佐藤敏宏の 2007 年10  月の日記       HOME  

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10月31日 晴れ 

 大路あとの 廃道を調べている。そのような他者は大勢いて 万世大路の廃道を探検している。ネット上には情報が沢山あり、また充実しているように思う。

 そのような情報のなかで 俺の知りたい事は 万世大路はなぜ板谷街道(米沢街道)を拡張せず、北へズレ 困難な栗子を目指したのだろうか?! 庭坂から 入る米沢街道(沢登り)を拡張したほうが 至って簡単なのに・・まぁ時間があるから調べよう。 信夫山トンネルを調べてもソコラ当たりが鬼門のように感じ 解決してからじゃないと 政官業のネットリ問題は語れない。

● 幸せな家庭を夢見るのは あなたの勝手にオシ〜だからいいのだが、俺のマワリにいわゆる カク家族が生まれた当時(30〜40年前)そのままで ハッピーな家族を営んでいる人を my実家や林檎やの友を除いて知らない。 大方はみな片割れ、出来底亡いである(整えばいいと書いたのではないので 誤解しないでほし)

建築あそび の場の後 myハウスは今や 精神的治療院(これこそが建築の潜在力なのだだが、my子たちは理解できていない。 当然かもしれない育った家だからな・・が時は経ったんだから ・・見方変えてよね・・その中に入ると 互いに傷つけ愛のような会話になってしまうのは 、すれ違い的 家と治療院の理解の仕方や  親子だから理解できるだろうと考える 誤解なのだ。

俺が 現実の困難を解決出来ないのだから 多分 解決出来る人は居ないだろうと 近頃 呆れているし疲れた〜!! 

●招待券を頂いたので映画を観る 。またまた呆れた家族映画であった。

こんな映画を作っているようじゃ 問題は解決できんな〜と嘆息 

 
出来損ない(俺はそうは思わないが映画の設定がそうだから出来損ないと書くだけ)がラブラブの果て同棲し子供を作って互いに育てるんだよ〜 ・・だから幸せ・・(馬鹿馬鹿し〜) で終わる なんたる想像力の無さだろうか・・。
 
ちゃぶ台返しの絵を見ようと思っていたのだが、近頃ちゃぶ台は丸くなくタダのテーブルだった。

上の絵のような映像はなく 目線などの配置もなくこれは後に合成した チラシ用の絵だったと 映画をコラして観たおれはおもった 。 誇大広告だな・・観客なめんほうがいいんじゃない〜 

 10月29日 晴れ w◎ 


信夫山トンネルにトンネルをくり抜いたのはだれだ。だれがくり抜こうと考えたのかを調査中で新聞記事を読んでいるのだが、資料発見。

住みよい文化都市の建設を目指して都市計画をちゃくちゃくとすすめた福島市土木課の・・・とあり図が載っていた。都計画図にはドーント大通りは書いてあるもののトンネルはない。

かなりいい加減な図だけど おおよその見当は付く

昭和25年10月5日の記事、建築基準法がいよいよ施行されることになり・・用途地域がこのほど完成したとある。 市役所はトンネル掘る予定をしてなかったようだ。 (断定はできないけどそのように読める記事の内容)


下の図は昭和26年11月22日の記事であるが、信夫山貫通明年着工 大福島の動脈 建設省が予算をつけトンネル掘削工事は27年から予算化し 掘削事業費は1億5千万円と予定。 1年チョイ後に貫通が決まった・・そのような記事内容

この道路の新設は合併当時の◎×村長 佐藤×◎(サンフランシスコ講和条約を迎えて追放解除されたかた)氏ら関係者が実現の為に各方面に運動を重ねてきたもの・・とある

◎×村の村長さんは昭和32年8月に県知事となる。息子に建設会社を作らせたのが昭和23年。 昭和46年5月に 建設会社社長は市長となる

孫だと思うが2006年9月8日 (下水道工事) 競争入札妨害の疑いで逮捕され 2審で懲役6ヶ月執行猶予3年 訴訟中 

大福島建設の目標である温泉町との合併を大いに促進するものと 引き上げ者ようであろうが 住宅地域がトンネルをこえて信夫山の北側に伸びることも予想されている。

市作成の都市計画でも住居地域になっている昭和45年4月8日国道13号線トンネル開通

ポスト産業化できないで痛々しい我が地域であるが 土建体質からいまだ抜け出せないで沈滞しているのは 政官業の60年ほどに渡る盤石な体制が整ってなお崩れないからだろう  などど新たな疑問が沸くので 引き続き調査中

 10月28日 台風後の晴れ 

信夫山のトンネル工事を調べていると 去年10月23日に前福島県知事がダム建設で収賄で逮捕された事件と構造が相似で似ている。トンネル工事では汚職はなかったものの40年経って、トンネルでどーっと隣町の発展するはずたった温泉街はいぜんお荷物ゴミのようであり 中心市街地も沈没しまくって再び税を投入している。

見た目の再生は可能かもしれないが、住民は入れ替わるだろう。で豊かさを手に入れるのは私ではない・・と予見できるほど。同じ流れしか出来ていないじゃなないの〜が何とも淋しい。 国道が街をズタズタに切り裂いてのち 歩いて暮らせるコンパクトシテー構想は難渋するだろう。

詳細は省くものの 気まぐれな政治家の発言を実行すべく お役人が追従して、15年から20ねんほどかけ実行する。 その間市民はなすすべ泣 く 興味もなく 追従して、間欠泉ごときに不満や問題を指摘するも、持続せず。 連合した政治勢力にはならず、どどのつまりは気まぐれ発言政治家が利権を漁り、市民も巻き込まれ2〜3年ほど盛り上がるも、庶民は直ぐ飽きチャウ 結果  負債だけがのこり ツケを市民が税として払うことなっている。

 高度成長期に起きる道路の渋滞からバイバスつくり、物流が盛んになり活動が活発になると 河の汚染がおこり赤い鮭や黄色い鮭が捕れるも食いものにならず、所得も増えたが物価も負けず劣らず ・・ここらで 情報化社会のなんたるかを体験したわけだから 退屈つかい 過去データを共有し 語りあう機会を沢山もって・・それよりユーザビリティーが先だって・・ことになると どん底まで行くしかないだろうな

 戦争で焼け野原を手にいれ、すぐ現れた超インフレを買い出して 乗り越えたように、温暖化と言われる広範囲な環境破壊は 何を与えてくれる 負荷するのだろうかと 興味がわく。やはり戦争の結果のように人が減るってことなのだろうか、死ぬのはいつも他人ばかり で ユーザーの銭で買えない欲望には 棺桶をどどけ応えようか。

互いに消滅するしか態のない関係しか構築してこなかったのだから。喜劇をみるようにはしゃいだり参加したりして  


 10月27日 一日中やや強い雨降りが続き 台風の影響だ。明日は晴れてほしいが

近代の日本建築を再読

昭和45年以降の福島市の新聞切り抜きを読み続ける

夜 少々酒を呑む 再び資料を読む




 10月26日 雨

これを買わなきゃ・・・ダメだぜ!石川初・・・さんのブログに紹介されている  川合健二本 二川駅の川合邸 を大島さんに誘っていただき おとずれて、生・健二さんにはあってないけど 兄弟 弟子の、正橋さんには直で会ってワイワイしました(さがすのに5年ほどかかりました)。 買って頂戴ませ! 

