HOME     佐藤敏宏
      
   2002年 1月の日記


1月31日

晴れてたけどチョイト風があった

鼻水ばかり拭いているので鼻が痛い。でチョイト雑用で町に出た。道は恒例の年度末工事が始まったようで、交通規制に何度も出くわす。日射しは明るくて気分がいい。
 台所の昨年末、クリクリひっくり返って面白かったな・・咲き終えたシクラメンは、日に向かって薄緑の透き通った腕を伸び伸びし日射しに触れている

 雑用をおえた処で久しぶりに槻橋修さんに電話した。、昨年の11月初旬に六本木の工事現場〜青木淳建築[i」をAM4:00〜明け方まで案内し頂いて以来。近頃槻橋さんはHPの日記も全く書き込み無しでどうしてたかと思っていたが、D論を昨日発表終えたとのこと、あれからベリバリとD論や原稿書きまくっていたようであった。
 近いうちに会ってみよう・・。

フォトコラージュのワークショップを開こうと思っているので、学生さんやjさんの近況を伺おうと電話。彼女、修論書きの真っ最中だそうだがね・・息抜きしなよ・・なんてお邪魔虫。ゲロゴロ長電話して笑った。
 そうか年度末で、追い込みだ追い込みだ・有るモノは卒業設計だーと。終盤でバリバリフウフウみんなやってるのか・・修論D論卒業設計出来たら見せててくれよ。

年度末工事のように、方々工事中ってことだ・フォトコラワークショップは3月中〜末だろうなーと思う。

1月は五十嵐太郎さんの建築あそびの記録をwebに乗せることが出来た。参加した人は見てくれよ。そして五十嵐さんの建築に対する態度を学んで欲しいと思います。

1月日経アーキテクチャの原稿「地元の名建築」原稿書いたんだ。寝込んで請求書など処理 をすっかり忘れてた唯一の収入なんだから忘れちゃだめだな。2月4日の記事みてください。



1月30日

今日は体調ならしの1日であった。鼻づまりが治らないんだが、それ以外は問題なし、出歩いて風邪を移してもよくないだろうと・・1日にジットしてた。

HPのホーム目次に計画の箇所があるのだが、ほとんど手つかずで半年が過ぎた。模型や写真は沢山あるのだが資料の整理が悪くて、はかどらなかった。整理整頓が良くない我が身をチョイト反省。
 現実の人間と建築の関係に面白さを感じてしまうので、計画物や模型を眺めて、アレコレ考えることに力を入れてない事実もある。でも計画も自分が考えて来た建築であるから、そろそろ何とかしたいと、すっかり明るくなった日射しに手持ちの模型をかざして眺めていた

ようやく今日の新聞に舞台芸術賞に輝いた勅使河原三郎さん記事見つけた。記事によると「・・85年にカンパニー、KARASを設立。翌年バニョレ国際振り付けコンクール準優勝。・・」とある。

 ということは福島市市民会館での公演は86年の1月半ばの吹雪の中だったということだ。思い当たる記録をひっくり返しては公演が行われた年が何年だった、調べたいたのだが、ハッキリした手がかりがなかった。KARASは開所当時、勅使河原・宮田佳さんと二人だった。

 竹久夢二の「北方の冬」という絵の切手が貼ってある、87年に頂いた宮田さん写真と手紙によると、2年ほどの間に何度か福島に来てることがわかる。私も86年3月・等何度か上京して、一緒に遊んでいるのが分かる。
 86年は3度ヨーロッパに行って福島の温泉を思い出していた、とも書いてある。そうかなんども温泉に行ったナー。宮田さんのおじいさんは著名画家であり、お医者さんにして、俳句を家族で作られたいた。

宮田家の句集「だんらん」もいただき手元にある。勅使河原さんは、口元から生まれ出る音声そのものが詩であった。ですっか感じ入っていた。本物の詩人にようやく会えたなと言う想いを強くした。舞台構成はシンプルだったがダンスは若さと切れ味すごく、本物の天才に会ったとも思った。俳句は作っていたかもしれない。今のように坊主頭ではなかた。髪がピシピシいってた

87年の手紙の中の宮田佳さんの句です

 松とりて また一年を 暮すかな

 かなりやの 声まろび澄む 深雪かな

 KARASは今年、来年ガルニエ宮で上演される、パリのオペラ座からの委嘱された作品作りのようです。ルミナスの再演はその後になる・・活躍がマスマスたのしみになる記事内容でした。



1月29日

昨年建築あそびの講師に来ていただこうと思って電話してみたが通じなかったので断念してた。今年も詩人の片岡直子さんから年賀状が届いたので電話をしてみた。

電話じゃ・・気を遣うので・・HPやメールなどと・・聞いてみたが、HPやメールは使用してないとこのと。そうでしょうね。便利なわりには人間関係が煩わしくなりそうでからね・・詩作に良い環境を提供しそうないか・・と納得・・でも便利なめんもあるけど、使い方次第かな。

で今年の夏休みに頃に、詩の朗読や自作の詩についてのお話など、1時間半ぐらいで話して頂くことになりました。期日はだいぶ先なので・・ボンヤリ夏休みの頭当たりに建築あそびを開く予定にしておきますとのこと。

この夏の我が家で建築あそびの後、北軽井沢にある20年ほど前に篠原一男さんが設計されたの家へ行きたいので、場所を聞いて置いてくださいとお願いした。その家の持ち主である詩人T さんとお友達の片岡直子さんは、その別荘に何度か行っているのだそうだ。道順を覚えてないらしいので調べて置くとのこと、ほー私はなんど捜したことか・・今年の夏はその別荘に会えるかもしれない・・嬉しい目標が出来ました・・万歳です。

近々植田さんにお会いしようと思い電話連絡。改修中の書庫が後僅かで完成しそうとのこと。建築家の方々から頂いた手紙などを含める資料が山ほどあって、「わたしはそういうのを捨てきれないんでねー」とおっしゃっている。「そうですよね」とうなずく。
 取りあえず倉庫完成の時には伺うとして、今回は事前にどこかで打ち合わせいたしましようと・・2000年春に千万家で講演頂いた内容をwebに乗せるための校正などの件。今年の春先に多摩美で行われる毛綱展をまち、毛綱さんの話を福島でしていただくので、日程などを打ち合わせる予定。

植田さんの資料庫は宝の山だろうな・・と思う。



1月28日

晴れているようだ

24日の深夜から眠りに落ちて、28日の昼目が覚めた。8年前の半分だよとmy妻が笑っている。

チョイト熱があったのだが、以前の熱は40度チョイあって、生体遊離を体験して貴重だたが、そういう体験はなかった。生体遊離っていうのは、我が家のRCの壁をスイスイ抜けて外部へ出入りが出来たし、壁があるのに外部が綺麗に透視して見えたり、天井が満天の曼陀羅仏画に変わったり、自在に身体が移動出来ちゃうSFX映像より綺麗に動ける、寝てる身体とは別にもう一つの身体が自在に移動するんだね。寝てるといゆ意識はあるこの体験の中には汚い映像が出てこないのが不思議だった。

 そんな体験をすると体外は死んじゃうそうである。「おいお前危なかったなー」と慰められたことがあったが、この世の方が危険で、それほど・・その体験と比較するとこの世は美しくない・・と思ったことがある。

今回の熱は平凡チョイプラ熱であったから、面白い体験は無かった。強いて言えば夜昼の境が溶融いていたような、気分ぐらいだった。3昼夜溶融仕上がりてなもんです。

高温出たときなにが大切かっていっても、たまを冷やすことだねあ・たまとキン・たまの両方んの玉を冷やす。頭は水枕。

きん・玉は氷嚢を直当て。見舞いに来てくれる冷え性の白魚のようは手は格別にいい氷嚢変わり、で早速・・包んで冷やしてモラウのがいい

一人暮らしで見舞客も来ない場合がほとんどであるから、定期的に手を外に出してはmy冷え手によって、冷やす、ひやすのがよい・・禁令法。

これを怠ると、子種がつまり将来男性ホルモンの生産が半減してしまうから手を抜いちゃいけない。今子だねの数が多いからといってだね、手を抜いちゃイケナイ、50過ぎると効果があったことが、判明するんだよ。
 70過ぎたても毎晩頑張るオヤジにまけるワカにはいかないからね.
toma-


28日昼、目が覚めてみると、何にも変わらない世界が在る。4日ぶりの日記なんだなー



1月24日

pm10:00

昨日から風邪の症状が悪化したので、横になっていた1日。喉の痛みも消えたし、咳も出ない。少々熱があるかもしれないが平常に戻りつつある。
 夕方 福島市内の「地元の名建築」原稿が入稿しましたと、日経アーキテクチュア 宮沢さんよりメール連絡があった。ようやく入校したようで一安心しました。

●メール内容
佐藤様
 お世話になります。「地元の名建築」の原稿,先ほど入稿いたしました。 いろいろありがとうございました。 2月4日号に載ります
ので,宣伝してください。
・・・
●以上メール写しでした
早速にメールの一部を掲示板に貼り付けました。日経アーキテクチュア誌みて感想などくれる人いるでしょうか・・。2月4日に出る日経アーキテクチュア誌の中にある「地元の名建築」というmy建築レポートを見ていただきたいと思います

取材し建築は「福島県教育会館・安洞院 多宝塔・広瀬座・福島刑務所・CONCRETE BOX12」です。box12は住宅以外の自作建築を一件いれてもいいという事なので強引に入ってます・・(^^;)ii建築だと思うけど私は・・。縛りがないと全部my建築になっちゃうからね・・!(^^)!。全部で5物件の建築をレポートしました。
 それぞれの建築を紹介しましたが、原稿には字数制限があるので詳しく詳しく書くことが出来ませんでした。本が出版されていろいろ質問があれば、捕捉文章を書きたい。詳しい文書を書いて置いた方がいいかもしれないなー、ヤッパ。

 同業者との地元のHOTな話題もということでしたが、分からないので、ご辞退しましたら「建築あそび」についてどうですとの有り難い誘いがあったので、12月8日に五十嵐太郎夫妻との建築あそびの様子を写真入りでチョイト書きました。
そうだ、そうだ・・・前回参加者は五十嵐太郎さんの「新宗教と巨大建築」講談社現代新書を読んでくださいよー。my記録も読んでるかナー

