2004年01月の日記            HOMEへ
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 1月31日  晴れのち鉛色の空になったので今夜から雪がちらつくかもしれない

久しぶりにフォトコラ作業準備・・・昨日県の営繕課から、いただいた写真データでフォトコラを作る作業をする。自動で回し眺めたいので旧バージョンにて作りたいと・・PC内のフォルダからコピーして使っい出すと、エラーが出てプッンしたりして驚くのだが・・・PCソフトの操作を忘れることが多いので気楽に作業をつづけると、PCもこちらの呼吸を理解できたかのようになり・・スムーズに動くいたりしてね・・。

旧バージョンは作業性は新バージョンより劣るが、マニアルリストで細かな貼りつけ微調整ができるので、一度あの画像・・世界をクリクチュと動かして調整する感覚を味わうと、その魅力からなかなか離れられないものです・・

他者の撮影した写真画像を加工して小さなデータ量の写真にしてしまうので、気がひける。今回は設計事務所から県に提出された写真・・なんだか力が入りすぎていて、疲れる写真がおおいので、ますます引き気味と・・気がひけるが重ね合わさり・・フォトコラにおける良い写真データと印刷媒体用や写真として見せるための良い写真との違いを想うよなー・・

やはり自分で建物を理解してシナリオつくって、撮影してみて、再度シナリオを作り直しての繰り返しでフォトコラを作るのが一番いいかもしれない。

他者がつなぐ場合は、編集が大胆になると想われるので、冗長ななりそうフォトコラを回避できる良さはある・・。


 1月30日 晴れ 

久しぶりにCADを使って改修の図面など書いて・・使い方を忘れて・・て可笑しかった・・が何とか 思いだして必要な図面を書いてしまったので・・

昨夜は退院からおおよそ1月になった、myサポータMさんの様子を見にでかけワイワイしてきた。アポの電話では泣いてばかりいたのだが、会ってみると思ったより元気そうで、しかも明るかった。すこし気が楽になる。なんども私の人間旅費になっていただき、日本の各地を珍道中して、これからもマスマス full・chin道中をしようジャンと語りあっていた矢先の入院だったので、ガックリしたいたのだが・・快復はおもったより早そうで、サポータ復活も間近〜・・と勝手に思う(笑い)

今日はサポータMさんの仕事場BOX12を久しぶりに訪ねる。新しい社員の方やパートで手伝いに来ている方など、皆さん明るく、商売繁盛しそうで何より。春の日射しサンサント差し込むなかで年末の建築あそびの話などをネタに歓談・・相変わらず気持ちが良いBOX12・・・職場となっていて嬉しい。


午後 原稿を書きはじめるため、県内建築事情調査!・・県庁内の営繕課の鈴木勝巳さんを訪ねて、いろいろお教えていただく。親切な受け応えや楽しい会話・明るい性格など天こ盛りの成果・・資料などをいただきまして、鈴木さんありがとうございました。

私を鈴木さんに知らせるが案外難しい・・自己紹介に時間を費やしてしまったようで、取材のほうはいまいち・・オイラは新聞記者じゃないから許してももらうしかない(笑い)・・自分の話ばかりしていたかも・・・・建築あそびや多次元フォトコラージュの事などをザット説明させていだたきましたよ〜・・笑っていただきましたよ・・。建築あそびの解説は花田達朗さんの紹介文を読んでただく方がわかりやすいね・・。

原広司さんが会津で中高一貫教育の学校の設計者に選定されて・・なんとラッキー・・私が撮った原広司さんの自邸フォトコラ・建築文化2002年6月号 NO659 を持参していたので、その場でPCをお借りしてフォトコラを眺め・・大盛り上がり、(?!)・・で・・営繕課であつかった過去の建築作品の中から数点を選んで「フォトコラを作るぞー・・」と鈴木さんや同僚の方とまたまた盛り上がりすぎかな〜・・!?・すこしデータを頂きまして・・おお・・面白い・・・私は何をしに行ったんだ・・相変わらずのドジブリに我ながら呆れましたが、人生は他者との出会いが大切なのね・・・・建築あそびの主眼でもある他者との交流・交通も果たせましたよ。取材よりそちらの方が楽しいね・鈴木さんに協力していただき福島県の公共建築フォトコラ・アーカイブを作ちゃうかもよ・・・。


 1月28日 曇りぞらだが明るく風ぜも少し出てきたか・・家の中のシャコ葉サボテンの花が満開.。4年咲き続けてるシクラメンは小さくて真っ赤な花びらをひっくり返して咲き始めた。

久しぶりに角館木匠塾の掲示板を覗いたら、今年の夏のイベントに対して角館町から、たぶん40万円ほどだったと思ったが、予算を確保できないと連絡があったようで、対応を検討し始めたみたいだ。町村合併問題や財政緊縮のあおりなのか・・。継続するための方法は多数考えられるが学生さん達はどのように対処するのだろうか。とても良い感じで勉強・体験・学生の交流が出来ていたのに消えてはもったいないなー・・自前でもやろうーという元気が出てくれば面白そうだが・・・。


数ヶ月まえに20年ぐらい温泉場で町おこしをしている方の話を聞いていたら、補助金のマイナス作用をいろいろ教えてくれた。おおかたの問題点は使い道に制限があるらしい。その銭さえカットされると、途端に無力感が関係者に蔓延しマスマス暗くなる。補助金たより乞食町おこしはどうもイカンななー・・当たり前だろうと思うが・・自分の実力を知る機会を失うと同時に、銭を頂けなくなると途端に元気も無くなる・・笑い・・本物の乞食より精神は弱くなってしまうようだね・・補助金とて国家予算の多くは国債・・笑える・・見せかけの元気ってやつだな・・補助金をつかっての町おこしに付いてくるダニのような輩なの話もあった・・町おこしも可笑しい

江戸期の米以外税なし でおおいに換金作物の生産に励んで身分・所得を超えた交流が・俳句結社のような場が方々にあって、活発だったと杉さんという歴史研究家に教えて頂いたが参考になるかも

下の数字をみると この中で生きていてショボイ根性だとしたら、永遠にショボイ民族になちちゃう・・んだね・・


メモ: GDP=総生産は、原材料費等中間投入分を除いた付加価値の総額

日本・1983年286兆2782億円 ・2000年10月(暫定)513兆2094億円山頂年々下がり気味・ 東京 85兆4299億円 (1位) 大阪40兆9727(2位) 愛知33兆7254(3位)・・・福島県7兆9349億円(18位)・・鳥取2兆円(47位)

GDP(10億ドル)         一人当たり (ドル)
1  アメリカ 10,446.3 1     ルクセンブルグ 46,722
2  日本   3,983.5 2     ノルウェー 42,234
3  ドイツ  1,988.9 3     スイス 37,385
4  イギリス 1,566.1 4     アメリカ 35,893
5  フランス 1,434.1 5     デンマーク 32,366
6  イタリア 1,185.9 6     日本 31,277



 1月27日 鉛色の空が東の方へ移動しているなか飛行機が唸っている 仕事場10℃

年末のコンサートと建築あそびのアレコレから丁度1ヶ月が経った。その後おおよそのことは処理したが、冬だから当然やって来た寒波に負け、雪に負け高速バスで上京に尻込みして植田さんの展覧会に出掛けず、悔いが残っている・・こういう時は自分の決断力のなさをタナに上げて、貧乏に足を引っ張られたかんじねーと誤魔化している。

あのとき退院して1月のサポータMちゃんの周辺はオバタリアンが集結して、よくある・・他人の不幸に乗しオバタリアン自身の存在を主張し、病気人にさえも・・認めさせる例の手 の競争。本人も「生涯現役よ・・」と言っていたのだが、真っ赤な嘘だった。概ね病は治ったから退院させらた。居座ろうとしてたのだが退院させられたのだ。そのご現役復帰への行動開始かな〜・・・と思っていたらマスマス病人になりすましているようだ。生い立ちを聞いて現役話は調子にのって吐いた嘘だと気づいていたものの・・・・亭主と永年築き上げた時空の中で生を全うすればいい女なのにな〜・・親切な仲間(悪魔)に囲まれ自らチャンスを放棄してオバタリアンに変身しちゃったようだ。


