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   2001年 9月の日記

9月30日 曇りだったが夕方から雨が降り出した。涼しさが寒さに代わりつつあるようだ。KB94年4月号を探していた。2時間ほどで見つかる。この号は特集2の米田明さんの書いた「ポストミニマリズムが現代建築に示唆するもの」と題する論文が超記憶に残り、関空の特集や第二大地の家やHが載っていた。KB編集者が富重隆昭さんに代わった最初の本でした。

で「H」について書き込まれている文章を掲示板に書き写しました。掲示板へ NO−206です。


 BOX14の見学会を開きたいと、発注者へ許可の申し入れをしておきましたがが夕方電話連絡でOKがでました。見学会にご協力とご理解を頂き感謝いたします。住宅は個人の持ちもちものであるところから、人・人の共有の知的財産に移行しないとイケナイなーと思いこんでる。現実の住環境の貧しい状況からは、なかなか脱出出来ないのではないか思っているので、迷惑承知で開いてきたが、なんだか疲れるようになってきた

そんなことはドウデモいいんじゃないか・・闇夜に石なげてどうするのだおろう。人は迷惑するばかりじゃないのか・・。

 完成間近は・・最後はなじり合いになるのは多いと思うのだがBOX14は底までいかないなーと思う。ヤッぱっりスエーデンハウスからのBOX14への転換が巧くいったのはどうか・・は私の問題ではない。しかし超特急で完成してしまった。話から1年からず完成とはやはりあきれるなー。判断に時間がかかる私は、設計にかなり時間がかかる。なんでそんなに・・言われてもかかる。で超直球はそこかしこに、私らしさを奪うことになていたが、それも一つの対応だと思う。全体としては細かな所はいつものことだが、興味ない。収まり興味ない。綺麗に完成しること興味ない。でも最初の直感はほとんど出来ている。まいいね。

金額の問題が有ったので、だいぶ高さを低くした。残念。それによって初期のイメージが損なわれることはなかった。良かった。生活者がこれからBOX14を育てることになるのだが、どのような姿に変化するのかは私の知るよしもない。いい年を重ねて欲しいものだ。


見学会10月13日土曜日の昼からBOX14の現場で行います。時間は5時ぐらいまでとしてダラダラなしよ。で行います。詳細は後・・日記などに書くことにします。


G軍の長島さんが監督を引退とか・・でTVでライブ中継してました。長島を見て野球をしてた、小学生、中学生時代はたのしかった。野球に夢中でしたね。一つの時代の終わりを確認ました。現役引退試合ダブルヘッターを元後楽園球場の内野席で見ていました。最後の打席はゲッツー。あの有名なマウンドでの挨拶は生で聞きました。

それにしてもその後のプロ野球は無惨ですね。スターを育てることが出来なかったのかと、長島・王じゃねー。G軍一人勝ちでは全体の力が落ちる。よG軍はそんなことばかりに力をいれて、最近はほとんど興味なくなって見てなかったです。

長島さん御苦労さまでした。名月も泣いているのか今日は雨で姿を隠しています


9月29日 晴れ。BOX14の現場に行き少々デジカメする。帰り道に花田達朗教授の本を受け取りに本屋に立ち寄る「メディアと公共圏のポリティクス」東京大学出版会。4000円と高価である。今日は掲示板に書き込んでたりしてなんだか、日記を書くタイミングを逃してしまった。がやっぱり日記をキチンと書く時間を確保して置こう。大島さんの意見に隣の掲示板に書くのためのまとめるタイミングを失ってしまった。まとまりのない一日だなー。



  9月28日 快晴なんだけど風が強く西の方から吹いていて、窓の隙間がビーブー唸っている。一風毎に冬が近づいてくるようだ。まだ秋になったばかりなのに。

昨日はmy長男に緊急貸し付けをした。大学に10年もいてドク論書いたりし暮らしいるのだろうが、良く飽きないなーと思うよ。温室のもやしにならないようにしてもらいたい。

とかく社会人経験なしで大学の教壇に立つと学生が良い迷惑だ。ろくな作法も身につけないことになるんだろう、学生に横柄で、社会的に地位が高い、権力者にはへー屁ーしてしまう。・・権力の犬的根性を身につけてしまいそうだからね。my長男にはそんな馬鹿な人間には成ってほしくないなー、とおもうが。それも個人の能力の問題だし嗜好の問題かもしれない。好きにおやり

才能は決して止めないことだ。・・お忘れなく。

自分が止めなくても、私のように時々建築家から・・七夕建築家から・・ハレー彗星建築家へ年を重ねる毎に実作から縁遠くなることもある。35年も建築に関わり生活の基盤を築けないのは、現実の社会に合った建築行為をしていなかったからだろう。よいことなのかわるいことなのかは判らない

福島市では11月に市長選挙があり、市職員が立ちそうだつたが、土建屋に脅されたような気配がある、立候補取りやめ。選挙は組織票が一番なんて相変わらず市民をなめている政界のようだ。度々のつまりは土建屋の後押しのある、同じ穴のムジナ同士の一騎打ちになるんだろう。相変わらずの貧困さにあきれるばかりだ。議会〜の圧力や土建屋同士の不況の中での争いに、市民の生活の行方が委ねられるようだ・・。圧力に屈するのは市職員の常なのだろうが、まともな市政には成らないだろう。立候補止めて、新市長に代わり、市職員で安泰に暮らせるとでも思っているんだろうか。歯科医師・・ひんどいよ・・気の毒に。

 仕事もないし福島を離れる準備をして置いた方が身のためだな・・。いずれ縁があれば戻るも良いだろう・・。荷物を整理して渡り職人の本来の姿に戻るのがいいのかもしれない。

  
 宮城大学の仲隆介助教授がかかれたKB−NO625「建築設計におけるネットワークコラボレーションの可能性」のなかに書かれていることだが、・・リアル・アンリアルや新しいテクノロジーを使って現状の設計環境(組織)をいかによりパワフルに出来るかが建築家に問われている・・ということだが、その意をくんで組織の改編を進めることは現在組織を動かしている人間には無理だろうなーと思う。

変更があるとすれば、やはり今の建築関係がガラガラと崩壊して、建築が無力になり、現状の建築感が音をたてて崩れてからだろう。市長選挙の裏打ちしちゃうような建築では当分期待できない。大不況が訪れて、野猿ボスが現れて市民が踏み倒す、市民社会がwebなどを通じて完成しなければNCなんてことは、利用しようとする、魑魅魍魎どもの餌食にしかならないんだろう・・。

KB4月号を改めてゆっくり読んでみよう。建築とコンピューターのことを少し考えるのには良い機会だ


青木淳語る掲示板のお誘いをしていた、成安造形大学の磯野英生助教授(以前頂いた名刺なので今は違うかもしれない)メールがとどいた。以下メール内容

佐藤敏宏 様

ご無沙汰しております。

あいにく昨今の「建築」にはとんとご無沙汰しております。青木氏には以前お会いしたことがあり、年賀状のやりとり程度はおこなっており、また先日も受賞パーティーへの出欠を問うお葉書をいただいたのですが、そのままです。どのような作品をおつくりになっているのかも知りません。ですから語り合うことはできません。不勉強で申し訳ありません。ただ、教育ではそれなりに頑張っているつもりです。もう少し長いスパンで建築や表現を考えないと、次の時代を切り開くことはできないように思えるからです。「建築」からの離脱が真剣に模索されねばならない時期にきているように思われます。


以上磯野さんからのメール内容でした。日記に取り上げたのは、あちらの教育現場でも「建築」 とほとんどご無沙汰とある。いよいよ建築なんかダサイ職業になっているんだなー。青木さんの建築にさえ興味がないのはいいことだと、ホンマにおもいます。今度大阪方面に遊びに行ったら話聞かせてもらおう・・。磯野さんとは鹿児島の高崎建築を3日ほど見学して歩いた仲です。だいぶ前ですね・・京大出て高松氏と同じ学年って言ってました。

新しい建築感が育つのは現況の建築界からではないでしょうねー、目の前の赤外線タップり感がある秋の日差しを眺めていると、建築の終焉を照らし出すような気配をなんとなく思うのです。遠くで北に向かった電車の音が聞こえる。

ガシャガヤシャー ガシャツシャー・・と消えていきます




  9月26日  晴れ 北東にあるプレス工場の機械音が南の窓から聞こえてくる。風向きが変だな。雀も鳴いてるから穏やかな一日なんだろう。

建築は14歳ぐらいから関わっているから、30年以上だ。建築関係以外で4ヶ月も関わっていることなんか、何にもなかったが、6月頭にwebにmyHP乗せたらもう4ヶ月が過ぎそうだ・・ほっ・・ヘ。ほぼ半年あれこれしてたなー、IBMから出てるホームページソフト(猿にでも出来るとmy長男語る、・・そうそう)やデジカメ、スキャナーに、慣れるのに1月かかり、P作りに1月かかった。

HP作る大きな切っ掛けは、今年の始めから雑誌で私を小特集するって話が2本続いたからでした。雑誌ノミでは、あんまりいい子ちゃんに成っちゃいそうだと、勝手に思いこんだんで。いろんか角度から自分を見てみたいと思ったこともある。チョット宣伝にも成るかもしんないし、モシカシテもしかして設計の依頼なんか有るかもしんない・・なんて期待していたかもしれない。

とにかく雑誌1本住宅建築7月号に掲載していただき、表紙にまで成っちゃいました。他の一本はノンビリこれから・・らしいので、気長ーに・・楽しみにしておるところです。住宅建築の編集担当者の中村謙太郎さんのはその後もmyHPの宣伝を方々にしていただきまして、感謝し切れぬこと・・〜(^ii^)〜です。HPのその後は・・んで思わぬ展開になっておりますです。

ほんに今年はいままでの私の生活とは無縁だった人・人と大勢知り合いになりまたなー、仕事は全然舞い込んでこないんだけど、その方々と建築のコトをと話あったりできてます。これは2001年は私の人生では最もにぎやかな年となることは間違いないだろう。今までは隠遁逼塞生活者そのもののような生活で・・

まんずは・・近場でPCの手入れをしていただいてる。Mさん・・これは大変ですよ、ほんまに今でもソフトの入れ方さえ満足にできない私に、PCの手ほどきしているんですからね・・

仙台の建築家の八重樫直人さん、まー超忙しいのに建築あそびに参加いただいて、自前の建築を案内していただいたり、近場にいる唯一の建築家の存在は有り難いですねー

3月3日の建築あそびでは私ベロベロに酔いましたが超刺激を受けたね・・槻橋修と親衛隊の渡邉英徳さんやMちゃんはPCを使いこなして、映像・音楽・暴力無しのゲーム作ってんのねー、んでそこで田中浩也さんには酒飲みして会ったでした。

アレは勅使河原三郎さんの公演をみんなで観たんだったなー、今勅使河原三郎さん達は世界の何処で踊っているんだろうか・・聞いてみよぅーっと。事務所は留守だったので、相棒の宮田さんの家に電話してみよーと・・。こちらもお留守でしたが留守電にメッセージを入れておきました。・・ヤッパFAXにしよう・・。でFAXいれといたから返事くるかなー、ヨーロッパ公演中かもしれないなー

脱線・・ほーぃ・・で田中浩也さんを建築あそびの講師に・・その後の展開はご存じの通りで、掲示板2つになっちゃいましたねぇー

そうそう途中お姉ちゃん代大騒動があり、オネイチャンちの便所の窓から飛び降り逃げ帰ったら・・なんとそこが2階で、空中遊泳して傍の電柱のに飛び移る、ケンド・・ドカーンと舗装道路に落っこちた。で足が痛い。いまでも痛いねー。窓から飛び出す前には注意してからにしたほうがいいよ・・

今日は宮城大学の仲隆介助教授からメールいただきました、貴重なご意見です
以下メール抜き書きです。NCというのはネットワークコラボレーション。PCやウェブ使い共同で何かスンベヤていうことらしい・・。WEBの通信費が安くない困るなー

>偶然建築文化4月号の仲先生の文章を拝読させていただきました。その通りだとおもうのですが、現実にどうのように関わっていいやらわからない・

●実は、僕もよくわからんのです。ただ、がむしゃらに、もがいています。そのうち見えてくんだろうと。でも、佐藤さんのやっていることはいい線いってると思います。なんか新しい人間の関係の仕方がいろいろ増えてきたんだし、それを使って楽しいことをやるのがいいのかなあと思います。便利にしようとか効率を上げようとかとは違うベクトルじゃないとつまんないです。

