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   2002年3月の日記


3月 30日 曇り すこしだけ日射しあり

昨夜は雨だったが今日は暖かい風が吹いている。驚いたかのように白木蓮が一気に大きく花開いた。とても大きく見えるし風の抵抗が大きくなったようで、枝の揺れが激しい。フヤ〜ンフォーと揺れる

23日 続きの続き

上野公園で花田先生と菊ちゃんと夜桜見物してたんだが、大地の冷えが上昇してきたので、それでは花田先生の庭である湯島界隈へ行きましょうと、立ち上がる。

菊ちゃんは上野当たりに住んでたことがあるようで、上野公園や忍の池や湯島天神当たりの土地勘があるそうだ。そんなことを教授と話している。「ここから行こう」なんて進むと、人出が多くていつもの上野公園はすっかり変容しているらしく道を2度も間違えていた

満開の桜にぼんぼりを下げ、その下では花見を場所を確保したブルーシート。シートの上に行儀良く花見の客が収まっている。今年は不景気なのか歌う人、隣の花見客と喧嘩する姿が見えない。「今年は静かだね」なんて教授は言っている。以前はこの道を自転車をこいで東大に行っていたようである。坂道にさしかかると「この坂を漕いで上り切れたら体調がいいと確認していた」のと。50メーターほどで25度くらいの坂道は健康のバロメータの計器のようなのだ

 坂道を下りきると忍の池の東淵に出た。忍の池の真ん中にくねくねと折れ曲がった道があり、池の中程に弁天様のお堂があるなんて知らなかった。池の縁を柳や桜が囲んでいて、湯島あたりのビルはそれらの梢から頭を出している。菊竹さんの設計したホテルは奇妙なカタチで群を抜いて高い。外壁が白せいもあるのでそう見える。痛々しいことには外人に買収されちゃったそうで、バブルの塔は巧妙な外国資本に落ちたそうです。

その周りには赤や黄色の綺麗なネオンが付いてる建物が見える。ラブホテルも沢山見える。この春は忍の池を覆い尽くしていた蓮を淵から20メータほど刈り取ってようで、建物や桜が水面に映って揺らいでいる。「あっという間に蓮が繁殖して水面の絵は消えちゃうんだ」と教授が話す。

「今時分は桜の散る姿と柳の新芽の成長を同時に観ながらここを通過するのがいいんだよ」と教授。くねくね道は照明もないが池の周囲の灯りがココまで届いて丁度デートの散歩にはお薦めだと思った。

湯島の交差点にでて居酒屋をめぜす、ナイスなオヤジの店はカウンターが一杯であきらめ三四郎という居酒屋に入る。


酒亭「三四郎」は下町のお姉さんふうの方が迎えてくれる。カウンター席と座敷席の間にテーブルが2つほどあり、そこに決めた。
 3月2日に花田教授による「公共圏」について11時間ほど続けて講義いただいたがのだが、その時の音声を文字化し写真などを貼り付けて仮HTMLにし、打ち出したモノをを持参。第一バージョン西欧編・第二バージョン日本史編・第3・4バージョンワイワイ編の記録しておいたものを含め全てを持参してた。構成の仕方をアレコレ話て後呑み。

東島誠さんの著書「公共圏の歴史的創造」−江湖の思想へ−の話を伺う。菊ちゃん颯爽とノート型パソコンを取り出して、東島誠を検索。程なくでる。東大出版から出てる。江湖(ごうこ)・・日本では死語になってるようだが中国では理想の世界のような意味で使われているようだ・・中国のHPも見始める。菊ちゃんは中国も話せるようです。
     東島誠さんを覚えておくことにしよう。

そんな話をしながら現代バージョンを引き続き4月にとお願いしましたが、大学の用事が4月は沢山詰まっていて身動きがとれないとのこと。今年秋の建築あそびで花田教授に「現代バージョン」を話していだだくことにしました。たのしみだ。

 そのたワイワイ建築の話や大学の話日本史の話など方々に飛んで9時散会し、御徒町で山手線に乗り分かれる。

菊ちゃんとは品川で分かれる。手作りのお重ありがとうさん。余ったものはいただいて夜食にしよう。今夜は田中さんが講師をしていた多摩美の卒業式とかで、まだ早いので江古田駅近くに居る、my次男の所に足を延ばす。

突然my次男模様かえし始めたようで、扉を開けると荷物がアレコレ散乱しいる。片づくのには一晩掛かりそうだなー、明日はフォトコラのつなぎ合わせをしなければイケナイので夜通しで付き合うわけにもいかないので、新宿に戻る。お重の残り食べられちゃったよ。

新宿駅からとぼとぼ明治通りを南へ歩く、田中さんは先に家に着いていてメールを書いていた。そんな姿をみてると・・突然今日の午前中に撮影した原さんの家のスライド「撮れてるかなー」と無駄な不安が襲ってくる

