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   2002年7月の日記


7月30日 雀が気持ち良さそうに囀っている。いい天気の朝です。

これから青春18きっぷを使った旅 の本番であります。9時福島発の各駅で発ち明日の朝6時には札幌へ着く予定です。予報によると北海道は天気が良くないようです。6月に開いた建築あそびの講師は建築家の若手ダントツの藤本壮介さんでしたが、2実作がある旭川へ行くわけです。百聞は一見に・・といいますので、話に聞いた建築を体験するのが好きなので出かけます。

ネットカフェを捜しだして途中書き込みが出来ると嬉いですが



 7月29日 晴れ後 薄曇り 

昨夜の8時40分ごろ難波のバスターミナルを高速バスは発った。今朝8時ごろ福島駅に着いた。帰り間際に酒を飲んだのでぐっすりと寝た。福島駅でバスから下りると爽やかな風が吹いていた。福島駅周辺の朝は大阪城あたりの朝の日射しより弱く 気温は低くてしのぎやすい・・。仕事場へ戻り荷物や写真データなどを整理し午後は明日 朝 旭川へ発つので、静かにしている。

南泰裕さんからメール届いていた。8月23日の建築あそびの告知を掲示板に書く。

●● 建築あそびの お知らせ内容
8月23日 PM6:30開始
会費 3500円  22日又は23日一泊する人は 4500円
         (会場の我が家で雑魚寝+24日の朝食付き) 
講師 南泰裕さん
内容 南さんと 福島名産の桃を食いながら建築を語りあう
   飯+酒+桃 つきでの会費で
募集人数 10 人 に成り次第締め切ります
(my建築を見学したい人は23日午前中に着くこと) 参加希望者はメール又は掲示板に書く・・ 現金書留で会費を送りながら申し込んで頂いてもOK
 希望者が多い場合は抽選にします。抽選にはずれた方には前納の会費お返します

●● 以上建築あそびのお知らせでした

27日のことを少し・・

27日11時ごろ会場の一心寺へ着くと大勢の人たちが会場作りをしていました。大島哲蔵さんの追悼会は大島さんの生前の姿を映しているのようです・・中谷礼仁さん新田正樹さんの陣頭指揮のもとで・・

 大勢の学生(教え子なのでしょうか)たちが働く・・学生さんが傍にいるとイイですねー・・彼らの協力と活躍で会場構成や資料作りの準備が出来つつありました。中谷さんとは初対面でしたが適切で無駄のない指揮に頭がさがりました。

 特に書店にあった5000冊の洋書の表紙をコピーした紙の塊が祭壇に飾られていいて・・ものすごい量なんだね・・紙の塊を大島さんは歓んだでしょう。大島哲蔵 年表も作られていました。大島さんからの便りの整理や便りの中の言葉の背景を知ることが出来そうです。

追悼会は大島さんのお姉さんと大島さんの息子さん娘さん に参加いただき厳かに行われました。最後に渡辺豊和さんが偲びの辞を読み上げました。20代の大島さんの生活振りを聞くことができました。9歳も年上の人間に偲びの辞を読ませてはいけませんです・・・。

せっかく大島さん関係の人・人が集まるので「それぞれの大島さん」を語ろうじゃないかという企画が設定されていました。第二部は題して「大島哲蔵アーカイブスの構築 」ということで 大島さんが想い残した展望を語りあう会でした。

磯野英生(成安造形大教授)さんは大島さんと同世代で友人でしょう・・共に雑誌の発刊や洋書の読書会を通じて大島さんが建築の批評眼を育てたかを語っていいて、私の知らなかった大島さんを語っていました。

古山正雄
(京都工芸繊維大学教授)やはり古い友人でしょうか大島さんの批評の内容について批判的に語っていました。

本田常友
(和歌山大学教授)は70年代中頃の豊和塾(渡辺豊和さん塾長)での第一回生で安藤忠雄・高松伸・平山義昭 ・磯野英生・根岸・安原盛彦・吉田保男たちとのことなどを語っていました。

安原盛彦
(秋田県立大学教授)さんは大島さんが書き残した洋書評をまとめて発行して方々に向かい弾ける大島さんの批評をまとめるよう提案してました。

司会進行の中谷礼仁さんは大島さんが亡くなりった後、渡辺豊和さん一人に関西の建築界を 任せている現状はイケナイし全く魅力が無くなるとアジってました。なるほど・・そうかも・・でも渡辺さんは端から関西の建築家であるという意識はないが・・関西の建築家を何とかしようと思ってる人は居ないのかもしれませんですね・・何とかしてもらわなくてもいいと思っているのかもしれないです・・。

もう一方の司会の新田正樹さんは私の友達ですが、とても司会進行の調子が悪くて大丈夫かと心配になりました。週一飯喰って語りあっていたので、彼が一番ダメージを受けているかもしれません

二次会は一心寺近くのチャンコ料理 で 30〜40人ほどが集まり10時半までワイワイやっていました。

その後は私が車を運転して名阪を飛ばして渡辺さんの家に総勢5人で泊まりました。車の持ち主は早朝バス乗り場まで迎えに来てた真由美(大島さんの最後の弟子)ちゃんの父さんのものです。彼女は午前中大阪案内です。大島さんの仕事場から渡辺さんの仕事場へ行って、その後道頓堀〜千日前あたりをウロウロして朝食を食べました。
 彼女は追悼会のスタッフでもあり、大島さんの書店の残された本の整理もしている人です。大学を卒業して建築の設計を始めたました。

28日は朝から元気の渡辺さんと話・・・同じく元気な奥さんの手料理の朝ご飯をいただきワイワイ。なにやら十数年前に2週間滞在した私が最長居候だったとか・・そうだったのねーでワイワイ・・

その場の話の流で室生寺から当麻寺へ行くことになりました。天理と南大門は又の機会に行くこととなってしまいました。
 室生寺の配置計画はとてもいい良かったです。関西では最も人気が高いそうで、2位が舞鶴湾・・天橋立・神戸の夜景で5位が東大寺だそうです。

3時過ぎに大阪に戻り通天閣の展望台から大阪の街を見下ろしまして、ジャンジャン横町で串カツ・たこ焼きにビールを飲みました。 このあたりがホンマの大阪って感じでしょうねーなんでも有る。人間の欲望の縮図がそのまま町の姿になってます。

 その後 高速バスの待ち時間を利用して難波の町をウロウロして、漫画喫茶を発見してmy掲示板に書きました。
 バスの待ち時間・・・暑くて歩きたくない・・との同伴者の方々を置いて難波をウロウロ・・

バスターミナルに舞い戻ってきた真由美しゃんとお好み焼きとビールでノミノミしてダベリ見送って頂きました 。真由美ちゃんお世話になりました。キット大島さんも「大阪の街を案内しまっせー ・・」て言っていましたから 全行程一緒に回った居たと想いますよ・・