風邪ひいたらお見舞いのメールが何通もありました・・あったかーい熱が伝わって来るんだねホンマに・・ポッポホッポ・・と。

ゴロンチとニュースをみてたらNGOがらみで田中外務大臣と宗男議員のいざこざが報道されていた。田中潰しか、昔の怨念が噴出してるのか知らないが、見ててなんともお粗末な、お話の内容であるから、外交大丈夫なのと・・思ってしまうね。雪印の肉すり替え税金搾取のお話も嫌なもんだったが。

日本の2つのNGOの代表が外務省から東京会議の参加を拒否されているとの報道があったが、こんなお粗末な内容で喧嘩してたの、政治ってそんなものか・・。

無政府状態にあるアフガン全土に世界からの支援金を平等にまんべんなく配り、国の再興を支援するなんて口でいうのは簡単だがどうやって実践するんだろうか。つい先日まで戦闘してた土地で、地雷は沢山うまってる、武器は持ってるし、治安が悪いだろうからなー、だれが襲って支援金や物資を横取りにやって来るやら分からないよな情勢とかだ。

私たちからみたらみんなこまってそうに見えるが、どうやって困ってる人を見分けるんだろう、何度も同じヤツが支援物資やお金を受け取るくるかもね、そこを阻止しまんべんなく支援する方法は日本人がヒョイと乗り込んで行って出来るようなモンデもなさそうだ。

 ヤツパり、タリバン政権下の役人達を使うようになるンだろうからなー、無政府状態から脱出して平和な日常を手に入れるなんて、チョイトの時間では出来はしないだろうな。

明治維新の時っはどうだったんだろうか。終戦直後の日本はどうだったろうと思う。
闇にまみれて私服を肥やしたヤツは沢山いたんだろうなー

喧嘩してないで、キチンと支援が出来るのかどうか、管理する方法を構築して欲しいものだな・・田中追い落とし劇なんだろうが、こんな時そんな追い落とし劇してんじゃないよと思うゴロンチニュース鑑賞の感想でした



1月23日

pm 5:00 の書き込み

鉛色の雲が天を覆っている。昨夜からの風邪が本格化しているようで熱っぽいなー。馬鹿は風邪引かないはずなのに・・・

AM6時に目が覚めたが喉の調子が悪く、鼻の穴や喉がカラカラ感でカラカラ・これは風邪引くなとおもたので、寝ていた。10時におばあさん風の間違い電話で起こされた、がドウモに喉が痛い。でベットに潜り込む。

方々が痛い。pm2:00痛みが一段落したので起きて飯を食いお茶をのんだら、汗だくになり、下着を取り替え仕事場へ来てメール開示板を観る田中さんサンノジェで楽しそうです

大野一雄さんが「」という作品で特別賞・勅使河原三郎さんが「ルミナス」という作品で舞台芸術賞を受賞。第一回朝日舞台芸術賞でのこと。

勅使河原さんは野田秀樹とグランプリを争ったとのこと、残念だが、いずれグランプリを射止めるだろう。

寺山修司賞は伊藤キムの「激しい庭」とのこと。

でお祝いのFAXを送った。めでたし・・めでたし



1月22日

pm4:00

日射しが明るいが天空は冬特有の鉛色の雲を引いている。

昨日からアフガニスタンの復興を支援する会議が東京で開かれているようで、ラジオから時々会議の様子が流れてくる。

20年間戦争に明け暮れ、地雷と難民や貧しい人々、食べ物にも暖に事欠人々を支援する会議も無事終了したようだ。復興1年目に必要な20億ドルのお金も集まりそうだとのこと、次年度からの支援金は今年度の支援金が確実に復興に使われた事を確認して、支援を表明する国もあり、なかなかに興味深い。

日本の2つのNGOの代表が会議に招待されず、新聞記事になっているが、判断出来る材料を持ち合わせていないので、不明である。


昨日読んだmy長男の論文明治初年における新政府支配と「地域有力者」』−酒田県・山形県尾花沢出張所廃止をめぐる動向から−を読んでいたので、アフガンの政治体制がどのように整っていくのかとても具体的に理解する手助けになった。

現代の日本の政治は明治維新と56年前の敗戦によって大きく政治や行政機構が変化したのだ。行政機構が戦前と戦後で何処がどのように変わったのか、変わらない部分はどこかなど、教育された事もなければ、調べる方法もなく、現状の政治機構を鵜呑みしいして、「いかんべーや」的に生きている。

my長男論文はアフガンの支援の会議がなけらばとても理解しにくいモノだったが、アフガンの政治や行政機構を今後どのようにして、構築していくのか、国際的な注目のなかで、アフガン再構築される現実が、リアタイムで報道されてることで、理解がすすむ

 国の復興のためにはタリバン政権下に雇われてた、旧来の官僚達を教育したり、土地の有力者を取り込んで教育したりして、国の形を徐々に整えて行くことになるだろうからだ・・人材がいないだろうからなー・・。
 確かにその中には民主的な行動を取らない官僚や、横流しをしたり私服を肥やす輩もでて来ることは予告出来る。支援金が確実に復興に役立つ事を見極める、システムと人員の配置が大切なことが分かるなど、興味深い事実か明になりつつ進展することだろう。国が崩壊して再構築するための大きな変化と努力の姿を見まもることにしましょう。

日本の過去においてはどうだったんだろうと・・。
 政治や行政機構が江戸から明治にかけて、どのう築かれたのか、地方にあっては江戸の支配者と明治の支配者達がどのように姿を変えたのか等が、my長男論文では未整理ながら、解明の緒に就いてるようでおもしろい。近世の組合村から近代の行政制度への転換において誰がどのうにして人々の要求を束ね混乱もなく新しい国家の姿にかえて現在につながって来たのかを調査して論ずることはとても重要なんじゃないかと思った。

戦前から戦後へかけても同様だ。行政・教育・などに関わる人々がどのようにして、木に竹を接いだのか、木に木を接いだのか、竹に竹を接いだのかなど、詳細にしらべて論ずれば、日本の今日の姿を理解するのは役立つ事だろうと思った。

my長男論文に対する親馬鹿感想である



1月21日 

pm9:00 の書き込み

毎週写真館今週はアンコールワット西塔門の細部を眺めました。正面の破風の彫刻は破壊されていましたが、徐々に補修されているようです。しかし石の代用品としてなにかを貼り付けても風雨に耐えることができるのかと心配でもありました。
 私がアンコールを訪ねた時は西塔門の北側の屋根外壁が洗浄補修されて本来の岩石の色と思われる白いさをましたベージュ色でした。汚れた黒っぽい色の方が経年変化を表しているようで、遺跡を訪ねてる気分を強く受けました。綺麗に洗浄された一部でも眺め、れとの差異を観ることが出来たことは幸いでした。

 西塔門の階段を登ると正面に中央祠堂の尖塔が輝いて目に飛び込んでくる仕掛けに、膝を打つ思いでしたが、メキシコのテイオティワカンの2キロの参道の上下になびく仕掛けを体験していたので、簡単に納得してしまいましたが、初めて訪れるとやはり、グット来るでしょうなー建築を知るものは、やるなーって思いますね。
 女神デヴアターの姿は西塔門にくるまで知りませんでしたが、強いプランや強烈なナーガをモチーフにした屋根や手摺りを体験した後で、ひょいと目に飛び込んでくるから、意表を突かれた思いで、とてもホットします。

 緊張が和らぐとでもいいますか。壁面に数多くのデヴァター神々がほりこんでありましたが、軍隊の攻撃目標にでもされ、射撃練習にでも使用されたのでしょうか、顔や乳房を弾丸で破壊されたような彫刻もあり、痛々しい空気が流れます。キーリンヒルの惨状を思わせます。髪飾りや腰飾り、女神の綺麗な身体に残された傷は永遠に消える事がないでしょう。内乱の惨状を目の当たりにして、顔が曇ったと解釈も出来ない事はないでしょうか・・。 アンコールワットの荘厳な建築を体験することも有意義ですが、彫り物を鑑賞するものとても楽しいものです。2日間は時間をとってゆっくりと見学すべきでしょうね


pm3:30 の書き込み

雨が降っている。大寒に入り雪でも良さそうなのであるが、年明けそうそうに多く降ったので雪の神様のお疲れなのか雨である。暖かいのは有り難い。

 新聞を開くと死んだ人が20分後に脳や身体に障害無く生き返ったとあった。10日ほど前に同じような夢を見ていたので、そういうことも有るだろうと思った。原因は患者の体温があまりにも低下して、血液の循環がスローになり蘇生剤の効き目が遅れたのではないかと言うことだった。死の判断を下したお医者さんは気の毒なことであったが、生命は不思議なもので、医者の判断を鵜呑みにせず死後に肉親を見まもってる時間は大切なことだろう。

夢はmy母が死んで棺を覗いていたら、my母メンタマキョロキョロ回して驚いた様子。なーんだ生き返ってんじゃなかーって夢だった。my父の死を数日眺めていたが、薬害じゃないかと思ったつたりした。皮膚の色彩は時間を追う毎に色鮮やかなピンクになっていて美しかった。死といっても体の細胞が一斉に活動を休止するのでないから、そいういうことも有るだろうと思っ観ていたのである。死後爪や髪の毛が伸びる話は知ってる人も多いだろう。
数週間腐敗しない人の存在のことも読んだことがある。そう言うこともあるだろう。

いずれにしても関係じゃは多いに驚いただろうな・・隣にフランス在住で42年アメリカ生まれ、ハイトリポートでおなじみのシェア・ハイトさんが来日し集中講義をしてるとのことが書いてあった。

昨日はmy長男の論文が印刷されたので祝う、論文の誕生日であった。

 幕末維新期に置ける幕府銀山役人の動向
  −半田銀山附地役人安藤政昭日記の分析を中心に−

 明治初年における新政府支配と「地域有力者」
  −酒田県・山形県尾花沢出張所廃止をめぐる動向から−

小学生の時分よりの歴史好きが高じて歴史の文章を書きだしたことは、嬉しい限りである。まずよんでみました。小説とはことなり想像力で書いてはイケナイのだが調査が広範囲になりなかなか大変そうだ、銀山役人の心象もかいま見れ、面白いと思った。
 細部の調査を重ねたり、現実社会との有用性に巡らせたりして、今後ますます研鑽して論を重ねていって欲しいモノである。

       

少年老いやすく学成りがたし とはよく言ったものである。 老いてからマスマス学盛んなり・・の人が多いと思うこの頃である。少年学成らずとも急ぐべからず・・じゃないかと思う   

