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   2002年6月の日記


6月30日 曇り 少し暖かい。BOX11フォトコラ作業開始

明日7月1日から発売され今年の夏休みに利用できる「青春18きっぷ」は5枚綴りで11500円と破格である。1日乗り放題の券が5枚綴り。0時からスタートして24時間何度でも乗り降り出来るし、1日で行ける所まで行ける切符。一枚2300円。
 この切符を利用し山登り等をしてるmy長女の話によると、仙台を朝6時に出ると夜には大阪に着くことが出来たそうである

福島・大阪間は1日で行けるので、大好きな人と2人で往復してもまだ1枚余る「青春18きっぷ」使用にさいして年齢制限がないので私も使える。福島大阪間が片道2300円だ。時間が無い人間にとっては18きっぷは無きにも等しいだろうが、貧乏暇有りの私にとっては有り難い切符。
 朝7時チョイに福島駅から電車に乗って、本を読んだり居眠りしたりしてひがな1日電車の中で生活してると夜の10時には大阪に着く。
 一気に行く必要はないので東京に数泊して後 大阪へ向かう。返りは名古屋で数泊して後東京へ。東京で数泊して福島へ戻る・・それで使う切符は5枚だなー・・。利用可能な期間は今年の夏は7月20日から9月10日まで。冬休みと春休み期間もある。12月10日〜1月20日・・3月1日〜4月10日まで。

7月27日の大阪の大島哲蔵さんの追悼会への利用は可能だ。名古屋の追悼会は17日だから残念だが利用できねー・・。名古屋の連中は遠くから出かけて行く取り敢えず貧乏人間の事をすっかり気にしてない様子。大阪は偶然だろうが貧乏暇人に配慮した日程になっているのが可笑しい。

藤本さん建築を体験するために旭川までは福島から各駅停車で1日で行けるのだろうか・・。そうかー片道2日かかっても、4枚だから1枚で旅行出来るな・・。こうなると夏休みは野宿しながら、北海道建築を見て歩くのがイイかもしれないなー。釧路の毛綱さん建築や上湧別の渡辺さん建築見学へ足を延ばしてもいいのかー。青春18きっぷを調べて、元気になってきたぞー。駅に出かけて正確な資料や時刻表を手に入れよう。

今夜はワールドカップのファイナルだ。4年前には守備人を突破するスピードはすごかった落ち着きがなかったロナウド今大会は冷静。技の切れ味鋭くなったリバウド。ドリブルシュート共に唸るよロナウジーニョの参加。相変わらずシュートのスピードがすばらしロベルトカルロスとまー・・役者は揃っているんだが、前大会同様アンチブラジルで通そう。 今夜ドイツに頑張っていただきましょう。
 
 今大会はジダンを見逃してしまったのが心残り。難なくシュートするオウェンのナイスなゴールも2本見たし・・言うこと無いね。
 韓国の頑張りに脱帽。昨夜のトルコ戦の試合後の選手同士と観客の交流は、ワールドカップではほとんど見かけない光景じゃないかい・・友好国とはいえトルコの選手の皆さんの懐のが深さに感銘を受けました。今夜はスゴーイ試合になること間違いないよ。前回のジダンような ブラジルデフェンス陣を切り裂く連発へデングを決めるのは誰か・3対1ぐらいのほうがおもしろいね・。




6月29日  薄日が射す曇り空、暖かい風がゆったりとながれている。

6月中、と言うよりは この2月ほど千万家のフォトコラージュを作ろうとしもがいていたが、とうとう、フォトコラ作品2本目も今日の明け方完成 !(^^)!したよ。

3月末原広司さんの自邸の撮影をして、スライドの焼き上がりを待って、スキャン、その後のデータ調整から、写真同士のつなぎ合わせと3日ほどで最初のフォトコラが出来上がった。写真撮影は私が行ったがフォコラの作業の大方は田中浩也さんにしていただいた。繋ぎあわせの指示はしたが、ソフト自体を理解してなかったので、細かな厄介で地味な作業は田中浩也さんにお願いして、ごろ寝を決めたいた。原さんちフォトコラは建築文化NO659のcd−romにある

 作業の間も多次元フォトコラージュに対する私の受け取り方によって出来てるイメーじと、行ってる作業の結果出来てくるフォトコラと相違が気になってしょうがなかった。その後その時に抱いた違和感と言うヤツは整理されて来たのであるが・・違和の源を再度書き写して置こう 

   6月4日に書いたモノから ● 1 

多次元フォトコラージュの名称から来る私の誤解が多分にあるのだということが明らかになりつつあります。現存の作品を観ると多事コラ短時間コラフォトコラという印象を持ちます。多次元・フォト・コラージュと分解し受けとめてしまった、初期設定の間違いで、誤解して受けとめてる私の問題が多いんんだ思うのです

それは6月2日のワークショップを見てより明らかになってきたことでもあります

最初に建築や限定された空間を理解しようとする行動の中に実はシナリオは含まれているのですね。私が最初に・・その名称を受けとめた時に生まれたイメージは、そういう初体験(の写真)をコラージュするという事じゃなかったんですよ。

で誤解の基で手持ちのネタを使い、作業を始めると・・自分の思うようにはなってなかった。または手間が掛かりすぎる。そのような作品を目指す場合は「このソフトは使いにくいなー」って思った。なんて時間がかかるし煩わしいなーって。これはまだ断定してはイケナイことではあるんですがね・・。

pc操作とソフトの操作のどちらにも未熟なのだからそこに源があるかもしれないし、写真撮影技術の問題かもしれないし、シナリオの拙さの問題かもしれない
(2本作って後の感想としては・・私が未熟だったということが明らかになった)

だからとりあえず3つに分解された問題の中で私は浮遊して・・、一つ今タジコラに対して抱いてるイメージのモノを仕上げてみて、それから整理して・・難しい発言をしても良いんじゃないかなとも思ってます

     ●2
フォトコラの作品を使い・・シナリオを書き上げ・・フォトコラージュ作品で建築家の概念に迄たどり着こう・・なんて考えていたことろに大きな問題の源があるかもしれないです。
 ◎ イ 
写真家の写真を連続し多数見ると 写真家の概念や存在が綺麗に浮かび上がように私は感じるので、そういう体験を再現したいという思いを 端から期待し過ぎてしまっていた
  ◎ ロ
まずは沢山フォトコラを作り、順を追って多次元フォトコラージュにして行けばいいんじゃなかとも思い始めてます。ですからフォトコラ作品の倉庫が必要なんだと思うのです。時々引っ張り出してはコラージュして徐々に多次コラしてその作品を眺めては作家のあらぬ概念に思いを馳せる・・ことが出来るまで手を加え続ける。

◎ これまでの困惑はオモチャを広げ過ぎて困ってる状態かも

●以上6月4日に書いたモノでした

そんな違和感をなんとかして解消してみようと挑戦していたんですが、ソフトを使い自力で2本ほど完成させました (^_^)v。千万家の過去を再現してデータを集め直すことは出来ないので、自分で撮り貯めたものと、工事中にいただいた写真、それから建築好きの方が訪ねた来た時に撮った写真などを捜し出し ・・繋ぎ合わせてみまいした。 最初に抱いたフォトコラのイメージのような千万家フォトコラ作品をつくりました。