では・・真由美ちゃん ナイスな建築家を 目指しましょう・・感謝でした



7月26日 いやー福島盆地特有の 夏の1日 ひえー暑い 雀も息だえだえに鳴いている。でもクーラーは使わず、パンツ一丁で風に吹かれてるのがいい。汗をかくことは人間動物としては大切な働きでクーラー漬けで体温調整を機械に任せてると9月夏ばてがやって来ること間違いなし。盆地の夏風に吹かれながら熱い肌をオネイチャンと擦りあわせ、ぴちゃぴちゃ汗音をて夏を感じるのがいいんだよ。

myHPを見て頂きGAという雑誌社からコラムの原稿依頼を受けていたが、昨日転送し終えた。大阪行きの打ち合わせもあって南さん建築のフォトコラ作業が全部できなかった。全部繋ぎ合わせを終えて今夜 深夜高速バスにて27日の大島さんの追悼会へ出席する予定だったが フォトコラ完成出来なかった チョイト暑さに負けてノンビリ昼寝をし過ぎたかもしれない。戻ったら仕上げよう。

南さんPark House建築体験記の感想を掲示板などに書いていただき、嬉しいメールでもいただき嬉しいす

 PHは即・・感想などをUP出来てそのことについて意見や感想交換をメールやWEBで出来るのがいいね。印刷物を介してのやり取りだと、体験する時間が空きすぎて発信した方と受け手のほうに隙間が最初からあることが前提になる。HPの活用の仕方によってはとても面白いことが出来そうだ。しかしその即時的にUPしたPが何時までも残るし、中身が古くなるのも早そうな気がする。そこでどうしたら腐らせないPに仕上がることができるのか・・。

これは難問かもしれない。一つは流行をやらないということ・・と、何時までも更新続けたりそのテーマを追っかけてUPし続ける・・そんな態度が大切かもしれないなー。

体験記書いていて、自分で面白いと思うし調子にに乗っちゃうのだから古くなろうがなんだろがいいや。 これからは新旧にかかわらず建築を体験してきたら即体験記を書いて笑ったいただくことにしよう。まずは・・3月に体験した原広司さんの自邸・・書いてないなー・・メチャ書いてみたい気分がして来たぞー。

明日は大島哲蔵さんの追悼会が大阪の一心時で昼すぎから有志の方々主催で行われる。大島さんに連れられていたた浄土寺浄土堂は長い間記憶から消えて行かない珍しい建築だった。その浄土寺浄土堂の体験記もキチンとしたPにしておきたいし、追悼会の夜は渡辺豊和さんの家(餓鬼舎)にみんなで泊めていただくので、帰りは東大寺の南大門を体験し 重源っていう勧進聖のつくった建築2つを体験記に書いてみたいと思う。

追悼会には行くつもりはなかったが、渡辺豊和さんが「おれんち泊まれや」なんて言い出して、それに乗っちゃう人もいる・・私の旅費と食費を出してくれる人が現れて追悼会にに行くことになった!(^^)!。大島さんは福島に4度ほど来ていて旅費と食費とを負担してくれて人・人・人に会っている。一緒に飲んだり、その建築に泊まったりしていて、「みなさん大阪に来はったら案内しまっせー」なんて言葉を残してくれたので、今回の事態になるんだと思います。私達は大島さんの弟子の方に大阪を案内していただくとこになってます。有り難きかな・・友達の輪・・(^ii^)・・建築の環・・

それでは大島哲蔵さん追悼会・会場でお会いいたしましょう



 7月24日 曇り 梅雨があけたようで数日真夏の天気が続くとか・・にもかかわらず仕事場は風が通りぬけて昨夜から快適である

20日に南泰裕さんのPark House を見学して来たが、写真が出来たので 南泰裕建築体験記としてまとめたモノをページにし早朝にアップした。
 未整理な分あれこれ触発されるのか、巧妙な仕掛けがあるのかまだハッキリしてないが、南さんに関しては実作から体験し始めたので これから文章なども読んで、総体として理解できるようにして務めて行くことにしよう。

南建築体験記を作っていて、デジカメの絵と従来のフィルムからの絵では質が違う・・当たり前なんだけど・・使い分けが上手にできなくて迷ってしまった。デシカメデータはPC用に手軽に処理出来て便利なんだが・・・フィルム・ネガから直接スキャンしてデータ化した絵の方が、その場での感覚に近いので、そちらの方へ傾こうかなーと思い始めている。デジカメは細部専用や簡単なWEB用の絵を作るためにはいいんだが、建築を撮るのには まだ私の感覚にはフィツトしていない。

一眼レフカメラに長い間慣れ親しんだ後遺症かもしれない。デジカメに広角レンズがあっても画質を良くするとデータ量が大きく成りすぎで、プリントアウトしない現在いでは、PC内部の場所ふさぎにしかならない。

ポジフイルムに比べネガフィルムは安い。現像費を加えて比較しても安いから、ネガフィルムで撮って、必要なカットだけスキャンしてもいいようだ。整理もマウント処理しないで、ネガケースに入れれば簡単に出来る上に・・ネガ番号が簡単に読みとれるので写真を撮って歩いたその場の記憶を再現することが出来る。

 ポジネガからWEB用にデータ化するには少し手間はかかるけど・・。デジカメのデータは一括してばっさりとWEB用に小さく加工処理できる。でも一つ一つのカットに、従来のフィルムで撮った絵のような愛着が湧かない。

デジカメ使い出して簡単に撮るトルトル・・・そうしてたら写真の質が悪くなってきたように思うしなーそれは腕が悪い証だけど・・当分の間二重手間になるが・・両方のカメラを使いながら自分にあった使い分けを自分で見つけていくしかなさそうだ。

先日myHPを見ていただいた建築の雑誌社から原稿依頼があった。今日から書き始めないと、週末の大阪での大島さんの追悼会に行けなくなる。重源の南大門体験記も書きたいからなー・・原稿は今日明日でまとめるようにしよう。



7月22日 曇ってるけど 蒸し暑い。 クラー嫌いなので 暑い仕事場では裸に近い格好でPCの前に居る・・おぉなんと破廉恥な格好だ。

伸び放題の生け垣の木槿・紫陽花・無花果などの枝を切る。よりによって一番暑い中で作業。ドット汗が噴き出る。 

青春18きっぷ後半は旭川の藤本建築体験。30日からmy長女と共に行くことになって1泊だけ超安宿に泊まることにした。フォトコラ用写真を半日で撮る自信がないのでそうした。半日で撮れると、とんぼ返りでき 翌日の真夜中に福島に戻れるんだけど、少し余裕を持つことにした。27日は大阪へ行って大島さんの追悼会 いくぞー・・・台風が気になるなー


●20日のこと
青春18きっぷを使うと「2300円/日 で各駅停車乗り放題なんだと」my長女から教えてもらったのはつい先日だ。早速18きっぷを使い試しの旅を実行。旅のネタは南泰裕建築見学ということで、その他は何もしないぞーと思って出かける。横浜港の客船ターミナルを見に行ったのは南建築屋上とターミナルの屋上を見比べてみたかったからなんだ。南建築屋上は先月工事中に一度体験してて 南建築の屋上は夕方〜夜にかけてのが楽しそう・・・と予想を立てていたので、日中は横浜へ行くことにした・と 福島から各駅停車の電車をモンビリと飛ばす。

福島駅を午前7時チョイに出る電車に乗り込み 横浜へむかう。この時刻に出ると黒磯・宇都宮で綺麗に乗り継ぎができて上野まで行くことが出来る。上野駅には12時チョイ前につき、横浜客船へは12時半に着いた。福島から宇都宮までは目ぱっちりだったけど、宇都宮から上野までは完熟睡眠で気が付いたら上野だった。片道4時間半ほど。

