2007年 佐藤敏宏の 2月の 日記 HOME 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 2月28日 晴れ 9年ぶりの事務所開設にともなう、義務された 講習会を15000円(俺の1ヶ月分の食材費になる額だ)も支払って受講する。 会場はがら空きで建築界の不況は今や底を打っている感じかな。 都心はミニバブルと言われて一部土地代が値上がりして1年ほど経ったようだが、建築的地域格差が固定したままで 田舎は浮上しないだろう。 建築に関わる人も少なくなって当然、20年前の予想だと1/3になるまで淘汰される予想だったから、ようやく底へ到達したかも・・・ この地では 数日前に古手の建築会社が潰れた。前知事選挙がらみで建設業界を仕切談合容疑でカイチョウが逮捕、現在 裁判中の会社が潰れてしまえば この界隈は 一旦綺麗に底払いが 完了されることになるが・・。(今日はカイショウに判決が下され一審は有罪だとか、下水+高速道路の談合で20% 有罪のようにハネたとすると500憶ほど税金泥棒してたことになるが、争いは数百万円の害で決着させるのだろう) ● 田中浩也さんから年賀状の返信代わりに小さな冊子が送られてくる。現況報告と今後の見通しを簡略にまとめた内容でタイトルが「環境のベンディング」−表象の諸実践から物質の諸実践へ の副題が全てを現してる。 人との交流が新たな(何か?)を産み育て人は社会を構成し改編し使い込んで来たわけだが、高速情報化とデジタルツールの出現は 交流の質を大幅に拡張したわけで(質が向上したか否かは 問題にあらず)、そのような環境のなかで 交流が起これば (何か?)が膨大に生産され、何がなんだかワカラン状態が提示されることは予測できていた・・その周辺や当たりの現状が良く書けている。正直者の文章だと思った。 2月27日 晴れ 昨夜から冷えるのか 50肩病すこぶる痛し。特にキーボード打つが欝になるぐらい微妙な力が肩筋肉回りに悪影響をおよぼしている。手書きの時代にはなかった欝痛しゃないかな・・。 キーボードが壊れ反応しないパーツがあるので、でんこうどうに行って980円と最安値のものを買い取り換える。 近頃目立つミタライ発言に同意できないおれは、異なるメーカーのプリンターを買った。いわゆる my不買運動。10年前には17万円ほどだった性能のものが、2万5千円ほどで目方も軽くなっていた。 このままじゃ壊れたPC周辺機器だらけになるのも直にやってきそうだ(笑) 身の回りには20年前のミタライ製コピー機もあるが部品が無くって使えない。出たてのミタライ製ワープロは120万円だったが捨てた。そんなことで仕事場は壊れた事務機械やそれ用の箱やソフト箱が散乱してて、ちょい昔の農家の庭先のような案配である・・トホホ。 2月26日 晴れ 午前中選挙事務所申請の打ち合わせ。選挙は 現在は現生トバ試合にならず 終盤になると互いに足の引っ張り合いになるそうで、些細な法的違犯もネタになるのだそうだ。福島しのぎいんさんになると年収1200万円ぐらいだそうだが 申請費まで払ようで 他にもモロモロ選挙費用が、集めるとタンマリかかるようだ。 誰が負担するか代議制民主主義を支える諸経費問題。 午後大阪のケーちゃんから蜜柑が届く。ネット縁で知り合い交流があり建築あそびにも参加いただいた。 黒砂糖や蜜柑までいただくことになりweb縁もなかなかにリアルで豊であるよ。どうも有り難うございました。 掲示板もblogも開いてないので連絡の方法がないからと電話があって送ってくれた。 my頁を見てる人は送ってちょうだい・・ゴミ以外(笑) みてる人が簡単に俺に連絡するにはメール、叉は電話手紙なとでと限られている。 blogは俺は使いこなせないのだ。理由は馬鹿だからで 文字や漢字が理解できないので 誤字脱字のパレードになるから 年中web頁を 修正する必要がある。訂正しても山のように誤字があるのだ(笑)自慢してどうする。 ●大島さんからの便りに対する my手紙の文字化も順調に進んでいて、6月6日までは98年版にmy返信を貼り付けることができるかもしれない。 文字化し始めたらオモロクてドンドン進んじゃうんだよね。 大島さんと俺がワイワイ交信していた問題の色々は 9年経った現在でもなにも解決してないし、解決しないような問題を抱え込む両オヤジ馬鹿タップリ文字に現れていて 案外オモロイと俺は思ってしまったのだよ。それから 手書き交信とキーボード打ち交信は「どのように違うんかい」の資料にもなるだろう・・と秘かに思って作業中。 ● プリンターがイカレちゃって 印刷できないので、この際カラープリンターの安いのを買おうと思って、電気屋さんに出向きカタログをもらう。A3のび対応で 3万ほど。さしあたりの作業には充分そうなので明日 買う予定。 ●確認申請書のあらましがまったく忘れちゃってるので、仙台の八重樫さんに電話して聞く。 2gatu24日 各駅停車に乗ったら、東京方面に行かず、仙台(下り)の電車に乗って大慌て 目的地に着いたら、我が家から5時間もカッカってしもた〜。酔っている俺 2月23日 曇り 小雨ある 仙台の阿部仁史さんが UCLA都市・建築学科チェアマンに就任する(日本人初だそうです)ことになったそうで壮行会のしらせがある。 