 その夜は建築士の試験会場で製図の試験を受けていて、まったく手が動かなくなった夢を見る・・疲れる。

続きはまた




3月29日 曇り 夕方から雨が降り出した。

 桜の開花まではとても暖かかったが開花と同時に寒くなった。と言っても福島で桜が咲いてるのは我が家の庭先だけのようなんだ。建物に囲まれてるからか、仕事無しの主をいたわってか、知らないが、咲くのが毎年近所の桜より早いなー

夜中にメディア・デザイン研究所の飯尾さんから、WebSite 10+1 フォト・アーカイヴの仮アップURLが送られて来て、校正を済ませるチベットの密教寺院のスライドを約1000カツトの中から140カツトほぼ建築に関係しそうなモノを選んで送っておいた。その中から97カットほどwebに乗るのです。
 4月第一週に公開されるそうですから、公開されたら見てください。

 飯尾さんのスライドシュキャンの色調整は、私が毎週写真家でスキャンしてる色調よりグぅーントスライドの色に近い。スキャンした色を調整するのは、かなり技術が必要なんじゃないかと思っていたので、いい加減に処理してたんだけど、心構えを変えなければイケナイと思わせてくれる・・仕上がりでした。

 webは印刷物と異なるので何処まで色調整をしてるのかを専門家に意見を聞いてみたいものだ。 天才あらーきはどうしているのだろうか・・

そうこうしてると、田中浩也さんからメールで建築文化フォトコラージュのための追加要求事項が送られて来る。チョイチョイと書き込みメールする。

 メールでのやり取りは時間の節約に成るので、おおいに助かる。それに都内の人との仕事のやり取りなんだけど、距離感が全然苦にならない。

 多方面に渡り節約した力を現場をウロウロして取材・・いわゆるネタ仕込みにおおくの時間を費やすことが出来るので嬉しいと思う

 原さんちのフォトコラはフィルム3本しか持って行かなかったのが幸いして、その後の作業量は、カット数と比例するのだから、3本で良かったかもしれない。それよりシナリオを作って置かないとね・・、ややこしい事になるのが解ったのです。多次元フォトコラ作品で次元を大きく振り作品かする場合は、長時間に渡り用意周到にネタを準備して置かなければならないことがわかる。

千万家やBOXの資料はそれに耐えうるだけの量があるといなーと思う。なんんだか早くシナリオ書いてフォトコラ作品を作りたくなりて来た・・・。


23日 続き 上野の夜桜見物へ

 原さんの自邸を撮影した後、田中さんちで1時間ほど昼寝をして、花田教授と菊チャンと待ち合わせの上野駅公園口へ(そうだ作業に追われて花田教授にメールしてない(>_<))5分前に着く。

 花田教授6時到着。公園口は夜桜見物の人などで大変混雑じている。菊ちゃんが来ないので、「公共圏の現代バージョン」の追加講義を申し込む。教授によると4月は大学の事務手続きなどが煩雑で時間がとれないのだそうだ。そこで今年の秋に延ばして講演をしていただくことにした

 菊ちゃんは来ないのだろうか・・、電話してみる。どうやら手作りお重に手間取っていたようで、申し訳ない限りです。電話の後程なくして菊ちゃん公園口へ到着。菊ちゃんは手作りお重私は新酒の地酒を3本ほど持参。夜桜見物のメンツと物が整い早速上野動物園の方に向かい歩き始める。

 夜桜はぼんぼりに照らされて、紅をさしたようだ。満開の桜の下では人・人が宴会を始めている。広い通路からチョイトはずれた60センチほど高いとこを選んで、今夜の夜桜見物の場所に決めた。菊ちゃん持参のシートと英字新聞を敷き並べ、お重を並べ、新酒地酒の栓を開けると、ナイスな宴会の臭いがあたりを覆った。新酒うめー、お重うめー桜の香りとお酒やお重の香りがコラージュされて、この場でしか味わえない味に成っておるのでした・・。
   続きはまたにします

        
                    



3月28日 
          雲一つない快晴
昨夜から強風が天空を駆けめぐっていて、我が家の満開の桜の枝を折り花びらを地面に叩きつけた。寒気と暖気が行ったり来たりして一風毎に暖かくなるのだろう

  23日続き
原さんちを撮影してフォトコラを作り、建築文化のCD−ROMとして残すことは、原さん世代と同じ地平に立っていると自覚する建築家にとっては勇気がいる行為だと思う。私は原さんとは20才程年齢が違うし、建築に対する概念が全く異なるのでその作業に参加することはとても楽しかった。