とうとうでました、若い編集者が登壇したようで・・・ ようやく中谷さんが登場して良い感じになって 皆で買いましょう 

 レーニンさんの体力!乾杯だね///本を作るの好きな・・人って良いんだよね〜


 10月25 快晴  

春先も混乱したが 季節の変わり目に同居人は症状が悪化するかのようだ。この一月 音声にて発話せず、まるでオシのようなぐあいにて戸惑う。 俺の話に対して聞き取るものの 身体表現でのみ反応するから なにかが悪化しているのではと気を揉んだりする。

しかし人間は会話するから人間ではなくて対話は出来ることを大野一雄さんで知っているから呑気に受けとめている。  目で語る、とか身体表現で対話するとか、ナメ愛とか、触い愛とか いくらでも創意工夫すればボディーランゲージにて 他者との交流は可能だ。 言葉のような抽象を掲げることで 具体性を省略できて、対話をすすめ易い気分になれることはあるのだが、原始の人間に戻って身体会話もいいだろう。

日本語を使わぬ日本人と想えば 何も問題はないのだ。が・・日本語を使い対話交流に慣れきって、細心の意をもって交流することをトント怠ってしまい「対話出来ない」と嘆くは 愚の骨頂だと考える。言葉を使わぬ対話にてしばらくは意思疎通を図ることにしている。

同居するものたちと言葉を使い対話せずとすれば あとは退屈極まったような長い〜い沈黙だって手に入れることが出来る。

季節の変わり目の幸いにして 手に入れた沈黙を利用して 信夫山にトンネルを、誰が掘ろうと言い出したのかを知りたいのだ。

まずは 市史資料叢書にて調べはじめる。(叢書は昭和20年から昭和48年まで1945〜73年まで)俺が生まれる6年前から高校を卒業して東京へでて3年後まで。my長男が購入した本が目の前の棚にあった

 昨日の日記を書き忘れ 資料を読みふけっていた。大方腑に落ちる要点は掴めたのだが裏付け資料関係者のインタビュー資料をも手に入れた方が良いと考えるので 10年ぐらいかけて集めてまとめた本をつくってみたい。

上に貼った絵にあるように東北新幹線上・下線 2本 国道13号線は車道2本歩道2本 4本。 計6本のトンネルが信夫山を貫通している。 

ポタラ宮廻りのmy写真を例にあげるまでもなく 盆地に浮いた小山は大方聖地として手を付けないのが一般的だとおもうのだが、上空から眺めると信夫山・聖地を6本の竹串で刺し!たかのような悶えた姿の有〜様になっている。 調べていずれ報告してみたいな〜と考えた。 対話も仕事もなく閑が泉のことく沸いてくる俺の日常をもってすれば解明出来るだろう・・と脳天気に考えた。 




 10月23日 快晴 きのう吾妻山に初冠雪したそうだが見過ごす

床暖房用ボイラーが大きな音を出すようになっていたので交換する。製造年月・95年と刻印されていたので12年ほど使ったのか・・。 設備機器では持ちが良かったのではないか。もう数年頑張って働いてほしかったのだが 3月半ばから途端に「がーキーガガ」鳴りだし喧しいたら!なかった。近所迷惑だと皆が言うので初冠雪頃に合わせて交換することにしてた。

新しいボイラーは中身のタンク・燃焼部・電子機器など 以前の物より もゆとりをもった配列になっていた。IC基盤も小さくまとまり 壊れやすいく見えた印象が払拭されていた。 

試運転したら 燃焼音は80デシベルから40デシベルほどに下がったのだろうか、外部に居ても居間にいても 稼働音が聞き取れないほどに小さくなった。燃料効率は良くなっているのろうか? ボイラー交換がすみ 冬の準備が一つ整った。 

原油価格は一バレル90ドルを突破しまだ上昇しそうな気配だから 新ボイラーの 熱交換率がグーント上昇してると 良いのだが。

● 原油価格が上昇しつづければ 水素などの代替燃料を燃し動かす機械を発明しようとする圧力が強くなるだろうから それ(水素社会か?)が実現する可能性は高くなるから悪いことでもない。

ステルス戦闘機からオレンチのボイラーまで全て作り替えるようになるだろう。既得権益を守る人と新しい世界を作ろうとする人の闘いがあり、情報社会の進展と相まって、人間のありかたは激変するように想う。 次のボイラー交換時までに水素エンジンは一般道を行き来してる!なんて夢みたいな話だが・ツェペリン号のように燃えちゃうか〜・・・判らないよ〜 走っていたら 社会の大変革の可能性はグーント高くなる・・長生きして観察しよう〜っと。俺眺め囃す人 あんた創る人(笑) 

1951年6月1日福島民友新聞(福島市史資料叢書 第49 p190)によると
消える木炭自動車 運輸省明年度に実施 とありガソリン入手の明るい見通しにたち・・本年度中に4万4千台がガソリン車として生まれ代わる・・・とある 


 10月22日 晴れ十三夜とか 数日まえから月明かりに生まれる影は美しい

BSEの問題にはじまり 偽装牛肉 赤福から 地鶏の偽装表示まで 食いものの安全性に関したニュースが途切れることがこの数年ないんじゃない。食の安全が揺らいでるって言われるやつだ。 それらは社長が口止めしても流れ出ちゃうようだ。  内部告発者が存在してることによって、情報が外部に流れニュースになるのだろう。

会社が潰れそこで働く告発者の仕事場がなくっても いい加減な食品を売りサバイテ暮らすなんてことに耐えられない 人間が増えて来たって証のような気もするので、悪いことじゃないと思うこの頃。