中学生が再婚同士の親に虐待され意識不明の重体だという記事が朝刊に載っていた。同棲同士のどちらも連れ子があったらしく、女の連れ子を可愛がり、男の連れ子を虐待していたらしい・・女の遺伝子って強烈に強力なのね?!・・他の女の遺伝子を抹殺しよう!!・・と無意識行動 出来ているんだなー・・ヒョエ〜!・・動物の行為としては正常!血縁大好き女は動物として正しいが人間には遠い・・・オバタリアンの元なのだろうか・・生後の人間への教育の効果はまった 発揮されなくて、人間社会はガックリ・・・と気を落す・・厚生大臣だの文部大臣だのがもそもそ言い訳してる

悪魔女はいつも親切を装っているとは知っているが、人助けを隠れ蓑に自己の欲望を満たしている悪女は見抜きやすい。きょうは「いい女」についてあれこれ考えるにはもってこいのドンヨリとした鉛色の空 ・オジサンはこの頃ますます・いい女に出会いた!!・・という妄想が大きくなっている・・どりょくしなくっちゃー


 1月26日 晴れ 仕事場12℃

雪解けの4号線を車で走っていると、大きな貨物トラックに追い越され、フロントガラスにドドデダドーと泥シャーベットが舞い降りて来て、目に前がみえなくなる・・何がなんだかわからないけんど 車は進んでしまうので恐い・・ワイパー一掻きで処理できず唸る・・ワイパーのように こちらも唸り動揺する・・数秒・・機械任せに進んでるようなとき外力で目の前が見えなくなるは驚くよより心臓に負担がかかるね

先週末封切られたシービスケットという映画は チビで気が荒いハムになりかけてる競走馬が主役。ハム前馬にポンコツ騎手見習いとイカレタ調教師と不幸を抱えてる馬主のポンコツトリオが乗っかりとても長い映画。動物モノは作りがヘタでも見れてしまう。馬の駆けっこ競争シーンは迫力満点。だがフロントガラスに大量のシャーベットを浴びていた事が禍して、良くできた画像をニヤニヤしながら見てしまった。都合良く見たい人間様とCG画像の可笑しさを満喫・・ハム前馬・・良いケツしって末世〜・・ 

重馬場で後方から差して行く場合の映像だが 騎手・馬はゴーグル馬体とも、雪道で追い抜かれたオイラのように泥まみれになるだろう・・ハズであるが 映画では勝負服も馬もキレーイなのね・・泥だらけでは困るらしい・・感動だけを抽出し演出しなきゃ映画にならない らしい。何を捨てて作るのか・・其処が映画作りの・・編集や脚本作りの面白さと。

ハルウララという地方競走馬は100連敗中らしく話題を提供していて、日本一のジョッキーが騎乗するらしいが、シービスケットの関係者はポンコツ集団であったから、映画を作った奴らは世間様より一枚上手・・ポンコツが溢れてる地上では懲りすぎね・・とも言うかな・・


 1月25日 晴れ。屋根から雪解け水がしたたり落ちて白い筋が見える。数日続いた寒さを忘れさせるように春の日射しに水滴がキラキリ光っている。

ラジオで日記やweb日記の話をしている。作家の日記は誰かに見られることを前提に書いているが 素人はそうじゃないという人もいて、何処まで本当の自分を晒すことが出来るのか・・ってことが評価の基準になっているようなのだ。web日記を続けているゲストも参加してて、誰かが見ることを前提に書いているそうだ。観客ね・・・いるかそんなの・・。

 晒すとか・・自己認識ったって・・正確に自分を書き表せないよな・・私は・・嘘だろうが本当の自分だ と思おうが・・毎日揺らいでしまって・・どうも本当の自分のことは分からない・しこれが自分だ なんて決めたくない・・・な〜・・。自分の限界を晒しているような・・見てしまうことが気恥ずかしいような・・と思っているのかもしれない。限界を認識できた方がいいだろう。

日記をwebで書き始めたのは営々と墓を作っているよな気分だ。建築家なんて言い放ってしまうと、当然貧乏がやって来て 社会から大きくズレテ生きにくくなる・・何かを提示するってことは、目の前の社会とは違う事を言うのだから当然ズレてしまうのだ・・そのことは予想出来ていて、その認識をもって 自分に訪れる社会の中での生き様を 自分自身も知りたい・との思いが日記を書く大きな動機になっているなー・・

web上の墓を閉じるとき 眺めると・・仕事をジャンジャン依頼された、絵に描いたような建築家(笑い)になることもあるだろうし、日々の食い物にも困り野垂れ死にする(笑い)こともあるだろうから、どちらも笑えるよな・・で何でも書いてしまうのがいいのよ・・と思っている。

何でも書こうとしても、限界がある・・毎日書いているが、アホなので書いた先から忘れてしまう・・だから書く・なんでも書こうとしたことも忘れる・・・今日はラジオの声でそのことを思いだした。


ボンヤリTVを見てたら末田航さんが出てきた・・おぉ・・懐かしい・・。02年6月10日大島哲蔵さんの葬式から戻る途中でエデフィカーレのジンポが原宿で開かれていて立ち寄った・・大島さんが縁を作ってくれたようなもので、あの日は南泰裕さんに出会い、翌日パークハウスの現場を見学し・・その後の色々は記録に残っている・・

あの晩泊めていただいたのが末田航さんのアパートだった・簀の子の縁側に泊めていただき、二段ベットのような簀の子は面白かった。お世話になりました末田さん。その末田さんがリンツで 開かれて芸術祭に招待参加していてその様子が放映されていた。あの晩と同じようにチャットを続けないと肉が焼き上がらない、、焼き肉・・あれだ・(笑えた)持ち込んでいて・・・リンツでは大受け、色白のリンツ市民が真っ赤な顔して、チャットをし続けると肉が焼き上がり喰らう姿・・すこし遅くなりましたが・・おめでとう末田さん・あのときはお世話になりました・末田さんの作品はこれですよ  講評 ・・末田さんは誰の知り合いだったんだろうなー・・とタダで泊めてもらって1年半も経っ・・て思いだしてるよ・・ゲラゲラ・・

こんな事を直ぐ思い出し検索できるのが web日記の良さだなーと・・思ったりする



 1月24日 空は明るいが、おおかた真冬の雲が支配している。昨日夕方吾妻山あたりの火山性地震があったと新聞に書いてあった。一瞬強い揺れ と がたつき だったので目眩かな・・と思ったが、携帯会話があちらこちらから聞こえて、目眩では無いことをしった。気象台の話だと吾妻山の噴火は今のところないだろうとのこと・・こんなに寒い真冬に噴火されれば 吾妻山に積もった雪が一気に溶け出して濁流が街を襲い大災害が発生するだろうな・・火山と地震の巣の上に寝ているんだからやがてやって来る日もあるだろう.。

ホームページ用ウィルスソフトを購入したらからなのかPCの具合、キーの反応の具合がおかしい・・月200円ならいいやと思い、ダウンロードした直後から・・おかし・・シコし後悔ぎみかな・・

サイトを開いておおよそ2年半になったが、感想メールをいただくことが多くなってきた。建築を作って35年だけど、こちらの感想はあまり無いのと比べると、web空間というのは不思議な力が満ちているんだな・・。今日は昨夜届いた東京に住むハシモトさんからのメールを紹介する

初めまして。ハシモトトミオと申します。郡山市出身で、現在東京で芸術や文化を学んでいる22才の者です。先日、早稲田にあるアップリンクギャラリーという所に「ワラッテイイトモ、」展を見に行きまして、とても感動して調べていたらところ偶然、佐藤さんのサイトを見つけ、同郷にこんな方がいらっしゃったということに驚き、またその活動に大変興味を抱きメールしようと思いました。

私はこの「ワラッテイイトモ、」の音がとてもエレクトロニカヒップホップ的な音であったことと建築家である佐藤さんのHPとがリンクしたことで、昔立ち読みした本でエレクトロニカヒップホップと建築の関係についての本があったこと
(ちょっとその本がなんだったのかは忘れてしまったのですが)を思い出しました。

ゴダ−ルの映画史ヒップホップ的な手法で作られていて、なおかつ、その理論で作られたこの「ワラッテイイトモ、」がエレクトロニカヒップホップ的な音であり、建築的であること、という関連性には何か重要な鍵があるように思えます。建築やヒップホップはシロートなので、その関係性についての云々は語れないのですが、
私が見た意見を書いておきます。

とても長い期間毎日欠かさずに放送されている長寿番組、笑っていいとも。これは、長い間日本がある種の閉塞された状況におかれていることを暗喩しているかのような番組なのではないでしょうか