もしかして・・原さんの建築概念を追体験出来るかもしれないとも思った。

原さんちをフォトコラすることによって、リアルな建築からスライドの中の建築そして、それをコラージュした建築、それらは建築行為を逆さに回転して辿ったかのような印象を得るから、概念の源へ辿り着くんじゃないか・・もしかすると概念そのものを知ることができるかもしれない・・。モット大げさに言えばフォトコラを見ることによって原さんち建築概念を辿る旅を共に体験出来るのではないかとも思った。進みながら見る逆回転の建築への旅である

建築の概念を多数の他者と共有することはとても困難なことだ。建築を専門とする間においてもそうなのだから、まして建築界以外の他者と建築の概念を知り体験すんなてとても難しいことに相違ない。

建築は言葉と異なり3次元の立体として存在しているので時間差が 有っても存在してる場所へ人が移動すれば、おおよその追体験が出来る。さらに進んで概念まではどうか・・。

建築概念を固定するためには言葉を用いた本作り・・スケッチによる2次元固定化・・又はリアルな建築を作り3次元へと固定することが手っ取り早い。それは永い時間を費やして行われて来たことだ。ここから先がフォトコラの特徴的なところでないか

3次元を体験した後4次元を共有するための道具がなかった。ビデオ映像による共有という方法は時間の中に整然と絵が並んでいて、見るモノはその時間から逃れることができないのだが、フォトコラソフトはそれを可能にしている。見るモノが選択、時間を自由に選択出来るので、あたかも現実に建築の中で視線を浮遊させるような体験が出来る。(撮影ショットが多ければ多いほどその感じはでる)

ここから先が面白いところなんで、浮遊した自由な視線をもう一度誘いつつ概念に迄誘導することが出来るのではないかと、フォトコラ作品をにらんでいる。

今回の原さんちは仕込み不足でそのことはおおくの人に感じてもらうことは無理かもしれなとは思っている。いずれキチンとしたフォトコラ作品を作りたい。その作品はフォトコラを通り越して、「多時フォコラ」、または「多次フォコラ」と呼ばれるだろう。多次元フォトコラージュの威力はそこまで制作して初めて「使いこなせた」「多事コラ作品が出来た」と言えるのである

フォトコラ完成作品と呼ぶには、手続き(シナリオのようなもの)と仕込みが映画のような作品より数段手間暇を掛けないといけない。しかしそれらを簡便にするためにPCなどがあり、・・PCがあることで、フォトコラソフトが生まれ出たのだから当然なことだ。


そんなことを考えながら昼寝をした。23日夕方5時に昼寝からさめ上野公園の夜桜見物に向かう。菊ちゃんと花田教授と待ち合わせて夜桜見物だよぅー

続きはまた後ほど



3月27日 冷たい雨が降っている

22日から今日の夜中に仕事場にもどるまで東京に行っていた。寝床は田中浩也さんのベットを横取り。起きては方々を徘徊してなにをやっていた。

家の庭には桜・杏・白木蓮が満開で綺麗に咲いている。冷たい雨との競演でいっそう綺麗で可憐に思える。

22日 高速バスに乗り新宿を目指す。田中さんの家に着き荷物を整理、撮影会の話をする。傍の定食や三平にて飯と焼酎を飲む。夜中までダベル



23日のこと

 8時起床、曇り空  フムー撮影なのに

小田急線にて原広司さんの自邸へ向かう。9時30分駅に集合。駅に到着順に

私と田中浩也さん、建築文化の神中さん、写真家の夏原新さん・高橋一平さん・石井順子さん・松川昌平さん、倉さんみんな 仲良く原さんの家に行く。

なんだ  みんなデジカメしないよ。見学のみなのね。

私と夏原さん、原邸の内部の白い迷宮に目眩を覚えながらシャッターを押してる。最初は夏原さんを意識していたようだった。撮影時間が2時間で、フイルム3本しか持ってない。2本内部・1本外部と決めてバシャバシャ撮る。45分ほどで終わってしまう、手持ち無沙汰なので・・まだ頑張る夏原さんを見てしまう。撮れてるのに不安になるの・・が不思議。
落ち着かせるための保険で・・
でデジカメをする。こんどは辺りかまわず押しまくり、230カットを撮っている。

と、原さんの家族が食事が済んだようで台所の撮影許可が下りる。どうしても撮りたい食堂と台所のために残して置いた4カットを撮る。ようやく原広司さん自邸のフォトコラ用撮影が終わる。ほぼ1時間半 あとはノンビリしてる。