論文の誕生をケイキを持ち寄って祝う。



1月19日 

pm10:00の書き込み

チョイト地軸を傾けた地球が太陽の周りをまわっているそうだがそう言われても分からない。一月前の12月19日の日射しはともて赤々して疲れた色をしていたが、今日の日射しは澄み渡っていいて明るく元気な色をしてる。ドプラー効果なんだろうがそんなことを解説されても、目に前の明るい光の喜びにはなんの関係もない。春間近の光の色は気分がいいものである。年末の疲れた光を知るとなおさらそう思う。

明るい日射しのなかでイクイク川は川底にコンクリート製のU字形の側溝を敷設工事が着実に進行してる。U字側溝で仕上がれば人の意図道理に水だけがスムーズに流れる川に改良されている。みんなの立派な仕事なんだろう。・・といぶかりながら立派な方々の仕事ぶりを眺めている2〜3日である。

今年からはザリガニもカワニナのような小さな貝も見ることはないだろう。そこはずむーずに生活排水のようなモノダケが流れるものなんだな。イクイク側溝は魅力はないな。

1週間ぶりに映画を見る。息子の部屋というイタリアものでした。題名に釣られたかのよう、息子との関係改善の手かがりにでもしようとするのか、オバサンやオジサンの姿が多く目に付く。映画の色彩が気になりそこが好きな私としては地中海の青い海の映像をもっと沢山映し出して欲しかったとおもった。精神科医の息子がダイビング事故で亡くなり、その死の空虚な感覚と無情な事件とを青い地中海を背景に描いて欲しいかった。診察室の白い壁とカーテンがダランと垂れる印象が残った。悲しみに対する表現の浅さと相まって虚脱感が襲ってこないのだ。人と人の関係の再確認と再構築を望まれる現在に有っては中途半端な家族の描き方何じゃないかと思った。

さて次回・・2月末にはJIMI HENDRIXの記録映画73年作品が上映されるようだこいつは見ょうか

夕飯食べて蔡国強の花火アートのTVを見てしまう。芸術はメチャクチャだってほほ笑む蔡国強のしなやかさと強靱さはいいね。上海TVタワーの爆発アートは圧巻だったなー、あような花火は大曲の花火大会では見ることができないだろうと思った。花火師とアーティストの違い歴然である。ウムーいいな芸術家万歳

余所の掲示板によると大野一雄さんの最後の公演が京都で行われているようだ。100才間近じゃないんだろうか・・。BOX2で公演したのは何時だったか思いさせないが大野慶人さんと一緒に踊っていた。なんだか残念だが、ご苦労様でしたといいたい。思潮社の「御殿、空をとぶ」を眺めてると懐かしさが沸いてくる。

サイレンを鳴らした救急車が仕事場の前に止まった ・・1月19日の良く晴れた夜



1月17日

pm10:00書き込み

映画「カンダハール」を撮った監督のマフマルバフさんを昨夜のNHK番組で観た。同時多発テロを動機に制作された映画ではないんだが、最近テロ空爆への意見や政治的な見解をと聞かれてうんざりしてるとのこと

映画「カンダハール」は飢餓と貧困女性への抑圧なとタリバン政権感のアフガニスタンを一人の亡命女性を追いながなら描ているようだ。放映途中に現在制作してる映画やイランに亡命した子供の実情を避難所にある小学校をドキメン制作などで描いていた。

教材はもちろん机も無い、教室にも入れてもらえない不法難民の子供達の姿を観てる・・涙がこぼれ・・こどのたちが爆撃と殺戮と貧困の中にあってもいかようにも消すことの出来ない向学心に言葉を失い、同時に希望というのはもしかするとこの子らの中にあるような向学心によってノミ発掘されるのかもしれないと思った・・

映画が注目されるのはなんとも皮肉な話であるが,知られないよりはよい。同時多発テロとその後の空爆によって彼らの生活状況にスポツトが当たってしまうとは。

ようやくここら辺でまともな報道がなされ出したなーと思った。大きな石像は恥ずかしさのあまり崩れさったのだといっていた。黒沢明が描いたドデスカデンで日本人の貧困や飢餓に対する感情描いたけど、その感情はイラン人もアフガニスタンの人・人も変わらないんだと話す。司会者もマフマルバフ監督も共に涙を流した。



pm5:00の書き込み

仕事場傍のイクイク川は昨年末から改修の手が入っていたが、今日ザリガニが沢山たむろしていた合流地点は完全にコンクリートで固めたられたちゃった
 10年ぐらい観察してたイクイク川には小学生がワイワイ・・声を潜めてザリガニ釣りしてた。子供の楽しみは税金を使った改修工事によって閉ざされることになつたかもしれない。イクイク川の全面にコンクリートの蓋をかけないことを望むばかりだ。川面も見えなくなり川底に日が射さなくなるんじゃザリガニも体調崩すだろうからな

芥川・直木賞の3作品ともに家族がテーマらしい。内容は分からないがそのようなコメントが新聞に書いてあった。そうだろう家族ついてかたらないで、なにを書くのか

私の仕事に引き寄せた物言いをすれば、住宅が家族を受け入れる証明する器から徐々に個を集合させる器になって来てる。都会では多くのワンルームマンションという名の個室が集合した建築が方々にあり町の顔を形ずくっている。一軒の家を数人で間借りして暮ら下宿のような形より、コンクリートなどの壁で仕切られたワンルームの存在はこの20数年の社会現象じゃないだろうか。

1970年代に銀座かな新橋かな中銀カプセルマンションが登場して見学に行った記憶がある。そのへんがワンルームマンションの始まり何じゃないかと記憶してる。そこら辺からゆっくりと近代の家族制度が溶け出していて、家族崩壊だの家族解散だのと騒がれたり、一柳事件のようなバット殺人事件が起きて、家族の関係に人々が注目し出した。主に役割論から抜け出せたいなかったようだが家族論を盛んに耳にするようになった。

この10年のmy生活を振り返ってみれば、my子達も全員がワンルームマンションに住んでいた事もあるし、現在もmy次男がそのよな生活をしている。
 
この5年ほどの間の携帯電話やその機器が安価で機能が充実しだしてますます個ダケの生活が便利なっている。携帯電話はメールのやりとりでますせば安いし、一人で生活してる孤独感は消せる。

 チョイト驚きだったのは、my先輩の農家の家族だ。先輩家族全員が携帯抱えてる。農家先輩は隣の部屋の子供を、朝子を叩きおこす道具に携帯を使っている。会話なしでベル鳴らして、呼び出すだけで充分役に立つてモー放せないとのこと。
 そのような目覚まし機能なんていう使い方はとっくに離ればなれに暮らしてる親子で活用してる事だとはおもってたが、農家のような大きな一軒家で暮らす人人が部屋を行き来せず携帯で済ませてるとは面白かった。

 携帯電話を持ち暮らせば昔作りの農家形式の住居形式の家でも、個室風な暮らしの利便性や快適性が享受出来るようである。飯の喰い型を聞き漏らしたが、大人数で同じ釜の飯を一斉に喰らうような大家族の暮らしぶりは農家からも姿を消してしっていそうだ。

さてその先に人と人はどのような関係で生きていくのかだ・・

そんな状況下で家を作るって何なのかと自問しないで、設計出来るヤツはいいのだが、私は立ちどまてしまう。
 仕事をし始めたまたま依頼された住居は育児機能を持つような家の役割が多かったのだが20年ほど過ぎると、そこで育った子供達が社会を構成し出した。親と子の関係についてあらためて考えを巡らし住宅を計画しないとイケナイ。

なにが問題かというと、家が個人の所有物であり続けただけで、家が共有の知の形象としてあるような、家の社会でのあり方を思考しなかった事だと思う
猿と人の遺伝子は1.2%ほどしか異ならないようだまして人間同士に違いはほんとに少なそうだ。少ないなら人と人の家の有りようも共有できそうだ。

家族のあり方に関しても、そのような場を持ち得るのかっていう難問を方々から解く努力が始まったのかもしれない。

原稿依頼で略歴に時々建築家ってかいたら質問された、他に職業をもってのかと・・建築家は設計以外に食い扶持の方法をもってないと成り立たない仕事なんだんだってことを知らないようだ。
 日本の建築家の多くは大学で教えてる教師なんじゃないかなー。




1月15日 

pm6:00 の書き込み

たろさんの掲示板に書き込んでたら・・口利き建築遺跡ツアーていうの企画してたら観光客集まるンじゃないだろうか・・・て思った。

メキシコシティーから車で1時間ほどにある遺跡。ティティオワカンと呼ばれてる。死者の道は両側にいくつもピラミッドをもつ2キロほどの参道だ。月のピラミッドの前には祭壇があり、美少年や青年が生け贄として食べられたのか血を呑まれたのか分からないが、そようなおぞましい行為が太陽に力を与えるために行われていた。太陽に人間は力を与えるんだよ・2000年ほど前のこと。現在のテイオティワカンは世界中から大勢の観光客がやってくる、観光地だ。私さへいった。

で口利きなどが暗躍してると思われる、地域振興という信仰によって作られてる地方にばらまかれた補助金建築。出来たはいいが利用者がほとんどいないと、マスコミにたたかれてる始末だ。生け贄の蛮行を笑うことができない、血を流してる姿形が見えないダケでだれが蛮行じゃないと言い切れるのか。いずれ血を流すのは庶民に決まってる。口利き補助金建築はなに力を与えるために行われたのか

赤信号みんなで渡れば遺跡かな

つってことにして、ハジカイイ銭の使い方を、世界中に向けた観光資源にする。した利用する方法が有るんじゃないか。現在はだれも実行しないだろう、恥っされしたくないようだ。2000年もつ程の建築じゃないのが淋しい。私たちの蛮行は遺跡もにならないほど安っぽいとしたら涙も出ないんじゃないか。さーさー地域信仰教のツアーの始まりだ、始まりだ・・と掲示板書き込んでたら声が聞こえたような気がした・・



pm5:00 の書き込み

雨でも降り出すような空模様である。寒さが緩んで一雨くるのか、寒さが戻って雪がふしだすのか重たく怪しげな模様である。

久しぶりの食材を買いに出かけ、そのごmy妻とダベル。

10年前のmy妻がパラフレーニーに陥った時の様子をあれこれ話す。自他の転倒によって起こることを詳しく説明した・・果たして理解できたのかどうか分からないが、少なくとも今は以前のように激しく想像力が働かなくなたのとのこと。それを正常と人は言うのかもしれないよって話す。