1本目は時間を追っているのでスケッチから工事経過 を経て竣工時までとした。2本目はスケッチ・模型・工事経過・完成時・今年のワークショップ時と混在してる。時間が掻き混ぜてある。時間を掻き混ぜると見る側が混乱をきたすように想えるので、そこを避けるために、繋ぎ合わせる部位に注意を払った。建物をなぞると同時に時間が行き来するようになっているいろんな方が出てくるよー・・そこも楽しみの一つか・

写真も私が撮ったモノだけでなく 数人の写真が混在してる。どちらの作品も一つの環になっているので、自動モードで見てるとグルグル何時までも何時までもフォトコラが続く。逆回しでもグルグル回るが見てると印象が異なる(私だけが感じる事かも)。

1つに環に仕上げたのは、フォトコラ倉庫を田中さんに作っていただき(倉庫はもうある!(^^))!、そこにこれから枝葉のように、写真撮るたびに千万家フォトコラを書き換えて行きたいのよ・・だからまずは基本の環が出来たってこと・・かも

両作品とも100枚ほどの写真だけど、各写真がグンニャリと歪みながら繋がって行くので迫力満点なんだ・・だからデータ量がとても大きくなる。両作品共に30MGほどだ。現在myHPの総量は7.5MGほどで200Pほど・・デカさが分かる。
 データ量を小さくするために、手持ちのソフトでフォトコラに使った写真をスライドショーに仕上げて、自動モードで眺めて見たんだが、印象が全く異なる、スライドショーツマラナイつまらない・・ヤッパチデカイ量でも・・いや いや フォトコラ断然良いよ。
 BOX11あたりから始め 全部作ってみようっと・・。
田中さんがヨーロッパの旅から帰ったらWEBにUPします




6月28日 曇り空 梅雨だから当たり前かもしれないが冷える

昨日は青横棒になってる運転免許証の3年に一度の更新。午後免許センターに出かけて更新をすます。飲酒運転をすると30万以下の罰金刑、実刑もありとか。飲酒運転に対する刑罰が厳しくなったようだ。当たり前と言えば当たり前か。飲酒運転の自動車などで殺されて、軽い刑ではたまらないという遺族の訴えが刑の重くしたようだ。 更新期間は誕生日の1月後まで延長され誕生日を挟み前後2月が更新期間に。

安全協会という会の申し込みは拒否したが、皆一様に、自動的に申し込むんだけど、あれはなんなんだろう。説明もないのにあっさりと数千円の金を払っているのだ。
 関係者の天下り先の機関かもしれないが、上手いタイミングで銭を巻き上げるものだなーと関心・感心する。抜け目ないんだねー・・お役人様のなすこと限りなく上手しか。 交通遺児に対する募金でも集めたら良さそうなモノを・・あんありかー。

 5年間無違反じゃないと金色横棒には成れないとかで、今回も青横棒とあいなる。3年間は違反してないと思うのでその前2年間に違反してるなーそういえば・・。

 夜は先週の角館行きの反省会。同行の人間旅費・食費と酒を餃子屋でビールを呑む。乾いてボソボソの餃子にて不味し。ジュワーと水っぽいのが好みの私はビール3杯で酔う。来月27日の大島さん追悼会出席の大阪行きの話も出る葬式には出たんで、建築の話しねー・・金が全くないので気が重い。渡辺豊和さんちを「宿を提供するから27日来るかー・・」なんだが・・・人間旅費・食費とも行く気満々。
 2人の新幹線代で、高速バスを使い3人行けば、確かに旅費・食費は出る。「明石に足を延ばして、たこ焼き鯛飯も食えそうだなー」なんて思う。おういに人間・食費のおごりで酔うこと限りない。酒が弱くて良かったと思うこの頃。先週は酔つた後の記憶がないけんど、嫌らしいー・・行為をしたそうだ、ほんとかなー酒を止めるための陰謀クサシ・・角館でも裸踊りした・・た のかもしれない。道理で帰った後の体調はブルブルブルー・・で・・風邪引き気味だなーとおもった。

● 27日大阪方面の毎日新聞に大島さんの追悼記事が載ったはずだ。ゲラ版があるので内容を書き写します。

タイトル 住まう 建築家とうまく付き合う法 ○−25
見出し 「ひたむきに理想追い続けた男」
本文   著者 建築家 松本正氏

 6月6日、年上の古い友人が亡くなりました。夜遅く、仕事に飽いて事務所で酒とともに時間をやり過ごしていた僕に、建築家のk氏から電話で伝えられた突然の訃報。まさか。しかしなぜ?あれほど建築や都市について深く思考し、これからさらにその思考を成就しようとしていた男が、なぜ今逝かなければならないのか?

 大島哲蔵氏。享年54歳。建築を人を愛し続けた人でした。設計を生業とする、建築家ではありません。欧米を中心に広く現代建築を日本に紹介し、建築に関するいくつかの重要な著書を翻訳しながら、建築の世界を批評し続けた論客でした。大学時代、世界を変えようとした学生運動の理想と挫折を経験し、やがて人類が迎えるはずの来るべき世界を具現化する思想として建築と都市というテーマを見いだしました。

 経済原理や、一部の芸術愛好家のためではなく、すべての人間が幸福にいきられる状況としての都市、そして建築。それを実現するために今、我々はなにをすべきなのか?それが彼が追求した、すべてでした。

 僕が大学の博士課程の学生だったころに初めて出会った彼は、バブル経済に浮かれていた当時の建築界を憂い、輝くような建築の、そして都市の未来について、熱っぽく語ってくてました。その後、実際に設計を手がけるようになっても、ノンポリで、いたって暢気に絵を描いていた僕は、会うたびに彼にしかられたものです。「お絵かきをしてるだけいじゃ建築家はダメ。個々の人間が幸福であるために、その総和としての社会が幸福であるために闘ってこそ建築家なのだから」

 建築業界といえば、談合や賄賂といった金にまみれた世界と思われがちです。けれども、僕たち建築家のいる世界に、こんなに熱い思いを抱き純粋に生きた人間がいたことを皆さんに知ってもらいたくて書きました。
 金のためでもなく、ひたむきに建築の、世界の理想を追い続けた男の本当に早過ぎる死を悼んで。合掌。

(写真:大島さんが友人を3人連れて千万家を見学に来て撮って写真)

●以上新聞 ゲラ版の写しでした

大島哲蔵さんの追悼集会は名古屋7月13日場所不明大阪7月27日一心寺で行われるそうです。詳しい内容が分かりましたら掲示板に貼りますが、お近くの方は参加いただければ嬉しいです。



6月24日 梅雨の晴れ間にて雲おおく風もあり足下が冷え

22日から23日角館木匠塾の審査inをして昨夜戻る。チョイト呑みすぎて・・疲れが出ている・・ようなダランとした気分。



22日夜明けとともに角館に向けてmy車で出かける。この1年収入が全くなくなったので旅費・食費にも事欠いている.。そこで人間旅費・人間食費を発明してその方々と共に今年の審査in会場を目指した。こころよく人間旅費・食費を引き受けていただける方々に感謝しつつ・・一人の便利さとつまらなさを感じつつ・・明け方の福島から13号線普通道を北上する。

米沢あたりでバケツをひっくり返したような土砂降りとなり、ワイパーの頑張りはなんの効果もなく前方がほとんど見えなくなる。今年の審査in会場は雨かもしれないなーなどと思いながら天童の道の駅ふうパーキングで朝食をすませる。天童あたりから、東根市にかけてはサクランボの産地で道の両側にある。サクランボ畑のビニールのキラキラした屋根が、農家の方々が季節限定の芸術家になってインスタレーヨンを施したように、抽象的なラインを山裾に描いていて、面白い。このあたりはニホン一のサクランボ生産地なのだ。そして今が収穫期本番。真っ赤な実をたわわにつけた枝が雨に打たれて重たそうーに枝を垂れている。葉の深い緑と実の鮮やかな紅色の対比が雨の軌跡のなかに美しい。

