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   2002年8月の日記


 8月30日 曇り 昨日のカンカン照りも納まって少しホッとしてる。蝉の鳴き声も行く夏を惜しむかのように響いている。昨日書こうと思った22日建築あそびの後半はカンカン照りに脳味噌が干上がってしまったようでmy手はオネイチャンのよからぬ所に伸びて伸びで、キーボードに戻るまでまる一日かかってしまった。カンカン・・

南泰裕さんの事を書こうと思っていたら、仕事場の隅のほうに数年は埋もれてしまって出てこなかった、表紙に円弧が切り取られて中がチョイ見える例の作品集・・ゴードン・マッタ・クラークの作品集が出てきた。名古屋に転勤になってしまった宮島照久さんに教わった芸術家で、即大島さんに注文して買ったお気に入りの1冊。

 先日 南さんから出たばかりの「都市/建築/フィールドワーク・メソッド」をいただいた。そのなかで南さんは「観察と記述の系譜学」というタイトルで、まともに読んでもいないのに 前後に有るご多分(御多文)を一気にまとめ切っているように感じるんだが・・その南さんの文中にあるる写真 良いね。今となっては暑苦しいリアリズ夢の写真になってしまった森山大道さんより正確で涼しげに、現況の都市を生き生きと捕らえているのでした・それらの写真は姿を変えたPark Houseそのものなんだね・・そんな想いで眺めている・・マッタ・クラークの作品集の写真と南さんの写真が私の頭の中で突然連結しちゃって、なんとも幸せな気分に成っています・・これも仕事場の中での偶然の縁だ。

22日建築あそび 後半のこと

南泰裕さんの話は二部に別れていて、前半が7年ほど前の大学院時代に仲間達と開催した展覧会の様子やその時出品した南の作品の解説。主に都市と自分の身体や感覚を繋ぐ手法の発見方法を拓く話。後半は完成したばかりのPrakHouseの解説で「スライドは内部のみ持参した」と 断を入れていました。

 南さんの話を聞いて「放置されてる・置いてきぼりを喰ってるよなー」と感じる聴衆は前世紀的価値観に浸って生きているの証だから・・大方の極一般の人はそれでいいと思う。しかし将来建築を設計しようという志を 多少なりとも持っている者はそんな鈍感では・・将来が思いやられる。できることなら建築家にはなって欲しくないと・・まで思うなー・・。

南の目指す建築や建築家像は前世紀の要請によって成り上がってしまった現在の建築や建築家の価値観とは明らかにベクトルが異なっている。現時点で素直な観察眼を持つ人間ならばすんなりと理解できる姿勢である。しかし凡庸な建築家はそのことにも気づかないことだろう。

南は講話の中で、数年前までは建築を語る資格が無かったと言っていたが現在は建築を語る資格を手に入れたとは言っていない。それは講話の流に添ったスライドを見てるとよく理解できるのだが・・スライドショーに先だって、「建築の内部だけ持って来ました」とあらかじめ断りを入れて話を開始しているのだが、従来的な価値を持って理解しようとすると参加者はそれに耐えきれず、途中で平面図だの立面図だのを要求している

南はさぞかし呆れたことだろうと思ったが、デシカメの電源切れの偶然が重なったこともあり、私はその要求を阻止することはなかった。凡庸さを改めて指摘することもなかろうと思ったからだ。

体験記にも書いたが南のParkHouseは「現況の都市」そのものである。建築あそびによって多少付け加えた方が理解が進むだろうと想うことは、「故意にスケールを悦脱して作られた現況の都市」「現況の都市を抽象化し南自身が手に入れた建築」そのもの。多少抽象的に物事を変容して観る訓練は必要かもしれないがそのぐらいの想像力は身につけていてほしい。

一貫して乱れることがない南の論理の展開や言葉と物に必然的に生まれる齟齬を取り除いてしまおうとする態度によって参加者は置いてきぼりを喰らってしまったような錯覚に陥る。この世は齟齬と誤読によって運動してる生き物だから。

1・明治以来日本に建築家という者が捏造され、一時的にせよ日本の国を築くことに役だっているのは事実であるが、120年ぼどにもなろう現在では国の不良債権を増産する人に変わったかのように見えてしまう現在・・建築家は目標を見失った盲人のような感じにも見える。全の建築家がそうであり不要さ・・とは言っていない。南はそのような建築家とは明らかに異なる価値の中に生きている

建築家は相変らず「自分は国家・国民の為に良いことをしいるのだ」と脳天気に信じて疑ったりはしてない。とにかく美的な建築を目指して成り上がることに懸命のように見える・・・痛々しさ、ちがった ・・ウットリしてるんだった。

そのような建築家が大切に守り続けてたナルシス教の教典は南には全く無縁ものであるし、そのことによって生み出されたものの配列の数々を観察している。南が存在することによって 20世紀的日本の建築家は ナルシスの海を哀れにも孤独で泳いでいた事実や、その間都市は建築家の価値拘束から開放されのびのびと成長していた事実に気づかされることだろう

2・都市と住居と言った二項対立 。内部と外部・他者と自己、善・悪、聖・俗などの二項対立によって、作られた前世紀価値が照射され、現実のありのままの世界をあっけらかんと提示する快適さを、前世紀的な価値で生きてる建築家は正視するとは出来ず。それを観ては後ずさりすることだろう。現況は混沌としてある・・が当たり前なんだ 南が差し出した都市を観て目をしかめ いがやり 驚く そのような人・人を見て南は驚く南は都市を把握することすらも志向していない・・なにを目指しているのだろう・・と愚問が浮かぶなー

Park Houseは内部・外部とも都市の現況である。という体験記の直感は正しいように感じる。

3.建築における平面プランの価値を解体してしまっているのはとても気持ちがいい。言い方を変えれば南は建築の平面プランから開放され尚かつ建築に都市を抽象化し移植する。都市の内部と外部を都市をスケールダウンし抽象化した建築を用い攪拌して楽しむ術を身につけた。

4・都市を採取観察して語り続けようとし、結果をトリアエズ建築にスケールダウンして提示している。都市を人間の身体スケールに解釈し直して建築化している。
南は建築家を目指すことはなく都市の観察者としてすーっと突っ立ったままである。時々観察記録を建築化して都市の現況を報告してくれる。南を建築家と呼ぶことにある種の後ろめたさを感じる。

5、都市を身体化する為の手法として一万分の一から一分の一まで抽象化して観察する真摯な態度が気持ちいい。そして都市を理解できるかもしれない尺度の異なる窓と窓を連結して一気に都市を掌握しようという野心が爽やかである。

そんな所であるが、その各ベクトルは前世紀的な建築家とは大げさに言えば逆向であるから置き去りにされたような錯覚を味わうことになると私は思う。

南は前世紀的な建築観を解体してしまい、今世紀的な建築観をPrakHouseによってこの世に投棄した。今後そのことの意味は大きく理解され共有されることだろうと私は感じる。みんなで南の建築(思想)を理解し楽しく生きるほうが快適だと思う 宿題は南の決して幸せにはなれない赤裸々な思考の源を知るために南を観察続けないといけない義務を負ったことでしょう。それもいいなー。

蛇足ながら付け加えておきますが、南の語る都市を景観・風景と読み替えると地方に生きてる私にはもっと身近で具体的な話になる。

私はこの数ヶ月の間にズーット年下の藤本壮介南泰裕という全くタイプは異なるが天才的な人間に出会ってしまった・・誤解だとしても幸せな気分である。人生のある短い期間に一気に盆と正月がくるなんて・・愛でたしぎるなー・・・・・オネイチャンのよからぬところに・・・手を伸ばそー・・



8月29日 真夏に逆戻りした様な天気.暑くて・・南さんの記録や雑誌住宅建築から依頼された原稿のチェック、それから貯まったメールの返信を書いて暑さをやり過ごした。

 近所のお姉さんが我が家の敷地境界からはみ出した植物の枝枝が「通行の邪魔になるから、処置して欲しい」と言って来たのでカンカン照りのなか、脇毛を処理する女のような気分で刈り取る。my妻と共に汗だくに成る。

