佐藤敏宏の 2007 年 09 月の日記       HOME  

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  9月30日 雨 夜あめあがる

中断してた国会もあすから仕切り直し再開。ヤレヤレ・・。 社会同様 人材も底払いし使い捨て時代とはいえ、後の役者は同義量以下 皆無ふう 最後の役者勢揃いにしては、いかにもジミン終末 漂う内閣であるけれどキチンと仕事してくれるんでしょうかね・・。政策論議もせず 棚上げし 勝ち馬に乗ることばかりの輩の処世を見せ付けられて、辟易!時代錯誤の揺れ戻しで 期待できずのゲンナリ感を持ったのは 俺だけだろうか。 

格差社会はアメリカのように数十年解消されないで固定される方向へ歩むのか、若者の雇用を安定させる政策は議論され法整備は整うの。か 年金・医療などの各種社会保障制度は安定するのか。 環境問題を含めた外交はしなやかにこなすのか。 来年度予算審議まえに 早期 解散総選挙へと突き進むのか。そうすべきだと思うが。 産業構造 大転換期にあたり右往左往が激しくなりっぱなのか  注目。


建築あそびを再開すべく ワイワイ 「前回は 手足ビリビリ!抹殺しようとした!怪しい!目が特に怪しい・・」  まだまだ、4か月ばかりじゃ 時期 尚早だなや・・ 。叉は再開不能かも

だとすれば 俺の生き方もゼロから組み立て直さなければならないのだが・・


 9月29日 はれのち 曇り

●my長男学会の発表だとかで 泊まりっきりででかける。徹夜仕事だとか

●来月のはじめ山形国際ドキュメンタリー映画祭に行くため 準備してる。

 治安部隊に日本のビデオジャーナリストが射殺された! 軍によるジャーナリストの殺害は世界の言論の殺害行為と同だ。 強い抗議の意を表する者だ。WEBより
28日に「ビルマ民主の声」(本部・ノルウェー)が公表したビデオ映像では、デモの様子をビデオカメラで撮影する長井さんらしい男性に対し、軍服姿の男が手にした銃を至近距離から発射した様子が映っている

4日〜11日まで催される 映画祭で多数のドキュメントや無声映画も含めた映像が上映されるのだが、カンボジアのリティー・バニュ監督の(フランス/2006/ビデオ/86分)紙は余燼を包めないは見たい一本である・・・とプログラムを見て思ったので予定を組んだ。

カンボジア・プノンペン。人身売買、暴力、エイズ感染などの悪夢の日々を過ごす娼婦たちとその宿舎。腐敗した社会の底辺に暮らす彼女たちへの鎮魂詩が、哀しく美しく奏でられる。祖国カンボジアと向き合いつづける、リテー・パニュ監督最新作。

とある。余燼(よじん)=あとに立つ塵。

俺がカンボジアのプノンペンを訪ねたのは、アンコールワット遺跡を見学するためシェムリヤップへの、乗り換え地だったから。往復で2日間滞在だったが ガイドがキーリング・ヒルの帰り道 メコン川沿いの掘っ立て小屋が延々続く 娼婦館を案内してくれた。

入れて回せば3ドル みるだけ1ドルですよ どうですか、エイズ間違いなく なります。処女花嫁は2000ドルで 二人いかがですか」と 華僑のガイドは ホテルで買ったばかりの 自分の花嫁とその両親を紹介した。 僕とmy長男は呆然と眺めるだけだった。

江戸の遊郭の身請けは読み聞きしたことはあるがカンボジアのそれとは全く質がことなる規律と粋があったように思う。

(←浮世絵名品 歌麿より 加工)

 目の前で人身売買のような結婚資金のやりとり。嬉しそうな花嫁の両親。花嫁の親は家を新築し、親戚縁者あつめて大披露宴を行い数年くらせるお金なのだそうだ。 円の強さをまざまざと思い知らされた日でもあった。

メコン川沿いの あの15〜20ぐらいの 娼婦。 吉原の花魁たちを同じ年齢だが 教養も芸も仕込まれるわけでも、大店や武士に身請けされるわけでもない おびただしい数の彼女たちは将来どうなってしまうのだろう・・・ と安化粧の香りがたちこめるなか 悲痛に眺めた。

おれにとっては あの日の続編を 山 形で見る ことができるんだが、鎮魂詩とうたっているのだから やはり 江戸の太夫のような具合には成れなかったのだろう。

春画のように美しい絵 はうまらた のか その中に描かれたようなファッションや性の快楽はあったのだろうか  男の悦楽に浸り切ったる 男根が美しく描かれている のだろうか。 近松門左衛門が本をくったような心中ものは演じられあるのだろうか・・たた悲惨なだけ・・な・・のだろうか。  


 9月28日 晴れのち曇り風が出てきたので天気は下り坂かも

庭で雨蛙がケロケラケロとないている。デジカメえ採取、小さく加工し 貼り付ける

 柚の木には ゆずの幹色と葉の裏色にし、 銀杏の木には銀杏幹色に 擬態して  餌の昆虫を待ちかまえている。w◎

目には隈取り、鼻は オっ立てて真剣だぜ〜 

 近頃建築の表面も擬態系が多いようだが 奴らは何万年も前から擬態を駆使して生きている。 もうじき冬だ閑なてめーにゃ かまってられん!という面構えがいい。 餌をタンマリ食べ丸まると肥えたら土に潜り込み 来年の春まで寝て暮らす(笑) おれは10年は寝て暮らしているぞ〜蛙よ(ガハハハ)

●先月末 青森美術館で寺山修司の作品コーナーにふれ、「俺も一杯もっているな〜と」思いだし 今月は寺山関係の本をあれこれ読む機会がおおかった。

 
 寺山が生みだした品の数々は観光商品になってしまい チープなガイドブックの案内に誘われ 訪ねたり 温泉饅頭のように 「あぁ見たみた」とか 「美味かった」というような 言葉 しかうまれないのだろう。 郷土がうんだ天才などと囃し立てるけど ポピュラーに仕立て上げちゃうって・・・観光商品化して 使い込むって 作家に対して無礼極まったことしてるしじゃないの  罪深いよな。 


貸した 初版本の「家出のすすめ」は返ってきたが 読後の感想を聞かされることも 語りあうことも何にも無かった。 琴線に触れぬとは! やはり思考や生き方の作法が異なるのだな〜と確認し それ以上 踏み込むことを止める。

俺が寺山の本によって 生き方や考え方を構築したのではなく 少年の時分に俺が考えた事と極めて似ていたので、我が意を得たりの気分でね。「これで良いのだ〜突っ走れ〜」と 見ず知らずのお兄さんに 背中を押されたような気になって生きてしまった。

青春期にはだれでも 人生の岐路に立のだが 血縁者の意見や言葉を信じ行動しなかった。親戚縁者や血縁者は糞食らえと思っていたってことだ。 血縁者が日々語る 言葉は少年の俺のことなんか考えているわけではなくって、発話者の自己保身のみ、その上 イカレテイルことがほとんどだったし。 情報内容は時代の空気とずれてた。


親は立派じゃなくていい、子供の邪魔だけしないで欲しい」と願っていたが、どうもうるさい 逃げるが価値だ  家出同然の行動をしたまで。 結果いまは10年寝て暮らしていて、蛙の冬眠より長いのだよ!! 。 

● 金子光晴と森三千代のあれこれを調べようと思い図書館に行く。 金子光晴全集あり 三千代 のインタビュー記事が付録で各巻について 参考になる 


 9月27日 晴れ ややつよい風など断続的に続く。

鎮痛剤の後遺症か 頭痛が消えない

春の薔薇は一斉。ぱーっと咲いて華やかょ。一旦 なつ枯れ 秋に咲く薔薇はどこか物憂げ頼りなげだねぇ。」 「そうだね。寒風のなかでも、一人で咲いてるもん」一花切り 食堂のテーブルに活け 同居人は街へ出掛ける。

毎年 初雪がやってくるまで、ノンビリしてるものは 年が明けても咲く。 肥料をやったりしないのだが その頼りない枝だ葉は見た目よりずーと強靱。

今日のようなヘネタ風でも デジカメでは捉えにくい。 枝にふ不釣り合いの 頭でっかちで 薔薇の花は激しく グょ〜ネグねグァぁ と揺れる続ける。

風の強い日にはテーブルの切り薔薇はありがたい。日持ちしないものの その儚き微美は捉え易い。花全体も花弁も静かにこちらを向くようだからね。 


もう一つ秋の実りにあお林檎。蔕に 暗〜い闇をもち、甘酸っぱい香りを四方に放ち 物憂げな冬にそなえ 欝を抱えこんで膨れている。

強い日差しがテーブルを射し、母と離れ離れの証である 蔕自身の闇を強調している。

街からもどったので 土産を食べながら 1時間ほどダベル。 ややハイテンション。気がかり。

敵に塩を 送るのよ!、う」。笑みならながら、家の者のためらしいく 逆光の中で手を動かす。 大陸あたりまで来た冬にそなえセーターを編み始める。だぶだぶ編みだろうから だれが着てもいいのだろう。 冬支度は家の中でも始まった

平安な冬であることを!! 手を合わせ 祈る。 大きな声で笑う同居人



 9月26日 晴れのち 曇り

 夢をみた。毎朝奇っ怪な夢を見続けているのだが 一昨日の 朝見た夢は 死んだ老女の棺に ブーケに似た花束を ほどき たむけ入れていたら、死んだはずの 老女が寝返りをうち、横向き寝姿にかわり、「もう一日生きることにした」と呟いた。