山形県内は雨ばかりでノロノロ運転のmy車。今年の所用時間は6時間を越えそうだなー・・秋田県に入り湯沢あたりから小降りになり、空も明るくなって来て雨が上がる気配。通勤時間帯になるとノロノロ状態で車は多くなるはで・・朝のラッシュは計算していたのだが・・土砂降りの雨を計算していなかったので、予定より1時間半多く費やした、11時半に角館町に到着。

人間食費・旅費の方々と共に小雨の中で角館町にある武家屋敷を観光する。梅雨の時期にもかかわらず観光客の姿が多い、観光バスで訪れる団体さんなども見える。

武家屋敷の中でボンヤリ木々を眺めていると、町の老紳士が通りすがりになにやら話しかける。「この木は宮沢賢治が苗木をカナダから取り寄せお手植えした木なんだ」白い百合の花に似た花を5月から6月に咲かせるので百合の木と言うんだそうで、木の講釈とその木の存在を教えてくれる。あまたに存在を知らせるとたちまち土地が荒れてしまうので観光ガイドブックには載せないのだそうだ。百合の木は目通り50センチぐらいで高さは20mぐらいあるのだろうか下から見上げると枝葉が空を覆い隠していて天辺が見えない。

宮沢賢治とその屋敷の息子が同級生縁でこの地を訪れたとのこと。外国モン好きの宮沢賢治らしい話でああるなーと思いながら、大木となったその幹に手を当てて聞いてみたがごつごつとした木肌が「そう間違いない」と応えた。
百合の木の葉は人間が身につけるハンテンのような形をしていて、その明るい緑のハンテンが梅雨空を覆い隠しているんだと想い見上げると「宮沢もなかなかいい男じゃないかー」という気分になる。通り過ぎる観光客は木のことなどに気にもとめずに土産物屋へと吸い込まれて行く。

角館観光を午後1時頃で切り上げ花葉館の審査会場へ向かう。会場周辺は小雨が降っている。2時10分会場集合。自主参加の学生さん達は80人程はいるような感じ。課題は炊事場周辺の整備。審査員も勢揃いして2時30審査開始。今年の参加大学は八戸工業大学・東北工業大学・県立秋田大学・日本大学。それぞれの作品説明と質疑を終了して審査会から講評会審査発表。今年は東北工業大学の提案が最優秀となり10日ほどのサマースクールで実地作品を完成させることになりました。作品の詳細はいずれHPのPを作りWEBにアップしたいと想うので書きません。

審査会は今年も私の意見をみなが受け入れてしまったような感じで決まり、なんとなく困った審査員達だなーと内心思う
私の審査に対する考え方は3点ほどである。学生さん達の将来に役立つこと参加学生が協働で作り上げることができること計画の提案が魅力的であること。それでも優劣が決まらない場合は私の直感が美しいと思うこと。
 
美しいということは提案内容に至る思考過程が美しい。出来上がった姿が美しい。出来上がった作品を介して訪れる人に美しい動機を与えるなんてことです

審査会で当たり前のように語られた耐久性や工事金額オバーはあまり重要ではないと思っているわけで、極端な言い方をすれば大野一雄さんがつい最近新潟で演じた「花狂い」の建築版「建築狂い」のようなパフォーマンスでもいいと思っていたのでした。

最優秀に選ばれた案は第一回の投票では2位だったが、その後の話しあいで1位をひっくり返してしまった。私は寝返ったりしないが、ひっくり返ってしまう審査員の態度とひっくり返された学生達の気持ちを考えて、とても気分が悪くなってしまった

審査会終了の後控え室で人間あんま機に背中を押していただき、何とか気分を立ち直らせて、6時半からの参加学生さん達との食事会に参加した。

負けた悔しさで涙を流す学生さんを見るのは今年も辛い。あの建築家の渡辺豊和さんは、建築界のリポビタン男と称されるだけあって元気だ・・学生の涙を処置してくれてるので安心。秋田大を引率した板垣さんとはあまり話せず残念。食事会の後宿に帰って、渡辺豊和さん、事務局の内田さん、人間旅費・食費さん達と深夜まで呑む。うー呑みすぎた。

63才の渡辺さんは2年半ほど前の我が家での建築あそび時より「さとーあたらすぃ建築発見した・・」などと超元気になっている。新しい建築を発見した・・ほんとかなー・・とても元気にエジプトのコンペ中だそうです。先日亡くなった大島哲蔵さんの追悼会を来月末大阪の一心寺で開くからと誘われる・・旅費がないしどうしヨーと迷う。「俺より早くしぬなよ・・」と言われる、人間旅費・食費うなずく、生きれるとこまでしか生きる私自信がない・・

先ほど事務局の内田さんからメールがあり少々気が楽になると同時に困る・・
以下メール一部写し

佐藤さま
昨年に引き続き、今年も角館木匠塾の審査員をやっていただいて
ありがとうございます。
佐藤さんの、審査員としての判断・コメントの的確さ、学生に対する
やさしさに満ちたことばなど、改めて、さすが、と感じました。
佐藤さんに参加していただくと、審査の安定感が格段に上ります。
他の審査員に対する影響力が大きすぎるかもしれませんが、それは、
受けるほうの問題ですね。
建築フォーラムの担当者として、佐藤さんに依存してしまっているのは
申し訳ないと思いつつ、今後も、是非、関わっていただきたいと思って
おりますので、宜しく御願いします・・・・・・・。




6月21日  夏至 いい天気

この1月ほどアレコレ思案していた千万家の多次元フォトコラージュのNO1作品が完成した。!(^^)! 100枚弱に整理したスライドスキャンデータをシナリオに添って、一枚一枚繋ぎ合わせるのは楽しくもある。「あぁ・・この間に少なくても数枚写真が必要だなー」なんて反省してみたり。また「完成写真と模型写真をもっと激しく合成したいなー」なんて想ったりするのだが、写真を合成するソフトが使いこなせないので、テクをくしたフォトコラにはなってない。

全部一直線につないで、最初と最後をつないだからループになった。どこから入っても延々と自動回しのフォトコラになった!(^^)!。逆回しにするとスケッチから完成へ、順序正しく回すと工事の時間を追い完成へそして模型スケッチへと辿る。

それぞれ部屋毎に時間を攪拌して写真を選ぼうと思って作り出したが、これは以外に難しい。資料不足の上に観る方が混乱を来す・・ことが予想されるからあきらめて、NO 1フォトコラ作品はは素直に各写真ワンリンクのみの仕上げとした。

早く田中さんに送って、WEBにUPしたいのだが・・メールで転送すると迷惑になるだろう。1ファイルの中身はそれぞれの写真とテキストなんだが17MGにもなってしまう。写真は全部で3MGなのに何故かつなぎ合わせると17MGと拡大するんだなー。送る方法を考えなくちゃ・・。