タモリさんはまるでこのKKさんがこの作品を作るのを予見していたかの様に毎日欠かさず出演してきたように思えもしたります、この閉塞された日本を表現するために。映画の中で番組は作者の主観をもってして解体され、再構築され、現実と虚構が交錯するノイズと化す。しかし、この作者の主観というのはそんじょそこらの主観ではないと思うのです。

マヤデ−レンという映像作家の言葉で「本当に偉大な映像というのは人々の無意識の集合体と詩を一つに重ねること」と、ジョナスメカスさんが何かの雑誌で紹介されておりましたが、この「ワラッテイイトモ、」はまさに、私達日本人無意識の集合体を映像詩として表現しているものではないでしょうか。

誰か(たしか椹木野依さんか五十嵐さんか誰かでしょうか)が酒鬼薔薇聖斗の「さぁ、ゲームのはじまりです」という文句をこの映画の批評に使っていましたが、酒鬼薔薇聖斗はニーチェの「怪物と闘う者は、自らも怪物とならぬようにこころせよ、汝が久しく深遠を見る時、深淵もまた汝を見入るのである」という部分を引用していました。

私は、そのニーチェが尊敬していたドイツ神秘主義者のマイスターエックハルトという人物の言葉で、「私が神をみる目、これは神が私を見ている目と同質のものである」という言葉がひっかかったのです。酒鬼薔薇君は首を切り取って何かを表現したかったのかもしれませんが
(つまり自らが怪物となってしまった)KKさんはまさにこの無意識の集合体と詩が重なる瞬間のシャシンを切り取ったのではないでしょうか。つまりKKさんはこの作品でもって私達に怪物の姿(見えない敵)の影を提示してくれたのであると思います。

無意識の集合体なんて、具現化すればきっとこの映画のように気持ち悪いものでしょう。しかし、その
気持ち悪さを自覚したとき、はじめて人々は良き方向へと向かいはじめるのではないでしょうか。私はこの日本においては、ゴダ−ルの映画史よりも「ワラッテイイトモ、」の方が日本人にとって映画詩、映画死たりえる存在になるような気がしてなりません。

我々が現実という映像を変えていく為に。最後に、この作品が提示した最も注目したいことは、盛んに語られているインタラクティブ性ということです。

これは別にマシンを介した人と人との双方向性ということではなく、私達が見ていることと、何かに見られていることという双方向性を示したのだと思います。

ゴダ−ルが映画が死んだ後の世界と、まだ映画が生きている世界の境界で交信しているイタコのような存在であるなら、「ワラッテイイトモ、」のビデオは、まるで日本の亡霊がとり憑かれた呪いのビデオテープのようであるとおもいました。

人々はこれを見ることにより、別の世界からの視点を授かり、見る、見られるということに気付いていく双方向性に気がつくだろうと思うのです。

もの書きに慣れていないくせに推敲もせずに書いてしまったので雑文となってしまいました。すみません。

勝手ながら応援しています。では。



ハシモトさんメールありがとうございました



  1月22日  晴れ、つめたい風が頭上を勢いよく突き抜けて電線を鳴らし去って行く。死んでしまったキュウスケに似た犬が徘徊してて懐かしい・・・・野良犬の何度も振り返る仕草が可愛い。

 つめたー雪をかき分け大地に愛犬2匹を埋めた日もこんな寒さだったかなー・・親犬は夏だったか・・思い出そうとするが記憶が曖昧になっている。生き物を飼うのはいいのが 葬り役の私は辛い記憶が体に染みつくし、大地に穴を掘り、猪などに掘り返されないように踏みつける、あの感覚が残りもとても疲れる。飼い犬の死以来 ふただび犬を飼おうとしていない・・・野良犬は誰に葬られるの・・野良にか・・

強い風を見上げる・・今年は鳴き声も汚い嫌われものヒヨドリが我が家にやってこないような気がする。見放されちゃったのか・・野鳥ぐらい飛んできても良さそうなものだ・・古米が30kg残っているから食べに来ておくれ。

午後20年来電気工事について設計をしてもらっている、Oさんが3年ぶりに来てあれこれ雑談・・3年ほど実施設計から遠ざかっているのか・・会社の切り物のことなど 元気よく暮らしている様子・・・目出度し。永年働いていて社会の地位があがり目出度し・・大変なのかな・・。

生業の話だが20年らい人も雇えず、変わったことと言えば、収入がとても少なくなった・・ことぐらい。やりたいことは相変わらずで、社会とのズレだけが明確になったが、やる気よ・・の、元気だけが取り柄か・・(笑える)

当たり前に 寒い寒い冬の真ん中・・・頭の天辺でもがりぶえが笑っている・・・BSEだろうが肉は喰らう。鳥インフルエンザだろうが鳥は喰らうよ。



 1月20日 晴れて,家々の屋根の雪に日が反射し 四角い屋根が方々で強く輝いている・・ギラギラ・ギンギラを通り越しているな・・雪に反射し飛んでくる紫外線が目に痛い・・ような気分

雪目というのだろうか 日射しが強いスキー場で長時間 紫外線を取り除く眼鏡を身に付けずに遊んでいると、その夜から目が見えにくくなるあの症状。

雪目と似たような症状は慣れない鉄骨溶接作業をすると現れるよ・・。素人溶接人は火花が散り紫外線が最大に出るタイミングを知らずに、「よ〜ひっつけ・・えいやー」といっそう瞼を大きく開き溶接箇所見る・・見る・・ので・・その瞬間 どどどー〜 瞳は紫外線を大量に浴びつづける・・

そりゃ後が強烈なことになんです・・作業を終えて帰り道の「おぅ・・目が開かねーぞ・・」瞼を思い切り開いても・・「見えにくいナー・・」運転ができるような目玉様ではなくなちゃう・・紫外線を浴びたその場で角膜の表面の細胞が死滅し出してボロボロ落ち始めている なんて気が付かない・・夜は目玉を冷やしても・・ドナイモコナイモ目が痛くてしょうがない

・・翌日目医者に行くと笑われる・・鉄仮面のような溶接用メットを被って火花が散る時に目を閉じるって、あんがい難しいものだよ・・溶接体験してみて・・・・近頃はいい溶接作業用防護仮面が出ているかもしれない・ウルトラマンの顔に似たメットなんてあったりして・・

光輝く雪景色をみると 若い時分に経験した雪目に似た溶接後の目玉の痛みを思い出す・・・昨日からイラクの地で先遣隊はゴーグルつけて何見てるのだろうか・・砂漠の地から照り返る光の先に何を見ているのだろう・・・・既に雪目状態でなにも見えてなかったりして・・砂漠目とは・・国もない砂漠に出掛けていって国際貢献だったハズの後に 角膜(貢献先)が死滅して めくら 状態になることかもしれないが・・日々の生活のなかで議論がさっぱり沸き上がらないこの地のこんな状態を砂漠目というのが正しかろうな・・



 1月19日 午後半ばまで湿った雪が真っ直ぐとめどなく落ちていた。寒波が波状にやって来きてるようで今日は少し暖かなのか、2度掃いた雪は重たかった。前面道路の雪を丹念に掃いてしまう人が所々にいて、路面が時々顔をだしているが路面が凍って滑るのであぶない。他はマンホールの処だけが地熱で丸く解けて、ホッポツと●が飛んでいる・・地熱は利用価値がありそうだ・・寒風にサラされていると体力を消耗するらしくすぐなんでも忘れるような気がする。

植田実さんの展覧会兼お祝いがあるので、東京へでかける予定だったが、雑事が済まず・・今月末にはどうか・・というぐらい手間取っている・・。

大阪のkeiさんからメールが来てが3月の建築あそびの事を訪ねられる。3月は最終末の27日にしようかな〜と思っている。新酒を呑むのはひな祭りあたりがいいのだが、青春18切符のこともあるし、前段取りを何もしてない・・建築あそびを定例化する必要はないんだけど新酒は呑みた!! 地酒新酒と甘酒を楽しまない法はないからね!! 新酒呑むダケの建築あそび・・笑い・・・それにしても大阪サポータは引きこもったっきりのようで、音沙汰がない・・ちょい心配