第一番目のポイントは楽しいコトをするためにWEBを使うということだなー。ンだなー
そして新しい人間関係を産みだして、人と人との関係を発明するんだなー、効率や商売に結び付けるなんてゲスてことなんだ・・。

>NCの世界ってたのしいですよねー、ホンに可能性大だとおもいます。

この世界って生き物で世話をしないとすぐ死んでしまいますネットはその墓場でもあるのですが、死なないためには、ひたすら、佐藤さんが楽しむしかなくて、そのうちだんだんお客さんが増えれば、もう、なにもしなくても、生き続けます。でも、そうなったら、コントロールできないですどね。僕が仲間と最初につくったみんなの建築というサイトは一人立ちするのに2年くらいかかりました。いまや、学生のたまり場になって、ちょっと違うなあと思う今日この頃です。

なるほどなー、生きる場所でもあり、墓場でもあるのねーこれはヤッパ大地なんだねー。手入れを怠ると枯れる・繁盛するぎると手に負えない・・建築や環境と似てるなー・・面白そうです・・



9月25日 快晴 きのうより大変暖かい。


BOX14の現場に出かける、床が貼り終え、外壁の塗装もすみ、金属手すりをつけていた。日記に写真を付けたらどうなるのか今日は実験してみよう。文章だけの方がいいとは思うのだが、そうしてみたいのでしてみる。
              北西の方からみた外観
建物の回りの樹木をなるべく切らないようにして建築してみた。木々に囲まれた1階の西側の部屋は森の中に置かれてるみたいな雰囲気になった。ご主人の勉強部屋なんだけど平面の丸の半分が半屋外になっていて、生まれたばかりのAちゃんと天井からぶら下げたブランコで遊べる。林の中のブランコかな。
             模型西南の方から見る

なんかデーターがおもく成りそうだなー。いいや実際の南外観。大きなケヤキの木に覆われている、2階から南のほうを見るとケヤキの葉が覆い被さるので・・樹上生活者に成ったみたいで気分していい。梅雨の時はどうかなー。

              南面外観ケヤキの記に覆われてるね

建物がどのこにあるのか判らないほど、ケヤキに覆われている。

2階の居間を見る
          
 2階から階段を見下ろす  



ヤッパ理これはつまらないので今日限りで止めて明日からは文章する。




   9月24日 快晴です。でも涼しいの・・寒ですね。

 「 旧掲示板を一定期間テーマを決めて書き込みをするようにしたい」と田中浩也さんに申し込んでおいたらOKがでました。ありがたいことです。これから10月末で大島哲蔵さんから提案がありました、建築家の青木淳さんについて多方面から書いていただければ幸いです。取りあえず処女作Hに付随して書かれた建築文化の文章と植田実さんがかかれた文章を写しておきましたので、書き込み前に読んでいただきまして、自分の意見を書き込んでいただきたいと思います。

掲示板2枚は時間の進展と共にテーマを変えながら楽しくしていきたいので、提案があれば書き込んでくださいませ。

朝方大島哲蔵さんからメールがありました。以下メール内容です

これから学校が始まるので憂鬱です。でも一旦始まるとそう言ってられなくて毎日、刺激をくれてやる役回りに徹することになります。お互いもっと生産的なことにエネルギーをさきたいものですが、インチキ臭いコンペに活路を見い出さないといけないなんて、社会から嫌われたものです。戦争に反対し、経済に反対し、スペクタクルに反対し、市民社会に異を唱えたのだから当然でしょうけど。主流派から見たら私達はタリバンの一味に見えることでしょう。

青木淳のチャットページがスタートしたらまた書きます。本人も見るかも知れないので余りいい加減なことは書けませんが...。

以上大島哲蔵さんからのメールでした。

最近明らかになって来てる、テロのその後ですが。アメリカは完全にテロの手にはまってるということじゃにでしょうか。日本は犬状態ですから完全にとばっちりを喰らいそうでいけまんですね。

アラブやイスラム教も私たちの社会のように、多様な考え方と多様に存在している。ビンラディン率いるテロ集団はアラブやイスラムの世界でも明らかに異端又はマイノリティー、であった。ということです。アメリカをテロによってあおりだして、アラブやイスラムを敵視させてしまう。で追い出されたアメリカは解決不能なテロ叩きを進めると、アフガンの市民が争いに巻き込まれ多数が犠牲になり血を流せば、アメリカへの反感が高まりビンラディンの集団の発言に力を与え、彼らの集団がマイノリティーから脱出出来る。とういことようです。相手の力を利用して相手をなぎ倒す高等な手段だったようです。相撲でいえば呼び戻し、柔道でいえば何とか投げ・・だね。

テロ事件発生から日本は独自の外交戦略で対処したほうがいい、絶好の機会だと思い、なんども書きましたが、事態は書くのもアホクサイです・・。

問題はいくつかに分解して語られなければならないようです。
1.テロ撲滅世界戦略と今回のテロ問題は分けて論じる

2・アラブとアメリカ・・イスラム教とキリスト教の歴史的問題を今テロ問題と切り離して語る

3・イスラムの世界の多様な存在を一束に語らない。

4・日本の防衛問題と今回のテロ問題を混ぜて解決する愚を犯さない。

5、世界的不況をテロの仕業とかたづけない

こんなことでしょうか。

それにしても大島哲蔵さんの
「・・インチキ臭いコンペに活路を見い出さないといけないなんて、社会から嫌われたものです。戦争に反対し、経済に反対し、スペクタクルに反対し、市民社会に異を唱えたのだから当然でしょうけど。主流派から見たら私達はタリバンの一味に見えることでしょう。」

いうメールは「s市での中学校コンペ大作戦」をおもいだしますねー 、大失敗でしたが、多くを学びました。市や議会の反応はテットリ早く、完成してお金お回すというコトが正解・重要だったようです。ノンビリコンペなどしていると折角の県や国に確保して置いた補助金の枠を逃がし、次に順番が回るのはいつになることかわからない。で、ごり押し・・政治資金も補助金も順調に回ることが良い建築を作ること、でしたからねー

でこっちらが力を入れれば入れる程に投げる飛ばされる力が増すのでした。単純に既製の制度に対抗すると、やはり私たちは悪の一味に見なされてしまいますね。

そこで呼び戻しを使い投げ倒すに、はそれ以上の技と知恵を身に付けてからでしょうか。

今回私が参加したコンペも結果はまだですが、仕組まれたようかなーお膳立てをにぎやかにするために利用された・・と言うことらしいでしょうかねー

だとすれば建築家は別な道を模索し続けないとイケナイようですね。
空っぽで大きな青空があるだけか・・



   9月23日 昨日からとても寒い。全国的に11月中頃の気温なんだそうだ。新掲示板には富士山初冠雪の写真が投稿してあった。福島から見える奥羽の山々の天辺にはまだ雪はふらないと思うが、今日から日増しに昼が短くなるんだなー。

新掲示板ができて、写真投稿機能があるのでとても新鮮。ついついやりすぎてしまいます。日記やメールでのやりとりと、ドンメチャドン混信して、何処に書いているのか判らなく成って、ついつい書きすぎて反省してしまいます。読んでる人は迷惑なことかもしれない・・、読み飛ばせば良いんだがね。新掲示板の書き込みがだいぶ貯まったので、今日はそれぞれをファイルにして保存してみました。魚魚ギョーと思ったのは、10kb以上の投稿ファイルがあるヤンケ・・。ハイテク使うのねー、面白い方がいいんだけんど、結構な容量になるんで、大丈夫なのかなー。と思う。

 又、青木淳さんをまとめて話しあおうじゃん・・という書き込みもドンドン流れてしまうなー・・あまり面白そうにないだろうし・・。専門的に成りすぎても、訪れてくれる人が限られてはしまうのはどうかなー・・とぼとぼ歩いていたら、旧掲示板を使うのがいいかもなぁー・・に思い至った。でも田中浩也さんの負担に成らなければですが。そこで掲示板に書いて置きました。果たしてどのように進展していくのか、やってみたいものです。テーマを決めて、ある期間そのことについて沢山の方々と書き込んでみる。

 専門的に成りすぎて、住人さんも書いていたけんど、建築家の情報が少なすぎて、一般の人々の耳・目の届いていない。さてどうするか・・だ。これまたむずかしい。商品化住宅を購入する人の中でも、やむなく購入して・・住むという人は一定量存在していると思う。その方々への伝えた方がいいと思うのだが・・そのよな多くの人へというのが住人様のご意見でしょう。どうしてらいいのか判らないので、色んな人が参加出来るように「建築あそび」を開いたりしていた。この半年はHPに力を入れたりしてる・・んです。

「建築あそび」のほうは会場が狭いこともあり急激に伝達範囲が広がるということはない、野遊びから思いついたことなので、近場の人達と楽しく一緒に生きながら、気長に続けようとの思いがありました。ですから何らかの成果を求めてはいない。それよりは続けるというコトが大切。でも見学会などは20人以下ではやはり小さすぎだなーなんて思うのです。適切な規模というのが判らないので、くりかえしてやってる内になにかしら考えが浮かぶでしょう。

HPは個人的な整理箱のつもりではじめたのですが・・掲示板機能など追加さえれて、私の整理庫だとばかりは言ってられないですね。慣れないもんだから右往左往してなんとか進んでいる。でも専門的に成りすぎると、一般の人には垣根が高くなり過ぎて面白くないだろうし、低く成りすぎると専門的に語りたい人には面白くなくなるようにおもいます。自分も判らないことをアレコレ書いてみて、他の方が書かれたのを読んでみたいとも思うので難しいなー

 ここに偶然・・今は2つの掲示板があるから、ソイツを生かすのがいいんじゃないかと突然思いついた。たいしたことではないがで早速やってみたくなる。

HPや掲示板で設計の商売に結び着くとは思えない。やはり商売に流れるHPはおもろくないだろう。だれでもオモロイと思うほうがいいな、私は。組織だって取り組むの場合はやはり商売第一になるのだろうからね・・。そいつは会社やオデイカン様にお任せして置こう。
個が直接評価され生きる、個人を大切にする社会の到来が来てほしとおもいながら、ショボショボ考えて行きたいなー。社会全体の中で生きる人・人の意識が転換していかないと無理だろうし難しい。

個人のHPだけだと闇夜に石投げてるみたいであったが、掲示板が着くと俄然、web人間どうしで、双方向にお話愛が出来るのがとてもいいんだなー。論座的かな・・。ボワンブワン的なにぎやかな場所が生まれる来そうでなかなかいいですねー。
 でもなんだか違うな・・とも思う。そのなんだかをもう少し考えてみたいなー。雑誌や新聞などは編集者が居てそれなりに編集されているので、見やすいということがあるだろうなー。

ここで花林糖を食べて一休みする

ホントに寒いね。暖が欲しいくらいですねー。先までも話は、流・やりながら変化して行くことにしうよう。


久ぶりに五十嵐太郎さん達のページを見たら、五十嵐さんも槻橋修さんも元気そうです。リンクページには新しくなった掲示板のことも訂正してありますた。

中村謙太郎さんありがとうございました。キットな謙太郎さんが訂正してくれたんだなー、ウルウル


BOX14それそろ竣工なので見学会と「建築あそび」の段取りをしなければと思うのです。10月13日土曜日の午後にするつもりです。工事の関係もあるし、引っ越しの件もあるし・・写真も撮影しておきたいし、火曜日には連絡をとり段取りを始めようと思う。




  9月21日 6時半目覚める、眠いけど曇り空で涼しい。昨日はigawaさんが掲示板に猛烈に書き込んでくれたので超感激しました。手間暇かかったとおもうのですが、気合い充分でみなさん納得してくれたんじゃないかなー。

田中浩也さんは夜もろくに寝ないで掲示板の手入れや、自分の研究に建築文化のCD−ROM作りで超多忙のようです。そんな中での掲示板ですからジャンジャン利用しましょう。気後れせずに気楽に書き込みしてみると、楽しくて・・くせになり日課の一部になりPCがとても人間的に思えてきますよ