措置した無花果の枝には実が沢山付いていて、もう少しすると煮て食べられたのに・・残念。 お姉さんの駐車場の小屋の配置は超せこい。車の出入りに苦労してる様子。で、原因は棚上げして我が家の植物に八つ当たりしているのが解る。可愛い顔しているので、処置してやる。 こまったことが有ると直ちに市役所へ電話し、お姉さんの苦情は市役所経由で伝えられていたようで、近所の人と喧嘩ばかりしていたのだが、すこし大人になったようで、直接言ってきた。

 可愛ゆくなったものだ。出来ることなら、植物に八つ当たりしないで車の出入りが楽になるように、駐車場を作り替えるか、邪魔になるーと感じる枝枝を自ら処理してくれるともっといい。せめて無花果の実をみんなで食べてから処置してもいいのではないかとも思う。悪いのは近所のノータリンどもだという顔をしていて可愛い。

人間は目くそ鼻くそを笑うじゃないけどおかしい・・なモノだから呑気に生きていけるのだ。歯くその汚い知人女は我が家の木々を見ては「さっぱりしない」と言う。「お前の歯くその方がさっぱりしない」と私は思う。目くそ・歯くそ女も男も腹の中に糞を詰めて歩いている。自分だけは美しいと勘違いして歩いている。私は糞詰めて歩いてる。せめて植物ぐらい自由に育つを眺めている余裕が欲しいものだが・・勝手な事ばかり言ってはいられない。オネエタンにとっては自分の糞の行く先より隣の枝枝が問題なのだ

枝枝を処置していたらマスマス、カンカン照りになり、植物より人間の方がゲンナリと弱る。カンカン照りのお天道様とお姉ちゃんにあうと干からびてしまう。オネイチャンもお天道様もホドホドがよいなーとオジサンは思う・・

建築あそびの後半のことは明日書きます。



8月28日 快晴で真夏の日射しが戻ってきた。暑いよ・・熱風が仕事場を通り抜けて行く

2日ほどかかり(AM2時頃まで)南泰裕さんの言葉を文字化していた。22日の建築あそびの中で、スライドを映しながら話していただいた内容をザット文字化してしまった。一安心。

夜中に掲示板 N0 1222に田中浩也さんが書き込んでくれた3Dを見るためのソフトをダウンロードして、松丸真祐美さんがデータを整理してくれた千万家の3Dを少し動かして見ました。フォトコラージュとは異なる面白さ、手に持って模型をクルクル回して眺める快適さに似ているね。大きくなったり小さくなったりするのが実物とは違い・・コリャ凄いね。素材感やガラスが透けて内部が見えるとモット面白く計画意図を他者と共有出来るような気がする。

目指す建築を着工前に発注者・設計者・工事関係者と等と共有する為の道具として、将来は不可欠になるだろうと想うね。現在は3Dのデータ入力をしたりする人材が不足しているので、一気に進むことは無いだろうが、工事関係者の効率的配置と省力化には有効な道具になるだろうから・・。図面も3Dで直に書くようになるだろうと想う、現在活躍してる20〜30代がおじいさんになる頃のお話か・・。過渡期は両方使いこなさざるを得ないでしょうね。覚えることが多すぎて死んで行く暇なんか無いね オジサンはホントに・・暑い


22日の南泰裕さんとの建築あそびのこと

台風が去って、再び強い日差しが戻りそうないい天気でした。平日なので参加人数を10人と制限したんだが15人集まった

当日なのに・・料理何するダーと悩む。各自仕事を持っているので・・平日はmyサポーターだってお勤めがある。料理も手抜きせざるを得ず、準備が簡単な焼き肉に決めた・・買い出しは午後に回し、桃を買いに選果場へ。焼き肉と桃の取り合わせは建築あそびでは初めてのメニューです。

・・一週間経つので忘れてしまったよー・・午後Mさんとmy妻・長女と総勢4人で買い出しから野菜の刻みなどをする。トウモロコシを茹でると汗が吹き出る。

ゆであがったトウモロコシを眺めていると、南さんから電話があり、飯坂インター当たりへ高速道で近づいている様子。道をなんとなく伝えると・・やって来ました。南さん今は夕方の5時過ぎ・・

松田達さんの運転する車で、総勢4人。荷物なんて下ろしてる場合じゃなくてまずは記念写真をmy長女に撮ってもらう。なんだ・・南さんもカメラを出して記念写真を撮ってる。

松田さんは6月の原宿宴会で縁が出来てメールをやり取りしていたんだが、全く違う顔を想っていたので不思議な気分。松田さんの友達で関根真由紀さんも一緒。関根さんはパリの大学(建築)に在籍していて4年。夏休みを利用して一次帰国。東北の旅についてきた。松田さんとは隈さんの事務所でワイワイやった縁以来の知り合い。松田さんは学生さんで1月後にフランスのペロー事務所に行って働くそうで・あんまり時間がないかも・・

眼鏡のカタチの特徴に惑わされてホントの顔をいつも見逃してる大成優子さんも一緒。大成さんは今年の3月妹島和世(漢字?)事務所を出て、設計事務所を開設。現在大成さんの実家を増築中。以前掲示板に模型と現場の写真を貼ったから記憶してる人もいるかなー

南さん達は那須の隈さん建築や仙台の伊東さん建築を見学して仙台の松島を観光して・・ササ蒲鉾を土産に現れる。ワイワイ・・桃や梨を食べはじめていると・・藤村さんを福島駅に待たしてあるのを思い出す。

松田さん運転my長女ナビで駅に出迎えに行っていただく。松田さんは藤村さんを知っているとのこと。藤本龍至さん塚本由晴さんの研究室を出て30日にオランダへ建築の勉強しに行く。忙しい人。その前に青森のおばあちゃんの所へ行って挨拶をしての帰りに立ち寄ってくれました。前回の藤本壮介さんとの建築あそびの時も来てくれました。名前負けぜず・・天を駆けめぐりますね・・

藤村さんが着き毎度掲示板に書きこんでくれる住人さんもMさん亭主も着き、宴会準備が整う・・仙台から八重樫直人さんと所員の菅波哲也さんと石井順子さんが着く。私は石井順子を建築家にする会の会長なんだけど・・今年の1級試験に落ちたとか・・ネジまかないとねー・・とはいうものも東北を代表するAは1級無いそうだから・・出来の良いヤツは1級なんてイランないのよ・・なんでも良いけど有名になれば方々顔パスは確実かもね・有名にならなくてもいいので来年は試験しっかり合格するのよ・・

ワイワイガヤガヤしていると京都の内田康博さんが駅に着く時間が迫り迎えに行く。内田さんは渡辺豊和さんの所で秋田の体育館など渡辺全盛期の大型建築をまとめた人です。出は秩父なんですが京都大を出て京都に居座ってしまいました。角館の木匠塾で一緒にワイワイ・・巻き込まれちゃいました。25の日の竣工式に行く前に大曲で花火を一緒に見ようという魂胆なんです。建築あそびは初参加。私とは10数年来のお付き合いです。

いよいよ準備も整い焼き肉のパーティーの始まり。真夏の日本酒は余り良いのがないんだが住人さんが 熟女のように出来上がった小さな1品と 絞りたての爽やかな少女のような生酒を持参してくれたので私は満足・・あぁビール買うの忘れたー・・でビール大好きの八重樫さん慌てて近所の酒屋に買いに行く。・・カンパいはビール抜きでヤッチャウ・・前に全員集合の記念写真を撮る・・笑える・・

これでようやく焼き肉へたどり着いた。ワイワイガヤガヤと焼き肉を頬張る・・酒を飲む・・こと2時間・・このままじゃー南さんの話を聞き漏らしちゃうよ・・
ワイワイガヤガヤ・・わいがやわいがや・・

続く



8月26日 曇りときどき風があり30度もあるそうでちょっと動くと汗をかく。風のせいで15年も貼り付いている我が家の蔦の大樹が剥がれ落ちそうになっている。
太く成りすぎての自滅かもしれないなーそれに無花果(いちじく)の枝が折れていた。隣のお姉さんに教えていただき、折れた枝を片づけたら、腕や顔や首筋が無花果の力で痒いカイカイなー それに暑くなって 蚊が出てきて射されたし・・カイカイカイカイ・・

myHPをみたGAという雑誌社から原稿依頼があり、建築あそびについて一寸紹介した拙文が載ってる GA58号が届いていた。GAは綺麗な雑誌で世界中の建築関係者が購読してるのではないかな・・数年前に仙台の阿部さんに声をかけれら八重樫さんなどと話して参加したことがあったけれど・・恥も外聞もなく何でも書いてしまう私なので、GAの編集をしている山口真さんには迷惑をかけたかもしれません。おおめに見てやってください山口さん・・漢字間違いと無駄な部分が多くて・・恥・・文章上手くなるように研究しなくちゃ・・。