俺は「my母親が死ぬのだな!」と目覚めて想った。 祖父母や父が死すときも 似たような夢のお告げがあり1週間内に、みな死んだ。 またか・・ しかし 今朝の夢の老女は色白で透き通るような肌だったから、母ではない・・とも想った。

母なら●▲状況下だで! かまっちゃいられない こちらの看護最優先。 「母の 葬式一切に参加せず 不義理を通してしまおう」 決めた。 

人でなし!」「畜生にも劣る!」「馬鹿息子!連れてこい」実家は 罵詈雑言の嵐となっても 葬式には参加しない。人でなしでいいじゃないか。

早朝の電話は、死んだ人の名を告げ 葬儀の予定を知らせる内容だった。死んだのは 母ではなかったが、夢の中の老女のような 確かに 色白の人だった。不義理しようかと 迷う・・どうしよう。

 家の中が一般的な平安な様ではなく ある種 崩 壊 の態であるから、いまさら世間体を繕う 弔いにお付き合いする 合理はどこにあるのか。 この祭 全方位の面々にたいし 馬鹿を通し  おお馬鹿生きに徹してしまおうか・・・。

  曼珠沙華 あかきをなんの 生け贄とし
  脳に血管なきように
  私の感情血栓巣
  砂漠に陰毛摘んでおり
  一つ選べば 全て枯れ
  二つ選べば失調巣
  洗濯地獄の快楽・悦楽

  

そんな詩があったかもな  


 9月25日 晴れ ほぼ満月、芋名月 豆名月に近づく

コバヤシヒデオと中原中也の三角関係を成立させた泰子ってどんなオナゴなのか、面っこを知りたい、見たいと思うのが人情だろうと思って、スキャンし貼る

松竹大部屋女優に似つかわしく、目鼻口でかく バランスを欠いて馬面に近いも、生でみると それらに吸い込まれるように思ったのは チビの中也。他にも沢山居たことだろう同つらの おんなたち。一見 可愛いらしくみえナルシス頭カボチャは一杯いまでも掃いて捨てるほどいる

ハセガワ泰子は162pで中也は150センチほどの16才。泰子19才2年同棲し、コバヤシのもとへ走る。

松竹ニューフェースの天狗になりあがったばかり。 身の程をわきまえぬ泰子は次なるコバヤシから 次の男へ走り去り、中也のもとへは返らず、汚れ地待った青春が完成する(笑)
(左絵 さかさま文学史黒髪編 p7より)

たんに中也の片思い、一人 入れ込みは明らか。

泰子が彼らのもとをサルは単に転居だと語っているそうでなんてなくって 金持ちボンボンの借家に寄生し 家賃を浮かすための 浅はかな同居だろう。、性交渉はあったと思われるも 入れるまえに もれた んだろう 早漏だな こできず

1923
年当時軍医の息子とはいえ 荻野先生は論文を書いていたものの認めラレテはいず一般智になっているとは思えないし、避妊具も普及しているとは思えないので、子が出来ないのは、やらず・できず おまん のとおれはしておきたい。

粋な恋なとどいう代物とはほど遠い がき世界の世迷い言を 詩と崇める今のババアどもは 恋のなんたるかも知らないのではないだろうか・・だからいいのだろう

そんなことより名月をみて 男に指一本 触れさせず月に返った男色華やかし頃の レズ・カグヤ姫のことを 想って「友達になりたかったな〜」と 一つため息をついてみるべし。

 想像の 恋はすれ違うほどよさげであるか・・・、極めてばかばかしいと リアリストの俺は 


 9月24日 曇り 24℃

昨日のイベントのあと、ホルモン屋で呑んで 変な時間に寝てしまい夜中目覚め、朝方まで本を読み、ねた。 昼過ぎmy長女の電話で起こされ、1.5時間ほど 諸問題についてあれこれダベル。 歯痛〜頭痛消えず老化にてお手上げ困ったものだ。

言葉や詩回りはすきだけど 中也や 賢治は好きじゃないので、なぜ?フグスマデ あんなに人が集まるのか解せないのだ・・両人とも友達には成りたくない金持ちのボンボン様だと俺は思っている。家出さえできない行かず男だと思っていることも一つの理由だ。 家出主義者からの批判ということだけど。

残された字面だけで、面白がるのは良いのだが、やはり生活そのもののリアリティーに対する想像を欠いて 楽しむ安全志向は 俺の腑には落ちない。人の野生と リアルを欠落しさせては字面の虚構の理解も浅いのではないだろうか。 流行ればいいのか

中也の詩集は買ってないはずだと思い書庫を探したら一冊あった。

今は詩作や詩の朗読がはやっているのだそうで、中也・賢治記念館も大混雑だそうだ。 賢治記念館の開館時に家族で訪ねたがスカスカでジープ玄関横付け駐車だった。それの客は地元の人だけだった。いやはや20年の歳月は全国各地の人々こぞって 詩を楽しむようにホントになったんかいな?!

やはり詩の言葉は人間の体を通過してこそ、いい。 フクシマヤスキさんの中也絶唱の曇天の声とか唐十郎さんの サーカスを唱う姿を体験して ああいいんだな〜と思うとができた。

大陸にわたった 軍医の跡取り息子であるからにして

幾時代がありまして
 茶色い戦争ありました
幾時代がありまsて
  冬は疾風ありました

・・・・ゆあーんゆよーんゆやゆよん

このうたの虚構リアルがあることが理解できるのではないか と思う



 9月23日 曇りのち霧雨 ややさぶい 

キリンプラザ大阪が解体されるそうだ。1991年3月22〜4月7日にかけて 勅使河原三郎さんが「」という展覧会を、宮田さんと共に開いていたので、my長男と見学した。昔だよ。 ヨシコちゃんと三郎さんとダベッタ。それが最初のキリンプラザ大阪の体験だった。 お互いに苦笑してて「こりゃあきませんぜ〜」皆 苦笑した。 

若桑みどりさんに教えてもらったことだが、「あの ダビンチだって20年なのよ〜」 やっぱりそうなんだと思った。 古来から流行って もって20年・・ぐらい続けばおんのじだと 改めて移り気の様を確認。そのとき発行した 写真集の表紙がとても上品な蒼・碧した布貼り仕上げ・・手に取ってみた。

●昨日から今日にかけて 中原中也生誕100年in福島という催しがあり、詩人兼教員の和合さんに招待されので 酸化した。

昨日は和合さんが中也の詩を一旦解体し再構成し自身での朗読と 中也の言葉をベースにした新作能の舞台だった。 和合さんの解体は成功してた。 能の で 聞く現代詩は 実家で行ったmy結婚式での村人たちの謡を思い出させてくれ 600年ほど続いている 形式の力を再確認。

能のテーマは 幽玄にあると思うのだが 死者中原を目の前に呼び出す 美しく淡い営みの儚き形式。 それが頑丈・堅牢で 現代演劇でもっては解体できない代物。なぜならば物質や精神 言葉を越えて 「あるもの」だからだ。能のゆったりした動作のなかにある「あれ」は難攻不落 


●今日は谷川俊太郎さん話と詩の朗読。それに地元の和合一座の面々による中也の詩の朗読会と関係者によるトークショー。

参加者は綺麗に着飾った60前後のご婦人(ババアかな)が70%ほど。青年や若者はチラホラ。 俺の知り合いは、タダケンで参加したTV局のアナンサーだけだった。観客質の 流動性にタダ呆れる。昔 行っていた朗読会の参加者は一人もらん。  


●休憩時間に寺山修司の結婚式の写真について疑問に思っていたことを尋ねた。「寺山の関係者って谷川さんだけですよね〜」「あれはね〜寺山の関係者は僕と妻だけ。他は全員 九条さんの関係者だよ」 

俺も寺山に負けず劣らず、少人数で結婚式を自前で行ったが、流石!家出主義者は完璧。東京にいたたった一人の 母親 秀子さんだって参加させていない


結婚式は生活、営みにおけるフィクションの代表だが、少し自意識が有る者であれば、商業ベースのお定まりの式は行わない。自前で演出を考え行うはずだと思う。「披露宴はどうしたか?」聞こうとしたら、会場係の人に注意されたので中断。来年来るようなのでその時にでも続きを尋ねてみよう。
 
●谷川さんも寺山も 兄姉がいない。ひとりっ子。中原中也は近代の家族制度が固まった 2007年(宮本常一と同年同県人)生まれで、医者の跡継ぎを期待されすぎ 犯人は時代だがそれで、心が圧死し呑み暴れまわり、心の再生を綴った詩が多いと思う。 

俺は好きじゃない、個人主義やっつぱ 共有主義交代主義じゃなきゃ〜。 コバヤシヒデオとの▲関係だって、俺が中也だったら、彼女を共有し楽しむの・・が 動物としてよいと考える。で 「一緒に交互に けつ なめましょ〜」策をろうしただろうと 思うからだ。彼女だって 感性豊かで知性に溢れた いい男 兼 水も滴り切れ者の若武者2人に共有されたなら とても しあわせになったことだろう。

現在人は 数少ないいい女を ハートの花魁化計画によって 近代の家族制度を根底から溶かし そうして共有すべきなのだ。

(中略)

家族の闇をさぐる(1998年7月から9月) をみると 他者の あらゆるもの こと共有化計画を実践することによって 所有の意を解体しない限り 少子化によって生み出される代表の 母・息子 や母・娘 におけるは消えない。 

このテーマも寺山論として書いてみたい気がするな〜
 
 
 

  9月22日 晴れ 

古物屋にいったら「宮本常一渋沢敬三 旅する巨人」 が目に入った買い求めた。佐野眞一さんの著で評伝の面白さを充分に教えて余りある著だということは知っていたが、買っていなかった。 公共放送の市民大学講座で放映してたし、論座07−9月号「世間師(しょけんし)」のジャーナリズム−宮本常一生誕百周年記念によせにて でさらりと要諦が示されていたので読んだ人も多いのではないだろうか。

