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   2002年10月の日記


10月31日 晴れ 真っ白に雪化粧している吾妻山が綺麗に望めた。やがて冬が麓の街まで降りてくるのも間近だーなー今年は去年みたいなドカ雪降らないといんだが・・冷え切った空気のなかでそんなことを思った

 このところ写真付き掲示板が盛り上がり爆発していたが、そのなかで 特定の方を酷く傷つけたていたようなので、そう言うことはこちらも望んでいないので、から削除しました。

私のことは何を書かれてもかまわないと思っているが・・そんなこともあるんだなーと・・無知を反省・・早速写真付き掲示板を削除。

my写真付き掲示板に長らくお付き合いいただきありがとうございました。


2日の建築あそびの準備で大忙し。・・天気予報だと荒れ模様とか・・なので防寒等の用意をぬかりなくお願いいたします。家の中は床暖試運転を済ませとても暖かい・・とおもっています。



10月30日 この数日冷え冷えである。今日は晴れていたので奥羽の山々が街からもみえた。高山・吾妻山・家型山の連なりはすっかり雪化粧をしている。風も肌に突き刺さる。

百聞一見にしかずなんて言うようだが、正確には百聞は一体験に・・だよね。それほどに人間が得る視覚情報というのは人間を惑わす代物と言える。現代では各種の機器が市販されていて、カメラ・デジカメなどで・・ 視覚的な情報や表現はとても扱い易くなっている 。保存したり加工したり送ったりと、以前なら相当に腕のいい絵かきが紙に書いて保存するしかなかったようなモノでも、バシとスイッチを押せばトリアエズの絵が出来ちゃう。

人間が描く絵は人間の感情が受けとめる情報のみを整理して描き出すので、何でも均等に吸い取るフィルムとは異なるのだが、フイルムの扱いは絵描きを扱うよりは案外に手軽で・・それに安価であるから世界中のだれにでも取り扱われている。

で問題なのは一体験だったのが 一見にすり替わっている現実だ・・HPで画像情報が満載だからますます、一体験より一見がエバっているように思える。

28日の日記で書いたことで、掲示板が賑わってしまってね。驚いているんだけど、基はと言えば昔の人も勘違いしてしまった 一体験と 一見の違い そこらから生まれ出たもんだいなんじゃないか・・

またメールでも・3Dカーナビの現状や人ナビの話等といろいろ短時間に教えていただいて、可能性やら問題点やら想像してしまった。空間を体験することで記憶される建築も現在は写真を撮ること記憶されちゃう建築になっていることはチョイトまずいとおもうけど・・その話はいずれ・・

人ナビなんて恐ろしいようなー、人が地球上を歩いた情報を全て記録保管されちゃうんだよな。とうの本人はすっかり忘れているに・・記録だけが残る・・
そして今現在何処にいるのかも本人も正確に知ることができると同時に他者もその情報を得ることが出来るんだよね・・

ヒエー・・・オネイチャンに・・に行ってたのばれちゃうよ・



10月28日 晴れ・・時折強い風が吹いてくる。冷えるので床暖房の試運転をする。週末の建築あそびで車を多くとめることができるように、庭の枯れ枝を燃やし始めた。体中臭いが染みついて仄かに煙の臭いが残っている。


藤村さんの模型が掲示板に投稿されていたので・・感想をかいてみよう


一方半年ほどの間に数本作ってみた多次元フォトコラージュ。写真や絵を2枚以上繋ぐことによって・・多様な感情を観るモノに与える。背景とか近景とかキャラという仕分けはない。一枚の絵が基本である
 一枚の絵を抽象化された文字・・実空間がフリーズされていたものを戻したものと言い替えるべきかな・・戻された文字によって紡ぎ出される物語になる

WEB上で成立させることを目的にしている多次元フォトコラージュは一枚の薄い層の連続で成り立っとも言えるんだろうね

アニメやゲームそれから、フォトコラいずれも人間の体験を視覚的要素によって、簡略に現実を整理再編集し伝える・・率的にメッセージを他者に伝えると言う点は共通してる

アニメやゲーム制作者と藤村さんの相違は絵が動くのか 人が移動するのかってところだ。、藤村さんの模型は人が移動することによって何かが産まれる・・人にある種の感情を誘発させる仕掛けが建築だ・・といってるのかな・・。

または人が移動することによってのみ建築が生まれる・・こちらの言い方は魅力的だね。

建築が出現する状況は 多様な欲望や苛酷な社会的条件など、幾層のレイヤーを通過してようやく他者の目に触れることが出来る奇跡のようなものだ。

 奇跡を生み出すためにいくつもの入り口を発見することは重要であり、そのことに向かって日々務めている若い人・人がいることはともて心強い・・

開発中と聞く3次元カーナビはGPSの信号を利用して都市を道路(平面)と建物(壁)に分解し再編集して使用者に示す・・モニターによって示される絵は実の都市ではないだろうが、都市や建築を発見したり解釈したりするためには効果的な道具になるかもしれない。カーナビでは背景はどのように作られるのだろうか・・・


藤村さんの模型を観て・・人が歩き動く・・からカーナビで動くまで・・そこで生まれる、建築や都市の記憶はどのようなものとして再生産されるんだろうか・・という感想をもちました




10月27日 晴れているがときどき強く吹く風が冬を運んで来るような気配だ

10月も残すところ数日となったが、身の回りには変化はなく相変わらずのボンヤリした日を送った。

 外部では・・各地で頻発するテロの話・原発の偽装報告・一時帰国した5人のその後・代議士が刺し殺されるなど・・・外部や世界というモノは相当に複雑怪奇に変化し続けていて、驚くことばかりである。

世界・社会・外部というものはこういったもののようだから、気に病んだりはしないけど、物騒な事件が起こるたびに現在生きていることが偶然や奇跡の積み重なりなんだなーと・・。

頻発するテロだけど、冷戦時代のような差し迫った重苦しい気分はない・・。



10月25日 つかの間の 晴れとか、紅葉は鮮やかさをましている。

10年使ったTVが2〜3日まえからタイマーがイカレ5分おきについたり消えたりして、ニュースも満足に見ることができなくなってしまった。my妻の唯一の楽しみである野球は明日から日本シリーズなので、これじゃあんまり・・・、電気屋を捜す。

近くの量販店に出掛ける。PCだのデジカメだのレンタルビデオだのが店頭に並んでいるが、受像器は一番奥にあった。同じ性能で・・ビデオビデオ・BS内蔵で十年前は高価だったが・・値段がおおよそ10分の一になっている。 

 不良債権を放置したままで、実質的には処理しても新たな不良債権がそれ以上に増えてしまう・・デフレが生み出す不良債権続出である・・この間の事を失われた10年なんて言っいわれていて、国会でも議論されているが・・今後ますます不景気になるのだそうで、やりきれないなーなんて感じている。

 実年労働者は自殺する人が急増してるとか、気分が理解できるような気がする。不良債権を処理するなら、我が家の住宅ローンも棒引きにして欲しいななんて思っちゃう人は多いだろう。
 