仙台の★から世界の建築家へとまずはメデタシ だが 阿部さんが アメリカ行っちゃうと(いずれそうなるだろう) カッポリと 東北・仙台周辺の建築家界に陥没が出来ちゃうようで、阿部さんに代わるような活動的で外向き思考の建築家は皆無・・・だろうと思うので 淋しい気分。 仙台とアメリカを激しく往復し 阿部仁アトリエも続けるようだからそうでもないかもしれない。東北大とは客員教授のような関係になるのだろうな・・。 壮行会 には大勢の建築家が集まると思います 興味のあるかたは是非 参加していただき 意見交換してください 日時 2007年 3月 23日 19:00〜22:0 会場 恵比寿NOS tel 03 5773 1727 会費 7000円 (フリードリンク 、フリーフード) 俺は相変わらずの超貧乏者なので仙台で行われる地元の方々との壮行会に参加します。「東京へは行けないけど仙台なら行ける」「阿部さんにエールを送りたいな〜」と思う方は阿部さんのアトリエに電話して 相談してみてください。 ● 赤ちゃんポスト?! 生む機械が生産しポストに投げ込み国家に貢献する〜 熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が昨年12月、親が養育できない新生児を預かる国内初の「赤ちゃんポスト」の設置を同市に申請した問題で、厚生労働省は22日、「明らかに違法とは言い切れない」として設置を認める考えを市側に示した。 2月22日 晴れ 小春日和にてマフラー巻いていると汗ばむような気配 選挙事務所の申請のための調査をする1日。 依頼者とAM11時に待ち合わせ要点を伺い、作業の内容を確認して後・現地調査。 帰りがけに消防署により事前挨拶をし、要点を指導してもらう。 こんなことで1日が終わる。 今日の作業は俺が考える建築の質の善し悪し向上のための行為とは全く関係ない、現行法に基づいた確認行為や許可を得るためのオイラにとては諸雑行為。施工会社に入社したての10代〜20代前半に都庁(旧都庁で有楽町時代)の指導課に出向き行った その時以来だ・・ほとんど忘れているし、覚えていても現行の法律に基づいた行為にならないだろう。 施工会社の設計部に所属して設計活動は 営業マンや施主や下請け会社等との打ち合わせがメインだから、確認申請のための作業は代願屋さんと呼ばれている、街の設計事務所に外注してた。で 俺自身が設計した物件でも確認のための作業はしない。 my事務所を開設してからもたった一人で、建築行為に関わる作業をこなさなければならないから 施工会社の作業と同様に発注者との打ち合わせなどで、確認申請をしてる時間の余裕がなかったので、外注していた。 外注すると外注費用は俺の責任で支払わなければならないのは当然の理だが、依頼しても俺に銭を支払わない人が居ることは、希にあることで、今の俺はその責任を負えない=支払う銭がないので 自分でするしかない=俺の生活費はなんたって500/日で横浜寿町のパン券(=900円/日詳細はこの頁にて )より安い・・金銭的トホホの様だから踏み倒されても 負担も軽〜いことになる。 代願屋さんてこんなツマラン作業をして銭稼いで生きていてるのか〜と感心しきり 遠い昔の記憶が蘇りオモロイ。法律を作ると多数の人間がその作業で食って生きて行ける(大笑)・・日本全体で100兆円ぐらいになるだろうなと俺の予想だ・・法律が無かったら 何をしたら良いのやら皆目わからなくなちゃう 馬鹿も多数輩出されることになり、笑えない現実が生まれている・・そんなことを 一寸思い出した一日だった。 こういう行為で忙殺され 死んでいくのもラクチン・気楽でいいかもな〜 俺が宇宙に生を受けた意味とは違うように思うんだが なにしろラクチンだよ 2月21日 晴れ 久しぶりの事務所登録が済み (大笑)今日から5年間おれが何かしたら 銭とってもいいらしいよ(笑)。依頼者が現るとは思っていないから今までと変わらない だろう。 人生だって建築関係だった 役に立たないことを考え 実践したり作ってしまい、発注者に大きな迷惑を与えたりし(←回りの人が言っているらしいことを 伝えきくに) 発注者には そのことで大好きになってもらうこともありの、虚実混合自生スタイルな俺。 いわゆる世の中の事を何も判ってない馬鹿というわけで、これから 5年間でなんぼ稼げるんか判らん。 ちょとでも 世間の型に填るの・・なんたってラクチン楽だから(大笑)填ったふりして 俺自身も楽しみ。 世俗の衣をチョイと着てみるのも おかしい。 ミイラ取りがミイラになる前に バカナ行為は 辞めたい気もするが5年は続けてみよう。 ● 例えば役立たない例として 過去my建築を 採取し掲示してみる。 BOX12の内部は確定申告の季節を迎え 例年通り 書類が混乱している。お客さんが 土産に観賞用植物をもってくる。普通なら枯れてほどどほどに捨てられ忘れ去られるのだが、my建築はよく植物が成長するので 大木化し植物園状態になるものがおおい。BOX12も 玄関回りから 二階の デブ度チェック通路(通路幅が30pほどでデブが通れない通路) に至行程は 植物園状態。 で書類と植物の混在が激しく、それらの隙間を見付け 人は事務処理してるような様。 2階はそんな喧噪はなく至って静かな様。一番 奧に コツソリ仕込んで置いた 「ジャックと豆の木」に登場する弦がある。 