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   2002年11月の日記


11月30日 数日前の強風でほぼ散った銀杏の葉、今日全て地に落ちた。晴れ・・少し寒さが緩んで暖かな気分。

昨夜花田達朗教授よりメールがあり、11月2日建築あそびの記録校正修了したとのこと・・大幅手直しとかで・・かなり力入っている様子・・に恐縮する

23日に仙台で偶然お会いし縁が出来た建築家の塚本由晴さんからメールがある。3月中頃なら予定が合いそうです。塚本由晴さんよろしくお願いいたします。来年の新酒と塚本由晴さんを囲み 建築あそび についての詳細は年が明けたら掲示板で募集することにしよう・・。

昨日から日本史を研究してるmy長男から東島誠さんの著書「公共圏の歴史的創造 」東京大学出版会7400円+税を借りて読み始める。



11月28日 曇り 昨夜から・びゅーびゅーと強風が鳴いていた。起きて庭を見上げると銀杏の枝に、どこから飛んできたのか・・黒いシャツがハンガーと共に引っかかってる。長い竹竿を使い叩き落とす。持ち主は拾っていくだろうと思って、道路との堺にあるネットフェンスに掛けておいた。夕方シャツは無くなっていた。 

来月の6日当たりに上京しそうなので大島哲蔵さんの月命日6日はノンビリ便りを読むことが出来そうもない・・・ので大島さんからの便りをUPできなくなってしまう・・・。来月分のページを朝から作る。便りは4年ほど前の話で・・が続いて行くんだけれど・・当時のことを思いだしてしまい・・つい手を止めて読み込んでしまうなー。なんとか98年の4月半ばまで終える。



 11月27日 曇りにて寒い

2ヶ月ほど放置してたメールBOXを整理する・・たくさん貯まりすぎちゃった・・面倒至極なのでマメに整理しなくちゃ・・と反省

八重樫さんからメールがあり12月28日忘年会兼八重樫直人さんの近作を語るは・・

内容としては、五戸、山形をほんの少しやって、黒川の小さな住宅・創造工学センター(佐藤さんは見ましたね)・多賀城のアトリエ(窓が沢山あるやつ)・稽古場(阿部さんの新アトリエ近くでしたが見てませんよね。)・産婦人科2題ということになります。1〜2時間程度でしょうか。他余裕があれば、計画している集合住宅2題も追加しましょうか・・

と言うタップリの内容です。八重樫さんよろしくお願いします
若い方のたくさんの参加があればいい・・



11月26日 晴れているけど時雨がひどい

五十嵐太郎さんが共同通信社を通して地方紙に配信している「見聞録」の掲載の一部 愛媛新聞のコピーが届いた。千万家や建築あそびなどにかんしてよくかいていただいた。方々に配る。時雨や風が強いね。内容をタイプしてもいいけど、今後掲載される可能性があるので止める。愛媛新聞は文化欄に掲載されていました。回りの記事を読むのも楽しいモノです。
五十嵐太郎さんありがとうございました

忘年会しなくっちゃー・・
温泉宿で一泊しながら忘年会を兼ねて建築あそびをしよう・・・と思い2週間ほど前から近場を捜していたが、宿の空きが見つからず断念。それじゃー・・我が家で忘年会を・・。12月28日午後から講師は仙台在住の八重樫直人さんにお願いしました。内容は山形の住宅以降〜近作までを解説していただくようにお願いOKしてもらう。

参加希望者を募集する。泊まり4000円で6人まで。泊まらない人は3000円で6人までで・・総勢15人までがいいなー。八重樫さんモリモリ新作を量産中です・・



11月25日 今日は久しぶりの冷たい大雨

23日の午後から24日まで仙台にでかけた。23日はいい天気で阿部仁史さんの事務所10周年記念と卸町へ移店のお披露目を兼ねたパーティーへ・・。一人で行くのは寂しいから八重樫さんの事務所へ電話・・休みのようである。所員のjチャン仙台駅近くで買い物中とかで誘い阿部事務所を探す・・暗いうえに人気が無いねー・・卸町あたりをウロウロ。

灯りをたよりに山勘で侵入したら、事務所の裏だったようで、外壁から司会進行の音がガンガン漏れている。裏の狭い隙間を抜けて正面へ・・裏側とは裏腹に正面は東京並の賑わいに・・驚きっつ受付を済ませ会場へ

学生・建築家・大学教授・建築業者風の人達で1階は溢れかえっているので、2階の椅子のある場所を陣取る。ワインや駄菓子などをほおばりながらjちゃんと話ている。そこへ五十嵐太郎さんが現れる・・深夜まで五十嵐さんとダベル・・建築あそびを参考にしてなにやら活動もしてるとか、10+1の写真アーカイブのこと、飛騨高山の建築学校のこと、大学での製図を担当して苦労ありなんてことなど、ワイワイ話していると太郎さん夫人から電話があり話す・・12月7日槻橋修さんkさんの結婚披露パーティ・・で会いましょうと約束をして電話を切る

仙台なのに・・建築雑誌から飛び出して来たような建築家がその隅に集まりだして怪しい雰囲気・・・ダベルダベル。藤村龍至さん師匠の塚本由晴氏も現れる・・ダベル・・で仙台の街へくり出して呑みダベル。 塚本先生に建築あそびの講師をお願いする。地酒で鶴って感じだなー・・OKとのこと、覚えているかどうかは分からないので近いうちにメールを入れてみよう。みかんぐみの曽我部さんは来年3月は芸大のお仕事で忙しいとのことでいずれまた・・

東京でもないのこんなに建築家などの関係者が集まるのは異常なことじゃないかなー・・翌日近くの町で学生を集めた勉強会があるとか・・そういうことか・・倉庫内はミニ東京建築家界のような雰囲気・・。

深夜24日なってしまってmy長男・長女のアパートへ。my長男日本史学会で滋賀へ出掛けてるとのこと、my長男の布団に潜り込み寝る。

24日は昼過ぎまで寝ていてその後my長女の手製の昼飯をごちそうになりダベル。現在は卒業試験中・・来年3月に医師国家試験があるとかで勉強中・・かまわず夕方までダベル