子供の大学への学費だってそりゃ大変なもんで、なんの控除のありゃしないからつらいよね。子の学歴と親の年収は比例することは自明のことになってしまった日本である。

そんな事を思いながら家電屋さんをウロウロして、手頃な受像器を買ってセットした。
 価格競争の中で家電メーカも日本の家電製造関係者も 生き残っているのがキセキのような気がしてくる。ものの値段が安くなり、賃金も安くなり・・そうなると名目の借金がどんどん増加して行くわけで、国債だろうが、個人の借金だろうが容赦なく借金が増加しているんだなー。

 出来ることならインフレ気味の方が大方の人間に希望を与えていたように思うが・・ぐろばるー化に対処して生きる人・人の努力が店頭にあらわれているんだなー・・

今月末までに国で問題の不良債権の処理方法が決まるとか・・国のことはさておき我が家の借金も増えるばかりで手をこまねいてはしかたなないなー、収入を得る手段を捜さねばならない・・。



10月24日 曇り 冷えるー

秋刀魚の喰いかた・・秋刀魚飯のレシピをいただきまいしたのでのせます
鯛飯で懲りた私は なんだか尻込みするなー・・生臭くてくえるんだろうか・

<秋刀魚御飯の作り方> お米3合に対して、秋刀魚2本の割り合いで作ります。

=材料=
  秋刀魚根生姜・お酒・塩・醤油・煎りゴマ・青葉

1)秋刀魚を2匹、塩を軽くふって網焼きにします。ふつうに秋刀魚を食べるよりレアめに、両面とも皮がこげて油が浮き出始めるくらいがちょうどいいです。

2)お米3合を研ぎ、水に浸しておきます。水の量は、通常ごはんを炊く時よりも、やや少なめです。醤油大さじ2・塩小さじ1弱を加えて混ぜておきます。
  
3)小さなジャガイモくらいのサイズの根生姜を千切りにしておきます。

4)秋刀魚が焼けたら、炊飯合にそのまま入れます。この時、秋刀魚は頭もはらわたも取らず、なるべくはらわたがはみ出ないように注意してください。

5)刻んだ根生姜を炊飯合にちりばめて、お酒大さじ1を秋刀魚にかけるように加えます。

6)そのまま炊飯器で炊きます。

7)炊きあがったらすぐに秋刀魚をとりだし、アツアツのうちに頭・皮・骨・内臓を取り出します。この時に、小骨をしっかり取ると口当たりが良くなりますが、そうとう手間なので適当なあたりで。

8)サンマを炊飯器に戻し、素早くざっくり目で混ぜあわせます。

9)食べる分をお椀に盛ってから、煎りゴマ・刻んだ青葉を好みの量でふりかけて、できあがり。

 ※各材料の分量は参考程度に。炊いた御飯を炊飯ジャーに長時間入れっぱなしにしておくと、臭くて食べられなくなるのでご注意を
  
と言うことで試してみてください・・生臭そー・・



10月23日 秋晴 で少し冷えるが 爽やか。

仕事場の上の階では犬を飼っているようで、駆け回っているなー・・。鳴き声やらコトコトと足音が鳴り響いているよ・・。このところの政治的なニュースは政党政治の終焉のような様相で、不景気と相まって、ますます暗い混迷を続けそうだよなー。季節は巡るが・・

 庭の木々がニワカに色づいて週末当たりから来週にかけて紅葉が見頃かもしれない。朝と昼の気温の差が大きいほど紅葉は綺麗になるとか・・今年はどうかな。柿の実も色がよくなってきたので、3ほどもいで食べたが1つは渋くて食えたモノではなかった。木が生長してないので、全ての実が甘くなるのは当分先のようである。でも去年よりは甘い実が多い。取り立ては硬くてカリコリパリパリと歯ごたえがある

11月2日 花田先生との建築あそびは予定通りの人気で早々と申し込みがあり、3月に先延ばししようかどうか躊躇していたんだが、「熟成酒を味わおう・・新酒もまた味わう・・」ということで先生にお願いしてよかった。

 春に仕込んだ新酒は半年して熟成酒になっているんよ。爽やかな新酒とはことなり、熟女の味とか・・どんな味なんだと聞かれても「美味いよ」としか言えないので聞いてるほうは意味不明だろう。熟成酒じゃなくても地酒についてはいろんな評があるようで、日本酒を鑑定する専門家に言わせると、「福島県の地酒は素朴なおぼこの味」なんだそうだ。関西あたりの酒は「コマッシャクレた芸者の味」とかで、そうとう造り酒屋が芸者衆を上げて接待したような評であるな・・。で私はそれらの味の違いや、どんな味の違いなのか聞いても分からない。

 建築あそびで続けているとすっかり日本酒が好きになってしまうね。なもんで・・当日は熟成酒を多種・多数用意してあるのよ・・。こちらも花田先生の話同様・・たのしみだよ。アルコール添加されていないので確かに悪酔いしないような気がするよ。そうは言うものの飲みすぎたらイケナイけどね。

そうそう 来週の建築あそびには前回の花田先生の話を読んで来てほしいなー・・3月の記録い目を通してみると肝心なところや複雑な言い回し・・読み返すと忘れてる所がある。「コミュニケーティブな合理性」とか、「言論の自由の根本っていうのは異なった意見同士での言論の自由こそが、一番重要であって・・「公共圏の二重の二重構造」とかは特に注意して読んでほしい。しつこいようだけど、参加してくれる人は再読して当日参加してください。よろしく・・今夜も冷えるね・・



10月22日 曇り 冷える

このところの北風と共に渡り鳥もやって来て、庭の枝にとまって鳴いている。ヒヨドリだのツグミが主だ。白鳥は我が家の上空を飛んでいても舞い降りることはない。阿武隈川や猪苗代湖に数羽舞い降りたようである。

渡り鳥なら不景気な(餌がなくなり暮らしにくい)場所を捨て渡るだろうが人間は不自由なものでそうはいかない。拉致された人・人だってそう簡単に人間関係を清算して日本に舞い戻るわけにも行くまい。渡り鳥を観てるとそんことを思う

不景気だからといって人・人は簡単に生業をかえることがむずかしいのだ。渡り鳥のようなスッキリ単純な生を人間が生きることは現代の有機的な社会では難しいだろう。

このところ開かれてる国会で討議されてる構造転換という話・・構造転換という言葉は理解できるが、その社会がどのような具体的な職業が集まって有機的に生きていく社会なのか解らない。いい政治とは職と食を人民にくまなく与えるということだが・・・・ベンチャービジネスとか介護産業とか環境対応のお仕事とか言う新しい職とはどんなものなの・・・。

 弁当作って売ったり、年寄りの肩揉んだり下の世話したりそんなのがニュービジネスなんて聞かされても・・・ジジイ達の陰謀としか若者には聞こえないのではないかなー。

 おまけに日本の年寄りは1000兆円もの預金を持っているんだそうで、国もその預金をなんとか使ってもらいたいと制度を思案するような金持達なんだ・・なんて聞かされてはね・・。