給料でしばられず職業に対する倫理で縛られる 食品製造従事者が多数存在することは よいことだ。

耐震強度偽装事件が発覚したのは下請けの構造屋さんたちによる足の引っ張り合いによってだ。同じ仕事に群がって仕事の取り合いのさ中でのチクリ合戦によってだった。食品界より倫理観はぐーっと劣っている建築界である。

事件が明らかになり法改正も済んでも 問題は噴出続け留まらなさそ・・規制強化はすでに限界だったけど法改正して 窓口手続きは神経質になり 手間暇多くかかり、完成まで工期は伸びざるをえず 手間暇賃や金利加算分は 結果 価格を購入者に転化されただになっている。 法改正する人達も ピントを法整備の的を外してしまい 官僚国家は脱せない 擬・市場原理社会が現れているようだ。


 10月21日 晴れのち 曇り 

今年の春以降の混乱で俺はモチベーションを高めることが困難になっているよう・・で・・・ 先日観てきた山形国際ドキュメンタリー映画祭の感想をまとめることが出来ない。どんどん先延ばしになっている。

締め切りあり、だったり注文仕事だったりすると、あの場で あっという間に書いてしまったようにも思う。また高揚した気分が持続できたり、過度に伝えたいという思いこみが沸き上がったりすると、スイスイと記録作りは進展する。 と体験で俺の性質を知っている。 このダラダラはどうしたら克服できるんじゃろ・・・・と我ながら呆れてしまう。 春からの困難はボディー風呂のように力を奪いつづけるなぁ〜。 

締め切りなく鈍した。そうなってしまいそうなので・・記録をつくりはじめる。書き始めたらやらたダラダラと まとまりのないなんの。その だらしない様に また動機が落ちて悪サイクルが現れ 呆れる俺。 今週はしこしこ書いて恥の残しておこう。


 10月20日 薄曇り  秋雨の夕べにバロック生演奏は似合う

昨夜 今年で20年目となる 恒例のBOX5でのホームコンサートにでかけた。 今年は観客が一新で初対面の方が多かった。平日雨降りにもかかわらず会場は満員にて7時開始

演奏者
ピアノ  片桐春香
フルート 宮本明恭
チェロ  青柳善美

演奏曲
1 ヘンデル フルートソナタ ホ短調 
             アルゲット  アンダンテ アルゴ アレグロ プレスト
2 ロカテルリ フルートソナタ第三番 ト短調
            アルゴ アレグロ  アルゴ アレグロ
3 クライスラー ウィーン小行進曲
4 ベートーベン=クラウスラー アンダンテ
5 クライスラー シンコペーション
6 ビゼー  メヌエット アルルの女より
7 ブラームスのハンガリー舞曲 第6番

演奏は宮本氏の解説付きでおこなわれた。演奏前に奏者の解説は初試みであったが観客としては3倍楽しめた。バロックとロココ時代の細かな演奏法や 作曲者へのコメントなど

アンコール 3曲 

演奏終了後 ワイン+日本酒+ビールと 手作り料理にて演奏者と観客と入り混じり 歓談 

 10月19日 曇りのち雨  

映画はツタヤで100円ほどで借りて自宅のモニターで観るものだ。小さなPCに入れて通勤時間の合間に観るものにもなっている今現在。「?映画って何?」って聞かれても、「疲れを癒す 娯楽のひとつさ」と答えるの人がおおいのでないかい。それでいようなきもるす (シネマトグラフ から キネトスコープへの移行)

 「映画は真実を映せるか」もちろん答えは「撮せない」にきまっている。 真実の定義や 真実が積み重なっているはずの歴史の定義も共有されてない。 もちろん共有されている宗教さえない  現状では 暇つぶしのための スポーツ番組のような 娯楽に落ち着いて 流行るぐらいが 役割だろう。それも 自宅の居間に 発見してない以外 どんな時空でも運んできてくれる便利なツールとしての映画として。


映画の出来たて時分はどうだったのか・・サーカスや大道芸などの見せ物の一つだったに決まっているような気がする。

怪しげなものを覗く、覗き趣味のような気分から発生したものだったのだろう。人間が均しくもつ欲望「◎×をみた〜ーい〜」 は飯喰いタイーと同じように餌を漁るための欲望とセットだったかもしれないが 「観るだけ」に切り離されて特化 供給されている。

観るだけで充分だった映画がなぜ芸術作品として語られるようになったり 語られはじめたか。おれは知らないので あれこれさがす。 人間が発明したものだから 当然芸術に昇華されるのだ というのは簡単すぎるのであれこれ・・・

100年たった映画。丁度半部ん当たりで書かれた「映画の理論」を読む。岩崎昶(はじめ)著生きていれば104才の方。1956年に発行された本。

この手のものを読んでいると 映画と言わず 「活動写真」 という漢字が多く使われる。そう!か!写真が生き物になったかのような驚きを思わず 活動写真!とだれでもが思ったのだろう。 写真が活動する、勿論音は付いてないけど動く写真はやがて当然のように音がつく。 漢字4文字で映画の出自を 理解したような気分になっちゃうからおかしい

写真を撮った 時分から 撮った写真を動かしたいという欲求や 動いている人間や風景を静止したかのように処理する 写真に 不満を感じていたから 映画を発明したに違いないと 観てきたような嘘を書いてしまう。

活動写真が流行りやや経つと 演劇を直撮りして観るという珍現象が起きる。 演劇を生で観ないで映画で観るという 今では考えられないような 現象が起きていた。いまでも演劇をTVでみるはゴク一般のことだから書きすぎだね。

動く写真にストーリーを与えて観るには「演劇を直撮り」このアイディアは短絡すぎだが。 写真を動かして観てるだけではすぐ 飽きちゃう。俺だって。 観てきたような嘘を書く。

写真は写真を撮った人が感じた 嘘のようなものが写っているだけで 対象の真実を撮せない。嘘のようなものが連続して動く・・愉快だ

動く写真はレンズや写真器材の変化の影響をモロに受けるわけで 今日現在ではデジタルビデオ撮影作品がとても多くなっている 。ビデオでしか撮れない作品をめぐって映像作家たちは日夜口角泡をとばして論じていて やがて 奇っ怪千万の時空を現すにちがないない。

工学技術・光学技術の進展とともに活動写真はどんどん変化し続け やがて ドンでもない、おれって生きているのか死んでいるのかわからない そんな時空へ連れ出してくれることだろう。 そこはやはり 人間の 退屈で鬱陶しい日常生活とほとんど変わらないような芸術敵時空だったりするような気もするのだが その多様な、とんどん変化し続け病まない(止ない)退屈空間を体験してみたい。 