昨日大阪から大島さんの追悼文の原稿が送られてきた。見出し「ひたむきに理想を追い続けた男」20世紀的な雰囲気を醸し出して充分に大島さんを書き表した文書とタイトルだなーと思った。少々時代錯誤的ではあるとは思うが・・建築に対して理想的に生きていたいと思うこの頃であるし・・・「それは理想だ」と思うからなおさらに・・・、逆向きのベクトルを自分の中にそだてつつ・・あるのに確認出来る。27日に追悼文は毎日新聞大阪から出る。


明日は角館で木匠塾の審査inだ。自主的に参加される学生さん達の熱意に応えて元気で審査しようと・・それのしても今年の審査員はばらけた人間が配置されたものだ。それはいいことだ・・。



6月19日 梅雨の晴れ間でいい天気だ

このところワールドカップ観戦中ー・・。日本は負けちゃったけど韓国はベスト8・・イタリアに終盤に追いつき、延長戦後半ひっくり返して2−1で勝ち。粘り強かった。ii試合だった。今月末の決勝戦まで7戦、全試合みることができるかなー

風が強い。仕事場の大きなパネルが倒れてきた。アルドロツシのポスターが破れた。1995年の4月から5月にかけてATCギャラリーでアロドロツシ展のポスターである。大島哲蔵さんが送ってくれたものだ。
 ロツシ展が開催されたいきさつは知らないが、大島哲蔵さんも主催者の一人だったのではないか。三宅理一さんによると「訳が生硬でロツシのダイナミックな思考の展開が読みとり難い」と評されてる(建築の書物/都市の書物p53)ロツシの「都市の建築」を福田さんと大島さんは共訳していたからだ主催者になってたんだろう。イタリア語も理解できないしロツシの建築も詳しくないので評が正しいかどうか判断できないけど、生真面目な大島さんの事、評は正しいような気がする。

大島哲蔵さんの葬式のため大阪へ出かけたのだが・・葬式ではシンミリだなーと・・・予想に反して多くの人と知り合いになった。大阪で焼き肉を食って、ダベッタリ、ワイギャーと呆れられ知り合いに。名古屋と東京に寄り道して知り合いになる。福島では日々ぼ〜んーやりして、生きて居るので人に会わない引きこもり状態。で仕事もままならない死んだ日々状態を続けているんだが、嘘を言えば福島での出会いの10年分ぐらいの人に一晩で出会ってしまうんだものなー。

死それはいいことなのかもしれない、他者は私にとってとても興味深い存在だからね死によって人が出会うのはいいんよ。私が言葉を発するといろんな反応が返ってくる。多数の人と出会い話していると面白いよ。
 
 福島に戻り知り合いになった人にメールをばしばし飛ばす。知り合いになったばかりの方の掲示板にグリグリ書き込んだりして遊んでいる。真剣に書き込んでいる。どっちでもいいや。
そんなことして大島さんのおかげで大勢の人・人と縁ができてしまった。死を嘆いても仕方がないけれど、人が死ぬのも悪くはない。だから自分が死ぬのも悪くはないと思って、福島に戻ってmy妻に「死んだら葬式はやんなくていいけど、会費制でみんな集まって大縁会(宴会)をやてくれ」と言った。my妻は「それはいいかも」と言って笑った。泣いてる場合じゃないよ・・生きて縁を作り 生きてる時のみ・・楽しく生きるのがいい。
せめて生きていた時お世話になった方々への大きな迷惑兼恩返しで大宴会。これだね。

葬式なんて言うのは自分が死んでるわけじゃないし、悲しいのは自分が生きているから悲しい感情も沸いてくるってことだから、悲しみを楽しむこともいい。楽しみを馬鹿馬鹿しく楽しむ方が私は好きだ、それにお天道様に申し訳ない。人が死んでも私は楽しませていただくアホ人間になろう。

自分の死恐くも無し。お姉ちゃんに会えない・・触れることが出来ない未練は残るのだろうか・・

つまらねーとこ書いてたら電話ダー
大島さんの追悼文(建築家の松本正さんの文)が来週、毎日新聞に載る予定だそうです。ありがとう・・感謝 感謝

千万家を見学に来たときに撮影した写真を使うらしい。毎日新聞大阪本社学芸部の西村さんから「メールおくるので写真が千万家かどうか確認してほしい」との依頼電話が今し方あった。川合健二さんのドラム缶建築の前での写真なら私が撮った写真かもしれないし、大島さんと千万家かー・・相変わらず縁があるなー

藤本壮介さんに速達で講演の記録をHTML形式にしたフロッピーを昨日速達で送った。今頃着いているだろうか・・。校正すんだらWEB・UPするよ・・今夜はサッカーはお休みのようだから、フォトコラージュ作らなくちゃーといいながら遊んでるだろうなー

pm3時毎日新聞(大阪)からからメールで写真の送付あり・・千万家で撮った写真と確認したよ。なーんて便利な世の中になったんだろうか、myHP覗いてメールしていだき、その場で即確認・・便利便利・・・便利はいいことかー距離の問題はとにかくさほど大きな問題じゃなくなったねー来週紙面をさいていただけるとのこ超感謝です



6月16日 明るいけど空は曇りだ

昨日から福島競馬が開催したようです。サッカー好きの人間これから2週間中継を見逃せないよ。福島競馬は真夏が似合うと思ってるんだがね・・その思いが強いのは、小学4年生ぐらいまでは開催の毎に祖父に連れられ、福島盆地特有の暑〜いスタンドで冷た〜いボンボンアイスキャンデーをなめながら競馬場にいたもんだ。カンカン照りの中でレースが終わると穴あきヒラヒラの外れ馬券の紙吹雪が一斉に空を埋め尽くす・・そんな記憶が見に染みついて福島競馬は夏だなんて思っている。
成人してから福島競馬場へは新装なった数年前にスタンドを見学かてら行って磁気処理された馬券を1枚買ったように思う。

梅雨場の開催になったのはいつからか知らない。現在馬券一枚いくらなのかもしらな。馬好きの祖父の馬券の買い方は渋くて複勝馬券一本やりだった。現在は馬番1・2着や1・2・3着を予想する馬券まで有るそうでよりギャンブル性が高まっているようだ。渋い複勝なんて馬券はあるのだろうか。

祖父の競馬好きは親譲りのようで、正しくは馬好きかもしれないけど、昭和初期に競馬馬を持っていた父兄弟の影響が大だったようである。夏場の農繁期、どんなに忙しくても開催日に競馬場行きを決めていたなー。私は競馬好きの血を受け継いでいない。競争馬はとても美しいー・・と思うけど。馬券を買って楽しむ気持ちが湧かない。

これから1月ほど福島競馬は開催されるのだろうし・・開催日の朝夕町中はラッシュ、チョイトは人が集まり街が混ザルするかも

11日のこと その日は晴れ

南泰裕さんの建築は下高井戸駅の傍にあった。現在工事中とのことで昨夜(10日)南さんから、入場許可をいたいたんで、ワイワイ仲間4人とでお邪魔する。
 待ち合わせ時間は10時・・ちょい過ぎちゃった。南さんはすでに現場に来ていてアレコレ指示を出しされたいた
 戸惑ったが迷惑を省みず現場へ突入して内外部をウロウロ。鉄骨造・一部二階建て住宅とりあえず二世帯合体建築・・だな。進捗状況は一様ではなけど内部仕上げも始まりザット7割程度かな。

東西に長い(20mぐらいか)建物で西のみ前面道路は4m弱か。敷地奥の東南の一角が3階建と高い。子供部屋かもしれないなー。全体は一つの建物に見えるが実は2世帯住宅。1階中程で通路のようなものを挟んで西と東にわかてるいる。