沢山訪れる阿武隈川の水面を覆い尽くす渡り鳥。彼らも死を迎えるのだろうが死骸をみたことはない。・・彼らは何処で死を迎えるのだろう。

きっと死骸は大空の蒼に吸収されちゃうんだろうなぁー・



10月 21日 西高東低の冬型の気圧配置になってるようだ。北風と強い雨のせいで仕事場の北面に雨が染み込んで換気口回りが濡れている。当然気温が下がって寒い1日。10度を切る日ももう間近なのだろう。

 唐十郎さんは横浜大学の教授になってすっかり福島にもご無沙汰。秋の夜長になると演劇でも眺めたくなるな・・。劇団☆新感線 をボンヤリTVで眺めていると唐さんの影響などを見て取れてほほえましい。演劇をTVで見るなんてのは無粋なもんだ。あのギュウギュウ詰めで床がごつごつのテント芝居・・汗・唾はかかるは水飛沫はかかるはとんでもないめにも会う・・水を多く使う唐さんの芝居見物で最前列にいる為には雨合羽がいるくらいだ。雨合羽着てゲラゲラ笑っている・・なんだか懐かしい。

 新感線の芝居はもうチョイ混沌としててエンターテーメント満載。ある意味メチャクチャ。でも笑える。歌舞伎・漫画・時代劇・ロボットもの・宝塚歌劇・地下演劇までゴツタ混ぜに攪拌されている

 台詞から小物まで・・これだけ作るワイと呆れる程のサービス過剰さだ。あらゆるものがいわばゴッタ煮状態。ステージ衣装だってその始末で。声を消して眺めていると歌舞伎・漫画・時代劇・ロボットもの・宝塚歌劇・地下演劇が同時に映し出されるので子供のおもちゃ箱を眺めているみたいだ。やりたいことは何でも詰めて掻き混ぜる・・そこから何が産まれる・・・何なんてことはどうでもいい、トリアエズ笑っちゃう。どう楽しむかは客にお任せってことで、とても現在的な演劇だとおもった


my長男の「論文が市販本に掲載された」と連絡ある。愛でたいことである。コレからも論文を書いて生きていくのだろうから、まずはだ一歩。記念に永久保存にし お祝いをしなければならない。

建築を作っている人も自分が設計して出来た建物を雑誌に掲載することは大切なことだ。建っているだけでも社会化されているんだけど、それだけでは、あまりにも自閉的になってしまうように思う。やはり存在を知っていただき、同じような専門の人に見ていただき、多くの意見を伺うためには専門誌に掲載することが大切

my長男の論文は日本史なんだけど、基本的な事は建築を専門雑誌に掲載することと同じようなことだろうか・・。論文が引用されたり、批評されりと・・・そこら交流が始まるように思う・・社会的な 門出でしょう・・ね・・



10月20日 曇りのち小雨

たまには車にでも乗ろうと思い、秋の福島盆地の淵をボンヤリ走る。リンゴや柿がたわわに実っている風景に行き当たり、リンゴの臭いが車の中に染みこんでくるような気がする。田には稲掛けがあってこちらもまもなく脱穀が始まりそう。人々はがて来る冬に備えに忙しそうである。デジカメを持参したが小雨が降っていて暗い・・撮りたい気分が湧かず・・。

 今日は福島競馬が開かれているようで道は自家用車で混んでいる。盆地の西の方では年輪ピック(?)という全国の年寄りの集まりがあったらしく、そちらの道も混んでいる。 日頃は酷く空いてる温泉場も、役に立ちそうもない下手なデザインの旗だけが密に立てられている。人の数より旗の数が多く小雨に打たれ、頼りなくダラリとして汚らしい。ダラダラと走って柿など手に入れ家に戻る

帰るとmy長男から「カメラセツトが見あたらない・・(-_-;)・・」と電話があったとかで、家の中をキョロキョロ・・見あたらない・・しばらくして「引き出しの中にあった!(^^)!」と連絡。すっかり忘れていたが、使わなくなったストロボだの望遠・広角だのを貸してあることに気が付く。あげたのかもしれない。

近頃デジカメの使用率が断然に高く、フィルムのカメラの出番がなくなっているのは、私もmy長男も同様のようだ。突然気になって捜したようだ・・「電池を入れっぱなしにしない」ことと「レンズにカビが生えないようにたまには点検すべし」と話す。

 夏場に黒点が出来ていたmyデジカメだったが、かまわずバシャバシャ撮っていたらいつの間にか消えてしまった・・なんだか不思議だ。充電用電池を一本落として、間に合わせに乾電池を入れて使用。電圧のバランス悪化が原因じゃないと思ったりしてる。充電用電池を替え揃えて使っていると 知らず知らずに消えた。よかった。

で今日は10日ぶりに毎週写真館の写真を掛け替える。前回はさざえ堂だったので花にした。この数回の写真館用写真は、デジカメで最低の画質で撮ったモノばかり。
 
 手軽でフィルム・焼き代がかからないので、全く収入が無い身にはとても使い勝手がいい。画質を落としてWEBにアップしてもそれほど悪くない、チープな感じを上手く生かし まだまだ上手くなり・・続けたい。

 ついでに渡辺豊和さんの記録を4頁ほど仮アップ。2年前の記録なので、なんだかホットした気分。さぼり過ぎとタイミングを逃すとズルズルと遅れチャウと反省しきり・・校正が済めば公開したい。メキシココンペに忙しそうな仙台の八重樫直人さんから11月2日の建築あそびの申し込みがある。あと2人で満杯になる・・締め切ってもいいようにも思う・・。



10月19日 曇り

 我が家の柿の木にたくさんの実ってる柿を取って食べる。今年は数が多くて小ぶりだ。木が成熟してないので渋い実も多い。
 
 柿でもリンゴでもいいが実がなるものは枝の天辺の方の実は野鳥に、中間部は管理者が、下の実は旅人へ与えるというのが古きよき時代の考え方だったそうだ。なかなかいいではないか。
近頃近所の柿の実は取る旅人も野鳥もなく冬場まで実を付けている状態を多く見かける。

先週告知した・・建築あそびの残りの申込者を抽選にしたら、申し込みが途絶えた。7人申し込みがあって一人キャンセルなのであと4人までと思っている。6人でも充分であるから締め切ろうか迷う・・あと1週間先着順に4名としようかなーとも・・。

渡辺さんの記録ようやく16頁にまとまった。コレから校正していただくんだが多量なので申し訳なく思う。前半は目を見張る住宅が主・・途中から酒がはいり酔っぱらいながらの漫談風に・・最後の方は酔った渡辺さんに代わり解説を私がしてる。モット進むと二人とも酔っぱらい状態でレロレロ・・10時間スライドショーを終える。テープは5時間ぐらいになるかな・・。

渡辺さんが初期建築から一気に近作まで語ったのは貴重だと思う・・・長い・・長すぎる。・・がようやくページにまとまり一段落

 この1週間 古くからの知人が開業すると言うので頭をかき回された・・かり出されたり・・が徒労に終わる。
 知り合いが沢山いるわけでもないが医師というのは温室育ちで社会的常識に欠ける人が多いのだろうかと寂しくなる。
 自己中心で優柔不断と言ったら解りやすいか・・その上欲深・・成功ダケしたいなんて甘い事ばかりが全面に出てしまう。なんだか子供と話しているようで、気が重くなってしまった。