涙無しには読見切れない著書であるけれど、反面 巧みで強い文筆力によって 宮本・渋沢評が固定してしまう懸念もあるように思った。

 批評や評論というものはそいう宿命を持っていることは著者自身が知っていても、書かせる。 それだけの魅力が取材対象者にあったことが 有り余るほど伝わる本である。 以前は流行った公共放送の「ぷろじぇくとX」のような腐った根性ではない 質の良い人間によってしかなされない本である。

歴史とも違うし 評論とも違う評伝。 すこし前に亡くなった人物評を書くことは 取材対象者の家族や関係する人は沢山生存しているからなせる仕事でもあるが、 PXのようにヨイショダケ系 ばっかりだと 読者としては辟易し、本を叩きつけ壊してしまいたくなると思う。

生きている彼女に良かれと思って批判や小説をを書いて その彼女に叩かれひどい目に遭った著者なら判るだろうが 女性にとっての負の写真や文章を公開するのが困難なことを。 複雑で陰湿な心理問題を発生させるかを知っているだろう (それを含めて 粋な恋 と田中優子氏は語るんだが彼女は例外だ)

 だが、宮本の奥さんのもとに残された負のラブラブメールをも 公開している 姿勢は並のヨイショ系 評伝を遙かに超えて、清々しい。 ありのままの人間の魅力が直伝されたような気分になり 「忘れられた日本人」にさえへ愛おしさ沸き上がる。つまり人と人の良質な関係がそこにはあった ではなく ある

高速情報化しゃかいに生き 給料と階級が保証されたジャーナリストは決して達することが出来ない 良質な人と人の交通や交流によって立ち上がる良質な時空がそこにはあるように思えてしまう。徒歩から生まれ出るなにもないけどある力 」を知った気分になる。 

建築系の者なら太田博太郎さんの 日本建築史序説と藤森照信さんの日本の近代建築 上下 の読後感の差異を知っているだろう。

もちろん藤森さんはp256近代主義的客観性から離れ、もっと主観憶測の楽しみ入り混じった歴史を書きたいとも考えた。とあとがきで書いているから 意図して面白がらせ それにノリノリすることができる俺にはありがたい建築歴史書だ。 本格的な建築史家界から評判がさぞ悪かろうと思うが、読者としては藤森節が炸裂してて「昔建築ってオモれ〜」ってことを今に引き出しても全く持って面白いことを知る。

同様に宮本常一研究家からは評判が 悪かろうと思う 本・旅する巨人は俺にとっては「人間っておもれ〜」そのことを 教えてくれる多数の本の中の一冊となった。


 9月21日 晴れ 日射し強し

「荷風が好きだった秋海棠 (シュウカイドウ)咲いた!」 と同居人は喜び 切り花にして食堂のテーブルにも飾っている。

庭の秋海棠は東京の下町暮らしをしていた「母からもらった」ものだが隣家が増築し庭の日蔭部が多くなり増えた。

 夏草が茂って草むしりをしていたら、指示され残った秋海棠は背丈が50センチほどになり 連日 蕾を生産し花開いている。

夕暮れ時のほんのりとした日蔭で出くわすと 鮮やかな紅色とうす紅色と 黄色のその彩りは 妖艶、クラクラしそうだが、今日の様な夏に戻ったかの 強い日射しの下で眺めると 茎や葉が周囲の雑草と比べて、弱々しいく へたりやさが目立つ。

 終戦時に  国破れて女あり と放つた 男が好きになる・・花・・理由がすこしだけ判るような・・艶を放つている。田中優子さんが「江戸の恋粋と艶気(うわき)に生き」で著しているp188 衰微の魅力が秋海棠には ことのほか有るような気さえする。

バイヤグラ・ババアが多産されている現況では 同世代の田中さんは最も活かした女性の一人であることは間違いない。

回りには 田中さんの本を愛読してる 女性が皆無で そここそが バイヤグラ的商魂の 勝利だ。商魂エンジンの ベルトコンベーアーに乗りノリし生きることが 無粋な男を育るのだろうな。

バイアグラ・ババア悪循環スパイラルは 盤石であるから その岩や渦を避け生きるのが精一杯。 荷風生き のリアルさが 天上の出来事に思える。 せめて9月当初に秋海棠の色に染まって数日生きるぐらいが関の山の哀れさでいいだろう。  

俺が1才のとき 荷風氏は73才文化勲章を受け(1952年)その記念写真がこれだ。(文芸春秋サイトより) 浅草ロック座の踊り子さんに囲まれ祝う、口元が全てを語っているようでなんとも いい。 田中優子さんのような 女性に成長するのは 極めて希だと知ってるから 素人オナゴとは付き合わん!と決意しんだろう荷風おじいさんは衰微の艶を見過ごしたとしても 有り余る 孤独を生き抜いた・・こいの神髄を知り近づかないと決めた 数少ない 男の一人だ と俺は思う


 9月20日  晴れ真夏日の35℃ぐらいになったろう 

●罰なんだそうで・・・ あんまり痛いので堪えきれず・・毎度の歯医者休みだし〜・・困って 鎮痛剤を買いに薬局にいったら 歯医者を紹介された家から一番近い医院だったた・・・なんてこと・・診てもらう。 治療の仕方を間違えていたよう、トホホ。おじいさんだったしな〜仕方なし・・で、 痛むはず。 脅され気味ジャンの説明を聞く (笑)治療してもらい 鎮痛剤と抗生物質を呑む。落ち着くきく〜ね薬ってやつは。10月頭から再度治療し直しだ。

● 詩人の和合さんから 中原中也生誕100年祭 in福島 というイベントの案内をいただく。 実家へ行く途中のお寺駅前のビルの2箇所で2日間にわたって誌の朗読会やトークショウだ。

6日にあった演劇の会場ですこし話したんだけど・・毎回 知らせていただいているのは 無名の時からズーットみているからだろうかな。 仲間も観客も たくさん集まっるようになって 「誌の朗読会」は福島ではすっかり メジャーな催しになったんじゃないかな・・。

 
● 太田浩史さんから「山形国際ドキメンタリー映画祭 に行きましょ〜」のお誘い!!・・行くイク行く トシチャン 。 タイミングいい〜。 !誘ってもらって嬉しい〜!、第一回に行き損なって以来、縁がなかったが これで切っ掛けができた。

 
酒田・鶴岡・山形へ明治初頭の建築の写真データ採取に行こうと思っていた矢先だった。 スゴイ本数だけど絞るの大変そう あれもこれも 観たいし、建築も見たい〜。 

今回は山形の建築と映画祭にして 鶴岡・酒田はまた機会をあらためて行くことにしよう。 酒田に2〜3ヶ月住んでみたいな〜・・ラブラブ酒田、実現するだろうか



 9月19日 晴れ  27℃ 

6月に治療した奥歯のかみ合わせが悪いようで ぐらついてしまって、痛いので夜中に目覚めるは悪夢を見るは 体重2キロ減 歯の悪事にお手上げ。今年は巡り合わせが悪いようでだ。 罰が当たっているんだそうだ。そうかもしれん。斧じゃなくて罰だからいいだろう。

my長男あしたから授業再開だとかで、準備でうろうろしてたんで

藤森さんの日本の近代建築上下もってない?」 「引き出しにある!、捜して」 3軒の本屋を探し回ったけど無かったが、仕事場の玄関の引き出しにあった
だべる

「初期の建築かの宿命だろうが 頼まれ仕事の命をかけてしまった 片山トウクンさんという建築家の末期ってのは哀れだね。自己表現のレイヤを持って防御してないと トウクンさんのように現在の建築家も襲われるよね」

「田中義一もそうだよ、テンノウの一言で死んじゃったんだよ」

「1条と4条の矛盾で死。 陸軍人の、強い政治家を目指したが一言でね〜」

そうだよ。シーン・・俺ちかいうち仙台の街作りの歴史もはじめるんだよ」

「フジモリ本上巻頭から1/3は再読がいいよ、出来たら明治の東京計画も・・」

「そうすうる、資料室から○○の史料発見しちゃったよ。んで論文書かなくちゃならんようになった」

「そりゃメデタシ、歴史の神様が付いているんね、神様は仕事発注しないから(笑)歴史家ってのはトウクンさんの末期のようには決してならないけど、貧乏神は離れんだろ・・

「飢え死にするかも・・」        ゲラゲラ・・・・

● ついでに他の箱も捜した、出てきたでてきた寺山本が21冊家出のすす書を捨てよ町へ出ようが2冊ずつふくむmy長男購入の文庫本。2冊あるあった本はmy長男・長女に一冊づつ俺が贈ったんだと思う。平成5年度版。


先週捜したが見つからなかった 三浦雅士著「寺山修司−鏡の中の言葉」1992年新装改訂版初版、これを読むとたの寺山評論本はゴミに見えてしまうほど ナイス本。 あってよかった。

このなかに俳句集 我が金枝篇(1973) と花粉航海1975)入手が困難であると書いてあったので、新幹線に飛び乗って渋谷にある 詩集専門の古書店を探し回った。 花粉航海を見付た! 古書店のオバサンは無いと言っていたので キョトーンして狐につままれたように「あたんだ〜」と惜しみしそうだったが 買ってしまった。1万円はしなかったが新幹線代を入れると原価は数万円。値段はどうでもいいが俳句が寺山のその後のあらゆる 表現の起点・原点であることが明らかになる句集だ。

