12月の日記
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12月29日 晴れ のち 雨 仕事場13℃・・2日間のザットメモ
寝ているまにmy長女一関へ戻り、午前中ぐーすか寝てて午後五十嵐太郎さん、菅野裕子さん、田中浩也さん、慶応の学生である浅野 紘太さん帰る。2日間で貯まったゴミなどを片付ける。
27日吹雪だった。東京から中司美幸(Piano, Keyboard)さん 水谷清和 (Drums, Percussions)さん 田村龍一 (Guitar and Computers) さん 田中浩也 (Sax)さん到着 夕方会場に 富樫健太郎 (Wood & Electric Bass)さん到着
古関裕而記念館にて、アンビニエントジャズコンサート は会場雰囲気もよそうどうりのいい感じ、客もおおよそ35人ぐらいか 目標達成、演奏家達盛りあがりで・・吹雪の中のナイスコンサートとなる。演奏会語は我が家で宴会・・雑魚寝で朝・・。
28日晴れ 午前中 田村龍一さん東京へもどり、たの方がたは飯坂温泉へ、私は晩の買い出しへ。水谷さん中司さん戻る
五十嵐太郎さん 菅野裕子さん到着。時間があるので五十嵐さん原稿書き。菅野さん講演の原稿調整。私と浅野さんと妻とサポータさんmy長女さん 晩飯作り・・・。
手塚さん きて菅野裕子さんの 講演開始・・宴会・・仙台から八重樫直人さん石井順子さん到着して宴会・・「ワラッテイイトモ、」上映会・・「映画史」上映会・・ワイワイで雑魚寝
27〜28日に参加していただいた皆さんに感謝いたします。両日の詳細は後日書きます
12月26日 朝方晴れていたが、午後天に
鉛色の雲がたなびいて風も出てきたので今夜は荒れ模様かもしれない。毎年さいてる
白い薔薇が2りん咲きはじめる、寒い強風にさらされ大きく揺れながら咲いている。
苦しい時の名簿頼みとばかりに同級会へ遠ざかっている私は、こともあろうに37年ほど前の中学3年担任の先生のことろにまでコンサートの知らせを出してしまった。なんたる恩知らずのわがまま気まま・・・先生から返信の葉書が届いた。「
・・建築仲間のジャスコンサートとは気持ちが明るくなってきますね・・」とあった、すつかりパブリックのプライベート化などと 頭がそちらの方へ向いてしまっていたけど、
京都や東京から集まって、何の報酬も求めずこの今回の建築あそびの為に演奏をしていただける、仲間が存在しているその事実はともて貴重で有り難いことだと再度確認。
「
・・年齢的にも人生の頂点・・まさかのことにならないようにお健やかな毎日でありますように・・」ともあった。50過ぎたので「
人生は一旦終了したな・・」という自覚があるのだが、高齢の先生からみると50才というのは人生の頂点なのか〜・・確かに収入は極少ないとはいえ、日々の時間を自分の為ダケに使えるというのは人生ある種の極みかもしれない・・上か下か横かあっチラ化の極みだな・・寝るも良し、死ぬも良し・わめくも良し・・もがくも良し・・だし・・
自己責任を取ればイイだけの状態は極みだな・・
須賀川桐陽高校の
講演会で生徒さんからのメッセージに対して日記で返事を書いていたのだが、急いで
まとめて欲しいと催促がある・・「
・・生徒への資料と毎週印刷しているので、来月はお答え特集 にしたいので・」・とあった急いで残りの返事を書かなければならない・・まとめマース・・
28日の講演会への差し入れのメールもある・・なんと・・大量の牡蠣が届きそうだぞー・・参加のみなさん 楽しみですよね〜・・
牡蠣は28日 10時〜12時に届くようにしております。若干前後するかもしれませんがどなたかご在宅よろしくお願い致します。内容は、殻付きが25個、むき身が500・程度のようです。献立の参考にしてください。
どうもありがとうございます・・殻付牡蠣って高級品じゃないのかなー・・
感謝です