GA58号の中の列島リポート福島県の中です・・私は福島県を代表してるとは思ってないので、大いに戸惑いましたよー ・・これを読んでオイラが福島県を代表する建築蚊(文頭で蚊と打ったら蚊だって)だと・・カイカイカイカイ・・書いて投稿して欲しいと思うよなー・・私は地域って言うことをそれほど意識して浮遊してないので 県て肩書きで書かれてもおおいに戸惑います。それだけ浮世離れして生きてるのだなーと・・改めて思った・・行政的な括りとは無関係に建築好き者達と交通しちゃうん・・それでいいのではないのか・・選択縁の社会だし・・

建築グルメという雑誌(?)のコピーも届いてた。Mさんが「福島の建築を面白くしたもの」というタイトルで書いたコラムのコピーが届けられていた。どなたか・・我が家に持って来てくれたようで申し訳なく思います。有り難うございます。my妻はその方の名を聞き漏らしたようで・・

・・どうも・・と言えばいいのだろうかなー・・その文章の最後の方に少しというか・・多くというか・・日頃私が交流している建築家やその関係者の事が書いてあった。Mさんに申し訳なく思う。県の建築行政の活動に参加したことがないので・・県括りで活躍している建築家は大勢存在しているだろう・・。で・・申し訳なく思う・・しかし・・そうか・・昨日の角館の木匠塾の自己紹介で福島市から来たと自分で言ったから、福島市に住んでいるのは自覚してるようだな・・県と言うと広し過ぎてなんだか理解できないし・・丸ごと体験したこもないので、スッポリ抜け落ちてるのだろうなー・・で戸惑うのだろうなー・・いずれそう言った戸惑い観を解明してみたいと思う

22日の南泰裕さんをゲストに建築あそびの日記も角館の木匠塾の日記も・・後で書きます・・22日に参加した松田達さんのようにノート型PCとPHSの携帯もって歩きたい・・それが有ればHP・日記・掲示板を日々何処でも更新出来るー・・ので・・仕事も机にしがみついてなく自由に出来そうだよなー・・欲しいナーという思い・・徐々に強くなってきたよー南さんは魅力的であるなー大方今回の建築あそびに参加した人は南さんの話を聞き「放置されちゃた」「置いてきぼりにされてる」「判らないー」なとの疎外感を思いっきり味あうことになったろう・・と、想像するんだが・・そこに南さんの才能と本質が隠されていると・・私は直感的に確信するのよ・・すごいことだね・こういう人間が存在してるというのは・・私は興奮を覚えます・・・甘えて(甘えさせて)はいけないんだが・・おいおい日記で解説(誤読)(お節介)します・・




 8月22日 快晴のようだ まだ1時前の真夜中です

18時間後に南泰裕さんをお招きして建築あそびを開くことになっている。桃を食べるぞー建築あそび なので・・今日あたりが今年は最後かなー・・お盆だと桃は美味いが混雑するし、それぞれ予定もあるだろうから。南さんの都合と重ねると平日になってしまいました

 平日に開くのは初めてです。それぞれ仕事を持っているので準備のメンツが揃わないので 飯つくるのも苦労するだろう・・。参加する人だって仕事で忙しいだろうからなー、総勢10人と決めていたが・・14人になってしまった。

普段とかわらないなージャンと驚く。旭川で偶然出会った建築の博士課程で勉強してる朱さんと三上さんは勉強の都合で、福島にくるのは来月になるとのこと。方々から建築好好き人が集まるのに・・そして知り合いになれるチャンスなのにー・・残念ながら時間調整が出来ず参加出来ないとのこと・・あぁ可愛そうな・・そういう立場で勉強してんだよなーと思う。来月に来るそうです・・勿論 来月歓迎しますよ・・朱さん三上さん。青春18きっぷは9月10日までよたぶん・・

今回は地元はmyサポターの面々ノミとなり、他は方々から参加。京都から内田さん初参加。泊まりは5人になりそうです。こうなりゃ1泊じゃなくて2泊にして・・そのほう建築も見ることが出来るし 建築話もジックリ出来ると思うので いいよね。
真夜中に一人で言ってどうするんだ・・て気分

さて・・この数日フォトコラ用ソフトのなかのテキストファイルを読み込まなくなっmyPCにうんざりしてた・・

菊ちゃんの掲示板に書いて教えを請うた次第

myPCが変調をきたしてしましました。具合悪い・・webページで言うと 最小化が0 最大化が1 閉じるがoにアイコン表示されない原因わかりますか

マシンの不調ということで、お疲れ様です...よくあることですが、普段触りっぱなしのマシンが具合悪いと何だか哀しくなりませんか?私は自分が具合悪いときよりマシンの具合が悪いときのほうが哀しくなったりします

おっしゃる通りでございますねー具合悪い・・二人でフォトコラ作れナーいよ(泣き)

そのトラブルはフォントキャッシュっていうWindowsの一部機能の破損です。Windowsフォルダの中にttfCacheというファイルがあって、この中に色んな文字が格納されてるんですが、これが壊れると、そのような症状が起こるんです。

なるほどねー物知りだねー

一番簡単な治療法はSafeモードで起動しなおすと、壊れたところをもう一度正しく読み直してくれるので直ると思います。これで直らないときは、キャッシュファイルというのを一度消さなくてはなりません(メンドクサイ)

そうなりませんように・簡単でありますように・・

Safeモードの起動のしかたは、Windowsが起動する前の黒い画面が見えているときにF8キーを押しっぱなしにすると出来ます。で、そのまま一度Safeモードで起動して、普通に終了して、もう一度立ち上げなおしてください。

はいわかりました・・

これで直らなかったら次の対策をご連絡しますので〜☆

やってみます

都市と地方/いいですね。やりましょう。画像の大きさ、その他問題なしです。
色々探したいと思います。


そうそうホントに早くそうしたフォトコラを作りたいねー
じゃ早速ということで 指示の通り操作をしたら、なおりましたー

一安心ということで、知ってる人は知ってる知らないヤツはしらない・当たり前のことだけど・・・ありがたきは・・友達の環です・・ナイスなフォトコラ菊ちゃんと一緒に作ろうー・・っと・・で公開しますよ・上手く行ったら大勢の人に呼びかけて作るから待っててください・・世界中の人が参加出来るようなフォトコラを作る東京と福島の画像をつないで試してみます・・きっと成功するよ・・確信あるある・・




 8月20日 台風が通過しているようでこのところの曇り空が吹き飛んでしまった。風は少し強いけど 日射が見えて気持がいい

在京のTV局が10月末の日曜日に家を話題にした番組を作るようで、2度打診があった。東京TVのデレクターが来たのは半年ほど前か・・一般の人の住宅に対する熱が高まってるとは思えないが、他人の家でも覗いて暇つぶしと言った気分なのかもしれないなー。困ったご時世である

この十年でなん度あったことか・・TV局の大方は、まず下請けの調査会社がHPや雑誌などからめぼしい物件を拾い出し、設計者へ電話で打診してくる。大概は大喜びで食いつくらしい。お宅拝見の生意気さに呆れて以来TV局は断り続けてる私は例外なようで、横柄な調査員は驚くこと数度。この春FTVのデレクターとは不思議に意見が合い番組作りに協力したのは異例。これで終わりかなと思っていたら又打診で同じような気分にさせられる。

下請け調査会社の調査員と話していても何の事やらさっぱち判らない、日本語が通用しないのである。なんて世界の人達なんだろう。

次の段階になると今度は番組制作会社も下請けだ・・そのデレクターというのがやって来てまたややこしい。その上にまた放送するTV局のデレクターと言うのが神様のような権威を振りかざしてややこしい。家に関する番組作りはややこしさの難解建てである。

いつも思うことはもう少しシンプルに制作意図を持ち主に伝える努力をすべきではないのかということ。住宅を作ってTVに積極的に出たいなんて言うような人間は余程の露出狂または頭が温かい人間であろうな・・。平凡に生活してる人間はTVに出たがらないよ。また自分の設計した建築を選んでくれなんて言われても困る。この家を放映したいって言って来ないのがおかしいよ・・

