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10月31日 晴れのち 曇り 

my妻、年に一度のワイワイ旅行より戻る。my次男のところに一泊してきたようだ。
my次男は「俺は自営のミュージシャン」だと言っていたそうだ。中学生から音楽を志し十数年経ってミュージシャンであることを母親に語れる人生を手に入れたことはいいことなんじゃないかと思う。成績も悪くはなかったので、大學へ通いつつ ミュージシャンに成る道もあるじゃん・・とは教えたんだけど・・多様な社会を経験したいとのことだった。その後 多数多様な職業のバイトを経 フリーターで数社経験し 今は自営のミュージシャン(笑)。自営が付いてるのがいいね〜(爆)メデタシ 

分類好きの評論家には 多分 下流民に属する人間と言われるのだろうが、勝ち組に属するサラリーマンやお役人様ってのも 多様に哀れだと思う。 毎日曲を作っている下流民内自営ミュージシャンでいいんじゃないかな・・建築家は依頼主が現れないとダダの生ゴミ だ・・下流民内タダの生ゴミ にならないように 俺は芸を磨かなきゃ〜(爆)
 
昨日は一日仙台市史(近世史)を読んでいた。伊達政宗に関する通史近世史1だけど、これがめっぽう面白い。上に図や写真が全てカラーだし、解説もキチンとしてて、当たり前だな・・読みやすい。戦国(中世)から近世初頭の地方の武士の欲望や、地元の統治法。居城に城下町つくり。政治戦略(内政?)を脇目で定めつつ外交通商を目指すなど緊張するような事の連続・・濃い人生と言うべき。

結末はご存じ・・秀吉による、奥州仕置きを 経秀次謀略節を回避、 家康の天下で100万石の約束が反故となり・・黄門職でとまり 将軍にはなれなかった 地方の大名の悲哀と妙が満載。特に朝鮮出兵時の深い哀しみやスピノバを経イスパニアから ローマ皇教閲見での扱われ方など・・なるほど 現在の政治の世界とあまりかわなないな〜と思うことおおし。

今日は底流民にとっては大惨事の始まり〜・・第三次 小泉内閣メンツが発表された、小さな政府 は今回の選挙で多く支持投票した都市内底流民には辛い政権になるでしょう・・・はっ入閣しちゃった女性のファッションセンスなんとかしてくれない〜と思うのはおれだけなのかな・・。

大坂サポ^ターのmちゃん久しぶりに長電話あり、憲法改正案に外交に空母にミサイルにBSEにメチャメチャ不安だとか・・キチンと専門の本を読んで不安を解消するようにとアドバイス。・・ぱぱや身近な人たちは もちょい政治や世なのかのこと子供に教えてくれないと ・・投票にいけよ〜 困るな〜。などと思った。不安が具体的でマスマス深くなるのはイイ人生 と言うことです〜・・わかんないかな・・。、 



 10月 29日 曇りのち小雨 

 my妻 年に一度行われる 仲間との旅行兼ワイワイに出掛ける。真っ暗のAM5時におきてゴソゴソ、6時に家をでて新幹線にて上京。丹沢あたりを逍遙するらしい。昨夜はねむれないと興奮気味、仲間みながそうなのだという。子供が遠足に行く前の晩みたいなのだろう。集まると満足に寝もせずワイワイするのだそうだ。仲間は夫婦が持続しているのが全体の1/3、死別1/3、離別1/3の割合だそうだ・・この年齢になればこんな割合だろうか・・。

子育てが大方済んだ 20年以上前から続いていて、BOX1にも仲間はやって来てワイワイしていたが、my妻一次病に陥り不参加が続いていた。この数年、4年ほど前に再起し参加しだす。 今年は以前の元気を取り戻した感あり。・・時間かかるの〜・・(内容詳細 省略)・・時間掛かるの〜

籍上は夫婦であるけれども、互いの認識のうえでは夫婦という古い制度に縛られて生きるのは止め、個として独立しつつ集い暮らすという認識に変えよう〜・・と提案していたのだが、了解が得れるようになったよ〜 解脱関係または脱力関係 。 お父さんやパパと呼ばれても返事をしない、絶対しない。でも長い習慣でつい返事をしてしまうことがある(笑)

子育てもと〜うに済んでしまったし、ルンペンのような呑気な時間だけの暮らしだし〜・・残った大事業と言えば 死ぬこと そして死骸をかたづけること位しか残ってないので、案外 簡単に互いに納得できる。

俺は以前からmy妻を名前 で呼んでいるので、相手に呼びかける場合に苦労が無いのだが。パパだとかお父さんだとか・・嫌〜な 呼び方してたんだよな〜・・俺パパだとかお父さんだとか言う自覚 無いもんな、無かったからね〜・・止めろっていうのに〜そういう呼び方・・(爆)・・そう言い続けてたんだけど・・my妻もmy長男も笑うんだよね〜なんでやろ・・  、浅草や千住上野界隈の下町育ち my妻は 「」と「」の使い分けができない 江戸弁の使い手なので、my名前には「ひ・し」が3つも含まれている。サー大変。 言語中枢が大混乱しパニクルのだ (爆) 福島弁は「」と「」が混乱する。いい子なのかええ子なのか使い分けができない〜(爆 


10月28日 晴れ 

 my長男机を発注し、細部を打ち合わせる。1月後納入。ついでに椅子の張り替えの見積もりもお願いする。チョイト高価なのだがながもちし修理もお願いできるので安くつくのだ。BOX5のホームコンサートで17年前にその工場から買った各種椅子とテーブルに触れてきたんだけど、手入れも行き届いてので へたれやガタが来てなかった・・満足。建物内部はタバコも吸わないので 絵は多数飾られ、観葉植物が巨大になた。色つや変化無し最初からのRCまんま。

 槻橋建築体験記は後半に入ってきた が結論をいそがずちょぼちょぼ書き加えよう・・

夜 「さらばハリウッド」というコメディーを見る。

10月27日 晴れ 気持ちがいい が、寒さは 嫌いだ。革ジャンを出し 今年はこれで暮らそう を ためし着をしてみる。もう革ジャンの季節なんだな〜・・シミジミ  1月ちょいで雪がふるよ〜もう・・。

 槻橋建築体験記を少しずつ書き加え続けている。勢いよく一気書いてしまえば1日で済むとは分かっているのだが書きたいことはすっかり見通してしまっているんだ  が・・毎日少しずつ書き加えるのが槻橋建築体験記に相応し と・・なんでだか 思うもの〜・・そうしている。  説明はしにくい。

体験記が書き上がっても なんだこれはと思うことでしょう、それしか あの場で・・あれこれなどの記憶を  遠〜い・・先にから 振り返ってみたばあい・・そうだそうだ・・と思えるような書き方ができないような気がする もんで・・

揉んで書く また 別の方から 揉んで書く ような気分だけど、最初に見通したことと なにも変えてない 変わってない・・この気分・・つたえにくいな〜  分かってもらえなくてもよいから 毎日ちょぼちょぼ書き足し ある 建築の快楽 。