福島から上野までは秋田訛りかな・・二人連れが傍にいた。しすこし離れた所にも、数人にそんな感じの人達がいて夏休み開始だなーって気分が盛り上がる電車内。
 車窓からは緑があふれ出して迫ってくる。緑の山々と田の緑が朝日に照らしだされて刻々と形やその緑色が土壌の状態を反映するかのように変化し続けて行っく。眺めていると飽きない。「父ちゃんしっかり追肥をしないと色悪いよ稲。もうじき稲穂の花が咲くだろうから元気つけなくちゃー・・」なんて言いたくなるような黄色の田圃もあったりする

緑をバックに時々リンゴのようなほっぺたの女子高校生が乗ってきたする。またイカレタ鶏冠頭のアンチャンがなども乗ってくる。そんな人達が目の前の客席をめまぐるしく占領し続けて行くのが楽しい。各駅停車の時間は 早さノミを目的に作られたような新幹線などより豊かに通過する土地の表情を内包しては放出し続けるもんだなーと感じながら・・夕方に合う南建築を想いだしているいちに 寝込んでしまう。

建築を一度体験すると何度でも引き出せる記憶が完成してしまうので、いいこともあるし悪いこともある。ビデオを見てるような感じでその中を移動することができるのは職業病というものである。イイ記憶もあるけど、いわゆる目が腐るような記憶も残ってしまうので、忘れるのに努力がいる

先月11日にチョイト訪ねて出来がった南さん建築の「放置されたような違和感と言うヤツの源を突き止めたかったから出かけていったんだが、南西かどのスロープは完成してなかったけど、夕日がカンカンと射してる芝生の屋上は出来ていてそこで・・南さんと、寝ころんで話していた。そんな体験を一日自己内記憶制作 してたら 完全に理解できた・・誤解出来たというべきかな。長くなりそうなんで 詳細はおおいぞぎで南建築の体験記を作り・・ (日記書いていたら夕立がやって来た)・・UPしたい

客船ターミナルの屋上はチョイト触るだけしかできなかった。20日の夜は港の花火大会とかで、インドの広場のようなかんじで人が溢れている・・12時半に着いたのに1時には完全閉鎖とかでガードマンと警察が沢山いる。ショリャーFOAの提案とチャウヤンケーと言いたかったが・・しかたなく出入国ロビーの片隅にあるベンチ兼壁で昼寝をしながら、ひっきりなしにやってくる人達のターミナルの感想を盗み聞きしていた。しろうとさんに 評判よい。

建築としてはコンペ時の柔らな感じは消えているが、ロビーの閉塞感とアクセントしてはナイスなんだけど、ウザッタイ。手摺りがナイトもっとこの 建築を理解し自由に使え込めそうなんだけどなー・・。役所が監理するんだかんなー・・柵で囲うんだなー・・こうなるかー・・そんな些末なことはドウデモいいがとても好感が持てる質のタカーイ建築でありる。

とかく建築的に質が高いと言われるような建築は窮屈な感じで退屈な建築が多いけど、このターミナルは質が高くて・庶民からも親しまれることは間違いないな・・

屋上を体験できなかったけど、また出かることにしようと思う。屋上の日蔭はどのように作っているのだろうか・・とそれだけが心残りだった。

夕方南建築に着く・・で屋上ゴロゴロして話し合う・・気持ちいいーので何時までも芝生の上に寝てしまう・・昨夜は南さんここで寝たそうだ・・夜になりアシスタントの荒木さんと南さんと3人で近くのレストランで飲む話す・・電車の時間が気になり時間切れとあいなり南さんと別れる。贅沢な見学会でした、感謝です南さん。途中荒木さんと新宿までダベルダベル。

myフォトコラデータ渡すために新宿からトボトボと田中浩也さんの家を目指す。田中さんちの扉の開けると、おーなんと私の好きなオネイチャンがいるやおませんかー・・大いに喜んで田中さんが居ることさえ忘れてオネイチャン迫ってしまう・・ときどき田中さんが怒ってる様子なんだ・・そこら先の記憶がないので書けない。朝起きたら・・・何で俺はなんで田中さんちに寝てるんだろうと思った。ymオネイチャンはどこへ行ったのー・・ってかんじ

20日の晩は 牛込さんちに泊まるはづだったのに・・すっかり忘れていた。掲示板の田中さんの書き込みを見ると、データは渡していたようだ・・myフォトコラ来週アップできるんだって・・やったね。それにしても調子こいて・・いろんな人に電話すると言ってたけど、南さん建築で盛り上がり田中さんちで盛り上がり・・全部忘れてしまった。

すっぽかしてごめんなさい ぺこペコ   恥ずかしいから これから南建築体験記を作って罪滅ぼしをしよう



7月19日 曇り 晴れ 時々小雨 蒸し暑い

明日から夏休みで5日まとめて買超安の青春18きっぷが使える。切符を購入して夏休み建築見学の旅にしよう。20日の明日から早速開始する。手始めに上京して横浜港ターミナル南泰裕さn建築を見学。myフォトコラのUP打ち合わせで2日分使用予定だな・・。

3日分ほど余。それで福島から旭川の藤本建築見学へ。旭川へは片道2日かかるので1日分足らない。足らない分はmy長女も旭川見学をするのでいただく予定である。 今日は ムシムシするなー

27日は大阪での大島哲蔵さんの追悼会を間に挟むなー・・来週末から再来週にかけて電車の中での生活になりそうだ・・間に高速バス寝室が待つなー・・大阪へは深夜高速バスで・・追悼会後は何たって (@_@) 通天閣からジャンジャン横町→飛田巡りさ・・奈良の渡辺豊和さんちに泊めていただく。28日は五十嵐太郎さんに教わった天理教の 街と天理教の甘露台だな。四方を800mの長さで繋がぐ予定の建物を見ねば・・それに重源の南大門を通過して来よう。

暑いから体力使いそうだ。8月頭に旭川から戻ったころには my身体はスリムになってしまいそうだ。

なにゃらホイ始めてしまた・・ 大阪のMさんからの要望に応えて大島哲蔵さんが私に宛てたFAXや手紙を整理してる。昨日から今日の午前中にかけて、全部まとめて順番を付けて整理してるよ。沢山あるある。FAXの一部は感光してしまって字が飛んで読めないものもある。95年からあるので大島さんとは95年に始めてあったことを思い出す。7年ほどのお付き合いだったけど、こんなに大量の交信をしてたとは互いによく交信した !(^^)! ・・と呆れる

データー化を主なところから・・少しやるかー・・と始めたんだが、あんまり沢山あって大島さんに申し訳ないような気分になってきた。有るモノは全部データ化してしまおうと決意して始めたら止まらなくなった。

なんでこんなに沢山あるかはデータ化してみて徐々に判ってくるんだろうなー・・と思う。交信のすべてが残っているとは思えないが、それにしてもなんでこんなに通信したんだーろう。自分が出したFAXの元原稿は何処へ行ったんだー・・と捜すが、チョボチョボしかないし、日付が入ってないので・・うむー・・判らない。

両方並べると面白そうなんだがなー・トリアエズ 手持ちの大島分をすべてデーター化WEBのアップして後に 徐々に私の分をはめ込んで行くことにしよう・・・そんな気分で開始した・・明日の朝出かけるまでには1996年までの大島を終えたいなーと思う・・そうそうアップした「大島さんからの便り」はこれからドンドン増えていくよ・・目が離せないかもしれない・・悪口もあるよ・・でも載せない乗せない