建築の知識や書き込みないのに・・ワイのことをなんにも予備知識がない高校生に話すのは・・迷うなー。でスライド広げてたら眠くなり寝ちゃった。11時ジャン大変なんにもしてないんだけど、飯飯で家に戻ると・・アンレマー米無いジャン・・で素麺をゆで上げながら、鶏肉とピーマンと椎茸に唐辛子と醤油でピリ辛炒めをお急ぎ作り、my妻と食べる。冷蔵庫も財布も空っぽじゃないの・・米もないしね・・。時々建築家の収入は依然として無い。危機的状態は続くよ何時までも・・
すっかんぴんなのに、my長男は家賃払えないとmy長女にたかりを決め込んでる様子でmy長女より苦情のメールあり。緊急貸し付けをmy長男にしないと、戦争状態になりそうですね・・。資金援助出来ないぎりぎりの生活にあり・・こんな時こそ猿同士の美しさの元が隠されているんじゃないかと変に安心している。これからは欲望むき出し、ののしり愛になるか、泰然として美しくいきるか、互いの本質的な人格が現れるので、いいことです。安泰してるときなんか、どうにでもごまかせるものですよ。

財政も政策もろくなことに成ってない日本に又テロ流で戦争行為に突入なんで、モロじゃん・・なんでもアメリカの言いなりで、たかが200年ほどの国に、おどおどしてるね。またよけいな話になったな・・これから人格の真価が問われるよ・・キッチリ観察して記録して公開しましょう・・

脱線脱千・・大急ぎで銀行へ行き無い毛ねをむしる。講師料は銀行振り込みなので通帳のコピーがいるとのことでついででもあった。

担当の先生からプロフィールが必要とのことで急いで作り、自前のスライドを整える。1カット30秒で40カット。20分の予定。これは甘かったね。1分はかかるので、現場では話を飛ばすことになりました。

福島高校は母校じゃない。私が卒業したのは隣のて工業高校じゃに。なのにワイを呼んで大丈夫なんだろうか。と思ったが構わず引き受ける。県内一の進学校なので実力無いけど田舎モン的プライドが高い卒業生人多し建築関係で働いてる卒業生から苦情がでないのだろうかね・・先生委細構わずのようです。それにしても、my母校の工業高校からは相手にもされない・・母校には建築関係者のサロンがあるようでチマチマとどんぶりのなかでフヤケテいるのかもしれない。けんど・・ドウデもいい話を書いてしまった。というのは自転車で3分ほどの所に母校があり5分ほどの所に福島高校があるので、会場へ行くのに母校の前を通過するから変な気分だ。

2時半に現場着。スライドは借り物2台で、調子が悪い。ナンヤこれ・・ガヤガサヤギシとスライドが送れないよー、アレアレドナンショウー。PCから直接投影出来るレンタル品も有ったのに・・なんて機械を貸してくれた備品屋さんが話すんで、ガックリ・・そんならHPそのまま流しながら話せたのに・・段取りが悪いなー・・頑張ること20分でなんとかなりました。校長先生にご挨拶と言うことで、校長室。この高校の校長先生は超エリートでしょうねたぶん・・25分ほど話していましたが、物わかりがいいので先生で安心いたしました。積極的な子とボンヤリな子の生徒との2極分離が顕著とかです。親御さんが40代で投影だとか・・、もっと話て居たかったが時間なしで・・大急ぎ会場へ。

アラレマー  依頼の時の話だと10人ぐらいなんて・・全然違うジャンニコロンボも斜め歩きするように、沢山の学生さん来てるじゃんか。早速記念のデシカメするする。
学生さん笑う、先生も笑うじゃんけん・・構わず撮る

担当の先生がワイを紹介する。遠くの方でビデオ記録2台ほど・・・やるなー。
早速千万家からスタート・・3枚ほど話てたらこれは40枚で1時間じゃ足りないと判り、大急ぎで内容を変える、ジャ場ジャバジャババアーで40枚20分で終える。

その後19日の日記に書いた文章を話た。力入れないつもりだったが徐々に力は入りすぎたかな・・寝てる子がいないじゃん。みんな真剣に正面向いて聞いてるよ・・、学級崩壊とはなんだとか言われてるようだが、みんな真剣じゃん。でもここから一人も建築家に何か成れないよーだと脅かす。ほんとに一人ぐらい成れやーと激励する。日本にいては生きていけねーなてみんな知ってる風です。問題発言天こ盛りで、後でPTAで問題になるかも・しらねぇーよーんだ。マザコン男はいなさそ。親に告げ口しそうなアホはいないだろうなー。終了後記念デジカメする。掲示板にのせましたよー

話の中身は記録をダビングしていてただいたので、文書化してHPに乗せます

質問のやりとり30分の後、職員室で住宅の話を1時間もしてしまう。住宅の話はみんな乗るねー。

やや食材買いにいかないと飯くえねーと大急ぎもどり・・買い物トシちゃんに変身。

で今日の午後はひさしぶりにアレコレアレアレと時間だけが過ぎていきました。

高校生の諸君絶体建築家に成るんだぜー・・と超念力をかけて会場を立ち去る。ご静聴アリガトさんでした



  9月20日雲が東から西へ途流れていた。台風のせいで逆流してるんだなーなんて・・雲が厚くて光がさいさしてないので、暗いですね。

午前中なにしてたんだ・・掲示板を見てみよう・・そうだ大島哲蔵さんからのメールで、青木淳のこと色々考えようとしてたんだった。

私が青木さんを知ったのは、95年に植田実さんが書かれた「日本に現代住宅設計に何が見えるか」という論文でした。住宅総合研究財団研究年報NO22の中の論文です。94年に植田さんからの電話で「BOX10を扱いたいので図面を・・」と連絡があり、出来上がった論文が送られてきたのを見て・・10軒の住宅が取り上げられていました。
安藤忠雄の伊東邸・山本理顕の葛飾の住宅・飯田善彦も葉山の家・岸和郎の日本橋の家・村上徹の堺町の家・葛西潔の角地の木箱・佐藤敏宏のBOX10・青木淳のH・早川邦彦の聖跡桜ヶ丘の家・元倉真琴の弟十の家でした。

で隣だったので見ていた・・小田原のかまぼこやの住宅Sについて感想を書いて送ったら批評家になれと言われらけど、なにを書いたか忘れた・・。BOX11が建築文化97年2月号の表紙になったときは青木さんのOが巻頭で次BOX11でしたからなんだかご縁が有りそうな感じで見ていたんです学会賞受賞作品は見学してきました。

そうか・・ボンヤリそんなことを考えていたら昼になり・・my妻の通院日か・・で飯食いに仕事場から家に戻る。すでに遅しで出かけた後でした。
中学の同級会が11月にあるようで会費2万円・ギョエ絶対参加しない。20日分の食費に回したい、食費にするよ・・みんな金持ちなんだなーと感心する。こういう企画は幹事が不足分を全部かくぶるんだろうか・・通信費などにどうするんだろうか・・好きでから仕方がないんだろうなかぶるもの・・。名簿が送られたきたがほとんど覚えてないんだ。高校の同級生に昔を懐かしんで酒呑むのが楽しいと思わないのかー、とケゲンナ顔されて嫌われたが、どうも昔を懐かしむ気質ではないから嫌われてもしょうがない・・、振り返るのが好きな人同士で集まるのが良いんじゃないかと言ったら又嫌われたことがある・・まそんなことになるのが嫌だし、相手にも迷惑かけるだろうから参加しない。鈴木和彦さん御苦労さまです。皆さんにと言ってもだれや・・ヨロシク。

仕事場に帰ると書き込みが沢山ありました。井川さんが力入れて書き込んでくれてるねーカンシャ感謝です。北海道の現場管理に行っていたのかなー掲示板で本格的に知り合う人だね。秋山聖さんもソウだけど・・不思議なご縁でwebに集まりんだなー

書き込み書き込み・・明日の福島高校の準備なにもしてない・・ブッツケ本番でいつもの調子出行こう・・。

BOX14の現場に出かける。今日から床のし上げが始まり、週末に完了で床が終わるとなんだか出来た気分がするね・・。げーー変な煙突付けられたなー、反対してたのに・・まいいか・・。まいいか・・で監督と少々打ち合わせ・・

カエル、今日の晩飯を作る。ロシアさんの赤い皮で白身の魚298円。一匹の切り身をムニエルと焼き魚にしてた。ムニエルは中心にロシアに魚で回りを120円のアメリカ産の赤いグレープフルーツで取り囲み、白い皿に載せたら日の丸になった。デシカメするする。皮の方から焼きは始めると縮むねー、魚なのいエビ反りしてるよ・・みそ汁とご飯でごちそう様でした。

今日はまとまらない一日でいしたが書き込みやメール沢山頂きました。皆さんありがとうございました。感謝 m(_ _)m



9月19日  曇り 今夜は雨がふるのでしょうか、徐々に雲があつくなってきました。物音が無く・・と感じていたら電話があり、21日の福島高校での講演会の事前打ち合わせをしたいとのこと・・。学校までは自転車で5〜7分ぐらいです。

久しぶりに訪ねた、my次男が卒業して5年ぐらい経っているでしょうか・・内部が改装されて明るい色彩に変わっていました。教育施設にかけるお金が少ない・・出せないのでしょうが、IT革命を推進している・・いくのであれば、県内一の進学校なんだからPCぐらい一人に1台有っても良いんじゃないでしょうか・・とおもうほどPCが無い。図書室と進路指導室に2台ぐらいだとかでお寒い状況でした。それぞれ自宅に有ればいいんんですが。

簡単なメモ書きを作り持参しました。戻りに小雨が降り出していて僅かの道のりでしっとりと濡れました。冷たいです。webに乗せたいと思います・・間違いやいい考え方や意見がありましたらメールをいただければ幸いです・・。

鹿島町のコンペは作品を公開していてたなんてはじめてしりました。町のHPを訪ねてしりました。審査結果が公開されたいませんでした。14日午前9時〜午後3時までだったなんて・・観に行けばよかったなー、後の祭りでした。結果の公開がないのでまだ脈ありでしょうか・・怪しいね http://www.kashima-town.org/index1.html  

以下高校で話を主な内容です。自己紹介のために多少の今までの建築作品のスライドをします。以下順に1時間ほど話。後30分ほど質疑応答です。

              建築と建築家

 序   新しい世紀になり、情報環境が世界の都市を中心に急速に整いつつあります。そのような状況のもとに私たちが生きるのだという自覚がますます大切になります。メディアによる報道とインターネットにより個が発する情報の質・量の多様性はますます加速すると思われます。そのような状況下にあって建築家を目指す若い方とお話できることをとても光栄に思っております。

 建築家について語る前に建築について思いを巡らせてみたいと思います。以下はあくまでも私個人の考えかたです
建築・・・  情報(知識・感情)と物(天然・人工)が複合的に集積して出来上がる形態やそのことによって生み出される状況を建築と言うことにいたしましょう 

情報としての建築 (歴史・文学・法学・思想史・経済史等から建築を語る)

物としての建築  ゴミから天然素材・人工的に生産されたモノの集まり
        所有としての建築(私的所有物 個人・企業等)
                (公的所有物  国別・地方自治体等)
職業としての建築 (明確に区分されているわけではない)
        建築を思考する人(建築家・教授・)
   作る人  (模型製作・製図を書く人から施工業者まで)
   維持管理する人(管理運営維持から補修業まで)
   調査研究する人 (敷地周辺調査から建築史や材料研究まで)
   伝える人   (雑誌・やインターネットデザインなど)
    映像としての建築 または見ることの建築的思考
映画のなかの建築  TVゲームのなかの建築など

ソフト関連の建築

建築を各要素で区分する  意匠・構造・機械設備・電気設備・内装・インテリ・照明・家具・マテリアル等

建築家とは   独自な建築の定義や仮説を立てることが出来ている人で、状況に対応して新たに建築を発見発明する人です。製図が出来るひとではありません。 大学院や博士過程を終了しても建築家になれる人は希であり、そのことによって建築家であると称される保証はありません。日本では建築士という国家制度があり、1級や2級という資格があります。それを取得しても建築家と呼ばれることはありません。また国際的に通用する資格ではありません。建築士の資格を持たずに建築家と称される人もいますが、多くの日本の建築家は1級建築士の資格を取得しています。製図しない建築家は多いですが文章・スケッチ・模型製作などほとんどの建築家はとても上手いもので