 
医師なんて言う人間は社会的地位が高いのであるから、見識だって高くなければならないと思っていたけど現実は、算術も出来ないし社会に生きてる当たり前の人間の心理も理解できないで、手術だけ上手い機械のようなものなんだということが解った。

地方を支えるのは医師や高校教師などの先生と思っていたが、あまり期待できないかもしれないと思う・・

さて・・・やり残したBOX8〜10のフォトコラ制作にかかろうシナリオを考え始める・・



10月17日 秋晴

現在契約してるさばーを使い無料で公開できるHPの容量は10MBまでなんだ。渡辺豊和さんの記録をまとめたら全体で1.5MBになってしまった。画像をかなり粗くし調整しても1.2MBに少し届かない程度でmyHP全体からみたら、やはり異常な容量。中身はあるか・・なんてね・・おもろいよ

それを全部アップするとたちまち一杯になるので躊躇している。ついでだから今までアップした全ページをチェックした。無駄なファイルは一枚も無かったので無駄骨に。

去年の6月あくまでも10MB2000ファイル以内を目標に始めたのだから・・その中に収まる範囲でのHP・・10MBに拘ってみたい。10MB増量しても月々400円年4800円で1年チョイ楽しめたのだから、高額ではないのであるが・・。

些細な所で止まっていないで増量あるのみかもしれない。そこを楽しんであれこれ工夫してみたい。ではどうする・・ツマラナイ、古くなったPを削除するか・・渡辺さんの記録全16頁240ファイルは定期入れ替えで毎月4頁づつアップして4ヶ月かけるか・・。一年間で3回転するような案配でもよさそうだな・・。





10月16日 昨夜半から降り出した雨がとぎれとぎれに止んだり降ったりしている。そんな中を時折通る車が水飛沫の音を仕事場にたたき込んで行く。

昨夜は北朝鮮に拉致されいて一時帰国した5人のニュースを少し見た。見てると気の毒で涙が流れるものだ。彼らの心情は予想していたように複雑。拉致24年の歳月はあまりにも長すぎて、なにを持ってしても24年前の彼ら達と現在の彼らの間を埋め尽くすことができない残酷さを目の当たりにし、ため息しかでない。

 北朝鮮で24年間に築きあげた人間関係を24年前の憤りをもってして解体することもできないだろう。永住帰国にしても、一時帰国にても、引き裂かれちゃった彼らは決してすんなりと平凡な暮らしを手に入れることができないように思う。

 国境を越えても情愛に変わりがないことを信じ、拉致被害者の希望を聞き支援し静かに見まもるのが最善。

 数日まえから2年前に渡辺豊和さんを招いて開いた建築あそびの講演記録をまとめ始めた。長い講演時間と多量なスライド。それにいつも元気で希有な資質の語りの渡辺さんである。語りを聞き続けるとなんだか元気に圧倒されて・・疲れがでる・・。でも頑張りザット一通りまとめた。

 建築界のリポビタン男と言われているのだが、こちらが年取ってきたようで効き目がなかなかでない・・効き過ぎか。あの元気を生み出す源・・東北人に対する長い間の抑圧意識が裏返ると言うか・・被害妄想的意識が力に変化して全面噴火の火柱男に変身ていう感じかなー。

 ボンヤリ眺めていると先日さざえ堂のスライドのお礼の電話。「いい写真だよ。俺には撮れない。さすがヤナー」とお世辞かもしれないけど・・よく撮れているとのこと。一安心。さざえ堂のスライドは産経新聞の主催で来月の5日にシンポジュームが開かれ、その時に使用するとのことでした。講演内容は後日新聞のコピーを送ってくれるとのこと・・・楽しみです。

来月の11月2〜3日にかけて花田達朗先生を講師に建築あそびを開くと掲示板で告知したら、多数の参加希望者からメールをいただきました。何とも素早い反応・・感謝いたします。あまりにも早い反応なので、告知12時間以内の申し込みの方々は優先的に選んでしまうことにしたいとおもいます。

 泊まり希望の余地は数名となってしまいました。遠くから参加の方は我が家に泊まりきれなくなりそうなので、近くのホテルに泊まるか・・ホントのほんとの雑魚寝になっちゃうような感じ。一人でも多くの方に参加していただけるように、考えなくちゃならないと思う主催者です!(^^)! 。残りは10月27日で締め切り・・ホンマに抽選にしよう。


10月15日 快晴で遠くでヘリコプターが飛んでいる。

財布には100玉5枚・50円玉2枚・5円玉2枚・1円玉15枚で合計625円。建築家は職業として成り立たないなんてのは20年前から知っていたけど、将来は何とかなり立たせたいもの・・。

30年前の快晴の15日に私は結婚した。今日の財布の中身よりはるかにおおくの現金を持っていた。21才であるから若いと言えば若いような気がする。しかし当時の気持ちを思いだしても一度結婚生活をしてみようと言う気分があって、世間でいうような恋などどいうことが 新しい結婚生活という未知の体験への興味とをはかりにかかればどちらが大きかったか明言できない。

結婚資金は仕事が終わると会社を駆けだしてバイトを3ヶ月ほどして貯めた。もちろんたらないのでパートナーの蓄えをいだたいた。毎日数時間しか寝ない生活が続いたので結婚式前夜は倒れてしまい、パートナーの実家で看病してもらった。

だから結婚式の当日は新郎新婦共に同じ家から近くの神社の式場に歩いて出掛けた。なんともの・ど・か・な話ではあった。

偶然出会い偶然一緒に生活して30年も経ったと言ってもいいかもしれない。現在では結婚して死まで夫婦でいるなんてことを、真に大まじめに希望している退屈極まった人間がいるとも思えない。当時も互いにうまく行かなかったら別れてやり直しましょうと言った軽い気分だったと思う。別れないように少しの努力はしたようにも想うのでそう簡単に話を分けて言いきれないけど。

日常生活と恋ということが地続きに存在しないことは明らかであるが、恋心というのは生活感を引きずってはあまり意味がないし面白くもなんともない。また日常生活に恋などという非日常的な事を引きずり込んでは厄介である。そこはバランス感覚が必要でセンスがいる。

恋心から生活への着地というのは相当に難しい。ソフォトランディングとは行かない。何とか着地に成功すればいいほうである。失敗する回数が多く着地チャレンジを長引かせ 別れかちゃう者もあるだろう。

大概はそのうち着地が上達して、まあまあ当たり前の日常的な生活を手に入れることができて恋以前の生活も戻る。そんのことで、普通の夫婦と言われるような関係を演じ始める。

現在では家父長制・過去の夫婦の雛形なんてものは、なんの何の役にも立たないことぐらい誰でも知っている。30年前はなんだか永遠に楽しい生活が続くように勘違いしたこともあった。

30年経つてみると子供が3人成人してしまった。私は職業として成り立たない建築家を追い求めてボンヤリしてる始末。パートナーは生真面目がたたって病に陥り近頃 ボンヤリ復活中。

互いに当時は想像も出来ないありさまであるが不幸とか貧乏とかドウデモいい気分でボンヤリ生きている。

 何たってオネイチャンを好きになって、退屈な日々を恋で埋め尽くすのも面白そうーな気がする。飯つくるの上手くなったし。それに時々建築家になって建築を創るのもいい。そうそうおおいに友達つくって集まり飲んだくれて世を憂いるバカボンになるのもよいだろう