例の弦は健在で 天にのぼると怪物が居るのだ↑↑・・逆か・・・ジャック=国税超だったりして ゲラゲラ ・・・見上げてそうだよなと思うのは俺だけだ・・だがこの この役立たない俺のための 機能を作ってしまう 俺はやっぱり 頭がイカレテイルでしょ。 ● だが イカレタ頭で作った場を使い切る=水も漏らさぬ合理に基づいて設計し作ったと思った場を使い切る。同じだと思うな。違いを上げて語り 退屈しのぎをするのも馬鹿だ。 そんなしかめっ面して考えても 差異は無いんだと 思う 好きにやって俺を笑わせてくれ・・・ 嬌笑ね 2月20日 晴れ 建築事務所登録をする。 以前の書類をみたら 9年ぶりだった。4年前に有効期限は切れていたのだが、5年ほど設計活動はしてない無かった。つまり6年もの長き間 無収入で生きて来たおれは馬鹿だかアホ立派 どちらでもいい。 その間営業せずだったから期限切れでも違法行為に当たらない。超ロウコスト住宅の改修話と 統一地方選挙のための事務所(笑)の確認申請を頼まれたので・・・俺に頼みに来るBOX12親戚 オヤジも偉い(爆笑)。 独立この方 申請は外注のみ 自分でしたことがない・・・(これを良い機会と考えなんでもやるでー〜俺) ・・平凡な仕事もやっちゃおう・・ 注意 食べ物 食っているひとは以下読んではいけません! 人生でモットと平凡な俺の過去の仕事は 旅館の1囲いの和風便器ありの便所の改修だった−その便所は和風便器から糞が溢れ盛り上がっている 美しいと言われている旅館の若女将が 指さす! 「これを改修して頂戴」と。指先の天こ盛りの糞の中の和風便器を見て 俺は吹き出した。 便器2個で客100人(笑える)数が少ないから一斉に朝糞するだな〜・・廊下に漏らす訳にいかないジジババ老若男女は 欠陥便所に数珠つながりで 垂れる・・焼け糞で重ね糞をする人のその姿を思ってドラン・観覧・・・俺スカトロ愛好家じゃないんだけど笑うな・・・無いんだからしようがない、で 10数年も毎日糞浚いし改修しない若お上さんもも アホだが 糞の上に糞して帰る客も客で 良い勝負 似合いの関係ってやつだから・・女将さんの顔が糞に見えそうで 笑い堪えるのが辛かったよ・・もっと楽しい改修話は山盛りあるが 又の機会に・・・それ以来の笑えるな〜選挙事務所の申請・・・なんだか・・・超バカな 便所改修思い出すな そんな糞より以下の便所を施行する奴も馬鹿だが設計して そうなることを予想出来ない設計屋も馬鹿だ・・ 「平凡な仕事するよ俺はガハハハ・・」爺さんになって死ぬまでやるよ! そんなに気合い入れてどうする申請如きで(笑)・・ 再び事務所登録の申請を済ませた。 耐震偽装を 見聞きのかたは知っていると思うが 建築に関わる 申請や講習会など 最も優れた 滑稽な複合行為。 それを体験したり見ていると 人間観察の定点行為にもなる。何十年も設計をしてきた俺が爺さんになっても 毎度役所の人々から罵声を浴びせられ書類を訂正するなんて・・マゾではないが なんだか面白そうだ・・ なにやら優れた観察形式なんじゃないか・・とフト思ったからだ ・・ 登録費用のための4万ほどの銭が無かったから登録を放置してたのでもある。他に再開すると事務費回りの経費が沢山必要なこともあるので再開出来なかった。 食いものの費用や 暖房費用が無くなると即死につながるが 登録費の4万ほどなくても死にはしない。4万円無いと登録できない・・する機がない熟さないのかも・・・・ この手抜き人生の リアル悲劇が案外面白いのであった。 6年物・・銭なし者にて生きてみると とどういう メに会うか 書けば 腹を抱えてお笑いになること間違いなし。 銭というツールに拘束される文様は抱腹絶倒に限りがない。 俺の不幸は なんたって面白いのだから開帳したい気もする・・でも長くなるのでお預けにする。 ● 1998年4月18日の前後や 大島さんが書いてくれたBOX12の 感想文のベースになったmy手紙が出てきた・・昔 書いた俺の手紙も オモロイ・・近い内にアップしちゃおう。 改修や新築を行き来するのも快感だし(フォトコラの影響だと思う) 近頃の大島私信文字化作業と日記書きは 昔と今や 新←→旧が シャフルされて出るでる(笑) 10年ほどの事を 行き来しちゃうので 人間じゃなきゃ わかないんじゃんの 奇っ怪な感情が沸く。ネット上に晒すと 時間が消えて無くなるので まぁ・・オモロイ時代になった。 IT革命は恥さらし革命であった。と実感する。人生の恥は永遠にネットから消せない、俺の恥も皆様の恥も 記録公開できる ツールをもった俺は凶器そのもであるよ・・ネットの 恥文面は死ねない いいね〜 ● 絵の書き込み句 大島さんへ遠慮してて 帰じたくやになっているんだけど、本歌は違っていて 山々の 雪そぞろ似て 奇じたくや 2月18日 雨のち晴れ 今月の04 日に突然再開してしまった 大島哲蔵さんからの便り 1995年から1999年までのFAX版のweb頁作りを今日ようやく 大方 終えた。総数何通か数えてないが・・ホッ。 日付無しのものや my手書きので日付無しの原稿もすこし出てきたが 共に未整理とはいえ、大島さん文(分)は 5年もかかってようやく整理出来たことになった。まずはメデタシ。 1995年分は私信交換になっている。 1996年 1997年 1998年 は大島さん文面のみ。1999年分は再び 俺の文面が文書データとして残っていたので私信交換スタイルにもどった。 