西側の家は玄関を入る6帖ほどの和室・南に同様の板の間。西南に張り出した台所兼食堂。西北に玄関や風呂洗面所かな。小さな家。

 中ほどの建築を分断するような通路は同時に北側の幅2mほどのアプローチ部と南の庭を結ぶような感じ。内部のような外部のような玄関のような雰囲気になるんだろうか。

東奥のもう一軒の住宅は通路ふうの玄関を登ると(玄関の框は奈良の古民家の材を使っている)庭面が居間。居間の北側に風呂洗面所など。居間の西側に掘り炬燵付き和室。和室南に階段を挟んで書斎のような8帖ほどの部屋。和室北側が台所。和室の2層の大きな吹き抜けになっていてその吹き抜け周りを2階の廊下などがぐるりと巡る。

敷地東奥にある2階は南側が洋室のような子供部屋のような10帖程のオープンルーム。吹き抜けを挟んで洗面所。吹き抜け西側は6帖ほどの通路のような場があってその先にモノ入れを持つ広いデッキ。デッキは屋上庭園へと続くー。2階内部はそれぞれの床を段差によって処理され反時計回りに徐々に高くなって3階に至るようだが、3階への階段はまだ据え付けられていなかった。

 デッキから西へと延びる大屋上庭園は超キモチイイー。敷地北側にちょいと離れてはいるが風防壁のように高層のマンションが突っ立ているのが見える。敷地全周100mほどかなー・・木造二階建てや平屋建てだから当分の間「この屋上気持ちイーなーは保証されそうな。昨夜は縁台で寝たしこんな都会の屋上で寝るもいいなーそんな開放感がそこにはある。100程南を東西に走る京王線。時折の電車の行き来する音が聞こえてきて楽しい。

屋上庭園の西南からは大きなスロープが下り、1階の庭に下りるとの説明。スロープは設置されてなかったがスロープの下は駐車場とか。図面を見せていただいたが総ベタ基礎で平屋簡単建築の基礎に比べると工事費がかかってそー、屋上庭園で荷がかかるんだね。

ザット機能的な説明をするとそんな感じ。親子二世帯の住宅らしく将来は西側にある家は借家を視野に入れたとか。なるほど。

全体の印象は構造とプランのズレ・素材の新旧のズレ・周辺環境とその住宅のズレ・大地と建築が生み出す空間のズレ・そこかしこに放置されてる違和感がそのまの表現になっていて楽しい。

建築にたいする南さん自身の内にあるある種の違和感を素直に表出してていい感じだなーって、勝手に解釈しました。まだ出来てないから、私の勘違いかもしれないんだけどね、勘違いもまた楽しい。

細部は違和感が素直に表出してるんだけど、全体の空間構成が大胆だね・・L型ボリュームの組み合わせっていうかな・・。東奥の住宅の意表を突く空間構成っていうのかなそれが、楽しそう。南さんの意図とは全然違って気を悪くされるかも知れないんだけど、大阪芸人的真面目さと、その面白さとでも言い表したらいいんでしょうかね。タマネギをむいたら実が出てきたみたいな楽しさだね。

大言壮語を語る建築家や野心タップリの建築家の多く出会ったが、飽きて来てるこの頃だったけど。

私的な楽しさを生きてるような印象を持つことができた建築家に私は会ったことがなかったので興味深かったです。流行のミニマムやライトコンストラクションと異なり、知的遊戯を真剣に実践してる建築といってもいいかもね。構造や仕上げ用素材の構成とそれらとの全体の関係はこれからの課題かもしれない。そんな印象を持ちながら現場を離れました。南泰裕さんありがとうございました。感謝

建築あそびのゲストとしお迎えしてお話をお伺いしたいもだとおもった。



6月15日 曇り

昨夜の記念すべきワールドカップ予選通過の日本サッカー代表の面々は明るい話題を日本中に振りまいていたね。TV観戦者数もモノスゴーイ数のようだし・・地域の経済に貢献してるようだ。日本が勝ってスポーツの力 爆発中!!

戦い方も面白いね。前半ノンビリ・・相手の体力を消耗させてから、後半速攻するという、日本の梅雨の特性を生かしたなかなか上手い戦略を立てての戦い。チョイトはゴタゴタ国会の面々も見習ったらどうなんだーと言いたいが・・体力も気力もないジジイ達じゃーなんともならんかー・・銭や欲に絡まれて、むちゃくちゃしてるねー。スポーツのように単純には行かないのは分かるが超ダサイよジジイども。

戦いぶりは3試合とも同じだったね。昨日もそうなのねーで前半は居眠りTV観戦、後半は早々に1ゴールで引き分けてもいいやの楽々ゴロンチ観戦 。楽勝。アルゼンチンやフランスの怒濤のゴール責めを見てしまった後では何となくノンビリしてんなー・・楽珍だなー観戦。奴らと同じグループじゃなくて良かった。これも地元の利ってやつなんだろうか。ロシア戦を見逃した私は幸運かも・・話によると後半はナガーイナガーイ胸苦しい程の守りだったとか、見なくてよかったよ。

 私にとっての予選は手に汗握るような感じはなくて、一杯飲んでの楽珍観戦となっったね。それは1戦目の1点先行されてすぐ返した・・鈴木のびょよョーんゴールがドーハの悲劇をかき消し、今年はなかなかやるんじゃないかと思わせたもんだ・・予想もしてなかった予選通過とあいなり、まずは目出度し。明るーさを身辺に振りまいてくれたね・・。


10日の夜のこと
kuniチャンとの道でばったり出会いでエディフィカーレの会に潜り込んで、聴衆の一人になった。入り口で今夜の寝床を共にすることになった、mo〜・ox・cxさん達と会った。yuukoさんも我が背中においでだ。寺田さんと名刺交換。ぐるりと演台を囲み聴衆は100人チョイオバーってな感じなんでしょか。

大田氏による活動史10年の紹介の済み、各自自己紹介と進行中の仕事などの説明を聞く。それぞれに活発な活動を展開中である。五十嵐さんの「新宗教と巨大建築」のオモロイ本の源はこの会にあったのだと知る。また10+1を乗っ取ったのか吸収されたのか、分からないが、とにかく深いつながりがあると知る。

10+1の1号は大島哲蔵さんからいただいた。そのご5〜6冊いただいた。そここで山中新太郎・槻橋修を知って、面白いと思ったんだな。10+1で名前を知った五十嵐太郎さんとは道で会った。面白いから3人を我が家にお招きして話を聞かせていただいた。その時の建築あそびの記録が残されている。なるほどーみんな10年ほど前からの仲間だったのねー

現在・・山中さんは邑楽町のコンペで入選された。槻橋さんは建築文化でNo problemを連載中。五十嵐さんは書必要も無い。あえて書けば健康管理を心配しちゃうほどの八面六臂の活躍。

今回の発見は奈尾信英さんの「建築図における表現手段・論理・経験の歴史」ポンペイからデコンストラクションまでの綺麗な図像の紹介と興味深いお話。南泰裕さんの現在工事中の建築。残念ながら大川さんの住宅の意図・・でも何が面白いのかは分からなかった。大田さんのエジプト建築はとても面白い切り口だとおもうし大切なことなんだが、それを実現する方法を知らない私は話は・・楽しいけど、実現するのは楽しくないなーと思ったスラム救済作戦・・美談だけどどうなんだろうなー。