帰り道は高速バスで福島へ仙台の中心街から1時間ほど、料金は800円と安く・・便利で安ければ人気はあり、バスは混んでいた。

家に戻ると大田浩史さんより南泰裕さんの初の著書「住居はいかに可能か」出版記念パーティーのお知らせ・・・日時:12月14日(土)PM7:00-9:00(開場6:30-)・場所:六本木THINK ZONE(tel:5770-8777)文字だけ掲示板に貼りました
南泰裕さんおめでとうございます



11月22日 快晴  車を走らせ茂庭のダムまで行く。ロックダム。ダムが出来ると上流から流れて来る土砂や木の葉だのがダム底に貯まって腐敗し処置に困る。そのまま放置するとダムは埋まってしまう。腐ったそれらを流すと川がイカレル

・・という話は建設計画以前にある程度の知識を持っているのなら知っていたことだ。数日前の新聞に中部地方にあるダムが相当体積物で埋まって、どうしようもなくなりつつあるそうだ。ダムを取り払いもとの川に戻すのにも体積物は何処へ・・海へ・・なんだけど資金がない・・

 詳細は知らないがバブリーな時代にイケイケどんどん代議し達がでっち上げらた計画が実行されてる多目的ダムなんだろ。ロックが綺麗に積み上げられて、その足下には民家だの学校だのが迫っていて、50年後ぐらいには堆積物をどうするのかと・・騒ぎになることだろうよ・・茂庭の綺麗だった景観の中を大きな道路が突っ切り、茂庭を何でもない場所に変えてしまったなー・・今時 飲料水や工業用水は不足していのだろうか・・

帰り道、スーパーによると途中近くて民家が火事になったようでモウモウと煙を上げていた。野次馬が煙に向かって吸い込まれて行く。人の不幸を観るのがみんな好きなのかもしれない・・・。

数日前に都市を体験して・・何処にでも自分の居場所があるけれど、その何処でもが自分の居場所ではない・・と思った。都市が自然になったなんて言い替えると日本に昔からあった叙情的な事になってしまうが違うんだ・・。

伝統的な感じかたとチョイト違うのでその事を書いてみよう

都市の中に居場所があると思える人間の条件は消費する人間としての個人ではないか。何のために消費するか・・と言うことは9:11以降大分考えてしまうよなー・

情報・食い物・場所 ・モノ・事あらゆる事象を消費する人間。国民・国家の国民じゃなくてグローバライゼーヨンの中にあって消費する人が人間として認めれている・・だけなんじゃないのか・・という事を身に迫って感じることができた。

都市化された情報的モノを消費しない又は消費能力がない人間はグローバライゼーヨン化が進む都市のなかでは人として扱われないようになりつつある・・と絞り込んで・・想像してみる必要がありそうだ・・。

今月初めの建築あそびで教わったことは、国民・国家という考え方は数世紀前に発明された考えかたで、国民を発明し土地を区切り、生産と消費を拡大する。やがてその先には帝国主義戦争が起こり、冷戦構造が生まれ、東西の壁が壊れ・・9:11が起こり、一握りの人間(アメリカあたりの資本家)の為に、グローバル企業が生まれ、国家が利用され、消費可能な人間は国境を越えて編成されてる。

国民として見なされる人間は 呑気に情報・ものを消費 する。戦争による情報だろうが何だろうがみんな見せ物。口には出さぬが身が安全であれば他人は無惨な方がスリルがあっていい程度・・午後のワイドショーのコメンテーターは拉致だろうが戦争だろうが見せ物にして 各家庭に送り届け小賢しく稼いでいる。そんな場所しか居場所がないんだ・・・なんて気が付きもせず消費を繰り返す。

消費の世界から身を引くとどうなるかは・・想像が付く。反対でも唱え行動を起こせば・・劣化ウランのピンポイント攻撃で、我が身はおろか身ごもる子供さえ奇形児と化す。限りなき底辺に向かう競争の中に放り込まれる始末

そんな居場所のなさだ・・だから日本の伝統的な居場所がない・・と嘆くあれではない。幸いと言うか不幸にしてと言うべきかG7の中に入っている日本に住む人・人にとって未来は明るくない・・。こうして時間を使いHPをPを重ねるたびに・・チャリンちゃりんと・・帝国のオオに奉仕しつつ底辺に限りなく向かう競争をしているんだね・・さーてどうするか・・



11月21日 晴れ 曇り 時雨のくりかえし

湯さんが今日の 掲示板のなかに 画像だけの狂乱索餌ならgoogle ・・ていいう書き込みがあって・・イグアナから切り絵の作家にWEB上で行き当たり、個展を見学しに行ったとのこと・・その 切り絵を観ていると手元にあった根付けを思いだして捜してみる・・・あった

根付けはいまで言うフィギアに当たるものだろうけど、引き出しの中にある鹿の根付け(高さ6センチ幅3.5奥行き1.8センチほど)象牙製(・・か動物の骨?)で戦前に作られてものか・・鹿が天を仰いで嘆き悲しんでいるなんてモチーフは近代以降のモノだろうな・・15年ほど前に死んじゃったけど、知り合いが食い詰めて泣きついてきたので5万円で買った。適切な値段だったかどうかは分からない。丁度あぶく銭でも入っていたのだろう。手に入れて引き出しに放置したままだ。嘆いてる姿か・・発情してヒーヨヒーヨとメスを呼んでいる姿のようにも見えるなー

汚れているので水に浸け置き汚れを落とし始める・・ゴシゴシ磨く。刻みタバコのケースまたは煙管入れにでも付いていたのだろうか穴が空いていて、紐が詰まっている。ソイツを取り除こうといろいろ試しているが一向に上手く取れない。5ミリほどの穴。開けるよりはらくちんだと思うが上手く取れない紐。ツンツンツンツン・・