世界で活躍する建築家
     現在最も注目されている建築家はオランダのレム・コールハースです。その他にフランスのジャンヌーベルやドミニクペロー。スイスのヘルツォークとドムーロン・ピーターズントー。アメリカではフランクゲーリーやスティーブンフォール。日本では伊東豊雄や磯崎新などです

若手で注目は

妹島和世・MVRDV・ザエラ=ポロとフシド・ムサヴィなど多数

日本での若手
ICUの長田直之  FOBA  アトリエ・ワン塚本由晴と貝島桃代
阿部仁史      遠藤秀平   岡田哲史  佐藤光彦  玉置順
大西大良      宮本佳明 槻橋修   八重樫直人 西沢立衛

私が注視している建築家   青木淳
   建築史家          五十嵐太郎
   建築批評家        大島哲蔵 植田実

建築家になるためになにを学んだらいいか
ここに集まっている人が建築家に成れることはないでしょうが、もしかすると・・
今日から建築家に成る覚悟を決めて、毎日建築家に成るんだと思い続けて生きることです。ならなくても過程が大切です。建築教の信者に近い生活をすることです・
1・
時間を惜しんで勉強すること。現代世界の状況を理解するために、歴史など・・自己表現のためには文章が書けることが大切・絵が描けるなど他者に自分の意志を伝えるためには魅力的な人間でなければ、注目されることはないでしょう。地縁血縁が世界に通用すると思わない方がいい。
2・多様な状況や欲望が渦巻くなかで、整理し解析してモデルを提案しなければ、理解されることはないので、いかなるコトにも動揺しない柔軟で強靱で平安な精神を持たった人間になること。
・体力を維持するために食生活を安定させる、自炊は必修で料理が上手い建築家は多い
4・パソコンは欠かせないのでソフトまで製作出来る私の友だちである東大生の田中浩也さんのようになれとは言わないけど、CAD・フォトショップ・イラストレーターは使いこなせるように。
5・新しいモノやコトを創造したり発明する人になるためには常識を鵜呑みにして生きてるような人間には不可能です。世界の明日を体験したことがある人は誰もいませんので、大人や周囲の言説にだまされることなく現実を見つめ生きていくこと。友人や女性を愛すること。他者の存在を大切に思うことなどでしょうか。 
6・語学 (英語・フランス語・ロシア語・中国語など)


9月18日 晴れ 今日は北東から風が吹いるようで機械工場のプレスの音が繰り返し聞こえてくる。計量器を作るメーカーの下請けらしんいんだが、日本で製造してもコストで勝負出来るんだろうか・・と思えるほど産業と情報のグローバル化が目に見えるように成っちゃいましたね。以前だと東北と関東なんて関係だったんだが・・東南アジアや由中国と日本という価格比較・・人件費比べに成っちゃいましたね。人件費の格差はいずれ解消または落ち着くでしょうが当分・・


昨日から新しい掲示板を使えるようになり、旧掲示板の書き込みをmyHP移動したりして、モリモリ楽しんでしまいました。新旧沢山の書き込みありがとうございましたすぅー・

今までの生活と変わりましたね。何がか・・というと・・インターネットというのはコミュニュケーションの可能性を発明する新たな道具なんだということを体験する毎日ですね。世の中にHPが出はじめた・・・HP広がる当初は仕事に活用できるなんてフレコミだったと思うんです。そう言う流は迷惑メールに要約されるような世界に傾斜して固まりつつあるようです。手近なところではモノを買うためにネットで注文ですか。myデジカメやスキャナーはネットで買ってもらいましたね。安さと2日ほどで手元に届く早さ便利。ネットサービスと実物を輸送する手段を平行して拡大していかないと不都合が生じるんだろうな・・でかくなるばかしや・・なんてボンヤリ思っていたら、テロで株価世界同時安になった。物流が滞り価格が上昇するだろう・円高との関係もあるから複雑で直接財布に響かないかもしれない。

生鮮食料品はどうなのか判りませんが町から小さな専門店が消えて久しい。全部スーパー。情報が一括管理されて、食い物がモノのよに扱える、運搬技術が、薬投入しているのかもしれないが不明・・生モンは運搬しながら育成するなんてことになるかもしれない。
 マイカル潰れでも取りあえず店は開いている。市内の小さな専門店軒並み潰しておいて、言い過ぎかな・・中心市街地空洞化なんてのもそのおかげで浮かび上がる新たなお仕事ざんす。・my怒るも自分で潰れるチャウ・・。世界の機構が激しく変化しているのは理解できるが少々不快感があります。車ある人はいいよ。元気な人は何処でも行けるから・・。

思考もそうだ・・ 民主主義と自由が地球の隅々まで覆い尽くし、アメリカ的な、イケイケゴウゴウ・・女はマリア様で男はキリスト様で復活さ・・でもって悪と立ち向かい対決して・・後はハッピーエンドの世界の結末ていうのは・・アジアの片隅に生まれ育ち八百万の神々を受け入れ、生活してきた私なんかは単純過ぎて・・ハリウッド的映像ってアホ臭いなーって思うのよ、そうじゃない。ドウモ本気で映画作っていたようだ・・ギョエ

資本の集中と情報の集中管理が手軽に行われる弊害はあるよ。日本でも似たいようなものですね・・情報が一方的に流れて来るだけ・・で、ハッハーハーと垂れ流来る情報を自らがオウム返しに語っている。そんなことがおおいんだよね。あらるものの一極管理には嫌悪を感じるね。今回のテロ犯人も世界終末映画の配役のようだ・・有る曲げ丼的脚本を地で演じてるようだし、悪をやっつけに一致団結する姿は有る前丼の映画のようなんだ。単純狂気ていうやつだ。沢山の人が死んでるんだから不謹慎。そおうかも知れないけど、テロの元を解明してから後、解決しないと、若い兵隊さんが沢山死んじゃうよ、泥沼行きのほうが無謀というモンだよ。死を覚悟してるなんて言い出してるから超こわ

アメリカの正解終末はニューヨーク崩壊と決まりだった。最近のAIもそうだったし、ファイナルファンタジーもそうでしたね。過度の繁栄による自己内深層の不安が爆発寸前だったのかもしれないね。ニューヨーク破壊を何度も何度も映画で演じる。訓練うけていたから、現実の行動も映画のヒローを写してるし、団結も、狂気的映画的に進展して実に素早いんだね。キルスト様にお祈りして戦争を回避してモレェテェー

そんな中にあって掲示板や今日の田中さんの薔薇束ショックヒュー・・を体験してると情報の集中管理の悪が逆照射されて、現在の情報環境傷口がよけい痛々しいんです。世界中の個々に平安な日常と、ホヨヨン〜的生活が訪れるための裏支えのためにインターネットの技術が使えわれるべきなんだと、深くおもいました。強者や武器在庫一掃のために情報を極度に管理する状況を放棄さえるには・・ホヨヨン〜的エネルゲーや花束ピョヨヨン〜的コミュニケーションを拡大させるのがいいんじゃないか・・

これは決して現在の常識世界では商売なんかにならないので、常識を転換して体温のヤル取るが現在の経済行為と同等の価値と意義をもつ世界を作るしかないんだと・・田舎の道端の木瓜の実をデジカメしながら思うのでしたす。



9月17日 晴れ昨日の雨で大気中のほこりが流れてしまたのね・・澄んだ空気が仕事場まで流れて来ている。

昨日はコンペの結果連絡がないのであきらめ・・・することもなく仙台の八重樫直人さん建築を見学してきた。帰りがけに模型を手伝ってくれた学生さんに電話して又飯と呑みしてしまいまいした。

八重樫さんの建築は東北大学のキャンパス内に有る情報関係を勉強する施設です。小雨の中に静かに佇んでいました。ステンレスで編んだ簾が建物の全体を均一に包み込んでいます。簾の中は柱と梁と大きなガラスのみで、内部がほんのり見えるし、硝子に写った外部の樹木がボンヤリ仄かに見えてます。風が無かったので簾の揺れを見ることが出来ませんでした。道側の一断面以外は全部ステンレスの簾が覆い尽くしていました。切り口はきになるなー

全体は建物に向かって右側が3メートルほどさがり丘にあります。敷地奥にはRCで作られた池があります。2階の部分は池の上に5メーターほど跳ね出してあります。建物は敷地の段差を巧みに吸収して、全て簾で囲まれているのでとても強い抽象性を獲得しています。完成後取り付けられた白いブラインドの羽根がじゃまして静謐さを破っていますが周囲の平凡な形態とは異なり、桜並木やキャンパス全体の傾斜と心地よい緊張関係を産みだして建つ建築でした

青森にある五戸の家や山形にある吉原の家は周囲の関係がいまいち・・無関係かな・・でしが、大学の施設は周囲と・・とても良い関係でした。内部の構成は山形の家にある強い方形が、与えれれた地形を受け入れるために緩やかに溶解して形態がときほぐれて行く様子が見えて、より柔軟な設計態度を身につけタコとを現していました。五戸の真っ黒い外壁を突き破り、抽象的な内部の形態がステンレスの紗をまとい現れい出たと言えば理解していただけるかも知れません。五戸の家や吉原の家は「建築あそび 」の記録に有りますので見ていただければ幸いです。

さてステンレスの紗をかなぐり捨てると・・内部の抽象形態はいかようなモノなのかは、後続の建築を体験しないと判りませんが、八重樫直人さんは着実に建築家としての道を歩んでいるコトだけは間違いないですね。今後の完成した建築を体験してmyHPをごらん頂いている皆様と共に八重樫直人さんやその仲間の建築を見届けますたいと思いますのでヨロシク共観をお願いいたします。

さて深夜仕事場に戻ると・・アンレマー東大生の田中浩也さんが写真投稿が出来る新しいBBSが開設されてるンじゃおまへけ (@_@) (^o^) !(^^)!

以下掲示板文章です

佐藤さん、貴方のことをもっと公開してもらいたくて、写真投稿BBSを作ってみましたよ。http://www.spacetimedesigns.org/cgi-bin/udboard.cgi
なぜ、こんなに時間がかかったかというと、現在のこのBBSにそのまま写真投稿機能もつけようと、いろいろ試していたのですが、それがどうしてもうまくいかず、結局、別のBBSをもうひとつ作るということしかできませんでした。こういう場合、移行がとっても難しいと思うんですね。この現在のBBSを、たとえば9月一杯でおしまいにして、写真投稿つきの新BBSに10月からすべて切り替えるか?それとも、写真投稿用のほうは「佐藤さん専用」にして、通常のやりとりは、現在のこのBBSで継続するか?あるいは、誰かものすごく時間のある人が、このBBSの書き込みを全部コピーして、新BBSのほうに書き込みなおすか?(171件もある・・・)最初っから写真投稿つきのBBSを公開していればよかったのですが、ちょっと面倒なことになっちゃいました。どうしましょうか?佐藤さん、ユーザーのみなさん、ご意見お聞かせください。

以上です。
即・・意見も聞かずに全部私がもう一度打ち直して掲載してもいいとおもいました。建築あそびの記録を文章化して思うことは、その場で理解しようとする態度を停止すると、自分に都合のいい話だけを記憶して編集し直してしまうんだと言う発見です。何度も繰り返し聞き込み文書化を進めるうちに新たな感情やアイディアが発明されてるんですよ。・・例えば8年ほど前に私に降りかかったと私が思った狂気の表記にしても、書いているのは私の感じ方ばかりで、良く聞いて見ると狂気発信者は私の感じ方とは全く異なっているんです。時間が経てば経つほどに認識が大きく異なり、アンレ・・は私の思い違い・・又は夢じゃったんだーと思うほどでして・・当時は全く私の誤認だったと言ってもいいということです。それで良いんですよ。真実は誰の中にも存在することはないんだ・・で気象のようにはかりしれないんだね・・。。

ですから何度も書き込んだりも読み込んだりして、浮かび上がる幻影の中を浮遊しながら生を常に確認するのが、疲れ知らずに生る術なんじゃないかと思ったりするんです。

長々となりましたが、全部書き直して楽しむつもりでしたが、そうそう・・と思いたち・・大急ぎでコピーアンドペーストを用いてmyHPのPに過去の掲示板を移しておきました。不都合は有るかも知れません。今度の掲示板も文章のみでも掲載出来ますので、気軽に書き込んでいただきまして、日本各地又は世界中の方々と交流出来れば良いと思います。時々訪ねていただきたいと思います。