TVで住宅を語ることに無理を感じるのはTV番組が志向する消費や娯楽と家の距離があるからのように思うのだが・・今回はどないなことになるんでしょう・・



 8月19日 1週間曇り空のような気がする
大島哲蔵さんの追悼文を書こうと思って2〜3日書き散らしてみて気が付いたことは、日本に建築批評家という職業が成り立っていない事実です。大島さんの批評内容についてアレコレ書くつもりでしたが、止めて思い出を語ることに変更し原稿を書きました。

建築批評文を熱心に読んでいる人はオタクな建築研究家又は批評された建築を作った建築関係者でしょう。建築関係者は読まないかもしれないので読んでいたら良しとしなければならないような気がします。辛口批評でもしようものなら文章は無視される程に建築を作る世界は脆弱なんじゃないかと思っています。

そんなことで身近なところには建築の批評を消費し生産する環境が無いことに気が付きました。大学などで建築批評講座を開いている所が有ったら知りたいし建築の批評学という学問を興してほしいとも思いました。

追悼文を依頼されて大島さんが嘆いたのは淋しい建築批評界の現況であって大島さんの人生ではなかったということを気が付きました。

これは住宅建築編集者の中村謙太郎さんのお陰です。ですから私のもとに多量に残されている大島語を読み解く為にはとても大切なことに気が付いたわけです。建築家の人生が貧しいのではなくて建築界が貧しい場合もあると言うことも同様です。

また追悼会では大島を多角的に語るためのパネラーの共通した認識や資料が整っていなかったので、思い思いに大島を語る程度に止まるのは仕方のないことだと思ってます。これから資料を整理しつつ、参加者のそれぞれの問題を自ら解決すつつ・・定期的に大島を語る会をお弟子さん達が催さない限り、皆で大島を語る機会は無いのではなでしょうか。

大島さんが方々に書いた文章を集めて読よむことを お弟子さん達にはして頂きたいとも思いました。年表をみると95年以降多く書いているようですから集めるのも容易だと思います。それを本にする作業等も大切なように思います。これらは大島さんのお弟子さん達の熱意にかかって成就するしか永遠にあり得ないようにも思います。やってもらうことばかりに熱心な人が多いので・・多分あり得ないでしょうね・・そのあたりも華やいでいるような大島の人生の淋しいところかもしれません。



 8月17日 曇り 涼しい日が続き蝉も鳴かずか

昨夜藤本壮介さんから校正の一部届いたので訂正してUPした、建築あそびの記録の続きを読んでいただければ嬉しいです

フォトコラ作業も一端・・原邸のフォトコラ作り等やりたいことは山ほどあるが・・一端置いて、大島さんの追悼文を書く体制を整えはじめる。大島さんの年表資料をボンヤリ読んでいると10日ほど常夏の島へ遊びに行っていた姫がご帰還遊ばせのご様子にて電話がある。方々気遣いながらの旅行・・日本人の血縁・友縁を介した相互監視システムに気遣うような話方に、疲れを感じマス。エンコラさーと常夏の国へって来て・・楽しい話だけにして欲しい。人の相互監視にを不快に・・幼児的好奇心など近頃とみに嫌に思う、の・・こちらがかなり馬鹿になったのだろうと思った。・・むしろ自己選択的縁のなかで楽しくやるほうが快適だろうに・・

青春18きっぷを使い旭川まで同行し建築を見学したりホトコラ撮影 を横目で見てたmy長女より感想が届く。

●感想 一部写し

・・・フォトコラ、みました。聖台病院と千万家だけですけど。
完成後のある時点での建物そのものだけより、
模型が出てきたり施工中の様子が出てきたりって方がおもしろいね。そういうことができるのがビデオとの違いなのでは。写っている人々の存在してるんだかしてないんだかっていう微妙な感じも好きです。

写真を撮ったのは私ではないし、写真を動かす動作も意識してやらなきゃいけないからやっぱり
自分で歩いた感覚とはかなり違う感じがしました。

聖台病院でいえば北海道のだだっ広い感じとかバスで通ったやたらまっすぐな道路とかっていう
立地条件も分からないし。

クリックがめんどくさくなって
オートにしたら写真の動きが速すぎて酔いました。エンターテイメントとしてならあのくらいのスピードでいいけど、あれでは建築の疑似体験にはならないんじゃないかしら。

とりあえずちらっと見た限りでの感想でした。では。


●m長女感想写し

病院の建築だけをフォトコラした欠点を突かれましたし、フォトコラで見る疑似体験はあくまでも私の写真を通した体験なので、同行したmy長女は違和感を持っているということを指摘しているのです。

 そうなのですそこにフォトコラの可能性が隠されていると思うのです。同行した人がそれぞれ書く旅行記が全く異なるように、同行した二人の作りだすフォコラは全く異なるのです。その違いを知ることは建築を発見するためには大切なことです。それに建築をどこから始め何処で終えるか・・建築をどこから捕らえるかです・・言葉の扱い方とかなり近づくように思います

22日の建築あそびいい具合に人が集まりそうです・・もう少し天気が良くなってほしいなー・・涼しすぎるよ



8月16日 曇り 吹く風が涼しいので仕事場の窓を閉める。
           妹と姪がやって来てダベル

この2月の間に時間をみつけてはセッセと作った多次元フォトコラージュを14と15日かけてwebにアップした。14日は自前の建築を・・設計から完成後の体験を経て出来上がったイメージなのか・・設計当時そう思っていたのか判然としないがそれら両方のイメージが合成されたフォトコラが正しいだろうか・・それを5本アップ。

15日はこの2月の間に見学出来た建築で南泰裕さん設計のPaek Houseと藤本壮介さん設計の作業療法棟と東病棟のフォトコラをアップした。2日かけて2月ほどで作ったフォトコラを全てアップした。

感想など早速掲示板に書いて頂いた。嬉しい。

菊さん

フォトコラ〜!!見てますよぅ!!box12のが一番すきですけど、千万家no1にも驚かされました。
オートモードのスピードですが、私の場合模型の部分は速いほうが  見やすいのですが、実際の建物の写真は入れ替わりが速いと落ち着かなくなりますねぇ(いや、ドキドキしてそっちのほうが楽しいんですけど。)

色彩が鮮やかなほど切り替わりの瞬間に次の瞬間に「投げ飛ばされる」感じがして好きです。透明度の設定してないと特にそうなりますね。ガツーンと次の画が出てくると気持ちいいです。

りゅうじさん

佐藤さん、フォトコラ作業お疲れ様です。 かなり感動しました。

「千万家」で模型や建設現場や実作を行き来するのはタイムマシーン的というか、走馬燈的というか、かなり不思議な体験でした。見ていて涙が出てくる感じ・・・圧倒されました。

オートモード、僕的にもかなり心地いいです。でも今回はまったのはバーチャル・タイム・モードです。これまで知らなかったんですけれども(不勉強)、これかなり・イイ!

何がいいのかと言えば・・・「間」を感じられるところです。空間と時間をつなげる何か。なるほど!

この前塚本さんとアニメを作ったとき、目標は「空間を感じることのできるアニメ」でした。目指していたのはまさにこういう感じだったと思います。佐藤さんのフォトコラをみて、まだまだ研究の余地があるなと思いました。もう一回トライしてみなければいけません。

マツマルさん

5本中千万家の2本見せていただきました。 no.1をみてno.2をみるとおもしろいですね。いままで、みてきたフォトコラは、空間の連続だったけども、そこに時間がプラスされていて。


ショートムービー見ているかんじがしました。 佐藤さんの思考とか記憶を覗いてるかんじ。新しい表現方法になりそうですね。


たなかさん

感想を言います。 これは開発者(僕)のイメージを遥かに超えていて、とても斬新でした。ぜひいろいろな方に、実際に見ていただきたいです。
安易な言葉で括りたくないのですが、
・建築が、これまでのいろいろな記憶を吸収して育っている
・記憶やアルバムが、全部佐藤さんの思考のなかでは「建築化」されている

という、現実空間と概念空間の両面において、建築的思考というものの存在を強く感じました。望むらくは、このフォトコラを見て、
まだ実物を見ていない人は、ご自分の目で建物を見に出かけていただきたいということです。フォトコラはそのための触媒でありたい、というのは、INAXの「フィールドワーク」本の最後にも書かせていただいたことで
す。