この穴を掘った職人さんは どんな人。何処でどんな暮らしをしていたのだろうか。 友達や家族なんて一人もいなくって・・根付けの鹿のように天を仰いで嘆き悲しんでいたのだろうか。いや嫌々・・女に好かれすぎ・・三角関係から多角関係になりすぎて、もう一押し、丸くしたらねー・・天を仰いでいるのだろうか・・すねの裏に岡吉と書いてある。

 もう一つ持っている根付けを思いだした。横綱の姿を彫ったも。今場所の相撲は横綱大関休場で 相撲興行危機的 なんじゃない  白く小さな横綱にたずねてみた・・明日 二つとも掲示板にのせよう・・



11月20日 晴れ 

18日の阿佐美での話をした後宴会になり今日になったばかりの仕事場に着いた。庭の銀杏の葉もほぼ散って大地は真っ黄色になっていた。風の力で葉が互いに触れあい、斜めになった日射しの中でカサカサ音をたてている。

阿佐美ではmyHPを使って話をしたが 背中に映像が写されているのでどんな具合に見えるのかは確認せずじまい。いろんな場所で話 機会があったが HPを使うと話すのにとても便利だ。ホームを話をするために構成してないので、自分が作成してるにもかかわらず使いづらかったこと。 話の筋を構成して事前にページを作るなどしてリンクを整理しておいた方が便利だと思った。

建築あそびは学校と違って誰でもが参加でき、自由な発言することが保証されて、参加した人達がその場の雰囲気を楽しみ守ろういう意識があることが大きな特徴だと思っている。そして講師の交通費と食材費等の経費を参加してる全員(私・my子・サポーターの方々それから当日参加する人を合わせた人数)で均等割りしている。まいど足がでるのが現実かな・・。

地酒の代金はサポーターの方々の差し入れであるから、参加費には酒代は含まれていない。だからサポーターの方々は酒代と手伝いと参加費を負担していることになっている。

 参加者が各自の意識でその場を作る建築あそびに慣れるんだなーと、学校に・・お・・一寸違うなー・・いつもと・・を私が感じるようになっているのが面白かった。

学生は親から授業料をもらい(借り受けて)学校に支払い教室に来ているのだろうなー・・みんな静かだ・・席を立つ生徒もなく、ましてツマラナイから金返せなんて野次る生徒もいない。これが不思議な感じだったなー・・。

また自分で話をしてて、二重の不可能を抱えていることもハッキリして面白かった。一つは都市を通過すると都市は個人の存在の重要性よりはあらゆる人にとって利便な場を求めて作られているように感じる。何処にでも自分の居場所があるけれど、その何処でもが自分の居場所ではないということ。住宅を作る場合に個人の居場所があるべきを前提にして考え始めることが多いので・・その点については人々が多数集まる都市とは正反対のベクトルになる・・ということが一つ・・そうじゃない作り方もあるけど・・

それから人々が公共圏のようなものつくり維持するような・・あり得ない後の場を作ろうとして考えている(いた)と言うこと。実現する事がない理想の中にまた実現する事がない理想の場を作ろうとしてる喜劇が一つ。

 二重の不可能に対してモノを扱い作り考えることは相当に楽しい・・なんて思うのは私だけじゃないの・・・・それが建築家の性だろうなー。建築家が生業として成立しない現実といのはこんな大地・源に立っているからなnだろうね。


コンシタンティン・メーリニコフの展覧会を見て、下階の書店で福田晴虔教授の大島哲蔵さん追悼が載っている10+1を求める。藤村龍至+山崎泰寛の「都市は学校で作られる」も載っていた。



11月17日 晴れ 銀杏の落ち葉が庭を埋め尽くして大地が真っ黄色になっている。なんとも綺麗と私は思う。落ち葉をゴミと思っている人は多そうだ。落ち葉一つ落ちてない舗装道路を歩いて仕事場へ

教育基本法改正について Aという代議士が新聞に意見を述べている。冷戦構造が終わりグローバリズムが・・教育基本法には「国」という概念を明確に打ち出す必要がある・・「愛国心」を持つことの大切さを明示(法で)すべきなのだ・・と唱えている。

公権力が個人の自由な教育を受ける権利を守らず・・まずは国を守るという倒錯した国家主義に驚くばかり。本気でそう思っているようだ・・代々政治家の家系の人らしく・・戦後50数年たっても政治家って・・一個人から発想し国を作り、個の親密な世界を豊にすために個を支援保護するを国が担う・・他者(現時点では国民国家という思考)と対峙するって発想は無いようだ ・・戦前に逆戻りしそうだよ・・政治が感情的になったり右傾化するのはグローバライゼーショへの逆反応だ・・キレル・逆切れるすような者は50年前に存在してなかった。だから現在の教育は悪くなっていると言い張るが、小さな現象・現状に切れているのは政治家自身じゃないのか・・と思う。

50ねんまえとは比較にならない豊さ・多種多様な欲望の中にあって若者がとても過敏に生きざるを得ないという事を理解できないのだろうか。人間の多様さを拓く方向へと・・国は個人の後方支援に回るべきだ思うが、半年後にほんとに改正されちゃうのだろうか・・中止・注視しべし・・



11月16日 曇り 相変わらずの寒さだよなー
今日はデジカメを借りて我が家の庭を撮った・・秋の風景というか・・落ち葉がとても綺麗なんだけど、データ量を落としてしまうとちっとも綺麗に見えない。デジカメの中での汚いと綺麗の差はとても微妙な差で,汚いの中に綺麗。綺麗の中に汚いがある。
建築あそびのデータをまとめたので読み返す。

その講話の中でHPや掲示板について触れられていた。HPの私事性の公共化という問題と私事性を公共化して行くっていうことは果たしてそれは公共圏を生み出すことになるのか・・という問題だった。

HPは私事性を公共化してるといえるんだろうか。HPを見てるのは多分顔見知りの人たちだろう。公共化というよりは内輪の人達が隣を覗くって気分なんではないだろうか。あんまりWEBを活用してない身としてはそんな感想だ。しかし誰でもが覗くことが出来るので公共化とも言えそうだ。リアルな空間にある訳じゃないのでPCを持ってない人は見ないしHPを覗こうとする意志のある人のみが見るわけだから非常に限定された人達が見てる。それもHPの性質を知っている人が見るのだからなー・・。現実の空間に露出しているような公共化とは違うような気がするなー・・
限定された公共化だよなー・・公共化かそれは・・HPの過大評価じゃないかー。