 1月18日 晴れ。道路に踏み固めれた雪はまだ残っている。  仕事場12℃。

学会から原稿依頼が来た。依頼の内容は「47都道府県建築事情」。それぞれの地域(県単位)において現在 「建築」が 1)どのようであるか 2)どのように変わりつつあるか 3)「建築」をどのように楽しんでいるか 4)その中でどのように暮らしているか・・が主な要点だとか。見本が同封されていて、目を通したが とても目立つページなんじゃないかい・・素晴らしいジャンと思った。

学会会員でないのに、私では拙かろうと思ったので支所長さんへ連絡したら、支所へは連絡が無いようで気まずい思いをさせてしまった・・・のかもしれない・・学会内部事情は分からないが、締め切りが迫っているので、あちこち振っても 迷惑なだけだろうから、サッサと引き受けることにした。

建築あそびや建築あそびを通じて改良されつつあ る多次元フォトコラージュの現在を多くの方に知って頂きたいので・・主に多次元フォトコラージュのこの1年を書くつもり。掲示板にて田中さんに了解していただく。支所へは引き受けた旨のメールをだす。

佐々木高之さんが書いた掲示板の書き込みをコピーしておく
「1月16日の日記を拝見して」 「溜まり場」「有名」という表現は、佐藤さんの意図するところではないのだろうと思いながらも、正直な感想として書きました。でも、やっぱり言葉の選択を間違ったかなーと…。 今僕は25歳(1978年生)なんですが、 僕にとっては、(おそらく同世代の多くの現役建築学生にとっても)、 例えば、五十嵐太郎氏は磯崎新氏よりも、藤本壮介氏は伊東豊雄氏よりも、10+1は新建築よりも、エディフィカーレはアーキグラムよりも、その言動が気になるんです。憧れであり、ライバルであるような…(ライバルなんて言える立場じゃないんですが、年齢的にそう遠くない方々が多いので)。この感覚が「有名」という言葉になっちゃったわけです。 そして、とにかく力のある力士を番付にとらわれないで一個人の目と足でピックアップして同じ土俵にのせる、他に類を見ない場だなー、と思ったんです。この感覚が「溜まり場」になっちゃいました。以上、なぜか弁解でした。

佐々木さんのように若い時分から建築家を目指す人に出会うと心底 頑張って欲しい・・続けてほしい・・と思う。・・私は20代で建築家を目指してなかった,生活に追われていたなー・・みんな建築に関わっていただきありがとうって言いたい気分・・。

日本には税金建築や個人の建築はあるが、建築家を求める建築ってとても数が少ないから・・求める基盤がないと言った方がいいんじゃないかなー・・建築家は貧しく寒風にサラされていると思う。一人で寒風に立ち向かっても体力消耗するしね

・・やっぱり建築サポータを沢山育てることが必要なんだ・建築を面白がることが大切だ 面白がりかたを教えることも大切。作る天才ばかりでは貧しい。見る天才、褒める語る天才、書き伝える天才が・・多種多様にそして多数 必要だと思うなー建築家になる前に建築サポータでありたいなー・・・そんなふうに ・死ぬまで建築とかかわり 見続けると・・思う。


 1月17日 鉛色の雲が一面を覆っている。仕事場16℃降り積もった雪は車や人に踏みつけられ氷混じりの圧雪となっていて、歩くもままならぬ・・滑ることスルツルの路面

派兵のことを書き出したら日記の中身もスリップしてしまったので・・最初から書き直す。 珍しいこともあるのは空気も凍って地に落ちるこの季節だからね・・阪神淡路震災の記憶もあるし・・朝方 設計した建物がひっくり返り傍で語りあっている夢を見た・・・なんだなんだこの夢は・・と寝起きが悪いこと悪いこと・・オイラの細胞は記憶を保存して ましな感覚があるってことなのかもしれない・・と悪夢払拭祈願と朝のスリップ現象が共振して危険な雰囲気・・今週は大雪も降りスリップすることも冬ならではのことだ


30年まえの朝方my長男一時研究員様が生まれた。その後順調に育ち2才なり言葉を覚えると「なにこれ・・・なにこれ・・」と本を抱え母を巨大な質問に成長し「質問の無い世界で1日ゆっくり寝たい・・」とmy妻を悩ませる。

小学校入学前におおよその漢字が読める、幼稚園は数週間通うだけで辞めてしまい 家にて読書三昧の日々を送る。移住して田舎の小学校に入学するも寝坊な親に構わず朝刊に目を通して小学校へ が日課となる・・小学1年生の作文でロッキード問題をテーマに書き大きな誤解を受ける。母親は以後作文は本人に書かせるように」と注意指導される・・うまい応えがなく困ること甚だし。

これをきっかけに以後my長男は中学まで教師との関係は好転せず・・教師に恵まれることなく義務教育をやり過ごす・・書くことは得意のようで5年生で原稿用紙50枚ほどの推理小説ふうSF的鉄道物語殺人事件を書き上げる。

呑気な私はmy長男をダメなヤツだと思ったことは無い・あたりめーだな・・。中学校で国語の担任からの評判がすこぶる悪いので、my妻に理由を聞くと「3年間教科書は学校の机の中に入れっぱなしで家に持ち帰ったことが無く、お知らせのチラシさえ親へ持ち帰ることが無かった」・・とのこと・・なるほど・・義務教育も終わりに近づいて知っても知らぬふりして望んだ3者面談の席で「高校入試は 最も難しい進学校ですよ・・先生」と私が言い放ったら、担任は呆れて苦笑していた・・が、委細構わず受験させる・・母に気合いを入れられ1週間の受験勉強で合格する。

高校は合格したが「この通信簿で・・よく入学できたなー」と感心されたそうだ・・今は内申書というヤツが幅を利かせるので、試験一発勝負ではないから・・どうなのかしらない・・中学校で教師に従順な者だけが内申書の内容がいいのかな・・my長男のような変わり種は合格することはないのだろうか・・

高校入学後も前半は遊んで暮らす。後半の一年半は何故か猛烈に受験勉強をし出すと、ごぼう抜きに成績順位が上がるらしく、教師が不信に思い我が家を訪ねて来たこともあった。後半の猛烈な勉強にもかかわらず全国の生徒を相手にし前期入試は失敗。後期入試の論文試験で合格して、受験勉強はほとんど役立たなかったところがmy長男らしい・・

大学入学後 後半 実家の大不況にも巻き込まれそうになる も やりくり算段しては急場をしのぐ術も身につけ去年末から一時とはいえ(笑い)研究員暮らしに突入する・・目出度し目出度し・。

他者の言動・評価によって自分を貶めることなく」・・やりしごし 楽しく自分の興味に従って生きて来た が、my長男の人生なのである・・そのことを肝に命じておくように・・と思う30年目・・


  1月16日  晴れ。仕事場14℃。2日間 降り続いた雪が車の行き来で踏み固められカチカチの固まりとなる。隣のオジサンは鍬を持ち出して、道をコツゴツ叩いてその固まりを砕いている。固まりは青い新春の光に照らされて溶け出している箇所もある。この日射しでやがて道はシャーベット状になる。

 雪は道に堤状に残りもして 小さなダムをつくる。車が通るたびに液状化し始めた堤や小さなダムはバジャバヤと鳴って崩れ飛び散り通行人を困らせる

雨なら流れてしまうが、雪は当初は真っ白で美しいが後の始末に困る真冬の風景・・春の青白く美しい光のもとのできごと。

菅野裕子さんの建築あそびの校正用記録を作ったところで、年末にいただいた季刊 エクスムジカ空間・時間・バッハ−バッハを跳躍台として同時代の建築と音楽を考える」に目を通す。話し言葉と書かれた言葉の違いなどをあれこれ想う。建築あそびの記録は話し言葉を文字化したもので、書かれたモノと比較すると微妙に省略されている。そのことで場に親密さが増すように思う。

数日前に掲示板に書き込んでくれたロンドンで勉強中の佐々木高之+室谷珠穂さんからの返信メールがある

有名若手建築家、建築史家のみなさんの"憩いの場"(溜まり場?)という感じで、書き込みをするのは恐れ多いかとも思ったのですが、思い切って書き込んで良かったです。お言葉に甘えて、これからも書き込ませていただこうと思います。建築あそびに講師として登場できるような建築家を目指して…

ロンドンから時々書き込んでほしいものだと思う・・・このサイトは憩いの場でもなければたまり場でもないのだが・・建築あそびに登場していただいた方々は私が偶然出会った人達で、有名(・・?ってなに・・メディア露出が多いことかなー・・)であることを基準にしているわけではない・・少し話して私にとって面白い・また興味が湧くような事をしている人・・が主な判断基準で、出会った場で講師依頼をすることがほとんど。