●以上感想を写しました

ドンドン感想書いて頂いて、意見などを反映しソフトを改良していただきましょう


多次元フォトコラージュのソフトは出来てまだ日が浅いので、フォトコラ作品もそう多くはないと思う。ソフト自体は写真を繋いであたかも3次元を体験するかのような視覚的経験が出来ると言うソフトで、出来た作品・・写真を繋いでなにを伝えるのかは誰にも判っていない。車は走るけど行き先や車の使い方を考えるのは使い手の問題と言うのと同じである。

私がこのソフトの話を聞いて最初に想ったのは、今回の自前の建築で作ったフォトコラジュに近い内容だった。この通りの内容でしたと断定できないのは、フォトコラを作るためのネタ写真を過去に遡って撮れないのからです。過去の手持ちのネタがないということです。

このソフトが持つ能力のように、手軽で安価で 逆回しに・・ 過去又は将来の建築行為を再現してるかのような映像を・・見せることが出来るようになるとは・・想像していませんでした。

日々頭の中に浮かび上がる建築などの事というのは今回のフォトコラのようなものでしょう。新築と言えども土地の記憶や素材の記憶かあらか開放されるはずもない・・。またそれがいいともおもいます。それらのあらかじめ語られなくても有るのですが 今までは無視される傾向にあったように思います。

当然ですが新築建築のみが現在に有用な発言を突然語り出すのではなく、歴史を内包してる人や土地やモノが作られた場を共にして語り出すのだと思います。

ですから改築も新築も同じでしょうと言っているのです。手間は新築よりは圧倒的に増改築がかかるのは当然として・・。作ることの境界を広い範囲で溶かしてしまい、新たに作る意味を問いただすようなソフトのように思えます ・・フォトコラUPして思ったこと・・その他は又の機会に書き進めたいと思っています



8月14日 晴れ雷から夕立と夏の空模様でした
    今日・・myフォトコラ公開しましたよの話へ・・!(^^)!
     myフォトコラ紹介のP へ

一昨日から仙台へ行ってmy長男・my長女に会ったり、夜中八重樫直人さんの事務所へ遊びに行って迷惑を振りまいて昨日の夜遅く仕事場に着いた。

近頃 出会った中で最も多量な作品を作っているのが八重樫さんですね。矢継ぎ早に作品を手に入れてますからね・・ホントに驚きます。東京でも大阪でも私の知ってる建築家達は青い気吐息ですが、八重樫さんは口から火を噴くように仕事をしてます。この不況に・・ずごい。それにコンペも片っ端から参加している、エジプトコンペを終えたばかりでしたよ・・やる気満々の建築家が傍にいるのは大変良いことですね

八重樫さんの建築は五戸の住宅から見てる。進行状況と合わせるように処女作から見てる建築家は八重樫さんだけだ。渡辺豊和さんの建築も大方体験したが、10年から20年ぐらい経ているものもあったので、時間の波に洗われてむき出しの建築に成っていたものが多かったから 他者の出来たてのホヤヨヤ建築は気恥ずかしいけどイイ体験をさせて頂いてます。

話変わって・・建築は彫刻とは違うので、設計者など工事関係者以外の人に何かを加えて使われることを前提に作られるのだから、人・人が何かを建築に付与して初めて建築に成るのでしょう。そうなった姿こそが社会が要請してる建築そのものなのです。(それだけで良いわけではないよ)

しかし思考としての建築の存在も有っていいわけで、言葉のみで立ち上がる建築が有ってもいい。絵の中に有るだけの建築でも良いし、写真や模型だけの建築でもいい。

建築家の思想を具現化する為に、建築が実社会に建つ場合は、当然二つの要請のなかで混乱が生じる。それもいいのだが、現在の社会は建築家の思いや思考を求めることは極端に少ないので、建築を思考化しようとする建築家の存在意義が極端に薄らいでしまうのは、残念なことだが仕方がない現実でもある。

でもリアルな社会での建築を求めてばかりいる建築家(?と言っていいのだろうか)は政治的な要請や、利益という資本主義の当然の荷を負わされて、喘ぐことに成るのだろうから、建築家はどちらに立っても割の合わない立場であることには違いない。

公共建築の存在は、近頃とみに目立ってるしまった、口利きという職業・・そう言う輩と関係なしには成立しないのだろう・・そうしないと建築の設計など到底出来ないのであろう。公共建築はプログラム作成自体が建築家の手を離れて成り立っているので、建築家は図面を書ける業者として扱われるに過ぎないのであろう。政治とお金と建築業界(設計業界)の実体を語っているのだが・・その中でのみの建築の問題を語っていても 建築自身の可能性をを矮小化してしまうだけだろう。そこで・・

マタマタ話変わりまして
建築自身が目指すべきモノを、ジックリ探っても良いのではないかと思っている

丁度イイタイミングで、田中浩也さんが製作した多次元フォトコラージュソフト公開された。

フォトコラージュはデビットホックニーの作品が有名ですよね・・

写真を繋ぐとによって疑3次元を体験するかのような視覚的(・・だけかなー)体験をすることができま。それらをトリアエズ・・フォトコラと私は呼んでいます。

写真のフォトコラージュと建築のフォトコラの違いをまずは体験して頂きたいと思います

私のHPに多次元フォトコラージュのPを設けましたので見ていただければ嬉しいです

    全部一気に見ると疲れるから・・・(^^;)・・・・ね・・ 
 ●myフォトコラ作品 5本公開したよ〜・・myフォトコラ紹介ページへ
このソフトを使うと建築が変わることは間違いないです。 どのようにかというと「建築も媒体だった」ということです。ですからごく一般的な人と人が・・・

建築を思考として人と人の間で共有することができる・・・これからですね

ヤッターようやくフォトコラ公開できたよ!(^^)! 田中さん感謝でした・・ホッ



8月12日 曇り雷が鳴り出して雨

猛烈に暑い日が続いたが、昨夜からの雨と今日の雨で、暑さも一端お休み・・安心。野鳥も雨の中・・嬉しそうに飛び交っている

 昨日は大島さんの追悼文を棚上げして、藤本建築フォトコラ2本を作りデータ転送した 。間違えて大きな写真を貼り付けていて、総データ量をみたら30MGになったので小さくしようとして頑張るが成らず・・。画像を小さくして再度繋ぎ直したが、全然小さくならない・・。一度入力してしまうと、データ量を小さくて上書きしないようである。・・総量を小さくするためには作り直さないとイケナイのかも知れない

・・作り直しと言っても上書きじゃなくて真っ新からか・・多分今のソフトだと全部同じ作業を繰り返さないと、だめなのか・・。写真のデータと繋ぎのテキストデータを消してしまうと、後の作業は最初からになるので、両方のデータを保存して置いてはあるが・・

藤本建築の写真撮影は完全に失敗した。原因は曇り空で・・雨降りそうなので慌てて、慎重に撮らなかったことだ。真っ黒い空に時々雨が降って来るんだー・。こういう時には写真はダメに決まってる・・ということを経験的に知っているので、チョイト撮影態度が甘かったのだ。

明るいフィルムを持参して、カピピカと綺麗で明るい説明的な写真にすれば良かったと反省

。暗いところは暗く強調して撮るのが好きなので、どうしても説明的な写真を外し撮る傾向にあるのが・・時間が無いときにはあだとなる・・しかし旭川は遠いのであるから・・それに病院だしシャバガシャ撮るのも気が引ける・・やっぱりそんな当たり前に判る注意力を持たない根性ではプロの写真家には成れないと思う・・

建築のフォコラ作家になる為には建築全体を理解した上に・・写真家・脚本家・編集者と全部一流にならないとナイスなフォトコラは作れない・・道は容易ではないことは判っていたけど・・反省しきり・・それか以外は分業だが・・経費が出ないじゃないか・・

質の良くない写真だが・・縁のある所で一端仕上げて・・いずれ手を加えたいと思う。

写真の質が悪いフォトコラでも全体の様子の理解深度はグーであり・・綺麗な1枚の写真なんかではとうてい太刀打ち出来ないのが唯一の救いである・・研究しますフォコラ用 写真 !!