12月25日 晴れ 昨日から暖かかったようだが・・27日の演奏機材が宅配便で届き始め・・いよいよ演奏会
昨夜は市内にある教会の
クリスマ・スミサにすこし参加する。町中のに飛び交うケーキを売る かけ声とは裏腹に教会内は静謐で清楚。なかなか良いも・・。
途中 軽自動車に跳ねられ、自転車のタイヤが45度傾き、指を少しかすった程度だった。こちらも相手の名を訪ねなかったが、車の若者もそそくさと去っていった。もう少し親切でも良いのではないかと思った・・ある種の運転手としての義務違反だとも思うったが・・
許してやろう・・そんな気持ちになるのは・・コンサートのチラシを播こうとして女子高校の生徒達に怪しまれていたので、街との距離感が増していたので、こういうことはありだろうと思っていたので腹も立たなかったのだ。
「市民参加の町づくりをします!!」などのお役所からのかけ声が新聞などをにぎわせて、駅前には
呼びかけ訛りを冠したデカイビルもたって、なんだか親しみを振りまいているのだが、それらとは逆さに私と街の距離感は増していくように思うのだから可笑しいものだ。
サポータMちゃん退院との電話がある・・一般的には1月ほどの入院ですむらしいのだが、初期のミスが禍して少し長めの病院生活だったようだ。なにはともあれ目出度し・・。
28日の予定は
菅野裕子さんの講演予定です。講師は3時頃には我が家に着く予定です。
PM 5時〜「建築と音楽」の発表
7時〜宴会
9時〜「ワラッテイイトモ、」上映会など
参加者の皆さんよろしくお願いいたします。
12月23日 晴れあたたかし
久しぶりに見舞いに行った。
myサポーMちゃんの腸に腫瘍ができ入院していたが今週末
退院できそうだとのこと、それなりに暮らしを楽しくしていきましょうと話し合う。週末のコンサートへ
社会復帰の練習だと思って参加するように話して来る。
午後居間・台所・寝室など掃除する・・
50すぎてマスマス盛んにコナしていることは家事だと思う。つまり主婦化しているわけだね・・・傍で見ているmy妻は20代には寝てばかりいたねー・・と笑っている。そういえば会社にうまく適応できなくて、疲れいたから、家に帰ると寝てばかりいたのだ・・と思い出す。
近頃欲望がすつかり単純になりったお陰で疲れることもなくなった。疲れたら寝るのが健康に一番いいから
寝るし・・(笑い)目の前のことを淡々とこなして生きるだけの人生も案外楽しいものだと思う
県庁・・記者クラブに配布した資料を見ていただき ・・建築あそびの電話取材を受ける、記事にしていただき、大勢のかたに来ていただきたいな〜・・田中さんたちのジャズを映像を見聞きして欲しいものだ・・・
みなさん参加してください・・ よろしくお願いします!!
12月22日 冬至とか・・
風が強くて歩行するのも困難なほど だが気温は昨日より5〜6度高いのではないか。毎日荒れた天気が続くなー。
現実の雪や道でのスリップ事故の記事を見聞きし、寒さを体感して、
怖じ気づいた 安全第一。・・28日の
BOX5で予定の菅野裕子さんの講演を無理を承知で会場変更して、
我が家に。
菅野裕子さんやBOX5の持ち主の方にも了解いただき、暖かな言葉も掛けていただいて・・
涙・・なんとも恐縮・・する。
コンサートの事を少しは紹介していただこうと思って
県内一の新聞社の文化部にお邪魔する。入り口を入ると旧知の方と目線が合い挨拶をする・その方は大分社内的な地位が高くなっていて、記者を紹介していただく。
建築あそびのことを伝えるのは案外難しいものだ。
業者は利益誘導を目的として活動しているのだが、この私の行為は利益誘導とはほど遠い活動かもしれないなー・・踏ん張り説明開始・・
パブリックのプラーベート化のあれこれとプライベートのパブリック化のあれこれを・・・・業者としてあからさまな利益誘導行為に徹したほうがこの世はラクチンなのだと知る。
コンサートの告知をあれこれやってみて、20年前よりイベントの告知方法が多様になっていることを実感。