 想像力が働きすぎると本人は疲れるようである。あまり想像力が豊でない私には理解できないが。「何しろ怪しいのはあんただった」って笑ってる。

 私はなんでも面白がる人間なんだが、モノ・鶏がぶつかって来て痛かったし、たびたび痛いのには困ったと話した。
あんたは 怪しかったのよ・・石入り鶏ゴチーンと放り投げたら・・」と覚えてるので始末が悪い。

 両手に一抱えもあるような手製鶏のぬいぐるみ・・あろう事か天井高く舞い上がり私の頭に命中したことがあった。 ゴチーンというより、ゴッと鈍い音がした・・倒れたら、脇に可愛らしい鶏のぬいぐるみ。全体は光沢のある白い絹地のような肌合いで、赤い鶏冠に黄色い嘴の鶏が傍で微笑んでいた。「ゴッチ」って音がした瞬間に目から星が飛んだ。あんまり痛いので、腹を割いてみたら大きな漬け物石・・石が出てきた・・ややしばらくして・・そうだね3秒ぐらいしたら、「イテーっ」て感情が脳の奥から沸いてきて涙が出た。
いてーじゃないか」っていったら、「怪しいからぶっけたんだもーん」て言う。パラフレーニーと関わると石入り鶏が飛んできてアタマゴチーンで痛いって事を知った・・。

 怖いもの帳の中にキチンと書き加えた。「怖いもの、突然飛んでくる石の様な大きな卵を抱えたぬいぐるみの鶏」と。それ以来ぬいぐるみを見ると「こいつなんか抱えてやがるなー・ハッハーン」と私はパーフレーニーになっているのだ。痛いの痛いの飛んで行ってしまったのにパーフレーニーは生きている。
 
この数年は鶏は静かに家の中で私を見つめてるので平安である。

人を泥棒かな思ったら精神科へ行って安定剤を煎じてもらいましょう周りの人の平安のために・・。そんなことをダベル・・・・生きていると色んな事に出会うものだ
。災難に遭って死んでしまえば災難だたった・・なんて思い出すこともないよ。

災難に 遭う人みなんな 生きている



1月14日 

pm3:00の書き込み

快晴で日射しは日々明るくなって来てる、夕方になっても一月前にあった赤い光が消えてるのがわかる。
 午前中に毎週写真館を整理して掛け替える。今週もアンコール西参道にてウロウロしてる。先週掛けた写真を見て大阪の宮島さんから「ちなみに、アンコールワットはかつてはヒンドゥー寺院でしたが、現在は仏教寺院に改宗されています。ご注意。」という指摘があった。

その辺を暇に任せて手元のあ本を写してみよう。昭和44年にだされた「アンコールの遺跡」霞ヶ関出版より。プノンペンにて手に入れた本です。

● 以下写しです

中世カンボジア
ではインドから伝来した二つの宗教、すなわちヒンドゥー教仏教の信仰が広く行われていた。 ヒンドゥー教と仏教は時の王がヒンドゥー教徒であるか仏教徒であるかによりその勢力に消長があったが、必ずしも対立したわかではなく、だいたいにおいて共存しており、とくに大乗仏教にはヒンドゥー教の神々が融合されたいた

ヒンドゥー教
はバラモン教が聖典をブラフマン階級閉鎖社会で独占しようとしたのにたいし、広くインドの各階級に広めよとし、長い歴史を経る間にバラモン経にインド各地の土着信仰が付着して複雑化したものである。1世紀頃から東南アジアの諸国にも伝えられた。・・・中世カンボジアのヒンドゥー教は、神王崇拝と結びついた独特もので、正確にはクメールヒンドゥー教とでも称すべきである

ヒンドゥー教は宇宙の3つの状態であり、自然の3つの力である、トリムーティをあらわすブラフマン・ヴィシュスの三神を中心に、多数の神々を有する多神教でる。 神々の法力シャクティはしばしば女性の形であらわされ、神々の妻と呼ばれる。神の乗り物には定められた動物ヴァーハナがある。

ブラフマーは宇宙の創造神でバラモン教の最高神であるが中世カンボジアではあまり信仰されたなかった。カンボジアのブラフマーは4面の顔と4本の腕をそなえる。手には水差し・数珠・匙・円盤を持つ。白鳥ハンサにのる。

ヴィシュヌは宇宙の創造神であるとともに保護神で、中世カンボジアではシヴァについで広く信仰された。カンボジアのヴイシュヌは一面の顔と四本の腕を備え、手には円盤・法螺貝・棍棒・玉を持っている。丸彫りで何時像がおおい。神鳥ガルダに乗っているモノが多い。
 想像神としてのヴィシヌはセッシャ・アナンタと呼ばれる永遠の蛇の上で眠っている形であらわされる。世界想像中に新旧世界間でただよう海に浮かぶ蛇の背中で眠っている姿をあらわしている。・・・ヴィシヌの妻は美と幸運の女神ラクーシュミュー。

シヴァは宇宙の創造神であると同時に破壊神。通性カンボジアで最も広く信仰された。
 5面の顔と二本又は多数の腕を備える。手に三又の戈・数珠・太鼓・化粧びん・頭蓋骨・縄の輪などを持つ。額に鉛直の第3の目を持つ高く結った髪に三日月の装飾をつけている。舞踊の王ナタラージャや半男半女のアルダナーシュヴァラの姿でもあらわされる。
 アンコールの遺跡のシヴァ神殿ではシヴァ自体よりシヴァの法力を象徴する男根リンガの石柱を祀ったところがおおい。シヴァの妻は近づきがたいドルガー・好意的なウマー・黒い女カーリー・山娘パールバーティー・黄金の女ゴーリー・など。聖なる牡牛ナンディンに乗る。・・・・

仏教
仏陀となった釈迦牟尼の教えを説く宗教。釈迦は伝説によれば紀元前6世紀終わり頃ヒマラヤに近い小王国カピラヴァストゥで釈迦族の王子として生まれた。俗名をシッダールと名付けられた。王子は贅沢三昧を尽くしなに不自由ない青年時代を送ったが、29才の時に散歩に出た路上で偶然、老人・病人・死体・僧侶に出会い、深く人生の無常を感じて隠者になる決心をした。王宮も妻子も捨てて森に入る難行苦行を続ける

 王子は哲学や難行苦行では心の平安が見いだし得ないことを知り、菩提樹の下で瞑想に入った。そのとき悪魔マーラはさまざまな手練手管で誘惑したが誘惑したが、誘惑にうち勝ち長い瞑想の結果「出生・生存・死亡などは苦痛であり、この普遍的な苦痛の根元は生への執着である。苦痛をなくすためには現世の欲望を打ち切り、輪廻の法則を避けることによって救いに到達することができる」と真理に目覚め悟りを開いて仏陀となった。80才でニルバーナ・入滅した。

仏陀の死後教団は二つに分かれた。
ヒーナヤーナ小乗仏教。仏陀のみを礼拝する仏教。

マハーヤーナ・大乗仏教。仏陀を中心にしたおおくの菩薩をも礼拝の対象にした。

中世カンボジアで ヒンドゥー教とともに信仰された仏教は大乗仏教で、12世紀最も盛んなった。現在のカンボジアの仏教は小乗仏教である。

中世カンボジアの大乗仏教では、ローケシュヴァラまたはアヴァローキシュヴァラと呼ばれる観世音菩薩が最も広く信仰され、ブラージュニヤパーラミターと呼ばれる般若波羅蜜多菩薩も広く信仰された。

通常カンボジアの観音像は男性で、 般若波羅蜜多像は女性である。

● 以上写しでした



1月13日

pm4:30 の書き込み
曇り少々暖かいかもしれない
ネツト上で風邪がうったのかなー、馬鹿な・・馬鹿かだが体の方々が痛い

 昨夜も痛かったけど映画「ヴィドク」を見る。妖怪活劇とでも言うのだろうか、18xx年のフランスの連続殺人鬼と殺人鬼を追う探偵のお話。負の童話って感じでした。
 先日見たベトナム映画夏至は三姉妹の恋のお話で、ヴィドクは処女の血を身体に注ぎ込み若さを保つ妖怪もの。隣り合う映画体験が悪すぎたようである
 
筋記は面白くない、と言うヨリは私がああいう推理小説、松本清張のような本が好きじゃないのでそう思うのだろう。最後の種明かしがおもしろいって言えば、推理小説大好き面白い人はハマルかもしれない。

 筋書きそれより画像処理や画面全体の色彩処理に興味がわいた映画だった。アンリルソーの絵画は全てに焦点が当たってる、題材その物が全て等価に描かれたいて対象を細密によりリアルに書けば書くほど全体が漫画チックに仕上がlったナイス絵だ。

ヴィドク映画も全面に焦点あてて画面を作ってるオモロイ絵の連続。ルソーのように幸せにはならないけど、恐怖を煽る絵に仕立てあれてる。登場してるの生身の俳優達が動いているんだが、実物撮影後画像処理され全面に焦点あ直して、かつ色彩を処理してるので動く紙芝居を見てるような気分がしました。完全な娯楽作品になってて、面白がる人はおおいかもしれない。

 画面の色彩はセピアエンジゴの振幅の中にあって不気味さを演出してるのですが、動く紙芝居って感じで私は怖くない。ゲーム世代にとっては迫力で怖いかもしれない。

鏡の仮面に写る絵が面白かったかな、私もデジカメで簡単に歪ませて撮ってるので、ま歪んだ絵の本物を想像出来チャウのが良くなかったのかもしれない。・・あんまりこねるなよなーってみてた。映画は画像処理より脚本何じゃないかなった思う。

アメリで朗読を担当してたアンドレ・デソリエの声がすると、アメリを思い出してしまうのが禍したかな。

アメリの赤といえば鈴木清順監督赤が帰ってきそうだね、ピストルオペラが近く上映さえれるのかもしれない。チオイネルワイゼンの赤からどんな赤に成長してるんだろうと興味が沸いてパンフをいただく。

 絵の処理の話に戻る・・簡単に画像処置できる時代なのだが、見せられる方としては素材がしっかりしてない絵を加工して見せるヤツを殴りたくなることがある。あれと同じで元絵が分かるってしまうと、ツマラナイなーっておもうことが多い、ヴィドク体験はそれと似てるかもしれない。ガラス工房の火穴に落ちて・・ての展開は嘘話だからな・・ガックリしたよ  風邪ついでにかってな感想かいたが

そんなこともあって1時間半ばかしの映画なのに見てる間に風邪がドンドン悪化して、早々に寝る。が・・酷い汗をかくわ、節々いたい痛いでゴロンチゴロンチで今日の昼まで起きあがれず・・馬鹿は風邪引かないので、何かに当たったのかもしれない・・ゴメン

