2万円を支払い駐める。仕事場は船岡温泉そばのつぶれてしまった建築会社の3階に寄生し、図面を手書きし建築を作りつづけている。

一度も建築事務所で働いたことがない純建築家なのであった。しかしほぼ経費はただにも関わらずサイフの中がワーキングプア状である。あまたの建築家に同じであるサイフの中もよう。 しかしさわやかで豊かな浅見さんの暮らしぶりを知る。(時間がないし伝える筆をも俺が持たないことで、この書き込みで誤解する人もいるだろう)


pm8時二条駅にて満田衛資さんとアシスタントしてくれる、柳室純さんに面会

満田さんは構造家であるけれども、優れた建築人に一人である事を知る。デザインの仕事はしてないのだが、建築圏に対する愛の厚さは多さは倣うべきだ。

話し方もよい。建築圏内で満田さんは俺の同士であるとシミジミ思い味わう

満田さんは超売れっ子なのだそうで、今回は面会予定はなかった。突然4時間前に電話があり会うことになった京都人である。面会場所は「くら寿司」という名のゲーム機能を備えた回転寿司=ポスト・回転寿司屋である。子供もち家族や中高生そして老人の会合に人気。わさびなしでも味好し。 200席は在るだろと思わせる店構えなのだが、待ち時間1時間と表示されている。店員は4人ほど。客待ち40人ほど。予約していたので待ち時間15分。待ち時間に聞き取り開始する。建築の病を深く解っている同士人である。


pm11:30北山駅にて岡田栄造先生と合流し、コンビニで酒や喰いものを仕込み今夜の俺の家である川勝真一さんの家にてくてく5分
 

    (右写真左より 川勝・満田・岡田・ランニングシャツ俺・カメラマン榊原()
、川勝真一さんの家に行きプチ建築あそびを始めてしまう。 メンバーは岡田先生。満田さん、川勝さん、榊原さんの5人でワイワイすること4時間。途中1時間ほどで岡田先生の言葉はいびきになる。これぞ建築あそび音です。延々と多様な話に尽きない。朝方4時になり満田さんビックリするように立ち上がり家に戻る。それでは寝るかからと雑魚寝。雑魚寝は好い寝!親密度ますこと限りなし(笑)

話の中身も熱いが真夜中でも30℃は切らない気温暑い内外あつし


 8月04日 

かんかん照る京都 焼き肉の肉の苦痛序が分かります!京都の夏

宿のデスクの前に鏡が吊されていて、ガマの油売りのガマになった気分にてキーを叩く、鼻の頭が日焼け甚だしい、予備に持ってきた下着は洗えば直ぐ乾くので、持ってる事を悔やむ。サービスの朝食を喰らいながら悔やみも喰らう。

四条大宮駅から、地下鉄を乗り継いで10時鞍馬口で岩崎泰さんと初面会を難無く果たす。

東に向かってインタビュー会場の理想成る鴨川の河原のベンチを目指す歩くこと13分。途中の店のたたずまい大きさがよろしい!また新築オシャレ建築も在り、ますます時のはやりを、日々使い込みつつ並べたるアクチュアルな建築展示場の様がよい。建築的状況の好い中を通過しているように思えて嬉しい

河原の木陰ベンチに着いたら、アブラゼミ、ミンミンゼミの裂けんばかりの歓迎の音色に、ことしの夏を多感する。比延山・鴨川を背に写真を撮る。

インタビュー開始
するも、目の前の鴨川バッファーゾーン草を草刈り職員が行き来し騒音をチラシながら草を刈り、意地悪のように行き来する、いとおかしい。 天然の音と人工の音にサンドイッチにされながらもめげず、ICレコーダ^を手に持ち音を採取記録する。

岩崎さんは茶室を設計し作っている建築家なのだと聞いて、思い描いたような人物ではなく、学生時代は交響曲を演奏する楽団のコンサートマスタだったりして、容貌も伝統的な建築の設計をしている俺予想像とまるで違うのでますます面白い。