 8月10日 
カンカンーと暑いけど・・仕事場には風がある。遠くで蝉が鳴いている

9時半に人間旅費からの電話があり・・渋々目が覚める。・・雑用を頼まれて車で福島駅まで行く。途中で紙切れを渡された、なんと・・この暑いのに暑い東京を経てもっと暑い常夏の世にお出かけと・・暑い人は暑いもんだなー、正味4日なのにバイ暑い所を彷徨くなんて・・・よもや流行の○○なんやら旅行ないなー

まさておき・・森林欲がいいやーこちら・・・暑いの好きーには付き合いきれない・・なんてボヤイきながら戻ろうとしたら・・

 罰が当たったかなー・・my車バッテリーが上がっちゃってる・・・んでエンジンがかからない・・青春18きっぷで方々旅していたんで、車を放置してたかも・・なんてことなの・・あたりを見回すと、30代前半の家族連れ仲間がワイワイ駐車場で話している。傍に寄ってエンジン起動をたのんだら 快く引き受けてくれた。一発でエンジン音が爆裂・・暑い駐車場で右往左往しなくてすみました。親切な人がいるので安心した暑い駐車場・・。

・・・車に乗ったのは何時か覚えていない・・、ほどに車に乗らなかったのでバッテリーもイカレタようである。チョイト山までドライブ2時間。数百mまで山を登ると吹く風も町中とは大違いで爽やか。夜になると涼しさ通り越して寒いかもしれない。

山を上りかけているとmy車の距離メータが20万キロを突破。距離メーターの左端に2があり その間0000が沢山ならんだ瞬間・・おぉ・・my車20万キロ地球を・・5周ほど走ったよであります。それでもmy車元気に山道を登る上るで30分ほどで涼しい高原へ到着しました。暑い東京よりこの高原の方がナイスな風があるよ・・

涼しい風にあたりながら・・出来たてのスライドを眺めて・・そうそう大島さんの追悼原稿書かないと忘れちゃいそう・・と思い出す。

山間の牧場には大勢の家族連れが来て遊んでいる。こんなに暑い日は山や河で遊ぶのが一番体にいいようです。方々から子供達の叫び声が聞こえてくる。山の空気をチョイト吸いますして下山

途中今年の桃を見学しに選果場へいって桃を買う・・今年は何故か・・味がいまいち、甘みが足りない桃多しである。値段は例年並だが味が・・で買わないことした。道の無人販売所の桃を何度か買って食べたが今年は当たらない、こんなにカンカン照りなのに、桃の生長過程特に甘み注入カンカン照りのタイミングが悪かったようで、大根とは言わないが、うまい桃5割といったところ。

ひいきにしてる農園は7月の台風で桃畑が水没した・・と連絡があり・・今年は桃はあきらめて・・今月末の出る品種に期待しようと・・桃より西瓜がよろしいようです今年は。農産物は毎年味が違うの・・お天道様に聞いてくれ・・



8月9日 カンカンカンカン と暑い1日であった

昨夜は送信ミスのFAXが何度も何度も鳴る・・結局FAX来ずであった・・だれやろかいなー・・何度も失敗するので・・作業中断してしまって・・久しぶりにmyPCのデフラグを開始したら朝までかかった・・途中3時あたりでチンタラ・・フラグに付き合いきれず寝ちゃったようで・・目が覚めたらメチャクチャ仕事場が暑いー!!ので目が覚める・・

今日は日中は仕事お休みに決めこみ・・石の床にゴロゴロしながら高校野球を観戦、浦和学院と報徳学院おもしろかったねー・・ゴロゴロ・・今年は大島さんがいないので甲子園にも行けず残念だ。甲子園でかち割りなめながら観るのがいいなー・・・家族みんなが高校野球好きなもので甲子園には何度か行ったもんだ。

これから残暑は1週間ほどはキッーイだろうから 日中の作業は止めて、ゴロゴロして・・夜涼しくなってから作業することにしようーと・・

昼前に木匠事務局の内田さんから電話があり・・角館の完成式に出るようにと誘われる・・一人で行くのはどうかなーと思っていたが、京都から内田さんが出掛けてくるとのこと・・そうだなー・・22〜4日まで福島で建築あそびを済ませて後、大曲の花火などを見つつ、角館に行き着けば良さそうなので話に乗りました。そのころは涼しいといいなーと思う。

内田さんが来れば建築あそびは満員御礼です。暑いから料理作るのたいへなので今回は全員で10人です。パラパラ離れながらノンビリ話をして温泉に浸かり桃を食べて西瓜を食って南さんの建築の話しをお聞きして、朱さんに韓国料理を作っていただきまして・交流するのです。

どんな交流が生まれるのでしょうか楽しみです。1度っきの縁の世界・・茶でいうところのホンマの一期一会ってな感じ・・・・真夏の一期一会・・

去年の8月10日にmyHPに掲示板がつきまして今日で丁度1年が経つたことになりました。沢山書いていただき、多くの人間関係が生まれたように思います。

掲示板を管理して頂いてる田中浩也さんには心より感謝です。また掲示板に書き込んで頂いたり、毎日のぞきに来ていただいてる大勢の方々に感謝いたします。myHPは開設して1年ちょうですが、私にとってはいろんな方々と交流ができ・・、IT革命(今ではだれも使わないようだなー)のなんたるかを日々実感して過ごした1年でした。これからもmyHPを通じてモットダイナミックな交流と活発な話しあいが生まれ、それぞれの方々の生にナイスな思い出や切っ掛けが生まれることを望んでいます。望みすぎかなー・・

この1年も建築設計の仕事は無くて、お金だって無くなってしまいました。やけで言うのではないですが・・金で買い得ないモノを沢山身につけた・・し貴重な人人に出会うことができました。

根底にはmy仕事があり・・この熱いかなー・・関係は成り立っているのかもしれませんが、それ以上にmyHPに関わっていただいてる大勢の方々の見えない力・・夢通信力・・によって成されたことだと確信しております。

これからの1年も夢通信力の使いたをいろ検討して行きたいと思います・・互いに予想も出来ないような1年にしちゃいましょう・・

現実的には乞食に限りなく近づきそうな気配ですが・・(笑い)



8月8日 晴れ 昨日よりは暑さが和らいでいるように思う・・蝉・烏が鳴いている..。甲子園では高校野球が始まって・・ほんとに・・夏本番・・

一昨夜は夜風に当たって体が冷えて、体調崩しそう・・寸前になった。調子を戻す為に昨日を1日使う。回復・・外界の刺激に弱い体だなー・・言い方かえれば敏感なのかも知れないが、鈍感でありたいとも思う。疲れるからだ。

 胃腸の中を通過する食物も私の体にとっては外部であるから当然のこととして胃腸も弱い。内外の刺激にとても弱いようで、夏も冬もダメでボンヤリ過ごせる季節が体に合うようだ。しかし季節も巡り食い物も食べないと死んでしまうので、注意しがなら生活するが時々イケナイことになる。

先日建築家の渡辺豊和さんに会って、僕のことを他者に紹介するとき、一緒にいったメキシコ遺跡巡りでの私のカルチャーショック振りを説明していた。そう言えば酷いショックを受けて寝ることも、喰うこともまま成らず、メキシコの地を夢遊病者のように彷徨い歩き、家に戻っても1月立ち上がることが出来ず・・伏していたことがあった

強度なカルチャーショックというものだけど、医者は信じなかった。二度目はカンボジア旅行で帰国してから2月原因不明で入院とあいなり、またもや強度なカルチャーショックに見舞われ、f大学の医者にいじり回され、2ヶ月後原因不明のまま開放、余所なら1週間で済んだね・・と退院時に言われた。

病院はノンビリ休養して人が死んでいくのを眺めていたし、看護婦さん達が親切(看護婦は親切があたりまえなのかも・・) にしてくれてそれが身に染み渡り・・でついつい、長居は定期的に来るし、看護婦さんは定期的に大切なことな所をさわりに来るし・・部屋の環境は常夏で下着一枚で生活出来る・・酒・エロ抜きだけど現代の竜宮城だと思った。
浦島太郎にされてしまいそうなので、2月で逃げ出した。・・玉手箱から白い煙が出てきておじいさんには成らなかったけど、入院費の請求書が出てきた。