98年99年は量が多くなっているので月毎に頁を分けてしまった。 2000年以降 02年6月までは 主にeメールや掲示板カキコ交換となっていたが、それらも今年の6月6日の命日までにはザット整えアップすることを目標にして、日々コツコツ頁作りをすることにしよう。 ●俺の日付無し・・日付書いておけばいいものを・・の左絵の 文面はこんな感じだだから大島文との対応をおもい 日時を推測せねばならない・・その文面から日付を推測する 鬼がみな 吟(うた)はなくなり 豆をまく 寒中お見舞い申し上げます。毎日寒い寒いといっていた1月がすぎてしまいました。昨日とどいた建築文化を読んでいたら、論文佳作に大島さんの二川論に触れていた女性がおりました。読んでいるひとはよく読んでいるようでうれしいです。 若い人達の対談は先人のミース論や透明の問題につていの論を信用してないので私は安心しました。 真冬はこたつで眠っているのが例年の行いなのに、今年は昨年のツケを支払っているのでBOX13や千万家の住宅の図面を書かなければなりません。寒くって考えも凍ってしまいがちです。立派で暖かい事務所がないのでコタツに足をつっこんでいます。家で仕事をすれば良いのですが荷物を運ぶのも寒いので つい春を待ってしまうのがこれまた例年のことです。やせがまんして 立春や ヒーター買わず 寒を知る 1998年2月4日以前と思われる 2月 17日 晴れ ハードディスク用ドライバーがみつかり、インストールする。ついでに使い慣れているソフトもすこし入れる。 大島哲蔵さんからの便り 1997年度分 と1998年の4月半ばまで大まかに処理する。時系列に並べ直したので だいぶん見やすくなった。 明日にはFAXや手紙の大方アップして、2000年度より開始したEメール私信交換に進めれば・・とおもったが 眼が疲れるので 一旦休みにして メール文頁仕立て作業は 月末再開するかな・・。 1998年4月18日にはBOX12の感想のFAXがあり後に 正式な文章「乱気流の呼応する構築体」が届いていた。おれの設計した建築に 批評文を送ってくれたアリガターイ人は大島さんだけだったように思うな・・・まことにありがたいことだったな〜・・と整理しながら 読み直した。 2月16日 晴れ 山は吹雪いているようで見えない 新品になったハードディスクにOSを入れ終わるも、ネットに繋いだり音を出すためのドライバー用CDが見あたらず・・・困る。 方々捜すもまったく記憶がないので・・あきらめ 雑事処理のために銀行へ。 PC回りは知識無いなりに 自分でこなさないと不便そうだ。 今後 銭を支払って 人任せにせず、なりにPC壊してもいいからこなそうかな 大島哲蔵さんとの私信交換 1995年分 1996年分をそれぞれ整え直しアップする。 ジミで シンドイ作業な〜んだが、まとめちゃいたい気分が勝っているのもで〜・・(笑) 左大島さんカキコ、右俺かきこ。A4ほぼ2枚以内にお互いに書き込んでは、faxで流してたりなければ電話でワイワイダベルだべる してたように思い出す。 大島さんから届いた文面は大方残っている・・・と思う。、俺が送った文面は大島分と同数以上有るはずなのに・・・ほとんど見つからず。、偶然大島分袋の紛れ込んで運良く残った文面のみ 少しあった。 佐藤文面はこの色で公開した。 1999年分に倣った。 公開頁に 図面や文面にある本の絵柄など、写真をタント付けると 親しみやすく読みやすくなるとは思うのだが・・まずは FAXの中身を急いぐことにした。まずは文面のみ 優先し公開。社会や建築的な出来事を書き込んだりもして 徐々仕上げて行きたい。 2月15日 多量の薪が頼もしく見えるほどの 荒れ。 時々吹雪き ようやく冬らしくなるも 春特有の気圧配置による嵐だとか。今年は誰でもが異常気象を自覚した年として記述されそうだ。 薪は二酸化炭素を排出しても、大気中の二酸化炭素が樹木に変容した燃料なので温暖化対策としてはお薦めの燃料だそうだ。 全国の人々の暖をまかなうような 薪配給システムは遠い昔捨てられてしまったから、いまさら〜薪配給システムの再構築はできないだろう。 1999年度分の大島哲蔵さんとの私信交換は完成し先日アップした。2000年は大島さんもメールを使うようになりfaxの量は少なく 今日 文字化してしまった。続けて 2000年分の頁作りしようかと思ったが・・・以前アップした1995年からの分の頁を見ると頁内リンクなどいろいろハチャメチャ〜で「酷いことになってたな〜と反省」 今回アップした形式に倣い(全ての頁を現在の日記形式に整えたいが量が多いので徐々に)整え直しの作業を始める。 既にアップしてる分を 整え直しを 先にしよう・・・オヤジたちの私信交換はゲロイものなんだが・・記録は 21世紀をまたいだ10年の大変化を記述してた?!かもしれない・・・ この時の 変化は 高速情報時代に突入しちゃった 歴史上の大変化と言っても過言でないだろう。同時に日本は 経済戦争に負けちゃってはちゃめちゃな社会状況にも突入してたわけだし、地下鉄にサリン散布以降、9・11を切っ掛けに 高度監視社会は 大方の後押しを得て ドーント突入し、 今や街にいた 浮浪者たちは不審者として排除され 監獄にぶち込まれ一部監獄は浮浪者用老人ホームとなっているそうだ。 顔認識から指紋や瞳の認識確認をする 個人情報大晒しても安心したいよ〜の 社会がやってきている。