友人知人へのDM・マスメディアへの依頼・ 電話でお願い・チラシ配布などだったが・・WEB関連でHPが出来て便利だ・・・未整備だが
高校や大学のHPの中に掲示板があるし、週2回更新してる
ふくしま文化情報WEBページも発見。
そこで週二回更新で県内のコンサートや公演会を紹介しているのはとてもありがたい。
WEB関連は簡単な分・・
伝わり方はどうなのかだが・・面と向かって伝えた方が力があるのだと確認。県庁内記者クラブへのチラシ配布の後の反応のなさはそれを教えているかもしれない。でも
WEBの使い方も実の街の使い方も今回の建築あそびの宣伝活動で多くを知っり、同時に色んなアイディアが湧いた。
身近な街を彷徨うことも大切なのだと思う。後ろ盾なしに彷徨うと、街のストレートな反応を体験出来きるね・・。
12月21日 朝方吹雪・昼晴れ間も見える・・
一日降り続いた雪は町中にも数p積もって朝方 道は圧雪でツルツルになり、車はタイヤを鳴らしてるわりには進まない。この
冬初体験の氷上歩行となり・・チョイトした斜面も歩くのが恐い。道の氷は凸ボカだし・・滑りやすいのだ。
高速道は通行止めになり普通道では事故が多発・・初雪・恒例の大騒ぎ・・。
昨日一日
コンサートの葉書を作り、住所を書き込み投函すること百数十枚。印刷に時間がかかるのは予想外であって、住所書きは真夜中となる。即 中央郵便局に出向き投函。
交際範囲が狭いので出す先が無い・・とは言っていられないので ある女子校の名簿をめくり 音楽堂近くに住んでいる音楽好きそうな女性に絞り込み住所を書く
(笑えるなー)・同世代と思われるおばさんにも少々・・昨夜の作業効果で
1〜5人来ていただければヨシ!!・・としよう・・甘いだろうナー・・この考えかた・・。
住所書き込み途中で
田中浩也さんから電話。Ecmitチームの「
荷物は宅配便で送り人は27日新幹線で来ることに決めた」と・・。ドラムやベースも・・その他ミキサーだの各種楽器がやって来て 週末わが屋は
楽器屋敷に変わりそうなのだ。
朝起きて新聞を眺めた雪で起きた交通事故記事に尻込みをする・・
28日のBOX5での講演会を我が家に変更できないかと、メールをする。雪と帰省ラッシュを考えると無理に実践して交通渋滞や事故に巻き込まれるよりは無理をせず・・と思ったのだ。講演と上映会は我が家でとの代案に・・なるほうが良き決断かもしれない・・カチカチの路面の氷の上で車のタイヤがグールツルと空回りしているのを見てると・・往復の時間と心配が無駄なことに思えてくるのだが・・・・予想はしていたのだが・・目の前の凍った道を眺めていると無謀を確認・・。
12月20日 全国的に
冬型の気圧配置とかで北風が吹き荒れ、朝方 福島市街にも雪がちらついていた。
町中でも日蔭の冷え切った地面にはウッスラと雪が残る。傍の水たまりへシャーベット状の雪が溶け込んで真冬の渦巻きが寒さを一層吸い込み呼び寄せているようだ。町中に雪があるのはこの冬初めてだ、室温7℃はやっぱり寒いのでヒーターのスイッチを入れる。
ラブラブ大阪から戻り数日
(日記まだ付け加えてない・・) 27日のコンサートの件でドタバタしちゃった。来週末へかけて段取りなどもう一段整えなければいけないなー。27日は仕事納めの日でもあるし、吹雪いたなら人の集まりはほとんど期待できないだろう、・・
新たなチラシなど作って播くしかないかもなー・・。その前に年賀状・・印刷だけしちゃおうと始めたら、ネタ考えて印刷は予想を以上に時間がかかり、昨日1日かかってしまった。暇をみて住所を書き込めばいいので、my妻に今年は催促されることもないだろう。・・今日からはいつものようなボンヤリした日常のなかで、建築あそびの段取りができそうだ。
1週間前から
my次男にコンサートのアレコレを手伝ったもらおうと、連絡していたが何の反応もない。携帯で数度電話も無反応。「死んだかナー」と思い