旭川で撮った藤本建築のスライドが出来て来たので、今日から藤本建築2つをフォトコラ作業を開始ししたい。


昨夜は体調整えるため久しぶりに映画を観る。松本大洋の漫画を映画化したピンポン 。画像処理、筋書きとも映画ならではの面白さ。とても笑わせていただきまして、現在のスポーツヒロー娯楽映画に満足。画像の色彩の作り込みが私好みだったので筋書きをみてるよりもそちらも面白くて拝見してました。CGと実写と加工仕上げした画像の使い方がうまい。ピンポンのラリーは実写のように見えるし馬鹿なと思わせるし・・これがCGのうまい使い方だと思う・・漫画と映画の中間のようなが画像表現だね・・

 脇を固める夏木マリ・・ナイスです。以前見た「少女」でもあばずれ母親役ナイスだったが、こちらもまたまたオババ役を好演。それに引き代え竹中直人のコーチは良くないー・・漫画的なんだけど完全に漫画に成りきれない演技・・竹中個人の限界かもしれない。脚本を書いた宮藤官九郎氏は今や飛ぶ鳥落とす勢いの作家とかでテンポがいいし笑わせかたがうまいね・・ゲラゲラ・・笑ってしまう。アメリ・・ジャンぴえるジュネ監督と肩を並べそうです・・これから面白くなりそう・・

若者の感覚・・なかなかいいーと思うこの頃・・オジサンおばさんはトット休んで頂ましょう・・近々公開予定の松本大洋原作「青い春」も楽しめそう・・
と思っていると・・・

・・こんなメールが飛び込む・・・

●・・・いよいよ本日より、クランクインとなりました。沖山秀子さんの衣装合わせ、台本の読み合わせも終え、あとはフィルムに沖山さんの姿が映し込まれる時を待つばかりです。佐藤様のご協力あっての映画になることと思います。本当に感謝しております。

●たいしたことはやっていないー・・けども・・忘れないでメールをくれる人もまだ日本には居るんだと思うと・・嬉しくなるものです・・良い映画を期待しましょう・myHPも誰かの映画作りに役に立ている・・HPおもしろし・・



8月7日 今日もカンカン照りだ・・

昨夜はあんまり暑いので窓を開けて外気に当たって寝てしまった。朝8時頃酷い腹痛が襲ってきて・・トイレでグッタリ。死ぬかと思った・・腹痛くて。31才だったか便所で倒れて即入院したことがある・・その時と同じような症状だーとおもた・・痛くて血の気が引いていくー・・フラフラして動けなくなりそー・・トイレでしばらくダウン。

いけねー・・風に熱を奪われて冷え切った腹んなかに、どばっと冷たい水など飲んでしまったもので、腹野中の大腸がビックリ仰天し・・いきなり・・my大腸縮んだようなんだー。体全体が冷えることには注意してたが、うっかり暑さに ぼけて寝てしまったのが運の尽き。腹痛かったなー・・

2時間ほど暑いの我慢して体温全体上昇作戦。布団にくるまって体全体に汗をかいて体調を整える。汗ビッショリの後 少々スッキリ

暑いからといって、調子に乗って体を冷やすのは禁物・禁物。それにしても暑くてグッタリなのか、腹が痛くてなって体力無くしてグッタリなのか解らないグッタリ・

月命日の一日を使い・・と言っても・・あんまり暑いから・・さぼりながら・・昨夜その大島さんのFAX文字化した結果をUP。大島さんの息づかいが生々しく伝わってくるね・・。当時はこちらは相当深刻な状況であったので、些細なことにも腹がたっていてような記憶があるが、、文字化してみると 当たり前のことを互いに書きあっていたのだなと確認。大島さんからの便り2へ 訪ねてみてください。続きは来月の6日にまた・・

便り1を見て頂き メールをいただきました・・
●●
大島さんのファックスの件、今後もどうか続けてください。おもしろいので思わず読んでしまいました。結構こゆいけれど、できれば、登場人物は実名のままでお願いしたい

●● いやー・・迷うところですねー

難しいですね・・褒めている内容は実名にします。非難してるようFAXの内容は・・躊躇しますね。愛情の裏返りなのですが・・了見の狭い輩もいるから、ソイツが大島さんの便りを見て怒る又は気分を害したりするとややこしくなる

それに書いてある大島さんの批判が適切で正しいことなのかどうか判断しる材料がない・・。

手紙やFAXって論文と違う。交信相手とは互いにいい加減なことを書いてるというのは事前に了解していることですからね・

・homeは実名で非難めいた文書は匿名にして、適当なアルファベットで書き表し実名を明かすのは止めます。大島さんは「俺の悪口言ってるんだな」と被害妄想的な思いで読んでいただき発憤していただきたいものです。

暑い暑いと言っても 桃はいい味になるし西瓜は甘くなるからまー・・悪いことばかりではないです。建築あそびあと数人で締め切ります・・。



8月6日 朝から風が無く暑い 蝉も鳴かぬ

今日は広島に原爆が投下された日のようだ。6日は今年からは大島哲蔵さんの月命日にもなった。毎月6日は日がな一日 大島さんからのFAXを文字化して過ごすことにしよう。枚数が大量に有るので毎月文字化しても数年かかりそうだ。人間に番号を付け氏名生年月日などを限られた(?!)WEBにUPするよりは作業量は少ないだろう。

原爆投下は体験したことはないけど 投下後の惨状の話は見学して少し知っている。広島の原爆記念館へは十数年前に家族旅行で行った。小学生だった子供達は原爆記念館の内部でおびえていた。会場構成が薄暗い。で浮かび上がる、焦げ付いた飯が入っている弁当箱や人が影として焼き付いてしまった石だのボロぞうきんのような姿に成った人のレプリカもあったように思う。

現代の地獄絵をまとめて見ると小学生の子供達はおびえた。

それから81年に出会った東松照明さんの写真集「いま!!」も思い出すものだ。投下時間で停止した懐中時計・グニャリと焼けただれた人体が苦悩し もがいてるようなビール瓶・浦上天主堂の倒れた天使像と夏草など、沖縄・横須賀・横田などの米軍基地の町の写真などもあったように思う。是非図書館で見て体験するのもいい夏休みでしょう

最近のアメリカの兵器の性能がよくなたようでピンポイント攻撃らしい。で原爆とは異なる殺傷を繰り返してるようだ。すっかり報道されなくなったアフガンの地では相変わらず爆撃を繰り返しているのだろうか・・。原爆のような大量無差別殺戮はしてなーい・・と言いつつ、攻撃してるようだ。巻き添え喰って死んでしまう兵士でも何でもない普通の人間の数は、公式に発表されてないが、9:11での犠牲者の数千人より多いのではないだろうか。

人にとって生と死はセットだが。訳も分からぬ 他者に爆撃しかけられての死は願い下げたいものである。隕石が突っ込んで来て死ぬほうがまだましだ。どうせ死ぬならオネイチャンの傍で死ぬのがいいが、傍で死なれちゃオネイチャンも迷惑するだろうね・・。

大島さんのように、愛用のポルシェデザインの赤い椅子に座ったまま死ぬのはいいことだなー。赤いポルシェの椅子はmy妻も私も座らせて頂いたので座り心地は知っている。空飛ぶ絨毯てな感じだったね。空を飛んでる内に冥土まで行き着くなんてのはいい。オネイチャンに乗っているとこんな暑い日はびしょ濡れだー・・。


大島さんの追悼会でナイスな司会をしてた中谷礼仁さんからメールがありました。中谷礼仁さんのゼミのHPのURLを教えていただきました。訪ねてみてくださいませ。

昨日は月刊誌「住宅建築」で編集をしてる中村謙太郎さんから電話があり、「大島さんの追悼文を書いてほしい」との依頼があったので引き受けました。当分大島さんとは縁が切れそうもない・・大島さんが目にかけていた、目に思い切り入れていた・・若者達の成長も見届けて大島さんに報告していたようにも想うのです。「なんやー大島さんの目は節穴じゃないか」・・と言わせないでおくれ・・



8月4日  夏だ暑い。3時頃だったか・・雷と共に夕立が来た・・5時ごろ再び夕立。庭の植物が暑さのため枯れかかっているので、夕立は多めに降って欲しいんのだが・・直ぐ止んでしまう

旭川の藤本建築で会った三上さんからメールが届く。今月末の南さんとの建築あそびに朱さんと2人で来てくれるとのこと・・。松田さんからもめーるが届いていた。

●三上さんからのメール写し・・

23日の建築あそびの件ですが、是非お伺いさせていただきたいと思っています。ただ、私は24日(土)に東京でどうしてもぬけれない用があるので、23日の最終で戻らなくてはなりません。お話にでたように22日からおじゃましてもよろしいですか?韓国の料理をつくります。詳しいことは、朱さんが金沢から帰ってきてから相談し再度ご連絡させていただきます。