田中浩也さんまたまた感謝いたします。m(_ _)m

コンペの連絡来ないのでペケだと思っていましたが、町の話ですと議会中につき承認次第町のHPに掲載するとのことです。明日または明後日になるようですから、結果がでるまでmy計画の内容をWEBに乗せるコトは控えて置くことにいたします。コンペを企画してくださった町の皆様と参加者全員の健闘に感謝します

結果からみても・・まともなコンペで有りますようにお祈りいたしております。



 9月15日年寄りなんか構ってられないよ・・敬老の日もすっかり忘れられ、世の中はテロや潰れたマイカルの話。秋雨前線の気まぐれが、時々小雨を街にまき散らしている。

花田達朗教授にお会いしたのは一月ほどまえだったが、本屋に行かずに時間がすぎていた。コンペも終わりペケらしいので一段落したかな。福島市内で一番大きい書店に行ったが教授本見あたらず、カウンターで注文を頼んだが取引が無い出版社で注文出来ず。東大出版会の「メディアと公共圏のポリティクス」も頼めず。もたもたした本屋のオネイチャンなので、注文の取り方も判らないんだろうとあきれて蛙。以前はベテランのオバサンが居たんだけど、不況でリストラされたんだろうか、休みだったんだろうか本屋も変わった。

客の大オババ柳美里さんの「命」を得意げに抱えて買っていた。敬老の日に柳・本か・・年寄りにも人気有るんだね。「命」は書店入り口に平積みで飾られていたから、売れてるかもしれない。命なんてタイトルにひかれたのかな・・柳さんは東由田加さんの治療費にお金をつぎ込んでいて、出版社から借金タンマリで、本屋も力入れたんだろうな・・ドンドン売れて柳さんが家族に何故そんなにこだわるのはを書き表して欲しいと想うのでした。彼女の描く家族は近代の家族制度の陰を背負っているんだろうか・・興味あります

帰り道にはマイカルグループのスーパーがあります。お客が出入りして潰れた店顔していなかったが、新聞によると1兆8千億円の負債だっと。巨額だね。月30万使い1年で360万、10年で3600万、100年で3億6千万円か。何にもしないで金使い100才まで生きたとして5000人分ヤンケ・・。10年間月30万円使い遊ばせたら5万人も遊んでいられるヤンケ。全く生産性にむんけい遊ぶコトできないんだから元金が3回転するとして5兆3千億か・・

それば溝行くんか・・また不良債権の出来上がりてことなのね。福島市内にマイカルスパーが出来てまだ2年ほどなんじゃないか・・完成当初から2年で潰すなんた言っていた人がいたけどほんとなのねー。で1兆8千億円か。俺に使わせりゃモット無駄に使ってやるのになー・・金の使い方しらねぇーヤツ多いんだろうなー。
テロで株下がり資金繰りがつかず潰れた。ということでテロのせいにしちゃう論調有るけど、これは酷い話だね。明日の世界情勢なんて気象のようにほとんど予想つかずなんだから、消費不振やデフレスパイラルに突入していた状況下で良くもまー・・貸しも貸したり借りも借りたり・・したたんですね・・。建築超酷いよボロボロで坪当たり25万円で請け負うたなんて話してたから。

そんなに安い建築作って採算に乗らないんだから、計画は当初から無謀だったんだろうなー。月15万使わせて100万人を一年間遊ばせることが出来るんだなー。駅の傍だから競売にかけて、県は安く競る落とし高校生の遊び場にでも転用したらいいんだよ。映写室も沢山有るしライブもできる。

アメリカのテロ戦争には4兆8千億円まで使うことが議会で承認されたようだ。パレスチナ難民に月一万円くれて遊ばせたら3900万人を一年間遊ばせることができるんだなー。遊ばしてる間にテロの準備に余念がないてこともあるだろうなー。でも貧困と現世のつまらなさ・・希望無き日常がテロに参加する戦士の深層に有ると言われているんだから、解決方法は有ると思うよ。

ボーイングを乗っ取ったテロリストは20代の若者が多いんじゃないか・・。殉教作戦らしいよ。「殉教作戦とは抵抗の一形態である。占領下にある民衆はあらゆる手段で抵抗する権利があるが、我々はロケットも戦車もない。殉教作戦はイスラエル軍の攻撃を阻止するための対抗処置だ」とイスラム過激派ハマスの精神的指導者のアフマド・ヤシン師が語ってるそうです。エスラエルとパレスチナの問題が背景にあるようです。

 パキスタンは98年の核実験で経済制裁をアメリカから受けていたから、アメリカに金を頂き空域使用を認めるようだが・・ビンラディンとも駆け引きするんかなー、なんぼ出すや・・なんてね・・やはりメディアは沢山テロ側の情報をも流すべきだなんだよなー


グローバル化が進むコトによって賃金格差や表面化して、差というモノが白日の元に晒されることになる。で平等な自由を豊かな国は貧しい国に配布しないと、このような問題は一行解決しないんだろうね。地球は一つなんて言うのは簡単だけど、極端な差を目の当たりに晒されたら人はどんな行動に出るんだろうか。
やっぱり奪い取るとか、貧困の源を捜し当てて殉教なんだろうなー。日本の神風特攻隊だってお国のためなんた叫んで自爆をすすめていたんだから・・そんな経験があるし、日本は核爆弾でテロの比じゃない無差別攻撃の被害を被っているんだから、独自な行動が無ければおかしいよ・・


マイカル潰れのお金とパキスタン経済封鎖解除で空域使用料の金のことを、潰れても客が来てるスパーを眺めてぼんやりおもいました。

最近急に詰まらない話ばかりに成っているな・・「メディアと公共圏のポリテイクス」をかいた花田教授はここ数日の日本のメディアについてどんな感想をもっているんだろうか・・。



 9月14日 朝から小雨が降る一日でした。秋雨前線の停滞でこの2〜3日は天気が悪いようです。一雨毎に涼しくなっていくんだなー。

昨日はページ内リンクというのを教えてもらった。リンクのアイコンを選んで、ジャンプしたいところにラベルを付けて、ここからジャンプしたいと思う所でリンクアイコンを選択してラベルへ・・でページ内リンクの出来上がりです。これも良いけどズルズル眺めて最新に行くのも捨てがたいなーー。ページ内リンクはしばらくやって見ましょう。
 最新日記は一番頭に出てくるのがいいそうで、これもコピーアンドペーストのやり方を少し変えました。もう少し早くそのことに気が付けば見やすい日記になってたかも知れませんが、自己流のやり方に慣れると、どうしてもそれを続けてしまうんだよね。ですから徐々に手を加えたり、新たな手法を教えて頂いたりして改良していきたいと思います。自分のコトはなかなか気づかないので、掲示板やメールで意見を寄せていただけると幸いです。

 新しい戦争がいよいよ拡大開始のようです。アメリカは州の予備軍を呼び集めたり、大統領と副大統領が居場所を変えて安全を図り、パキスタンやインドやソビエトやトルコと連絡をとりアフガニスタン叩きを開始。長引きそうだな。イスラエルやパレスチナの方に戦線が拡大しないんだろうか。世界はテロ撲滅に向けて動き出したのだな・・。報復の繰り返しのヤッツケアイになるだろうなー・・やっぱり憂鬱である。秋雨前線の停滞のように涼しいなー。アメリカはこれに乗じて新しい安全保障の枠組みをアメリカ指導で作り上げる。・・世界中を巻き込んで構築してしまうんだろうなー、益々一極指導体制が強くなるのか・・、結果アメリカ対イスラム社会の対立が生まれて酷いことに成らないよう、政治家しっかりしてくれよ・・

福島県では未来博を今月末まで須賀川市の東で開催していたようです。今日のニュース・県内のニュースは見ないんだが、偶然みたら、目標入場者数200万人。大風呂敷の入場を予定して蓋を開けたらしいんだ・・が会期末になり前売り券を買っても40万人分も使われていない。県が業界に押し売りしたんだろうなー・・今日現在の入場者は110万人ぐらいだなんて、2週間で閉会するんだから大赤字間違いなし。200億かけてまた赤字の上乗せか・・。目的は首都機能誘致のための運動の一環だろおうが、あわよくば活用しようなんてバブルの夢のような胸算用をして開いたようだ。どちらも良い方に転ばないようだ。緊縮財政の中で首都機能移転は立ち消えてしまうようだ。大臣の移転問題は再考をようす発言が大きな問題にならなかったし、さしあたり移転する問題は見あたらない。テロ攻撃に備えて機能を分散するようなコトは考えられるかもしれない。大量な財政赤字が出るんだろうから・・


余りいいこと思いつかない秋雨前線停滞の夜は酒でも呑んで早く寝たほうが良さそうだ・・コンペの審査が今日行われているが連絡梨で又また落選のようです。チョッチ図面のプレゼンが良くなかったかも知れないけど、これも実力のうち。しかしコンペは何度でも挑戦しますよ。


  9月13日 朝方は晴れていたが夕方小雨が降った。

今日はBOX14の現場で監督さんと打ち合わせ。現場では木製建具や木製階段の取り付けをしていた。床を貼ればもうすぐ完成する。設備機器を取り付けて試運転してと。2月遅れで何とかなりそうだ・・。

BOX14は昨年の11月に土地捜しから購入。計画して見積もり、申請を3月5日に済ませ。着工。やく7ケ月で完成しそうです千万家は木造平屋で40坪ほどでしたが4年もかかりました。ほとんどのBOXは着工まで1年はかかるのですが、借り入れ金の金利負担を少しでも少なくするため、大急ぎで計画から着工でした。目玉がクルクルゲロググの工程を進めました。

かなり無理がありましたが、やはりそれが条件となれば致し方がないので、直感を頼りに計画を進めたわけです

土地はBOX4の傍です。道を挟んで東南東に40メータほどでしょうか 、並んで建ってしまうような感じなんです。BOX4は東西シンメトリーで1/4の筒状の形態を並べて橋と称する円弧状の太鼓橋を掛け渡して橋が屋根のような建築としました。今ではすっかり植物の架台になっていて植物が渡る橋ですかね・・。

BOX14はムーミンのハウスを参考にしました。計画に当たり家の希望を聞きましら絵本・・ムーミンの絵本のなかの家を示されましたのでそれで写して計画しました。ムーミンというのは絵本の中世界に生きてる・・生物なのか妖精なのか判りませんが、絵本の中に有った彼・彼女の家が筒が二本並んで建3階建てほどのモノでした。ですから絵本の写しです。屋根は茅葺きでしたが、市街地なのでそれは出来ませんから、平らな屋根にしてシート防水を使用しました。

余り単純過ぎてはいけませんでしょうか。最初に電話がありました時に、妊娠したので大急ぎで家を作りたいというこでした。妊娠と建築の形態をダイレクトに関連づけて建築を構成してみたいとも思いました。ムーミンの筒2本と妊娠を一つの敷地に新しい漢字を書くように・・生み出すようにしたわけです

妊娠と言う言葉を聞いたときには卵割して細胞が二つに分裂し始めて・・細胞分裂を繰り替えして小さな生命体が母の体内で育まれるんだなー・・。三木成男が示しましたが、体内において生物の進化をなぞりながら人になる、そんな過程をしめした写真を思い出しました。卵子が最初に細胞分裂するような感じ。・・不安定で曖昧なンだけど人に成る希望もある。とても理解しがたい形状がやがて人という生物に成る。そんか過程を建築化したいとおもいました。

ですから円が二つ並んでいるよにも見える。一つの形態にも見える。とても形態にも成らないそんな平面を重ねて3階ての建築としました。

工事に入ってからも曖昧さを平面形の中にドンドン詰め込むのが細胞分裂の経過強く表す、わけなので、管理の仕方としては設計者の意志を出来るだけ完成した図面内のノミとどめて、発注者の意志や施工業者の希望をダイレクトに配列するのが、ヨリムーミン生物進化建築としては良いだろうと思いました。で現場には何度も足を運びましたが機器の選別から色の選択までほとんど口を挟まず任せました。どうしても発注者では判断出来ない箇所のみは私が指示しました。本来ならモノの配列を一切見届けると言うやり方が現在では一般的で、管理放棄と見なされ兼ねないのですが、発注者の理解があり問題になることは有りませんでした。ヨリ自発的に建設行為に関わって居たという実感があるようです。