10月18日 快晴 


        



山形国際ドキュメンタリー映画祭にはじめて参加し、最初に観た映画が 鳳鳴で大賞受賞作品となった。 会場を出て「よかったですか」と感想を聞かれたけど、「よかったと言えるかもしれないけど 理由を短い時間では語れない。 良いとか悪いとかで言い切ることも出来ない映画でした。 多重の問題提起や映画監督自身を否定するエンディングは良いかった」と話した。そのごずーっと そのことについて考えていて、判らなかったり語れなかったりした点をチョビチョビ書こうとおもって考えているも手が動かないのでメモしまくって、映画祭に持参した キャンパスノートは資料もかさなり 埋め尽くされた。 そろそろWEB頁に 書きだそう 

 10月17日 晴れ  w◎

先週依頼した 床暖房のボイラー交換まで間があるものの 朝夕 石の床なので冷えるからコタツをセットしてみた。・・ 炬燵用コードが ない! 春先にあった10年振りの騒動で 物を大移動してしまったからか なかなか見つからず 二時間ほどさがし回ってようやく 見付けた。 スイッチを入れる。なんとか使えそう。 

● 庭の実り。柿は10個ほどと 貧作らしくも、ぎんなんがタントなっている。

山形の霞城公園のベンチは畳み二帖ほどの板敷きで 荷物を傍に置き二人で横になっても充分の広さ 大の字で昼寝してても快適だった。 

都市部のベンチはごろ寝が出来ないように一人一人 鉄の区切りが設けていたりして イヤラシイ仕組みになっていてるものが多い。 山形は大らかなのようでデカベンチであったから 映画の合間に何度も昼寝をした。

子供づれの母親や お婆さんが ベンチに座ってぎんなん談議をしていた。「どこどそこの銀杏の ぎんなんは粒がデカイので夜明け前から懐中電灯を灯して拾っている人が居る」「ほんだ なや〜」とか、「この木は若いので粒が小さい。拾ってても 処置のしがいがない」「んうだ んうだ」 などと いかにも 皮の処置時の臭いには まいる〜な どと 方言で うまいこと話すのでこちらも 臭い臭いを想像して顔をしかめてしまった

子供が面白がって 落ちたぎんなんを踏みつぶすとたん 靴に付いた臭いが取れなくなって 玄関中臭くなるから「やめろ〜」と注意していた。

我が家の庭の銀杏は 30数年たって どうしたことか 沢山ぎんなんの実を付けた。表面が「つるりと向けるように熟さないと おいしくない」とも話していたのが他がたわわに実をつけた ぎんなんを見上げ、こりゃ・・これから臭そう〜だ

透き通った緑色のぎんなんは美味いが 皮むきが大変なんだな。良いあんばいにあの臭い皮を剥く方法はあるのだろうか・・霞城公園の談議でも 臭いし手間がかかるから 美味いんだ・・・と剥く方法は定まっていないようだった

「ぎんなん飯はうまい」と話していたが 喰ったことない



 10月16日 曇り 涼しくなってクシャミばかり w◎

耐震強度偽装事件後に法改正から施行前の 駆け込み申請のため 偽装した申請書類がが発覚したそうだ。基礎工事まですすんでいたそうだ。確認したのは民間検査機関「東日本住宅評価センター」。 構造やさんは誰でも 仕事の締め切りに追われると手抜き偽装するとは思えないも、「なんでを・・」語ってほしいものだ。前例のように 外車のり姉ちゃん乗り続けるために 銭が欲しかったのだろうか。 弁明してほしいし 解明してほしい。

 国土交通省は15日、横浜市内に建設予定だったマンションの構造設計を担当した「藤建事務所」(埼玉県八潮市)の遠藤孝1級建築士(60)が構造計算書を偽造していた、と発表した。このマンションは工事が中止された。遠藤建築士は横浜市の調査に「時間に追われてやった。他にも数件やった」と話しており、同省は同建築士が構造設計した首都圏などの約50件について、所在地の自治体に偽装や耐震性の有無の調査を要請した。  

現代思想を買いに行ったがなかった。県・図書館に行くかネットで買う方が田舎は楽になってしまったのだろうか。 ついでに映画関係の書コーナーを捜すもなかなか見つからず、ようやく見付けたけど 棚の半列 20冊ほどしかなく・・しょうもないので何も買わず戻る。


 10月15日 朝方はれ 曇りのち小雨  近頃とても淋しい 俺らしくない。 

映画祭 のレポートを書こうと思ってあれこれ整理してすごる

山形国際ドキュメンタリー映画祭に初参加して 最初に見た映画が大賞を受賞!・・そんな経験ができたのは 俺だけなんじゃないか・・、神様に感謝します(笑)

(舞台上のワンビン監督左)
いきなり凄いの見ちゃって幸せったらなかったんだけど、・・だれかと直ぐ話しあいしたかったが 知りあいおらず・・もくもく移動。 出口でオバサンが投票を呼びかけるも凄すぎで これだけで決めていいものか〜との欲・邪念が沸いた。他の作品がどんなんだか観たかったので、市民賞は投じなかった。 03年に「鉄西区」 9時間もの!で大賞を受賞し二度目。

大賞を受賞したのは王兵(ワンビン)監督の鳳鳴(フォンミン)であった。WEBより拾ってみた。 


 審査委員長の映画評論家・蓮見重彦氏は、約5時間の討論におよんだ選考結果について「今回のコンペ作のほとんどはビデオ作品。デジタルは多くの人を映画に近付けてくれた、それによって作品に多様性があったかと言えばそうではない。テレビ的な作品が多く、映画独特の間などが喪失されつつある。そんな中、王兵監督は21世紀の可能性をかい間見せてくれた。それがわれわれの幸福だった」と語り、参加者の多くが「今年は低調」と嘆いていたコンペ作品に苦言を呈していた



21世紀の可能性をかいま見せてくれた・・とはなにか。映画の可能性か、はたまた表現の可能性かドキュメンタリーの可能性ビデオの可能性か 判らぬも 可能性あり! あるあるな〜・・と俺も見てて思った。

強いて言えば個人が共有すべき歴史に対する参加のしたかの可能性がある
と俺は思った。

 撮り方や映画そのものも 語る主人公も共に シンプルでつよいメッセージを発する メディア同士の幸いな出会い にいたく感動したんだけど 、評伝や自伝や歴史書を近頃読み続けていたので、内容を単に受け取ってよいものかどうか・・ためらいもあった。そこらを 語らずにはおれないんだけど、長く深くだれと 語る機会がない。