座敷を断ることも勿論OKだ・・縁が生じないものを無理に招くような事はない。

隣の叔父さんと20数年面識があるが、建築を語りあうことが無いように、距離の遠・近で縁が出来るわけでもない。福島に住んでいる建築家も沢山存在しているのだろうが 語りあうことがなくてもいい。縁が無いのだし・・無理に縁を作る気もない・・・縁があれば去年の須賀川の校高校での講演のように多数と語りあうこともあるのだし。

このサイトを通じて佐々木高之+室谷珠穂さんが私とであったように・・出会う場所はどこでもいい・・掲示板で出会ってもいいし道や飲み屋で出会ってもいいのだ。

佐々木高之+室谷珠穂さんに東京当たり・・ロンドン当たりの飲み屋の現実の場で会って講師依頼をするかもしれないなー・・今から楽しみである・・




 1月15日 15〜20センチほど雪が積もった〜。昨日も一日中降り続いた雪は今日も止まず。降り出してから4度目の雪掃きをして仕事場に来ると放置しておいたフジリンゴの香で満たされている仕事場。

マメに雪を掃くのは放置すると踏み固まったり、自重で固まったりすると・・重たく固まった雪を片づける作業は重労働だ。降ったばかりの雪 今時分はサラサラと軽い(春先になるとベトリと重たい雪になるが)ので作業が楽なのだ・・単に楽したいからなのね何度も雪を掃くのは。


1日1頁を目標に菅野裕子さんの建築あそびの記録ページを作りの作業をすすめて、ようかくザットしたページを完成させる。校正依頼メールを出したら「・・佐藤さんの色文字強調文字でよむとわかりやすいですね・・」と返事をいただく。

たしかに読みやすくするために色文字や強調文字や画像を加えて読みやすくする。それはそのような作業を加えることで、私の解釈が入ってしまっていると自覚的なのだ。 が、その作業を怠るとwebページで長い文書を読むのは辛くなる人が多いのではなかろうかと私が手前勝手に判断して それなら長文でも読みやすしよう・・加工してしまうのだ。・・それは良いことなのだろうか?・・。

文章を読み慣れた人が見ると見苦しさを伴うのだが、建築あそびのあの場の雰囲気を「体験したくなるようなページにした〜い」という思いが強いので色文字強調文字を多用することになるのだね・・ゴメンなさい講師の方々・・。

どうしても気になる方は・・いろいろ便利な方法があるでしょうよ・・


 1月14日 昨夜から朝方まで雪で一面真っ白、晴れているが風が吹けば雪が舞い上がり白い闇となる地吹雪で、今日は車で出掛けると しばしば立ち往生となりそうだ。

年末に頂いた密入り林檎フジが無くなってしまったので高校時代の1年先輩の農家へもらいにでかける。先輩の役に立ったことはないんだが、毎年 毎年 林檎をくれる希な人だ。

ついでに 古関裕而記念館でのコンサートには先輩夫婦と娘さん・3人に参加していただいので、それぞれの感想を聞かせていただく。

町中の短大に通っている娘さんは演奏も面白かったそうだが、そのものより間近で見る演奏者の様子が新鮮・・カッチョイー・・に映ったそうで、楽器や機材を操作する様に驚きと面白さを覚えたとのこと。そうだろうね・・目と鼻の先で1時間15分ぐらい通しで一曲を演奏してる人を見るのって滅多に機会なんてないだろうからね・。

お父さん(1年上の先輩)は、入場無料!?・・オレ達家族だけが無料なのかも・・主催者が経費の全て負担しているの、かなー・・気がかりで音楽どころではなかったとのこと・・交通費や食費・場所代などを総計すると20〜30万円になるだろうに・・と貧乏建築家の懐具合が気になって気になって・・演奏の中身どころではなかったよ〜・・家にもどり会場で手に入れたCDを聞いてようやく少し理解できたよ〜

実情は交通費と楽器レンタル料は演奏者各自負担。寝る場所の提供と会場費・酒代・食費・DMなどの通信費など開催地でのあれこれは主催者負担として必要経費は分担した。

お母さんは作曲者のコンセプトを素直に受け取っていただいたようで「時々眠らせていただいてとても気持ちよかったー」との感想でした。

どういう関係なの」田中浩也さん以外は当日初対面です・・「はあ〜!?・・演奏者の方々と馴染んで見えたけど・・」・・キットあの場が 一期一会でしよう。

佐藤さんはお金出しっぱなしなんだけどなにか・・いいことあるの?

街を使ってみよう=パブリックスペースのプライベート化の実践でした20年前に温泉場のメーイン道路を3日間使って演技者が100人ほど、10分間のパフォーマンスを実行していらいの実践であるが・・演奏会のほうがよりプライベート化を強く意識していて・・実践した。

それでなにか佐藤さんの利益になるの・・」と次なる問。

 建築を作る側の人間なので建築の使われ方に興味がある。公共建築を設計したことはないが、公共建築が作られる隠された目的は退職後のポスト確保・増殖のように思えるので使う側の利便性が追求されたり、改善されることは表向きのお話で実情は・・、そのことを確認すること(使う側が賢くなる)と、そのような状況の中で、人と建築の本来(?)の関係を実践するためには、使う側がどのような手法をもちいなければならないのかを体験すること等です

私が考えている公共性と目の前にある公共性との隔たりを明確に、多様な視点で知ることが目的でした・・簡単にいうと街を使ってみるための自主トレ・・自主トレなんですよ・・

 答えを聞いてますます混乱するお父さんとお母さんでした・・

夕方まで大吹雪で明日も荒れ模様とか・・年末 コンサートに来ていただいた 中司さん・水谷さんから きしめん が沢〜山 届き夕飯にコトコト煮込んで食べる・・あったかーい・・中司さん水谷さんいただきま〜す・・



1月12日 晴れ 物陰は凍っているが日向は当たり前だがあっタカーイ日中だ。ストーブ焚いて仕事場16℃ 室内空気が悪そうで、ぼーっとしちゃう・・。

建築あそび校正版ページを今日も1枚作り6頁できた・・のこり3頁となる。菅野裕子さんのお話は 1993年建築学会・計画系論文報告集第466号論文「建築と音楽におけるロマネスク期からゴシック期への変化の類似性について」をかみ砕かれ分かりよくしたものを起点に展開されていたので、興味のある人は論文を先読みして建築あそび記録を読めば楽しさが増すだろう。


新年になって初めて映画を観る。原作横山秀雄 監督 佐々部清 脚本 田部俊行 佐々部清 主演寺尾聰「半落ち」ミステリーもの。面白がり方の入り口が沢山あって興味深かった。以前見た砂の器の謎解きの面白さとは違うけど ミステリーなんで中身は 見てのお楽しみということにして書かない。 寺尾の演技は身振り手振りがない、顔面の動きのみの表情演技・・好演だ。

原作者は事件記者を体験されていると思うようが、取材記者・警察・検事・弁護士・加害者・被害者などの心理描写をうまく書ききっている。病と嘱託殺人を巧妙に組み合わせ観客を泣かせる場面多し。

アルッハイマー妻・患者への対応と時折発せられる「あなたは誰のために生きていますか」の映画のなかの答え・・根は繋がっているのだが・・この二つの点に違和感を覚えた・・程度かな。

アルッハイマーが進行する妻を夫が殺害せねば ミステリーが成立しないのだが、感動を覚える人が多いぶんだけ、この殺害行為の結末は罪深いとも言える。アルツハイマーの患者を個人の・家庭内の問題として処置しようと孤軍奮闘するのがよい、で とどめてしまえば、アルツハイマーに侵される者と社会の関係は好転する契機を失うだろう。孤軍奮闘を良しする認識自体を変えなければならないと思う。その立場で描けばアルツハイマーの患者を殺害して後のミステリーは成り立たないが そんなミステリーは成り立たなくても いいのだ。

あなたは誰のために生きていますか」という問いかけも、混乱しやすい。人間は身体的内にある潜在的な意志と後天的に学習した表層的な意志併せ持つ存在だから、二つに分けて答えを発せなければならないと思う。