一般的な管理の仕方で建築を作り上げるのもいいのですが、自生し続ける建築を望む私としては、工事が出来て完結するという気分はなくて。何年も共に生きている建築、という思いが大きく有るのです。ですから使われ始めるとドンドンモノが持ち込まれ、つまり住手の設計行為が開始されていくわけです。やがて一段落して日常が開始されますが。長い目で観察したり、定点観測のように写真で記録を撮ると判るのですが、一瞬も同じような状況がそこには写されていないんですよ。いつでも住手が設計行為を付け加え又は上書きし続けて生きているんです

そんな住手の建築や周囲の景観との交感がうまく建築の中で行われ続けるコトガ一番いいわけですよ。ですから建築が出来たと思いこみ完成写真を撮り終わる。と言う従来の行為ではドウ欲求不満というか何かやり残してる感が有りすぎるわけです。私は

その後は野となれ山となれ的な建築の突き放し方は有るのでしょうが、自生する建築というイメージからはほど遠いんでして。

いい加減と勘違いされかねないんですが、建築工事当初からドンドン付け加えていただき変容し続ける建築を楽しみ、また付け加えるのがいいんでして、工事の時間の中に発注者の生活がとけ込んでしまうのが良いと思うのです

これは曖昧さや形態の多様な配列を認めないと出来ないので、絶対建築を信じる建築家には反吐ものだと思うのです。私は彫刻にヨリ近い建築を標榜してないんで、建築が限りなく彫刻に近づくコトには反対です。建築が進化た先には、より形態が不明になりカツ美しい姿で生き続けるという建築がいいのだと思うんです

それがどのような建築の手法と方法で手に入れることが出来るのかは判りませんが、模索しているところなんです。もう少しで・・・今月末にはBOX14は完成です。また建築家の皆さんには汚いなんて言われるのは判っています。ゲロゲロ・・




9月12日

9月12日台風一過の快晴。昨夜は福島県の東海岸を台風が北上して大雨になるものと覚悟していたら、少しそれて・・雨風とにも少なくてよかった。関東地方に大雨をもたらして多摩川が決壊したのは24〜5年 前だと思うが、その時は京王線の北野駅から渋谷の恵比寿まで通勤していた。my長女が生まれ妻子夫とも親戚の厄介になり、2月ほど京王線通勤となってました。台風が都心を襲い多摩川が決壊した。岸にある住宅が何件も濁流に呑み込まれ流れ消える様をニュースは放映し続けていた。極度に人工化された都心で暮らしていると、除除に身体に伝わる季節感や脅威を忘れてしまいます。何もかもが快適にあり人が天然の一部であることさえ忘れてしまうんです。

天然の災害が人工化した町を襲う。地震・雷・大雪・大雨・台風などがやって来ると人工化の皮が一気に剥がれ落ちて、なんだかとても頼りない場に生きてるように思えるものだった。大雨などがあるとそこら中の小さな河川から水が噴き出したりして交通が麻痺してしまう。脳の中の小さな血管が破裂して身体の機能が麻痺してしまうのに似ている。
幸い人と異なるのは、一つしかない脳と違いいくつもの代換え機能を都市は備えているので、災害現場を除けば、元の街の姿に復活するのにソウソウ時間は掛からない。半日もすれば何事もなかったよう姿で街は生きていく

建築を設計していると災害などで建築が崩壊して様をTVなどの映像で見続けるのは辛いものである。自分が設計したのも関わらず、なんだか人の無力さを思い知ってしまうのもである。阪神淡路大地震の時もバタバタと崩れる建物や高速道路。倒れているのを見てると、地震なんか平気なんだとい専門家の話を聞いて思いこんでいた自分が恥ずかしくなったりするもんだ。そんな思いこみが、真っ赤な嘘で有ったなーと思った。幸い知人の設計した建築が倒壊したと聞くことが無かったので少しは気が楽だった。。

三菱重工ビル爆破のテロが起きたときは、傍にある三菱電機本社の社員のための共同住宅を設計していた。打ち合わせを済ませた設計のチーフが、テロ現場近くから恵比寿の会社に戻る途中であったため、直接被害にあうことは無かった。が30分ほどの違いであつた。設計部の同僚一同ぞーっとして、仕事もせずに怖い話をしていた。生きていて良かった良かったと話て1日が過ぎたのを思い出す。

昨夜アメリカで起きた同時多発テロはそんな記憶を遙かにしのぐ凄まじさである。ニューヨークの110階建ての貿易センタービルが崩壊してしまった。テロリストが乗っ取ったアメリカの航空機ボーイングで突っ込むなんて・・新しい戦争の形なんだ・・。ジャンボ機がビルに激突・・延焼から倒壊。なんだか神風特攻隊みたいな行為に至る、むちゃくちゃな人間が存在してることにも驚いた。ボーイングの操縦を簡単にしてしまう。かなり訓練された人がいるんだ・・。イスラム原理主義者らしいというが、まだ犯行声明がないので不明。流れてくる情報はアメリカ側からのモノばかりで、テロに至る深層が判らない。以前からアメリカ国内で時々起きてたテロの流れから想像するとそうかもしれないと思う。

 貿易センターが崩壊に至る映像を見てると、建設するためにはとても長い時間と労力がつぎ込まれて居るのだろうが、僅か1時間ほどでいとも簡単に崩壊してしま無力さが溢れる・・。一瞬に起きたテロなのに被害の大きさは超高層の盲点を見せつけられているようでいたいたしい。大きいことは一度災害が起きると桁違いに被害が大きいんだと改めて思い知らされる。幸いなコトは核爆発物を搭載していなかったことだろう。いずれにしても事件の詳細が明らかになるのはまだまだ時間がかかるだろう。人命救出から現地が復旧するまではかなりの時間がるだろう。心の痛手は消えるコトがないだろう。

同時に世界株安の引き金が引かれたようで、ユダヤ系とイスラム系のすさまじい戦争の始まりのようだ。このテロは今までの世界の平和と安全に対する考え方を大きく変えてしまうのだろうか。いずれにしても、両者の話し合いをさせるべき提言をして、実行する国が現れないかぎり、深層を解明して解決に至る道のりは放棄される。ますますこの両者の関係事態は悪化の道を突き進むばかりであろ。物騒な世紀になったんだ。

被害に遭われた方々へのお悔やみを申し上げます


久しぶりに車のエンジンをかけたら、ファンの吹き出し口から沢山のタンポポの種が溢れ出てきた。ボワーブワーっと座席が白くなるほどであった。そんなにタンポポが咲いていたとは思わなかったが、小さくてひ弱に思える一つ一つのタンポポの種の落下傘が、吹き出し口から止めどなく出てくるのを見てると、車もタンポポの種に乗っ取られた気分になってしまった。今日はコンペでお世話になった方々にメールやBOX14の監督さんと打ち合わせをして一日が過ぎました。




9月11日  台風の目が関東地方にあるらしく、福島当たりに接近するのは今夜から明日になるよで、今は小雨。空はグレー。雀が一羽鳴いているのが不思議。

先週はコンペに明け暮れた。ようやく一段落。掲示板の書き込みに学生さんに模型バイトをたのんだと書いたら、積極的な学生さんの名を知りたいような書き込みがありました。名を明かすの簡単なんですけど、学生さんが所属している、研究室の教授が大らかな人であればいいんだが、たいがいはワイの言うこと聞け的傲慢な態度であろうから、愛人奪われたように怒り狂い・・小心男的な嫌がらせが有ることは目に見えてる

日本の国は大学と行政と産業界と政治家などが根幹を支配している。で現状の中で要領良く生きるためには、互いにもたれ合う関係に成っていて。行政は何かをしでかすときには知的権威と称される教授のお墨付きを欲しがる。で、ヤット成た教授はたいしたことないくせに、劣等感の裏返ぅたような蛙的き姿に変身して強権を行使するような様なになる。どちらも愚民思想や生活するためにキュウキュウとした思考の持ち主で有ろうから、些細なコトにいらだち、多様性を排除したがるだろう。様々なありようなんか模索したくない。とにかく安泰でいたい。昇進して偉そうにしたい人が多いンじゃないか。口では大らかでも学校生活しか知らないヤツと成る教授は心は嘘寒いんじゃないかなー

学生さんの将来なんか考えてる暇はないんでね。・・そう言った権力乱騒に破れた人は、肩の力を抜いて、ノンビリ学生任せで自分の研究に没頭してるだろうから学生のじゃまをしないだろうと予想できるんだ。若くして著名建築家に超成りたいー、・・成れない・・でも無様なそぶりは見せれナイナイ・・的小心者でヤツと成った男の・、こんな研究室に偶然紛れ込んだ日には奴隷にされちゃうように予想出来るよ。野心がいい結果を生むことが有るかも知れないけど・・。でも期待薄だよ。建築家の権威付けなんて何処にも存在してないんだから。建築ジャーナリズムの世界だつて、一般に的に認知されてるわけではないくて、建築を志す人達の同人誌のようなもんである。自分が発表して自分が購読してるわけで多少は建築に無関係な人も読んでるかもしれないけど、建築していても読んでない・・私のような人間は一杯いる。
 そんな状況下で小さな村社会の幻想が作りだす、世界の建築シーンの彩や演じがホンマモンなんだって思ってしまう所に問題をより悪化する、傾向を生み出すんだと思います。

マイナーな世界でも僅かな量が満たされれば何とか存在出来るわけですから・・。全てが最悪とは言ってないけど・・全体的に私の身近な所にある建築界は若者を育成して、知識を互いに共有し継続し行こうという意識は薄い。とにかく仕事して銭なんぼナンヤーなの世界で目が覆われているんじゃないか・・。

それはそれとしていいけど、私はそんなことは別の建築の見方があると思っている。見方を変えればモットモット豊かな表情を建築は現すんだと考えてる。人人が集い構築して完成に至る建築は、他者に何らかの感情を与えるはず・・なんじゃないかと想う。その方法や目指すべき感情はなにかだけど・・・これには困る・・宗教も失ってしまった私にはなんだか判らない。で花田達朗教授の語る公共圏なんかおしろいかも知れないなんて直感が沸いたりする。そうしたなんだかわかんない模索の中からソイツを捜し当てたいなんて思ってるんです。

学生さん達だって、超有名になりたいなんて馬鹿単純な夢想家ばかりじゃない。自分の足下にある、生な息づかいから建築を模索しよて、建築家の道を目指す人は少しいる。生きていく上で何の保証も構築できていてない建築家の世界に足を踏み出そうとしてる学生がいるんだよ・・・奴隷的下男下女扱いをするモンの狭量さにあきれるばかりを横目で観察しつつ生きて勉強しているんです。
 学生さん達が個性的又は、人の能力を開発して行く過程を、私たちに見せてくれるような土壌を作る・・そして建築家に成長して行く姿を見続けることが大切なのよ・・。フンドシ担ぎから横綱にそして引退のときまで見続ける覚悟と義務が先輩建築家の人々には課せられているんだよ

見つめてもらいたいばっかりで、建築に希望を見いだそうとしている若者を見続け育てる心構えが無いんだなー・・キット・・。これは学問の世界のみならず、そう言う空気が社会全体にあるのは判る。

で、そんな社会土壌に沿いながら生きていく方法もあるだろう・・なりふり構わずどん欲に色んな建築家と接してよきを吸収して、悪しきを反面教師として眺める・・たくましい精神と体力を持つた学生のみが建築家に成長して行くンだろうし・・そうなって欲しいもんです。良く食べて体力を整える。その上に精神力が乗っかり走らせないと長続きしないよ・・学生さん勉強も良いけど食い物をおろそかにしてはいけまさんよ・。

先ほどから私のPCの先生であるMさんが来て、HPの日記は最新が頭にあるのがいいね。なんて言うモンだから、アレコレ操作してたので・・なにを書きたいのか忘れた。でMさんには頁内リンクの方法を研究していただいて、モット見やすい日記にちます。んでお待ちください。  