お話の終了後ロービーにて多くの方々を知る。

その後二次会は12人ほどであろうか原宿のイタリアンレストラン呑むダベル。目の前に南さん。隣に大成さん(妹島さんの事務所を経て独立)山中さん。呑んでだべって真夜中となり山の手線の電車がなくなるーの声で駆け出す。ところで何処に寝ることになるの・・かわからずも走る走る。明日は南泰裕さんの建築現場10時待ち合わせだー寝るぞー急げー・・

山の手線外回り終電で池袋まで。池袋駅前からタクシーで小石川の末田さんち。だれの友達なんだー・・かわからないー・・まいいかー・・4人で押し掛ける。末田さんはバイクで先回りしていたようでアパートに着いていた。末田さんちは5階の部屋なの。ワンルームの中を2分割して窓側に縁台が・・部屋の中に忍び込んでいる。縁台の下は物置になっていて、藤本壮介さん計画の住宅を思い出す。縁台の上にはPCが設置され傍には布団が敷いてある。手作りの電子枕などある。私は電子枕を借り縁台にごろりと寝る。奥半分はダベリリンブの間になっている。藤本住宅そのものーって感じなんだなーこれは。

末田さんはPCや電子的仕掛けを使ってコミュニケーションを豊にすることを考えているようなんだ。私は大島さんの葬式疲れもあってか起き出して話気力もなく、遠くに若者の声を聞きながら寝てしまう。堅い縁台と塩ビパイプの枕は快適だった。末田さんありがとう・・(^ii^)・・

 11日9時ごろスッキリ目覚めてサー・・南さん建築見学ダー・



6月14日 曇り 数日前より福島も梅雨入りしていたらしく曇り空と冷えた空気が足下にまとわりついている。夕べはセーターを着てTVサッカー観戦 をしたほどに冷えた。これから1月以上は梅雨空が続くだろうから冷えて体調を崩さないようにしたいものだ。

10日のこと
名古屋の道家洋さんの仕事場で目が覚めた。起き出して道家さんとお茶を呑みながらダベル。道家さんは亡くなった大島哲蔵さんの弟子と言ってもいいだろう。
 大島さんは20年ほどかな・・名古屋でも書店を開いてた。そこに集まる客などと洋書の読書会兼翻訳会開催していたようだ。書店の歴史同様にほぼ20年間続いていてようである。
 道家さんはその会に学生の頃より出入りしていて、建築関係の何冊の本を協働で翻訳し、出版会社に持ち込み出している。そんな永い付き合いのなかで大島さんから悪影響を受けてつつ・・成長してしまったんだ。大島さんに会わなきゃいい青年になったのだろうがと、思うところもある。チョイ前は面倒な青年であったが私は好きだった。特に私は彼の書く文章が好きだ。建築文化の洋書評を書いていたから知っている人がいるかもしれない。

彼は福島に来たこともある。box11が竣工した年。my建築を見学に来たんだ。大島さんと二人で来た。事もあろうに台風に乗って、名古屋空港から小松の方に飛ばされながら・・さながら、線路のないジェットコースターに乗ったようなサービス付きで福島空港に着いたと、ゲロゲロ言っていた。
 福島空港からアポ無しで傍のBOX5へ押しかけて茶をいただき、名物の蕎麦を食った。やがて戻り台風が福島にもやって来て、土砂降りの雨の中でBOX11を見学してたのを覚えている。

その夜は岩瀬湯本という秘湯に浸かり、会津の栄螺堂を見て裏磐梯を通り福島市内に入って、その間ん延々と建築の話をした。メールは忘れたころに届いたぐらいで、彼とは会う機会もなくなっていた。

大島さんと彼はある建築の設計を切っ掛けに距離を置いていたようで、この数年は彼と大島さんと私が同席することは無かった。大島さん葬式で久しぶりに見た。すっかりいい感じの大人になっていたよ。傍に居たんだが気がつかなかったよ。

彼の仕事場にある模型を見ると素直に今のいい建築を受けとめて設計しているようで何より、アート作品も数個創っていて、1作品に買い手がついて売れたとか。羨ましいね。クワぁーとした名古屋の地で気負うことなく生活しているようだ・・余計な心配をして損をしたと思った。

10日の昼飯は名古屋名物・味噌かつをおごっていただく。感謝。本物はかつを味噌ダレに溝浸け状態にしたものらしいんだが、その店の品は味噌ソースがチョイトかけてあった。私には美味かったよ。

味噌カツをいただき名古屋駅まで車で送っていただき新幹線で原宿へ。4時30分に頃着く。10日の夜はエディフィカーレについてのお話を聞こう。エディフィのメンバーは五十嵐太郎・石崎順一・大川信行・大田浩史・槻橋修・奈尾信英・南泰裕・山中新太郎さん。建築あそびに、お招きした面々は学生時にエディフィカーレの仲間だったのだな・・。彼らの活動の軌跡を聞く絶好の機会、もう無いかもしれないと思ったからだな。これも大島さんの粋な計らいと言うもので、大島さんの葬式が無かったら、参加することはなかっただ。

 表参道をブラブラ会場に向かった歩いていると、アンレマー・・kuniチャンじゃー・・オメヘンけーと声をかける。無視されたが、追いかけてkuniチャンっうーたら、ようやくkuniちゃん「わー宗教勧誘と思って無視したんよー」・・そうか・・怪しい者なのねー。kunちゃんは今日の会場へ資料を届けて、原宿妹島建築を見学しつつ現在進行中の改装現場の家具選びとか。(kuniちゃんは我が家に来たことがあるし千万家も見学してる。)
 ワンワン言いながら付いて行く。ガラスにフィルムを貼ってモアレを生みだしそこから原宿風景を取り込み拒絶する仕掛けでした。そこはオシャレな家具屋でして、懐かしーい倉俣家具の数々に再会。アクリルに薔薇の埋め込み家具は無しだたけど3階まで登って来ました。妹島建築初体験でしたー。


開演まで2時間ほどあるので、傍のレストランで、私ビールを飲みながら、ダベルダベル。申し込んでいなかった私はkuniチャン電話の計らいで招待入場できることになった。満員御礼状態でダメカーとも思って原宿に来たんだけど、来て良かったなーと思う。

すっかり入場出来ることが分かると、腹が空くもんだなー・・で傍の餃子屋へ。宇都宮の餃子屋の話に花を咲かせたが、この餃子屋も安くて美味いジャンで・・あっという間に6時になる。

エディフィカーレの会場へそろそろ行こうかkuniちゃん・・

続きは又・・南泰裕 建築 初体験 見学話には なかなか辿り着かないナー




今日は6月12日 曇り空だ

9日のことから

大島哲蔵さんの葬儀場へ向かう深夜バスは8日の7時40分に福島駅を離れ郡山の駅に一端寄り、磐越道を西に進み新潟から北陸道に入り南下して大垣ジャンクション・・名阪高速道へ入っていたようだ。

近鉄京都駅前に着いたのは6時前だった。福島の夜明けよりは日射しが赤くてチョイト遅い夜明けだ。薄赤く染められた京都の街を抜け再び見覚えのある入り口から高速道へ入る。府境にあるトンネルのあたりで寝込んでしまい。気が付くと難波のオーキャットビル内の高速バスターミナルだった。

まだ6時前で、米子や関空や岐阜方面のバス待ち客がチラホラ居る程度。この近くだと言うから大島さんの弟子真由美ちゃんに電話したが厚化粧でもしてるのか、1時間待っても迎えにこない。その間ベンチでごろ寝。