まずは自分自身の細胞はPCのOSのようなものであるから無自覚なので「私のためにいきる」でよい。100年程度だろうか、生き続けるよう身体細胞は設計されているようだ。同時に2つ目の答えは多様に有りすぎるので何でも良い毎日変えてもいい(笑い)。例えば・・愛する人のため・家族のため・再び自分のためにでもよい・・社会のため 会社の為 国際平和のため など なんでもありなのだ。それは答えを発する人間の置かれた状況によって無数にあっていい。

2つをシャフルし混乱させ、答えは一つだ・・と誘うことで 成り立たせている・・うまいね・・マネしないけど 



 1月11日   晴れ 時々風強くすきま風がひーふーうー ほざいてるなー。 仕事場 17℃

建築あそびのweb用記録は5頁ほど出来上がる。一気にページを作ると過去の経験からみて1日で済むのだが、目に疲れがたまり、2日ほど目玉の回りに凝りが蓄積して取れなくなってしまうので、今回は1日毎にコッコツと作ることにした。

つまり年取って目に疲れが来やすい。疲れ目で綺麗なお姉ちゃんを見過ごすような人生は超詰まらない・・スケベ心からである。

人は「他人の話をよく聞きましょう」なんてことを言いがちだ。そこには「発話者の内容に同意せよ!」という押し付けがましさが暗に言い表されて、妙な臭いが漂ってしまうのが、上意下達のこころに飼い慣らされすぎたとも言うかな・・ 現状のお役所的、教育的言葉の現状の真の意味だと思う。他人の話を聞く経験なんてのは学校の授業で経験するぐらいの人は多いだろうし、仕事での会話も対話じゃないだろうし・・そういう思いが見透かされているので他者の話を聞こうとする人も少ない

文字起こしが鈍〜いワタシは 建築あそびの記録を作るために何度もテープを繰り返し聞きいている。そこで話の内容に同意することも多いのだが、講師の多様な建築との関わりにおける思考・・ワタシと とても違う(建築に対して)、いかに違う人の存在を知ったり 違いを理解することに努めたり、・・そのことが 私の建築ライフを楽しいものにしてくれる・・と言うことを知っているから、何時間でも何日でも聞き続け、記録を作成し続けていても 飽きることがないのだ。

ぱっと聴き で、分かった気分になるのは自分のこともぱっとしか考えてないのだ

私が建築あそびのテープを聴くことは 同意したり、共感したりすためではなく、私と講師達の存在してる距離の大きさが楽しく思えるし、それらの多くが建築を豊に楽しくするものだと認めるからなのだ・・とくどく書いてしまおう。

私の知り合いには「私自身が唯一 世界一素晴らしい建築家だ」と公言してはばからない・・までもそのように思っている建築家は多いし、そんな脳天気な人間しか建築家にはなれないのも事実で、そこに建築の狭さがあって面白いのだ。近頃はお役所様を手玉にとって活躍するしかないかなー・・。

 私は世界そのものが分からないので、眉に唾して聞いているのだが・・・そう語る建築家も「他人の話をよく聞きましょう」的人間が多くなることを望んではい。

話を聞くことが同意とみなされてしまうような現状。他者に甘えた態度がまかり通り、その中で発言が認め許される現状では、まだまだ多様性のある社会など成り立たないだろう。

お役人さまに一寸異論を唱えると足下がガクガクしてしまうようなお役人様しか存在しない痴呆ではなおさらだ・・から他人の話は 半身で聞くしかないような気がする。 

聞く者も語る者も異なる他者との積極的な交流をすすめることなく「聞く」ことの将来的な意味を共有されることはないだろう・・・とテープ起こしをすると思い知ることである。

建築あそびのその場で聞いた気分になってんんだけど な〜んにも聞いてなかたなーって反省してるのよ・・毎度毎度テープ起こしをしてね・・・・・


 1月10日 晴れ 仕事場11℃ 世間は仕事はじめから1週間が経とうとしいて、年末年始にかけて混乱していた郵便物も落ち着きを取り戻しはじめているようだ。まだ年賀状は来ている。来ない・来た年賀状を眺めてると差出人の心理状況が透けて見えて楽しいものだ。来なかった人の心理さえも笑える・・。

去年の年賀状で 「ワタシはアナタの家になりたい」と奇妙なファッションで笑わせてくれた、板津さんは今年も笑わせてくれる。昨年末引っ越したようで 紐式の下着姿になり、着替えチューの絵柄なのだが・・「ゼヒ ゼヒひかまってやってください」と書き込んであるから、吹き出してしまう!。エロイのかお笑いなのか解釈が分かれるところだが、漫画家を志望しつつ、建築家も目指そうという軽薄さ・身軽さが、実で可愛い・・彼女の本質モロでてて いい線まで行きそー・・と思わせるところだ。

my妻は実に勤勉に子育てをしたと思う。ワタシは子育てはしたこと無かった(笑い)、から子供達は小学生の時分から「お母さんと お父さんは一人で子供を育てている・・」と言っていた(笑わせ痛烈な皮肉を言う子供たちなのだ)。

いまmy妻はサッサと勤勉さから退役(着替えて)して、こんなに怠け者を地で生きている女性もソンジョソコラニは居ないのではないか・・という程に怠けている。(my妻の状態に対して不満は無い)板津さんのようにmy妻も時によって着ている、役割(概ね世間というものが決めている常識をさす)をすてジャンジャン替えると、グーなのよ」と知った瞬間から、my妻はとても気軽に生きる生を自分自身で獲得したように思える。

そんな行為は逆目にだって出せる。my長女の話によると、病気そのものは完治していても、入院生活を一定期間体験していると、体が鈍ってしまい、怠け続けたい気分が病人服から健康服へと着替える時期をドンドン遅らせてしまうのだそうだ。何時までも病人演じていると人は身の回りの世話をしてくれるようなのだ(笑える)悪用して本トンに病気になって死ぬがいい・・(笑い)

板津さんのように気軽に服を着替え続け 生きていくことはとても快適に生きる術のように思うのである ・・何枚も何枚も着替えを持つことはとてもいいことだねと板津さんの年賀状は語りかけているようだ・・



 1月09日 快晴である。日が照っているだけで仕事場の14度だから、昨日より4度高いだけだが暖〜かーな、気になるのである。冬至からまだ2週間ほどしか経っていないのに日射しが青白く明るいもの一因だ。地球の公転によっておこるドプラー効果とは言うが,人に与える心的影響は 理屈を超えて面白可笑し・・。

昨夜は寒いうえに吹雪の音が鳴り響いていて、行動意欲をそがれたので早寝してしまった。で建築あそびの記録作りもさほど進まず、ヘージの背景などあれこれ、ベースを作っただけで終えた・・寒さ負け

仙台の順子さんからの建築あそび感想メールの一部です


最後ほんの10分程度しか拝聴できませんでしたが、物事のとらえ方には時代ごとに違いがあると、それが建築と音楽に共通に見られる。そんなお話だったと思います。その物事のとらえ方が作る側にどう影響するのか、関わりがあるのかというのが佐藤さんの意見ですよね。

私はピアノを高校2年まで習っていたことと大学で親しくしていた人にオケの人がいたので音楽や音符はとても身近に感じます。そのせいか、建築と音楽に共通点があるだけでなんだかうれしくなってしまう。

西洋美術史なんかを学んだときも音楽史と共通点があって、それが建築史とも関わりがあったりして、世の中横につながってるんだ〜って興奮していた時期もありました。ま、私が凡人ということでしょうが、作る手法やヒントになったり影響したりしなくともそういう解釈の仕方があるんだということを発見することが目的?となってもいいのではないかな〜と思ったりしました。


順子さん感想メールありがとうございました。


 1月08日  吹雪にて風強し、すきま風が鳴り響き、いつそう寒さ感を積み重ねてくれるような・・風の合間に時々明るくなるのだが空は灰色に輝くばかり、仕事場10℃。鼻風邪のような症状は無くなったが、背中あたりが寒くて、炬燵が恋しい、人こいしい・・真っ白な大地。

この吹雪の中をmy妻は7〜8年の通院日。昨年末に一時研究員様に買っていただいたバックを肩にかけ、元気にでかける。病気と貧乏は快復する時期が分かっていれば、対応は楽だが、両方とも いつたいいつ快復するのかわからねー ・・から、病気と貧乏に関わってるやつ人間性がモロに出てしまうのでとても可笑しい。で、快復した後恥を知ることも多い。

・・私は病気も貧乏も快復せずとも気に病むことをある時期から放棄してしまったので、どちらでもよい。、それなりに状況に・症状に応じて、生活の仕方を発明して生きれば楽しい もののような気がする。そうして生活していると本当に貧乏なのか病気なのかさえドウデモ良い、そのことが日常にになってしまう。