駅前で昼飯 1時半。 新宿で皆さんと別れる。夏原さんとヨドバシカメラに行き現像依頼をする。2時半。

田中さんの家に戻り、6時に上野公園で花田達朗さんと菊さんと三人で花見をするので
チョイ時間があるので昼寝をゴロゴロする。



  27日の今 これから食材を買いに行くので・
後で23日と その後と26日までの日記を追加します




3月21 とうとう春分の日か
 曇り風が強い1日 気温が4月中旬とかで暖かい。風が吹いてるから明日は雨かな

明日夕方から高速バスで上京。で上京してすることの準備と整理していた。今ようやくカメラ周りの準備をのぞいて全部終了。

久しぶりに上京しようとすると、アレもコレもとやりたいことが沢山あって調整が難しい。無理をせずに2つの事に絞ることにする。後は出たとこ勝負で行こう。

昨日から我が家の庭の桜がチョイト咲いた。一部とは言っても3パーセントぐらいだろうが、開花しました。去年より早いのは全国なみだよ。面白いのは建物にヘバリ付いてる枝の蕾の方が早く咲くのだ。建物から離れると風当たりが強くて寒いので、蕾もこらえてるのかもしれない。白木蓮も建物よりの蕾の開花が早いのだった。

上野は桜が満開らしい。いつもなら3月下旬なのに、去年は花が長持ちしたけど、今年は暖かなので、一斉に咲いて一斉に散るのかもしれない。上野の桜は久しぶりだ。



3月19日 日中晴れ 夜10時頃強風吹き出しそして今雨が降ってる

2日ほど家を空けてたら庭の白木蓮桜のが一斉に開きだしてる、思わずデジカメを向ける。白木蓮の蕾の数は空を覆い隠すような数と大きさ。花の数は去年の倍もあるようで咲いたら花で枝が隠れちゃいそうだと言っても嘘にも聞こえない程

3月2日の花田教授の第四バージョン(深夜みんなでワイワイ編)、2時間チョイの文字化がようやく夕方終えた。ホッ・・これでテープにある記録の文字化は全部済んだ。やれやれ、キーボード叩きもだいぶ進歩したようで、時間が思ったよりかからなかった。

講話の内容が建築の話しだと人の名前や建物の名前を正しく聞き取るのに苦労するんだけど、今回の講話は名前がほとんどでないので、調べる時間が少なくて済んだように思う。

これからは校正などを済ませて記録保存するだけになった。次回の建築あそびの講師も偶然当てができた。

公共圏と言う言葉は建築家渡り職人説を支持する私としては多いに普及して頂きたい言葉だ。日本には勧進聖という建築家にして組織者の存在があった。代表的なひとは空海や重源だ。特重源についてはモット広く知られてもいいのではないかとおもっている。もちろんそのたの勧進聖のそんざのことも。

19日は仙台メデアテークに行って、卒業設計の展覧会と審査会を見学。建築を審査したり、指導する者の責任は重いなーって思う。学生さんの作品評をして「甘い」発言ていうのは無責任なんじゃないか・建築家は自己表現すればいいとするのか社会に対してなにがしかの役割を発見して提案する人間となるを目指すのか、その場合は社会という言葉の定義を正確にまた多様に議論して身につけさせさせなければ成らないだろう。

そのいずれもが審査会に参加していて明確になることは無かった。勉強する気がない怠惰な学生はやめてしまうしかないのはいうまでもない。イギリスを最近訪ねた大島さんの話だと、AAスクールの講師の日本人評は「怠惰と訳されるのだろうレージー」ということだそうだ。これはしたり・・個人の内的世界が怠惰では共同態としての社会は怠惰に成らざるを得ないということか・・何に対して、私が生きる育てる社会に対して怠惰なのだ。

来月からはいよいよ食い扶持稼ぎをしないとイケナイなーと思う春の1日



3月16日  花曇りのようだ、気温が上昇して大地から水蒸気が沸き上がって大気に霞がかかったように薄ボンヤリとしてる

昨日建築会社の社長が来て話を聞いた。仕事がほとんど無いく市内で仕事がある建築会社は天下りをくまなく受け入れてる会社のみだそうだ。社長の会社は4月にはいると休眠体制を敷かざるをえないのだそうだ。「仕事を作らねば・・これこれしかじで仕事が作れるんだーとか・・と」うんちくを述べた。何のことはないあらゆる補助金をかき集めた自社建築を自分で施行して手に入れようという話であった。一石二鳥というわけだ。なんとまー

 口利きビジネスにまつわるニューズが大きく報道されているのだが、変革期にあって最後の悪知恵噴射なのか・・・いよいよ建築界に大鉈が振るわれ政治・行政・業界の関係が壊れて新しい建築圏が生み出されるのか、不況を契機にマスマス一部の建築業者に税金建築が牛耳られて、建築が食い物にされるのか興味をもって眺めているところである

 地方の業者は仕事はお上がくれるものと思っている。そのように業界を飼い慣らして来たのは政治家と行政なのだ、もちろん黙って眺めてる市民の責任もあるかもしれないが情報が公開されていいないので、それは言えないだろう。いわゆる情報の非対称化ってやっが存在してるんだから。