2階仕立ての高速バスは私の1階の1席が空いていただけだった。寝ている間に京都へ着いちゃうのでとても楽珍。料金は大阪まで1300ほどだった。

難波に着いて知ったが予約満杯の大阪東京間3800円という超安値の高速バスもある。だからバスを乗り継げば大阪までは片道1万円に弁当まで付いてまだお釣りが来と知る。時期によっては飛行機でも往復25000円ほどだけどアクセスのための交通費があるのでやはり高いものにつく。

真由美迎えにこない・・電話すると、焦った様子で「後・・15分から20分」と答える。コリャ1時間かも知れないと思いベンチでごろ寝。30分ほど経ったろうか、いい女になったなー真由美ちゃん現れる。泣いてる・・大阪弁で泣きながら喋っているのでチョイト理解出来ない話もある。「めっちゃー哀しい」と涙をぬぐう。私が死んでも20代前半の真由美ちゃんのような若い女は泣かないだろうなーと思う。

ライトブルー・メテリックに輝く真由美ちゃんの車は育和会館を目指す。奇妙な名前のイクワ会館。あの世にイクワのだじゃれに当て漢字かも。

会場に9時に着いた。葬儀は11時からだ。小さな葬儀会場に私と真由美ちゃんだけだ。イクワ会館の2階で喪服に着替えて、20帖ほどの1階葬儀場へ。黒いリボンの額の中で横縞のセイターに身を包んだ大島哲蔵さんがこちらを見てる。遺体は祭壇の下にしまい込まれているので、対面することが出来ないのである。線香を1本つける。線香の煙がユラユラと立ち上がる。外は快晴にもかかわらず風が強い。白と黒のストライプがうねっている。こんないい天気では涙も直ぐ乾いちゃうよ。あの世での大島さん、相変わらすの皮肉屋である。

式場で一人ポツンと待っていると最初に哲蔵さんのお母・和子さんが来て哲蔵さんの最近の様子を聞かせてくれた。遺体を発見したときの様子の話。死因は気管支肺炎。数日前に家に帰って来て体調を案じて言葉を掛けると「俺のことはかまってくれるな」と言い切っても珍しく「今までわがまま放題を許してくれてありがとう」と感謝の意を表して帰って行ったとか。「気管支肺炎なんてものはキチンと治るものを・・」と和子さんは涙を拭い嘆いている。私は大阪に行く度に豪華なお母さんの手作り朝飯をいただいた。大阪の大勢の建築家を紹介していただいた。観光地や美味い食い物屋に連れて行っていただいた。浄土寺浄土堂や二川の川合健二さんの自邸も案内していただいた。明石のたこ焼きも二人で喰いに行ったものだったと思いだしていた。

「哲蔵は姉と妹に挟まれた優しい子で男と男に挟まれた女の子だったら良かったのに」と和子さんは話している。哲蔵さんの姉さんは傍で弔電をテキパキと整理して葬儀屋に指示を与える。「姉と共同戦略を立て教育ママゴンに立ち向かったよ」と言う話を思いだしていた。

生命保険会社の重役さんの家に生まれた哲蔵さんの幼少期は高級車に乗って外食や旅行にお出かけするリッチな家庭生活、神戸の高級住宅街でのプチブル家族生活送ったと聞かれていたものだ。育ちの良さと姉妹に挟ませて育つ環境は少なからず哲蔵さんの心根構築していたろうよ。お父さんについては「頭のいい男だけが大好きでねー生命保険会社の重役のくせに、自分は生命保険に入っていなかった」と笑って語っていたのを思いだした。

11時の葬儀開始近くになっても風は相変わらず強い。真由美ちゃんと二人だった会場は黒い服を着た男や女達で埋まっている。30人限定とお母さんからの申し入れだったので通夜と葬儀に振り分けてあったのだそうだが、哲蔵さんの教え子達は無視して集まっている。若い男・女が すすり泣いている。読経が続く中参列者焼香と無事葬儀は終了

哲蔵さんのお姉さんのお礼の言葉・・「子供が3人育てたが居場所が分からくて・・残念だ」とのこと。哲蔵さんのお子さん達は「父の日や父の日父の墓知らず」って言うことになるのかなー・・。「弟哲蔵が 何をしていたか分からないけど、参列の皆さんは弟の意志を受け継いでほしい・・」と、お姉さんの言葉が快晴の天空に響き渡っている。聞いているのが辛くなる。私の周りにいる建築家の米田明さん・新田正樹さん宮島照久さん道家洋さん藤木庸介さん みんな泣いている。参加してる学生さん達も泣いている。こんなに天気がいいのに悲しい。

葬儀に参加してくれた みんなの手送りで大島さんの遺体を霊柩車に乗せる。さすがに悲しい。こんな澄み切った青空・快晴のいい天気には似合わない。

出棺を見送り真由美ちゃんの車へ近大教授建築家の歌一洋・佐伯新和・藤木さんと乗り込み火葬場へ。道に迷い遅れて、最後に遺体対面出来ず。

待つこと2時間。神戸芸術工科大学の 木村 博昭教授御夫妻と久しぶりに話をする。ワイワイワイワイ

お母さんからお骨拾いの許可が出たので40人ほどの仲間と哲蔵さんの骨を拾う。タップリある遺骨と骨の解説をしてくれる火葬場の職員の手際の良さに悲しみがかき消える。

火葬場を後にして初七日の法要に参列。帰りかけると和子さんが呼び止めるので数分言葉を交わしたが、いたたまれないので大阪を早く離れようと思う。

哲蔵さんの古い名古屋の友人の神野さんの提案でホルモン屋へ。名古屋、大阪の最も親しい哲蔵さんの友人達と焼き肉と びーる で大島さんを語る。悪口良口みんな出る。
「遺体を見たがアイツ大島かー」なんて言ってるヤツもいて同感する。近頃名古屋のカリスマ美容師にかかり、坊主頭にされた哲蔵さんだったようで、髭なんかも蓄えているたからなおさらそう思った。

ジャジャン呑んで、ジャンジャン喰らう。ここはホルモン屋「空」なんだ。小一時間呑んで喰って、哲蔵さんの古いスタッフ千恵子ちゃんの車で名古屋へ突っ走る。車中哲蔵さんのことは思い出したくないので千恵子ちゃんを口説く。隣の道家も煽るねーで、名古屋に着く。道家さんの行きつけの飲み屋で呑む。シンミリしてわ良くないとの計らいで道家さんが、モヒカン頭の写真家yutakaさんを呼び出す。yutakaさんと裸で踊る。今日は互いにフルチンしないよ。深夜まで呑んでいると眠気が襲って来たのでモヒカンyutakaと分かれ道家さんの仕事場に倒れ込み寝る。ぐっすり眠る。



6月8日 今日もカンカン照り

大島さんが亡くなって一昨日から大阪の人達と連絡を取り合っている。昨夜は遺体の存在場所さえ分からず、大阪に行ったら良いモノやら遠慮すべきななのか、ウロウロしてしまった。お母さんかが疲れ切ってるようだなので密葬。じゃ遠慮しようなど・・方々の友達が連絡をくれたので話が錯綜していた。