真っ赤な表紙をみて 引きつよいじゃん!と思ったよ。 大島さんは「あんたは目ざとい」と言って、書庫に入れてくれなかったが、20冊ほどあげても7〜80冊はある。全部 洋書で分厚い。その方面の研究してる人に出会ったら あげるつもりだ。 


 9月18日 雨ときどき 曇り 

街へフジモリ本の下巻を買いにでかけたが無かった。WEBで注文したほうが早いし・楽だとは判っているんだけど、街の本屋で買いたいのだ。

トボトボあるいていたら ロンドンの銀行で取り立ての騒ぎが起きつてるようなニュースが流れていた。、取り立ての列が先週りょち長いな〜、銀行を信用してね〜と銀行の前で吐き捨てる 列の者が語る姿を見た。

 FRBのオヤジが米の住宅価格は10%以上バブルだと言っているし、中国の経済もバブル崩壊間近と言ってるし 、もう既にそうなっているのだが これから 数年間あり余った世界の銭は投資先をもとめて、迷走〜暴走するのかもしれない。

1920年代の米株価バブルから暴落後 の大恐慌は 各国が連係して金融政策を行わなかったことが主な要因だったな〜と 書いてあったと思ったので 大恐慌のアメリカを前後の出来事や政策など 再度読み飛ばしてみる, 債務国家は第二次大戦を行うことで 知らぬ間に(戦場じゃなかったから) 債権国家にかわっていた(爆笑) なんだけど  今度も どこぞの地で 派手なドンパチでけりをつけようと腹括っているのかも しれない 
 
世界中の富は現在 なんたって米国へだが インド 中国 ロシアなどへ 分散流動してるんだろうから 1920年代のような様子には成らないのではないだろうか。米ドルが下がって 円高になれば 食いものの大方を輸入してる俺たちは 良いことも多いのだ、外国へだって安価で旅行できるし  

●京都の南の方で巡査部長が 斧で娘に首を切られて死んだそうだ。会津の母親の首切り後 自首よりややこしそうだ。 斧を備えている家、あっんだ。子供の時分に薪割りさせられたけど、斧って親の首切る道具か。古代なら兵器だけど 今は住居の兵器だから 家は戦闘場だってことだね。 か弱き者は兵器を持って闘うのはよいんだけど、ならば言葉の兵器にしてほしいな〜。 

 9月17日 曇り

我が家の南西角の壁の蔦が立ち枯れして元気がないので一部刈り取る、水枯れしたのだろうか・・・

夕べは蒸し暑くって何度も目が覚めてしまい、その影響かどうかわからぬも、お姉ちゃんの祟りか〜 今日は頭調不良にて 微熱気配。グッタリダラダラ 街徘徊も今夜はお休みにし静かにしてるが良さそうかも・・・ そんな気分を振り払うために・・・


フジモリさんの 日本の近代建築(上)を読み始める。 体調悪いときは 勇ましい歴史ものに限るね(笑)

my長男ハクロンを尾花沢あたりをテーマに書いたので、教えてももらった 山形の近世期の知識も多少加わり+フジモリ節の炸裂と相乗効果が出て、なんとも身近に感じ読み進んでしまう。

 山形の済世館を訪ねた人なら判るだろうが 病院なのに〜奇想天外さにおいては現在でも 新宗教の建築は数あれど 日本一だろう・・・ 後ずさりすること間違いなしだ。 (整理が雑で 写真データあるんだけど見つからず)

俺は後ずさりした。けど、建築を志す者ここで立ち去るわけにもいかない・・ 望楼まで登り 海図無き時代の建築力をシミジミ味わった。  三島通庸の設計らしい、庸じゃなくって 三島通奇 という名の方が合っていたんじゃないか。奇抜が通る時代で。 あんだけ奇抜にしちゃい 政治性をばっちり身につけた実践しちゃった建築家もそうは居ないなだろう

福島近辺には明治初期建築は 亀岡邸や 桑折に郡役所がある。三島通庸の建築を訪ね歩く旅をすれば 明治を作った人々のアツさに直触れしたような感覚に陥るのではないか。

酒田〜山形〜福島〜会津へと 近い内に自転車で 回ってみようか〜!!そんな思いに誘われるよ・・・ フジモリ節はなめらか軽快で 良い感じの地酒を呑んだ気分になり もよおすね〜 (笑) 


 9月16日 台風11号と秋雨前線が合体したようで 曇り 蒸す

1月半ブリに家族会議 テーマは共有すべき問題の現況確認と1月半での対応結果報告。 法的に基づいて処置可能な手続きは全て済ませたので行動あるのみで一段落。

 それに加え各自の 将来予想 及びそれについての 現況報告+各自の悩みをも話してもらい聞く 。

我が家を営み35年ほど経つが、各自 「死ぬまで付き合えるテーマを見付けだし、死までコツコツ付き合っても飽きぬオモロイ事 捜しだす」 を 目標に学校を選択したり日々実践・行動した結果 皆それなりに 好きなことを見付け死ぬまで続けるだろうと思える。

各自分野が異なるので「あんた何やっている?」のの話しを定期的に聞かせてもらわないと判らないので 昨夜は呑みながらワイワイ3時間。それぞれ、楽しそうだ。

状況は それぞれの分野の問題を抱えているので良好とは言えぬも、各自の事態は良い。 粗食を食べ 粗な暮らしブリをすれば10年ほどで 大した問題ではない金銭回りを除き 安定するように思える。 

 今日は再度 問題を詳部に絞って ワイワイ 延べ5時間ほどで散会。話しあいをするのは総合力がいるのだが、そうとうに力はアップ改善してる ことが判る。 

困難な 共有すべき問題の対処法は1つに絞られた。解決までの時間は1〜2年ほど掛かるだろう。 トシチャンのお姉ちゃんとの子作りも話題になり 大爆笑を誘う。隠し子への道 遠のく(夢はゆめなのだ)  

もちろん老後はやってくるんで そちらの大ざっぱな心構えなども話し合う。20年なんて あっという間にすぎ やって来てしまうからだ・・ 今から準備すればそれなりに ほどほど粗生きは可能だろう

● おれは こういう老人に成りたいと姿があった(まだ老人ではないからあるだな)。 それは本家のお婆さんでエツという女性だった。 男ではなくなぜ理想の老人がオナゴなのか は語らねばならぬも 保留。 my祖父母は計四人存在したが、 それ以外の人物が理想である、そこも語らねばならない。 本家の嫁さんが婆さんになったので 血縁関係には無い。 

18才まで日常交流していてそう思ったのだ。 無血縁の女性が理想の老人というのも俺らしいではないか。 

その女性が日々どのように暮らしていたか具体的に書かないが・・・・とても平凡 そんな在り方なのだが それこそ理想で人を育てる温床だとおれは思う・・・懐が深〜い笑みを満々とたたえた暮らしぶり ・・・俺は。 本家の孫どもはみな出来損ないであるけど・・ 女ばかりだったので、婿殿腐った事なかれ主義者だったから 俺だけは徹底して言い争った人)がアホなんだけど その点だって 書き出せばオモロイ。

で俺は親戚縁者から アホ息子、鬼息子だと思われている (爆笑)



 9月15日 晴れ蒸す  台風11号の影響なのか 断続的に風強し

10月から使う今年度用の国民健康保険証が届く。昨年健康保険税が多額で支払えなかったが、地方税法や健康保険法を調べ、異議申し立てを行い後、担当窓口と直交渉し、役所と俺が歩み寄り可能な地点を捜し出し 処理作業が続いてたため、正式に届いた。

どうしたから、正式の保険証が届いたのか・・・詳細は書けるのだが、多様に問題が発生するので 日記には書くことができない。WEB上でなく直にお伝えできるので 困ってたいるかたは相談あれ。


色々本も読んだがほとんど役に立たなかったように思う。 それは国民健康制度自体が大きな闇を抱えていることと、利権と縦割り行政システムによって、だれがでも手を付け、解決することが不可能な様になってしまっているからだと思っている。

 書いても重箱の隅だったり 役人に対する鬱憤晴らしの体たらくに落ちってしまうものがほとんどだ。  年金以上に複雑な補助金の流れがある現状のなかで、受益と負担だよ消費税アップ・・・・と 政治家に言われても納得できない。  官僚がこしらえた 複雑に分断された怪奇な全体はもはや怪物 お化け状態 素人が挑むには チンプンカンプン、方々に仕掛けられた穴に落ちるのが関の山なのだし、行政訴訟しても勝ち目がないだろう。 

ただ徒労感がのこるだけか・・ 全体を詳細に知るかのような 担当窓口の担当者より軽い徒労で済む という事だけは言える。

耐震強度偽装による法改正も予想通り。時間経過のなかで あきれた結果になっているのだが 政治指導で全体を作り直さなければならないわけだけど、談合によって総理が決まるような段階ではな〜・・・ お役人様津々浦々の 権益が拡大されるだけで茶を濁されるだけだ・・シコシコ チンマイ 所デも闘争と 自分がお勉強、行動するしか 救われる方法はないね 


 9月14日  曇り28℃ やや蒸し暑し 

● 数日後に開く家族会議用のレジメをこしらえる。会が進むほどに枚数が少なくなるのは結構なことだ。

● 植田實さんが年末に刊行される著書は2巻960頁ほどだそう。依頼があった 平面図・断面図の版下を仕上げ郵送する。出版 たのしみ。だけど、960頁って!? どのぐらい厚い本なのかピントこなかった。