my長男へ連絡したら・・「面倒だから無視してた」と言ってるよ・・
年末で忙しいんだよなー・・。
my東京サポータのSチャンに同用件のメールをすると、こちらはノリノリのラブラブ反応。忘年会で酔って調子に乗っているのかも・・・手伝ってもらえるかもしれない・・。27日集まりわるいそー・・と不安に成ってきたので何か考えて手を打たないと・・まずはチラシかなー・・マスメディアをもう一押しするかー・・
12月18日 雨 風 時雨の荒れ模様
ラブラブ大阪から戻ると古関裕而記念と
27日アンビニエントジャス演奏者の間が対話不能に陥っていた。
会場変更し確保したとかで・・昨日から
グエー!・・マスメディァに情報流しちゃったよ・・今更変更されても・・大慌てだった・・が一日動いて解決した。
福島訛りに役人言葉と演奏者訛りと標準語の電話での会話はいやはや混乱してしまうのだろうか・・私の理解を超えてグジャグジャになるものなんだなー・・と感心する。 あれこれ言っていても
シャーナイので
確認書を古関裕而記念館と取り交わしてきた。これ以降の問題は演奏者と私の問題になるのでホッ
田中浩也さんチームのからのめーる
いろいろお世話になっています。こぜきゆうじ記念館と、やりとりをしてくれたのは、私のバンドのMという者です。彼いわく、記念館のほうから次のように言われたといっています。
-スピーカ・アンプ類は禁止
-コンピュータを利用した音楽は禁止
-ギターは、クラシックギターのみOK,エレクトリックギターは禁止
-グランドピアノの演奏はよいが、シンセサイザーは禁止
これって、担当者とのディスコミュニケーションでしたか?????
本当は、上記のことは全部可能なのでしょうか???
それではその点を確認しておこうとおもって以下の書面を取り交わしました
古関裕而記念館を使用に当たり確認書
古関裕而記念館 殿
福島市民である佐藤敏宏は12月4日に東京・京都に在住する友人が演奏するジャズ・コンサートを開催するため、古関裕而記念館の使用を黄色のサロン利用案内を確認の上使用許可をいただきました 。ありがとうございました。
許可証を根拠にチラシをつくり、新聞など各種メデアやおおくの知人にコンサートの知らせを配送いたしました。
そのご12月16日になり演奏者からマイクなどを使用しては演奏出来ないようであると連絡があり、12月17日佐藤敏宏が記念館の責任者(男性)のかたに面会し説明を聞き確認いたしまし。
確認内容
● 既存コンセントなどを使用し既設電気容量範囲であればアンプ・マイクなどの各種機器等・・例えば・・スピーカ・アンプ類・コンピュータを利用した音楽・エレクトリックギター・シンセサイザーを使用し演奏してもよろしい
当日にいたり互いに混乱なきよう、12月18日改めて書面弐通を作成し一部づつ保管し互いに確認しておきたいと思い
12月 日 上記確認内容にそういありません
古関裕而記念館
使用許可受理者
互いに書面にサインして認め印割り印をおしてましたのでご安心くださいませ。その写しは掲示板にはっておきました。
12月17日 曇り 室温9℃
大
阪芸術大学卒業設計公開審査 in ラブラブ大阪から今朝もどり仕事場にもどり着いて、掲示板に写真などをアップしようと思ったら、書き込めない・・またもやサーバ容量オバーなのかな〜・・出鼻をくじかれる・・・。沢山書きたいことがあるが・・寒い・・ノンビリ書いていくことにす・る・・。
大阪芸大での公開審査終了後の集合写真
西沢立衛賞に輝いた 瀬戸口ドミニクさん
佐藤敏宏賞に輝いた 林 保慶さん
2003年度 学長賞 に輝いた 柿沢 高子さん
招いていただいた宮本佳明さん、公開審査の司会進行をされた奥佳弥さんはじめおおくの先生方お世話になりました。がくせいさん・・ご苦労様でした
12月11日 晴れ
27日のコンサートチラシを播き終える。10数枚は郵送した・・日頃の付き合いの少なさ、引きこもり気味の生活なのかなー・・あらためて知る・・