朝起きて朝飯作っていたら「30年経って朝飯作ってもらえるようになった・・ウフフフ・・」と笑った。少し古いなー感覚、とは想うけど、625円で花1本と小さなケーキぐらい買えるだろうか。



 10月14日 晴れ

この数日福島では秋祭りが行われているようで、街区にしめ縄が巻かれている。私の記憶だと10月10日が稲荷神社の祭りで、16日あたりが福島盆地周辺村のお祭りだった。このところ日程が揺れ動くようだ。農産を柱に成り立っていた秋祭は死滅しかかっているのだろう、参加する大方はサラリーマンになっているので連休を中心にして日程を動かしているようだ。

山車を見かけたがささやかなモノである。周囲の建物と比べると小さすぎて何ともうらさびしい。秋晴の天気だけが輝いている。生産との関わりが無くなって祭りそのものが形式化した末の姿なのだろう。町中の祭りの集会所ではおじいさん達が昼酒を煽ってうんちくを語る音が淋しく廃屋同然の区々に響いていた

昨夜は今週限り放映の「鬼子來了」日本語では「鬼が来た」という映画を観た。主演・監督姜文(チャン・ウエン)香川照之も主役同等の脇役でいい味をだしていた。

最後の数分のみがカラーで全編モノクロ。カメラワークが抜群・・気に入った。色彩に寄りかかり見せるというよりは物語の面白さと、その展開のスピードで映画に引き込ジャう、本格的な映画。

 中身は戦争反対が目的の映画じゃなくて、戦時下における下層の人々の無惨で滑稽な心理描写をあますところえがいている。喜劇部分も多くて笑ってやがて人であることが悲しい・・と思い込ませるね・・。

 もちろん実話ではないだろうが、映画の力によってドキュメンタリーのようなルアルさ・・実話のような気がして来ちゃうい・・日本人には苦いかも・・南京虐殺を批判してんじゃないのなんて勘違いしてしまいそうな迫力です。

 最後のドンで返しの連続で戦争に翻弄される下層の人々の悲劇と喜劇と不条理を追求しているのがわかるようにしてある

映画の冒頭から唐突なんだけど、不条理というのかなー・・若い恋人の家に南京袋に詰められた日本兵と中国人通訳が放り込まれる。この何とも困る預かりモノを毎日村を行進したてくる日本兵に見つからないように村人達がかくまう。その間半年。捕虜と村人の心理的葛藤を悲喜劇仕立て上げて見せる。

 唐突(不条理)に集団に人(鬼)が放り込まれ設定が数カ所あって、鬼の取り扱いに苦慮する集団の悲劇と滑稽さを幾重にも見せてくれる。

なんと言っても後半が濃密でうまい。最後に共産党軍の幹部が日本兵(香川)に命じて主役(チャン)の首を切る。こういう描き方が出来るところが中国映画の底力の証明。
飛んだ首が大地に着地して目パチパチと漫画チックに描く余裕がまたまたものすごい。終焉することのない戦争の悲喜劇へのメッセージもキチンとあって映画が作り物であり娯楽である・・ということを見失ていない余裕がいいんですよね。・

文革なんかを通過して育った中国の若者達のタフさと言うモノをおもいしらされました。、歴史の厚み(沢山争いを経ている)が人に与える知恵の・・善玉悪玉を単純に分けてしまう単調な映画との違いを想う映画でもありました。人間が翻弄される悲喜劇とったらいいのでしょうね。それをキチンと見ようとする姿勢はいいですよね



10月11日 快晴 放射冷却で朝晩冷えてきた。

今日もいろんな方からメールをいただいた。主なもの・・原宿生活の渡邊さんからは阿佐ヶ谷の学校での講演依頼.今年も話に行きたいと思ってます。名古屋の宮島さんからは大島さんの追悼文の感想・・

住建の追悼拝見しました。・・・・僕の描きかたと違って、佐藤さんから見た大島さん像は、たしかに僕にも見覚えのあるもので、それだけに感慨深いものでした。そう、あのにやっと笑った時の目ですね。お玉じゃくしのような。大島さんの実家にも届けられるそうです。それで、お母さんも喜んでいました。・・・

宮島さんどうもありがとうございました。お母さんにも届けられるのかー・・。大島さんのことは宮島さんの方がずっと詳しいなーとおもいました。真由美がふさぎ込んでるとか,、道理で最近音沙汰がないとおもった・・早く以前のような元気な真由美にもどってほしいものだ。

山形の香川さんからは・・・

佐藤さん日記拝見しました。
・・・姉が亡くなってからしばらく経ちましたが、相変わらず気持ちは重いままで、あまり熟睡できない有り様です。・・・・そんなときに人と話をしたり、声をかけていただくことで、少しづつ落ち着きを取り戻せるような気がしています。・・・・これから子供を生むような若い女性に怖がられたら困るなとおもうのです。姉のケースは稀であること、心配な場合は事前に然るべき対応が可能であることを、どこかに書き添えていただければうれしいです・・・・


大変な状況の中からのメールありがとうございました。お姉さんの場合は希な事です。出産予定の女性でそのようなことが心配な場合はお医者さんに相談しておきましょう・・

東大留学中の韓国の朱さん仙台の遊びに来てるとのこと八重樫さんの事務所へ遊びに行くように勧めた。



10月10日 快晴であるが寒さが戻ってきたので紅葉が早まりそう

昨日も少しかいたけど田中さんという民間企業の研究者がノーベル賞を受賞したことでノーベル賞について再認識した。今までは裏工作して受賞してるなんて噂もあって、佐藤首相の平和賞あたりから変な感じだったが、今回のことでどうもそうではないということがハッキリして田中さんの受賞はとてもよかった。

本人も寝耳に水と言っていたし、今日の新聞の一面は作業服姿。偶然出来(間違ってだったかな)たというコメントやもてない君だった僕が社内の女性から花束いただくなんて思ってもみなかったという話まで、なんともいい。

 30代で発表した論文が10年後ノーベル賞を連れてジミーナ巷の研究者を一夜にして日本のスターに持ち上げてしまた。

 賞というのは与える方が密に調査しるから素晴らしいものなのだと思う。昨今流行の自薦の賞なんてモノは、与えるモノと与えられるもので、権威をでっち上げるために捏造され共犯てき賞だ(言い過ぎかな)と言うとがハッキリしてしまったな・・。

田中さんの受賞は秋晴の空のように爽やかな印象を与えている。

もう一方のkさんはかなり胡散臭そうに見えてこれまたいい。私は重源っていう勧進聖が現代に生きていたらkさんのような方なのではないかと瞬間的に思った。とにかくしたたかそうで、これまたノーベル賞のイメージを変えてくれて痛快である。


 今日はさざえ堂のフォトコラを田中浩也さんの支援にてWEBにアップすることができた。渡辺豊和さんに依頼さえてスライド撮影に行ったついでにデジカメしたデータを繋いだ。スライドも綺麗に写っているとのことで安心した。渡辺さん田中さんありがとうございました。