掲示板は公共圏を生み出すか・・公共圏の主な定義は3点あった

1.会話(書き込み)に制限が加えられていない
2.誰でもが自由に参加出来る。
3.参加してる者がその場をシェアーしようという意識を持っている。

建築あそびは一堂に会して顔をつきあわせて語りあうが原則なので問題が起きても対応はしやすいけど、掲示板の場合は誰が書いているのか確かめることは難しい。なりすましての書き込みも出来るし、名前を沢山もって使い分け多様に書き込む芸当だってできるし・

1と2 は合格として3は非常に怪しい

掲示板荒らしのような書き手の孤独や淋しさを紛らすための書き込み・・書き捨てるという場合や 掲示板破りとでも言うのだろうか・・書き手がメダつを目的としている輩だっている。自己宣伝のような様。現実の空間にもそのような輩は居るんだが現実の場ではの発言は制限しやすいけど、掲示板は書きたい放題だ。

 3を自覚して書き込む人が多い方が掲示板の今後にとっていいのか悪いのか分からない。現状の掲示板に公共圏を期待するのは無理だろうなーと少ない経験の中で思った。

テーマを決めて司会者を決めて実名(新聞雑誌社のような・・)で書き合うことがなければ掲示板が公共圏をうみだたりはしないだろうなー・・・・・そのあたりを誰かに聞いてみよう。掲示板に多くを期待するのは現状では間違いなんだろうなー・・それなりに使いこなすってことが肝要かな・・。



11月15日 曇り

吹雪より遅れて来た信夫山の紅葉・・ようやく山が錦を着てるよな案配になる。庭にも渡り鳥がやって来るようになって色とりどりに鳴き声を張り上げている。取り入れた我が家の柿の実は9割が渋そ・・う・・なので皮をむいて干し柿にしちゃうよ。といっても美味い干し柿になるかどうかは分からない。軒に吊してみる。数日前に吊したものすっかり表面は乾いて水分が大分飛んだようで表面が白っぽく変色して来て・・甘い干し柿になる気配あり。・・口に入る前に渡り鳥につっかれてしまうかも知れないがそれもいいだろう。

 写真投稿掲示板は開店したモノのデジカメがいかれてしまったので、いまいち気分が乗らない・・ノリが悪い・・撮り貯めて置いた画像を乗せようか・・気が乗らない・・掲示板の画像は今日撮りたてじゃないと面白味に欠けると思い込んでしまっているのでデジカメの故障は開店早々具合が悪い。修理代は18000円程とか、これはすっかり貧乏になってしまった現在では高額なのでためらう・・では・・他の方法で画像をつくれないか・・相当に古い旅行の写真を整理しながらオモロイ画像を乗せる・・お絵かきソフトで画像を作り乗せる・・などかんがえるが・・いまいち面白そうじゃない・・取り立て画像の新鮮さと面白さにおいて質が追いつかないだろう・・でこれも没・・ということで画像掲示板は当分の間は絵無しで続けることにするかなー・・。

仙台の建築家の阿部仁史さんの移転に伴う事務所開きの連絡がある・・来週11月23日pm5:30〜10:00までとか・・めでたし・・掲示板にも乗せよう・・



11月13日 晴れ だけど昨日より冷える

10MBで一杯になるとオバー分は有料となるmyHPだが2MBほど削除整理をした。あれこれ悩む.。面白いと思って作ったページなので削除するとなると、未練が残るんもんだ。花田先生の未公開の記録も含めて8MBだからまだまだ余裕がある。開設以来グダグダ書いてきた日記の1年分を落とそうかと思ったが余裕がでたのでそのままにした。

今日から新しい掲示板を使用開始。20KB以下の写真投稿ができます。利用してください。

花田教授の講話記録を読み直していると、次々にキーボードの打ち間違いがある。それで何度も直しているんだが、どうも頭が悪いようで幾度直しても出てくる。
 当日いただいた「重源の皺」という文章がある。まだ公開できないのが残念。建築家のあるべき理想としてよんで頂けると嬉しい。校正中につきお待ちください・・重源がパブリックなるモノを見据えて使命感に燃え阿弥陀仏という表象をこの世に具現させるために生きた・・と書いてある。まったく同感・・尊敬すべき建築家だと思う。付け加えるとすれば私が体験した浄土寺浄土堂内にある阿弥陀仏と建築の共演における表現方法が非常に優れていて現代でももちろん通用するから仰天するばかり・・そして800年ほど地上に建っている現実にも・感じ入るばかりでした・・浄土寺を思いだしました・・。



11月12日 晴れ数日前からの寒さが遠ざかり暖かく感じる。昨日のこと。
古くからの友達が現れ・・会津へ出かける。喜多方にある長床の写真データを集めたいと思っていたのでナイスなタイミング。福島から会津へぬける峠付近は雪がタップリある。トンネルを抜けた当たりにあるスキー場はリフトは動いてないが滑ることが出来るような具合なんだけど・・・ニュースによると潰れたようだ。バブルだとかリゾート法だとかによって浮かれ作り・・その後潰れた施設が磐梯山周囲には多し。

会津磐梯山は宝の山から、不良債権が裾のを飾る山に成り下がる平成の景観。

裏磐梯から喜多方へ抜ける間の道の両サイドにも雪がうずたかくて、日蔭に当たる道はシャーベット状の雪が数十センチ残っていて、今年初めて体験する雪道に緊張する。

喜多方市の西外れにある熊野神社の拝殿までおおよそ2時間半。長床にある大木の銀杏のは葉はまだ充分に色づいてなかった。観光客はいつもより多め。農家の人達が秋の取り入れをすませ温泉に浸かっての観光のよう・・それとも老人会かな・・そのような人が多い。普段なら不必要な観光案内が流ていいて雰囲気を台無しにするのだが、今日は放送が無い代わりに人が多い。