サイレンがなっているどこかで火事のようだ



1月12日

pm1:00

快晴である。昨夜は強い風が吹いていた。低気圧が通過したあとの快晴、民家の屋根の雪がドンドン音をたてて溶けていくのが見える

毎週写真館をみた大阪の宮島さんからメールがあった。宮島さんは正月休みを利用しバリの田舎とジャングルを堪能して後、バンコクから15時間ほどマイクロバス代2000円エン揺られシェヌリアップに。この正月はアンコールの遺跡群を観光してきたそです。メールは旅行記風になっていてカンボジアの国境や人々の生活臭が伝わってくるものだった。

私が10年前に訪れたときとは変わったようだ。平和が訪れたということだと思うが、観光に力を入れざるを得ない実情などが伝わる。復興期に当然のように、あらわになる諸問題に異邦人も触れることになる。昨日日記にかいた人身売買と幼児売春。貧富の差が表面化して病気などの惨状がすこし描かれている。

 地雷による被害者にも当然会うことになる。宮島さんの中にもある「・・・アキラ氏が私設で運営している「地雷博物館」行きましたか?これは実はかれの自邸(掘っ建て小屋)ですが、彼が撤収した地雷や不発弾が山積みとなって見学することが出来ます。彼の自作の水彩画による体験談を読むことが出来るんですが、これは必見です。兵士として彼が目撃した暴力の数々が淡々と書かれている。実は彼の家には息子らしき片足を失った少年がいました」と地雷が引き起こす惨状にふれる内容が書いてある。

私がアンコールを訪れた90年代頭初はポルポト軍がアンコールの傍にいたので地雷博物館はなかった。軍に威嚇されたりして驚いた。観光できる土地は限られていて、アンコールの遺跡群の直ぐ傍まで地雷が埋設されてるらしく、悲劇を避けるために進入禁止地のドクロの下に骨のバッテンが描かれた旗がクメールの風になびきながら方々に立てられたいた。

ワットにもトムにも地雷の被害を受けた子供達いた。そのなかでバイヨーンの遺跡に佇んで観光客に向かい微笑む手足を失った小学1年生ぐらいの少女の色白で可愛い顔が最も印象に残っている。少女にレンズを向けることが出来なかった。私がカメラマンなら確実にシャッターを切るだろう。私はカメラマンではないので少女をフィルムに定着することは避けた。

年老いた物乞い
はもちろん、遺跡の壁に掘られた可愛い女神を案内しては小遣いをせびる子供達も多数いた。日本製のキャラメルを沢山もっていたのでそれをそのたびにあげた。

その現実を正月の休みを使い見てくるのはいいことだ。お涙頂戴という心情につけ込む人人もいるし、目前に広がる世界の欲望結果と悲劇と分布を体験することは大切な事である。

地雷は人を殺すために作られた兵器ではない人を殺さずに傷つける。負傷した兵士を回復させるためには大勢の人手とお金と精神的な負担が必要だ。傷ついた兵士や人人つまりその国家におおきな負担を強いることになる

バカーンと一発で皆殺しする兵器は地雷に比べと兵器制作に金がかかる。それに一発屋であるから悲劇が、他者の生活なか深く踏み込み持続しないと考えれててるんだ。原爆も怖い兵器には違いないけど、地雷は安価に製造出来その上傷ついた兵士が生きてる間悲劇が続く最も人道に反する兵器であろう

新年に浮かれ「不景気じゃー」って嘆き飲み歩く、信用の置けない多くの若者をよそ目に、宮島さんは偶然にせよ、私たちの生活と地続きにる地雷の悲劇を目の当たりにしたようで、いい正月の過ごし方をしたなーとおもったメールだった。彼は明日34才の誕生日です。

一日早いけど 宮島さん誕生日おめでと




1月11日 

pm 9:00

昨日と比べると暖かい、春さきの気温とか。カゼが勢いよくふいていて、窓ガラスがガタガタ、電線が風を切る音がして落ち着かない。

ニュースまえのTVでカンボジアの幼児売春に関する特集があり、最後の方を見ることができた。
 前回の毎週写真館で触れたけど、10年前に訪れたときにも酷い、ていうか、気の毒な子供達の少女売春の町を通過して彼女達の姿を目にした。その時はベトナム少女達が親に強要されて売春してるとガイドの説明だった。
 あれから10年後の現在はカンボジア周辺の貧しい農村の娘達が、借金のカタにとだまされ、人身売買でプノンペンに連れられて売春を強要されてるとのこと。
 
その惨状から少女達を救っている男性、彼が開いてる少女達の社会復帰の施設が紹介されていた。「♪〜カンボジアの娘は〜礼儀正しく〜優しくて♪〜」・・と歌いながら、自分の姿を発見確認していくんだ。施設のみんなで斉唱しながら共に明るさを手に入れる。そこにはほんの少しの希望が有った。

14才の少女はHIVに感染してるとのこと、幸い売春宿から救出されたのだが、今後の自立がままならないので、支援を続けてるようだ。美容師や縫製の技術を身につけて自立のための支援活動の話が放映されていた。

カンボジアの未来はこの子達にかかっているから、救出して自立を支援するんだ」と語る、泰然とした姿があった。

今夜の風のようになんだか落ち着かない話である



pm6:00書き込み

下記写メールマガジンが届いた

ヒトとチンパンジーゲノムの違いは1.23パーセント

チンパンジーのゲノム(全遺伝情報)の特定領域が、ヒトゲノムのどこに相当するのかを示した「ゲノム地図」を、理化学研究所ゲノム科学総合研究センターを中心とする研究チームが世界ではじめて完成させました。



これまで、ヒトとチンパンジーのゲノムの違いは1〜5パーセントなどと言われていましたが、今回の解析結果によると、1.23パーセントという、より正確な値が得られました。今回の研究成果は、米国の科学雑誌『Science』(2002年1月4日号)に発表されています。
↓詳しくは理研のページへ(ゲノム地図公開中!)
http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/press/2002/020104/index.html

■そして、今回の研究で、ヒトとチンパンジーゲノムを直接比較できるゲノム地図(整列クローン地図)が初めて完成しました。この配列をもとに、ヒトとチンパンジーのゲノム配列の平均一致度を算出すると、98.77パーセントという値が得られました。言い換えると、1.23パーセントの違いしか見られないということです。

■ここで重要なことは、「この相違の内容は何か」、そして「その相違がゲノム全体に平均して分布するのか」、それとも「ある領域に集中して起きているのか」ということです。

以上メールマガジンの一部写しです


pm2:00の書き込み

午前中は晴れていたけど今は時雨のような小雨がふっている。

myHPみてたかたからメールで原稿依頼された福島の名建築(?)のスライドなど、午前中整理して終えた。今・日経アーキテクチアの編集部に送ってきました。
 短いコメントを付けるのは難しいと改めておもいました。俳句のよに17音のほうが伝えやすいこももあるのですが、読者は写真の説明を求めることでしょうから書くと、お知らせのような・新聞記事のような文章になってしまう。これはツマラナイことで、私が書く必要もないので記者に任せるたほうがいいに決まってる。私に頼むのはカッペの臭いが漂う何ともいえないアズワエの文章じゃねえのかって思うのです。

そうそう私が書くならまともな文章じゃツマラナイ。そこで書き始めるとどうしても長くなってしまう。ドンドン削っていくと、「母危篤帰れ午男」ふうの文章になっていくのでおかしい。写真を見ればほとんど理解出来るようなものをあえて説明など書く必要もないのだ。写っているのを見過ごすのは節穴だろうし、行間を読むことができないのは書き手の問題ではないわけだし。

毎日気分に任せて書いてる日記に慣れてしまうと、200字ほどにマトメた文は酷く難しいもんだと思えた。・・・新年の初仕事 一段落の感想でした

NTTの花園局を紹介しなかたのは個人の体験や感情で選別しても、おもろくないだろうかとおもったからです。35年ほど前の1年半ほど夏休みなどの時間をほとんど花園局にバイト通いして現場のアレコレを体験してたので、建築の作り方(施行)に偏って取り上げるてもよかったのですが、現在は時々設計をして生きているので、建築を思考する上で参考に成るモノを選んでしまってわけです。建築を造りだした背景やそこにある形態に至る人人の心象を読み解くことができ、再度訪ねなぞることができる建築を選んでしまいました。

いままで福島市周辺の公共建築と関わりがなかったので、どのよな公共建築が造られてきたのかまったく分かってないので、その方面はスッポリ落としました。別の機会に公共建築に詳しいかたが紹介すればいいことだから。またそのような公共建築を専門に取り上げる業界雑誌はあるだろうからそちらに任せておけばいいな・・。

HPを見て原稿依頼は初体験なのでしたが、とても便利楽珍で・・こりゃいいよっておもいました。絵や写真も早くデジタル情報に加工して、やりとりできるようにしたいなーなんておもいました。写真は300万画素という条件があり、私のカメラ200万画素でチョイ能力不足。

宅配で原稿やりとりも便利だったが、電送で原稿やりとりはモット便利。このスピード感に感激したので、モット原稿依頼こないかなー・・。ジャバジャバ書いてみたいびゅんびゅん送ってみたい。



1月10日  

pm 6:30 書き込み

人など訪ねて来ないmy仕事場画商が来てダベっていた。それぞれの判断はあっていいのだが、裏磐梯のダリの美術品はカスだという話で盛り下がる寂しさ。観光地汚しなんじゃないかーっていうことでした。建てる自由は認める・・アノ近辺人はハジカシイものが多すぎると私も思う。

 高さ違反してるとしか思えないしNホテル。不良債権化して年の始めに煽りくって地方銀行潰れたなー・・そのNホテルは閉鎖だし、食い物のまずいこと・・でも観光客がやって来る悲劇・・がある。

 斎藤さんのこの10年の墨と和紙の作品はいいと盛り上がる、酒呑んでカラオケでまた暴れたとか・・最後の画家って雰囲気あるなー。松田さんは相変わらずの植物状態だそうで、いい絵描きなのに残念だなー。

地元の名建築の原稿を書き終える。構成して来週送ろうーっと。

寒さ厳しいし乾燥してるから、風邪引かないようにしたいなーでも足下寒いよ。



pm 1:30 の書き込み

快晴 だけど冬特有の黒い雲が漂っている。昨夜は早く(?)寝たのに今朝気づいたら10時過ぎだった。
 チョイ疲れた体なのかな。とてもの目の周りが疲れてる。PCやりすぎかもしれない。体が方々痛いのは風引きやすくなってるからだろう。注意しよう。
 