昨夜 読んだ 饗宴1 が550頁ほど これだけの頁数だと寝ころんで腕に支えて読むには重たい。3分ほどで手が疲れゴロンゴロンを頻繁に(疲)。 まぁ机に座ってお行儀よく読む本のようである。夕べ5時間かかって 60%ほど読んだ。同世代のタカハシゲンイチロンさんとの対談が一番ピンと来たのだ 。他はイソザキアラタさんにしてもmyパパほどの差で 20年上。戦前生まれ。戦前の教育を受け あの戦争を通過し 今も元気で生きている 意識ってのがイマイチ 実感としては 言葉は 理解できても判らない場面がある。 俺が馬鹿だって言うことなんだけど 

 p31で語っているように
・・歴史という言葉をつい簡単に口にしてしまうけど、じつは歴史なんて見たこと誰もない。それはある種の想像力の産物であると同時に知識の集積によってもできあがってくるわけです、・・・

  想像力と知識や史料の集積力を 養わずに歴史だなどと口にするなってことだが、 きりがない窮極の学問だで・・ 填るとでられなくなる 素人は確信し 簡単に歴史と 口走るしかないね (涙)

● 現実も歴史のうちだから 今日もお姉ちゃんと激しい交流を!そいで ◎◎あたりをの想像力を養おぅ〜・・()。

WEBにあるお姉ちゃんイメージ 触覚髪型はokだけど 違うな〜

 イクラママ呑みワイワイ、毎度の繰り言!! 飽きんもんだ〜

 繰りから繰りへの転換なく 自分の口元みて馬鹿・馬鹿しく思えない点はスゴイ。 繰り言の天才 (ババアってことかも)。 犬も食わないような 平凡な悩みを人生の一大事!・・そう語る〜 そんで悩めちゃうなんて 幸いこの上ないよ。 俺には皆無の才能。  数年後に 遺産相続で血〜見るは必至。

 貧乏人の子育てはとてもラクチンだが 資産家の子育はカナリの才能が必要だ、有り余る銭をどう使うのか そこにこそ人知と才能が必要なのだ 。互いに分け合っうだけなら財を分けるという漢字そのもの だ。それに いがみ合いの血〜加えたらどうなる。貧血〜(大笑)   

状況が最悪でも事態は最良!ってありかたでよい、だが、事態をも悪化させている現況だから、やがて来る 結果は最悪となる。  そういう俗風景を観察(のぞき見)し 想像力の涵養に役立てよう (爆笑)、単になんだから流れて 見学するもよし。




  9月13 晴れ

● my長女 これから夏休み入りだとかで 1月ブリかもの長電話にて ダベル。4月から博士課程に戻るのでワイワイ。家族会議のテーマについてワイワイ、レジメは俺が準備することに・・。 

●ラブラブメートから8月29日以来の長メールあり。返信メールって酷い時空のズレを感じちゃうんで、手が進まない かったる〜 めんどくさ・・で放置。 毎日できるウスメール交換は 薄まり直飽きる。呆け老人の繰り言メールならいざしらず。直電話か、直会話のこの頃。手紙やFAXの激しい交換には慣れているけど・・e−mやりたかね。


●同居人●▲の専門家の家にでむきを手に入れ、お菓子を両手一杯にもち昼もどる。 お菓子を食べつつ 1時間ほどダベル!! 3ヶ月ぶりに話が続くようになり、一段進む。  「旦那さん優しいひとだね」と言われたそうだ、顔を見合わせ大苦笑、「見る目がないね〜」、俺に優しさは無い、観察することが好きなだけで続けている。で 誤解する人は いてよい。

 「お姉ちゃんみつかるように 怪しい目を治さないとね〜」 治ってないかねぇ〜?・・「3650日捜してるけど 現れないんだよね」「目が怪しいからよ!」 いちいちもっともです。 


●偶然みちゃった昨日の 腐った対談に代わる ましな対談本を広げ読む。 寺山修司の評論は 同県人の三浦雅士さんが 俺様の お薦めだが、三浦さんとの対談「死児と芸術」掲載されている


●昨日は ◎◎が腐ってしまったかのような 巡り合わせの悪い一日だった。それは俺の体調や父親ゆずりの躁鬱気質による欝でもなく 生活環境やラブラブ関係から生まれる諸問題のせいでもなく、単に死んだ一日が有る、人生に「死んだ一日」あっても良いジャン・・そんな日だった。

そういう日は凡人は仕事に追われて過ごせばいいのだが、この7年ほど仕事をしたことが無い=俺様暮らしは、生な身体に感謝しつつ 死んだ一日のアレコレを思い直し反芻し痛み哀しみを肉体となすしかないので ガールフレンドの性器の手入れにでかける。

近頃薬局はカルテがなくても 性器を横流ししてくれるので 俺様も薬の名さえ知っていれば入手可能なのだ。 産婦人科医に見られちゃうより薬価を数倍払ってても 気が晴れる・・ は女心というものだろう。

禁酒法ができた当時、カルテがあれば医療の為に飲酒は許されていたので、医師は大もうけをしそうだが 性器薬は禁止にならない一般薬だで、医師はもからない シュショウの様な腐った 病も持ちの もう一方の顔を 医師だって見たくないだろう。 


●シュショウは 慶応病院に雲隠れ!「美しい国なんだから 隠し子を作りましょう!・・その問題ではなかったか 立花さんの推測によるとシンゾウパパからの遺産相続による 政治団体を迂回させ相続税を3億円脱税してた・・ が週刊誌に週末出るそうで、そのことが辞任の真因だそうだ。1円の領収書まで付けよ、なんてボッ飛ぶよな。

公共放送番組改編圧力問題で 朝日とドンパチした ショウイチ・シンゾウの右強面タッグは露と消えたね ショウイチさんも開いた口がふさがらなかっただろう。。政治責任 棚上げしチョウセンのせいにしてた 拉致問題の騒々しさはなくなるだろう。 教育基本法改正しちゃって 郷土愛せよ〜道徳教育もあったもんじゃねよな・・そんなシュショウに道徳教育されたくないな 俺は 

シンゾウ雲隠れシュショウ。任意団体の総裁選びは25日、新たな内閣ができ、所信表明・・参院選直後に辞任してれば 許されないはずの 巨大な政治の空白は生まれた。   オボッチャマンのやること。 市民が政治家を育てる社会への移行期に現れる グズグズ常態がまだまだ続くってことだ 



9月12日 晴れ 今夜も断続的に雨かも 仕事場入り口借りた傘だらけに

●この本の最後の方に対談記録が載っていたので読んで・・・糞〜 脳が腐る!! かのように感じた! 嫌だな 中途半端な身内のばらし放題 談議ってやつは。

 ガールフレンドから 別れた男との性行為を 微にいり詳細に入り聞かされているようでヤダね 。欠席裁判の様相を呈してて聞くしかデケンのが最も腹立たしい。確かめようがない話をダラダラ拷問仕様にて聞かされているよで嫌になる。本は閉じればいいが最後まで 読んでしまう。・・ますます 腐る〜 

寺山と同級生の女が書いた本の中身も酷かったな〜 尻馬乗って売名してるだけなんだよな  悪書も生み出す 豊かさこそ本物だとは思っているので 買うけどね 


● こんなヤメ方日本政治史上初 じゃないかい。 独断で米国軍の支援約束し戻り シンゾウシュショウ 所信表明演説すませ 夜が明けたら辞任だって、チュと半端 呆れた者だ。 国会で論戦=仕事するまえに(笑い)●に賭しちゃったよ〜? 言語明瞭、内容めちゃくちゃ 復党もんだいもそうだが 矛盾だらけ で、アメリカに尾っぽふった口で、戦後史の捉え方は意図的なのか間違えていたし アメリカと戦争するっきゃないぜその考えで進めば・・だったね。 ハト消沈あとのタカ自民代議士の頭はこの程度だったのか。右の方から危害を加えられずに良かったと思う。ヤメるは 時間の問題ではあったが・・・。 参議院選挙後 や臨時国会 前に辞任すべきものを・・オボッチャマンなので機を読めないだろうな。 主権者と感覚が大きくズレていたんで遅すぎた辞任だ。9.11の選挙や先の参院参院選で民意もダッチロールしてるし政治の混乱は当分続き 脱官僚社会の到来はまだまだ先だね 

  主権者として慚愧に堪えないね

●シンゾウ氏に見習い 隠し子でもこしらえ  我が人生を混乱に陥れようか(笑)と 夜な夜な福島路地紀行を始め 貯まったのは、写真情報や話のネタではなく 借りた傘ばかり。 なのに 隠し子シンゾウ先達が消えてしまった〜ょ・・・・WEB日記に書いては・・ 隠し子にならんな(笑)。

 路地を歩くとその町の地が判る、旧市街を 25年ほどうろちょろしているけど・・路地が消えて 人が消え 闇が多くなって、時代に乗り遅れ椿油をこってり塗りたくった ばあさんがカウンターに一人ポツン〜と 立っていたりして 場末〜って雰囲気でてて 遊んだ男は数えきれぬ美女だったが今は亡霊! 長い演劇を見ているようで 味わい深い・・。 

●BOX10を きゃどにて図面書き出す まあまあ書けそう。現場監督が女性で「やってらんね〜」なんてケツまくられたり、瓦屋のオヤジに因縁 付けられたり オモロかったぜ〜 ・・・長い前段が有ったとはいえ 意のままに あった あんな時代が俺の人生にあったなんて 不思議であるよ 。 設計前のスケッチが見あたらすどういう経過で BOX10の建築に辿り着いたのか思い出せないのが寂しいね 

脳がイカレタぜ〜の●▲問題も落ち着いたし  もう死んでもいいんじゃないここらで と思うことが多いこの頃・・・これからの救いは・・隠し子! これこそ最後の切り札(大爆笑)と思っていたのに 先達消えちゃ〜いけないね〜・・もっともっととミットもないシュショウ続けてたら隠し子 げっと 出来た鴨なのに


  9月11日 快晴 爽やか 

この数日、奇想天外な夢をみて、夢の内容に驚き「こんな事ありなの〜!!」とぎょうてんし起きてしまう。不愉快な夢ではないが エヴァンゲリヲンより脈絡が無く激しい夢の中の事実。 俺の脳はイカレテ来ているな。

そりゃそうだ、毎日「目の光方が怪しい」と言われ続け、暮らしているのだから、俺は本物の怪しい人間にならねば成らない!・・と受けとめてしまうのだからな。夢で反応ということか(笑) 怪しいと言われたので怪しい行動をする・とバランスがとれるように思う・・・しかし怪しい行動とはなにか??と考えても判らない。ナンジャロ ?何やろ?