明日行く南泰裕さん住宅はどんな姿に仕上がっているんだろうなー・・おぉー・・設計者に案内していただけるなんて・・なんと贅沢なことか・・南さん感謝です。出来ることなら南建築のフォトコラを完成させたいなんて、欲深に思うのであります。

その前に・・巨大な鯨を解体しそこねた 様な 横浜港の客船ターミナルを体験してから・・だから・・夕方は南さん建築の西に広がる豪快な屋上庭園に立って夕日を見よう・・



7月17日 晴れ 台風が去って湿度が高く暖かい。

我が家の外壁の蔦の花が咲き出している。蔦の花めがけてツバチがたくさん集まって来て、外壁がうなりをあげている。垣根の真っ白い木槿も大急ぎで咲きぼとぼと花びらが路面に落ちる。

今日から大島哲蔵さんから来たFAXなどの便りのうち手元に有るモノをデーター化してUPしよと思って始める。メールで見たいと要望があったので思いついた。大島さんがたくさん時間を割いて手紙やFAXをくれたわけで、彼の過去の時間をなぞることにした。「大島さんからの便り」と題してページをUPした。数は分からないけど、少しずつUPして行きたいと思い早速実行。

昨夜も映画を観る。古厩智之脚本・監督 沖津和・高橋涼輔・中村裕太出演「まぶだち」。男子中学生の生活を描いた作品。場所は飯山市をで市内を流れる千曲川のたゆたゆと時間と、中学生の変化の多い生活と その中で彼らの内部に発生するやり場のない心持ちを巧みに描いた大人の映画。

 監督自身の20年前を回顧して脚本を書いたとかで現在の中学生の苛立ちが描けてるないとは思わないが、当時の心情を描いていると思う。それに対して大人としては為す術がなく、それぞれの子供の「将来に単調で分かりやすい幸福なんてあるはずもない」んだ ということを淡々と描く・・そんな姿勢に好感がもてた。

子供にとっては能弁ではあるかもしれないが、後に校長先生になてしまうような担任に対して、中学生の全うな裏切り方を上手く描いていると思った。

何もないものは力の有るモノから奪ってもいいし嘘をついて欺いてもいいわけであるが・・未熟でなんの力のない中学生に向かって、安泰な場に居座って大人の価値を押し付けてわめかれても・・困惑するばかりだろうな・・。
 
 学生が抱える問題を大人が解決出来るなんんて思う大人の単純さを子供はとうに見抜いている。私も中学生の時はそう思っていた「こいつらは教えることが好きじゃなくて喰うために教職やってらー」ってね。

大人達はそういう姿勢でいいわけで、奇妙な教師の価値感を未熟な子供に刷り込まないで欲しい。教師が粋がって教えずとも、自分で判断して行動し自己責任を負うのが当たり前だと気が付く時は早かれ遅かれやって来るんだ。だからほっとけやーってことだな・・。中学生でも気づいてるヤツはいる。大人になっても刷り込まれた、まんまの価値に生を塗りつぶしてる大人はいる

そんな 心もちを たゆたゆとした流を止めることのない千曲川は黙って受けとめるだけだ。8月頭に上映予定の窪塚洋介監督の「ピンポン」は笑わしてくれそう・・「少林サッカー」まだみてないなー・・。



7月 16日 
台風は東の海上を通過してるようで、雨風共にさほどでなさそう・・青空が見えてきて安心。

この半月ほど感染メールがたくさん来るなー、いやはや来る来る。新たなウィルスが発生してるのかもしれない。そんなメールに混じってmyHPの福島の果物のページを見ての注文なんか来てしまう。!(笑い)! 旧知の農園を紹介する。勅使河原三郎ファンからのメールは多かったが、桃ちょうだいべメールは初めてである。確かに福島の暁(桃名)は美味いよね。いい天気が続き美味い桃に成長しますように (〜ii〜)パンパン パンと。

花の写真についてのメールもあって、比較検討するために毎週写真館を我が家の庭の木蓮に掛け替えて比較して見る。私の花の写真はデータ量を落としても鉄板やプラスチックのように成らない、むしろ腐った感じになって行くんだが、メールの写真はパキパキパキで元の有機物が無機物に変質してしまう。個性なのかもしれないなと思う・・私もテクを串すれば花を無機物風に撮れるとおもうが、手書きCGで出来るようなことを、デジカメでしても面白くない。労力を費やして有機物を無機物化して撮る必要もないと思う。

そうそう13日名古屋での大島哲蔵さん追悼会様子メールもある。写真を貼って置こう

      

      

4枚は送られて来た 名古屋での大島哲蔵さんの追悼会の風景
  17日のAチャンメール報告によると・・
会場にはA4サイズに分割された巨大な大島 哲蔵の顔が象徴的に白い壁面に貼られていました。来られた方々が帰られる時に大島さんの顔の好きなヵ所を持ち帰るというしくみです。時間が経つにつれ魚の鱗がはがれていくように哲っちゃんの顔も断片だけになっていき、あ〜、もういないんだあと思いさせられました。


長野県では田中知事が失職して、知事選が50日以内に行われるとか。脱ダムを公約に当選して後は、知事と県議会へ対する民意の捻れが今日の問題源。捻れた民意には問題ないと思うんだが、混乱の源は互いの調整手法がまだ未熟ってことだろう。
 田中の脱ダム宣言の理念が悪いと言って協議で検討拒否してるような姿・・議会議員の多数の姿はニュース報道などで伝わって来るが、(批判は知事案では銭がかかり過ぎるとか)議会の議員の方々が1年半前に 正しく民意を反映し知事当選した田中氏と交渉してるようなニュースを見かけない。
 もちろん最新の民意を反映した田中知事が議会に正しく民意を受け入れるよう説得できなかったことも反省すべきであろう
 民意を2つの形で表明することができるのはいいことだし、二つの民意が捻れ現れることもあるだろう、そしたら上手く話しあいの場を展開させればいいではないのか・・。

旧来の議会工作や議会運営をしようとしない知事の硬い姿は少し伝わるが・・両者の話し愛の場が形成される気配もないような・・今回の次第は多いに反省してもいいんじゃないか。議会では意見を表明して討論し議論を活発にして話し愛の場・・県議会を元気な場にしていただきたいと思う。地方政治の新しいモデルが生まれることを期待してます。

 脱ダムに関しては15年ほど前に近自然河川工法とうう面白い治山治水の方法をスイスのバーゼルへ人を派遣して調べたことがある。ビオトープなんて言葉も一般的になってきたが、近自然河川工法を知ってる人は少ないかもしれない。
近自然河川工法で工事した河川を写真で撮り、日本の土建屋さんに見せると「何処を工事したの?」て確実に言われるだろうことは間違い。
 その理由は工事したよーって姿より、天然よりもっとモット人間にとって快適に改良された自然が写されているだけだからだ。人間にとって快適に改良された自然を都市と読み替えてもいいわけで、快適に改良された都市が姿を変えてそこにある自然とも言える。

近自然河川工法での工事費を調べても、コンクリートで両岸を固めて降った雨はいち早く大海へ行って頂こうという日本の河川の考え方で作るようりは遙かに高額、数倍だとか。
 両サイドは芦は水草、土・石などで積み重ねて、時々氾濫することも承知してる。もちろん工事するためには何年も何年も話愛を続けて、話愛そのための経費は工事費のよりもかかることもあるとかで・・。