人は 「働かないと食えないから」と言い訳を放つが、働くしか脳がない、誰かに指示され動かされないと不安なのかもしれない。人間50年も生きていれば1年ぐらい何〜にもしないで生きてる経験はとても貴重だと思うのはオイラだけなのだろうか。

 労働阿片的空気を吸い込みすぎて、替え玉は掃いて捨てるほどいるのに、会社にとっては無二の人間だと勘違いさせつつ、毎日頼まれもしないのに会社に出掛けないと、いつそう不安・・不安でいたたまれなくなったりするのかもしれない。

搾取され(協働ともいうかな)続けているにも関わらず 金を稼いでいる気分になって安心したりしないと、水と緑に覆われ有機的に混生して一時として同じ姿をとどめることがない地球に生きていると不安定でしかたがないようなのだ・・そんな風に思わないと生きて行くのが辛いのかもしれないなー・・・生活環境など変化が多様過ぎるこの世では・・・鉄分が酸化したような赤茶けた火星の大地の写真をTV受像器で見てそんなふうに思った。

やっぱり火星も今日はビーブーと吹雪が舞っている場所があり、「あんた・・良い感じたねー」なんてヨタ火星人が吹雪を眺めつつ一杯飲んでいるかもしれない・・真っ赤な大地に吹きすさぶ赤い雪を見て・・


年末の建築あそびにて菅野裕子さんが残してくれた5万言葉ぼど・・文字化し終える、時間をみつけてすこしづつページを作ろう。


フランスに住んでいる松田達さんから新年のメールがある

あけましておめでとうございます。パリ生活も2年目に突入しました。個人的には昨年はあまりに多くの出来事が駆け抜けて行き、10年くらい経った気分です。今年はもう少し身を落ち着けつつ、活動していきたいと思います。写真は年末のモロッコ旅行。モロッコの空間も建築的なアイディアに満ちていました。

すっかりご無沙汰しております。お元気ですか?メールを書かなければと思いつつ、時はあっという間に過ぎていきます。ずいぶん前のことになりますが、太田さんのDUET体験記、とても面白かったです。僕はオープンハウスのときに見せてもらったのですが、同じ建築を見て体験をあのように書ける佐藤さんの感受性と表現力に脱帽です。

こちらにいていろいろ建築を見る機会があるものの、それをまとめる機会もないまま、消化不良のままどんどん入ってきていけないなぁと反省したりしていたところなので、一つの建築についてあれだけのことを感じて書くというその行為自体が、いまの僕にとって非常に良い刺激になりました。


それでは、今年もますますのご活躍をお祈りしております。うーん、佐藤さんのパワーに負けないように僕も頑張りますよ!今年もよろしくお願いします。

松田さんもいよいよ元気でやる気充分のようで嬉しい限りだ。こちも今年も(笑い)建築を見学して、フォトコラ作って 体験記書いて、建築あそびで講演していただく、3段構えでもしないと、相手のことが 分かった気分になれない質なんです・・・そうそう思いだした 宮本佳明さんのゼンカハウス体験記・をまとめちゃわないと・・ドンドンながーくなってしまうんだよな〜・




  1月07日 晴れ、一日中 物陰の水たまりが凍っている・・仕事場11℃、夜になっても快晴なのでマスマス放射冷却で冷え冷えとなっているな。

鼻ばかりかんでいて屑籠が鼻紙で一杯になる。鼻をかむと体力をも消耗するらしく、寒さが一層身にしみてしまう。くしゃみも時々でて、風邪でもひいたのだろうか、まが鼻風邪が回復していないのかもしれない・・今夜から大荒れの吹雪になるとか・・タイミングが悪いなー・・くしゃみ・鼻紙の間をぬってテープ起こしをする・・あまり進まず寒いな〜こんなに寒い日はお姉ちゃんに抱かれて、こんな夜は人間湯たんぽを提供しあうのが人間らしい暮らしというものだろうな〜



 1月06日 暖冬とはいえこれから2月の間はやっぱり寒いのだ。外気温3℃。昨夜はカチカチだったし朝方は吹雪いていた。

この数年まったく仕事が無く・・と言っても・・貧乏なわりには方々出掛け楽しい生活だったが・・各地にサポータが出現してオイラの生活を楽しくさせてあげようじゃん・・と支援していただいたお陰なのだ・・・・年末にサポータMちゃんが病気で倒れ再起出来そうにない・・大阪サポータのmチャンは冬眠しちゃって真夏までは回復しないだろう・・サポータ頼み豪漫遊旅てきカイカイ放浪は先行き暗そうだなー・・と考えている・・・・。

12月になり旅館の社長から電話があり、宴会場の改修をセヨと命令があったのだ。が、ていよく断ったつもりが、殺し文句を返され、つい引き受けることにしてしまった。小さな宴会場の改修だから大金が転がり込んだり、建築的にも人を驚かすような仕事にはナラナイ・・が、キューバへの旅費ぐらいは稼げそうだ・・(甘いかもその時は人間飛行機代を発明しよう!)・・と思うのだ。

これが図面が無いので手間暇がかかる割には全体が理解できないでいる。相手の全体が分からないので難しいものだ。
 今日は打ち合わせでドライブ。空は蒼し・・その先は急場じゃなくてキューバの青い海が見えてるぜ!・・と呑気に青空を眺めていると・・奥羽山脈の山々の天辺から西風に煽られ鉛色の雲が押し寄せてきてたちまちドンヨリドヨーンの 真冬の空となる・・。先行き暗しか・・雲もまで阻むんが、ぷいと息を吹きかける・・。

 福島市街の西側にある奥羽の山々は真っ白に雪化粧していて、スキー場の有る当たりだけがひっかき傷のように目立っている。真冬の風景、夜になるとスキー場のは灯がともりまた目立つ夜景だ・・寒中のいつもの有様。


2日前からチョボチョボ・・今日は早朝から建築あそびのテープ起こしをした。文字にしつつ繰り返し聞くと断然理解が進むからおかしいものだね・・菅野さんの言葉を何度も何度も聞いているオイラは贅沢者なのだ・記録が出来上がるころには文字を眺めると講師の声が鳴り響くなんことになって・・毎度毎度贅沢三昧の建築あそび記録作り・・・・一昨日寺山修司原作「さよならの城」という演劇をTVでみて、何度も目慣れた言葉が役者の肉声となって提示されると、また違った感慨が湧いてくる。寺山修司の訛りの強い言葉も思い出す・・建築あそびの記録もそんな雰囲気を醸し出せるといいな〜・・



 1月04日  晴れ 仕事場室温14℃

建築あそびや正月があった(まだ松の内だけど)賑やかな1週間が過ぎ、my子達も昨日それぞれの生活の場にもどり、私のありふれた日常が戻ってきて・・テロ〜りとして居る。やり残してることあるけどテロ〜りとしている

菅野裕子さんの「建築と音楽」を記録したテープの整理。名前をつけたり、映っているのか・・チェック・。菅野さんは静かな声で話していたので、カメラをほぼ真横に置いて録画したら、大きな声で記録されていて安心。画像も入っているので完璧テープかな・・・・今日からテープ起こしを始めよう・・12月にやり残したことが沢山あるので、今までのテープ起こしのように短期間では終えないだろう・・午後3時間ほど起こして卒業論文まで終える・・テープ起をしながら何度も当日の声を聞くと色んなことが想像出来て楽しい・・

コンサートに来ていただいた方らから年賀状が届く。コンサートDMにまともにヒットしたクラシック音楽の先生だと思うんだ。1年500人卒業して40年の学校の名簿の中から・・2万人の中から感で選んだ80人ほど・・ドスーント当たりましたジャズ好きのクラシック音楽の専門家らしき人に・・面白いものだ、娘さんは新潟大でジャズの活動をしているとか・・。

街にチラシを播き。去年の年賀状の中から10人ほどに案内を出す(市内の人との付き合いがほとんど無いのが分かる)女子校卒業名簿から80人ほどDM。市内の高校や大学の音楽・美術部にDM。マスメディアに掲載依頼。ゴロッキの様なマネはしたくないので建築の関係者には一切連絡せず。街の素力を知ったり、コンサートの素の反応を知るのならこれがいいと思うのだ。