 おれより シュショウの近頃の発言と行為な。体力減退甚だしくタマカズ+発射行為だって細る一方なので 美しい国の男の子としてシュショウの様に隠し子さえできるかでどうか?(ため息)、タマカズはあれど 相手がおらんでは空砲だで。シュショウの言葉もね、日本語の使い方の方が怪しいなと以前より 慚愧に堪えず・・主権者としては慚愧に堪えて 恥ずかしく 俺を棚に上げして 思っているので それより怪しい行動となると・・・ただ「何もせず生きる」かな・・。顔を会わせると 「忙し」を連発する大人が普通なら それこそが怪しいのだと膝を打つ。うまくまとまった ホッ

なにもせず生きょ・・そうしようと思ったら手紙が来た。

植田実さん40年に渡る都市・建築・住宅批評を集大成した本1966−2006(全2巻)を出す(11月下旬刊行予定)ので、BOX10も載せる、で平面図・断面図が必要だということだ・・・。図面を書かねば、CADで書けるのか?俺の力で(笑)・・。
 (40年もの永きなかで・・目に掛けていただき感謝)

設計期間は1987〜92年まで掛かって施行は93年の1年だから 14年前、もちろん手書きなので 原図をさがしたらあった。

 なぜか原図入れのタイトルはBOX6となっている。 今は なき 建築文化ではBOX10として発表してる。 もしかすると設計した順序で 発表は竣工した順にしたのかもしれない・・ 

 BOX10に対する俺のコメント (建築文化 1994−11p74)

あと数年で役所を退所するSさんが家をつくるのだ〜といってきたのはもう何年も前のことだった。墓場までの距離を測るための住居をつくるなんてのはまっぴら御免なのであるが、あまり熱心なので、Sさん夫婦の時間の結び目をほどき放ち、息子たちの時間と継ぎ合わせることにしようかと考えた。過去から未来への距離を測る家なのだ。長男はプロ野球の選手であり、18m少々の距離に彼の軌跡を測る。次男はスポーツ用品の販売をしているので野球場をつくってしまう。大陸と大陸が衝突しヒマラヤ山脈が生まれたように、野球場と民家がぶつかり、星を見る塔が生まれ、屋根瓦がガラガラと崩れた。

        
球場よ 測る 投げる 星監視  

     

 そのままつくった。外観は注意を払わなかった なんでもよくて 内部がそのように出来ている・・と俺は思っている。  写真は 俺が 球場と呼んでいる 場を魚眼レンズで採取したもの。  出来上がった数年後  住み手のSさんが星坐と名付けたその塔の中で 新しい星を発見してしまい! 自慢している。名前のついた 認定書を見せられた。

 現実は夢や言葉よりはるかに奇っ怪に進展するものだよ・・・・と知っただろうか・・・。 俺が怪しい者になるには修業が足らなすぎる トホホの歩  

 9月10日 曇り ときどき小雨 昼から断続的に 雨強し 

台風の後の秘湯の湯質は断然濃いのかな〜・・湯に浸かり 体中が火照り ポッポ24時間持続の温泉効果にて グッスリ寝入る。 元気はつらつ温泉はいいね。 なんてノンキナこと呟いていた・・・・夕べ 足の甲の皮むけ剥がれた! こりゃえいらいこっちゃ〜 なんとかせにゃ〜 温泉にあたって 足が腐ってきたのか〜そしたら たら こまる


はたまた すっかり死滅し水虫がこの夏の暑さで 生き返ったか〜?!

俺が心配するより 現代医学 ということで 皮膚科に出掛ける。 今年は顔の黒子も取ってもらい、指のタコだと思っていたウィルス性のイボもドライアイスで焼いてもらい すっかり馴染みのシンゾウ顔の先生である。

 某 先生と駆け落ちし出戻った看護婦さんや パチンコに熱を入れすぎ子が呆け者になった看護婦さんが 薬を塗ったり足をふいたりと・・多様な人が看護婦さんに変身して 相手してくれる。 

先生はやおら それらしき皮膚をピンセットではがし取り 顕微鏡で眺める・・・数秒・ 「水虫菌は居ませんよ〜フムフム・・職を賭して宣言します爆笑 「俺念のために水虫菌の薬ください」 ヒフ・シンゾウ氏ニヤニヤ

皮膚科は老若男女揃うもんであるが 今日は幼子は居ず ボケバアチャンが奇妙な格好で体中引っかき回していて、かきむしった皮膚をボロボロ落とし振りまいて案外汚い。先生は水虫皮膚だろうが素手で触って「大丈夫なんですよ〜」ニヤニヤと笑うも・・見た目が汚いので そのように感じるだけなのだが・・ 観賞用の熱帯魚に目をやりゴマカスも 奇妙な声を立て付き添いで来た看護人と 奇っ怪な会話をしてるのでどうも イカン。

1時間はゆうに待たされるのが 常であるから エバタケンスケさんの「日本の軍事システム」を持参したのだが1/5しか 読めなかった。

世界のどこかでドンパチ戦争が始まると必ず引っ張りだこのエバタさん。エバタ兄いはチビマルコちゃんに出てくるキャラと似ているので すっかり我が家では人気者なのだ。 

愛すべき外観キャラにても 書くこと 話すこと歯切れが良く分かり易いし いいこと言い放つ

 自衛隊の装備はわれわれ国民の税金で購入している、我々の財産である。それがどんなもので、どのように買われ 使われているのか 日本国民はもっと関心をもってしかるべきだ とか

2000年度の防衛支出総額は4兆9358億円。 国民一人当たり38000円 正面装備7030円 装備関係費を含むと9000円。 俺の2月間ちょいの食材費と同じだ・・とか 

章立てもおもしろい
1章抑止力のために 2章 日米相互関連運用装備 3章専守防衛戦略の装備 4章 戦争以外の作戦に備えて 5章日本の防衛産業を考える

1章よむと 先日みたエヴァンゲリヲン新劇場版:序のなかの 戦闘シーンが 銭湯シーンに見えてしまように 説得力あるのよ

 9月09日 晴れのち曇り 蒸し暑し 28℃

松本晴子さん 予定通り9月から パリ第12大学パリ都市計画研究所へ編入 しべんきょうはじめたようです。 コルビュジェの設計した寮で暮らしはじめたのかな・・のようで日記が始まりましたので 訪ねてくださいませ。


 9月08日 晴れよる一時雨 台風一過 のいい天気は半日持たず

月曜日からは臨時国会がはじまり、いよいよ論戦が開始されるのか、ナカソネナベツネの甘言にのってしまい大同団結しやえば、政治は一旦底が割れてしまい、数年大混乱をきたすだろうね。 株も乱高下してしまい米のサブプライムローン問題が乗っかれば、どうなるこうなる・・だよね。

自民党は既に自己再生と復元力を失っていることは この1ヶ月で充分見せ付けたし。マスゾエさん一人では復元させられんでしょう。 ミンシュの連中は機をわきまえない人たちなのか、興味深々。 テロ特措法で 大議論するってozawa氏は米大使に通告してたしね・・緊迫感ありじゃなきゃ イケズのミンシュってことですよね


● 山形へでかける。台風去ったばかりで河原には 流木・流石ありのなか芋に会を方々でおこなっている。流石〜芋煮の国だ! ね〜 居ても立っても居られない書をすてよ 河原で芋煮 (笑) W◎

帰りみち 米沢にある 秘湯温泉に入る。嵐の後なのに〜・・まけず全国各地から客がワンサカきてるも、大雨で 増水し露天風呂が浸水にて入れず。内湯に浸る。道も ホウボウ崩れていて前回行った台風後より雨量が多かったことを示してる。 平地では晴れが続いた後の台風だったので やや雨量が多いかな〜って感じだったけど、多く降ったんだね。

顔だけゆで上がって〜 人が多くて風呂で撮れず いいからだ露出させられなくって残念(笑)


 9月07日 台風到来通過中 W◎ 

石川初さんから 本が 届いたとの電話ありダベル。2冊あったので 誰かにあげようと思っていたが 12年目で現れる 喜んでもらえて嬉しい。

● 台風影響少ないだろうと予想し昨夜演劇を 観に出かけたが予想は外れ 大荒れに遭い ずぶ濡れにて途中泊。

僕の出自を亡霊に聞き出す内容で、絡めて戦後の政治・労働史を語るネタで粗い。 パパなんて唐変木でも誰でも良いジャンと思うのは俺だけなのかな・・・それに時世にあった政治労働系のタイムリーな内容じゃいのでダレた。 冷戦構造が消えて10年も経ったのに・・・。エンタメの文学や演劇映画などは 論文にくらべると圧倒的に 寿命が短く 届く射程が短いわけだから そう思うのだ