 現在の不況は建築業界がそれらに飼い慣らされて来た結果の喘ぎなのだ。そんな状況下でまだまだショボイ事考えて私服を肥やして、脂ぎった体と顔をさらして生きて行こうとしてる。人間とはなんとどん欲な生き物なのだろう。チョイト退屈で淋しい話であった。これからも役所などと建築業界のこのような関係は改善されることはないのだろう、何カ年計画で方々に税金をつぎ込む計画が公表されているのだから。

全く税金建築が姿を消して一気に業界が潰れて新しい目を吹き出させると、大きく変化することも予想できるが、そうはならないだろう、より保守的な動向が現れて巧く立ち回る人・人の思う壷に収まってしまうだろう。


話は変わるが

HPを開こうと準備に入ってそろそろ1年が経とうとしてる。ADSL回線になるまではWEBサーフィンもしてなかたが、回線を手に入れてから方々のHPを見るようになった。机に座っている時間が多くなっていた。

HPを公開して後、配慮したいと思うことは、自分のリアルな身体からHPのPを作り出したいということだ。HPは便利であるからWEB上の情報をなぞって切り張り加工してもPを作ることが出来る。

そのような手法はコピーを幾度も繰り返すと、ザビだらけのコピーのようなもので、たまーに魅力的なコピーが出来るかもしれない。それは退屈だしおもしろくない。毎日デジカメしたり、スライドを撮ったり、文章を書いたりして、ウロウロリアルな時間と空間を行き来しなけえば、生きてる気分がしない。リアルな時間の中に身体浸しそこから多くのPを作りだしたい。そうするとネットの便利さとは裏腹な身体的な作業を省略するワケにはいかなくなる。

建築遊びの記録公開を例にとると、講演内容を理解することは当然なのだがそのほかに当日の映像・音声の保存をキチンと確保する。次に保存した音声を文章化する。文章をよんでデジカメ映像の選別・加工・貼りつけて読みやすい見やすいPをこしらえる。校正をして頂く。訂正してWEBに乗せる。とザット作業を書いた。作業はいずれも自分の身体を使うしかないのである。

より細かい、些末な情報を多く採り入れたほうが当日の建築遊びの場の雰囲気を再現することが出来るようなのだ。

この自分の身体時間を多く使ってPを作り出す作業はとても鈍くさいように思えるが、WEBやネットと自分の良い関係を、よい距離感をた保持するためには、鈍くさいwebのための作業を沢山することだと思った1年である。



3月14日 晴れ 日中はぽかぽか

雑用で街へ自転車で出かけたら暖か-いのなんの・・陽気は暖かいけど、旧市街地の店はシャッターおろしてる店おおいし、地上げで空き地状態の場所もあるのでガラ空ガラ空って感じ。人通りも少ないの。銀行に行ってもがらーんとしてる、平成の大不況ってやつなのか・・経済的に今が底なのでしょうか・モット底が深くなって鳴りやんでしまう街になるのかな・・

そんな街を暖かな春の日射しが照らしていた

街の真ん中にある信夫山では2日連続で山火事があり、上空をヘリがブルブルバタバタと音をたてた飛び回って消化作業をしていた。芽吹くまでの1月ほど乾燥が激しいかもしれない。花粉も飛びそうだなー。

街や山を眺めながら仕事場に戻る。

10+1写真アーカイブ用のスライド整理をはじめる。もつとたくさーんあるはずなのに整理がわるいので見つからないよ・・グエしょうがないねーでは・・

チベットのラサ(神の地)にある大昭寺・ポタラ宮・セラ寺・デプン寺などを主に整理する。1993年3月の旅行したもの。

チベットのラサへは上海へ飛びそこから中国四川省の成都へ飛ぶ。許可が下りるまで成都観光。許可がおりて成都からジェットで2時間ほどでチベットのクンガ空港に着きます。ラサへは寒いー道を車で数時間でした。

空港周辺の高度3650m前後で、周囲がはげ山ですから山が太陽にあぶられると急激に温度が上がり乱気流が発生するので、発着は危険です。ですから夜明寸前の視界が良くなるのわずかな時間を利用して飛行機が発着します。飛行機が来とおもったらトンボ帰りです。

だから真夜中から飛行場に行っていないと・・で眠い眠い。その上高度3650mですよ・・富士山の天辺ですよ・・酸素が薄ーい。飛行機の扉が開いた瞬間・・高山病にかかるのんだね。飛行機の扉が開いた瞬間、高山病にかかり倒れて、トンボ帰りの人もいるとか。

ラサでは高山病にかかるのですね・・。入浴・飲酒は禁止ですし、頭イターイで夜寝ることもままならず、街の観光としゃれ込んで眺め歩くこともなかなか慣れないとつらーい・・面倒です。