いきなり会場にいって 目の悪いおれは良い感じの席をさがしたらそこは、審査員席の隣の席だった。蓮實審査員がやって来たが逃げるわけにもいかないのである。また俺の隣の席だが、背中に・・連と書いてある 青いティシャツ輩が最初から最後まで鼻くそをほじって口に入れチャウのが目に入る・・で衝立のように カタログを立てて遮ってみたたが時々手がつかれるので外すとまだホジッテイルのだ。

 あの3時間チョイの凄い映画をみながら 自分の鼻くそを喰い続ける 日本の青年も映画の内容以上に異様だった。 審査員のとなり 名入りのティシャツからして映画祭の関係者だと思うも・・・ 審査員のとなりで 鼻くそ喰う人間の 神経は日本人の若者だからなのだろうか?。

10月05日山形市中央公民館6階 12時40分から15時43分おれは 両目で別々の凄い世界の現実を見ていた。 山形での 映画祭の初体験としては 忘れることができないだろう。 

語り続ける鳳鳴 鼻くそ喰い続ける日本青年


  10月14日 晴れ 

日照時間も日に日に減り 気温が下がりだしたので、床暖房のボイラー交換を依頼する。 10〜12年ほど使ったので長持ちしたほうかも。ボイラーの循環用ポンプが異様な音を発し続けるようになり近所迷惑だから。

ついでに風呂のシャワーヘット交換も依頼。高額だが見積もり見て発注する。冷え切って風邪引きばかりでは 財布より体がタイせつ。凍え死んでは話にならない。 

原油一バーレル84ドルを越えたとかで 今年も灯油の値段が去年よりさらに上昇しそうだ。暖冬になってほしいが・・。まったく熱源なしでは暮らせないだろう。薪を大目に焚いて灯油の消費量を抑えねば。 そろそろ薪も買い運んでもよいかも。

●映画にかんるすオモロイレポートがあったので、印刷したらAー3で300頁ほどになり ボンドで貼り合わせて本のような体裁にしたら ノリで膨れて 7〜8センチと分厚く重たくなる。モニターで多量の文章を読むのはなぜか疲れるので製本したのだが予想外の物量になり 体裁もよくない 市販 本のありがたみが身に染みた。 


 10月13日 晴れ

04年 華氏911に マイケルムーア監督のがつくった作品はアメリカの医療と民間保険の泣き笑い、突撃インタビューコメディーもの シッコ sicko をみる。

アメリカの病院は 保険料に加入せず 医療費が払えない病人を 路上に捨てちゃう!んだね〜。

老後病気になると家土地売っても足りずなど 散々な事例を見せてくれた。 

カナダ・イギリス・フランス・キューバの医療事情をもレポートして見所満載、豪華なドキュメンタリー風 エンターテイメント。

キューバのネタは少々知っているけど そのたの国の医療事情を知らないので感想はない。

映画の入りは真っ暗でブッシュの演説で 映画の終いが、ホワイトハウスにでむき洗濯を頼もうと 洗濯カゴヲかかえ持ち込もうとするムーア監督の後ろ姿。(映画みればその意味わかる) 

日本も 小泉改革によって切り上げられた医療費であるがフクダ内閣も持続するようなんで高齢者の医療費負担は増加されるようだ。 軍隊も医療現場もアメリカの惨状へとまた一歩近づく気配ありだ。

 政治って 市民に 職と食をあたえ健康的で快適な生活を持続することにこそ機能すべきなんだがね。 市場主義にまかせ 医療・育児・教育・介護をおこなうと どうなるかは明らかになっているのだけど  資本家や政治家や一部の輩だけ潤うためにのアメリカ型民主主義ってのは やはり疑問で 市民よ立ち上がってデモを実行しようという呼びかけの終いかたでもあった。  



 10月12日 快晴 

高校生の時 俺のヒーロだった黒川紀章さん亡くなられたそうだ

1934年4月8日生まれ 京大から東大丹下研をへ 建築界のヒーロになった70年前後 俺は高校生だった。、行動建築論バイトで稼いだなけなしの銭を支払い買って読んでしまってヒーロに立ち上がったのだ

コルビュジェは工業高校の教科書に載っていたけど、黒川さんは載っていなかった。福島の県庁前の本屋さんで手に入れ 読んだ。大方は理解できなかったが、生物の細胞のように建築も新陳代謝するかのように作るのだ〜という熱はリカイできた。

日本万国博覧会開催初頭は西宮で研修を受けていたので、博覧会場に数回出向き、タカラパビリオンを見て「おぃ〜これが行動建築する建築!!」ごちゃごしゃ鉄パイプで作り上げた足下で見上げ、生物代謝と物の代謝って似てるのかいな〜と人混みに押されて 欠点を把握出来ぬ間に過ぎ去った。

恵比寿で修行中の1970〜80年の間に中銀カプセルタワーは出来上がった。勿論見に行ってまた見上げた

カプセルの小ささに、「屁したら臭いこもるな〜、ゲップしたら臭い籠もるな〜」」 「狭すぎて彼女とセックスデキンジャン」建築の新陳代謝の気分はいいけど、人間の代謝に対応出来きないじゃないか・・・と思ったのもだった。70年半ばで俺の中の黒川さんは死んでしまったわずか数年しかもたなかった俺のスターだった。今ではすっかりカプセル・ホテルに成り下がり、流布している。なんてこった。

生・黒川紀章さんにお会いし 話ししたのは日本文化デザイン会議1995年5月30〜6月1日で盛岡のホテルの会議室だった。 あやこさんとのスキャンダルで有名になった生・黒川さんは袴のようなひも付きズボンを示して自慢げに「ズボは紐じゃなきゃ〜・・これが楽々」なんて言って甲高い声で ズボンの紐の結び方を聴衆の前で実演してくれた。なんだか悪い夢を見ている気分だった

今年は都知事選や参議院選に、共生なにゃら党を捏造して出馬したものの落選した。ほとんど安ポイ!教祖様のような気配だったし、ニュースで拝見した顔もイカレテいた。

73才だった。ご冥福をお祈りさせていただきます



 10月11日 晴れ 朝夕冷えだしたようで 家の蔦も色づいてきた

河瀬直美監督(1969年奈良県生)が 山形の映画祭の帰り道 福島フォーラムに立ちより舞台挨拶をされた。 作品である「殯の森」(もがりのもり)は今日が初日で、今年のカンヌ映画祭のグランプリに輝いた。日本人の大賞もだが、女性監督であることもきわめて記憶されるべき出来事だったから、新聞にも載って知れ渡っているのだろうが、大勢の老若男女が詰めかけ来た。 