 しかし市民の方は急がない。数倍の税金も支払う。そうしてまでも決定権を他者に預けない。細部に至るまで自分たちの意見を反映させることに熱心だ。
それは一つの決定を他者に預けると、全てを他者に監理されてしまうという歴史的な過程で起こった出来事にたいする反省に基づいているからであった

日本の政治は近世から近代へ移行するときに近世の権力支配構造を活用して(裏地として)近代に生まれ変わったので、スイスのような社会市民意識は芽生えなかったと思われる。今でも上意下達的な体質は脱してないくて、民意で施設が出来たなんて聞いたことがない。いつの間にか公共施設が完成して、ありがたがる暇も無し意見で硫黄ものなら 鼻つまみものかな・・が現実だろう。

長野の脱ダム宣言からの捻れ現象を切っ掛けにして、諸問題を上手く操作し解決するような長野モデルが出来上がれば市民社会の本来の姿であろう。政治・行政への決定権を民が手に入れることが出来るかもしれないと思った。権力者が市民とは比較に成らぬ情報量を持っているとしても、行政や政治家に問題を任せておいてはイケナイわけで、市民も一生懸命勉強せねばならないのは当たり前なんだ。議員の方も知事さんを支援をするかたも友以外はみんな敵って考えをすてて、選挙して後にいい地方政治・行政の姿を構築して欲しいものです。

生け垣の真っ白な木槿がさきだした・・なつ だなー



7月15日 再び台風がやって来そうで断続的に強い雨が降る。これから500mmも降ることになれば、地盤が緩んでいるから、大きな災害をもたらすだろう。多すぎる自然現象に為す術もなし。

フォトコラ作業BOX14を作れば終わりなんだが、チョイト目が疲れすぎてるので映画鑑賞にあけくれる。招待券で「スターウォーズ・エピソード2」を見る。普段ならガラ空き状態の 映画館なんだかまずまずの人。映画をは観るのが申し訳なくなるよなスカスカ状態で見てることが多いので、この程度なら落ち着いてみることができる。
 スターウォーズなら・・というのでもあろうかペア若者が多い。内容はチャンバラ映画sf怪獣モン愛情物を掛け合わせた筋立て。CG満載画像満載。実写とアニメの中間的面白さかな・・そのことだけを楽しみながら見る映画。贅沢を言わせていただければ毎度同じような活劇シーン。・・またこれなのねーって感じで目眩はするが途中だれるー・・ナガーイ3時間映画。CGと模型の相違を毎度思う。

人形のヨーダはCGヨーダにて登場・・不気味な表情を獲得(若返ったってでも言うんでしょうか)それでチャンバラもしちゃうので呆れる。ぴょんぴょん動き過ぎ。中国のお話に「不射の射」だったかな、若いときは弓の名人なんだが年老いて弓の名さえ忘れてしまう弓の名人の話があるが、ヨウダはそのような仙人なんだから仙人術に徹すべし又はフォース使いの名人なら旧来のヨーダと異なる姿があってもいいだろうと贅沢な思いを抱く。

可愛い男の子と女の子が古城で休暇を過ごし死すこともなしか・・。善玉が悪玉を皆殺しなんだなー。悪玉は汚い家屋に住むんだなー・・善悪の単純な描き方・・こいつら本気でそう思ってるんだなーと毎度毎度おなじみのアメリカマインド

話変わって「愛編むさむ」じゃなくて「アイ・アム・サム」知的障害を持つ男の子育て問題に関するお話。途中 完全に寝ちゃう。 知的障害者に対する視線・・健常者が安全な側から描く態度に好感をもてず。子供達が大人に対して「大人は馬鹿で薄汚い生き物だ」と思うのはおそかれ早かれ青春期には極当たりまえに持つ感情なんだな。そして育ての親よりおおくのモノを身につけても醜い大人に成ってしまうという感じだと思う。
父・娘の愛情の描き方が単調過ぎてつまらなかった・・そんなことに感傷的になる人の単純さに眠ってしまう。

話変わって「ハッシュ」産婦人科医師に言わせると「子宮にSEXタコ」を持ち(俗称やりダコそんなもの何処に出来るんだー)、2度の妊娠中絶経験者の彼女が突然子供を産もうとして起こす行動の面白さを描く映画。
もちろん従来の法制度に保証された結婚を経て性交渉して妊娠しようという話ではない

精子バンクから精子を買って人工授精をするわけでもなくて、この辺がコメディーになるところでもあるが、ゲイカップルの精子をスポイトで吸い取り自分で子宮口まで差し込んで注入して妊娠しようという魂胆だ。男根はもはやピペットほどのものということだ。人工授精を自分で行うっていうこと。もしかすると妊娠するだろうなと思う。

婚姻制度なんかも無視した家族を形成して生きましょうって話。未婚の母ゲイカップルそれぞれの精子の子が集団で生きようという、原始社会にような感じかなー・・家族に変わる5人の集団の話・・続編もやって欲しいなと思う。

この世が男と女の夫婦って言うペアじゃなくて、ナンヤラカップルとその子だけになったら・・と想像するとね・・意外なことに気が付くね。子供が夫婦という名の婚姻制度から解放されて、家族に変わる集団のもとで育つ。とすれば・・夫・妻・男・女らしさなんて言う古風な意識は消えてなくなるだろうか・・その人らしさを追求せざるを得なくなるだろうなー・・

明日から繰り広げられる長野県の知事選・・壮大な実験だね。目を離せないね。田中知事が再選されたら、不信任を提出した県議会議員は失笑もんだし失職するんだろうか・・。ともあれ地方の政治が熱くなるのはいいことだ。



7月12日 快晴 

昨夜は久しぶりの映画「ハッシュ!」を見る。橋口亮輔監督・渡辺誠一+高橋一也+片岡礼子など出演。あえて家族などという旧態を引きずるような言葉は似合わないのでつかいたくないが、人と人の新しい家族のあり方を模索した映画。感想は又の機会に書きます。

8日の日記にチョイト書いた仙台城の石垣の話。

石垣や櫓を再生し観光の目玉作りのためにしようと歴史を捏造しようとしたんだなー。市と大手の建築会社が組んでことをすすめていたようだ・・詳しいことはわからない。市民+学者+地元紙の連係プレーによって廃案中止へ。こんなことは超ー珍しいじゃないかい。

 経過はmy長男から聞いて少し知っていた。URLが送られて来た。仙台城石垣保存問題のHPページで詳しい経過などを知るをことが出来る。HPや掲示板も大変活躍したようであります。人間の微少な力を繋ぎ人・人の頭の中に運動態を作り出すことにかんしてはHPはかなり強烈な力をもつてる、当然かなー・・。 仙台に住み少しだけ参加協力してた 近世史専攻のmy長男のメールの中から主な感想を並べます

☆ー1
 実は、1997年(だったかな)から始まった石垣修復事業に先立って、歴史・建築などの専門家を集めた委員会が作られたのですが、作業を始めたら遺跡が出てきてしまいその処置に一もめ。仙台市は「櫓を建てて、観光の目玉にしたい」という主張を強引に押し通すため、この委員会を解散してしまいました
しかし、ねばり強い運動の結果 昨年三つの委員会を再発足させました。市民の傍聴は、市には大変なプレッシャーとなったようで