 本は悪くても 演劇そのもの、演劇現象は 多様に楽しめるので面白い。演出はこなれて見栄えがした。役者もそれなりに粒が整っていて 本の内容を誠実に観客伝えていたので そのような感想が持てるまで成長したってことだろう。 以前は内容がさっぱり伝わらなかったが この数年で急に固まり出したのだろう。

講談や浪花節と演劇の間みたいな仕立てになっていて、岐路にあるのだろう。 伝染を望むなら 観客の数だけ役者が居て一人一人に直に語り 巡る手法または 役者の数だけに入場制限する 実験的演出でも良かったのではないか。

漫画家の斎藤種魚さんも観劇して、終演後 呑むも全額 斎藤が支払って・・・ありがたし。演劇についてワイワイ。一段落して エヴァンゲリヲンの解説を聞いたり エロ話〜同人誌を出すの話と 多岐に展開し夜中になって外に出たら台風の真っ直中だった。 

20ねんまえは 毎夜 何かしては集まって呑んでダベって 泊まり歩いて居たが・・・そのような機会が少なくなった。

時が進んだって 快楽の種類って展開・発展しないで萎んだように感じたりすることもあるんだね。 有りすぎることは無いと同じだが 目の前の他者に対して興味が向く、いわゆる野次馬根性が消えつつあるのか 衰えているかも・・



 9月06  晴れたり曇ったり  台風9号の影響か W◎ 

同居人は安定しつつあって ズレ・違和を伴うものの小さな会話があるようになった。ズレ違和など些細なことで 現実は人の数と同じだけあるんだから、問題ない。

Sチャンが結婚式を都内の名所であげるのようで お呼ばれした・・「大きいから白無垢だと185センチに〜・・おおきいね」と洋裁和裁をスイスイこなす 同居人は身体寸法については やたら強いのだ、一o違っただけでも洋服の首回りって気になるからね。 丸髷カツラの大きさを指で示し頭に乗せた。「そりゃでかいくなるな〜

 「おれよく結婚できたな〜」シミジミ 「何も無かったけど目に希望があったよ、今は怪しい輝きに変わった 気 つけたほうがいいよ!買い物トシチャン」  35年経って目の中の希望は怪しさに変容!! 爆笑  「希望なんてイラナイ んだよ」とは言えず


● 日記を日々更新してるんだが 色んな人が読んでいるようで反応に戸惑うことも。一番困るは 嘘と現実をない交ぜにして書いているのだが真に受けて怒り出したりする人が居ることだ。それほどの日記内様でもないし読んでいる人多いと思わないんだけどな・・・

メリヤス町マリーちゃんが 「その 家出のすすめってやつ貸してよ〜」本棚をさがした。初版本で 35年前 恵比寿駅の本屋で手に入れた。160円。 250円の昼飯は超高価と思った時代だ。

紙は酸化してかなり茶色が増していたが文字は読めるので貸した。2冊あった寺山さんの童話本を一冊 あげる。童話だっていいのが多いよ。

1958年〜1968年にかけて寺山修司はラジオドラマを書いているのだが、しばらくぶりに ジオノ中村一郎 を読む。ラジオドラマという 新世界へ入るためか 家でのすすめを出版した後なのに 挑発的作風ではない。 

主人公を エヴァンゲリヲンの シンジ君と比較してみると時代の差異が浮き上がるかのようだ。ジオノや中村一郎は・・飛び立てないのではない飛び立たないのだ。飛び立てるのに飛び立たない。自分の力を信じられないという設定になっている。

大きな物語が消え 飛び立つ方向が判らず(決めかね・・つもりもなく) もじもじしてて 強権パパや擬ママの指示のまま行動してしまう シンジ君とは異なる。


 9月05日 まだら天気

滞納してた税金支払いに銀行に行ったら土砂降りにあう。行員さん傘かしましょかとの申し出を断り雨上がるを待つ。蒸し暑い。台風9号の影響なのだろうか。

2005ねん発覚した耐震強度偽造事件後 証人喚問や国会での参考人意見はmyhp内に頁を作って おいたので 目次の頁から飛んで 長いがよんでいただければ 経緯は判るはず

建築基準法のチェックが厳しくするだけで、便乗し天下り先を増やすだろう。と見ていたらどうやらそうだった。、日本の官僚機構に関わる輩は狡猾だ。年金問題をみてもそうだが官僚機構は常に腐敗の危機を内包している。自助正常はありえないから、強い政治力が必要なのだが・・臨時国会開催前に沈没しそうじゃないか・・・これから政治に関わらないとね。冷戦構造ありの10年前までみたいにアメリカ様だのみでは済まされない 地球状況になっている。 

当時の建設事務次官は参議院議員に当選したはず、役人さんの思うつぼに填る結末。 結果 主権者の御利益にはならず、手続きが煩雑になり工事期間も長くなり、マンションの値段に高く反映され、安全性は相変わらず当てにならないだろう。愚痴る記事があったのでリンク

 立花さんの「天皇と東大」は戦前までを人間を通して描いた政治評論史だったけど言説空間からみて 近代〜現代日本はどう進展したののだろうを 論じた本があったので読み始める。 やや難しくもわかるような気がするので 読む。

 冷戦後ようやく 日本人が自前で 国民国家の国民を自認し自ら育てなければならないと強く語っている。

 戦後 個人の自立どうすれば可能なのかは 寺山修司の家出のすすめで語られいたけど 社会全体の中の市民の自立はどうすべきか 論じている本 を見付けることが出来なかった。 出会った気分の本 

1週間ほど反復読みしてみようどちらも 小路田泰直(こじたやすなお)著で1995年の憲政の常道天皇の国の民主主義 1998年の国民〈喪失〉の近代 
 

9月04日 晴れ 28℃とやや暑い 老眼ススみ眼鏡梨では本は読みにくい

先月末 青森
に行き 寺山修司が中高時に暮らした場所も訪ねた。  その地に看板が立ててあり、寺山はつ(母親)1985年(寺山の死後2年)書き残した「母の蛍」にある内容と異なっていることに気づいたので 母の蛍を本棚から取り出し調べる

現実は人間の数だけあるんだけど はつさんの著を照射すると違った天才修チャン像が浮かび上がり、22年前の本とはいえ 寺山ファンにはお薦めの一冊

栴檀は双葉より芳し そのもの!


居住地と生年月日はどうだったのか?確かめる。 p9 一カ月遅れの昭和11年1月10日生まれで届けることにしたとあるから生まれたのは昭和10年12月10日だったのだろう。母21才 父23才 雪が多い冬だったそうだ。

●転居地 

弘前−五所川原−浪岡−青森(父特高刑事合格)−八戸(5才で本が好きになる)−青森の竹内さんに間借り(父戦地へ)−空襲に遭う終戦 4年生−三沢 小間木駅そば寺山食堂間借り−軍のプロステーションが建てた小屋を改修払い下げに棲む−青森オジサンの演芸館へ(母と別れて住む 基地で必死ではたらいていると修ちゃんに目が届かなくなったから)−母 基地の上司に誘われて 福岡県遠賀郡芦屋町へ 

(左絵 母の蛍の蛍は自分の光で身を焦がしてしまうとのこと 表紙ハードカバには中学生の寺山が母に送った俳句が印刷されている。 母が大切に保管していたのただろうが 中高生の手紙なども綴じ込まれている)。

●寺山は12才あたりから 高卒まで 青森市内の母のオジが経営する演芸館 (地方では映画も演劇も一つの館で開催されたのだろう) に預けられていたのだが その場は現在結婚式場に変わっていた。

現在その土地には看板があり 看板の内容を書いてみる(多少の写し間違えあるかも)以下写し 


寺山修司 (1935−1983)
 
弘前市に父八郎 母はつの長男として生まれた。父が警察官であったので五所川原、浪岡、青森、八戸に移り住む。昭和17年(1942)橋本小学校へ入学、4年生の時に終戦。父はセレベス島で戦病死、一時父の郷里三沢に疎開するが再び青森に戻り、野脇中学校を経て県立青森高等学校に学んだ。

このころ母の叔父が経営してた映画館・歌舞伎座(現:はくちょう会館)の楽屋に起居した。三沢米軍基地で働いていた母が九州の炭坑町へ移ったのでひとりっ子の寺山は孤独な生活を強いられた。

しかしそれにもめげず、文芸活動を活発にした。詩誌「魚類の薔薇」を編集発行、また全国の高校生に呼びかけ俳句雑誌「牧羊神」を発行した。

昭和29年(1954)早稲田大学教育学部国文科に入学「チェホフ祭」で短歌研究所新人賞を受賞したがネフローゼを発病3年半の闘病生活を余儀なくされる。その間初めて戯曲「忘れた領分」を書き第一作品集「われに五月を」など刊行した。

昭和34年(1959)ラジオシナリオ「中村一郎」(RKB毎日)で民放祭大賞を受賞しのを皮切りに、詩 短歌 俳句 小説 評論 戯曲 放送劇 映画など分野を越えた幅広い活動を広げイタリア賞グランプリ(2回)久保田万太郎賞など多数の受賞を重ねる

昭和42年(1967)には生涯の仕事となった演劇実験室 天井桟敷を結成「青森のせむし男」第一作とし新しい試みを次々に展開、国内はもとよりアメリカ、ヨーロッパと国際的に活躍した。

また「書を捨てよ町へでよう」「家出のすすめ」「現代の青春論」などで既製の価値観 常識を破る発言を続け若い世代のオピニオンリーダーとなった
 


●以上写しでした

家を脱出したばかりの俺は 仕事場兼寮のある 渋谷区恵比寿の本屋で 家出のすすめを手にとって 俺の考えにあんまりにも 似ていたので驚いた〜敗戦後俺たちはどう行動したら人間に成れるのかを示したし 同時に東北人の 反抗・背理の血が流れていて。なんだかホットした覚えがある家をでて良かった!!シミジミ腑に落ちた