それに近くに牛小屋が出来たようで、牛の糞尿の臭いが漂っている。これも初体験だ。写真には臭いが取り込まれないので、伝えることが出来ないのが残念。長床には20年来何度も通っている。何にも無かった最初の体験が一番印象深く良くって近年になるほどだれが入れ知恵してるのか・・小賢しい知恵を身につけた観光地と化してしまいチョイト残念。

千年の時を経てなお現地に在るということに意味があり、周囲や扱われたかの変化は時の移ろいと共にその時の人々の考え方を表しているのだろうから仕方の無いことかもしれない。牛の臭いとあいまって特に臭いよー・の初感想が懐かしい・・。

長床のデジカメ写真を沢山撮ったが・・柱だけの建物にて全てが同じような具合に見えちゃうなー・・フォトコラ作れるだろうか・・

その後名物の喜多方ラーメンを食べるた・・名物に美味いモノ無しなんていうけど、評判の店は・・・その通りで私の好みには適さず残念。高価なので損した気分。

喜多方の街をウロウロしていたら温泉休憩所を見つけたので、市民で賑わう湯に浸かる。500円で休憩所を使用してもよい・・これは大当たりでした。ゴロゴロして秋の喜多方の空気を楽しむ。喜多方の男達は40になったら蔵を建てることに生き甲斐を感じていたようで、街にくらが多いとのこと喜多方のオトコは気張るんだね・・。
蔵も多いけど造り酒屋もおおいんだ。飯豊の豊かな自然を抱き豊かなわき水がある小さな喜多方市には10件の造り酒屋がある。新酒の季節じゃないから酒蔵へはよらなかった。・・長床の写真は一部掲示板に貼ったが写真館も貼り替えよう・・



11月10日 晴れとはいっても空は冬特有の今にも落ちて来そうな鉛色の雲がたなびいていて危うい感じ昨夜は猛吹雪であった。大地が冷え切っていないので積もることはないんだが、11月初旬だというのに前が見えないほどの吹雪は経験がない。仕事場の目の前の信夫山はまだ緑が深く紅葉準備に取りかかったばかりでチラホラ色づきコレから冬を待つツモリだろうが・・季節を取り違えた吹雪にさぞこたえているだろう

昨夜は吹雪きのなか建築あそびの反省会。お金の精算や食い物のこと参加人数のことなど恒例の反省をする。吹雪の中での反省会は寄せ鍋に限るね・・鍋に野菜だろうが魚・肉・なんでもぶち込み煮込む。鍋はデカーイく大人数で囲み突っつくほうが断然うめーのだ。大きい鍋の方がジンワリと食い物を火が通りうまみがジンワリとそこかしこに溢れだしで超ウマ鍋になるは間違いなし。

そこの上手い地酒があったら酔っちゃう。吹雪の夜の地酒はとって置きの一品でした。新酒に近かく切れ味スッキリしてました。今時分の地酒は熟成しちゃって、ずっしりと重たくなっているんだけど昨夜の酒は軽くシッキリ。新酒でいただくと軽過ぎるのかもしれない。火を通さない日本酒の中には麹菌が生きているから、保存状態によって味が変化する。日本酒は生き物同然で決して同じ味を体験することが出来ないんだ。市販されている日本酒は火入れ、つまり麹菌を殺しているから味が変わることはないので味は一定。もちろん生な日本酒の方が美味いに決まってます。香りが断然違うもちろん味だって、体験しタコとがない人には伝えにくいです、日本酒の奥深さ。


反省会後先日の花田先生の文字化したものをWEB用ページに加工していたら4時・・早朝までかかった。真夏なら夜もあけるだろうが、真っ暗闇から雪が猛烈に湧き出て来る来るとても寒い朝でした。
湯さんの話の続き・・
地方紙の件、何故、考え込んでしまうのでしょう?(1) 取り上げられ方が意に添わないのでしょうか?何処かに書いてくれると嬉しいです。(2)少し大袈裟に言えば地方にあの極を持ってこれるというのはやはり地域社会については画期的な事なのかも知れません。(3)でも、こじんまりとしてるから良いのであって有名になり過ぎちゃうとあの雰囲気は難しいですね。face to faceって意味で。(4)大きくなったらさとうさんはアレをビジネスにすれば良いのでは?って思ったりします

1は8日にかきましたから・・(2)について

地方とか地域社会に対してという意識はほとんど無いです。私の住んでいる福島市が何を目指しているかなんて事さい調査していません。同様に隣人の方がたが何を・・なんてこともです。でも身の回りには多くの情報が在って・・それらに囲まれてボンヤリ生きています。送り届けられる情報達、それらは加工された・・編集整理され伝達されるモノ達です
 私が建築を創る場合に加工された情報はほとんど役に立たないのです。せいぜい知ってる、知らないと言う程度のやり取りの中で専門家以外の方との間で共有出来る共通した知識を確認する程度でしょうか。
 
 ノンビリ生きる身には圧倒的に多量に流れて来る情報の中にいると、自分の身が安全であればどんな危険な情報だって・・不遜な言い方ですが、暇を潰してくれる娯楽の道具になることでしょう。そして圧倒的に流来る情報に身を浸せばなにも考えずに快適に生きて行くことだって出来るでしょう。
 でもその多量な情報がはたして私には快適じゃない・自らが生な情報源に体当たりしてみようと・・で経費を参加する一人一人が等分に負担し、一人では出来ない生な情報や知識に体当しようじゃないか・・も建築あそびの特徴の一部分じゃないかなー・・とおもってます

 今までに参加された多くの方々は近隣の方が非常に少ないですから地域社会と言う言い方はどうでしょうか・・WEBの中にある私のサイトを地域と呼ぶことができるのであれば、それはそう間違っていません。・・現実に住んでいる地域と私の行為の関係はそうとう希薄なんじゃないでしょうか。そうとう希薄でも住宅が十数軒完成したといいことは奇跡的なことだと思っています。全く地域と無縁だとも言えません。