書き上がっても公開は一部しかしないかも  そんな様な 1万字〜カイタよ〜 カイカイ カイの書き方もあるから オモロイ〜 



 10月26日 爽や快晴。半年ほど続いたベランダ菜園用鉢をかたづける。カガブトキュウリの枯れ葉は多様な色彩をもち美しい。黄色い花もドライフラワー状仕上がり付いていたので庇下に丸めて掛ける。夏で終わりかと思い始めたら、初冬まで続くかもしれないよ〜・・菜の自力を知る。

細野晴臣さんが音楽を担当し公開された「メゾンドヒミコ」という映画を観る。1970年頃に大人気の(寮の同室のYがオナペ化 笑 ) 園まりの「あいたくてあいたくて」で幕が開き、「母が捧げ給えし歌」のソプラノ歌だったかで終わる。音楽も映画も捻れ具合が上手く出来ていた。

お話しの筋は。末期癌患者であるヒミコ(ホモ)が開いたゲイの為の老人ホームで起こる 多種多様な問題をテーマにした映画。老人に限らずグーループホームについて起こる多様な問題や、その在り方に興味があったので見た。得るものは多かった。女性のグループホームは見・聞きするが、男に限ったグループホームの話を聞いたことがない。男同士は ゲイに限定しないと 人生の終末を迎えるに当たっても 集い暮らすことが困難なのだろうか。困難だとすればそこにはどんな問題があるからなのだろうか・・様々な興味が湧いてくる。多分・きっと 男は男なんて他者は本当は嫌いなんじゃないか(爆)

この映画は普通の人間でも起こる、人生終末の自分の死体処置についても焦点が当てられていてた。どんなに強い人間でも、自の死骸を自分で処置できない 最大の難問が人生の止めに 残されている。 「どうしましょ〜」自分の死骸をどうしたらいいの〜・・土中入定が許される時代でもないので、誰かの力を借り 焼いて骨にし処分していただくしかない現状ですよね〜。だから、偉そうなことを言えないわけでしょう。  野良犬に食われる自由もない日本と言ったのは藤原さんだったけど・・野良犬いないし〜 鳥やウジ虫の餌にも 俺たちは なれないわけですよね〜

ゲイのホームから死者が出た叉は 出そう〜・・その問題も描かれていて、なかなかシリアスなものです。日本では大方のゲイはゲイであることを隠して生きているわけで、終末にゲイであることを家族に知らせるべきか知らせないか・・いや〜 レズもゲイ社会的に認知されてない日本では難問だな〜こりゃ・・・ヨイヨイになったmyパパの下の世話しようとしたら・・・パパチンチン梨よ〜なんて状況にでくあわせたら、あんたどうする〜

ヒミコは両刀使いであったらしく娘がいた。ゲイ父の終末の世話に請われてホームにやって来る。やがて父のパートナーである若き男を好きに成ってしまう。でも捻れている感情・愛情の様。父のパートナーとの性交渉にのぞむが ゲイの男は勃起しないわけで萌えない抜けないわけであるから、異性に恋を望むヒミコの娘は当然多様な意味において傷ついてしまうわけだ、その時の女の哀れさも描かれていた。

ゲイでもレズでもヘテロでもいい。異性性愛でも同性性愛でも問題はないのだが、男の中に両刀使いがいるので問題が複雑になる。 レズには両刀使いは存在するのか、そもそも日本でレズが表面に出る環境ではないかと思ったりもする。

多様な混乱と捻れた感情の中に生きるのもよいとは思うのだが、存在を社会が認め、変装せず好みにあった姿カタチをもって社会の中で暮らすのが取りあえずはいいでしょう。 両刀使いでかつ浮気者であるのは 男のような姿カタチをした人間でしょうからこれはチョチ扱いに困る。 女性の方方だって挿入された後にホモだって告白されたら、うろたえ 怒るでしょ・・可愛そうな目に遭わせない優しさってのも持ってくれよ・・両刀使い 男風人間達の浮気心ってのもなんだな〜(笑い)・・

知人で両刀使いとは知らないで〜 一緒に旅行していて、俺のベットの中にソイツが!!俺に抱きついて寝てた〜!と気が付いたときは 1mほど飛び上がったぜ〜・・仕方なく 駐車場の車のなかで寝た俺だったが 俺は女スキなのよ〜 たのむぜ〜・・知人・・最初から両刀使いだった教えてくらなきゃね〜・・。ホテル代返してもらえてーよ・・。

田中民さまに違和感あり、ヒミコ役は ミワのアキヒロ または・ピーター 叉は ミカワのケンチャンが適薬だったのではないでようか。ヒミコの娘役の柴咲コウは困難な役を好演してました。オタギリさんは食傷気味の俺 



 10月25日 快晴 夜放射冷却 ヒエ〜とは言えぬも 寒い。

今年は灯油が高値なので、床暖開始の時期を限りなく〜遅くするしかない。僕の年収(笑い)無年収というほうが正しい。・・でも。寒い神様はやって来る〜のだ。居間に炬燵を持ち込み、ついでに、温くなった炬燵で千葉甲子園が対決する野球・日本シリーズを眺める。今年初野球TV観戦だ。

千葉軍団の投手は後ろ髪を編み込んでいて手足もなが〜く見せるための、工夫ありにて現在的。喩えて言えば、セーラームンーに登場する少女戦士のように超格好いいじゃない・・。 監督は外人〜。こちら将来型軍団のように写る

甲子園 軍団の投手は髭面にて、畑の里芋でも掘り起こしてから球場に働きに来た風貌。「ドナイできデス 今年の里芋は」などと問いかけて見たくなる様。監督様は年中「コマッ テン ネン」の面構え。 俺はどちらのファンでもないけど、甲子園のファンの人達は 選手達にモウチョイ 今 風 の姿カタチと立ち居振る舞いを要求した方がいいじゃないか〜見世者なんだから;・・と思い眺める。 こちら従来型軍団。

じゃがましー!!・・とドヤされるが落ちか。 六甲下ろしを 歌い 道頓堀飛び込むのもわるくわないが・・相手はアニメの世界から出てきたキャラ軍団なんだかんな〜・体力とか精神力なんていう従来の力じゃ勝てんでしょう〜などと思う 

 少女軍団擬きは 案の定 勝負所の (笑い)の見極めに厳しく玉定には鍛え抜かれた知性(運動神経)が要求される。その能力は遺憾なく発揮され、対戦相手の些細なスキを突きか〜猛烈に玉に集中し襲いかかり〜・・ビッグイニングにしてしまう様。日本のプロ野球も恐ろしいスピードで変化しちゃったな〜って実感を炬燵の温い中で 得る  


 槻橋建築体験記の 玄関廻り編を書いていたら、旧知のマダムから長電話あり

8年ほどまえ、30前女の美貌と色ケで誘惑。男と結婚したらしい(戸籍を調べてない)が、自分の術である美貌が40に迫りつつあり、その衰えが甚だしく進行中で、全身チリメンジワだらけの様・・あまりにの経年変化にマダムとうとう自信が無くなって来て、欝から〜被害妄想へと心が病み始めてるご様子。(爆) 40位の男は加齢し ますます落ち着きます〜(諦めた〜ともいう) から格好よく見えだし〜 たらしく〜(笑)職場の女・女ににモテモテ状態。焼き餅を焼き切れず〜・・単なるのろけ話〜かと思って聞いていたら・・あくまでも女王様扱いをされたく、格好良い亭主を後ろから眺めるなんて出来ない、自己中の地が超露出。(爆) 自己内矛盾が大爆発して気が狂う一歩手前で 収拾がつかない様。