DNAを晒しても安全最優先を選択し動物のように生きるんじゃないという人さえ現れている・・ゲロイオヤジ達は 時代の際を渡っていたんだな〜。 そのような時代に翻弄された人はどんなこと考え生きていたのかを身をもって示せるかも・・・・ 大げさだが・・・体験してた歴史てき記録(大笑い)として徐々に形式を整えたい〜! それから web頁では困難とは思われるものの 新たな資料や画像を追加しつつ 10年分をまとめちゃいたい。遠い将来印刷機を手に入れて それらを 本にしよう という考えも沸いている。 作業はタンマリある〜 銭も必要だから シコシコ数年かけて完成させよう! と思い立つ。 銭が無くなってしまったオヤジの俺は 何かを物にし伝えるような 行動力が すこぶる落ちていて、言うだけトシチャン化してるのだが・・ 2月14日 雪のちみぞれ、にて 道は ビジャビジャ 注文してたハードディスクが届いたのでPCにセットする。ソフトなど詰め入れは明日以降にし、今日は敷地模型作り優先し行う。 銭が有ればジャンジャン事を進めることが出来るのだが、お金を手に入れ次第の行状だから のーんびりするっきゃない。 ● 敷地模型作りをする。 銭あり時に タント買い貯めて有った敷地模型用コルク(900×600 厚さ5)を 型紙に合わせ切断し、幾重にも重ね積み上げると 1/100のおおよその地形が現れた。 気温が低いのでボンド接着は時間をかけないとうまく くっつかない。 フォトコラ用に撮った写真データがどこかえ消えてしまい見あたらず。 敷地模型と現況写真のアニメを作れず残念。 敷地模型は 風呂敷包みにし電車にて持ち運び打ち合わせ用に使うので、40p×50pほどにしたので、おおよそ2ha程の地形が出来たことになる。前面に幅2mほどの農業用水が流れているので 用水底からの高低差は6mほどになり、12枚重ねの部分もあるが、大方は2、3枚重ねにて済んだ。 スチレンペーパーで作ると加工がらくだが、日にかざした時透き通るので、気分が悪い。それに持ったとき軽過ぎる。でそれを使って作る気が起きない。模型素材はコルクと厚紙の素材が俺好み。他 植物などは いろいろスーパーで売っている 家庭用品を転用してそれらしく作り置く。 ●図面の見方さえ知らない 極普通の人を 数年かけ my模型専用の模型職人に仕込んで・・型流しにて 透明の球や円形を 作るには根気がいるので・・素人さんといっても細工が好きな人じゃないと勤まらないが・・・ 半日雇いにて お抱え(笑) 仕事場に来てもらっていたので 雑誌などに掲載した模型は俺は作ってない。 俺自身では模型を15年以上作ってないじゃない・・・ 注文もなくなり半日雇いもできなくり、俺が作るしかない シコシコ作ろう 2月13日 晴れ 小春日和 斎藤種魚(タネゥオ)さんから「コシヒカリの見た夢」という漫画集が送られて来る。(二級天使研究所発行・北冬書房発売)この「16年間 2頁/1月」の条件で政経雑誌の片隅に掲載した漫画を一冊の漫画集とし纏めた本。 415頁と分厚く紙の質が良いので目方があり重たい仕上がり。 主な内容は 非科学ふうタイトルが示すように 「植物が見た夢を著者が想像するかたちで」書き進め積み上げられている。 今流行のセカイ系ではない。 ツゲヨシハル系の暗めの画質から書き出され、や・お・い系に接近しつつ、ギャク星の引力にも引き込まれてもそれらには属さない。 太古から近世・現代未来を自在に往復し、天然と人工、食料や糞からsexと生死・哲学宗教も文学も医学だろうが 全て攪拌しオチナシ漫画に落とし込んである。 (著者のどん欲さに・・吹き出して笑える箇所多し) シリアスなようでギャク、ギャクのようでシリアス擬き。小説のようで紙芝居。紙芝居のようで漫画。歌謡曲と語りが合成した浪曲や講談・怪談のよう(時代錯誤にみえて新しいのじゃないかな) 植物の夢を 人知をもって想像するは 無情で不条理で空虚な行為であることを知ってか知らずか書き続ける、その座りの悪さは 充分表現されていて 著者の野望は達成されているが書き続けねばならない 月刊誌上の オカシミ 作者には自覚的が無いと思うが、「コシヒカリが見た夢」に見られる ゴッタにの様は 情報化がすすみ至ったような現状で行われる行為=良いとつまみ食いにて混ぜ合わせ 新たな「ものを」創作するしかないだろう 現在のポツストモダン状況に対応してて、評価を得ることだろう。 2月12日 曇り my長男 浜通の市史編纂会議にでかけ 3日ほと静か ●図板の上で敷地現況図をキャドデータに置き換えるため下ごしらえの手作業 ●昨夜から寒さが戻り冷えがきつくなってきた。 昨日手に入れた薪は順調にストーブを熱し お湯沸き上げ焼き芋をこんがり仕上げている。 一年物の薪は火力・燃焼継続時間が長〜く強力。2月ほど燃した10年物とは比べものにならない 温〜い助っ人がタイミングよく来たような気配。 今年は暖冬で薪も売れないらしいが薪を生産している人は居る。 遊んでばかりいずに ここらで地の利を活かし ネットにて数量限定薪取り次ぎ業でも開店しようか(笑)ヤフオクで競らせる手もある。 中山間地は土地を離れる人が続出してて村が消えかかっている。あと15年もすれば ほとんど消え、平地農業だけになるだろう。それがねらいの現・農業政策実行でもあるが。