土曜日に大阪芸大で行われる、卒業設計の公開審査会の
ゲスト審査員!・・西沢立衛さんと私らしい・・
今晩からでかけて、おおよそ1週間のラブラブ大阪生活に突入・・
12月10日 すきま風の音がひゅーひゅーともの悲しい。室温10℃。この数日で盆地周囲の山は雪化粧をすませた。
明日の晩から大阪へでかけようとおもったので、27〜28日の大まかなスケジュールを作り、
WEBにのせた。ついでに各新聞社へ取材依頼をする。県庁の記者クラブが効率的。しかし手渡しじゃないので・・捨てられる可能性大・・手間を惜しむ報いは受けよう・・。
昨夜・・27日の古関裕而記念館で行う
コンサート案内のみのチラシを街に出て播いた。30代にはイベントを主催したり、手伝わされたりで、年中やっていた。
チラシ播きやら広告取りは慣れていた福島の街・・で知った気でいた街の様子は20年経ってすっかり手応えが変わっていた 。大きく変化したのは夜賑わう
通りが移動してる、店が無くなっている、
顔見知りの経営者達は年取ってしまってる・・
客はすっかり若返りをして分からない・・私は浦島太郎来気分・・当たり前だ・・。 この2年ほど引きこもり気味だし、勿論街に出て呑んだりしてなかったからね・・
店内の若者の服装が小綺麗になったのは、衣装好きもあろうが、情報の早さが格段にアップしたので、格好だけはつけないと落ち着かないのだろうかな・・小綺麗なほうが見てても楽しいけど・・
日本中蔓延してる
中心市街地の空洞化ってやつも、モロに出ていて、大きなビルが数本消えて無くなってしまったり・・街は原野化していくようだ・・
原野化が進んで、運営している人が若返っている街にコンサートのチラシを播くのも案外楽しいものだ。古いコネを極力使わないで、新しい出会いや、街の使い方を体験してみると、
街は使いたいようには出来ていないし、街の運営の仕方もそうなっていない・・受け答えがお役所仕事のような雰囲気が多い・・街から自主性のようなものが消えてかけマニアル化が進んでいるのかもしれない・・
10月9日 自衛隊のイラク派遣に反対します
12月08日 曇り 11℃ 昨夜雪がちらついていた。夜があけて山は裾まで白い文様に染め抜かれている。暖冬といわれてスキー場開きが遅れているようだが・・今日当たりから滑ることができるのだろうか・・
27日に主催することになった古関裕而記念館 コンサートの雑事をあれこれ・・あまり進展せず・・・・農家の主婦の方におおく来ていただこうと知人に電話したりする・・
山形の
香川浩さんよりメールあり
・・・ 先週、元倉眞琴さんが東北芸工大に植田さんを招いて特別講義を開催しまして、その翌日、私がご案内して山形ツアーをしました。黒川紀章の寒河江市庁舎、谷口吉郎の斎藤茂吉記念館など訪れましたが、この二つはほぼ同時期の建築なんですね。当時の黒川さんの過激さが際立ちます
植田さんにお会いするたびに感じますが、学生に対して本気で向き合い、無邪気なほどに建物を味わおうとする姿勢はすばらしいです。・・・・
残念・・知っていれば特別講義を聞きに出掛けたのに・・電話の向こうでも植田さんは元気そうだったが・・来月の展覧会へ向けて爆発してるんかなー・・。
大阪の建築家・
新田正樹さんから電話「大阪芸大・・見たでー・・人気者ヤナー・・渡辺さんや高崎と呑まない・・・」とこちらには連絡があったばかりなのに既に知っている。肉体派と呑むのは、ゲスト審査会前は辛いの、月曜日以降にしていただく、・・肉体派は宴会準備を整えて居る様子・・
トンボ帰りしようと思っていたが、今週末からの再度ラブラブ大阪暮らしは、長引きそうな気配だな〜・・月末の準備整えてしまわないと・・エライ・・コッチャー・・
12月05 晴れ
大阪芸術大学より卒業設計公開審査のゲスト審査員依頼の手紙が届く。13日11時より開始して17:30まで。12日福島を出ないと 間に合わないなー・・
午後