ついつい自転車を改良して出来た力車に乗る始末でした

ラサ周辺の寺院の配置は金剛界曼陀羅のような平面になっています。平なら金剛界曼陀羅平面の寺院巡りならたやすいのですが、・・そおうでもないよなー地形に合わせた金剛界曼陀羅建築で激しい高低差を内包してる平面ですから、当然階段が多くなってます。で昇り下りも・・たまらなーいのです。

高山病の症状はこんな感じです。ラサは非常に乾燥してるので血液中の水分が少なくなります、その上高度が高ーくなるので平地に比べて非常に酸素が少ない・・慌てた大脳君は心臓君へ頑張る緊急命令を出す。当然脈拍が多くなります。外部が乾燥してるので体内からは水分が蒸発してますので血液濃度がコイークなっているのです。濃い血液をドンドン送り込みますから脳内血管が強度に圧迫されて、超頭イターイ・・イテーになる病でした。

対策としてはヤクバター茶(僧達が飲んでいる)などによって水分を補給する、ジャンジャン補給する、立ち小便したくなるほど呑めばいいのですが、いくら飲んでもそうは成らないほど乾燥してます。やっぱり水筒は必需品です。お寺でヤクバター茶を振る舞ってくれた僧もおりましたが、漢人のガイドが付評判がよろしくないようで、寺では歓待されないのでした。だから自分でホテルからお茶を水筒に入れてもらうのがいいのです。

水分補給はそうしておいて、激しく貧乏臭く動き回らず・・年中休んでお茶を飲むのが良い作法のようです。紫外線はかなり強烈です。地元の人の顔は真っ黒に日焼けしてるのです

各寺全体が都市のようであり巨大な迷路状になっているので同じような繰り返しです。時々仏像が現れたり曼陀羅絵が現れたり、中庭に出たりして迷宮そのものです。

 基本的に密教建築ですから何でもゴジャ混ぜで吸収して成りたっているのです。周囲の自然とも混成してる。入れ子状といってもいいかな・・。

何度も寺を出入りしてると、体の内部に入ったり出たりしてるっような感覚が襲ってきます。燭台でヤクバターを燃やしているのでしょうか、ネットリ感とお乳の臭いがするので、体内を思わせるようです。

140カツトほどにスライドをまとめて送る準備がようやく終えました。10+1の写真アーカイブにふさわしいかどうか分かりませんが、周囲と建築を両方見てほしいものです。

アジアで生まれた宗教建築ですから、強い拒絶感を持つ人がいたり、親和感持つ人がいたりするかもしれません



3月11日 快晴

 朝早く建築士かいら電話があった。士会を出ようとおもっていて、脱会届けをもらっていたからだ。傍まで用事があったので士会に寄った。そこで今までの活動報告記録をいただいて眺めたのだが・・私の興味があるところは・・・私性の豊かさの飽くなき追求や向上のようなものであって、社会全体の豊かさの底上げというようなものではないので・・ベクトルが違いすぎるなーと思った。

今流行の町づくりなどの活動報告が載っていた。それはそれは大変結構です・・と言っておかないと・・変人視されちゃうのだが、随分とんちんかんなこと・・と思った。クサシてるんじゃねーや・・て受け取られそうなので止めるよ。多様な活動は歓迎するが・・とだけ言っておこう。

でヤッパり退会することにする

その後買い物等を済ませ3月2日の花田達朗教授の講演内容を文章化したものから、HP用のPとして作成し始める。

取りあえず第二バージョンの日本編までのPとする予定だ。

文章化して思った第3バージョンの「現代における公共圏」 を静にしていて・・教授に語っていただけばよかたなーと後悔している。そこで急いで追加講演会を開く段取りをしたほうがいいなー・・・とキボードを叩きながらそう思った。

花見・と地酒新酒勢揃いつき講演にしよう・・教授の都合も聞いてないのに・・

教授の話は腑に落ちることばかりだった

私的領域とか親密圏と呼ばれる空間や場所や事が豊に成ることが・・とにもかくにも肝要・・かを語られたいてのでした。パブリックと言う概念はブルジュアの私的な領域から生まれたと考えるべき・・私的領域を豊にすることはパブリックを豊にする温床。社会にとって大切なのは私的領域の豊かさであると言うようなことです。

私はあんまり公共建築に興味がなくて・・個人の住宅ばかり作ってきた。

あんたのやっていることは個人の住宅だからできるんだという批判を何度も聞いて・・それは違うと言って来た。その論拠がハッキリしてないかったけど、花田教授に論拠を伝授していただいたよ。だから文書化の作業はそこを再確認 する作業にもなっている。

my建築の作り方がそれほど間違っていなかったとも思った。今後の活動の理念を手に入れたとも思うことができた。詳しいことはPの完成してから書くことにしよう。



3月9日 快晴

我が家の桜の蕾が固いからを脱ぎ始め、内部から緑の衣を覗かせてた。三月も半ばにさしかかりと草木は本格的に春の準備を開始して、大地から一斉に水分を吸い上げだしたようだ。その運動が、桜の枝の小さな蕾において目に見えるように現れている。