オバン美になるばかりの哀れは、男が剥げになる哀れに似てるんでしょうか・・他者の視線の中で生き続ける哀れ に サッサと気づけば傷が浅いものを・・・しゃない。第1案、相手を 爺さんに変更する。60男から見れば40女はまだまだでしょう(爆)なにがまだまだだか〜・・第二案 嫉妬を加速させ、ホントとのパーになり精神病院に入り暮らし〜 やがて狂い死ぬ。・完璧に自己中が完成するでしょう。第3案、全部放り投げて、現状を全て放棄し。第3案 養育費と手切れ金で飲み屋を開く。地叉は血統である、男を騙し吸い〜奥の手は あんたの地であり血統であり根性であるから生き生きするでしょう。田舎の飲み屋のママがあんたチの血統ってもんでしょう。 両親の悪血を集め暗躍する〜(爆)第3案に強い〜同意あり(大爆)、濃厚みたい ・・俺は 鼻の下が超伸びなくなった〜・・鼻の下が固まった〜 のが 寂しい(爆)

飲み屋ができても 行かないでしょう〜固まるまえにむしり取られる銭がないよ(大爆)

 




  10月24日 晴れのちくもり  風邪気味なのか空が暗いからなのか寒いと感ずる

締め切りの無い体験記を書いているのだが、脱線ばかりしています。昔とったスライド眺めたり、本を眺めたりなど資料が机に積み上がっていく〜(笑い)。

槻橋修さん建築が仙台の太白区にできたのを機会に今日は仙台市史(通史編3−近世1)に目を通している。

丁度4年前の秋に出された市史で(開府400年の記念事業だったのだろう) カラーの図や写真が沢山配置され、面倒な地名など読めそうもない漢字にはルビがふってあり、目が通しやすい。大きさも丁度手に馴染みやすくよい。

伊達政宗は全国区の侍だから記録は戦国期の、侍達との関係にも及んだり、黒潮に乗り世界を目指したりしていたお侍さんなので、大河ドラマ風で、中身も馴染みやすい話から始まり、背景が細かく書きすすむ。通史なので専門的にはオオザッパなんだろうが、その点が俺にはよい。

藩の財政を圧迫したのは参勤交代普請役だったそうだが。正宗様の人生の後半36年ほどは 普請役に追いまくられている・・

1603年 江戸市街の整備と運漕水路の開削
1606年 江戸城天守台の二重楼櫓の建造
1607年 江戸城の堀の普請
1611年 江戸城西丸改修工事
1620年 江戸城石垣修築(2万6760両あまり)
1628年  同上
1636年 江戸赤坂・糀町・市ヶ谷などの堀橋工事 (5月24日正宗死去)

1612年 京都仙洞御所普請
1614年 越後高田城普請に関係(娘婿殿の城つくり)

もちろん千代城を改修をし仙台城としつつ 城下町を整えたり他のインフラ整備し続けていたわけだ・・戦国武将ってのは政治状況が激変した時期だから・・人質だしたりなどと・・長男の宇和島への支援などもあるだろうし、人間関係への配慮ってものそうとうあり 超 忙しかったんだろうね〜

江戸城や江戸城下の町 跡には 全国の祖先の税が投下されているのですよ〜。地方切り捨ての政治手法ってのも なんだか 歴史的無知で 哀れを ダダ酔わせる気配があるよね〜

今時の ライブなんやら や らくてん などのむかしからあった乗っ取り屋・仕手筋連中は金はもっているのだろうが、時代の泡だから、不動産や百貨店を掴んだ前の時期の志手泡のように、時期が来れば消えるだろうね。 戦国武将のような文化遺産はのこせないだろうな〜 なんて思ってしまう 通史の眺めであります。



10月23日 雨のちあがり、一雨毎に気温が下がるな

ディープインパクトという競走馬が三歳から無傷で三冠馬となったらしい。(皐月賞・ダービー・菊花賞)21年ぶりだそうだ。なるほど馬関係者にはディープでインパクトなニュースだろな。今年末の有馬記念に来年の天皇賞とばく進するのでしょうか・・

気温が寒いのか風邪がなおらないのか寒いので、ぐたぐた。午後3000字ほど槻橋建築体験記を書く。3000字で東面の一部のことしか書けず。なんたる馬鹿っ筆なんだろうと我ながら呆れる。

きょうはこれで止め、明日ニッチ状の玄関廻りから建物に入った、あの瞬間あたりまで書こう。まそんな感じで書き続けて、槻橋建築を出てくるまでにどのぐらいの長さになっているのか・・わからないが止めたくなるまで書くことにしよう。思いついた項目に合わせ書いたらきりがなかったと思う・・東面のあれこれの今日の 綴り方時間の感想


 10月22日 雨のち曇り 肌寒い一日

  昨夜は須賀川にて建てもの完成いして、17年間ほぼ毎年開かれるBOX5のホームコンサートにでかける。毎年恒例化するのはいい。以前は年二回行われていたので通算は30回近いのではないか。

年初めに朝日地方版で紙面1/4ほど割り当てて、そのことが紹介され、記事をみた飛び込み客が数人いたり。南アフリカからやって来てる、英語の先生が二人。聴衆の入れ替わりはあるが 会場に入りきれないほど 今年は盛況


演目は モーッアルト ピアノトリオ ト長調 KV564の長めの曲にはじまり、メンデルスゾーン ピアノトリオ第一番 ニ短調第二楽章。 シューベルト モーメントミュージカル シューベルト作曲 リスト編曲のセレナーデ。ペルゴレージ作曲クライスラー編曲のニーナ。ドボルザーク ユモレスク アンコール3曲ほど・・秋めいてメランコリアな音が流れる

 ピアノ 片桐春香  ヴァイオリン 吉川利幸 チェロ 青柳善美 

演奏後 若い片桐さんは建築好きだとかで盛り上がり〜()アドレス交換をする。今回は建築好きな人が多かったような感じで、携帯番号交換おおし。奥さん手作りの料理とワインなどでワイワイ会食後 南アフリカからやって来た青年がプロ並みの腕のギター演奏を披露、スペインの古曲風とトルコのベリーダンス風と南米風の3曲。再度 盛り上がる。 7時から10時までワイワイし各駅に揺られて戻る。

帰りの電車の季節外れのクーラーに当たって、風邪をひたよう・・真夜中から鼻がカラカラに乾き熱がで・・真夜中フラフラ気分と寒気るす〜。今日はグッタリしてしまい、槻橋修さん建築体験記は現場に着いたところで中断したまま。前半の内容を省略したけど、後半は長くなりそうななので絞って書いてしまいたい・・まぁ明日もあるさ、今日はぐたぐたしてよう 誰に依頼された原稿でもない 体験記は書きは始めの具合はいいが、終いが難しい・・だらだら・・なんないように しないとな〜




 10月20日 曇りのち雨

槻橋修さん仙台建築体験記を書き出す。いつものように当日の体験を時系列に追い書き。その時々の感想や思いにとどめ書くことにする。他の書き方あもあるのだが、公開するかどうか分からぬがインタビュー校正前の記録は出来ているし、「リバースアーキテクチャ」の記録もあるので、それらとのズレを味わえるように書くことができればよいだろう。そうなれば槻橋建築を立体的に味わうことができるやもしれぬ・・との思いこみで今週中の公開することとができる内容にすることにし・・。