韓国料理を作っていだたける !(^^)! とのこと、「食い物の交流もしてる」って言っておいたんだ。大島さん達が来て、大阪風と広島風のお好み焼き以来の食い物の交流もできそうで、とても嬉しい。朱さんが「私の将来どうなるのでしょうか・・」との重たい質問にもイイ答えを建築あそびを通じて見つけ出したいものだ。

朱さんは博士課程で建築を研究中・・・悩みはmy長男が博士課程で日本史を研究して悩んでいることより・・とても・・幾重にも深い悩みだ。

とにかく朱・三上の両人にはいい研究成果を発表していただき、建築の設計者と利用者の環境の相違や体験の相違を明確にして、立場の違いによる諸問題を明らかにしてほしい。 建築あそびでも・藤本建築のその当たり話しあえたら・・いい。

交流するには早くて料金の高い新幹線や渋滞する高速道路の料金をもっとモット安くしてほしい。
超安・・食材費のみで泊めてもくれる建築好きの人が沢山存在するといいとも思う・・。このあたりに関するネットワーク作りはいずれ書いてみたいと思う。


昨夜から・・大阪追悼会から旭川へ出かけていてやりかけの・・南建築フォトコラ作業・・ようやく完了

7月20日は上京して南さんの建築を見学。南建築体験記を書いたが、その時の目論見としてはナイスなフォトコラ作品も作りたいと思っていた。南建築の写真も少々撮ってスキャンなどして資料は調えて置いた。各写真のつなぎ合わせは一部しか出来てなかったので、昨夜から繋ぎを再開した。繋ぎ作業を始めると写真がとても足りないことが判る

建築写真を撮る場合はおおよそのポイントを押さえて、シャッターを切るわけだ。一枚の写真として見てくれのイイポイントを押さえて撮るとでもいうのかな・・そんなわけで一枚で設計の意図の多くが伝わるように撮る。そこで各写真がそれぞれ自立してるとでもいいうか・・完成度が高いとというか・・イイ写真を目指すことになる。

そんな写真の撮り方に慣れているので、フォトコラ用に撮ろうとしても、旧来の癖が出ていて、飛ばして撮っている。その場ではキチンと繋ぎ方を考えて撮って居るつもりなんだが、加工して・・・いざ繋ぎをはじめると写真が相当足りないことに気づく。・・後の祭りであるから手持ちのネタでグンニャリ変形させながら繋ぐ繋ぐ・・ことになる。

フォトコラの写真はそれぞれ写真そのものなんだけど、歪みながら次の写真へ次の写真へと繋がって行実際体験しているような錯覚に陥る。その錯覚は自分が体験した南建築とかなり近いように思う。当たり前かもしれない。確認しながら写真撮り歩くんだからなー・・。まだまだフォトコラの作品を制作を積み重ねないと、フォトコラを用いて実際の建築の記憶と体験の差異を詰めることが出来ないように思う。モットモット作る・・像・・ぞー・・フォコラ作ってしまってから、従来的建築写真を眺めると歌舞伎役者の見栄の切り方を連想してしまい・・吹き出すことがある。



8月3日 蝉も鳴いてる曇り空。風があり仕事場は快適。

7月30日福島を出て旭川にある建築家藤本壮介さんの処女作と2作目の建築を体験しに出かけていて戻りようやく日記を書いてる。その建築の体験記を書く前に6月に開いた藤本壮介さんとの建築あそびの記録の一部をアップ。青春18切符を使い旭川を往復したので、メモ書きを残しておいて、藤本建築体験記などを暇をみて書いていく


7月 30日のこと

福島(9:00)−<快速仙台シティラビット>→(10:03)
          電車は空いてるのでゴロンと寝て行く
仙台(10:40)→(12:19)
         予想通り客が少ないので冷房が利きすぎて寒いので
         上着を着て膝掛けを
一関(12:55)→(17:13)
         立ち食いラーメン400円
八戸(18:00)→(19:34)
       帰宅の高校生やお父さん達が疲れ顔で乗って来る
       色白で丸い顔に太い眉の人多し。
       高校生は何処でも盛んに携帯電話をいじってる病的に見える
青森(20:24)-<快速海峡13号>→(23:02)
       列車にドラエモン絵が書きこまれ車内にはドラエモンが鎮座してる
       驚く・・ゴロゴロ寝出来る車両があり、寝てしまう
       津軽海峡の海底100mを通過

31日のこと

函館(23:30)−<快速ミッドナイト>→(6:31)札幌
        なぜか混雑してる・・
        指定席料300円を支払い、空いてる席でグーグー寝る
        青春18きっぷ 寝てばかりで札幌まで来てしまう
        my長女は北大病院見学で一足先に来てるので電話を
        入れて待ち合わせの間ウロチョロする

       が雨と駅前は仕事用建築ばかりが目立ち退屈したので
       朝飯喰って暇つぶし

札幌9:06→12:49
       とうとう旭川へ着いちゃったよ。
       忠別川を背に駅がある・・北
       海道の駅は大らかですが町は何処にでもあるような駅前。
       中華屋へ・・当たり。
       旭川 →水源地 バス降り損ねて終点まで行ってしまう
        戻りのバスに再び乗り水源地で降り テクテク歩く15分

聖台病院着く 15時 家から30時間かかる
        
挨拶して・・くまなく案内して頂く
        藤本建築2つをバシバシ撮る撮る・・
        曇り空で夕方で暗いけど撮る

        夕方藤本さんの妹さんお母さんに会い話をする。
         病院の建築を研究してる東大の朱さんと三上さんが調査中
       ・・で夜飲みに誘う。妹さんも誘うが用事があるとか・・

(19時)
     旭川の酒屋で安くて美味い居酒屋を教えてもらう。
     刺身美味いねー
(22時まで)
      ダベル。二人を建築あそびに誘う。
      朱さん料理得意とかで韓国料理食えるかもしれない・・

8月1日のこと

旭川(8:41)→(9:14)
     美瑛に建っている山中新太郎さんのシリンダーハウスを捜して
      ウロウロする
      韓国 台湾 中国の旅行者が目立つ 多い。
美瑛 (12:16)→(12:40)
富良野(13:06)→(14:12)
滝川 (14:12)→(15:26)
岩見沢(15:40)→(16:18)

   待ち時間を使い大通り公園・北大散策・時計台・
   道庁舎・すすきので札幌ラーメンを食べる
     ネットカフェを捜して書き込み等をする。

札幌(23:35)−<快速ミッドナイト>→(6:30)
   空いてるのでごろ寝できる
   函館駅前の朝市を見学をする
函館(8:04)-<快速海峡2号>→(10:43)
    またもやドラエモン列車でごろ寝用列車に乗り
      ゴロゴロ津軽海峡の水面が朝日を反射して綺麗。
     車窓からも海の底の海草が見える綺麗な海。
     青森はねぶた祭り一色で山車を走りながら見学する 

青森(11:22)→(14:01)
     八戸駅は12月1日の新幹線開通の為に駅前大改造中。
      古い駅前には食堂もなくて駅ビルの物産館は
      綺麗だけど値段が高すぎるので呆れる。
八戸(15:50)→(17:36)
        空いているのでごろ寝
盛岡(18:04)→(19:37)
  浴衣姿のお姉ちゃん多しここらも夏祭り
   通勤帰りのお父さんも多しやっぱり携帯電話を盛んにいじってる
   一関では花火大会があって夜空を花火が彩っている
一関(19:54)→(21:30)
    途中大雨になり
   下りの電車は止まるとのこと上りも止まったら帰れない・・
  
仙台(21:56)→(23:18)福島
    酔っぱらいや通勤帰りの人人で満員
    白石あたりからがら空きでした

●青春18きっぷ を使い旭川へ行くと片道4600+300円(指定席)でラクチン旅行。

建築を見学して歩く若者には一泊1500円ぐらで泊めてくれる・・地元の建築好きが存在してもいいのに・・何故存在してないのかと疑問に思う。

郡山であった建築学会の時には1泊していった学生さんがいた。そんなことを思って建築好きの環を広げる方法を宿題にいて・・ごろ寝の青春18きっぷの旅を終えた