今週なかから3月2日の「建築あそび」で講義していただいた、「公共圏について」の花田達朗教授がのこしていった音声を文字化していたのだが、今日ザット第二バージョンの日本の歴史上における公共圏にっいてまで文字化が済んだ。ザット流し聞きで文章化したのが済んだ。もう一度聞き直して校正して、写真などを貼りつけ、花田教授の校正を受けると、webで公開出来る。

勢いついでに第3バージョン宴会編と第四バージョン深夜編をどうするか思案中である。

公共圏という言葉は花田教授の観念を誰でもが理解できるように言葉として花田教授が 発明言葉である
話のなかでもあったように公共圏という概念には二重の二面性があるという問題をうけとめて理解するような態度が必要で、そうしないと無用な混乱を招くかもしれない。

その二重の二面性とは
    理念上の公共圏 と実体の公共圏

    現実態と 可能態 としての公共圏
詳しくはwebに記録を乗せるまで待ってもらうことにします。

3月2日の感想を参加者の方々が掲示板に書いてくれています。ありがたいことです。こんなに遠い福島まで来て頂いて感想まで書いて頂きまして感謝・感謝です  m(_ _)m  

当日は公界のような空間が(公共圏あそび)が生まれていたようです。毎度毎度の、年齢、社会的地位など関係なしの建築あそびでしたが、混乱もなくホットしています。そのなかで言論の自由ていうことがあるべき姿で生まれつつあるようにも思います。

建築あそび
はこれからも回を重ねて、参加者と多くのことを共有出来るように豊かな実態としての公共圏にしていきたと思いつつ、将来の可能態の建築あそびを想い描きながら・・・欲深く校正をしているような案配です

いい天気でした。 



3月8日 曇り で寒い

花田達朗さんの講演「公共圏」についいて、第一バージョンである西欧における公共圏について6日からテープ起こし(文字化)をしてたが8日夕方終えた。んで・・第二バージョンの日本編に突入した。

ブラインドタッチが出鱈目なので時間はかかるが、それでもだいぶ早くなってきたかな・・。



3月5日  曇り雀がさえずっている、野鳥だって巣作りの準備をし始めてのだろう春なのだなー、日一日と日照時間がながくなっている。

1日から準備を始めた2日にひらいた花田達朗教授を囲んだ建築あそび、会場に溢れちゃう程の予約だったが、幸いに参加出来ない人がいてなんとか入れたような案配でした。難しい話なので・・どうかなーと心配していたのだが、今日掲示板を見ると、それぞれの方に有意義に受けとめて頂いているようで、安心した。

昨日まで後か片付けをしていて、日記も書けなかったし、写真館の掛け替えも出来ていない。2日の建築あそびの内容は時間を見つけて、花田教授の講話内容は文章化して、なるべく早くwebに乗せたいと思っているが、まとめてボンヤリと書いて置こう。

 1日 の事

2日なにを食べるか相談。ひな祭りなので、やっぱりちらし寿司に蛤のスープを中心に、いつも好評の鶏の唐揚げサラダ里芋大根コンニャクの味噌田楽などにしよーと。昨年末の仕込みのときから新酒生酒の予約はし、今年も美味い新酒と酒粕は確保して置いた。

1日は準備の手伝いに参加してくれる人一人であったため、食材の買い出しをする。昼飯を食べてから始めたが、八百屋、スパーなどを巡る夕方までかかる、食材の予算は一人1500円目標なのだが、やはりチョイトオバーする。

買い出しから戻り、早速下準備開始。里芋洗いからチラシ寿司用の野菜の刻みと煮詰め。

お昼に予約してた新酒や酒粕が着いていたの・・下準備を終えて当日いかに新酒を冷やすのかーと、方法に悩む、アレココレ試してみる・・が、いい感じの新酒揃えにならない。冷たくないと美味しくないしねー

そこでピッチャーという器を使い、ピッチャーを氷水で冷やすのが良いんじゃないかと言うことになり、10×25で深さ10センチほどの発泡スチロール製の箱を捜し出して氷水をこしらえピッチャーに酒をいれて試してみたら・・いい感じに冷えるので、この方法で新酒はいただく事にした。

次は甘酒を作る。酒粕をお湯でゆっくりとこしながら溶かす。まんべんなく溶けたら日本酒と砂糖を入れて味を調え出来上がり。暖かいままのんでもいいが、炬燵で冷えた甘酒もいいので、物置に置いてゆっくり冷やす。