千万家のふぉとこら2本も同時にアップできた。田中さんによると・・

千万家のモデリングデータを、レンダリング処理してCGにして、それを友人の平山真君という人に作ってもらいました。完全に仮想の千万家。行ったこともない人が作った・・・。壁すりぬける・・・・。
 ま、佐藤さんの作られる圧倒的なタジコラの前ではかすんでしまうのですが(笑)、参考までに挙げます

・・と謙遜されるのだが、私にはとても興味深く何度も見ている。有るモノが他者に伝わって変容して新たに創られる現場を見ているようで楽しい。私が想い描いた千万家は現実に建っている千万家とも異なっているんだから。

そのご完成した千万家を素材に多数千万家フォトコラが出来上がった。まぁこんなことは偶然なんだが、フォトコラを考える立場と、建築を考える立場両方に面白い素材を提供できてきたなーと思う。

平山真さんお会いしたことはありませんが、ありがとうございました。



10月9日 よく晴れていて爽やかな風が吹いている

スパーカミオカンデの話はニュースなど以前にしっていた。それを建設するに当たって陣頭指揮をとった方がノーベル賞を受賞したそうだ。巨大な施設を作り地味な基礎研研究をしているようだ。その研究が人々にとって何の役にたつのかもわからない状態で、人々特に役人などを説得し建設資金を集め施設を完成させたようだ。

おおくの研究者が永年にわたりジミーナ・・何の役にたっんだー・・分からない研究をこの日本でしてた。現在の日本にあってはとても貴重な事だと思っう。それらに対する評価と受けとめておこう。

スーパー カミオカンデは 岐阜県吉城郡神岡町(神岡宇鉱業 茂住坑 地下1,000m)にあるらしい。以下HPの写し・・

タンクは内水槽と外水槽にわかれ、それぞれ32,000トンと18,000トンの純水からなっています。外水槽は外部からの放射線を遮蔽するためのものです。外水槽は1,867本、内水槽は11,146本の8インチの光電子増倍管 (Photo Multiplier Tube)で覆われています。光電子増倍管は、電荷を持った素粒子が純水中を光速に近い速度で走った時に出す、青白いチェレンコフ光と呼ばれる光をとらえ、その光の強度や方向などを測定して、ニュートリノが起こした素粒子反応や陽子崩壊を観測します。スーパーカミオカンデはカミオカンデに比べて、体積で10倍、光電子増倍管の取付密度で2倍となっており、大幅に性能アップがはかられています。装置は平成7年度中に完成し、平成8年4月1日から本格観測に入っています。

以上写しでした。スーパーカミオカンデ公式ホームページへ

7時のニュースでもう一人の日本人研究者がノーベル賞を受賞してとか。日本人もなかなかやるじゃないとはしゃぐ総理と対照的に研究者のコメントはかなり渋かった。本物かもしれない。

 多様なタンパク質を簡単に見分ける方法を研究したとか。こちらは人類にとって相当有意義。多様なガン細胞をたちどころに見分け区分するとか・・医療現場などでおおいに期待されているとか。今までの大方は大学関係者だったが、このかた民間企業の研究者というんだから・・またいい・・そうとうに渋そう・・



10月8日 曇りのち雨..。

先日取材を受けた民有新聞への掲載は今週末とか・・・タイミングが難しいとおもいます。再度写真を送った。

さざえ堂フォトコラを仕上げた。とはいえさざえ堂のあのグリグルグルクリと回転しては昇り、クルクリクロリと回転しては下る感じをだせなかった。なぜかと言うと、内部の写真をたくさん撮ってこなかったからで、これはまずいなーとも思うけどね・・

 昨日の日記にも書いたけど、さざえ堂が建立されたおおよそ200年前には内部に西国三十三観音が安置されていたはずなんだ。現在は三十三観音のが鎮座していた場所さえ説明されてないのでどこなのか判らない。多分中心部の窪みあたりでしょう。

観音様が不在じゃー・・さざえ堂の核心が無い状態と言ってもいいんじゃないか。寺の怠慢じゃないかと思う。内部には庶民が何かを祈願したお札ばかりが木肌を覆い尽くしている始末で、観るのが辛い。言い訳になってしまうがそんな状態を写真に撮ってフォトコラを作る気分にならなかった。やっぱりマズカッタナーグリグリ観がでないんじゃなーと反省してる。

内部は少々不足してますが、外観はある程度撮ったのでさざえ堂の立ち姿と周囲の関係が理解できると思ってます。いずれWEBにアップしたいと思います。


昨日山形の香川さんのお姉さんの死の事を少し書いたら、悲しみの中にいる香川さんから返信メールをいただいた。返信メールに言葉を失ってしまうけど・・・、メールをいただいたり掲示板に悲しみを書き込んでいただいたりすることで、少しは悲しみを受け入れることが出来るような状態になるのではないかと思うのです

黙っていて悲しみを内包してしまうことは、死んだ人も周囲の人も救われないとおもうのです。悲しいときは語りあい互いに泣きあうことが悲しみを流してくれるようなきがします。生きていると言うことは幾重の偶然であり、耐え難い悲劇との併走なんでしょうか。そうは言うモノの命はそんな困難を乗り越えて、人間の時の感情をも越えて私達の体の中の生きているんだという命の歴史もあるなー・・。

メールによると・・姉は9月6日に第一子(男の子)を帝王切開で出産しました。母子ともに健康で、問題なかったはずなのですが、翌日歩く練習で立ったときに倒れ、その時点で心臓・呼吸が止まっていたそうです。すぐに救急へ運ばれ、13時間ほど戦った末に亡くなりました。原因は血栓が肺に詰まり、瞬間的に肺の機能が停止したとのこと、最近騒がれた「エコノミー席症候群」と同様な経過・・・・・


とありました。エコノミークラス症候群というのは、my長女の話によると、長時間同じような体の状態(座ったまま)にしていると、足などの部分に血栓が出来やすいのだそうです。偶然出来た血栓が体を動かすことによって、足の筋肉が体全体に血液を送るポンプのような働きをして、その血栓を体中に配送する。で血管が詰まるのだそうです。

 産後のような体の・・血液が多くある・・場合は特に血栓が出来やすい血液状態なのだそうです。で帝王切開の場合まれにそのようなことが起こるのだそうです。
・・との説明であったが・・・説明はわかるがなんとも可愛そうです・・・。

 ちょうど結婚して一年、子供も生まれ、幸せの絶頂でこの世を去ってゆきました。ただ、生まれた子供を一度も抱いてあげていないことが、あまりにも可哀想でなりません・・・

本当に親子そして周囲の方がたの無念を思うと・・かける言葉もありません 。まだ亡くなって1日、辛いところメールや書き込みいただきありがとうございました。香川さんの お姉さんのご冥福をお祈りいたします。・・合掌・・・・

後日香川さんからメールがありましたので付け加えます。

 ・・ちょっと気になったのが、これから子供を生むような若い女性に怖がられたら困るなとおもうのです。姉のケースは稀であること心配な場合は事前に然るべき対応が可能であることを、どこかに書き添えていただければうれしいです。このようなことは二度と起ってほしくありません