 や くで 





9月9日 曇り
今日は電車の中で1時間ほど寝て久しぶりに仕事場に戻ってきた。
毎日学生さんの家に泊まり込んで模型を作っていて、下着も無くなったので戻った。日記も書きたいと思っていたのだが、なんだかまとまりがついてないので乗りが悪いから短めにしよう。

模型の写真をデジカメしてPCで見たが・・あまりいいのがない・・残念・・。
昨夜の仕事は全部やり直しのようだ。渡り時々建築家はいよいよ、模型作りから写真とりまで渡り歩く漂泊を伴う本格的な姿になってきたんだなー。こうしてPCに向かい日記を書いていると、締め切っていた部屋の空気がボヨヨビョヨボなんだ。撮影の失敗と相まってジットリと体に巻き付いて来てなんだか変な調和を産みだして似合っているんだ。

コンペの結果はさておいて、敷地を
体験したときにわき上がった構想がほぼそのまま出来たプランの整理に行っ戻りしたが。なんとか整理しできたと思う。提案をしただけで細部は飛ばすは詰めないはなので、これが受け入れられるかどうかは別問題です。キッチリ詰めればフムフムなんだろうから漏れ度高し・・で再度デジカメしてみて、これから清書に取りかかる予定にしよう。消印有効ぎりぎりまでずれ込むかも・・しれない。

家を空けても、ほとんど用事がないのは死んでるようなもだね。・・なんて家に帰るとmy妻が言うんだが、それについて落ち込んだりしないところが、頼りないんだろうなー。頑張るなんて言いたくもないなー。これからは余りの人生と決めているので、そんなことより日々楽しく生きていければいいだけだ。コンペの作業をしてストレスは生まれない。そんなことなら初めから参加しない。良い暇つぶしなんだこれは・・。協力してくれてる人がこの日記見たら、ガックリするかもしれないが、運動競技じゃないんだから、思考のズレが美味い具合にすくい上げられると思う方が馬鹿というモンだろう。馬鹿でも良いけど・・何でも有りのそのようなステージが設定されてるだけ、面白いと言うものです。

模型作りながら建築家志望の学生さん達と話していると、やる気は判るが現実の社会は建築になんにも期待してない・・そんなことも彼らは判っているので、幸運を祈るほかない。
私なんかより遙かに重苦しい空気を持ち知ってるから、馬鹿浮かれてられないんだなー。運良く大学の中に職を得ても詰まらない雰囲気だーなんて知ってるし。最悪の社会環境と建築界。

こんな中でも建築に希望を見ようとする若い人を沢山目にすることが出来るコトガ唯一の救いと絶望だ。こんなを書くのは最悪ということんだなー。最後のコンペつめしよう・・

模型を作って時々
ホヘホッへダンスしたりして笑われている2〜3日です。




9月6日 曇りやや涼しい。朝からチロロ(コオロギ)のヤツが鳴いている。人や中学生が大急ぎでお仕事やお勉強の言葉の中に吸い込まれて行く。逆向きに歩いている私は激突さえれそうになり、勢いにおされ思わず謝りそうな雰囲気になったが馬鹿野郎と怒鳴っておいた。お仕事という免罪符を持たない私はなんだか悪いコトをしてるよな雰囲気が漂うのです、気分が今日の空のようだ。天候に左右されてる気分。

昨夜仕事場に帰って掲示板を見たら井川さんという建築家毛綱事務所のOBの方の書き込みがありました。9月4日の日記を読んで頂いたようです。感謝。毛綱さんの葬儀御苦労様でした。大勢の参加者がおられたことでしょうからね。その後の情報は長尾さんも新しい奥さんの悪口言うもんで、なんだか縁遠く成ってしまいました。長尾さんは骨董屋開くなんて言って私を引っ張り回してまいしたが、酒飲みしすぎて中風になり、イカレてしまいすっかり・・つかの間の骨董屋は潰れまして音沙汰なしでしたから。多摩美で建築教えてるぐらいは知ってましたが・・。新聞で知りました。御苦労さまでした。

昨日メールで講演の依頼ありました。渡辺英徳さんからです。原宿で会社動かしながら阿佐ヶ谷の専門学校(?)等色んな所でも教えてるのですが、キットどっかで・・話すコトになりました。時々建築家ですから、交通費と泊まりが出来れば何処でも行く覚悟です。HPや建築雑誌に掲載するというのはそう言う覚悟がないとしてはイケナイと私は思うのです。それは私が開いてる「建築あそび」の講師は本や雑誌の中から発見してみたいという気分があるからです。本やWEBの中から人と縁が出来て交流して、ついでに食べ物の交流もするなんていい感じですよ・・。建築あそびの方は回を重ねるごとに豆式になる恐れありです・・注意しようと考えたりしてます。いろんな所で生活してる人と会って話のは楽しいですよ。そしてその土地のだべものをいただきまーす・・なんて極楽じゃないですか・・。

 そう言えば21日は県福島高校(進学校)で話さとイケナイんだなー・・講演料沢山くれるようです。私の他にも数人いるので、その方達と足並みそろえて講演料でしょうから、実力以上いただける。ウイ・・今年の年収は超酷そうなのでイクラでも有り難いですね。ウルウル(;_;)コンペですっかり忘れたいたけど高校生に建築や建築家の話しをするのでした。高校の先生の勉強会に何度も呼ばれて、建築の話をする機会があったんですが、若い若い人に話す機会が生まれてきたのは嬉しいです。my子達よりも若い高校生なんだなー・・不思議なご縁です。コンペが10日に終わるので準備を忘れずしますのでご安心ください。

今日は仕事場が寒い・・いよいよ秋本番ですね。7月は猛烈に熱ーくてmy水虫が大活躍。足がホテルホテルで水虫の部屋が満杯。左足ホッポで地熱発電所並。心臓足に移動した感じでした。BOX13の発注者のSちゃんは20代で薬剤師さんです。彼女の話によると水虫は治るよ・・あんれまーホントなの・・でホッポして熱ある左足を抱えて皮膚科へ突入しました。皮膚科の看護婦さん水虫の足の薬クリクリクリクリズーットクリクリで超気持ちいいんですよ。くせになるよなー気分で、体中水虫に成りたいぐらいなんでした。が・・金無しトシちゃんは誘惑に負けずに、薬剤師のSちゃんに薬をおねだりしてしまう・・これが親切sちゃんで涙ウルルウ (;_;) 天こ盛りの水虫薬を送ってくれたのでした。毎日毎日両足に薬つるつるしてました。こんなに熱い夏なのにそれ以来水虫くん萎む一方。新たな所に出ない。ここからが肝心要だそうで、菌は人間の存在よりナガーイナガーイ。で菌命力が人間の比ではない。目に見えて治って来たと思って安心してツルツルを止めてはイケナイんだそうです。来年またどかんーと強力バージョンアップに変菌したのがどわ^^ーと出るらしい。だから徹底的に水虫菌をなくさないといけない。みえなくなってからが根気の勝負。で薬使いすぎてなくなりました。また安くわけて頂きました。ンじゃで・・朝取りに行ってきて、又ツルツルつるつるしてます。Sちゃん感謝感謝です
いま形態に電話してお礼を言おうとしたが電話が繋がらない・・男に襲われていなければいいのだがなー、しょうがないのでFAX書いて置きましょう。

そうそう股にも良さそうだよ。私は股には無いんだけど・・股菌でお困りのかたは根気よくツルツルして・・彼女にツルツルしてもらうと別な所充血するから自分で塗りましょう。ジャシーナ曲がラジオから流れてくるあさです

昨日は「中村正義の美術館」から瓦版が届いた。その美術館は篠原一男が70年始めに設計した直方体の森という住宅建築を美術館にしたものです。美術館に用途変更するとき相談に乗って以来のお付き合いなので何年たっているのかわかりませんが、最近は建築系の学生さんが大勢来て、困っているようです。特に理科大の小島研がとても図々しくて「なにしてんやオメーラー・・ここは正義の美術館やでー」と怒鳴りたくなるほど礼儀をわきまえてなかったとのことです。建築系の人の態度をいやがってましたよ。建築を見学するときのマナーぐらいしつけて桶。確信犯的に犯すなら大勢で行かないよに・・変な所開けたりし・・美術館側は一目で「こいつ 建築系だ!」て判るんですよ。そんな苦言を一度書いておいてくださいと館長さんより頼まれたいたのでした。思い出したましたよ・・。

中村正義の美術館は 川崎市麻生区細山7−2−8にあります。TEL044−953−4936です。ホームページもあります。


これからまた模型作ります。んにゃまた・・・。



9月5日 快晴 薄く雲がかかる青空鳩が20羽ほど円を描きとんでいる。土手の萩が薄紅に開きはじめていて、空の残像の青の中で美しい。
私は沢山夢を見るタイプの人間だ。今日の明け方にみた夢は今までに見たことがい絵柄だったので日記に書いて置きます。

 地上で人が話込でいるとある高台。・・そこは美しいのようです・・空を見上げると大きな龍・・なのか鳳凰なのか判らないんだけど数羽飛んでいる。いや泳いでいる。とてもゆっくりとしているので飛んでいるようには見えないのです。体全からフンワリとのびた羽毛なのか鱗なのか判りませんが揺らぐほどに微風になびいてキラキラと、螺鈿の輝きを持つ羽毛のようです。キラフワワキとなびかせています。草原の緑もそよそよと風に揺られ葉裏の羽毛を時々見せては楽チンしてます。僕がジーツ見つめていると一羽なのか一頭なのか舞い降りて来て僕の胸に、と毬ました。おっきいー驚いているとスーット5メートルほどの高さに舞い上がりた僕の方を見てゆったり泳いでいます。なにかに疲れているような気がしましたので、おいでと心の中で呟くとスワーッと下りて来て僕の胸の中に半分とけ込むのでした。驚いて空を見上げると、数羽のフンワリ達が何故かモノカナし色で見下げていますが・・一羽が10メートルほど高く舞上がると、僕が気づいて無かったのですが・・大空にはそのような姿をした龍達が沢山体をくねらせて天に舞い上がっているのです。それらは葛飾北斎が晩年に長野の北のほうの町で制作した墨絵の龍のような姿形でした。何羽もの淡い墨色の龍が舞泳いでいます・・が、半分とけ込んだ龍はわずか数ミリ僕から離れるだけで決して、天に舞い上がろうとしないで僕を見つめているのです。わけも判らないのにとても幸せな血潮がゆっくりと僕の身体を巡るのがわかり、傍の龍も徐々に透明になりだしてきて・・なんだか、僕の幸福感を感じているようなのです

こんな穏やかな夢でした。最近は駅の夢がおおかたのですが、草原の夢は久ぶりです。以前見た草原の夢もついでにチョット書いておきます

空を見上げていると2葉(複羽)のプロペラ機が飛んで来て15度ほど傾斜した草原にフンワリと舞い降りましたので、急いで近づいて見ると飛行機じゃなくてそれは草原の別荘でした。プランは十字型です。誰も住んでいないのが不思議です。いましがた空を飛んでいた別荘なのに、誰もいないんです。だだなかった風が吹きだして来て、草原の葉がそよそよと揺れだしたので彼らが居るのは判るのでした。ななんだか爽やかな・・その・・モノなのか・・生き物なのか判りませんが、確かにその飛行機の回りをユラシュラと取り巻いてこちらを見ているよな気がするのです。ホーイホーと吹く風がなんに〜か・・を伝えているようです。

こんな感じの夢だったのでスケッチしておきました。そのうちに実際に作ってみたいものだなーと想いましたので・・でも私がこしらえてもフンワリと舞い上がるかどうか・・


昨日は雨が降っていたので寒かったです。そんな中、学生さんに無理矢理・・私のいかがわしい日本語の文章を英訳してもらいました。フランス人もベッキリでしょうよウィウィウヘ・・って思うが気ママに言い放ったことを訳したので、フェランス人じゃないと通じないでしょう。構うモンカイです。ついでにコンペの模型を作ろうとしたが、又振り出しに戻り・・数時間延々と繰り返す繰り返す。で最初のスケッチに辿り付く始末です。なんだか疲れましたが。察即図面に書いてみました。表現方法の問題は残りそうですが・・そうかプランまともじゃないなーまいいで。今日はホンマに模型作るゾー