中山間地の人間が消えいていずれ居なくなってしまうわけだから 同時に 農・林業が完全崩壊するは間違いなし。 人も居ないわけだから選挙の票も無しで ほったらかし〜地。 拍車をかけるように 近々補助金削減が実施されそうだし、田も畑も いよいよ葛の葉で覆われた 踏み込むことも出来ぬ一 気に天然様には戻らす 農地と天然の中間 ジャン愚留 化しちゃう。 このような無策な様は 例えば ヨーグルトに泥を混ぜながら眺めてるような様とでも言おうか。 風の谷のナウババとして漫画を書くなら ここらで、暇なオヤジや団塊退職者を 中山間地の農林業の復活のためと称して (60〜80才)強制連行 屯田山兵として活用。 手間いらずの 姥捨て機能も生まれ 中山間地の景観保持に 大いに 役立つだろう。 ジジ・ババに成り下がって 孫盛りなんかにかり出され無償でこき使われるよりは 口の無い 樹木や農産物を手入れし 産直売り場に出荷してる方が 精神衛生はすこぶるいいじゃない。 そうなると ジャングル化した中山間地からジジババが食いもの抱え出没、都会の輩の金を巻き上げてサル 本物の妖怪。 なにやら中世の復活で妖怪漫画だな。ベットに括りつけられ 介護 お手当てや 介護交際で愚痴るなんかよりは 遙かに妖怪文様の漫画のほうがよかろう 2月11日 晴れ 注文してた薪100束ほど積んでmy弟がやって来る。 長さを半分にしてあるので200束ほどを 積み並べたら2帖ほどになった。 実家傍で生産される薪は、太すぎ・細すぎて 椎茸の原木として扱いにくい 端材を薪に加工したもの。 原木な楢やクヌギで煙の香りが断然よい。薫製を作る場合は桜じゃないとだめ。 他の雑木だと妙な臭いがたちこめ、暖か感が半減してしまうし 雑木で燻した物は嫌らしい臭いで食いものにはならない。 椎茸の原木は長さが90pに整えてある。一般の薪は原木の長さを半分にした45pに引き割ったりしたもの。 長さ45pではmyストーブには入らないので 鋸やチエンソーで半分に引割く必要がある。出来上がる薪の長さは原木の1/4。手間が掛かるのだが加工し運んでくれた。これで今年の冬のは足りそうだ。 ●昨日は一日がかりで敷地図をとりにでかけていた。 改修の相談を受けている件の敷地・現況図が4ヶ月も!掛かってしまって 手に入れることが出来た。敷地は 不整形で高低差4m・面積は5〜600坪。建物7棟内一棟が鶏小屋。 サイロ 2本。樹木多数。橋1本。 4ヶ月もかかっちゃった(笑い)「なんで現況測量図が必要なの」を説明しても理解できないわけだから、何度も繰り返し話をしつづける。 測量士に依頼しするまでトントンと話は進まない、必要な理由を納得するまで気長に話し続ける。 その間 改修の具体的な話は全くしないで酒飲み宴会。 やきもきして 近隣の人々が集まってきて、間取りや改修工事の蘊蓄を開陳し聞かせてくれる。 俺はそのような蘊蓄語りは静かに聞いてる。聞いているは その方々=一般の人は建築をどうのように認識しているのか知るためだ。家族や地域や時代によって会話の中身が変化していくので面白い。 俺が設計する建築にはなんなら関わりがないし、影響を受けることもない のだけど とにかく付き合って聞いている。 改修したり増築したりし 目的の建物を早く見たいという欲望もないし、何かに到達したわけではないので、苛立つこともない。 建物が完成しても 「なに この建物?! あんなに聞いていたのにまったく 理解してないじゃん〜・・馬鹿設計屋じゃないの〜・・・・・」と 熱心に話をしてくれた 近隣の人達は呆れるに違いない。・・そのことも知っているけど それらのことに付き合える気楽なオヤジなのだ。 そのような状況下で 俺がしなければならないことが「何なのか」も判っているつもりだ。 俺がヤッテイルことや 対応し考え出すことに価値があるとは 詐欺師じゃないから 俺自身思っていない。 俺に相談することに価値が有るか無いかを決めるのは相談をもちかける方なんだ。 2月09日 曇りのち霧雨 自転車のブレーキの効きが落ちたので、ブレーキパッドを交換する。修理店には1組のパットしかなく、後輪部にし前輪部は注文となり来週末の交換予定。1組費用1500円 自転車と人が衝突する事故が増加し死者がでたとか。自転車は道路交通法上は車と同じ扱い。車道通行が基本。 歩道を走る場合は直ぐ停止できる早さの徐行運転。無灯火で夜間歩道通行はとても危険。灯火は車や歩行者に自転車の存在を知らせることが主だと思う。 完全廃車して数年になるが、ドアからドアのだけの移動で弱った 足腰もやや鍛えられたようだ 2月08日 晴れ、奥羽の山々に霞がかかている。厳寒期の二月は乾燥してクッキリハッキリ見える山々なの・・・「霞む」んでる始末。暖かすぎじゃないかい 理科大の伊藤香織都市計画研究室から研究室が発行するフリーペパー fab c.vol.1が送られてくる。 「伊藤香織さん fab c.送っていただきありがとうございました」 タイトルの意味は(すばらしい・いかした)(都市・創造性・好奇心)ということだそうで、研究室の活動をコンパクトに紹介したお洒落でセンスのよいフリーペパーです。 太田浩史さんとともに開始されてたピクニック・ライトまわりのその後も紹介してあり、順調に・着実に活動が発展している様子がわまります。寺田真理子さんインタビュー記事もありと 内容も盛りだくさんです。 