左の絵は河原で食べるために買ってくれた創作和菓子「金魚鉢」である。京都に住んでいる人だって食べた事が無いようだ。突然買おうとおもって「2つ」と注文しても、品切れなのでと奥に行く店員に代わって、オーナ兼職人が登場すると、袋に包み渡し金を払う岩崎。

音捕りしていない帰り道で語っていたので、知ったのだが、週一お稽古している茶会の席にこの創作和菓子屋さんから、型崩れも構わぬ、自分で着付けをした和服に武装した岩崎さんが、碇シンジのような面相で御菓子、仕入れているのだそうだ。何処までが本当かは・・確かめ。

インタビューは実に茶室がアクチュアルな建築であるかを語るような時間だった。量が多すぎるので(続きは文字起こし記録にて)


3時間半ほど河原でワイワイして、大急ぎで宿に戻り音と絵データーを保存する。こと30分。3時予定の柳沢究(みわむ)さんちを目指す。阪急河原町でおり、高瀬川沿いを15分かかりて1条下り、柳沢さんの事務所兼自宅に着く。


pm3:00。美しく若い女性が出てきたので「間違えた!」と思いこみ、「失礼しました」一端扉を閉める。、あまりに予想していた柳沢像と違ったのでそう思ったような稚拙な妄想が残っているのだ。

もしもし」と田中浩也さん風の柳沢さんが出て来て、ここだなと安心する。扉を開けて部屋に入ると金子国義のリトグラフがある。建築家の事務所に金子さんの絵があるのは珍しいので、期待が高まる。



各地ことば悦覧にも博士は登場しているのだけれど、博士論文を直に頂いたのは東北大の本江正茂さん、SFC田中浩也さんに続き柳沢究さんのそれであった。

そのうえ、かわゆい1才のお嬢ちゃんが俺歓迎する。インタビュー途中に参加しているお嬢ちゃんは言葉にならない音を盛んに発していて気持ちがいいな〜、人間の音は蝉の音と全く違っていて、音に意味があるのであった、コミュニケーションしようとしている、赤ちゃんの音はいいね。言葉に成らない言葉であるよ。俺はますます嬉しくなるのであった。

色々多様に5時間話、pm8時、行きつけの良い味の店にて二人で二次会をする。「究イズムとは幸せ建築家による幸せな人のための幸せ建築論を書ことで知り渡だろう!!」と思いつきで課題を与えてしまう(笑)、またもや話し合うこと2時間。合計7時間。 柳沢さんのような幸せな建築系の人間に多く会うと、俺の行為の意味が消えてしまうので、柳沢的幸状況が初体験だった事が救いである。記録だってえ〜濃いよですよ〜、


8月03日 京都 快晴・日差し強し

「ことば悦覧in京都」が始まっている。

1日のことを おおざっぱに並べる

福島を10:18分発新幹線にて京都に向かう、新幹線は速いので疲れない、おおよそ4時間ちょい14:28分に京都駅に着く。途中関東平野はぐずついた天気だった。名古屋曇り、岐阜

京都でのぞみ号の扉が開いたとたん京都の強い日差しと高い気温に包まれる。暑い! 京都駅前広場ビルを1時間半ほど探索、原自邸を体験しいるので、自邸とくらべてしまう。 他者の多様な欲望を谷間に包み込んだ感はあるもののやや散漫な印象を持こむかのような配列。ガラス屋根下の空中歩道や東西の(V谷)軸線がおれているはいただたけない。西側最上階の庭園はなかなか好い

16時京都駅から地下に乗り1駅初乗り料金210円、5条駅でおりる。5条大通りを東山に向かいてくてく歩く、自転車が多くなったように感じる。鴨川に架かる5条大橋で川面を眺める。川に飛び込むとズボンが臭くなって洗っても異臭が付着してしまい、着衣できたものではないのだそうだ。魚影は見えるも水ではない違った液体が流れているのだろうか。 