前夜はもち摺りの多宝塔を書いてネタ。これから続きを書くことにする。




1月9日 

pm11:30

もち摺りにある多宝塔の原稿書いて、おもったんだ。言葉や知識が人伝えに1000年かかってこの塔が建てるってことね・・伝播しながら変形して建ってる姿がここにあるって。
 歌謡曲などでは日常茶飯事でごた混ぜになって・・音楽が生み出されていく。建築は言葉より時間がかかる・・その地の知識を吸収しがなら造られていくんだ。

 多宝塔は日本独自の塔で、真っ白な亀腹をみるとギョエっと一瞬し、後ずさりしてしまうよ。

毎週写真館で今日掛けてるアンコール・ワットはヒンズー教寺院だ。中心にはリンガとヨーニがある。男性器と女性器が合体した形態が信仰の形。
 そんな形態を日本的に洗練させたんだろう。ボロント置かれてるヒンズー教のリンガとは比べもにならないほど美しいよ
 多宝塔は1階が方形の平面で途中に亀腹と言われる丸い平面が現れる。その上に方形の屋根と相輪がつい完成。

 マグワイの形態・建築って言えるよ。リンガとヨーニのうえに屋根かけたのは、ボロントあるより断然美しいし、雨が多 くて山紫水明の日本に根付かせるため創意工夫でしょう。 屋根無しでは汚れて苔むして岩と見間違いて、 なんだか解らなくなると スパー天才 空海 が考えて・・ね、考案した形にちがいない。

高野山から、1000年かかってようやく江戸の後期1812年に福島に作られたんだな。なんと唐破風が付いてる、珍しさ

相輪は骨を現しているんだろうが、空海の精子が勢いよく天に発射してるよに見える私はアホかな・・。


4:30 書き込み

現像依頼しておいた写真屋さんへスライド70枚ほどとりに出かけ。ついでに食料を買うために久しぶりに生協マーケットへ。

 70枚の中から5枚に絞るの難しいものです。私が設計したものなら簡単なのだが。一目見て印象的で全体がわかりやすい絵がいいだろうと思う。1枚で全体を伝えるとなると、玄関周りになってしまうのか。
 見て興味がわけば現地へ見学しに出かけて、全体を眺めればいいのだな。

紙面レーアウトのイメージの要求があるので、ページ仕立てをスケッチする 。これが決まれば残るは作業のみ。シカ・・シカ・・シカシャカとスライド選ぶ。5カツト。

写真説明のために必要な文章がいるだろう・・書くことにする・・。雪はやんだ。


AM11:30 の書き込み

8時ごろから激しく突き刺さるような雪が、天から突き刺さってた。これやどえらい雪になるのか、とおもっていたら10時頃やんだ、ほっ。簡単に雪を掃く。ビジャ雪で掃くと重たい、今日は地面も暖か、気温も暖かのようで、溶けているんだな

ボレロの展覧会絵が激しくラジオから流れるのに合わせて、雪が溶け流だしているかのように、思えるそう、聞こえる。世界中の雪が一斉に溶けだしたかのような音がしてんのー・・。

あ;あー書いているいまに横殴りの雪がふりつけてきて、風で仕事場の窓枠がガタガタなりだした・・。写真撮りを昨日してよかった。スライド70枚ほど撮ってが午後現像出来るとのこと、ナイスに撮れてたら原稿書き始めよう・・図書館でチョイ調べたほうがいいか・。



1月8日

 pm7時 の書き込み  

今日は 晴れ時々曇りかな・・・寒いが凍っていないので真冬日ではない

日が昇り始めて丁度写真撮影にいい日射しに・・なので出かける。福島教育会館は阿武隈川のそばにある。工事記録や新建築や建築文化などの掲載紙を見せていただく。

工事記録の日付は昭和32年5月17日となている。
設計 ミド同人 大高正人・鬼頭梓・大沢三郎・足立光章・永田包昭・
          早川秀穂
構造 木村俊彦

現場監理 前川国男建築設計事務所
施行 清水建設株式会社

シェル部分の型枠や配筋と人の写る工事写真は、迫力有るー。波打つ鉄筋と型枠の中にサーファーのように配筋工が漂ったいる。前川国男も地鎮祭に来て記録写真に収まっている。

新建築1956年10月号・建築文化1956年10月号など掲載本が大切に保存されている。内容の文章を読んでる時間がないので有料でコピーしてもらう。

● 建築創造におけるレアリズムの方法
  福島教育会館がめざすもの            葉山一夫
● 民衆建築へのアプローチ       連名 文責 木村俊彦
● 労働する手・生活する意慾への共感 鬼頭梓

数年前に調査した時は酷く無愛想だったが、今日は大変親切だった。教職員組合が管理しているのかと思っていたが、現在は財団法人に管理が移管されて、運営されるようになったとの説明を伺う。

文知摺り公園へ向かう、途中阿武隈川の河畔で鴨や白鳥が沢山いるとこへ行ってみた。ものすごい数の鴨・少々の白鳥がガアガア鳴いて五月蠅い。鳥の糞の臭いが漂っている。人が近寄っても逃げない。これらは野生の鳥たちなのか・・なんだか哀れに思う。

えづけの成果と人は言うかもしれないが、餌を与えて野生の鳥を限りなく家畜化へ誘う人の行為を疑問に思う。

人知の届かぬ所で管理されずに白鳥や鴨なんか存在してほしいものだ。モノを買え与えることで・・モノを介して・・に偏る・・子供とのコミュンケーションして・・満足の大人達のやることとあまり変わらないと思う。下手なコミニュケ棚に上げて餌やるんじゃねーや・・・直ぐその場を離れた。

松尾芭蕉正岡子規が立ち寄った信夫文知摺(しのぶもちずり)へ行く。安洞院というお寺の所有地なので拝観料を200円支払う。受付のオバサンの話によると「今日はあんただけだ・・」ほとんど訪れ人もないとのこと

松尾芭蕉がこの地に残した句

早苗とる 手もとや昔 しのぶずり

正岡子規の句

涼しさの 昔をかたれ しのぶずり

源融(みなもとのとおる)が行きずりに・・1月ほど愛した 村娘がいた。
その名は虎女(とらじょ)。彼女は融との再開を思うあまり発狂したようである・・文知摺石(鏡石)に融の幻影を見たとのこと・・。大きな大きなその鏡石が雪に埋もれている
my句を作る
 く  もれ 死   か

身を焦がし病死したであろう田舎娘の哀れを笑うことも出来るし称えることもできる。それらが一緒くたにん凝り固まったような石。あたりの真っ白な雪によって真っ黒に見える。


その後、方々うろつき、今年最初のmy仕事である、日経アーキテクチャーから頼まれた取材を終える。スライドは明日出来上がるとのこと・・福島市の西在にある民家園に行くが、奥羽の山裾だけに雪が多くて寒いーの・・、場所がわからすウロウロする、火曜日は休館じゃジャン・ググズー・・寒いよー風邪引いたかも・・。


夕方家に戻り熱いネギ肉ラーメンと作り食べる食べる。

年賀状を見る見る・・勅使河原三郎さんのKARASから宮田佳さんよりの年賀状なんともデカイよー50円の年賀状の2.5倍もの面積 ・・充実してる人は違うなー・・と思ってぱらり、女性の人人・・声を揃えて「ガンガン行くよ・・」とある。男しょぼくれた年賀状多くて対照的・・面白いなー・・笑える・・
年男の健太君アルハンブラより年賀状 元気で自転車の旅続けてるんだな^


五十嵐太郎さんの講演から一月が経ちましたので、8日建築あそびの記録は今日中・・WEBに・・感想は掲示板へお願いします。



1月6日

pm4:30書き込み

雪が降り出しそうな雲行きに成ってきた。

毎週写真館第7回 アンコール遺跡 1 のpを作っていた。アンコールの遺跡群はトンレサツプ湖(太湖)の北にありシェムリアツプのホテルに滞在して見学する。
 トンレサツプ湖はメコン川の調整湖のようで雨期になると乾期の面積の3倍になるそうで、2.5メターもあるトイレ・リヤチャという巨大魚が住んでいるとか・・飛行機から眺めると、水だらけだなー・・いろんなことを思い出しながら・・my長男と一緒だったが親子それぞれに・・嫁さんを20万円ですすめるガイドには・・呆れた・・・、ポルポト軍に威嚇射撃され・・縮上ったこと・・などオイオイ書き込んでいくことにする。

まずはアンコール・ワツト1を7日にWEBに乗せよう・・アンコール・ワツトは12世紀に作られたヒンドゥー教の神々を祀るために作られて建築です。15世紀に放棄され1860年フランスの博物学者アンリ・ムーオによって再発見されたそうです。稲作によって栄えたそうです。1年に自然田(稲が自然生えている)3から4回収穫出来るし、果物野菜・水菜・淡水魚たくさんとれてる・・

アンコール・トム一辺3キロ・高さ8mラテライト(紅土石)の城壁も南1キロの所にある。

アンコール・ワツトはスーリヤバルマン二世によって建てられ南北1300メター・東西1500メター高さ3メータ幅190メターほどの環壕の石段で縁取られてます西側参道から主に入ります。3重の回廊がめぐらされてます・・きりがないから止める・・

ワツトはデカイ建築だから何回にも分けて掛け替えます。アンコールトムモット・・もっつとデカイよ〜




AM8:30書き込み

南南西の蒼い空に西側が欠けた半月がうっすらと浮かんでいる。南南東の空には春の青い日射しを放つ太陽が、月の後を追っている。快晴。昨夜は大雪にならず今朝の雪掃きは片手で、ザサザサとプラスコを引きずる程度の簡単なものですみました。

カンカン照りになって屋根の雪が消えてくれないと日経アーキテクチャーから依頼の建築写真がとれないので気がもめるな・・勝手な理由です・・雪や・・溶けんかい・・

昨夜はトラン・アン・ユン(1962サイゴン近郊生まれ)監督の夏至をみました。ジャン・ピエール・ジュネ監督のアメリという映画を見ていたので、とても興味深くおもしろかったです。アメリカ映画のラブシーン・・ブッチュグジャや、これでも満足しないかー的展開の早さと、押し付け物語ドンドンに食傷気味の私にはとても納得のいく映画でした。