 私が催してる建築あそびの参加者は制約がありませんが、周辺地域の方々の参加をも望んではおりますが残念ながら皆無と言っていいような状態です。身近な方々に連絡をして無理強いをしていないのは 地域である種業界団体のようなモノを作ろうとか、政治的な行動をしようと言うのではないからです。

夢のように出現しては跡形もなく消える。遠方の縁有る方の一夜だけの参加でTAF的公共圏は創りだせればそれでいいのじゃないか・・。

でも、こじんまりとしてるから良いのであって有名になり過ぎちゃうとあの雰囲気は難しいですね。face to faceって意味でと4大きくなったらさとうさんはアレをビジネスにすれば良いのでは?については建築あそび開始する前に考えました。会場を我が家にしているのはそういうモノに成長せないための縛りなんです。総勢20人が限度です。建築あそびは建築を創りだすためのある種の源になればいいしならなくても楽しければいいのです。

 建築を創るっていうことは、その土地建てる人と・・共に face to faceが肝要なことだからです。政治家やスターを目指しているわけではないですから世論に向かうなんてことも目的にはない。それらを目指し装うことも横滑り状態を作り出すことも可能なんでショウガ・・出自やポジションや役割を認識してますから避けます。まずは建築周辺が楽しくにぎやかであって欲しいですねー

建築を創るってことはどんなに困難なことが生まれてもその場にある face to faceで解決する、これが基本的なことですから、小さくても人と人が面と向かって話しあう機会をたくさんつくりたい。情報加工や演出によってある種権威生みだしたり、金儲けネタを作る、習い事・・何とか道(茶道華道踊り)的なやり方もありますね・・それは建築のおもしろさとは別な次元の面白さですからねー・・

グダグタかきましたが、建築を創りだすモノとしては当たり前だと思ってやって来たことが地方紙とはいえ・・社会面のトップ記事になるのかー・・・・寂しいい現実を知らせてもらいました。



11月8日 このところの寒さ、それともいい加減な生活態度が祟って体調がおかしいかな・・風邪引かないようにしたい・・。建築あそび記録用の文字化を始めて終えたら、生活スタイルが変わったな・・夜と朝の関係が逆転。昨夜も何度かテープを聴き直し、不足部を追加していたら夜が明けていたわ・・まずいなー・・遅い朝飯を食って出掛ける。

 自動車の任意保険が10日で切れるので支払いに。いつもの修理工場は仕事場の近くにある。車屋さんの受付カウンターには5日のmy建築が載った新聞のコピーが貼ってあった。「よかったねー上手くまとめるもんだねー」なんて言いながら書類をシャカシャカと作る。この店でもmy建築の宣伝してくれんだなー・・支払いを終え気さくな女将さんとワイワイ話す。

先日湯板(湯さんの掲示板のこと)にこんなことを書いた

my建築・建築あそびのことが地方紙の社会面トップ記事になって・・扱われかたが相当にデカイ・・拉致や防衛庁漏洩問題や殺人などと並んでしまって・・扱われ・・相当考え込んでしまっている私です・・と

湯さんから下記の質問がありました。4点と考えこんだ訳については何度かの日記にて書き込んで行きたいと思います。今日は(1)について

地方紙の件、何故、考え込んでしまうのでしょう?(1) 取り上げられ方が意に添わないのでしょうか? 何処かに書いてくれると嬉しいです。(2)少し大袈裟に言えば地方にあの極を持ってこれるというのはやはり地域社会については画期的な事なのかも知れません。(3)でも、こじんまりとしてるから良いのであって有名になり過ぎちゃうとあの雰囲気は難しいですね。face to faceって意味で。(4)大きくなったらさとうさんはアレをビジネスにすれば良いのでは?って思ったりします

(1)・取り上げられ方が意に添わないのでしょうか

私自身についてのとり上げられ方や生み出される記事の内容については、(他メディアやWEBの中でも)一切の不満も注文もないです。私が依頼された建築がすでに存在してるだけでいい。私が考えたことが現世界に出現しただけで意味があることです。

 その後my建築の存在によって他者から生み出される多様な言葉や行為は私にとって快・不快に関わらず多いに歓迎します。むしろ建築後に生まれるモノ達は他者と私の関係を鮮明にすることです。

 他の力によって私のようなモノの(もしかするとこちらのほうが本質かもしれませんが)存在が増殖し続けるのは本人にとって とても意味のあることなのです。私自身 私を知らないのですから 生まれ出る現象は社会によって作られた鏡で自分を見ているようで楽しくもあり不快でもあります

私は他者にこんな風に思われたい・見られたいなんて希望は全くないです。ですからよくあることですが、建築を発注する方の身近の方から生まれ出る、私に対しての悪口もとても面白いと思って、他者を見たり話を伺ったりしてます。何故ならそこには悪口を発するモノ達の希望や人間性がキチンと見てとることが出来るからです。

 その先にきっと実現化はありえない、理想の他者との共有建築が在る・・見えるような気がするからです。それは決して現実化されてはなりません。何故なら建築は他者のあらゆる欲望や希望を受けとめてこの世に美しい姿で現れる術をまだ身に付けてないからです。

  (2)はあした書きます・・5まではまだまだ・・



11月7日 晴れ 寒さは少し緩んだか・・外へ出ると昨日の寒さのような肌へ刺す感じが消えている

花田教授の2日の建築あそびでの講話の文字化と、お土産にいただいた文章「重源の皺」の文字化。それから資料・重源上人座像の写真をスキャン(準備中掲示板に乗せた)したりしてたら、朝になっていた。昼過ぎまで寝込んじゃった・・う・・。

花田達朗教授の講話は

・重源を代表する勧進聖(かんじんひじり)が創り出した公共圏・公界(くがい)
・公共圏とジェンダー
・公共圏と国民国家
・公共圏とコミュニケーション・メディア

の四点が主な内容でした。3月3日にいただいた図 ハーバーマスによるブルジョワ公共圏の発生論的構図 を理解していない方は、講話について深く理解出来なかったのではないだろうか・・でその後の話合いも深まらなかったような気がする。言い訳だが今回はサポーターが当てにできなくって・・私は準備疲れから酔いが早くまわり、だらーんとしてしまい、コーディネータの役割を果たさないことも大きな原因でしょうか。