もがりを広辞苑でしらべると 荒城あきらに同じとある。あきらとは 貴人の本葬をするまえに棺に死体を納めて仮にまつること、またその場所。とあった。

川瀬直美監督を発掘し育てているのは山形国際ドキュメンタリー映画祭そのものである。今日監督も「山形は特別な場所で世界に開かれた窓であるし、26才の時に発見してもらったことで映画を続けてこられた」。と話していた。

今年は国際コンペ部門で特別賞を受賞された。「垂乳女」という作品で、息子さんの出産のときから自身でカメラを回したということで 人間が生まれ出て 第一呼吸する瞬間から、ご子息は被写体(映画俳優かな)として誕生したことになる。39分ほどの映像作品のようだ。フォーラムで上映されるだろうか・・。

質問も持参したし 多数聞きたかったのだが、大勢いたので最初に手をあげて一点に絞って聞いたことは「映像作家でもあるが 小説も書かれている、その違い等を教えてもらいたい」

私は文章のほうがうまいと思う」と確信と自信のある声で返ってきた。「映像言語は限界があること。映画ではイメージを固定して伝えるので、観客が抱いているはずの言葉がもつイメージを壊すようなことになる。、抽象化した言葉を文字を使うことで、受け手のなかで、それが指し示す言葉を体験に基づいて受け手がそれぞれにイメージを膨らませることが大切であり、それをできるのが小説だ」とそんな風に答えてもらった。

小説の読み手が映画監督のように映像感覚が豊かであるかどうかは疑問であるが、映像作家ならではの言葉であると思った。また映像も文字も深く知っている理解してる人が現れたと思った。いずれ監督は 芥川賞をとるだろうと思った。

 殯の森 は映画でドキュメンタリーではないが、ドキュメンタリーでは作れない河瀬監督の作りたい映像。映画でなければ作れない川瀬監督の映像の美を存分に知ることができた。ストーリーも配役も台詞も音も ギリギリにシンプルで描きたいことだけが描いてある。

 「最愛の死者との交信」であったから、能のシテワキのような関係であった。そのうえで 、シテとワキの役割が何度も入れ替わちゃう構造になっていた。日本人は長い間このようにして死者と交信することで 死の現実を受けとめ生きてきたことを再確認することになる。

映画に入ってしこし書けば、介護される妻を33年前に失った認知症の老人。息子を亡くした事で夫になじられた心痛んでいて仕事にも自信をもてない 若い女の介護士
 物語が進展していくと 老人にとっては介護士は亡くした妻であり、介護士にとって 老人は亡くした息子に変わってしまう存在となる。 

生きている老人と看護師が三途の川を渡るかのような小さな濁流に揉まれる シーンは監督も「涙を流しながらカメラを回した」と言っていた。森の小川を渡るシーン以降は 川瀬監督が拓いた映画によって可能な 今必要とされる世界であるし 日本の伝統にあった 幽玄の世界そのものでもあり 実に素晴らしい映像と音と物語になっていた。(俺だけ そう 感じたのかもしれない

物・情報・人が溢れきったかのような日本の状況下で、歴史が山積みされている奈良を根拠にし 山形を経て世界に飛び出た 河瀬監督は映画の可能性を確実に一つ拓いた。 

この先20年は タイムリーな社会問題と河瀬監督の生活が融合し 新しい解答としての映像が 私に 豊かさをもたらすことは間違いない。 


 10月10日 快晴 旧体育の日で東京オリンピック開会式の日

110年前に劇場公開された「ラ・シオタ駅への列車の到着」 リユミエール兄弟の映画が最初の映画だそうだ。十年ほど前 県美術館で観た。工場の出口や 散水夫が水をまくコメディなど数本も上映された。今風ならCG懲りまくりだが同質のメリエスの「月世界旅行」1902年も上映されたかもしれない。記憶がさだかでない。 


50年ほど前、 県庁から直線距離にしてわずか4kmの所にある上染屋分校(my母校)の小さな校庭は人で埋め尽くされていた。

校舎に銀幕を張ると夜が訪れる。人々は息を潜めて待っているので 投影機とフィルムが発する 音映写音が大きく響いている。 漆黒の闇のなかで 映画が投影されだす。

1957年作 安田公義監督 「赤胴鈴之助 飛鳥流真空斬り」だったか同監督の「赤胴鈴之助 鬼面党退治」だったか、二本続けてだったか・・・。ソレが6才の俺が最初にみた映画だ。

 子供の間では真空斬りが大流行(笑) 真空斬りは大風・台風のようなものである。 鈴之助は台風の目の中心にいるので吹き飛ばされることはないが、数歩離れた所にいると仲間でも吹き飛ばされる。 いや 都合良くって仲間を飛ばさない大風だったかもしれない。 今じゃ景観破壊しまくる技なので使えないさ

俺たち子供が真似しても台風など起きはしないが 子供同士で互いに真空斬りの大安売り 赤札台風だで ぐーっと効力が落ちていた。目の前の現実ではなくてその時は 大画面の鈴之助なりきっているので お互いお構いなしに 技を連発し掛け合う。

上映中は村の観客たちは とくに子供は 映画と現実の区別が付かず、上映に珍入してしまい、敵は後ろにいるぞ〜 お前が悪い だの、苦境にたたされればしょげ やっければ 大喝采!と大騒ぎ。

映画というやつは 突然目の前が江戸時代に変わる(笑) 善・悪も決まっていて主役が善だってことになっていた(笑) 観客の価値観や生きている時空などお構いなしで 唐突に押し入る。

映画が終わっても1週間ほどはその話で持ちきりだったように思うし、子供はズーっと戦後の映画のために でっち上げられた江戸時代に入り込んでしまっていて チャンバラしてたわけだから 数年もの間 赤胴鈴之助効果はあったわけだ。

リュミエールの「シオタ駅の列車の到着」から60年後の1957年、目の前に現れたその映画はすっかり変容していた

最初に鈴之助を知ったのはどの媒体だったか思い出せない。  漫画・赤胴鈴之助 だったか ラジオドラマ・赤胴鈴之助だったか カルタ・鈴之助だったか 映画だったか。漫画のような気がするが ラジオの前で毎夕 一家勢揃いで(笑)正座して聞いた記憶は確かだからな〜。