これで1日の下準備は終わり




2日

3日の朝食用のパンなどを買い、2日の昼食の下準備をして福島駅へ。

11時51分まびこ119号で福島駅に着く予定の花田達朗教授とweb掲示板で親しくなった菊チャンを迎えに行く。
 快晴なのだけど今日は冷えるなーつぶやきながら階段を駆け上がり改札に行くと、改札口を通過しかけてる、長身の花田教授を見つける。挨拶をしていると、小柄で可愛い菊チャンがニコニコ笑顔で「サトサ」んと抱きついてきそう、嘘だよ。

オンボロ車で我が家へ向かう。花田教授は小学校生活を仙台で過ごされたので、修学旅行で裏磐梯と野口英世の生家を見学した記憶があるそうで、それ以来の福島訪問じつに約40年ぶりのようです。菊ちゃんは関西育ち現在東京住まいなので、福島は始めてです。

我が家に着いたら恒例の記念撮影。パロパシリとシャッターを切り、早速新、純米大吟醸・純米酒・本醸造酒の酒生酒を飲んでいただきました。

昼食のかき揚げうどんを食べて、アレコレ話をして、千万家・box13・box12を見学していただく。花田教授はマンションに住んでいて、商品哲学のみで出来ているマンションに日常的において強いストレスをおもちでした。千万家は敷地が広くてどうにも都会には向かないが、BOX13のL字形のプランが上昇する迷宮を大変気にいられたよ様子て、「3階L型三畳和室を間借りして住み込みたい」と話される。大急ぎでBOX12を見学して

3時半我が家に戻り講演準備をする。wtnv・さくら・モヤジ・モリ・Sさんなど参観者が到着していたのでした。みなさん遠いところからおいでいただき感謝いたします。仙台組は「佐藤工業の倒産騒ぎで来れない」と連絡あり。郡山の学生組は夜になると連絡ありましたが21時〜3時まで参加していただきました。

4時講演開始。 一部「ヨーロッパにおける公共圏」について1時間半の講義。2部「日本のおける公共圏」1時間の講義。7時から一時間会食。呑みながらAM3時まで知的な興奮を伴いつつ、ナイスな話しあいが、乱れることなく続く。じつに会食をしながらとはいえ、11時間に渡るの講義でした・・先生の感想ですと美酒と清談・・初めて会った若い人たちでしたが、彼らとは「公共圏あそび」ができて、楽しい時間を過ごしました)・とのこと

個人が人生においてグラントセオリーを持つことがいかに重要なことなのかを、花田先生の明快な現代の政治や社会状況解説を通してのお話で、そのことを教えていただきました。建築あそびに置ける質問においては、参加いただいた個々人が抱える問題を整理して、進むべき方向への示唆を与えていただきました。それぞれの回答に至る、花田先生の姿に接して、若者にその論理の大切さと重要さとを証明してみせていただきました

日本中みーんな頭の中が理系化して行きそうな今の世にあって、とても貴重な体験でした。私の危惧に反して若者多いに知的興奮と知的エロスを感じていたようで、ホットしました。

AM3時半総勢11人雑魚寝をする。渋谷原宿周辺に済んでいる参加者が多かったため、あと4人ぐらい雑魚寝に追加出来そうだなーとおもった

 3日快晴

朝食を済ませ、kさんの案内で、花田先生・my長男・my長女・菊さんの6人で喜多方会津の酒蔵見学へ向かう

115号線の箕輪トンネルを抜けると、スキー客が大勢賑わうスキー場が飛び込んでくる。雪が道の両サイドに2メートルほどあり、寒い。

裏磐梯の五色沼を観ようと沼に向かうが、全面凍結していて、あの神秘的な色彩は厚い氷の岩の下に隠されてている。この時期にそう言えば来たことがなかった。今日は快晴なので呑気に歩いていることが出来るが、風ふいてりゃ真っ白な闇の地吹雪の世界だ。

檜原湖も全面凍結、ワカサギ釣りのテントが真っ白な雪原ににホッポとの絵の具を垂らしてように美しい

喜多方に入ると入澤医院を横目に通過。大和川酒造店の酒蔵を若奥様の案内で見学。10年古酒・いのちという名のお酒を試飲・・たまらない体験でした。傍の喜多方ラーメン屋で名物をいただく。

会津の末廣酒造店を見学。酒蔵特製のお酒を試飲、貴重な味に皆・・唸る・・うー美味い

6時し過ぎに郡山の駅に着き花田教授と菊ちゃんと別れる。

2日の建築あそびに参加頂いた皆さんありがとうございました、又参加してくださいませ。

 花田達朗教授に 皆さん 感謝いたしましょう  m(_ _)m