☆ー2

歴史学者が社会に果たすべき役割という点についても再認識しました。「文化財は大切だ」と声高に連呼するだけではだめで、市民にわかりやすく伝え、保護のメリットを知らせ、市民と一体となって運動したことが、今回の成果につながったといえます

☆ー3
 研究者は、「史料は大切だから残せ」、とか自分の個別研究に利用するだけで、その史料を持つ所蔵者や地域住民のニーズに応えることには非常に鈍感だった側面があります。

☆ー4
所蔵者や地域住民に対して史料の内容をわかりやすい形で伝え、意識を喚起すること。「古文書の中身を知りたい」という単純な要求に丁寧に応えてあげることで地域住民の信頼を得て、さらなる情報や、新しい史料の発掘にもつながる。このようなよいサイクルが成立する可能性がある、

☆ー5
博物館とか、資料館はあるけれども数が足りないしどうしても機関の論理に縛られる側面がある。また、史料は基本的には所蔵者や地域住民の手で保管し活用できるような体制を作るのが理想です。研究に利用するだけではなく地域住民のニーズもふまえた歴史資料の保存と活用の方法の確立・・。

☆ー5
博士号をとらないと研究職への就職に不利になるというのは、これは国家政策がそうなってしまったので事実なんですが、それだけやってほかには何もしない、というのでは、学生の時に身につけるべき「社会の中での歴史学のありかた」とか、「地域住民との関係構築」といった研究者として必要不可欠な素養を身につけることができません。 このような人間が責任ある立場に次々とつくような状況になれば、学問と社会との距離はますます離れていく一方だと思います。すべきことはたくさんあるのにそれに気づくことができない・・。

●おおまかな感想を箇条書き写しました。学問も政治も地域との関係への参加も・・ドンドン参加することが肝要か・・と思いますねー・・各界においても見識がありたくましい人間の出現が待たれます



7月11日台風のため早朝豪雨。午後快晴となる真夏近し・・そんな空模様になる

台風雨のなかでBOX13フォトコラをほぼ完成させる。この1月の間に5本のフォトコラージュを作ってみた。1本目は1月もかかったけど1本作る毎に学習効果が上がったようで・・5本目はシュキャンや模型撮影その後の繋ぎをしても2日ほどで出来上がった。

時間短縮の大きな要因はスライドを闇雲にシュキャンするのではなく、スライドスキャン前に分類する。ある程度のシナリオ風のものを想いながらスライドを並べるてスキャンしたことだ。もちろん綺麗にファイル名にシナリオ順の番号を付ける。番号を付けると繋ぎ作業のとき順番がわかり便利。

竣工写真・模型各種・工事中記録・竣工後記録・などその要領でシュキャンしてしまう。この整理が済むとその後の作業は至って単純である。それぞれ繋いだものを単純に繋ぐか、混ぜて繋ぐかは気分で次第でよい。

フォトコラ用ソフトには画像の窓が180カット分付いているけど、視力の衰えた私には小さくて判別しにくいので、表示される画像は60カツトぐらいにしてその他は番号でいいように思える。前後40カットでも良さそう。というのはフォトコラソフトと画像ビューアーを併用すると画像の読みとりにくさは解消出来るからだ。

作業していて足りない写真データをデジカメで採取して整理してみると・・・当たり前だがデジカメのデターを整理するのはとても簡単なことが分かる。スライドスキャンとの労力を比較すると問題にならないぐらいラクチンであった。デジタルの便利さを体験してしまった今、

・・写真整理を考えると、高性能のデジカメと画像専用の倉庫欲しい・・確保すると超便利になることが分かる。旅での写真整理なんか嬉涙物語とあいなり、たくさん撮りためることができるよなー・・・シミジミ想う。メールして倉庫に保管するなんて、安価で多量の画像が保管出来るよなー、スライドで焼いてたらこの数の写真は撮ってないよ・・トリアエズ貧乏になった今は夢のようなデジカメのありがたさでっす

紙焼きの質感に未練が残ってるので、切り替えに躊躇してるんだが・・貧乏がスライドをあきらめさせると思う。

フォトコラをしてると人の顔が出てきて・・肖像権はどうなんだろーと想うが、委細かまわず使ってしまった。顔は塗りつぶしたファイルも作ってみたが表情がある固有のモノには断然感情が伝わるので、問題があるかどうか試して見る。法律上の解釈は分からない。盗み取りした訳じゃないからなー・写真を撮ったのは私だからかまわないのかもしれない。

フォコラ写真用写真と雑誌用の写真を見比べると面白いことが分かる。詳細は又の機会に書くとして・・フォトコラを作った後では写真の撮り方が変化する。アル時空間の中の一部を撮っているという意識が強く働いてきて、単発写真はその場を切り取り・・その体験した時空間を化石化すうるような力が働くけど、フォトコラ用撮影はベクトルが逆になってしまうのが面白いなー

繋ぎ合わせに失敗すると想わぬフォトコラ裏技が見つかったりして面白い。もう少し体験してからもう考えてみよう。写真と時空観(間)と記録などのことを・・。

藤本壮介さんから6月1日の建築あそびの記録校正の一部が送られて来てその部分を修正する・・・UPする日が楽しみだね



7月9日 昨夜は性悪が原因で眠れぬ夜だった。今は雨が降ったり止んだりして気温・湿度共に高くマウスも机もヘバリついてくる

夜通しBOX12のフォトコラ作業を続けて午前中に何となく繋ぎ上がった。今度のフォトコラはグルグル回転してる。町中で敷地が狭いでも四方の形が全く異なっているから方々隅々まで目を通そうとすると、ろくろの上に載せて回転して眺めるような具合が良くなるからだろうか・・グルグル回ってる・・。

何度も建物をグルグルと回転しながら繋いでしまった。グルグルしてるから全編模型写真でも良いナーと思ったけど、内部は完成後に撮ったスライドを繋いだ。外部は東西南北の竣工写真を数枚繋いだ。
 千万家・BOX11共に周囲が農地だったから、引いた写真が多かったしBOX12は大島さんがダティーな土地だなーなんて言っていたくらいの場で、道路・鉄道・河川・などが入り乱れている町中の土地だ。建物を眺めるためにはグルグルになってしまうのだよな。BOX13町中の密集角地なので裏は撮れない箇所もあるから・・やはり模型を回転させ、内部のみ竣工写真がいいのかな。

建築文化8月号が届いたいた。横浜港に完成した客船ターミナルのビデオや写真・ポロさんへのインタビューを南泰裕さんがしてた。文化CDも成長中。

先月亡くなった大島哲蔵さんがさんの「強度を獲得する多重ボカシ」というタイトルでドイツの画家・ゲルハルト・リヒターの図録のことを書いていた。大島さんらしい文章だ。毒気のある文章には出会えないかと思うと寂しい。10年ほど前にリヒターの画集やインタビュー本は大島さんが送ってきてくれた。大島さんと話すことも出来なくなってしまって・・・あれもこれも寂しい1日だ。

HPを見て原稿依頼の打診があった・・寂しいからジャンジャン書きたいと思った。HPはどんな人が見てるのか分からないけど、日々訪ねて来て見ていただきまして ありがとうございます。死ぬまで続けようと思っているので時々訪ねていただければ幸いです。・・角館の審査inレポートまとめないとなー。