10月19日  曇り

● 昨夜 定例のBOX2のジャズ酒場 ネガへ 呑みに行く。珍しく混雑してる〜。奄美大島出身の福大生の M・ヤマトさんと席が隣になりワイワイ。最近 なにやら大臣が日本は一民族(爆)と発言したようだが、ヤマトって名の意味をシミジミ思う。建築好きらしく、金沢の市立美術館を各駅停車の乗り トコトト12時間ほどかけて見に行って来き「良かったです」と。見学の先を越されてる。情報入手は カーサブルータスだそうだ。 建築あそび時のアシスタントを頼むことにした。写真やビデオの記録係がどうしても欲しいかったから。

大學は隔離された山の中にあるけど 付属の学生寮に入っているのだそうだ。my仕事場の上に「狭い一部屋で暮らしてるなら 越して来い」とススメル。家賃は交渉の腕次第だと思うからだ。 午後大屋さんに連絡。「部屋見てください〜」とのこと、トントン進むかもしれない。

● 総理の靖国参拝の目的は国内向けの煽りのようだ。これ以上中韓関係の悪化はないだろうとふみ、参拝することによって 抗議行動がまさしく 外敵現れ!の流を誇大にニュースで報道するだろうから。 受け手は 防衛しないとやられっぱ〜のような錯覚を受け 生み出す効果があるだろう。  さすれば自衛隊を国軍とする改憲が進めやすくなるし。国軍には死者は付きものだろうから、死んだ兵士を神として祀る受け皿がいる〜・・そのための道を付けやすくするための準備行為のような話もあるし・・情報操作が上手い小泉さんがおこした 改憲への準備行動だろ・・やりそうな手だ。

当然 つるかのごとくWEbに「中国軍が沖縄に侵攻」との 偽記事 事件が発生、混乱させようという輩が現れた・・ゲ〜。

● 夜明け前の真夜中・・・

槻橋修さんの仙台建築の体験記を書こうと思って、いろいろ考えたけど(こんな風に書くわりにはなんにも考えてない俺)・・分かったんだ・・けど◎◎にて ワカラン!の連続態・・という感じのタイトルに決めてから、それに沿って書いちゃうことにしよう!と、真夜中に思う。

決めたタイトル、叉は集約しちゃった言葉。「まだ来ぬ未来に 代案を出し続けようと身構えている 建築家の肩風に触れよ!」・・勿論これは俺の思いこみで現実とは異なるのだが異論があっても これにて書き切っちゃいいたい・・そんな気分の真夜中。・・夜が明けて 書き出し完成したら、全く違った中身でも、観客の皆様に(それほど居ないのに空元気を装う)おぉ付き合いくださいませ。、気に射らん場合は、もう一度 煎るか再度「いる建」を積み重ね続け 書き続けます ・・こんなこと書いて良いのかな・・・ワカラン


 10月18日 晴れのち曇り

この数日 隣の部屋で風邪引きの熊のごとき様で 数ヶ月、論文書きを続けていたmy長男は昨日の研究所での発表を終え 一段落したようで静かメデタシ 。今日はゲホゲホ咳をしBOX1寝込んでしまった。

建築評論家の故大島哲蔵さん直弟子の宮島照久さんはアメリカで修行中。夏休みしてたBlog再開。今期はヘルツオークの基にてカナリア諸島リサーチのようです。二回りぐらいたくましくなって帰国しそうじゃないジミー・・なんんて眺めている俺。大島さんもあちらから弟子の成長を見守っていることだろう

宮島さんが最初に世に出した建築は和歌山県内にある新宗教の教会でした。カンカン照りのなかmy妻と俺は高速道のPA寝泊まりしながら〜見学にいったのよ〜遠かったね・・旅の最後に大島さん実家に泊めて頂きました。神戸港の汽笛が聞こえるクーラーの効いた部屋で寝た〜あれがあの旅で一番幸せだった というmy妻・・・他の あのときの体験を 話 聞かせると、いつも笑われちゃうよ・・他人の悲劇は面白いって〜・・俺 あのときは夫だたのによ〜、妻は逃げ足早く、俺1人被害者だったんだぜ〜(被害内容は公開しません・・・笑)・・宮島さん〜

05日に見学・インタビューした槻橋修さん設計の建築の体験記を書くために準備をしてる。10+1やエディフィカーレなどに目を通したり・・サインをいただいていた、日付が2003年の8月6日になっている、既に2年経ったってことか〜。

 槻橋さん建築体験記の見出しを書いてみる、
 
 ● 建築家宣言(生研時代)
 ● 建築あそび「リバース・アーキテクチャ」
 ● エディフィカーレ
 ● 仙台にやって来た〜(フォトコラ講習会)
 ● 仙台建築(最初の建築)とインタビュー
 ● カタログ
 ● 平面と断面について
 ● スーパーフラットな世代 叉は
   豊穣になるぞ〜!建築の お宅化 

 ● マトメ

目次を書いただけで出来た気分になった()・・こりゃ体験記としては長すぎるな〜・・いろいろ思案 ・・槻橋さんの後ろ姿を見て暮らしてきた、浅草透さんに電話をし感想などを長々と聞いてみる・・なるほど・・俺の感想は外れておらかもんだぞ〜・・。書かずとも出来ちゃった〜・・気分(爆)

  10月17日 晴れ 

 真っ白なファックスが送られていて「誰だ〜・・不気味」と思っていたら、夕方電話があり、家具工場が送ったmy長男用机の図面見積書とわかる。「そうかそうか・・」発信者が分かってなんだか安心

高校入学時に買え与えたmy長男の組み立て式机は 十数年の間に4度程引っ越しで、バラバラユラユラし使い物にならず・・今年の春の5度目の引っ越しの時に粗大ゴミとして処分した。そのご机無し〜・・「博士号が取とれたんじゃない〜記念に机でも買ってやろう」と暴言を吐く俺笑うmy長女と妻。年収が無いのに机買うところじゃないでしょう〜・・でも、注文してしまう。 支払うのはmy長男だから()まいいでしょう、そういうことで 物事には切っ掛けを与えてやらないと ススマネーってこともあるのよ(笑)

my長女には十数年前の 葉・ブ〜ルな俺が注文したんで支払えた(笑)「この机は作ったことないすよ〜」と工場の人は言っていた。 作ったことないのになぜか カタログには載っているのだ〜(謎)・・で 多少アレンジし直して注文した。 5度引っ越してもガタは来ず。 十数年経ってようやく良い感じの木肌に成ってきている〜・・my長男は羨ましそうな 目でそやつを 眺めているもんで、一肌脱いだってわけ、金を払わないんじゃ〜一肌脱いだことにならないって

細部を調整し、材種と値決めをして発注すれば、1月後には届く。机の天版は外して修理出来るようにしてあるので、数十年後に修理に出せば 100年は使えるだろう。またしても、二度とその工場で作らないだろうような机を発注してしまいそう〜(爆)