寺山は現在でも俺にとっては オピニオンリーダーだが  昔もそうだったが そのことを 咀嚼し理解している人に会ったことがあまりない。 東北の人として淋しいような。青森の訪ねたジャズ喫茶でも 評判は良くなかったので あまり語らなかった。美術館に展示されてもな〜・・天才に対して地元はかように冷たい・・ものなのか〜・・そういうものだろうか。



  09月03日 久しぶりの晴れ 

起死回生を目指しての改造だろうが、農林大臣と外務政務官ともに7日ほどで辞任。憲法68条で強大な権限を総理に国民は与えているわけで、主権者の期待にこたえられない首相は責任とらないとね・・・人ごとのように答弁してるんだもんね〜・・

政治に混迷と空白をもたらしてからでは、スーピー度 決断を勝負ネタとしてるグローバル社会にあっては 遅い決断と行動は主権者の命を縮めるばかりだろうに

高速情報化された社会の中で 新首相の1年のドタバタ劇や衆議院TVをみるにつけ随分政治が身近になっていると感じる。主権者は政治をできるだけ勉強し参加することが肝心な時代になったということだろう。 シンジ君パパに任せておくと殺されちゃうよ(笑)
エヴァンゲリヲン新劇場版:序を見る。いつもの映画館 長蛇の列!と言っても福島の長蛇は150人ぐらい(笑) オジサンは俺だけ。大方は20〜30半ばの男が85%。のこり女性。 知った顔に会わず、まるで浦島太郎の気分、ここは福島か?俺って誰?

各種エヴァンゲリヲンはガンダムのような機械的重々しさを捨て、陸上選手のようなバランスの取れたスリムな体形になってよい。色彩はイマイチ強そうではない。

主登場人物は3人で イカリ・シンジという(高校生かな)子供でも大人でもない イケズ・モラトリアム人間。相方は綾波レイ(氏は間違っているかも)という同級生のブルー触覚髪型のニヒルに活かした女(体形は成熟した大人だが精神は空虚そものも) 葛城みさとというママゴンの代理のような強権パパの愛人風 オナゴがシンジ君の世話をしたり指図をしたり ものが判った風なオネエチャンだがアホ。

強権パパは何でも知っているかのような 冷徹人間風味(こういう陳腐な人間いなくていいじゃん) 要するに人間味がまったくない組織人で、シンジやレイを危機に陥れほくそ笑む サド系判断する機械。

何と闘っているのかまったく不明。同じ人間なのか宇宙外生命体なのかさえわからぬも、どうもシンジ君たち人間同様な科学と技術力があるらしい。 拮抗した力の者同士の争いが一番壮絶なんだろう。

救うべき中心は 環境や生命なんだろうな・・・を示唆するかのような 白い女王蜂風生命態 が磔刑として示される それや 地下東京の暮らす町全体のよう。 

宇宙戦争・やトランスフォーマーと比べるとリアリティに難があるとおもうも、主題はイケズのシンジ君の心象風景を描くことだろうから、現実味の無さを問題にしても仕方ない。 

心強いオネエチャンにサンドイッチされて生きるなんてのは俺の好みでもあるから・・いいチチした姉ちゃんをタント出されても、ぼくオネエチャンと居たいから!闘えない〜!と言えばいいものを(笑)パパのチンポに飼い慣らされてオナゴに填められるな〜

全体の物語が消え去った(あまりチープなんで見たがらないのかも)かのような中でドに填っちゃうなシンジ君の従順さは現在の なにを現しているのだろうが、闘うべき相手と野合して強権馬鹿パパや愛人擬きみさきを 焼き殺すとか・・・自分の知恵を働かせないのはなぜなんだろうか・・首ショウに 似ちゃてマザコン+ロリコンか〜(笑)・序・破・急って続くのだろから また見よう。 



 09月02日 曇り 

 先週 青森美術館へ行った。地下3階に小さな寺山修司コーナー設けてあり そのなかで寺山映画を15分ほどにまとめたコラージュ作品が上映されていた。 眺めた。ため息が出た

美術館の知識も戦略なども知らない。ただオロオロと眺めていると甲高い声で「ハイヒールの踵が折れて歩けない〜・・あぁ・・・」で始まる ジュリーの「サヨナラを言う気もない」という歌謡曲が頭を流れた 

 芸なし女がナイスな男と 朝方別れる 哀切極まった思いだが 秋に似合いの切ない 30年前の歌詞である。 時には〜・・母のない子の ようおおに〜(作詞寺山唄カルメンマキ)ではなかった。

展示された品々や短歌は 長年の寺山ファンの俺には 終わりを告げる季節の中で捨てらちまった女のような 切ない小さな展示だった。 美術館が出来たばかりなのに・・・。 

寺山の活動は多岐にわたるのでマトメル伝えるのは難しいとしても 「これじゃ〜詳しすぎて なんのことだか判らないのではないか?」という思いと、「このように簡略にまとめられた事だけが 人の記憶に残っていくものなのか・・・」 「単におどろおどろしさだけを 伝えるための美術館展示なら無い方がましというもの」「そこを手がかりに興味が深まればという伝達教育的手段なんだろうか・・」

 三沢に1997年に開館した寺山修司記念館は 展示方法も 粟津さんが関係しているし 元奥さんであり 後に兄姉縁組した九条さんの協力もあり 充実していると思う。 あそこで充分じゃないのか。

7月25日に開館10年経った


俺は開館まもない 1997年11月15〜16日にかけ車で行ったが、福島から高速に乗っても各駅停車なみの6時間はタップリかかる。 でも行った。 その当時は 写真を見てわかりのように 混んでいなかった・・というより誰も居なかった。 

10年後の現在はどのように 加齢し建っているのだろうか・・。久しぶりに今度やって来る真冬に訪ねるのもいいな〜

いまでも三沢へ行くのは難儀だがよい。 三沢駅から記念館への道はなんにもなく ただ遠いだけで 異郷の風情は充分。 米軍基地をかすめ 茫漠荒涼とした 世界の果てだ 

小川原湖から寒風、地吹雪が舞い上がり、記念館の柱時計だけがチクタクチクタク時を刻む中 ハイヒールの踵が折れた女が雪女とかし 挨拶しにかけてくる・・・・なんていう妄想がふくらんむ   (俺って馬鹿だね・笑) 

寺山修司がそうだったように 母(女)に捨てらた男こそが妄想を育て上げる、唯一の人間として選ばれ 許されるのかもしれない。 ジュリーの歌詞だってもてない男が妄想した女の哀切じゃなかったか・・。

男はめめしく嘆きを誘い 女はナルシスの荒野を走る。母を奪った米兵の基地は寺山記念館に比べ広大であることの哀しさをまとって雪女は駆けてくる


 09月01日 曇り 昨日より気温上昇するも23℃と涼しい

元 厚生労働省九州厚生局長 無自覚な税金泥棒のようだ (近世期にもあった役人のが役所の情報を流し、民間のが業界を談合で仕切る) 元県知事兄弟など 他にも 似たもの多し。

● もうじき71才になる 楳図かずおさんが自宅を建てるそうで、外観がの横縞が問題なのか?形が問題なのか両方問題なのか?詳しいことは判らないが 近隣住民に訴えられいることは ブログを見て 1月ほど前から知っていた。朝日新聞にも今日載っていた。

俺の結論を先に言えば 建築基準法を守れていれば 何をしてもよい

という考え方だ。建築基準法は最低の民意合成されるべき 意志を具体的に現したものだからだ。 それ以上規制する必要がない。
(左絵 かずお氏のhpより、Tシャツのようだと5p横縞かも)

形が 色が・・嫌いとか好きとか、美しと汚いとかでもって争っても結論は出せないし、周囲の人々にも楳図さんの嗜好を制限する権利は無い。もし裁判所が止めたら主権侵害だと考える。

どうしても美しい景観俺にはなんのことだか判らない)例えば時代錯誤も甚だしとは思いも 古民家などが並んだような町並み=和風ファシズムでもって区域を維持したければ、地域の人達との間で建築協定を結んで 建築工事の制限すればいいだけだ。民意形成から合意形成までの道程は 現状の豊かな日本にあっては不可能だろうが・・・、地域・近隣は崩壊して久しいそちらを修正するのが先だろう・・。

豊かさとは均質でなく雑多にあることだ。明治初期の国粋主義者たちのような無理に 統一されるべく 美を捏造したり 統一された景観ファシズム はたまた統一されるべき ゲイーテッィト景観ていうのは 豊かさの対極にある考え方であるから 早晩 破綻するに決まっているものの考え方だ。

住宅地域や住居専用地域に建てられない建築が出来てしまうわけではないだろう。71才になっても赤と白の横縞ハウスに棲んで元気に暮らそうジャンと語る おじいさんが居る日本は良い国じゃない。

法律の内で 異なる他者や 不愉快な他者を受け入れたり 共存しようと意見交換など 試行できない人間は 現在人間としてこの地上に暮らす 権利と資格を持つ者ではないんだよと 自覚すべきだよね。

周囲を自分の考え方に染めてしまいたいと我欲を張る 軟弱な人間が多すぎやしないか オンとオフしか出来ない人間がおおすぎやしないか

と白の縞外壁でも 全面ガラスで覆う透け見える縞や 素材がガラスなのかタイルなのか吹きつけなのか・・で見え方は大きく異なるから 、おじいさんや関係者のセンスについて賞賛・軽蔑や批評の態は 完成まで 据え置いた方がいいのではないか

争いが起きれば 名所になって値段が上がるだろう との裁判か?(爆笑)