7月8日 梅雨の中休みか蒸し暑い。風が少しあるので仕事場はまあまあ。徐々に快晴から2週間後あたりはカンカン照りになってもらわなくちゃなー・・これからのカンカン天気は美味い桃を連れて来る

フォトコラ疲れ、でチョイト元気が出なかったのでこの数日フォトコラ作業を休んだ。たぶん目がいかれて来たからだろうなー・・苛立ち気味に成る傾向あり。

仙台と白河へ出かけ雑用をこなしてブラブラ過ごした。仙台も白河も福島からだとほぼ同じような距離でどちらも城下町。仙台は天守閣はないが白河には木造の天守閣が再現されてる。

白河の天守閣は数度登る機会があった。現在は市が再建したのに・・なんてことなのー・・大まぬねけー事業計画だったのか・・木造建築3階建て天守閣は完成したが・・建築基準法違反だーってことになり、今は一般の人が天守閣に登り城下町を眺める望みは叶わないようである(4年前はそうだった)。そのほうが天守閣らしくて良くもあるから確信犯かもしれない。

白河には陶芸家で数少ないmyファンが住んでいた。直腸癌で4年前に58歳で亡くなったから残念。Fさんの家のルーツを辿ると白河では1番。白河藩の重鎮であり、江戸時代の力士雷電(漢字怪しい)のスポンサーだったとか。歴史的資料は市に寄贈している、いわゆる名家である。Fさんは文人気質が濃厚だった人で女ニャ興味を示さなかった人。歴史や宗教や政治に関しての興味は多いにあり、口角泡を飛ばし時を忘れるけど、生活力にたいしての欲望はトント無しであるから面白い。福島では全く見かけないイイ人間でした。イイ人間は早く死ぬんだね。

 死の1年ほど前にFさんに町作り運動の種を持ちかたことある。学生達が制作した「新都白河」と呼んでいた都市計画。その計画がどうように受け入れられたり、拒否されたりするのかを知ろうと思いFさんと協働した事があった。

計画案のチラシを作り白河市中にまき散らした。この手の文化講演は人が集まらないそうだが、何故か文化センター開所以来初の超満員の講演会なとなった。その後種子が発芽して成長する様子を眺めようとしたのだった。講演会後、数ヶ月してFさんの大腸に末期癌を発見。Fさんは闘病生活にはいる。その発芽観察計画はもちろん頓挫。私は白河の人間じゃないいわゆる まれ人 白河に根ざす人を失えば足場がないので活動を中止した。Fさんに反対されてダメだったが、本を出そうと思ってたのでそれらの記録・版下は現在も手元にある

講演会前に町に数千枚のチラシまいた。主にFさんと二人で徒歩で数日かけて市白河の旧城下町を歩いてまいた。そのとき阿武隈川と城や町人町などの配列なとを体験的に知り白河の土地勘が出来た

Fさんの死後、F家では何処にでもあるような遺産相続手続きで大もめであるとは風の便りに聞いていた。Fさんはさぞ呆れて行状を眺めていることだろう。白河に行ってそんなことを思いだした。

仙台城のでっち上げ石垣改修計画は廃案中止になったそうだ。地元紙が社内での推進派と反対派が大げんかをしながら社説報道を繰り返した様子。新聞報道を切っ掛けに反対運動が勢いを増して超希なことに・・石垣捏造計画は廃案中止になったそうだ。
 大手の建築会社と仙台市が組んで観光用客寄新名称作るーと・・歴史を捏造して新名称を作ろうとしていたのだな。
 my長男は歴史を学んでいるので、そのような状況を教えてもらっていたし、建築的な意見を求められていたので少し知っていた。捏造とは言え政治家行政土建屋が組んだ事業計画が動き始めてからは・・捏造とは言え中止になることはなんだとうと思ってみてたが・・やるモンだねーmy長男の隣の日本史研究室と私の研究室の先生(中世の先生)もがんばり中心になって動き・・あげくにとうとう中止に追い込んだとか。仙台市民は賢くなってるようだ。

現況の仙台城の天守閣あたりはおかしな事になっていると思う。城跡に堂々と50年前に神社は建てるは土産物屋は建つはで・・。歴史もヘチマあたものではナイ様相を呈してる。歴史より銭やでーってなもであるなー・・。その延長でなんでもありだろうとおもってたが廃案中止。

仙台の在住の歴史家達の活動も実績を手に入れた。歴史家が地元の人・人の連係をメディアを使い創り出した力も大切な歴史なのである・・なーと白河の町を通過した思った。私とFさんのささやかな行為は歴史には記録されるような事実は残さなかったが、私の中では現在も生きているからいずれ何処かで芽を吹き出すかもしれないなー



7月6日   早朝   曇り 

昨日の夕方雷様が少々あばれ出し夕立が来た。雷を聞いてPCのスイッチを切ってゴロンとして目を閉じてしばらく雷のご機嫌をうかがっていた。今日は蒸すかもしれない。

ほぼ1月前に原宿縁会で出会った南さん。翌日現場へ押し掛けて見学させていただいた。南建築がそろそろ出来上がるーよーと連絡があった。道は狭いし周りに余地も無い。といっても東京周辺では贅沢な敷地条件だろうが・・。建築現場は仕上がりに近づくにしたがって出入りする業種が人が一気にふえる。それぞれの施工業者がいりみだれる。ゴミがたくさん出て埃が舞う。あと1月じゃさぞ現場が混乱するだろうと思ったものだ。監理する者は今頃さぞ忙しいことだろうし、思うように事が運ばないので苛立つだろう。そんな混雑し・混乱してるような状況下からメールをいただきました。感謝です

南建現場を見学して感想を日記にチョイと書いておいた。そのことを南さんが発注者の方に知らせてくれたようで、日記を発注者の方にも読んでいただいたようだ・・!(^^)!・・おぉー・・そんなことになってしまうとはつゆ知らず・・思うままに書いたよ

ばさっと思い出すと「大胆な構成と放置された違和感」ということなんだけど、その有様が私が感じるような現在や世界の現況に素直に反応してる・・そう思える建築家の態度。もちろん未熟な部位はあっても、こそくな建築テクニックを使って封印しない明解さ。だから全体から醸し出る爽やかな建築の有り様・・その全体を私はとても気に入ったのです。そんなこと書かれてもなー・・なんのことだか分からない人もいるだろうが、そう感じるのだからしかたがないよ。

そしてそんな感情が生まれる場を建築家と発注者と鑑賞者が互いに楽しむことが出来ることはとても希なことだからなー・・多いに喜んでしまう。もちろん見に行くべきだと思っている。

建築が出来るとオープンハウスと呼ばれる見学会を開催する建築家は多い。建築を目指す者達に見に来ていただき、そこで多様な意見を聞き取ることは建築家自身の行為を客観化する手助けになるので建築家にとっては良いことだ。

発注者が自分の所有物や場だからなー・・と他者の侵入を拒否する態度ね・・他者の出入りに直感的に嫌だと言い張ると見学会は実現しない。確かに発注者の依頼によって建築は始まるのだが、そのご建築家が苦悶してその場にもたらされた建築なんだけど、そのことを「建築家全体の体験としてあげたいなー」なんていうような態度を理解したり身につけていて、「互いに成長し楽しもうよう・・ジャン・・」ていうような態度・・物欲が少ないっていうのかなー・・そんな態度を身につけて日々生きてる発注者じゃないと見学会なて実現しないだよ。見知らぬ発注者の方へ見学会を許可していただき感謝いたしま