オレンチには その工場で作った、磯崎さんや伊東さんのデザインの椅子が7本ほど あるんだけど・・これがめっぽう使い勝手がいいんだよ〜

営業に来てるOさんが「車に付いてるが、この机にはクーラー付いてな〜」って言われるって・・(笑)



  10月16日 晴れ 昨夜降っていた雨があがり快晴

県歴史資料館で開いている 年に一度の地域史講習会へ。今年のテーマは「峠を越える人々」。峠(境界)にまつわる意味の変遷など興味ぶかし。 県内に86ある峠の地図や写真代わりのカラー絵図が多数納められている資料を、資料館で働いている hちゃんに偶然会い いただく。ラッキー。参加するだけで資料をたくさんいただける。

峠とは別に「戦時下における福島県の文書」についての講演も興味深し。神社や村の回覧帖として破棄されずに残った戦時下の公文書や大政翼賛会福島支部のプロバガンダー用チラシもありました。中身の変遷も面白い

明治の古地図の資料集と 阿武隈川の船運に関する論文を二冊ほど買う。中身の濃さに比べて値段が超 安い・・・・お買い得 

配布された資料のなかに・・・大洗の幕末と明治の博物館では「国絵図の世界」という展覧会が23日まで開かれている江戸幕府によって作られた国絵図の数々や提灯のような地球儀は必見だな〜・・遠いな〜 茨城県が江戸時代に生んだ多数の地理学者の資料に触れるのもよいだろうな〜・・





  10月15日 曇り 庭の最後の無花果の実をつむ。柿の木は今年は不作年のようだ。紅葉が進み数日で落葉しそう。秋すすむ我が家の庭  

映画「ヒトラー」を観る。若い女性が多いので意外に思うも、ドイツ映画の大作で、組織や人間の終末期の行為や言動が渦巻く人間文様に焦点をあてた作り。俺好みではないな・・こういう映画は。 

小器用に立ち回る建築家(笑)シュペーアなどの脇役も多彩。、ヒトラー役であるブルーノ・ガンツの好演に人間ヒトラーを知ったような気分にさせられる点が難点。ヒトラーの終末を自殺と美しくえがくのは俺的には疑問。錯乱死または、首都抗戦の目の前の現実を認めぬヒトラーに手を焼い たエバが毒殺・・哀願して射殺してもらう・・なんていう筋書きがよいのではと思った。

最後の秘書であり終末期の目撃者の1人でもあるトラウドゥル ユンゲは 2002年 ベルリン映画祭で彼女自身の告白を綴ったドキュメタリー「Blind Spot、Hitler’s Secretary」が上映された翌日死亡したそう。 政治などの関する歴史的映画が マジに作られるようになるのは関係者のほとんどが死亡しないと 作れないだろうな〜とも思う。

 03日の日記「健全な肉体に狂気はやどる」の精神的に健康である4の条件に照らしてみるに、ヒトラーや側近そして帝国や世界が 精神的に病だった 
●自分を客観的に眺められる能力
●事物を保留(ペンデング)しておける能力
●秘密を持てる能力
●事物には別解があり得ると考える柔軟性

それらの行為はなぜ発生したのかどのように崩壊していくのかは描かれていなかった。

がもっと残念なのは、病の源を突き詰めるべく、病の人から聞き取ったり、その記録つくりして 人間の負の宝として保存公開せず、自殺や死刑にして処置した 人間の過去であるように思う 。勝てば官軍ですませば、それらの 歴史に照らすと 世界的な馬鹿丸出しの政治家だよ あんたって ことになるね これからは。

ショアーだったかな・・ユダヤ人被害者のドキメント映画が山形で上映された事を思いだしてもいた。戦争加害者・被害者からのおおくの思いが他者に向かって表現されるのはよいことだ。

原作 ヨアヒム・フェスト「ダウンフォール:ヒトラーの地下要塞における第三帝国 最期の日々」 と トラウドゥル・ユンゲ&メリッサ・ミュラー「最後の時間までヒトラー最後の秘書」を元に 脚本をベルント・アイヒンガー 監督:オリバー・ヒルシュビーゲル




  10月14日 晴れ 昼からコオロギが鳴いているよ・・・秋だね〜

藤村龍至・ベラジュンさんから共同住宅の見学案内が来た。下町に大きな共同住宅を完成させたそうだ。メデタシ。まだ二人とも30才になっていないと思う。ギリギリ成っているかな。さっそくいる建(インタビュー)しようと思ったが、あたりまえだが時間の調整が出来そうもないようだ・・調整中 。

槻橋修さん住宅のいる建 記録は校正中だ・・記録はキチンと整理して公開できるようにするが それを本当に公開するのか〜どうか・・いまだに迷っている。説明をしにくいなこの気分。 体験記を公開するかどうかも迷う・・あの気分に似ている・・説明しにくいこの気分。

藤村+ベラ建築を いる建し記録を作っても公開したい気分になるかどうか分からない。でもピカピカ建築出来たてを訪ねて、そのときの気配を定着させた記録は作っておいたほうが良いことは確か・・ってことは分かっている・・・それに建築が出来たから見に来いなんていう知らせは ほとんど来ないのだからね・・

●昨夜 絵の「展覧をしているからみにきてyo 」 と電話があった。「・画家なの・画家になるの」「じゃない」「行かない」と応えた・・アマチュア気分で描いている絵ね・・絵の善し悪しって 作家として立つかどうか という気分と関係ないんだけど・・あまたある絵描きの社会。作家気分を持った人の絵えじゃないと寂しいな〜・・。


●以下めも文

朝日福島版で「まちづくり私論」の連載があったけど今日で終わった。最後は消費者の代表のような方が登場して て面白かった。

今回の連載は まちづくり・・・・は主に経済的な側面から捉えての語り口が多かった。福大の先生の風呂敷がやや大きいかったかな。 日本が目指しているのはアメリカ型社会だと思うが、条例はヨーロッパ的がた社会民主的を目指した処方なのだそうだ・・たぶん破綻するだろう・・ アメリカ型を目指している国・・ヨーロッパ的を目指す地方。どちらも、既に財政赤字で破綻しているのだとおもう。財政赤字が酷いものだ・・なにやってもドンドン赤字が増えるばかり〜

イルを増やすことはあまり論じられていない・・出るのを誰が分捕るか〜って話がおおい。言い方かえれば この町(国)では何によって住民(国民)を食わせるのか〜 地方(国)でも論じられることがない。民間まかせってことなんだろう・・

民間まかせ・・経済的な物流に任せるのは歴史をみると危険なんだって思うけどな・・。福島の街は地元の人が活発にしてきたわけではない・・いわゆる近江商人達が移入して出来た町。城米を船ではこびノコギリ商いで肥料や三都の文物を持ち込み商ったってことだ。商いに限って規制するってのは・・ 近江商人的な人の移入移出を押さえる・・これは歴史に逆らい矛盾した規制だろう・・外資を活用して町を賑わわせた 近世の先人は賢い と俺は思う。大規模店の資本を活用して、町の資本を整備し続けるようなしたたかさが必用でしょう。