反応はそれぞれ均等にある・・予定の観客数・・来ていただき35人ほどとなった・・目出度し目出度し。


  1月03日 曇り 仕事場13℃ 

04年の建築あそびの 思いつき目標をザット書き並べてHPの目次にはってみた。

 3月末は恒例の新酒建築談義 10人程度 5000円以下 BOX1で開こう、講師は未定だが、新酒は出来たての3月が美味いのでやっぱり呑みたい。遠くからやって来る参加者のことを考えると 青春18切符が使える3月末がいいだろう 

 8月末 街へ出て又は東京都内での 建築あそび 中身→準備会議  公共圏としてのウェブ上やリアルな場での「建築博物館をつくるために・・皆で語る」募集人員 50〜100人2日泊3日で1〜2万円。語るべき内容やゲストを随時公開してゆきますが、アイディアがありましたら、教えてください・・。

身近に建築博物館を作ろうとした場合、どのような問題が有るのかを知るために、話し合ってみたいという思いつきだ。寺田真理子さんのオランダ建築博物館の講演を聴いた影響も大きいのだが、作ることを目的としている訳ではなくて、建築博物館の機能について、取得の為の問題、入れ物の選別の問題、維持の問題など多様にあるのだろうが、それらの問題をWEBを使って共有するために 整理して置くのがいいのではないのかとおもったからだ。

 実際に作る場合は建築教団を作り上げ 全て寄付で実現するのがいいんじゃないかな(笑い)教祖は35〜40才定年制だね・・建築関係のジジイさんはイカンと思うからね〜

 年末のコンサートを経て 街へ出た 建築あそびを 展開させたいので、なにか華やかなお話の芯があったほうがいいかなと思ったのだ。

 勿論会期中にコンサートなども出来た方が良いと思う。これは20日あたり上京予定なのでめぼしい候補地を現地に行き当たる予定だ・・それから中身を整えてみたい


11月末  都市農業のアレコレ キューバの菜園の現状についてワイワイ・・(笑い) 昨年高山建築学校で課題を出して後の展開なのだが、少し涼しくなり始めたらキューバへ出掛けて行って、菜園状況をうろうろ現地調査をしてみたい。

課題提出以降、各地の菜園観て歩きを続けているが、写真も沢山とりたまり、専用頁を作ったり、さらにその他の街の菜園状況も観て歩く予定だ。


ラブラブ大阪のサポターMチャンは恒例の冬眠生活に突入したようで、メール・携帯全て遮断してしまったな〜・・死ぬことはないだろうが・・少し心配。冬眠死 しないよう、医師に薬など配合していただいて持って置いたほうがいいのではないかと思ったりする・

豊かな社会に生きる人の悩みは底深いナーと思うこの頃・・呑気なオイラは悩む間もなく貧乏が追いかけて来るから、ソイツから逃走と闘争しなければので幸運だ・・。



 1月02日 曇り夜から雨になる、真冬だと言うのに暖冬だね、仕事場14℃

ホームページ作成用ソフト税込み1万円ほど、my長女支払いで買ってきて、説明しようとおもったら、中身があまりに変わっているので説明にならず(わらい)my長女チャカシャと使って1pを試作する・・で猿ソフトの説明を終える

my子達が遊びに来てる正月から仕事場に籠もるのも、能無きこと なので布団にくるまって先日の建築あそびのお土産として五十嵐太郎さん菅野裕子さんにいただいたユリイカ2003年3月号ダニエル・リベスギント特集ををゴロゴロしながら眺める。「建築と音楽」に関係してるんだね・・他に数冊頂いたが表紙しか見ていないゴロゴロ・・。

今年はメール年賀状多し、上海で働きだした牛込具之さんから

建築遊びとても盛況のようで、おつかれさまでした。佐藤さんの公共圏はついに私空間を飛びだしたのですね。(公共空間をとりこんだということでしょうか。)精力的に活動されているようで、こちらも負けてはいられません!! いつも記録楽しく読んでおります。

こちらは上海に来て3ヶ月になりました。言葉の壁や、設計のスピードの速さなど、戸惑うことも多々ありますが、その分今まででは得られない経験をしているとおもっています。


ということでHPはとても便利だねー上海にいて建築あそびの記録を楽しみにいていてくれてありがとう、今回の 建築あそび は街に飛び出しての初試みでした。一市民として街の施設を使いこなす、または使い易くする手がかりを得ようじゃないかと、田中さんチームの演奏に相互便乗して、試みたわけですよ・・なかなか勉強になりました・・だけでは分からないのですが、コレを書き始めると長くなるので後日にします(笑)

花田達朗先生住居探し と 探し当てた後の改修 などの作業を、建築あそびでご縁が出来ていた東工大博士課程所属の藤村龍至さんにお願いしておりました・・

花田先生のご自宅の件ですが、先日先生から「急転直下、物件を決めました」と連絡があり、HのMマンションという1965年に建設されたかつての高 級マンションの一室にご自宅をつくることが決まりました。先日Mマンションの部屋に伺って室内の測量をし、さら ◎里にある先生のご自宅マンショ ンに伺って先生の持ち物の大まかな物量を把握させて頂いた上で多少の議論をし、設計を開始したところです。2月には入居したいとのことで、今月は大急ぎで設計を進めるつもりです。・・・最近は設計の打ち合わの 間に少しずつ専門のお話をして下さるようになりました。僕達にとっては大変幸せな時間です。・・・・

と言うことで建築あそびのご縁が方々に広がり嬉しいです・・その上参加者の皆さん勉強に結びつき始めたのはとても嬉しいことです、藤村さんと花田先生は親子ほどの年の差があるけど、楽しく交流して 交通していく今後の様子が楽しみです、フレーフレー藤村!!

今年も建築あそびを企画しますので、時間のある方は参加していただければ幸いです・・建築あそび公共圏の実践という意味もあるけど 出会いの場も提供できているのだね・・なるほど・・



 1月01日 晴れ 暖かい元旦である、仕事場13℃

宅配便で届いた年賀酒によって目が覚める。早速呑む。正月料理といっても今年は手抜きで全てスパーで買い求めた具だから、スパーおせち料理て言うことだ。そいつらを重箱に詰めて正月料理の出来上がり。

一昨日戻ったmy長男・昨夜戻ったmy長女my妻と年賀の挨拶を交わし「いただきまーす」で、朝から呑み会となる・・年賀の生酒「うまーい」でグイグイ・・気分よくなり、又布団の中に潜り込み朝寝となる・・小原庄助さん状態です(笑い)

年末に開いたジャズコンサート菅野裕子さん講師による「建築と音楽」の建築あそび・・その後の片付けなどで、オジサンは疲れ貯まったようで、周囲を彷徨っていた風邪菌に鼻の当たりが 負けちゃったようでなんだなー 昨夜あたりから鼻汁が出始め大晦日だというのに鼻紙がうずたかく積まれ、表面は鼻カサカサ爺さん状態となっていたのですよ。・・こうなりゃ朝から酒を薬としてdane〜呑んで寝てしまえ〜ってもの・・。

PM3時頃起き出して、配布されえた年賀状を眺める・・my長女と「ワラッテイイトモ、」の感想を話す。二人の評価は高い。編集作業によって制作意図が明解に出て伝わってくるのでよいね〜。

NHK公共放送のようにアメリカは正しいのだに 超偏った報道にもかかわらず、まともな放送してると思わせてしまう 編集の仕方の方が悪質だろう・・気持ちが悪いよなー、民間放送のばかばかしさははなっから 露骨に分かる分 良心的だとも言えるし・・映画史と比較してもシャーナイ・・同じ映像とはいえ分野が違う・・などど語りあう


仕事も銭も無いのに 昨年よりは気楽な正月気分なのは my長男さま一時研究員生活に突入し my長女さまは内科医に・・人手不足の同病院の児科医にも「my長女さんなら診療や小児の点滴任せてられる・・」と言われているそうで 手先が器用なのはmy妻似だ・・。

永年遊び学んでいた二人が昨年より 働き出し社会に少しでも役立っ人間になりだしたと言えるだろう・・そのことが気楽な気分にさせてくれる原因なのだ・。

残るは俺の生活なんだけど、年収10万円だったのに方々歩き回った昨年の学習経験をいかし・・・金は無くても旅は出来る・・貧乏建築家よ!さー立ち上がり旅をしよう!っ てな気分なのだ・・呑気なコトを言っていないで年末建築あそびのまとめをせなば・・