myサポータMが大腸腫瘍で手術して1月が経ったので見舞いにでかける。予想以上に元気になっていたので安心しました・・術後なので弱気は仕方なし。
12月27〜28日 建築あそび おおよそ ・・をまとめてみる。
車であちこち移動しなければならないので車2台で、移動総勢10名を目標にしてみよう。
27日の予定・・
アンビニエントジャズコンサート (古関裕而記念館)
pm6時 開場 6:30〜7時演奏開始 8時終了
打ち上げ我が家で翌朝まで・・チラシが届いたので掲示板に貼る
田中浩也さん達が東京から車でやってきて、セッティングなど時間の予測がつかないが・・早めに着いていただき、早めにセッティングして、6時半には演奏開始したいな〜・・と思う コンサートは椅子あり40名(関係者20+入場者20) 立ち席30名ぐらい で うち切りたいなー・・ 入場料は無しで300円以上のカンパお願いしよう・・演奏内容やスタイルは
ここなことです。
28日の予定
須賀川市の
BOX5でpm2〜5時まで
菅野裕子さん「音楽と建築」の講演を行い、車で福島まで戻り、年末だし雪が降る可能性もあるので移動に2〜3時間として 我が家で宴会はpm7〜翌朝まで で同時に「ワラッテイイトモ、」上映会
●参加費など・・雑魚寝、地酒・飯付きで
2日間通しで 5000円 どちらか1日 2500円
募集人数 3〜5名(最大)車2台で移動なので仕方なしかな・・・
12月04日 晴れ 建築あそび会場探しをして・・会場を決める。
月末の27〜28日 の建築あそび は予想してなかった展開となる。でできるのかー・・なんだけど・・
やってみよう・・になり、27日の
田中浩也さんチームコンサート会場を決めてしまった。支払いも済ませたので・・やるよ・・。
会場は
古関裕而記念館の1階サロンです。
場所はここ。椅子が44脚ほどあるしグランドピアノもあり、スクリーンもある。借りた時間は
27日のPM5:30〜8:30分までだが、準備片付け時間も含むということだから、演奏時間は1〜1:30分ほどだろうから、
演奏時間はPM6:30〜8時かなー・・。外観、内観は掲示板にはる。
使用上の注意は・・
1、責任者の明示 2、使用許可書の提示 3、使用時間の厳守 4,下駄 サンダルの禁止 5、飲食の禁止 6 貼り紙の禁止 7 危険物・動物の持ち込み禁止 7現状回復
使用の取り消しなど
1、会費・入場料・物品販売等を行うとき・・
なんと入場料を取ってはだめだそうで・・・・駐車場有り・更衣室なし・・
12月3日 晴れ
数日前に調べた元修道院はピアノが無いので・・・年末27日の建築あそびに追加した
コンサート会場を探し回る、町中の広場は土地、ステージ、テントなど部位によって管理者が異なるので・・一々許可取らなければならないので、やってる間ないから断念。使う側に配慮していないのはいかにもお役所仕事。
BOX2の2階は小さなジャズ喫茶でいいんだけど、常連が催すコンサートでだめだったが、再度念をおした・・けど、前座なら
・・ズブシブ・・これはこちらがいやなのでだめ・・。
音楽堂も当たったが小ホールでも200人収容で今から告知しても年末だし集まらないだろう・・観客少なくてデカイホールでは寂しい・・・音楽堂の管理者に聞くと
古関裕而記念館のホールで時々コンサートがあるらしと・・・勧められるが・・収容数が少ない、使用時間短くて時間当たりの使用料は高価だ・・
12月02日 快晴
朝のニュースによるとアルカイダの連中がイラクに集まって生物化学兵器を準備しているらしいと物騒・・劣化ウランを使ったり、以前は枯れ葉剤を播いた国に対しては・・それもありうるだろう・・
この国の首相の流れはタカ派。社民は消えかけている。不況を脱出するどころか地銀の足銀は潰れた、年末になり足下は不安定だ。年金問題はまたもや先送りされそう・
・問題はいつも山積しているのが普通なんだけど・・忘年会時期だしで、なんでもいいからスッキリさせろ・・の勢いと、化学兵器が、遠いイラクでぶつかり合わないことを願いたいものだ。