武内つなよし原作の漫画は少年倶楽部に1954年7月から連載
ラジオドラマは1957年1月〜1959年2月までTBSで放送。
映画は1957〜8年の間に9本作られたそうだ 

同時代の映画 月光仮面も校庭で見たはずだが記憶が無い、やはり バイクに変わる自転車が なかったし乗れなかった から子供の間で流行らなかったのだろう。

● 大ヒーロだった鈴之助を演じた 梅若正二さんは 大映から大蔵映画を渡り歩いたそだが その末路を俺は知らない。50年後の今・正二さんは 80〜90才ぐらいだろうが ポルノ映画の男役を演じ、台風で家土地奪われちまって ドヤ住まい、台風のたびに散々なめにあってしまい  売人・薬中になってしまい 介護無し糞まみれで生きているなんて 生き様ならばいいのではないか。

時代のヒーロはやがて時代の(厄介者)に変わってしまうし、ヒーロを真似た子供達もやがて家のなかの粗大ゴミに成長してしまう者 多しだからね 苦笑   


 10月09 晴れ 

●家族会議解散後 俺に対して 言葉を発しなくなったが 表情で対話はできる。いろいろ困難がやってくるけど、状況に対応しながら生きて行けばよいだろうと呑気の構え。

●休戦上にある 朝鮮戦争はいよいよ終結宣言にむけ4ヶ国協議が開始されるとのこと。日本はツンボ桟敷席へ。 同じ日に 日本政府は 経済制裁半年延ばすと発表したけど。 口裏合わせて裏外交が済んでいるならよいけど、せずに 制裁延長なんて のちのち 国益を損ねるよキット。 戦闘は無しだが 戦争下にあるって認識ないんだろうかな。孫子の兵法にならえば、闘わずして すでに情報戦で 謀攻で負けて 桟敷席にいる。だから、実ドンパチしたら 難民は押し寄せるはモロモロ 被害甚大に決まっている。虚勢を示すものはアホだ。 

● 3日間の 山形映画祭三昧でも 上映された240本のうち9本しか見なかった。国際コンペ部門のエントリー数は100の国から969本で審査を通過し上映されたのは15本5本見た俺)。 数から考えても全部みることはできないだろう。とりあえず俺は山形映画祭に初め触れたってことだ 中日に建築見学と町歩きをした。

余りの数の多さに行動開始前からあきらめてわけだ、横ずれ行動。

 最上義光の治めた57万石 の霞城跡地を逍遙しデジカメ採取。 霞城公園とよばれていてて市民の憩い場であり運動公園にもなっている。また 旧済世館本館が復元されている。これを見るのが 主な逍遙目的。

(パンフ+入場券をスキャン加工した絵)

擬洋風建築として名高き建築であるが デジデータがなく、多分スライドはタント撮ってはずなのだが・・不明・・なので 採取。 
明治11年9月に竣工したとあるが 調査が明治10年7月。調査・設計・工事に1年2ヶ月しか掛かっていない。ものすごいスピードで、なにかに憑かれたように関係者が作ったとしか思えない 短期間での竣工。

このようなけったいな建築を それも用途は洋風病院だ。見たことも体験したとも運営したこともないだろうに 。 いろいろ 凄いもんで 山形の市民は口あんぐり、顎はズレッパなしで、見ていたんだろうと想像してししまう代物。

初期の 医療関係の資料も充実しているようにおもえた学校でならったあの解体新書の本物が陳列してる し 浮世絵もあるし 見所満載。

久々にフォトコラ作る予定で採取した。四季折々の絵がいるのでまたそのうち出掛けよう。 w◎


 10月08日 雨のち曇り 

山形国際ドキュメンタリー映画祭に行って昨夜戻る。のち〜今日にかけ諸問題をみるための家族会議をする。 朝夕涼しくなってきて薄手のセーターがないと寒い俺。

映画祭は 建築家の 太田浩史さん と 伊藤香織教授 の お誘いで生まれた。幸福な映画三昧の3日間!

 (左 3人 深夜居酒屋で撮りました)

太田さんと伊藤さんは 世界中の街を調べ歩いているプロであるが 俺は数年前に 群馬県の館林の街調査に誘われて以来の街見学兼映画のオマケあり(笑) ・・オマケが 濃いのなんのって、噂には聞いていて知っていたが、隔年開催で今年で10回目の映画祭。 

映画は9本見た (撮影された場所)
5日  鳳鳴(中国)  紙は余燼包めない(カンボジア) 
    12タンゴ ・ブエノスアイレスへの往復切符 (アルゼンチン)
    花の夢(日本)
6日 像の間で戯れる (インドネシア) 革命の歌(フィンランド)
    掃いて飲み干せ (ドイツ)
             夜中 3人で 呑み ワイワイ
7日 ミスター・ピリペンコと潜水艦(ウクライナ)
    石原莞爾 の撮した戦前 (主に満州の戦場)

● 3日かんの体験のなかで 俺が選んだ ベスト1
 ミスター・ピリペンコと潜水艦 ザットメモ

主人公が 加害者でも被害者でもない チョイト変で迷惑なんだけど目が離せない おじいさん  (小さな パナマレンコって言う方が判るかも) 

(左 小さな緑の物が 潜水艦 小学生の交流と ヤン・ヒンリック・ドレーフス監督)

食料を含めた物 そのものが少ない土地なんだけど、日本では物・情報が有りすぎて 失われてしまった、ものがある。それが照射されてしまう。例えば 土地の豊かさ地域の老若男女の豊かな交流周囲のあらゆる人が 吾のことのように 一喜 一憂 し、心配し怒る ケンカしてはまた集まって羊を潰して飲み食い唱い踊る。

人類が 延々とおこなってきた シンプルな暮らしぶりを見せ付けられる

(町中調査より 太田さんに見せていただいた、操り人形の路上演劇が 個人のスケールと個人の生活のなかで撮られていた)

映画後 地元の小学生 と監督の交流がロビーであり、その状況がとてもいい。こともベストワンの理由だ。 小学生の素朴で基本的でするどい問いに(会場内のマニアックな問いではない)真剣に応える監督の姿 (30年後偉大な監督がうまれそ〜)なんとも素晴らしい交通の場が立ち上がった。計画されていたのだろうか・・これぞ 映画祭ではなら。


● いろいろ問題抱えている中で誘っていただいた、太田さんと伊藤さんに救われた、感謝の言葉もないほどの幸い。 映画の感想は 全ての感想を詳しくまとめて公開したい気分。