この地には端から 生産力はあってもそれを経済行為に変換するような 経済力は無かったのだ。商人達が去れば、元の荒野に戻すのが本来的だと俺は思うな〜元の荒野は不幸なのか・・荒野に戻せば 財政赤字は返せない・・・こんなことは何十年も前から分かっていたことだろうにジャンジャン使うからジャンジャン増える赤字・・・・改革無くして成長無しのオジサンはこの間250兆円ほど赤字を増やしているけど大人気〜(爆笑) 人気さえあれば・・あとは地獄だろうが増税拷問だろうが・・なんでも 賑わっていれば いいかのようだ・イベント屋国家イベント屋地方行政って住人や国民は 望んでいるかもしれない・・・メディアが機能してないのかな・・





 10月13日 晴れ

05日から連続で 県知事が大型店の出店を規制する条例を提案すると周辺の記事が新聞に載っていた。面白そ〜とおもっていたが 今日県議会で可決しちゃったそうだ。WEB朝日に載っていた。 なんだって早いんだな〜・・

もう一寸ワイワイして揉んでからでも遅くはないだろうに。町づくりをいろいろを皆で論じるには良い機会を提供したな〜と思っていたのに・・早過ぎんじゃないかな・・。

充分今でも空洞化しチャってんだから急ぐこともないとおもうな〜・・・中心市街地の空洞化に歯止めをかけるために来年の10月1日から施行されるそうだ。6000u以上の大型店の出店には、意見を聞き計画の見直しも出来る内容だそうだ。勿論、小売業界は、営業の自由を定めた憲法22条1項に違反しているのではないかと反発しているようだった。

そもそも生活している俺様が思う 「町づくり」ってのは 大型店の出店を規制し 空洞化に歯止めを掛ければ 可能になるこってことでもないよね〜と俺は思う。

以下俺が住んでいる街のことだ

歴史的な視線でみれば、第一次世界 終戦時に福島の街は最盛期を迎えその後は衰退の一途を辿っているのは誰でも知っていることだ。一次大戦時は、戦争がヨーロッパで行われアメリカは軍事景気に湧いた。軍事景気に湧いたアメリカに福島の地から産出された生糸製品が一気に流れた。生糸の集散地であった福島の街は大にぎわいになった。なんてことは誰でも知っていることだ。化繊ができ生糸が無用になりだし衰えて行ったわけだ。

次に68年に世界中でおきた大學生による学生運動は 中心市街地にあった福島大学と医大で、もモリモリもりあがって、町中の人人は学生を持てあましたんで・・山の中に追いやった。ように見えた当時の俺。 70年チョイ後・・学生や患者などを追いだしたのでますます空洞化して現在に至っている。いまさら学生さんたち町に戻ってきてってもな〜・・無茶ってもんでしょう〜 大學の跡に美術館や図書館や中学高校作ってしもて〜・・大学生が呑んでも山中の学校傍の家に帰るのに金掛かりすぎするだろうから 町に出てこないよな〜

俺の現況だけど・・ネット情報と宅配が発達してしまうと、生鮮食料品以外の品物は身近な町では買わないね。ネツトが無いときは通販だった・・20年間ほとんどそんな感じ・・こんな人は多いんじゃないかな・・ネットでや通販で買った 同じ品物が何割もグーント安くなるなんて事になれば話は別だが・・無理でしょう。価格コム以下にはならないでしょう・・どんな店でもね・・で 大型店が出店して来ても採算採れるの〜って気もするが。商売の事はわからないな〜・・俺 的には 言えるのは 豊富な品ぞろいの店があるから この町いいね〜なんてことは絶対にないな。上京しても品物買わないよ俺は・・物買いに東京に行かないな俺。

良い町って品ぞろいえが豊富ってことじゃないよ。良い感じの人が暮らして居たり、そこに行けば必ず 楽しいげな 友達がワイワイして仲間にはいれる店があるとか・・…毎日 建築あそびのようなワイワイ談義などを 町中でやっているか〜 どうかって気もするな〜・・店ってな〜・・人と一体だし・・・・

これを機会にワイワイ町づくりって話題が出来る場を作って、何年も 意見をストックして・・そういう根気のある人と場所があってな〜ようやく成るんでしょうね・・物流を芯に据えた考えの町つくりは 必ず衰退するってのは歴史が教えてることだと思うな〜・・人だって移っていくんだよ。

人が定住してる〜って考えるのが可笑しいよ・・車でジャンジャン人が動く車社会をどうすんねん・・・てことも棚上げしてもな〜・・コンパクトシティーもないよな〜

日本はアメリカ型 車と競争社会を目指し国作りを 推し進めているのだから・・せめてニューオリンズの被災民のようにならないように、住んでる自分が考えるしか既にないように思ったりもするな〜・・空洞化しても俺はこの町で充分楽しく生きる方法を 知っているので・…好きに押しってかんじもあるな〜。デカイ店が出来ても買いにいかないよ俺は・・銭もないけど〜(笑)・・

今日は机を 工場の方とワイワイし直注文の準備しちゃた〜な〜・・直工場と取引できんだよな〜・・だれが町中の家具屋になんか頼むもんかいな〜 ・・難し過ぎる町づくりってのは〜・・ジックリ考えるしかないな〜風景も果物も温泉も人とも充分の楽しんで暮らしているしね・・人の居ない静かさだって楽しんでいるしな〜 俺。この町を何とかして欲しいと あんまりおもわんねんだよな〜・・税金集めてなんとかイジしなければ行けない人おおいだろうし・・小泉党って地方に税金まわさね〜って党だし どうするっていわれても・・おれ浮遊・遊興 して楽しく生きるよ〜ガキのころから 思っていたようにおもうんだなし・・

町づくりって 定住者が考える 思考だよね 県単位とかで考えないで日 本全体で役割分担しつつ 流動させるテクを身につけてって ほううが効率いいじゃないのかな〜WEBやネット時代ジャンね〜・・インフラ維持するてこともあるしな〜 いや難しな〜



 10月12日 雲がおおい晴れ

仙台に完成した槻橋修さん建築を「いる建」(09日記参照)し、WEB頁が完成したので、校正依頼をする。ざ〜っと目をとおしたんかな〜槻橋さんから セキララ〜ラ・・ブッチャ毛〜・・どんな毛・・なんていう反応があった()。

たしかに事前打ち合わせもなく、いきなりダベリッパ記録だったからね。何が飛び出してくるやら〜の即興の恐ろしさ〜が・・発せら文字化された記録に出てんだけど・・・・結果 笑えて恥・・セキララってのは互いのキャラに起因するのか〜()もしれない。

これを全て公開するなんてもったいないな〜・・見せてヤンネー。必用もないな・・と今思っているわけだ。・・公開してない体験記や建築あそび記録をふやすだけだなも

しかし・・記録の中に残された その危うさがどちらかに転んでも・・・これからの建築家がつくる 住宅という現象が進展するんだ〜しな・・。起点を設けた方が俺にとってはいい。公開せずとも出来るはなしだが。

建築家が作りだす住宅の・・情報を共有して楽しみを増殖させる。情報の再生産にむかい・・楽しみ方を増殖させる・小泉流に・・・公開なくして 増殖なし 建築家住宅のお宅的進展(爆)に力を注ぐのはいいよね。はたまた従来の一方通行のままデザイン住宅建築のまんまで放り出しておこ〜・・・そんなことは俺の私的な(エロ鋳)楽しみの問題なんだからどうでもいいな・・