 見学者へ・・見学者としての態度も身につけてなく見学しちゃう馬鹿なやつがいる。キチンとした見学者の態度を身につけてほしいものだ。その時だけで直ぐ忘れるくせになんでもかでも覗こうとする輩。そんな輩ばかりだと友達は嫌がる。建築系の大学では極当たり前の生活者の住む場を見学するさいの最低限の態度を教えてないのだろうか・・と顔をしかめ私に迫る
 私の友達は篠原一男さんの設計した直方体の森と題された住宅を用途変更して個人の美術館として20年ほど使っている。そのためにおおくの学生が押しかけて来て、態度の悪い建築家関係者に辟易してわけだ。何でもかでも覗こうとする輩。やたらに触る叩く輩。どこでもかくでも写真を撮る輩。・・に辟易してるんだよ。

南建築ほぼ完成するぞー知らせをいただき思ったことでした。

南さん蒸し暑いでしょうが飯喰って体調に注意して頑張ってください。お知らせ感謝 m(_ _)m



7月4日
 誕生日 で快晴 こんなにいい天気に生まれたのかもしれない

夏に生まれた私は 子供の頃 夏の間の記憶と言えば、風邪引いて寝てたり、お多福風邪で寝てたりして、カランといい天気なのにいつも寝て過ごした記憶しかないのです。自分でも嘘ついてると思うけど・・何故か快適に魚取りしてた記憶が最初によみがえらない。

生まれて来たということは 人・生き物・地球上のあらゆるモノ事と出会うていうことそして死という不可解な出来事が約束されている。ダレでも知っていることなんだけど、生まれて来た瞬間に立ち会った人のことは憶えてないのです。でも僕が生まれてガックリしたり、とても疲れたり、喜んだりしてた人は存在していたということは、想像出来るような年齢になりました。そんな記憶にもない人・人に51歳の誕生日なので出会うという意味の基本を記録しておこうと思いました。

ついこの間の大分県の中津江村の人・人とカメルーンチームのメンバーの出会いは人の出会いの基本を確認するのには充分な情報を日本各地に流していたと思いました。見たことも聞いたこともない・・地球の裏側・大げさに言えば誕生してなかった・存在してないような土地から、人・人がやってくる。えーまだか・・今か・・まだか〜・・もう、待ちくたびれたー・・。と散々待たされてもまだ来ることを信じてる人・人。信じることの出来る人・人がいるって言うのを確認させてくれたと思います。

 地の果てのカメルーン人(陣)だって出会ってみればもう離れたくない。試合に出ればつい1週間前に出会ったかりのエムボバなどの活躍とミスに涙を流す。我が子の事のように泣く。負けて帰って来れば又涙を流す。、もう離れ離れになりたくない・・離れたくないと言う・・とてもシンプルな出会いによってもたらされる感情。つまり生まれて来なければ・・同時に今の地球に生きてなければ出会えないあたりまえなことを・・実に素朴にシンプルに・・生きている意義や行為を表現してるんだけよなー・・だから強いメッセージを放ってしまうんだよなー。

一年前に日本を旅発ちトルコ〜ギリシャ(地中海)〜イタリア〜スペイン〜フランス〜ドイツトを自転車旅行をして来たBOX4の子供・・今日 box4子が旅の報告に来てくれました。スケッチブック4冊とスライド500枚ぐらいもって。こんなにたくさんの量を1日では見きれるはずもないので、健太君が気にいった スライドをスキャンしてmy掲示板に貼りました。たくさんの出会いを経て帰国しました。

掲示板を見たm・kチャンが早速電話をくれて、帰国報告会と誕生祝いを一緒にしましょうと言うことになって、いつもの縁会が始まりました。健太君は自宅で報告会兼スライド会はまだなので、帰国第一だん報告会になったのでした。親の前に会を開いてもいいよね。

生まれる。そして1年間旅して・・こいつに報告してあげようと思われるのは生まれているから出来ることです。そうそう一度会ったらこいつには教えたい・・報告したい、離れたくないという人が身の回りにいるのはとても良いことだ。何でもいいけど自分がしでかしたら早くー報告したいなーという人・人が生きてることはとても幸せなことです。

ですから、まだ出会い、興味をもったら生きてる間中ー・・気になる、会いたいと思う人・人に なりたい・出会いたい・・・互いに興味を持てる人と人になりたいなーと思った誕生日でした。



7月2日 朝から小雨が降っている。
   梅雨空で仕事場は暗いし、梅雨のジメジメ感が充満しつつある。

一昨夜はワールドカップのファイナルをTV観戦。守りに守ってカウンターねらいかと思ったドイツは前半果敢に攻撃しまくって・・時々カーンが守る。予想もしなかった面白試合でした。次回の開催国守ってばかりじゃ能がないってもんで・・前半攻めたねーコリャイイやーってニヤニヤしながら見てた。ドイツには・・予想してたけど・・残念なことに・・セットプレーでドスーンと決めるジダン的役者が居ないのがたまに傷・・で点が取れない。やっぱりナー・・こうなると守備陣が90分完璧ってことはあり得ないのでロナウド・ロナウジーニョ・リバウドの役者が揃っているブラジルが押し込むのは時間の問題でありました。

ドイツは4年後、今ファイナルの敗戦をかみしめパワーアップすることでしょうー。
 組織力対個人技の対決はやはり優れた個人技の方が観客を沸かせるのはしかたないとして・・だが、組織力で勝つサッカーをひいきにしてきた私としては、脚力・ボールをコントロールする能力・正確なパス・先を読む力で勝り組織としてプレーするつサッカーがいいと思うなー。

 前回ファイナルのようにロナウドの変調がチームに悪影響を与キャプテン・デゥンガーいくら吠えて吠えて・・気合い入れても負けてしまうようなチームは好きではない。今大会のフランスは同じ轍を踏んで予選敗退した。4年前にまとまりを欠いたチームが今大会は1戦ごとに組織として成長してた。成長の源がおもしろいね。

ロナウドの変身ぶりを示すような優勝後の行動と言葉は印象深かった。家族と子供の話ばかりなのだ。決して国家なんてモノを語ろうとしないし観客に礼もいわない。喜んでいる・・欲しいのは家族とチームメートってなもん・・・彼らが思い思いの姿、好き勝手な格好をして表彰式台の上で踊るー!(^^)!姿を観てるのはいいもんだったね。

家族やチームメートやサッカーが先にあって国家ってものはワールドカップを闘うための言い訳みたいなもになっちゃってるのがいい。思い思いに喜びをあらわす各選手の姿を観てると、同時にそれぞれの観客もブラジルという国を応援しているンじゃなくてそれぞれの思いのサッカーという競技と思いの選手を応援しているのだなーと思える。

現在のサッカーのありようと選手達のありようは、将来の世界と言われるモノと人の有り様をしめしているようだった。

  象徴的なあのゴールは印象的だ。
鈴木のビヨーンと延ばしに延ばした足がヤットとどいたー・・何にー・・てな気分でした。あの足の先には希望も絶望喜びも悲しみも家族や仲間・友達と喜びを分かち合う人・人があってほしと思いました。ワールドカップでした。

 一度リンクが全部消えてやり直した box11フォトコラも順調に作業が進展してます、ジメジメジメジメ  梅雨真っ最中ー