お手軽web情報配布が主流のなかで, 手間・暇・お金をかけて 研究室を小冊子という物にしての紹介 新鮮です。方々の研究室も倣ってほしいものですね。 my同居人からも絶大な評価を与えられている人やユニットのうちの 「伊藤香織+太田浩史 ユニット」に今後も注視・刮目しましょう!。 再度お二人には 建築あそびの講師として来福していただき その後の研究や活動の有様の詳細を聞かせていただけるよう 首を長くして待っていたいと思います。 2月07日 晴れやや風あり 柳沢吐夫の第二発言「結婚し2人以上の子どもを持ちたいというきわめて健全な希望にフィットする政策を考えいかなければならない」は健全?な発言か。首相への嫌みか、ジジババの年金財源確保の為の子産め!国策 本音吐露とろか・・。 「結婚することこそ健全」結婚教団の信者ならわかるが・・人間のあり方として?なら そじゃないでしょう本来 破綻していた考え方。詳細省略。 ● 大島哲蔵さんからの便り 1999年分を文字化してしまう。、1998年は長銀が破綻したり、貸しはがしなども横行し 現在も続いている1日100人ほど=自殺者3万人時代に突入した翌年。 世相を反映しとても暗い雰囲気が 文面を漂い流れ出て貴重。建築業界はバブル崩壊後 底をはいずり回って15年だが社会を牽引する役割は終わり 再浮上することはない。当時の業界+世相の暗さが二前重ねにて被覆、文字表出されると4重苦のような 超暗文面になり(爆笑) 時世を反映してて面白し。 ホモ関係でもなのに〜(笑)大島哲蔵さんが死に至る2002年までの7年間に多量の私信をなんで 交換しあったのか・・・被害妄想体質が呼び被害を大きく語らせた・・はたまたなんじゃろ・・文字化し公開テキストにして 考えてみよう 99年あたりから俺はPCを使い始めて手書きを卒業してる。 で俺のデーターが残っているはず。以前のmy文章原版は見あたらず残念。公開したら 気色悪くなること請け合い じゃが オヤジペアのゲロゲロ私信交換を ご開帳しよう。 公開するにあたりか 文面に出てくる数々の固有名詞 これを伏せ字にちちゃうと、ガゼン面白くなくなるな〜 悪口は実名がオモロイ・・と現在公開中のテキストを眺めて目覚めた。 固有名詞は カタカナ書きにて公開する 思い当たり異議のある人はメールにて連絡ください 文面に添付し公開しますから ● ということで大島さんと俺の 1999年1月の私信交換 をアップしました。2月以降から 大島さんが死亡するまでの私信交換頁を作り次第アップしていきます 2月05日 晴れ 老朽化したガス管や構築物のように相変わらず肩筋は崩壊し続けてて 痛いのなんの・・。 雑事にて街へでたついでに、論座3月号を買う。左絵は先月号(笑)先月号は小特集「ニセ化学を考える」やビクトリア湖のナイルバーチを主に取材し作って「ドキメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」は「北」の私たちを不安にさせる」はお薦め。 ペコチャン家インチキ問題 納豆ダイエットインチキ報道 チン没船財宝捜しインチキ問題 など 記事と併走するよに似通った問題が発生 人間に欲望が有る限り 騙す阿呆に 騙される阿呆は 後を絶たない。 天国のような絵柄の現実が日々 繰り広げられマズマズ お茶の間のオバハン オジハン 退屈しなしの TV炬燵暮らし(笑) テンゴクの定義 チガウヤンンと指摘されそうだが、そう言う 輩がうごめいているのが天国だと思うよ。 旧来の天国絵のようなものは 現実には地獄だな・・一種の天国ファシズムってやつで。今では珍しくなってきたけど 旧ユーゴや北朝鮮のマスゲームのような バカバカシイ〜 天国全体主義の絵柄さ。規律訓練型社会におる極地現象絵ってやつだね ●沈没船財宝捜しインチキ投資話に見事に沢山引っかかるんだね。 日本は昔々 財宝の国「ジパング」と言われてたんだから、 ここ掘れワンワン とばかりに 庭でも 掘るホルすると 金塊がデルデルすっかもしれないよ〜 そのジパングの現実を知らないわけねだろ・・・てめーの足下じゃないか(笑)・・ 海底に投資するなら 「庭を掘りに投資すべし」だね。 昔の人だって 今と同じように 手形取引 交換してんの・・現生なんて船に積んで持ち歩かないのよ〜 現生は狭い範囲で使うの もし金塊が流通して(チャンバラ映画の見過ぎ 映画の刷り込み )・・そんなもん有ったとしても 重たいジャン金塊。多量に持ち歩ける わけないの・・。 ドラクエに出てくる金貨の箱 ホンマにあると思っている 人が居るなんて!! この世はバラ色だね(大笑) 船に積んで中国から輸入の 宋銭てあったけど、材質 金じゃないのよ。 近世時は 日本は銀を輸出してたんだから あっても 銀つぶ 銀の固まりインゴット でしょうね。 2月04日 朝方 雪が降り3pほど積もる。午後 風が強くなる 忘れ物を取りに出掛けようと福島駅に着いたら電車が強風で全面運休してたので仕方なしで戻る。 ●昨日は超ローコスト改修工事の打ち合わせ。建築に放置されている(されてきた)地帯(人・地域・場・状況など)とでも言えばいいんだろうか、そういう場に立ち入ると超想像外の色んなことが起こるので、その場を逃げ出したくなったり「こりゃ手に負えんな〜・・」とシミジミ思いダメージも受けることもある。 その困難は 普遍的なことで「できることなら避けたい」と思うだろう。 