生活保護者に成れるような年収で、こんなノンビリ浮き世離れしたこと書いたりしていて、読んでる人あきれるだろうよ。世の中かにはオモロイ人がいてホームレス作家が紹介されていました。残飯あさらない道に寝ないを決めてるようです。数十冊出版されているようですが離婚や家賃滞納で路上に叩き出されたようです。私ももう慈期やんけで・・まだそこまでは行ってませんが。ホームレス建築家というのも良い響きです。コンペでホームレス建築家特選なんて・・。たぶん実績や所在の不明な者の参加はあらかじめ拒否されるのでホームレス建築家は成り立たない所に建築家の怪しさというのがうかがい知れます。

文学者は沢山いて、貧乏自慢や孤独自慢に家族崩壊自慢・・等社会に向かわなで自己に向かうベクトルのなかに他者と共有出来るモンあり、そこが人の普遍性なのよ的だった。でも個の追求には限界があるようにこの頃想うのです。 公共建築のコンペをし出した2年前ほどからなのかもしれない。言葉もそうですが建築も何種類かあって、共有出来る建築と個人がそれぞれ想い描く建築は異なっていいのだ。だから共有可能な建築も提案出来るという考え方です。
あらかじめ共有された建築感があるのではなくて、共有出来る建築感を何度も何度も上書きして行きつつ、共有しては又上書きして行きつつ・・の繰り返しの中に生きてる建築です。・・まコンペでも優秀をカットレ鱈・・多少はその辺の深化を模索できるかもしれないです。

昨日は久ぶりに渡辺英徳さんからメールありでした。風邪を引いてダウンしたとのこと。そうだねちょうど疲れが出る頃でしょう。新しい仕事始めて1月。健康注意ですよ。仕事に元気良く取り組み過ぎて、張り切る過ぎて・・ドドット疲れが出る。体は正直だからね・・。風邪引いて丁度いいの体休めの信号が出ただけですよ。だからよく食べよく寝るが基本ですよ。で仕事もやる。そうすると疲れない。キチンとした食事を心がけてください。体が資本ですよ。才能あり若くして死んでもなー。年寄りばかり長生きしてこの世はグジャグジャやんか。

チットは住みやすくして楽しい建築あそびを開くためにも体を大切にしてください、若い人。学生さんも不規則だよな・・特に男の学生さん・・ジジイー達の陰謀に引っかからないように・・自炊して飯くいたまえ渡辺さん、確か原宿の仕事場には台所ありましたよね・・今度コンペが終わったら何もすることないから・・遊びに行って飯作ってあがげまヒョカ〜

ンじゃ皆さん良く喰い良くHして楽しい人生を・・仕事は程々に・・

と言いつつこれからまたコンペしようーっと・・銭にならんよ・・コンペでもおもろいな^^ー

   秋
  いん




9月4日 雨車が行き来してあげる水飛沫の音がするだけで肌寒い日です。

昨日の新聞で建築家の毛綱毅曠さんが肝臓癌で亡くなったのをしりました。ご冥福をお祈りいたします。59才と平均寿命が延びてる中では若い死だと思います。

 私が建築家に始めて会ったのは毛綱さんでした。たぶん仕事捜しだったと思いますが毛綱さんの友だち(?)のNさんがプロモートして福島県内を連れ歩いていました。ついでに私の出来たばかりの家(BOX1)で建築の話をさせろのNさんのノリだったと記憶してるんですが、まぁやるか的な軽いのりでした。当時はパフォーマンスを見たり開いたりで建築よりも身体表現の方が面白くて、ンマー建築家か・・まあいいやー的のりで、スライド会を開いたのですが面白かったです。

関西の3奇人と言われていたような時期もあつたようで、安藤忠雄・毛綱モン汰・渡辺豊和さんの3人だとおもいますが、しばらく後で・・毛綱さんは代々木当たりに住んでたようでした。福島生まれのNさんとは同じアパートの住人だったようです。Nさんは簡単に言えば呼び屋運び屋のよなことをしながら新宿で小さなスナックを開いていました。その店にはジャスマンが多く出入りしていたようですが、壁に掛かっている集合写真を見ると、現在日本で頂点を極めてるほとんどの建築家の若き姿が記録されていたので、・・建築家の多くも出入りしていたようです。関西では渡辺豊和さんや高松伸さんが写ってましたね。

その小さな店を開きながら全国をツアーしてNさんは暮らしてました。福島にも沖山秀子山下洋介森山威男高木元輝などジャス面たちがドカドカ来ては毎回付き合わされのんでました。沖山さんは酔いつぶれてエンコラショットボヨビヨの体抱えて、Nさんとホテルに運んだ記憶があります。アートぶれーきーなどもいたな・・みんないい加減ですしたね・・。

そなん流れで、box1で毛綱さんの建築講演会を開きました。我が家の薪ストーブの横で薪の上に座り、臥薪嘗胆なんて言っていたから、12月頭ごろだったと思います。今思うと最初の我が家での最初の「建築あそび」だったですね。当時は記録する習慣が無くて、話の内容は覚えてません。高野山の多宝塔や浄土寺浄土堂・会津の栄螺堂など日本の建築の中から選び出されたオモロイ建築を毛綱流に解説して・・宇治の平等院鳳凰堂を金鶏抱卵だとか言ってました。
処女作でしょうか、釧路のお母さんの家の「反住器」と題された同じ形状の箱が3つ入れ子に成っている建築でした。一番小さな箱がテーーブルになってる。日本にポストモダンとバブルの風が吹き荒れる前夜のシーンとした時期でしたね。釧路の学校や博物館が完成して、作品集を制作準備に掛かってましたね。
釧路に見学に誘われて、ンじゃまーと言うことでしたが、毛綱さんの急用でキャンセルになり見逃してしまいました。で北海道はまだ行ったことがない。残念でした。わびにイクラの箱詰めが送られてきました

翌年建築学会を受賞されて、Nさんのお誘いで市ヶ谷の学士会館で呑みしました。たしか石山修武さんの司会でソウソウたる建築家が来てたな・・あんま覚えてない。最後に渡辺豊和さんが応援演説風秋田弁鉛の関西弁で長々とした話が面白くて・・記憶してます。

その後の飲み会に流れ渡辺さんや今は芸大の教授の六角鬼丈さんなどが居ましたね。村上護さんは種田山頭火のことを書いていましたが、私は村上さんとNさんとで最後まで新宿のゴールデン街の小さな飲み屋でNさんが酒乱しだして村上さんと苦労した記憶があります・・

6年ぐらい後渡辺豊和さんの家に遊びに行き2週間ほど泊めていただき・・建築家の世界にダンダン魅力を感じてま・・今日のような時々建築家になったような具合です。そんな話をおもいだしました。

ダンダン雨が強くなって来ました。今日もコンペなんとかプランまとめないとなー。

毛綱毅曠さんのご冥福を改めてお祈りもうし上げます


9月3日   曇り晴れ 雀がチュンチュンないてる。遠く方から東北線の電車の通過音が聞こえるので今日は南東からの風が吹いているようです。

コンペの締め切りが10日なので学生バイトの人と模型などこしらえて、何となくできたきた。で直感的に思ったコトガあんまり出来ないのだけど、徐々に条件が入り込んだりして、歪んで来る。何とかコンペなのでその辺を大切にして完成させようとおもいます。

福島市のプロポは超酷いモンだったから書類だざずでした。建築界の恥さらし的で、そんだつたら談合して仕事分け合い地元業者同士で、鴨負荷もない公共建築作ればいいのに。談合不調なんだろうなー・・税金の無駄遣いに成るだろうか・・プロセス公開しないようだからやりたい放題だろう。自分が住んでる市の市会議員などの政治家知らないもんなー。まともな建築できればいいけど・・コンペは手間暇かかるのは当たり前だよ・・民主的な建築の作り方をもうチョイ辛抱強くしればいいのに・・仙台市のメディアテーク並に。土地買い当時は伊藤さんの奥さんがNHK福島局の局長さんだったから、もうチョイ上手にコンペ仕掛けるかと思っていたが残念でした。彼女に関係ないな・・。

コンペに夢中になっていたら、新宿雑居ビルで火災があり50人弱死んだようだ。冥福をお祈りいたします。飲食店に入る時職業柄怖いの感じるよ、有るモンなー。二方向避難出来ないと蒸し焼き状態になるなんて想像してしまうんだけど・・。BOX2が出来たいきさつも、以前建っていた木造建築が類焼してしまい。再建だったからねー。その時木造の火災現場を見たけど熱風で部屋のプラスチック製品は溶けて、ダリの絵の時計のように成っていたよ。死んだ人は一酸化炭素中毒で運動機能がイカレ動けなくなり逃げ出せないの。燃えて黒こげになるンジャナイのには愕然としました。新鮮な空気が入らないと蒸し焼き人間さ・・

建築に危険は付き物だけど、なるべく避難出来ないよなビルには近づかない方がいい。危ない場所には近づきたいしねぇー。私が注意してるのは地下に入る時かな。大雨来て地下に流れ込んだら、船の沈没のようになるからね・それに二方向避難出来ない穴状の店。木造を改修してバタバタ作った店とかかな。福島市内の店は注意して見てるから判るけどその他の土地は無理だからな・・危険と隣合わせで生きるも事実だ。ガラスだって道に降ってくるよ。20年程前に三菱ビルが爆破された時にガラスの雨で通行人が酷い目に遭ったし。地震も酷かったなー。思い出せばキリがないよ。


フランス雑誌の掲載資料オクレ大事件は手の着けようがない。語学がチンプンカンプンである上に、日本語も超怪しいとくれば、出せるモノは無茶くちゃで仕方ない。医学を勉強してるmy子に頼んでHPのリスト内建築に付いてる文章を訳してもらい始めてました。建築の専門用語がいまいち判らないとのことで、洋書建築雑誌を持って参考にしてもらうしかないなー。こういうの情けない。身近に大学生なんか居て手伝っくれると嬉んだけど、何しろ福島市には建築関係の学生すら住めない不毛さだからなー。自分の無能さを棚に上げていないで勉強するか。当座は間に合わないのでmy子と協力してくれる仙台の学生さんを捜してみるしかないようです。こうなると仕事場を仙台にも作りたいなーと思う時々建築家の私です

ま・・ヤッパ人生計画が甘いか・・で、もう余りの人生だし、頑張るきも余り起きないんだけど・・でも連絡くれるよな縁があるのはこちらにも責任があるからで、呑気なコトばかり言ってもいれない。HPなんか開いて女々しいこと言うと無責任極まるよな・・。そうだ田中浩也さんに翻訳機こさえて・・・ま無理か・・変字・誤字でたらめ字のオンパレードだからなー。pc固まり・・私chinCHIN固まるか・。

このところ風呂に入ってないのでこれを乗せたら風呂に入ろう。頭買い買いカイなーでもすっかり風呂はいるの忘れたいた。浸食を忘れ・・寝食を忘れて仕事に邁進セーなんて建築会社の社長ハンおっしゃってましたが、退社して自分で時々建築家しだしたら寝食を忘れて仕事。してた時も有ったような気もする・・。・・じゃなくて、オネイチャンに邁進してるから、英語も出来ない始末なんですよ。 PCもだよ。CDもろくに使えないな・・イラスト機能もなーーも・・日記書いてる場合じゃないぞーコリャ。

でもなー黙唱塾なんか関わって学生さん見てると、現実の酷い建築状況が判るから、こんな建築村でも建築家に成りたいの・・って聞くと成りたいと言う学生おおいのよ。でへんなんだけどこっちも嬉しく成ったりするのは、同類の馬鹿だなーとつくづく思うんんだけどよ。どんなに魅力的なオネイチャンでも建築に興味ないの居る・・当たり前に居る。ンだけど、そういう人と話してると飽きて来るよ。建築好きでHなおねいちゃンならなんかズッーと飽きずに暮らしていけるなんて・・夢想家してしまうことがあるのよ。こないだ阿部仁史さんの展覧会の準備で働いてた、若夫婦なんか超幸せな雰囲気があったんだ。現実はこき使われてhや話してる暇もないで新婚さんイジメのような状態だって言ってたから、巧くいかないんだこれも。

ま、誰とでも楽しくやりましょう。オネイチャン騒動を起こさない葉にしながら・・
10日までは時々日記作家です。取りあえず建築家に変身してみます。


ンじゃ今日は終わりです。これから模型作るんだもんねー、また選外か・・まいいさー