当日の話愛の不足の点については、前回の記録と今回出来上がるであろう記録を読んで後に、掲示板などで話あって行けたらいいなー思っています。
 掲示板にも書いたけど湯さんの質問に対する書き込みは明日にして・・


建築あそびでも話題になったが私事圏内にある日記をWEBで公開することについて・・教授からの問いかけについても話合わなかった。そこで今日は私が日記を公開するに至ったのは何で・・を書いてみます。異なる考え方で日記を公開している方が居ましたら・・もちろんいるとおもうけど・・開示板に書いていただければとても嬉しいです。

日記を書き公開することについて
建築家ってどうやって生きていくのかを知るために・・観察したい

以下グダグダと・・
20年前に建築家として生き始めたわけですが、当時の友達や友達の友達も大谷大学を出て地域の歴史資料館に勤務してました。彼らから建築家(勧進聖)が果たした役割と原動力になった源である宗教が果たした役割などについて、歴史をひもといて教えて頂きました。

 現在でも代わり映えしませんが・・目の前に展開してある政治家の餌食になっている公共建築・・の誤りを自覚させる為に 徹底的に教育されたってことでしょうか・・その話のなかの聖達の行動と思考に私の気質も合っている気分がしましたねー・・。

 で今日では花田教授東島誠さんが学問として、パブリックなるものを研究されていまして、勧進などについて認知されっつある。しかしそれらの志を受け入れた行為が現実の公共建築空間で実践されているのか・・・どうかは分かりません。

 勧進聖と今日の建築家をダブらせて行動の規範とすることはよいのか・・生き易いのか・・分かりませんが、そうあるべきだと思い20年も建築を考えて来たわけです。

ですから、勧進聖がいかに現実を生きていたのか、知りたいわけです。・・・建築史家の書いた重源という著書に触れても腑に落ちない。歴史学を学ぶ余裕がないので・・勧進聖の現実を調べることもまま成らず、五来重(ごらいしげる)教授の弟子である友達から高野聖などあれこれ聞き出しても腑に落ちない・・。この地で職人達が催す太子講の話も知っています・・。

・・日本では建築家なんて生業は成り立たないと思っていますので、現代で建築を目指す建築家が、日々現実を生きる記録をも観察したい。他人を覗くわけにもいかないので、自分自身を観察するしか方法がない・・

現実の空間ではいかに生き難いのか、生き易いのか、また無様な者なのか、超カッコいい者なのかを自分自身の生を使い切って観察して見ようじゃないか・・もちろんあまたに在る建築家にして大学教授などのような副業をもってない身ですから相当に無様になることは承知してまして・・・でも・・

スマートに建築家としてこの世を生きたいなら大学教授兼建築家になるべし・・なんだけど、他に方法はないのかなー・・じゃ自分が実験してみよう・・逃げ出せないような方法で観察し続けながら・・これが日記を公開する理由です

現在の大学教授兼建築家と重源のような昔の大学者はポテンシャルとイニシアチヴが比較にならない・・それは雲の上の話で・・

我が身の現実は・・聖なんかと比べるべきなんでしょうね・・



11月5日 曇り。冬の雲がたれ込めているが時々日射しがあるけどとても寒い。あんまり寒いので仕事場に暖房を入れるため、灯油を買いに行く。スタンドのおじさんが「新聞に載ってますね・・スゴイスネー」なんて言っている。ほとんど話したこと無いが気がついて声を掛けてくれた。新聞を見ている人は多いのだろうなー・・。多分社会面トップ扱いだから10〜20万人は読むだろうなー

何時の取材だったか忘れてしまったが、五十嵐太郎さんが共同通信社の依頼で建築関係のことで連載を受け持っているのだそうだ。その場で「千万家建築あそびの事を題材に書きました」とメールがあった。通信社から問い合わせの電話もあった。しばらくして福島民友新聞社のTさんという記者から「共同から配信された記事を見たので話を聞きたい・・」と取材依頼の連絡があり応じました・・一月ほど前かもしれない。

その時受けた取材内容が今日の社会面の記事になったのだ。家庭欄とか文芸欄とかそいいう所で扱われるのだろうと想っていたが、朝いただいた読者から記事内容のFAXを見る限り、第二社会面 のトップ記事じゃないか・・(>_<)・・。

送られて来たFAX周囲の記事を見ると、四日市で子供をたたきつけた19才の母親逮捕とか、元自衛官ら逮捕・・高速道路の事故の写真などを中途半端に読むことが出来る。

住宅建築が殺人だの交通事故等の社会的事件と並び掲載されることなんて無い・・と思っていたので仰天。と同時に民友新聞社の的確な判断に敬意を表しました・・。

 住宅は交通事故や子育ての苦悩など同様に、個人が生きていく上でとても重要な問題なのだ。そして家族経済において大きな割合をしめているだろうし、長時間に渡る借金返済などの負担の苦労などが、個人の問題として棚上げされて来たのだ。ここらで人・人の知恵を集め課題に対処する時期が到来しているのだ。住宅を作る事が社会問題として扱われた方が、建築の世界に人・人の知恵と言葉と討論を持ち込む為には新聞報道はとても有効だと思っているからだ。

 建築を創ることも大切な事だが、同時に建築が個人の所有から開放され人々の知識となることや、建築が創り出す景観も含めて共有される(パブリックなるもの)為の、周囲の問題を考えることは大きなテーマである。建築が地方紙の社会面で扱われるのはとても嬉しいことだ。

 11月2日の東大の花田達朗教授を囲んだ建築あそびでも、日本中世史における、所有しない、無所有や無縁・楽・公界という、ある種の自由・平等・平和という思想についても語られました。中世におけるある種の自由・平等・平和という思想は中央集権化が進んだ江戸期に沈潜して行ったのですが、同一の言葉として蘇る訳ではありませんけれど中央集権化が緩やかに崩壊しっつ、また情報化と言う別形式の集権化と同時に・・情報発信の自由をも手に入れた現在・・・無所有・自由・平等・平和を再考する上で中世の公界・楽・無縁という思考法に注目していました。