  10月04日 曇りややすずしい

 昨夜から おかしな雰囲気なので 同調し ひっそり闇とともにすごす。 明日から3日ほど山形国際ドキュメンタリー映画祭へでかける準備をすます。 連休末に行う家族会議のための下打ち合わせ 連絡つかず。 BOX5でホームコンサートの日時の知らせあり。 


10月03日 晴れ 

買い物トシチャンをこなす。 6・7月気が動転してて大幅に予算オーバーしちゃったで・・なんとかしなくちゃー 8・9月で 食材費500円/人日 におさめることができ、平時の食費配分になる。 ホッ。 原油最高値につき値上げで 諸費材費も値上がりするだろうが この調子で買い出ししたし。

●近くの美術館の木々のはが色づきはじめた。街路樹のシラカシの実はワンサと垂れ頭めがけて落ちてきそうだ。葡萄畑から甘酸っぱい臭いがたちこめている。柿のみも色づいてきた。 稲は黄金色に波打ってさざめき 根本から一斉にコオロギの唄が立ち上がってくる。


my長男 久しぶりに休みなのか家で作業。 第三回家族会議以来まじ 対面かも(笑)丁度良い機会なので仕事場にて 今後のあれこれに対応についてダベル。 難しい問題が多いんだけど、その都度対応を間違わねば、さほどの困難にはならないだろうよ・・・の楽観態度を決め込む。 まずは 身体から情報を発しない生きに努め (難しいんだよ〜) て 数ヶ月心がけようじゃん。

粗っぽく言うと多文化主義か原理主義かの選択じゃなく どちらの場をも使いこなしつつ、多文化社会へ移行の準備を怠らず その欠陥を試しながら いずれ 使いこなせるように。対応に苦慮したら  判らないと馬鹿まるだし失調・失語症 者になりて ねっチく 離れず やりこなすべし で 良いのでは・・で別れる。同意しなくてもいんだけど 心か弱き 発話者の深層を知ってあげる ことが肝要です

● 山形国際ドキュメンタリー映画祭は明日からはじまるので、前売りチケットを求める。パンフ案内によると、JRの緑の窓口でも買えるようなので 駅に行き手に入れる。本チケットは無く会場にて交換、10枚つづりで6000円だから 1本600円で鑑賞できるんだな・・。

 宿の手配も済み、天気がわるければ3日間ぶっ通しで映画三昧だが・・ゲロゲロにだな・・ 街が映画に見ちゃっう ような気がして、チョイトそれは避けたい。天気良くなってくれ〜 


● 評伝の面白さと困難に しこし 興味がわき、 周辺状況 寺山回りを 書いた 寺山修司の思い出話 のような本を 引っ張り出して読み始めているんだけど、関係者のズレぶり様が みょうな像を立ち上げる・・・。

現実は人間の数ほどあることを知るも、歴史の事実として 共有する為には 作法や形式が必要であることが 痛いほどわかる。 取りあえずは 関係者が全て 死してからでないと 寺山評伝は出来上がらないじゃない〜という思いに至。 

 先日谷川さんに質問し、参加者の様子が判った例の結婚式の絵。 もうちょい良い質の  写真集があったのだが・・・ とりあえず 加工し貼る。九条今日子著  ムッシュ・寺山修司 より 谷川さんの あとがき フルッテいて 中身に一切触れず書きの介錯技。 さすが友達にして文筆のプロのお仕事ぶり。 

●若桑みどりさんが 亡くなった ! そうだ。 



10月02日 晴れ 

秋分の日をすぎたばかりなのに、夜がとても長くなっているようなきがするのは、早起きしないからだろうな・・。午後予約してた歯科医院にでむき治療してもらう。 痛みが消えてしまったが、一寸した切っ掛けでまた病むだろうから、どうしたものやら・・。抜歯するしかないのだとか、痛そうだ。 

東さんの「情報自由論」を再び読み始める。マイケルペピアット著、夏目幸子訳 フランシスベーコンもまた読み始める。 フランシスは友達になったらてんやわんやだろうが 人間としては計り知れない魅力を持った20世紀で唯一の人だと思う。30数年の聞きがたりメモなどをもとにして書いたそうだが 評伝から歴史へ移行するときに何がどのように問題なのか 注意深く書かれている本の一つだと思う

●前首相などの圧力によって 教科書から沖縄集団自決の記述が削除されたもんだいで 沖縄県で大規模な集会があった。 政府はなんらかの対応や 修正を迫られいる。 とうぜんだが 教科書会社は修正申請をするだろう。


 10月01日 曇り  

 今日から郵便局は民営化。

税金を振り込みに行って200円ぐらいの手数料は徴収されるだろう・・と 窓口に提出したが、「手数料は受取人が払う用紙です」とのこと。 

持ち株会社日本郵政(全体の経営を担当)と 4事業会社がうまれた

4事業会社は 郵便事業(株) (株)ゆうちょ銀行 (株)かんぽ生命保険 3事業から窓口業務をいたくされる郵便局(株)

05年911の選挙で圧倒的な支持をえ 実行された民営化にともなう 諸問題はこれから現場で徐々に明らかになってくるだろう。 派遣やバイトの者をこき使う 日勤教育にて ねじり上げる・・とかになるんだろうな・・。 

あたりまえのこととして個人の金融資産は 国が預金を保証してたが、きょうから保証せずに変わった。財政赤字なんだから とうぜん 出来ない、財産は自分で管理せよということ。

切っ手は郵便料金の支払いに使える。郵便は一律料金とは書いてないので 離島や寒村への配達は 80円が大幅に値上げされ 150円とかになったりするのだろう。 民間宅配との競争になるので 値上げ無しかも・・書いてない。

各種証明書を 請求するときに使っていた郵便小為替はどうなるんだろうか・・書いてない・・。 

● 右強烈タカハと目されていた、初心者運転のような 元首相のへたれブリは一旦覆い隠されたかに見える、も 勝ち馬乗りまくり政治家のへたれ様は 何にも変わっちゃいないジミン終末文様で 今日からの頭をすげ替え再開される 論戦はどんな案配になっていくのでしょう 

● 民営化 派遣社員こき使いの使い捨て。  人材を育て 鍛え 循環させる システムが消えて無くなったのは政治の世界も社会も同様で 現象として現れる 格差はもっと強烈になって 慈愛の無い世が 日常になるってこと 間違いないね  覚悟し暮らすことにしよう。

共通した宗教もないし 自由至上多民族国家といは言えない現況にあって そりゃ 哀れで凄惨な様となるだろうな。