 画面の隅々を楽しんだり、ベトナムの豊かな色彩や風景それに雨を見ることができたからです。食べるシーンは巧く描けてないのでチョイ残念でした。

 三姉妹の恋物語というのでしょうか、それを一度に描こうとして波状してはいるのですが、これはベトナムがまだ恋いや不倫を整理出来ていない過渡期の物語として捉えて置きたいとおもいました。アメリの恋心のような微細な心象を描くことが出来るよに成るには、過剰な愛や恋い残酷な愛や恋いを幾度も経なければ到達出来ないかもしれないと思いました。やはりその土地の宗教や歴史を知って見ると、もっと楽しめるのでしょう・・物語の筋は書きません・・

三姉妹それぞれも恋い物語はそれぞれ1本の映画になると思いましたが、同時に一気に描かれていました。三姉妹が抱える問題をそれぞれ際だつた恋い物語りとして描く事に重きを置いてないので、またそれぞれが似たような恋い物語りになってたなので・・もしかしると、そこに退屈さを感じてしまう人もいたことでしょう。

 俳優の個性もアメリの俳優の個性にはかなわないかも・・。似たような顔立ちと似たような恋い物語りが同時に見るモノを混乱させ退屈させるんだろうなーとも思いながらみたまたしたが寝てる人もいたでようです・・荒っぽいガサガサした恋いがお好きな人にはお勧め出来ないです。
 西洋人の恋いに憧れを感じるカツペ的な人にもすすめません。東南アジア遅れてる的視線を通してみる人は、ベトナム女の恋にちっとも興味がわかない事でしょう・・私は土地やそれぞれの人の抱える恋いの・・その微妙な差異と言葉の少なさい事によてえ描かれてしまう・・淡くはかなく危険な女性の恋い物語に触れることが出来たので・。
 
男のイケイケドンドン的恋い物語がお好きな方はやはりアメリカ映画がいかもしれません・・マリア様とキリスト様ガッンコンで・・ハp−エンドで・・

 千と千尋の神隠しには日本人の夫婦の愛は豚的食・食・食で子の心に無頓着のだめ押し・・比べるときりあがないけど・・両親を豚に描くのもヤツパち・・寂しい大人不在の場所の話として面白です・・

夏至はブルーイエロがともて印象深い映画でした。はアメリ。そうそうあの赤に勝る映画は無いんじゃないかと・・そうだ・・鈴木清順監督のチゴイネルワイゼンのがあった・・でもアメリの赤が私はすきだ・・




12月5日 

pm5時の書き込み

 仙台までmy長男・超女と米30キロを積んで送り届け今戻る。行く道は吹雪のため仙台南以北が通行止めになっていたので料金所まで長い車の行列が出来ている。

横殴りの風と雪で視界が良くないし路面も凍り付いるようなので・・・しかたないだうな・・仙台の町に入るとパチンコ屋さんの建物が金銀赤青黄色の花・花に彩られた、ココは極楽よ〜んってなかんじで手招きしてる。その間に千葉学の顔が現場の塀に印刷されているじゃオマヘンか・・学と言えば・・ナンシーヘレンの助手かな・・東大の安藤研の助手かな・・ハッキリしないけど・・共同住宅工事現場の塀に印刷されてるよ・・もしかして教授の顔が塀に印刷か・・

どう見てもカッコいい建築ではないので恥ずかしくないのだろうか、外見で判断してはイケナイイケナイね・・もしかすると超格好いい建築かもしれないから・・

そんなモノを横目でミルミルして、向山ののアパートへ到着。近くのお店でラーメンの麺と肉・ザーサイを買いもどり、ラーメンを作りました。向山の魚やさん・肉屋さん・キムチやさん・なんだかいい感じなんです

福島の我が家の傍にああいうお店がないのでとても羨ましく思います。映画アメリではモンマルトの食品店やカフェなどいい感じのお店が出てきて・・ヤツパ地、スパーしかない我がや近辺の貧困さにため息が出ちゃうけど、向山のお店は綺麗じゃないけど味はモンマルト並なんじゃないんだろうか・・買い出しして肉ネギラーメンを作り食べる

そうこうして我が家にもどりました。
先日映画の招待券もろたからこれから、ベトナム映画 夏至をみにいきましょか・・




AM9時の書き込み

 晴れ 昨夜チョボ降っていた雨が雪を溶かして屋根の雪が数センチになってる。道は雪解け水で車が走り去るたびにビジャブージャビヂと音をたてている。今夜からは寒気襲来でまた雪が降るとの予想・・年末から雪ふりますねー

年末18000円ほどで食材を買ったがほぼ今日で食い尽くしそうなので、my子達とお別れしてそれぞれの生活にもどることにする。

 my長男は日本史をアレコレ書き始めていているんだが、年末あたりから苛立っていて、my長男らしさが消えていた。・・・なんでか解らなかったが・・酒呑んでワイワイ毎日正月人生をしてた解った。

 日本史に限らずましなD論文を書くなんて、20代では無理なんじゃないかと思っていた。my長男27才ムリムリさ・・あと数年・・バイトしながら・・方々の人人と会い、専門的な蓄積をしつつかつ自分生活体験との重ね合わせをして、その中から書き始める・・が大切なのではないか・・。

 論文も建築作品もそうそうオリジナル豊かなものを手に入れるなんて難しいよな・・、そのような状況の日々を続けていて40過ぎてからじゃないんだろうか・・
 根拠はないけど体験から・・また、そうしたからと言ってもオリジナルで内容が豊かな論文が書け建築作品ができるかどうかは別問題であろう。ま結果はホドホドでいいんじゃないか自分の実力なんて自分が一番理解してルンじゃないかと思うからね・・。

 そう言ったことは別に最近の大学は論文の本数を書きあげて、ドンドン就職せよ・・なんていう風圧が高まっているよで、・・・my長男10年大学にいるので最年長で論文2本しか書いてないんだ・・どうも目障りらしく、大風を浴びられているのだそうだ。・・で、体から熱が奪われ苛立っていたのだった。

 なーんだ馬鹿馬鹿しい。大学がトコロテン方式で学生を追い出すなんてことに成っていたのか、あと5年はかかるだろうにと私は思っていた。大学も企業のような成果主義に陥っているんだろうか・・my家族はそんな事は求めてない、世間の評価は別にして自分の好きな事をして、自分の時間のみに生きることがいいんだなー・・さっさとそんな所を出るか・・・、風当たりの強いまま、ユラユラ揺れてあと5年ほどやり過ごせばいいのではないか・・年中強風を送り続ける人の存在も見捨てたものではないからね・

テーマ掲示板は家族という公共圏についてにしよう

日経アーキテクチャーのMさんから電話あり・・、地元も名建築の原稿依頼の打ち合わせ・・雪が屋根に有るから・・写真撮れないナーと話ました。早く暖かく成って屋根の雪溶けてもらいたいです・・今晩も降りそうだなー



1月4日  

pm7時の書き込み
 
 すこし暖かかったようで雪が雨に変わる。道は雪解け水と雨水でビジャビジャして、歩いているとくるまに水飛沫をかけられる。

五十嵐太郎さん著の「新宗教と巨大建築」を読み終え家に戻る。

今日着いた年賀状を眺める・・myHPを見てるンじゃないの皆さん !(^^)!・・掲示板には書き込まないけれど見ててくれる人多いんだなー。皆さん感謝です

次回の花田達朗さんの著書をmy長男・超女と読みながら、内容について話しはじめる、社会学は外国語が多く使われてて・・そのせいにしてるが無知なのだけど、解りにくい所がある等、情報の豊かさとは現在の様な少ないメデアが多様な内容で・・とは誤りで、受け手と発信者の等価な立場になるようなことを言うんだと確認して、読み込む

 ヤッパチ難しいんだが、3月2日までは2度以上は読んでみたい。1度読んだはず・・付箋や書き込みがあるから・・ボンヤリしか人に伝えることが出来ないので、ほとんど理解してないコトガ解る。

その後「新宗教と巨大建築」を読み終えて、myHPの12月8日建築あそびの記録に間違いがあるのをようやく訂正し終える・・これも全部訂正したいが・・あと2〜3回ほど読み直してからに公開しよう。一度に公開するには量が多すぎて、読むのが大変だから分割して公開する方が読む人は楽かもしれないと思う・・どうしようかなー



AM 8:30の書き込み

快晴 一昨日からの雪があたりを覆い尽くしていて、朝日が雪を照らして輝いているからとても部屋が明るい。チョイト隣の家の屋根に目をやると、オンボロ屋根が雪の布団を被って光っている。雪はあらゆるモノに均等に降りおおう。

年末から起きる時間が出鱈目に成っている。それに酒呑んで寝てしまうのでそうなることもある。もしかしたら年のせいなのかもしれない・・真っ暗闇の明け方目覚めてしまうので、飯つくったり茶を沸かしたり雪を掃いたりしてると日が射してくる。これはジジイのする仕業じゃないか・・

大雪まとめて40センチほどは降っただろうか・・去年の大雪は一晩で70〜80センチほどだったからあまり驚かないよ。昨日はなんども雪を掃いてしまい、夜は映画を見た。

シュレック。CGアニメーションとでもいうのだろうか、CGを駆使して農作物・草原顔の表情・動物の毛並み火の揺らぎなど数え上げればきりがない。それら一つ一つは実物よりオオバー目に表現されているんだが・・よくつくられていて納得できる。ストリーはアメリカ映画おきまりのオネイチャンとお兄ちゃんが幸せになるハッピーエンド。各所に過去のおもろい映画のパクリシーンがはめ込んであり笑いを誘う。
 明日から始まる夏至というベトナム3姉妹の映画を見に行くことにしよう。

 年賀状届いてるけど、去年の年賀状をくれた人がいたので驚いた。周回遅れで前回午年の年賀の方が嬉しかったのになー・・・。なんだか送ったきた人が気の毒で可愛そうに思えた。私は悪戯に対して不快感をかんじないのだが、その背景の想像力を検討比較して楽しむ方なので。その年賀はちっとも創意工夫がなされてない陳腐な書き込みだったから、気の毒だナーとおもったのかもしれない。もうチョイ細工してほしいもんだ、見て読んで楽しめる方が、使い古しの年賀状を送る・・送る本人も楽しいだろうに・・。。アメリカ映画だってワンパターンだけど工夫してるんだから・・