17時五条大橋傍の魚谷繁礼さん事務所に行き、20時までインタビューをする。魚谷さんは京都の町割のグリッド基盤に建築概念も計画も断面計画もつくり行っている。京都ならではの建築家ではないかと思う。都市と建築がダイレクトに細部まで繋がってしまったような、往復しているような思いが沸きたのしい。詳細は後の文字起こしにて記録を公開する予定。

20時から近くの定食屋さんにて 門藤芳樹さんと合流し、呑みワイワイする、予定より12時間ほど前倒しで出会う。 22時頃から建仁寺そばの門藤さんの事務所に移動しワイワイ2時間ほどだべる。インタビューに関係ない話。

真夜中に今夜は泊めていただく魚谷さんの住まいに荷物を置き、魚谷家の周辺を1時間ほど散策。東山沿いにはラブホテルが多いそうで、男女が行き交い都市の賑があり真夜中だというのに楽しい。東山によってもたらされる坂道沿いに伝統的な門構えや縦格子よってつくられる 京都特有の表象が連続するが。と思うとが出現したりラブホが現れたりしする。 永い時を経得られる誤配が在り、楽ししい。ラブホの傍にの縁切り寺はラブホを出た後縁切りのため女性側から託された 多数の真新しい縁切り文言が書き込まれた絵馬を眺めるも愉しい。

pm2時頃奥さんが戻り2時間ほどダベる寝る。京都人の家に初日からお世話になれ!幸運!京都がとても身近な町に思えてしまった


8月3日のこと
8時30分に魚谷さん家で目覚め、食事をいただき、3分ほどだべる。9時半にお世話になった、魚谷さんちを出発し建仁寺を通過し、門藤さんの事務所に向かう。

20mほどの細い路地の突き当たり門藤芳樹さんに自宅兼構造事務所は在る。

構造設計を生業としている人にインタビューするのは初めてである。しかし門藤さんのの人柄が良く理解できる話を沢山聞き出すことが出来る 、彼は構造の博士であるからにして、建築の構造設計内に迫らず、質問はせず(

3時間ほどワイワイしたのち、門藤さん行きつけの定食屋さんで昼食をごちそうになる。高瀬川の川面の反射光や桜の大きな樹影に包まれて、時を忘れてしまいそうになりながら、門藤さんの日常の時の流れに参入れさせていだだく。話のなかみ面白し。2時京都四条でわかれる。

阪急電車にて、四条大宮て下車、京福線に乗る。1両編成の路面電車は京都の町割りとは無関係にくねくねと蛇行しっぱなしで進むのが可笑しい。

西大路三条で下車、かんかん照りの中を西にあるき10分ほどで山本麻子さんがの建築事務所に着く。不在のようで5分ほ待つ。

インタビューしに出向いて分かった事だが、山本さんの御主人の竹口健太郎さんも建築家であり義理のお父さんは同じ敷地にある別のrc3階建ての1階にて構造事務所を営んでいるのだそうだ。家族の多くの人が建築関係者であるとのこと。200坪ほどだろうかの敷地だろうか奥に建材倉庫だった建物を改修され2階に事務所スペースを設け3人を抱えた総勢5人の建築事務所であった。空中通路にて事務所の皆さんの集合写真を撮る。

インタビューは山本さん・竹口さん交互に2時間半ほど行う。建築に対して真剣に取り組んでられるた。話の内容は後日公開。

3,4日とうよこいん四条大宮を起点に動き回る予定。

ことば悦覧in京都はみなさんの積極的なウエルカム姿勢に助けられ、出足好調である


 8月01日 8月に入っても曇り

明日から「ことば悦覧in京都」を行うので、出掛ける前の雑事をこなす。

午後鼻づまり病院に行く、だいぶよいけど手を抜かずに通院するようにとの事。半年は覚悟しよう。医院から戻りレクチャー用の資料など整理する。夜、食材を補充するため買い出しする。

京都ではネットつながり具合がどうなるのか分からないが、つながり次第 こよば悦覧状況をに書き込む予定