 香川さんありがとうございました。



10月7日 
 追伸:香川さんの書き込み読んで・・母親の無念もそうだけど・・生まれながらに母親がいない子供の心情を想像できないなー・・・・反省してます

昨夜半から降り出した雨があがったが、ドンヨリとした雲がたちこめている遠くで力無く犬が鳴き、町工場の騒音も湿ったまま落下しそう。

2日ほど遊びほうけていて、ソコラジュウ空虚な感じが・・漂っているのは俺だけなんだけどね。

 渡辺さんに頼まれ金曜日にさざえ堂をスライドやデジカメネタを集めた。一気にフォトコラ制作中と行きたかったが、内部があんまり汚い・・建立当時の三十三観音は姿形もなく、現世に生きる庶民の願いを込めたお札がビッシリと貼り付けてある。これじゃー庶民の欲望ダケ(運営管理する寺の欲動と言いかえるべきかも)が、100年も詰まっちまったさざえの抜け殻・・という想いは今回も強くーうまれる・・内部は想像するだけがいいなー

一気にフォトコラのイメージがまとまらないのは、三十三観音が明治維新の時に廃仏毀釈で追放されたまんま。神々の不在が邪魔してるんだなー・・観音様がどこかへ行ったっきり状態が続いているのを現地へ行くと私の体が強ーく・・感じとってるようなんだ。もぬけの殻に体細胞が落ち着きをなくし、頭のまとまりを邪魔するってことだ

 観音様が不在になって百数十年が経っているが、お堂の前では受付のおばさんが壊れたテープレコーダーのように観光客が現れると声を張り上げてありがたーやありがたやー風に、さざえ堂の講釈を吹き続けるこの光景も追い打ちをかける。・・

そうだな内部の素材は・・建立当時を想わせるような・・三十三観音を鎮座させ3Dで生きかえらせるのがいいんじゃないだろうか・・そんなことを考えていたら、現物の素材だけでの繋ぎ方がまとまらなくなって、素材を加工してみたがはかばかしくない、それらを眺めてばかりいて数日が過ぎてしまったなー・・

何時現れるとも分からぬ三十三観音を待っていては素材が手に入らない3Dは能力不足であり・・さざえ堂フトコラが何時出来上がらぬか見当もつかないんじゃーな。不在の観音様におしかりを受けるのを覚悟でフォトコラを仕上げることにしよう。


今日の掲示板に香川浩さんのお姉さんが出産後2日で亡くなったと書いてあった。人が産まれ生きているというのは、この地には爆撃もテロ攻撃もまだないけど・・生きているっていうのは不思議であり偶然なんだなーと再確認。

香川さん書き込み・・
Name:Hiroshi KAGAWA
Date:2002年10月07日 00時20分19秒

先日の台風の影響で、製作日に会場が水没。 予定よりずっとこじんまりしましたが、体力的にはこれくらいで良かったかも。(直径約7M)実は先日、私の姉が子供を生んだ二日後に亡くなったので、妙な気分での制作でした。

 残された赤ちゃんは産みの母親の顔を肉眼で見ることは永遠に出来ないなんて、あんまりにも可愛そうじゃないか・・。生みの親より育ての親という言葉を信じて生まれ来た赤ちゃんの日々の幸福を祈ろう・・・。



10月4日 晴れ台風が温かい空気を運んできたようで少し汗ばむ

さざえ堂のスライド撮影にでかける。我が家から国道115号線を西へ走ると50分ほどで標高1000m当たりでしょうか土湯峠のトンネルがある。トンネル付近は紅葉見物には最適な場所。しかし蔦などが紅葉し始めていている程度で木々の葉は数パーセント色づいているだけ。今月末が見頃でしょうか・・。

トンネルを抜けるとバブル時に作られたスキー場やホテルがある。すこし猪苗代湖の方へ下ると、道の片側に野菜だのキノコだの売っている仮設の店が 100m程の列を成していて買い物客も多い。美しいとは言えない野口英世記念館とその周辺を過ぎると猪苗代湖の湖面が目に飛び込んで来てまぶしい。湖にとっては中途半端な季節のようでボートは丘に上がっている。

 蒼だの緑だの白だの光り輝く大きな湖は、最近リン養分が流こんで水の富栄養化が進み汚れつつあるとは言え、翁島あたりはいつ見ても綺麗だ。浜辺には観光客がチラホラ。およそ2時間ほどで飯盛山の北西面にあるさざえ堂に着く。

丁度昼飯時で市内の女子中学生が無料休憩所を利用し数に輪になって楽しそうにお弁当を広げている。観光客もこの時期にしては多い。

外観を写そうとするのだが、ほぼ真北が正面で完全な逆光になっている。さざえ堂は1796年に建てられた平面が6角形で3層(?)の奇妙な建築。内部が二重螺旋になっていて、正面から昇り最上階の橋を渡り、下り始めて裏側へ出る

建立時当時は内部の芯の部分に三十三観音が安置されていたようで、2重螺旋を通過するとを西国の神々を体験したことになったそうです。現在それらの観音像は配置されていないくてとても寂しいね・・。

裏の出口の側は南面で順光。崖が迫って来て広角じゃないと全体を写すことは 難しい。6〜8m程の崖になっていて土産物屋がある。そのあたりから数枚撮ろうとしたところで、オートフォーカスが動かなくなる。アスファルト道路に落としたのでレンズ筒が歪んだらしく、綺麗に駆動しない。なんてことだ・・手動で・・。

内部に入りグルグルと昇り下りを撮る。内部は想像するだけの方が好きである。でもスライドが欲しいと要求なので撮った。お札がそこかしこに貼り付けてあって、人の願望が妙な迫力で迫って来るようなー・・。コレを3Dで作り神々も配置するととても良い作品になるだろうと思う、現物の内部はいつも「もぬけの殻状態だー」と思うので・・ね。

3層とは言うがグルグル昇って行くので日射しでも気にしてい数えない限り、何度グルグル回っているか気が付くものではない。

一度スライド用。二度目フォトコラ用デジカメでグルグル巡る。

おおよそ1時間ほどで終えて、白虎隊の墓参り会津じゃ戦争と言えば戊辰戦争のこと、太平洋戦争も悲惨だけど、戊辰戦争の悲劇はそれを上回っていて悲しみが深い。そうだろうなーと思う。

 数年後の大河ドラマは新撰組とかで「近頃墓参りセットを持参で訪ねる若者が多い」と、ボランティアのガイドが話している。墓の周りの松の木は松食い虫に犯されて、枯れているモノ、切り倒されたモノが多い。南西の方にお城が霞んで見えている。




10月3日 晴れ

昨夜映画「青い春」を見る。原作松本大洋。監督・脚本:豊田利晃。主演松田龍平

福島で映画を観る場合はフォーラムマイカルがある。マイカルはPM9時代開始で深夜終了なので仕事を終えてから見る場合は便利。フォーラムは少し早くPM8時代が最終上映である。しかし3本見ると招待券が頂けるので、料金は3000円映画4本となる。最近はフォーラムで観ることが多くなった。映画1本750円は良い娯楽。