ま・・建築家の処女作に立ち会って のぞき見オヤジ〜 しちゃうって・・なんだか・・俺的たのしみ〜って感じがして、もえ (爆) なんとね〜 エロイよ・・

そいうネタをかき集めて 専門雑誌にして、売って喰らって生きていくって、テぇー編な 鼻血なんだね・・私的楽しみにしておく分には・もえ・・でいい・・・あぁやっぱりお宅入ってきてる〜俺・・物から離れて もえ もえ化 は俺様に危険だ〜 (笑い)



  10月11日 曇りのち小雨

昨日 近隣の町に写真家菅野ぱんださんが来てワークショップをしたはずた。10日のそのワークショップに参加し、菅野さんの著書である「1/41−同級生を巡る旅」(2003年3月6日情報センター発行)にサインをしていただこうと〜と思っていたが 本が届かないので 参加しなかった。縁があれば何時かサインしていただけるだろう。

売り子さんによると「10〜14日ほどで」充分間に合うな〜と思わせるような返答だった。が、1日遅れて 今日の午後その本は届いた。

 読んでみた。小学校の同級生40人を訪ねながら 写真家の立つ位置 を確認する話だった。 写真家の宿命である「時の移ろい」との格闘を 同級生に焦点を当てることによって確認していた。 「移ろう時こそが」写真家を鍛えやがて 写真家に強みを与える写真力のであることを 確認する内容であった。 

写真家は名文家が多い!そういった片鱗をもみせている。今後の活躍を期待しましょう。まだ初版本が売り切れていないようです。地元や県北地方の方々は一「家に一冊! ぱんだ本を備えましょう〜」・・笑・



  10月10日 晴れのち曇り

 槻橋修さんの仙台建築を「いる建」した 記録WEBページの文字整理をする1日 。BOX5より恒例のホームコンサートの案内をいただく。1年経ったのかね。 


  10月09日 曇りのち小雨 

インタビューの言葉の数々をWEBページにし、公開するときに名称を付けようと思い、いろいろ遊んでいた。で、インタビューもしちゃて建築を体験して作った記録をなんて呼ぼうかな〜・・・・・・・「いる建」(いるけん)・・・と呼ぶ ・・いいかも・・決〜めた

今日は 良い天気だ〜 槻橋修さん仙台建築にぃ〜・・「いる建 〜!という含蓄わかるかな〜・・まぁ オタク的快楽 いいぜ〜。これでネタ元ネタ多数 を もて もて 楽しむってことにしますよ〜(笑)・・。

 toshi chan の 「  いる 」 なんだ 集合ネットリ系〜 か  (笑)

いる・・・入る−外部から限られた範囲のなかへ移動する
          なななかインタビュー的・・インタコース的 
        − ある状態に達する
          名人芸〜
        −特定の環境の中に進んで身を置く
          積極的な行為なんだな
     要る− なくてはならない
           そうだそうだ
     煎る− 水気がなくなるまで煮詰める
           爆しょう  で美味しくなる〜
     い・る−酸っぱいものを食べて歯が浮く
          よくあるよくある
     沃  −注ぐ
           よいことです
    居る−うごかないで存在する。とどまる。いあわせる。出来てそこにある
     射る−弓につがえて矢を放つ・鋭くあたる
     率−連れて行く。ひきいる。身につけて行く
     鋳る−金属を溶かして鋳型に流し込み、固め器物をつくる

  多様な意味があるし・・・「いる建」 は 。で終わりって気分も漂うし〜決めた。 

 10月08日 曇り 

建築家・槻橋修さんのインタビュー内容を文字化し終える。大まかに言葉を整理する一日。

簡単な案内図と立面図。グーグル地図であたりを想像し バスに揺られて お目当ての土地をウロウロ。おぉこれか〜と捜しだし出両者に 会う!。出来たての建築を、さーっと5分ぐらいで体験し 乱暴かな〜・・その場で設計者にカメラを向けてインタビューするって!!・大胆すぎたんじゃないのか〜・・と今になって思っちゃうけど。・俺って言葉が発酵食品みたいに、漬け置いてあとで出て来た方が良いタイプなのにな〜

そういう 体験を初めてしてみた(笑)。インタビューも その場での即興だし・・とんちんかんな感想なろ言いつつだ ね〜。切っ掛けを無理矢理でも捜し起こして、対話を始めなければならないし〜・・だれも頼んでネー・・のに(笑) どちらも初めて。

何言い出すだの〜かな〜の連発なんだけど、その時しか言い出せない、即興の味〜と 恥 を 晒すの〜・・いいかもしれないな〜・・何事もやってみます〜ご迷惑かけます〜 (爆) 

 明日は 校正ようWEBページ化するぞ〜(笑)

 10月07日 晴れ

朝から槻橋修さんの建築訪ねて 隠田 ビューを 文字にしているけど、お前も俺もいつまで楽しく喋っているだ〜そんな場合じゃないんだろ〜けど、喋っている・・気持ちいいので、再現が無い。連休初日なんだけど飲みに行く暇がなくなるから、今日は8〜10時間かもしれない文字興しヤマメ増す・・みんな連休楽しくすごせよ〜俺は文字起こしだぜ〜爆



 10月06日 曇りだったかな  昨日撮ってきた槻橋修さん住宅の現像ができたので、ネガスキャンしてデータにする。主に内部40〜20カットほど。
 ツキハシさん建築内部 はどうなっていたの〜の問いがあったので・・

       
       
        

  建物に入り最初の・・玄関のような場所 と南東より見た外観
   その他の写真は 体験記やフォトコラ にて・・


  10月05日 曇り 

昨日の最終高速バスで仙台へ。事故があったとかで40分ほど待たされ、仙台部屋に入ったのは11時・・ 前後。宅配などの雑事をませ寝床に入ると、隣部屋が賑やか。むぅ・・で、PM2時すぎまで男達がゲラゲラ笑いつづけていた。町中の共同住宅は町の騒音もあるし こちらが案外やつかいだ〜 の、近接してる部屋音もあり 騒がしい・この騒音達があってこそ 街に住むっていうことだと思う。 けど、真夜中は少し調整し遊んでほしいかな・・まどちらでもよい

東向きの仙台部屋は朝からカンカン照りで目覚め早過ぎちゃうのでありました。のんびり本など読んでいたら、8時過ぎたので部屋を出て 「槻橋修さんの最初の建築を見る!」には絶好のお天気。仙台駅前の バスプール11番乗り場、緑ヶ丘 行きバスに乗るまで 1時間も経っていた・・どこらに乗ったらいいやら、時刻が分からないやらで 案内所で訪ねたりしてたら、大學病院傍の仙台部屋を出てから 一時間。予想外の時間経過に慌てるも、AM9時代は2本しか 無いバスにどっとのり、目指すは槻橋建築へ・・ピナピカ〜ン・・の空にいる

緑ヶ丘あたりは・・八木山あたりのダラダラと小高い山の 天辺続きのその天辺が終点。住宅地に突然 終点・・、ま〜・・こんな終点体験したことがない。いきなり住宅造成地に放り出された感じで、新鮮です。住宅がとてもとても 密集しています。 近世期にはこのダラダラ高い山は自然の要塞として機能し仙台城をガードしてたのです、現在は 仙台周辺から人・物が集まり・・てーんこ盛り盛り集まりすぎ〜〜天然要塞は住宅等の段々ひな壇地と化してしまってましたす。 