発注する人も確信してて ある種の意地の悪さをもって 依頼だ・・・・から叉荷が重い・・かも・・でも 解決できたら 「とてもいい何かが生まれる」との予感や 困難なレイヤーを透して ボンヤリ「何かが」見えているので 根気よく付き合ってみよう。 ● 3月31日に開く建築あそび講師の柳原照弘さんは 故大島哲蔵さんと知り合であることを 彼のHPから知る。過去メールを捜したら 一・二度メール交換をしていた。 ● この10年間で 情報交換手段は 手紙〜FAX 1999年末からEメールを使い始め 2001年6月にmyHPを公開し掲示板。 最近はブログ主流のようがた俺は使いこなせない。 IT革命は 恥さらし革命 のようなあんばいで 俺の日々をmy日記に保存している。大島哲蔵さんとはその間沢山の情報交換をしていて、大方 残っている。 公開している大島さんからの便りは1996年からの一部だ。 その後 2001年8月までFAX、Eメールで沢山残されている。掲示板書き込みもデータはある。 まだまだ 文字化してないFAXが沢山ある。 俺と大島の両オジサンにとってIT革命とは それぞれの行為にどのような影響を受けたのか 眺めてみるといい参考例になるな〜と気が付き 「俺の手紙もメールも 記録全部公開しちゃえ〜」の乱暴な思いつきにて 再び文字化し始める。 こつこつ文字打ち込みをする・・ 2月02日 雪のち曇り 3pほど積もる この冬いちばんの積雪 今年最初の建築あそびのお知らせ 3月31日開催します ● デザインの現場最新号のp82〜85をみて電話をする。isolation unit の柳原照弘さんは不在だったが、折り返し電話があり 柳原照弘さんを ゲストに迎え 今年の最初の 建築あそび を 3月31〜4月1日 開くことになりました。大阪在住の柳原さんは注目の若手で ミニマムデザインを 志向実践するデザイナーです。 彼のHPや 左絵の「デザインの現場」を見ていただき 近隣の若い方々に大勢さん参加していだだければな〜・・と思います。 参加費 新酒 +飯+雑魚寝 つきで 4000円 ●長年愛用の耳当て付帽子を電車に置き忘れた。帽子なしでは寒さを乗り切れそうにないので帽子を編んでもらう。毛糸はツイード3本取りの茶色。カタチは袋状でやや長めにしてもらった。かぶり方によって かぶり上がりの形状は様々に変わって見える。 寒いときは耳当て部分を3〜4重に重ねることも可能、スッポリ被って襟巻き、肩まで届くから頭だけオバQ型にもなる・・重宝しそう。朝の雪に間に合う。 エンジンが掛かったようで、「セーターも編んでやるよ」とのこと。 2月01日 晴れ 新年になって初映画を観る。手塚治虫さん原作 映画 「どろろ」、百鬼丸を通して鉄腕アトムの誕生時期のあれやこれやを 古い漫画を取り出して読むことになった。 手塚漫画は ディズニーアニメの影響を受コマ割や、スピード感あふれる筆致で魅力的だったが、動きあふれる漫画をもういちど映画に戻すと 案外陳腐になるハズだが、・・予想に反してイイできだった。 最近のCGの技術力は 観客の想像を超え高度になっていて、実写と見分けが付かないほどである。あり得ない動きや生き物も リアルに動かしちゃうから 吹き出し笑っちゃうんだけど・・生身の役者は 姿無きを相手にし演じるのだろうから想像以上に苦労するのだろう。 内容は一部 説教染みた中だるみはあるも、語り尽くせない手塚ワールドを 再び 話し始める機会を作る作品になっていた。 骨肉相争い殺し愛 で全て消え失せるとまでは行けない このちの娯楽映画にて ケッマツにやや難点はあるものの 中世版に改編すると〜「中世期において 鉄腕アトムは百鬼丸になるんだね」と納得。 (近代風味の主体主義や 一貫して男中心漫画である欠点は棚上げにし 鑑賞してください) ●家に戻って鉄腕アトムの出自などしらべる(笑い)発表時期は俺の生まれた年だから 今年で56年。鉄腕アトムもお爺さん(笑) 父親 なぜか馬尽くし 名:天馬午太郎 群馬県出身 群馬大学卒 海馬研究の権威者で科学省長官 天馬トビオ 2003年に作られる 誕生した =交通事故死した息子天馬飛男の代用ロボット。天馬博士制作 いつまでたっても大きくならない」と ロボットの飛男にいらだつ天馬博士は 「ただの人形じゃないか畜生め」「これは俺の息子じゃない!!」 「でてゆけ!!この バケものめ」「飛男なら大きく育ってみろ!!」 と罵声をあびせ、ロボット商人に売り払ってしまう。 捨て子だね ● サーカス小屋の呼び出しものロボット少年「アトム」とし 第二ステージに ● お茶の水博士はロボットはただ者でないことを見抜き 小屋から譲り受ける 「わしが親がわりだ 安心して勉強をおし おまえはきっとすばらしい少年になれるよ」 育ての父 現る 改良されたようで ジェット噴射で空を跳び、宇宙ではロケットに切りかわる 60か国語を自由にあやつり 人間の心の善悪を感じとり 聴力を1千倍にでき 目はサーチライトになる おしりからマシンガン 力は千万馬力 飛男少年は生まれかわったのです・・その名は鉄腕アトム 戦後の男の思い描いた世界の一端を知るように思い興味深し。 善悪を感じとり・・の設定が作者をのちのち苦しめることになり、またそのことが人気を生んだのかもしれない。 百鬼丸もまた「他者の心を感じる力」あることで 思わぬ災いに巻き込まれていく・・・・おもしろし |