青い春は男子高校で・・何とも貴重な響き、県内の高校は来年春から全てが男女共学となるそうだ・・繰り広げられる青春群像作品。番長取り競技ていう風な内容でコミカルでシリアスな演出がおかしくて笑える
 現在の男子高校生の生活は全く想像できないんだけど、これはそういう世界が有ったら楽しいだろうという、原作者の願望に近いのではないかと思うった。

 何とも中途半端な年代特有の、あのやり場のない虚無感は充分描けていたと思う。天才的で人生の目標が決定して邁進してる変な高校生以外の大方の凡人は、ああいった虚無感を通過しているので、共感できるし、リアルな青春の汗くささを思い出させて説得力もあった。

 舞台である高校の校舎は、鈴木成文先生風建築。今となっては均質なプランで退屈なものであるが、退屈な学校空間を非日常的な異空間に仕立てた点と、3階建ての建築の高さ有効に活かしていた。番長争いを上へ昇るという視覚的映画表現に転化していて強い映画になっていた。映画の中での階段の使い方が特にうまいんだね

ラスト間近の青木(順主役)が屋上から落下(自殺)するシーンと、九条(主役)が青木を救うべく駆け上がるシーンの掛け合わせは効果満点に良かった。ラストに描かれた影と現実の影2つの対比より、その落ちると昇るの対比が青春映画を仕上げたなーと思った。

映像色彩はピンポンの曽利文彦監督も良かったが豊田利晃監督もバッチクはあるがナイスな色感を持っている。桜・チーウリップ開花シーンを効果的に挿入してあって、芽吹き時のあの天然エネルギーの異様さと、青春期の異様な内包力が効果的に伝わって来てました

最後のナガーイ、多分12時間程でしょうか・・あのワンショットを数分で表してるんだけど、ああいう撮影は一度やってみたいよね。

現在ある高校において、屋上を利用出来るように設計してあるとは思えないけど、屋上が利用できたらあの使い方は良いだろう。高校建築の便所・屋上・部室・売店・保健室・ペイントハウスなんて場所は、均質な教室が並ぶ学校においては最も異空間風な場所だろうから、そこいら当たりを映画に存分に盛り込んでいて、あり得ない高校生活満天でした。

青春男の叙情が天こ盛りにされていて、男の青春ファンタジーに近づいていたのでした。

夕方住宅建築10月号が届いていました。p157に大島哲蔵さんの追悼文が載りました。中村謙太郎さんありがとうございました。感謝。



10月2日 台風一過の快晴。南風が運ばれてきて気温が7〜8度上昇したのではないかな・・温かし。昨夜の雨と風は断続的に強くなってはいたが、恐怖を覚える程の強烈な天然が押し寄せては来なかったので・・良かった良かった。

 一昔前なんだけど台風のさなか友達と旅館で休んでいたら崖崩れが襲ってきて、危機一髪生き埋めにならず・・命からがら福島に戻って来た経験がある。生死って単なる偶然に過ぎないのねー。台風に対してはそれ以来、とてもコワイなー・・(沈黙)・と条件反射的に思っちゃうね。友達の子供一緒だったんだけど半日ガタガタ震えが収まらなかった。何度か台風やって来るんでしょうね・・これからも・・。

昨日大阪の渡辺さんから栄螺堂のスライド撮影を頼まれる。何度も行っているけど、スライド真剣に撮ったことないなー・・写真で見るより、話を聞いて後想像して楽しむ方が栄螺堂には合ってるという想いが強いからだと思うなー。だから栄螺堂のスライド無かったンだろう。

 栄螺堂は飯盛山にあって、上りと下り専用の斜路を内包する六角形のお堂です。江戸時代に出来た建築だが福島県を代表する名建築。台風も去ったし天気のいいうちに撮影してこなくちゃーいけないなー。

 数年前に渡辺豊和さんが建築あそびに来て頂いたとき、会津を観光したんだけど、その日は雨の中を古墳巡りについやしてしまってね。

 その古墳は北西に20度、古墳の軸が振れている。大発見とか・・。これコレが重要ななんだよ佐藤・・なんて言われてもさっぱり分かりませんでした。大阪に帰って2冊本を出してしまった。頭はそちらへ行っていて栄螺堂には立ち寄ったが撮影し忘れていたんだね。古墳と言ってもだだの林にしか見えないんだけど私。ザンザ降る雨の中で戸惑うばかりですが、渡辺さん超元気に吠えてました・・回りには私だけ・・。

その後、古代史研究家の渡辺さんは歴史博物館に行って資料を買いまくってました。会津の歴史資料館は初代館長の高橋さんの選任が良かったとみえて、資料が充実してるとのことで大喜びでした。近世史研究してるmy長男にも会津の博物館は評判がとてもいいです。



10月1日 明日近づくらしい台風の影響で昨夜から雨が降っている

お絵かきソフトを使って建築の図面を書いていると時々動かなくなってしまうmyPC。計算能力不足のようだ。買え代える金もないので、小さな絵にして練習をすることにしよう。PCの能力とソフトの関係っていうのはこんな事になっているのであろうから、互いの性能を追い求め始めたら、PCとソフトを買い続けることになるんだろうか・・とりあえずお絵かきソフトの能力に合うPCを手に入れたくなる。

PCで絵を描くと現実の建築の質感との微妙なズレ・・が書き込む程に気恥ずかしい絵になる。こんな事なら単線の事務的な表情の図面の方が作業も楽だし、見慣れているのでお絵かきソフトを使う必要もないかもしれない・・と手抜きを決め込みたくなる。模型や手書きの絵の方が、永年親しんで来たからではない。モノが持つ力があって、妙に説得力があると再確認してしまうからだ。

CG満載映画の嘘くささはを体験して味わう妙な感じと似ている。映画の場合は最新技術とPCを駆使しているので、我がお絵かきソフトと比較するのは飛んでも無い話なんだ。お絵かきソフトの性能を理解して現実味を与えない絵を作り役目を与える方が、魅力が引き出せるのかもしれない。なんったって流行なのでお絵かきソフトを少しは身に付けなくちゃいけない。

企業情報誌が送られて来た。今回の特集は原広司さんで、略歴や作品や論文の年譜がまとめられていて便利。隈さん植田実さんの文章が楽しい。対談の中で・・自邸が完成して直後に植田実さんから「あなたにはこれをこえる作品はできない」と言われて「なにを!」とおもったけど、今になると「植田実はただしかったなー」と思ったりする面もある・・そんなことが書いてあつたり・・。

今年の3月原さんの自邸をフォトコラして私もあの自邸が一番よい作品ではないかと思ったが、多くの人がそう思っているようだ。植田実さんの書き込みによると1970年に粟津邸のプロジェクトが見えたころだったが・・現在までの建築を原さんは既に作り上げていた・・と書いている。原さんは現在65才ぐらいだろうから32〜3才のころに既に原建築を手に入れていたということだ。

建築家は30〜40才までに自らの建築観を手に入れなければ、まともな建築家に育たないだろう・・と思っている。30歳前後に既に原さん原建築を手に入れていたのだから早熟。表紙はアフリカの砂漠の中を走り回って集落調査をしていた頃の肖像写真・・で気合いが入った顔、一種の狂気が漂っている、その感じがいい。