ひな壇を転げ落ちて行くと、ころころと心地よい・・心地よい案配に槻橋修さん最初の建築に転がり込むことが出来ます〜・・ 「これが、実作建築なしにも関わらず・・建築家と自称していた 人間の〜 最初の建築なのであるか〜」と感慨え深いコロ・コロ ころ ころ の心でありました。

槻橋修さんは大學の先生でもあるので、超忙しい方なのです。遊び人俺とは人種が異なる訳です。しかしま〜、ダメ元でインタビュー用ビデオを持参したのですが・・ラッキーなことに、延々1時間半以上話を聞かせていただきました。端からの30〜40分程は不手際で記録されて無いんですが・・途中からの話を記録することができ・・・、あの場で、あの時だから生また 言葉もタンマリと有る・・かもしれません・・と思います〜・・文字化しWEBアップします・・ライブ感で〜せる・・といいな〜。

写真も何枚かオオザッパに 撮っらせて頂きました。フォトコラ作るほどには撮ることが出来なかったので再度撮影する予定。 遊び人オヤジの俺としても あちらも こちらも の 何役もこなすのは端から無理な 暇はあるけど 実力がない、器量がないので・・ムリムリ役なのですが・・、よい話を伝えられるよう、つとめます〜・・で 3時間チョイ槻橋修さんにお付き合いいだだき 久しぶりに建築の話をしたような・・地球がちょいとかわってみえるな〜 の お久し体験をすることができました
 
 建築っていいね〜・・お前は馬鹿か・・はいそうです・・こんな風に取りあえず書いておいて、詳しいことは体験記やインタビュー記事にし 公開したいと思いましたす。




10月03日 快晴 夕方 の空に 羊雲多し 

 my長女より、電動歯ブラシと 本「健全なる肉体に狂気は宿る」(副題−生きづらさの正体)が宅配便で送られてきた。

50を過ぎ、オヤジになってこの方、口の中や歯を磨き 口健康を保ち暮らす、努力をしないと、近隣迷惑だろうと思うよ・・ 食事毎に 口をすすぎ 歯を磨き口を ゆすいでいる 。あるとき・・酒呑み途中で歯ブラシでゴシゴシ磨き過ぎ歯茎を傷つけ、呑んでる間に熱を出しグッタリし 世界がボンヤリしたこともあるんで・・ 歯の磨き方をアレコレ研究しないとな〜・・

歯磨き粉は口がスッキリした気分には成るのだが、磨くことに役立ってはいない ことなど知るにつけ、磨き方に興味が湧いて電動歯ブラシな〜

 そんな話をすると「電動歯ブラシがいいよ」とmy長男・長女が言う。メーカーも色々あり過ぎてワカラン、でmy長女に頼むこと 半年・・(笑い)ようやく手に入り早速使う・・家電製品に比べ きわめて 小振り。口のなかで回転よろしい〜であります〜。女性や子供ようはモット小さくてもいいじゃないの〜電動歯ブラシ・・早速ぴか〜ンキンラ〜キラ・・(笑)・・歯が白くなる訳ではないよ(笑)


血縁友縁をとわず 俺の人生の廻りには いつも「狂気ついている人間が居た」・・狂気血統とでも言ったらいいかな〜野鳥狂わないのはなぜ・・人間だから狂った(笑い)・・で精神疾患の人には興味がありったり、呼び寄せたり(爆)しているので 、my長女とはその当たりを 相当時間ぺらぺらしていた・・・

俺と同世代の神経科部長さんと仏文学者の対談集を見付けたようで送ってきた。
精神を病む」ってどんな状態なの・・
p227 
その人にとって、事物の優先順位常識良識から大きく逸脱しているとき

精神的に健康である4の条件
p224
● 自分を客観的に眺められる能力
●事物を保留(ペンデング)しておける能力
●秘密を持てる能力
●事物には別解があり得ると考える柔軟性

以上引用 。

 精神疾患者の居る家族には、事物を保留しておける能力・・が肝要・・・自覚的にこれを持っている人少なしでドンドン悪化させる・・これはとても得難い能力だよ〜解決しないと人はイライラする らしい・・なにか目的に向かって生きるのに慣れすぎている 解決人間、事物処理人間 になっているからね〜

p230
エネルギー保存の法則と同じように心の嫌な部分というのはトータルに不変であるそれが個体間を激しく移動するだけなのかもしれない家族の病理が核家族において濃縮されがちなのも、結局は似たような事象に基づいているからなのかもしれない。・・以上引用

地球に捨てられた水銀が魚介類で濃縮され 食物として摂取 人間の体内で猛威をふるったように 核家族間では毒精神が濃縮し 続ける〜っていう・・家族間濃縮・・の見解はただしいな〜 著者に 深く同意します・・・・◎◎の判断を保留し 観察し 付き合え続けることができますか〜 これって簡単なようで とても 難し実践なんだ・・と 


 10月02日 南から生暖かい空気が吹き込まれて秋らしくなかった

この頃 人生に5月病が有ってもいいだろう・・(笑)と 決め込み、町を観察ついでに 2〜3日呑んで歩いてみた・・だが・・すっかり嫌になってしまった。この町で飲み歩く暇と金があったら旅行にでよう・・・

 以前 俺が知っている町の様子とはかなり異なってしまっている 気配が違うぞ〜・・・何んの事って、 小泉さんの語る 自由至上主義を目指す社会のなかで、田舎は極度に人間関係がボロボロになってしまったようだな〜・・まだまだすさびそう・・な感じである。 仕事はあっても 勝ち負けがハッキリしてしまい 誰にでも分かるように成ってきていて、そこで 極度に余裕が無くなって来ているような感じ・・・ 

呑んみながら 話していても 楽しくない、楽しく成らないので あるな〜 社会だって五月病 なんだな そんな病は俺には治療する術がないので 放置するか 、去か・・が 一番いい治療方!


こちらの病も 秋になって 進むな〜・・ラブラブ 大坂 サポーターちゃんは この頃ホンマ超ハイ・・でじっとしていられない、眠れない・・様子が 毎日多量に送られて来る写真デターから 察することができる。 辛いだろうな〜・・

サポーターチャンは自分が病であることを以前から自覚していたが、他人に語ることは無かったようだ。しかし俺パパが同様な病だったので、俺はそちらの感が働いちゃい 知ってしまった。後 いろいろ話を聞いては いる。やはり・・病への切っ掛けが俺パパと 似ているな〜 しかし症状は 当たり前だが、極端に異なる

同じ病でも症状に個体差が出ている訳で、これを分かりやすく説明するのは難しい。で省略・・昨夜 長電話を聞いていて、その全体が分かった。これは解決できそうだと・・思うのだが とても時間が掛かる。それに 解決方法はとても複雑だからな〜・・・だれが・・する 家族がするのが一番いいわけだ が、病の原因も叉 家族なんだよな〜・・困難なんだ・・な〜 人間の根幹を作りだしのが家族関係だって ことなんだけど、根幹が生まれてこの方ズーット揺らいで 結像する時が失われた んだよな〜 んで、苦しんじゃうんだよな〜 

秋の夜長に病を聞き