きょうの昼ようやく整理された。通夜は今日の7時からで、葬儀は明日11時から東住吉の福祉会館でと決まった。どちらにしても今日は間に合いそうないので葬儀だけ参加して骨を拾ってこようと思う。11時なら朝一電車でも飛行機でも間に合わないだろうから、深夜バスにした。切符の予約もできたので今夜の7時40分発の高速バスで出ることにした。明日の7時には難波につくらしい。そこから真由美ちゃんの家が近いらしいので着替えをさしていただき葬儀場へ行こう。

準備をし終えたいましがた 作品集が送られて来た。青森市で開催された集合住宅のコンペの作品集だ。大島さんが私の名前で作品を提出していたからなのだ。通夜の日に届いくとは大島さんもナイスな計らいである。今日はこれをネタに話したかったのかもしれない。生きていたのなら長電話になっていたことだろう。

さー出かけよう



6月7日  pm11時今日もカンカン照りだった。

 24時間前に大阪の大島哲蔵さんが亡くなった知らせを、名古屋の道家さんから電話連絡をもらった。にわかには信じられなかったけど、日々の言動から死ぬ気だなって思っていたからそんなには驚かなかった。真由美ちゃんや新田さんや宮島さんと電話で話した。肺がかなりいかれてていたようで、そのことはお母さんも本人もご存じたったようだ。分かっているけどさぞ辛かろう。

葬儀などのことは今みんなで話あっているそうだ。大島さんのお母さんは憔悴しきっているようなので、密葬になるような話だ。

西宮なのか芦屋なのか神戸港の汽笛がよく聞こえる大島さんの実家には何度か泊めていただいた。大阪方面に行くときは必ずお世話になっていたし、世界の建築の話しを沢山聞かしていただい。関西の建築家を大勢紹介していただいた。大阪の街や面白い建築を沢山案内していただいた。

こうやって思い出すと、親切にしていただいたことしか思い出せない・・大島さんになにかして上げたことが有ったのだろうかと、記憶を辿るのだが思い出せない。

この数年は電子メールに変わったが、10年来FAX交換をして大島さんからの返信FAXが沢山残っている。こうなってみると死は生きている者の問題だと言うことがハッキリする。

今日はそんな知らせがあり一日ボンヤリしながら、藤本壮介さんの言葉を文字化してしまった。写真を貼りつけたら送って校正していただこう。

2日のフォトコラージュのワークショップ作品が早くもWEBにUP。見るためのソフトが必要なのでHPの中にフォトコラ専用のPを作りwebにUPした。

第一番目のup作品。松丸真祐美さんの作品を観ることができる。松丸さんありがとう。私も急いでフォトラを仕上げます。とは言っても目がショボクなるので、チョイト時間をかけないと疲れるばかりで、いいのができないからお待ちください。

どんなに天気がよくても友達が死ぬと当然のように自分の死を想像するものだ。



6月5日 快晴 夏椿のが咲き始めました。掲示板に貼った。

建築あそびの事後整理も済んで、昨日から藤本壮介さんの言葉を文字化し始めました。半分終えたところで休憩して日記を書き始める。

 昨日もカンカン照りでした。事故に遭ったmy車の車軸から油が漏れているので修理工場行き。カンカン照りの中を自転車で年金の免除申請をしたり街に行ったりして雑事を処理。

税金をガンガン払っていた数年前が懐かしい。仕事のあるなしが激しーいい建築家・家業無いときは無しを気楽に引き受けて生きていく。仕事がガンガン来たらまた税金ガンガン払いましょう。

カンカン照りと寂れて行く既存の街の様子が好対照です。古い街が寂れて西道路に新しい街(?)が転生している。中間に住んでいる者としては街が分散して便利になった。町中の空き地は森にしたほうが気持ちがいい。だけど役所で植えた空き地のケヤキの大木は1本だ。街の間抜けな広場といい加減さを証すようにしっかりと枯れて来た。カンカン照りでは木も育つまへ。もうチョイ照り返しなど無くして水やったりして熱さから大木を守らないと、完全に枯れるだろう。近所の店の人は誰も大木を可愛がらないのかなー。植え替えれば工事は増えるだろうが税金の無駄使いというものだ。

転免許の更新通知が来たぞ、そかー違反してるから青棒(金棒から格落ち)になっているんだな。忘れずに更新しなくちゃ。

昨夜はワールドカップの日本戦を見る。前半ほとんどシュートしない、出来ない日本は負けるんじゃないかと思っていたら、作戦だったのね。相手をばてさせてカウンターを狙う日本人の体形に合わせた作戦らしい。1点取られ直ぐに取り返すあたりは以前の日本とは違う。成長してるー。2点目鮮やか。チョイト空白の時間帯に入り入り乱れたり、守備陣の入れえで乱れた隙をつかれ同点。幻の3点と幻のペナルティーエリアでの反則とで、引き分けでした。 ワールドカップで空席が出来ちゃったよ

韓国戦を見始めた・・気がついたら今日の朝だった。

2〜3日で藤本さんの文字化を済ませて後フォトコラを作りましょう。



6月3日 快晴である

2日夜は早々と寝てしまい、夜明けとともに起きて、ゴミなどを片づける。1日の建築あそびおよび2日のフォトコラージュ・ワークショップは大勢の方に参加いただき無事終了

31日
 夜事前打ち合わせ中に田中浩也・栗原誠さんが我が家へ。宴会・・1日早朝栗原さのおじいさんが亡くなったとの電話があり、栗原さん戻る。ご冥福をお祈りいたします

1日
 8時田中氏によるフォトコラージュの個人レッスン開始。千万家のスケッチから竣工時までの写真データをつなぐ。途中不都合が生じてこれこれ打ち合わせ。田中氏ソフトを修正する。

1時
ジャコチャーハンを作り始める。小林・野尻さん手伝いに来る。やがて口田さんも来る。お好み焼き・揚げ物・酒・サラダなど、口田さん60個のおにぎり担当。

4時半
藤本壮介さん到着。東工大塚本由晴研究室出身の藤村さん偶然同じ時間の新幹線で到着。ビール・酒でワイワイ話す。my長女到着。日大の若林・伊藤さん到着。

5時半
 すぎて仙台の、有元・石井。石垣さん到着。野尻パパ到着。

6時
仙台八重樫さんから電話でこれから出るとのこと、宴会を先にしちゃおうということになりテーブルなどを出して準備。宴会開始・・7時過ぎ、八重樫・菅波さん到着。

宴会ワイワイで私は長女や妻に酒を控えるよう注意される・・建築あそび用の酒は特別美味いのだー。だが講演もあるし控える。

8時  講演開始 
9時   チョイト休憩 
     親松さん到着
10時 講演終了 藤本さん御苦労さんでした

 東京から松丸さん到着
参加じゃ全員で深夜までワイワイ

AM1  時仙台組帰る
       雑魚寝用布団を敷く
AM2時 メールチェックに仕事場へ
am3時  若者みんな台所・食堂で相変わらずワイワイ
       私寝る
6時
若者ワイワイ組寝たようだ。私起きてチョイト片づける・

2日  8時 親松帰る

10時 朝飯の準備飯
12時 BOX12・BOX13・千万家を見学に出かける
pm 2時  千万家を題材にフォトコラージュのワークショップ開始
pm5時 ワークショップ終了 藤本・田中・藤村・松丸東京へ帰る

pm7時 my長女帰る

    建築あそびに参加いただいた皆さん感謝です
準備などに協力していただいたみなさんありがとうございました。

      藤本壮介さん長時間ありがとう
いずれ記録はwebにupいたします。秋は白馬で勉強会を予定してます

1日〜2日の建築あそびなどのザット記録でした