1月3日 


  pm5時3番日記

 ようやく雪が止んだか・・昼もどり庭の雪を掃く・・そうだ・・物置の屋根がつぶれかけてた・・去年一晩で70年ぶりの大雪で・・80センチほど積もったんだ、このへん(福島市町中)じゃ積雪は50センチで荷重計算してるんだから、サー大変で、方々雪掃きしてた。でmy物置(土地を買った時につきいてた)の屋根がボビョーンとたわんで、鉄板陸屋根なのに真ん中が低い状態に成ってるのを思いだした。

屋根にエンコラと登り掃く・・掃く・・はきまして・・汗ビッショリかきして、ツルツル滑るからこれは屋根から落ちたら間抜けなんだけど、緊張しながら掃いてたんで、冷や汗疲れ汗・・汗で・・風呂にザンブと入る・・でノンビリしてたら。

さ^−と・・ドアを開けると・・積もってるじゃないか・・朝から三度目の雪を掃く。338歩程で仕事場に来るんだが、途中のイクイク川には誰が持ち込んだか雪の大山が出来ているじゃないか・

 ザリガニもこれじゃ圧死しちゃうよ、なにしろ2.5メータほどの高さはあるから圧死間違いないね・・、イクイク川の隣のオヤジ張り切ってるじゃないか・・こんな大雪に立ち向かい、雪一つないじゃないか。

全然掃かない人・もうサッリと片付けチャウ人・・いろいろだね・・でも・ほおツテ置くと、凍って歩くとき滑って危険なのだよ・・だから掃く方が安全だ・・面倒がってホホツテ置くと氷の固まりになると重たくて、片づけるのは困難だからね・・

疲れた・・映画に行きそびれる・・夜にしよう・・

  


AM11時 アンコールワットのスライド50枚ほどスキャンした・・これじゃーアンコールワットだけで10回男になっちゃうなー・・バイヨン・タブローム・アンコールトムを入れて、毎週写真館掛け替えてたら半年かか・・かかるなー

相変わらずの・・ザザ雪が降っている・・




 3日一番日記サ・サ・・雪  昨夕はぼっさぼっさの雪だった。朝5時頃はやんでいた、今7時チョイ過ぎだけどささ雪がふっている、さ・さっさ・・って音がするから名付けました。15センチぐらいは積もっていますが、まだまだ積もりそうです。

今日も6時に寺の鐘が聞こえてきたから南南西の風のようです。むなむ〜吹く風は雪を多く降らせるのであんすかね・・起きて雪を掃く。my雪掃きスコップは一かきで折れてしまい、やっぱち金属製じゃないと・・もたないかもしれない、でウントコドイショと雪を掃いた・・まあ見る間に又・・積もるんだが、ふりたてのサラサラして軽い状態で雪は掃いておかないと厄介なので・・シャバシュシュと掃くんです。チョイト外に目をやると烏が飛んでる・・雪転々と降ってる中を・・こんりゃ大雪になりそう・・正月帰りの拘束道 大混雑しそうだな・・

my次男 昨日 帰る。2日ほど家でノンビリ寝て・・なにやら音楽を作るとか、演奏するのかな・・わからないが・・やりてえことがあるッウ事で・・雪のちらつき出した昼下がりに電車に乗った。自分のやるべきコトガ解っているのでよい・

 貧乏生活方のあれこれを聞く、銭は無くても決してユニクロで身を包まない方法や、電車に乗らず自転車で都内を走る時間・金の節約になるなど楽しんでる・・洋服は安くてオモロイものを着てるので私も見習うことにする。

 掃除のバイトを1年半ほど・・マイクロソフトジャパンの掃除機かけだったようで・・掃除機の使い方が巧い・・神棚シュルスシュと掃除する・・ユニクロのような洋服屋でバイトしてたから洋服たたむのも巧い。綺麗にたたむ・・私洋服のたたみかた下手なので、綺麗にたたむ技術を身に付けている人を尊敬してたから、嬉しいね。
 客がガギャモギャに掻き混ぜた商品を綺麗にたたみ直して整理する・・何度も繰り返しているうちに身につけたようだ。こんどは食い物やで修行してもらい美味いモノ作り方をおしえてもらいたいきもするが・・あぁ・・勝手なてな注文でした・・

 貧乏生活でのバイトで諸技術を身に付けてしまうのは、ケッウいい方法かもしれない。今はデジカメの支援センターで派遣社員してるからデジカメの使い方をアレコレ習う・・myデジカメの意外な能力を発見。・・バイトしながらいろんな事を学んで楽しそうである・・いまはPCをあれこれ勉強中のようで、裏技を教えるが私聞いてもワカならなかった。

力を入れず草原でノンビリと必要はものを探し当て身に付け生きていくように、都会という人造の草原の中を爽やかに生きて行くのはよいことである。

新宗教と巨大建築を中程まで読む。天理教と金光教の比較は建築を作り続けることを宿命としている建築家にとっては示唆にとんでいる・・ながい間アレコレロなやでいても・・決して解決しないはずのものがある・・そうだよな・・と納得する・・今日読んでしまい、講演記録の文を読み返したり、映画をみたりして・・大雪の1日を過ごすことにしよう・・

細かな雪が降っている午前8時・・・

昨夜見た夢は結末の部分をあれこれしてたら忘れたが・・書いてみよう・・
 超高層ビルが林立してる・・街角なんとも色彩が茶のグラディエーションが綺麗でありみみとれてるが、町に人影がない・・一つの高層ビルの足下のホールにからエレベーターにに乗る。客は満員である、超スピ^ド途中曲がり登る、分速300メータほどか、頂上に着くと展望レストランだ、とてもにぎやいいでいる。満席で客ももめてるのでその店を出て、先のエレベターにのるが男が2人、無重力・・落下してるんじゃないの・・早ーい
1階のホールを出ると・・あんれまーさっきの茶色の町は緑と水が溢れる町に激変してます・・なん・・なんじゃ・・退屈してる暗示ヤンケと夢の中で夢に気づき・・飛び出すとそこは・・

なんと  夢で今の生活の退屈さに気づと 同時に君には忍耐が必要なんだよと・・本をよんでの感想のような・・夢占いになってんじゃないの・・ヒョヒ




1月2日 晴れ チョイ暖かいです

初夢はオネイチャンと仲良くしてる所をmy超女に見つけられチャウた夢・・やん・・・なすびも富士山も出で来ないけど、オネイタン初夢で今年の夢の世界の新年が明ける。おめでたきことこの下なし。これ以上楽しい夢もそうおまへんで・・

6時前に目が覚めて、遠くの方の寺の鐘が聞こえてる、ボビョ〜ゴン〜・・。今朝は南南西の風が吹いているのだろう・・寺はそちらのほうにある。

起きて紅茶を入れる。白いもの・・そうそう飯がボールに一杯残っているので、肉チャーハンを作り食べる。ジャージャージャンと美味い。

正月用に買った食材など 数字単位は全て円です これからは年の初めに喰ったモノの値段を毎年書いてみよう

肉 類  牛肉ブロック 796 ・ ステーキ牛 398×2・豚もも580・鳥もも・鳥710・もも677・

野菜類  タケノコ水煮 98 ・レンコン 159・ 地ものネギ 298・みつば198・?150・柚100・ゴボウ198・キャベツ128・もやし38・豆腐78×2・油揚げ98・納豆60×2・ひらたけ198・人参178×2・椎茸198・さやまめ98・コンニャク120・黒豆298・

果物  ミカン 1110

菓子  あじこのみ 198 ・キスケロ100・モカミルク100・クロカリント100・ムキチョコ100・ミルクチョコ100・バニラビスケ100・ポテトチップ108×2

魚など  味数の子 598×2・昆布巻き298・蒲鉾980・めばちマグロ851・カンパチ873・生ウニ980・タコ544・ちりめんしらす298・しそ昆布185・

飲み物 コーラ 100×3

調味料 醤油 288・たれ68×5

その他 焼きそば118・松飾り40・30・蕎麦278×2

総計17266+税863=18129

5人で食べ尽くすのに何日かかるんだろうか・・4日までは充分だなー

夕べはアメリを観てしまったよ。1日は映画の日で900円でした・・ 登場人物は全員まとも・・そなな人ばかりが登場するので、ヤツパち笑えてしょうがなかった。ががげげげ・・グフフフ・・画面全体の変化していく色がナイスだなー

今日は「新宗教と巨大建築」をよむことにする



2002年 1月 1日 晴れ 

昨夜は紅白歌合戦を見ないで寝てしました。my子達が久しぶりで集まってワイワイやってたら、my次男が神棚の掃除をし始めたので、みなで神棚掃除をしました。

灯明付けて、昨年の無事の御礼柏手バジョバとみなで打ちました。kさんがなにやら大変だー・・そうそうKさんは正月になると大変なのです。恒例に成らないようにね・・風邪引いたて親子で熱が下がらず、キュウキュウ車・・夜間診療所に連れて行ったのは一昨年の正月・・そんなこともある強者ですが、今年の大晦日は当て逃げされたようで、車が傷だらけですよ・・おまけにタイヤはパンクですたす・。
 でもさすがそんなこ事にも全くめげずに、正月に腕自慢の煮豆を親戚や友だちの所に配りあるく根性です。新年もこの根性に・・大船にのたつもりでいきましょう。 宝くじ当たったかナー・・くるまに当たらず宝くじに当たって欲しいと思います

昨日・は・さーと飲み始めて午後は酒飲み、しながら飯を作りたべました。ああナニ喰ったか忘れる程・・素晴らしい手料理でした。しょーしと今年こそは料理を巧くなってオネイチャンに食べさえるよホンマに・と誓う私でした。

目が覚めたれ昼前でmy妻は正月のお重を作っていて、オネイチャンに美味いモンの喰わせる誓いはもろくも6時間も持ちませんでした

で又またサケッコのんで・・これはオトソでした。午後はお気に入りのアメリを観て、初詣。初詣でデシカメはナイスな絵を撮ってるん・・だが・・mypcそのデーター読まないよ・

オイオイ新年早々なに  ごね天・・・うむーでmy子のデジカメ借りて、モニターを写し・・pcに読み込んで・・読み込んで加工しました

いまついでに句を作りました



ローバル 新年ひろ  デジ

正月や 苦しさ  ○  

正月や 正しき 見えぬ

正月に 郵便知ら なし

飾りモン 付けて祝い 

あかしろや 人的資本 並べ射る


正月や 手抜きし柏 手  手て家族

グローバル さっさと入れよ 黒きもん

新年や 大勢そろい 目のしろき

初詣 力入れすぎし 拒ま

酔っぱらいながら日記を書く   しょうがないにっつき・・