植田実さんの学会賞を祝う会から封書が届き、展示会と交歓会と小冊子の作成として400万円かかるので一口5000円以上で支援ほしいとあった。
最近オレオレ詐欺など横行しているし、事務局の名は聞いたこともない名なので、掲示板に書き込んだりして・・万が一と思ったので、
植田実さんに電話して確認した。
植田実さんは、高額な会費を取ってありきたりの受賞パーティーやって人を集めても、話を聞いている人はいないし・・
(今年あった6ヒルズでの受賞パーティー最悪だったよ)そんなことより皆さんとなにか作ってみたい・・などと話している・・。
周囲の友人達は大反対のようで、目標が集まらなかったら自腹を切るだとか・・1000人以上と集まりすぎては大変だーとか・・企業スポンサーで処理した方が簡単だとか・・アレコロを押し切って実践するのだそう・・
パチパチパチ。
植田さんが世に送り出した建築家達は当時、野武士と言われていた。現在は殿様になっている人も多いんだろう。当時は本を介して世に出ることに必死だった人達も殿になって、どんな様・面をしているのか興味が湧くなー・・そういう人達が何人植田さんのもとへはせ参じるのか・・楽しみでもあるねー・・ ・・植田さんの企ては暗い年末にあって痛快だー・・会場に集まったみんなで小冊子を作り上げ、後に配布するようなことも話されていたし・・、きびしいしせんを持ってノンビリ編集作業を会場でなさるようなのだ・・・貧乏な私でも勿論支援するぜ・・
一口5000円と書いてあるけど、若い人は大変だろうから、2000〜3000円でもイイでしょう・・と植田さんに伺ったら、それで充分ですとのことですよ・・。1月9〜19日の建築学会博物館ギャラリーに、ほぼ毎日行っているので来て欲しいとのことでした。振り込用紙の控えもって植田さんに会って、お話してきましょう。振り込み先などの詳細は
ここです。
12月1日 あめのち 曇り 14℃
師走に入った・今年1年
きな臭い年となってしまうようだ。
3月に始まったイラク戦争でとうとう日本政府の外交官2名が何ものかに殺害されてしまった。
イラク人を集めた復興支援会議へ向かう途中であったことや高価な車を射撃していることなどの報道を聞くと、物取りではなく、支援会議を阻害すべく外交官をねらい撃ちにしたと考えていいのではないだろうか。スペインや韓国の人人も殺害され、イラク全土がブッシュアメリカやアメリカに同調するモノへの抵抗運動の様になって来たのかもしれない・・・。
支援会議が行われ日本人がその場を通過することを知っているから攻撃が出来たのだろう。その情報を知り得るということはイラク支援会議の内部に抵抗運動を支援する人人が多数存在しているということだろうなー・・。
とりあえず、
日本の二人が危険な地域での働きで命を失われたことに対してお悔やみを記しておきたい。
自衛隊のイラク派遣をめぐって議論が高まる中だが、今一度ここは立ち止まって、イラク人にとって最も良い国際支援のあり方を国会や国連で討議すべきだろう。討議も安全もたしかめることなく、自衛隊員がイラクへ派遣され殺害された場合・・隊員の家族に対してどのように、何を償うことができるのだろうか・・中東の油を手に入れるために自衛隊員は 死ぬの・・いやだろうね・・。
現在の隊員にとってはイラク派遣は契約違反もいいとこなんだから、隊員の家族を不安に陥れる前に
ブッシュのように隠れ行動をせず,・・ゲリラ戦は戦闘行為じゃないといい、イラク特措法を
つくった政治家の責任を示すべく文民統制を代表するあなた・・「行くぜー」宣言をして現在の防衛庁長官が自らイラクへ出向き現地調査してきてみてはどうなの・・政治家や防衛庁長官の替えはいくらでも存在するだろうが 家族にとって隊員一人一人の代わりをできる人間は存在しないだろうから・・とありえないことを考えてしまう曇り空・・。