現在では住宅や建築が個人の所有物とし家庭のサマツナ問題として扱われるべきではなと思っていますが、・・その辺はいずれ書きたいと思います。


記事を見た知人からは嬉しかった(?)と電話があるなど 様々な反応がありました。できることなら、今日の記事が若き建築系の学生には希望を。ダラダラ生きてる建築関係者に再考と自覚の機会を与える事になればいいなーと生意気にもそう思いました


建築あそびの文字化を始める。写真投稿可の掲示板を削除したので超不便・・テーマ付き掲示板をタダの掲示板に変更しました。また沢山 書き込んでください。



11月4日 曇り 街から奥羽山脈の中腹にある高湯のスキー場の形が鮮明に見えるようになった。雪は街から30分ほどの所まで降りて来たんだなー・・寒さが目の前にせまってくる。

 2日のこと

 前日多量におでんを煮込んでおいたが鉄鍋と土鍋2つに仕分けし煮る。うまいなかなーなどど何度も味みをする。卵は鍋のせいなのか真っ黒になってしまった。ご飯は サポターの方には栗ご飯のおにぎりを頼み、私はジャコチャーハンおにぎりを32個作る。火を強くーしぁ・・熱いよーご飯・梅干し・ジャコ・パセリを炒める熱いー・・今回初めてサポターの方々は仕事で来れず・・なんだか焦るなーアッツチ・・。

揚げ物はmy妻が下準備。食べる寸前に上げる予定。1時半頃東京の山本さん親・娘がお土産を持参で到着。猫の手も借りたいので残りのおにぎりを作っていただく。2時半頃仙台の八重樫さんから電話でこれから出るとのこと。

3時福島駅西口へ花田先生を迎えに・・my長女がバスで到着していて改札口で待ち合わせ・・先生到着・・寒いけど気持ちがいいと福島の感想。原稿を書き上げ3日夕方戻ればよくなったそうで・・ノンビリ温泉に行けそう・・安心。

改札口を出て、階段を下り始めると、エスカレータの方で私を呼ぶ声がする・・ふり向くと芝浦工大M2の牛込さん。各駅停車で3時チョイ前に駅に着いたとか・・連絡が無かったので心配してたが、ほぼ同じ時間に福島駅に着いたくれたのでよかった。

家に戻ると、東京からの菊チャン・湯さん高速道を出たところで道が分からなくなったとか・・あれ・・確かカーナビで調査済みとメールがあったのだがなー・・カーナビはどうしたんだろう。サポーター達が捜しに行ったとか・・


我が家に着いたが外は寒いかった、花田先生を囲み一杯飲む・・あれこれ話していると菊・湯さん達が到着。ご両人たくさんのお土産を持ってくる・・・お土産持参だよ今日は皆さん・・

まずは熟成酒で乾杯・・美味いと・・日本酒飲んで鳥肌たったと湯さんが初体験を述べる。そそれは幸せな体験ありがたし・・建築あそびを開いてよかったなー・・ワイワイお土産を開いてみんなで食べる・・ ダベル・・仙台組到着したので・・・恒例の全員集合し記念撮影。今日は外で撮ろうと言うことで庭に出る・・。バシバシデジカメを撮る

簡単に参加者を紹介し早速花田先生の話に入る・・
内容は記録を作りますのでお待ちください・・

6時チョイ過ぎに終えて宴会・・ワイワイガヤガヤと深夜まで続くのでありました。記録を作りますのでお待ちください・・・・


 3日のこと
 雑魚寝した花田先生・菊チャン・湯さん・牛込さんとで1時半頃我が家を出て白河の奥にある甲子(かし)温泉に向かう。私が設計した建築を見学したいということでったが連絡したいないので今日は見学をせずに温泉温泉・・へと湯さんの車で高速道を飛ばす。

温泉へ至る道の両サイドは紅葉も終盤のようで美しさと淋しさが同居している。芋に会を開いているようで道ばたに駐車している車も多い。

温泉は連休だからなのだろうか・・普段よりとても混雑しているなー 。湯船は谷底にある。阿武隈川の源流の方へ急な階段を下りて行かなければならない。

湯船の手前に橋が架かっていて、阿武隈の流は澄んでいて周囲の空気と相まってとても気持ちが引き締まるなー・

風呂場は気温が下がっている分湯気がモウモウと立っていて温泉気分満喫だ。菊ちゃんも混浴・・ドンブリトと湯船に浸かり花田先生と湯船談義・・ドイツの温泉(スパ)の話から始まり、拉致問題や精神の病や対話による合意形成について・・このお湯はまったりした性質で気持ちいいナー・・




 11月 1日 曇り

明日は花田達朗教授に来福いただき3月に続き建築あそ。今日は準備で1日が過ぎて行くかな・・庭の紅葉も今が見頃か。木々の葉が落ち始めたので庭など掃く。落ち葉の下には団子虫なんかが隠れていて冬の支度をしている。こちらの支度をせねば・・

午後 買い物行く。推薦されて・・行きつけじゃない店へ・・で買うのは疲れるね。品物が何処にあるのか捜すのに疲れる。商品の棚の量が多いうえに店舗面積もデカイので途中で いやになるなーデカイ・・こういう店って・・

でも今日は消費税還元日とかで、少々得した気分もあるったのでよしとしよう。

夜はサポーターの面々に手伝っていただく。むいたり・刻んだり・仕込んだり・煮込んだりしてほぼ予定の工程を終えて10時。

写真投稿可の掲示板 を削除したらこんな感想を見つけた

行きつけのお店をなくしたような気分で残念ですが、
きっとみんな寂しがっていると思うのでいつか再開してください・


なるほど・・新築するか・・改装するか・・移転するか・・などと掲示板を不動産のような感じで・・思い・・言い表すのもおもしろい・・あの掲示板は人気があったのかもしれないな・・と思う・・。

明日の建築あそびは人数が増えて人気。食い物大丈夫かと心配になる・・美味い酒は5割ほど本数を増す。食い物がたりないときは麺でも作って食べることにするか・・。