HOME 佐藤敏宏 shirasu 2024・01・17 クロニクル(2024年1月作成) | |||||
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年代 | 影響をうけた人物(敬称略) | 事件 | 建築 | 活動 | その他 |
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1951年福島市生 | 古山勝也先生(3,4年) 1982頃住宅設計・現存 |
45年軍属310万人、民間318万人の引揚者数 住宅不足など各種不足/文化住宅出現) 47年農地改革 小作制度廃止 50年建築基準法施行 住宅緊急公庫法持ち家社会へ 51年サンフランシスコ講和条約 日本独立国と認めら 52年防火帯建築など耐火建築促進法 54年第5福龍丸事件 54年広島平和記念公園・資料館 58年分校に入学+TV室装備 教室で地域芝居・校庭で映画会 福医大生が分校にて研修 58年東京タワー開業 |
※『現代建築─社会を売辻だす建築の100年史』を参照に体験した建築+その後知った建築 養蚕農家で生れる 福島市内で一般的民家形式 50年コンクリートアパート、51C型。吉武泰水 神奈川県立近代美術館 55年国際文化会館 58年東京タワー内藤多仲 58年スカイハウス 菊竹清訓 |
・祖母は小作に土地をとられたとなげいていた ・開拓者が多数入植していた ・防火帯建築。福島市内に残っている |
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1960年代 | 60年5月チリ地震津波 60年池田・所得倍増計画 60年新東京計画・丹下健三 62年本校へ(徒歩4km) 62年10月キューバ危機 62年建物区分所有法 63年11月22日ケネディ大統領暗殺事件 64年中学校入学 64年6月16日13時1分 新潟地震 64年10月10日 授業で東京オリンピック開会式観る 国立競技場・代々木体育館など 65年「こどもの国」 浅田孝 |
60年松戸常盤平団地 2005年孤独死の現場となる 62三愛ドリームセンター 林昌二 64年国立競技場 国立代々木競技場1・2 64年新潟 RC造壁式アバートがまま転倒! 液状化現象 |
60年頃実家の茅屋根葺き替え 台風のたびに道を修繕人足 61年小4年生で授業ボイコット 大騒ぎになる 64年お寺の屋根葺き替え人足 65 66年中学校統合 バス通学 |
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丹下健三 黒川紀章『行動建築論』 ル・コルビジェ 大谷幸男 |
67年県立福島工業高等学校入学 ・部活で頭から落ちて2ケ月休学 落第しそうになる 68年・医大福大学生運動起き (70年代安保) 68年5月16日午前9時48分 十勝沖地震 霞が関ビル 3C ─車・冷蔵庫・カラーTV 69年7月16日アポロ計画月面着陸 69年東大安田講堂事件(全共闘) 新宿西口広場→通路へ |
中学:修学旅行で国立代々木競技場 66年塔の家 東孝光 高校:法隆寺を観て関西へと決意 塔建築に 河合健二邸(豊橋) |
66〜70建築現場土方バイト三昧 電電公社花園支局RC造 現場コンクリートプラントで打設 リンゴ倉庫づくりに参加 基礎も鉄骨でコンクリート後打ちがよい |
69年4月就職内定 関西のゼネコン (設計部員だめなら辞職、なれたら10年で退社と決めていた) 石の上にも10年 |
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1970年代 高校卒業設計提出褒められもせず 10年間は一級建築士になるまでの修行時代。結婚したよ ・渋谷区恵比寿駅前社員寮6、7階、設計部4階) ・渋谷区代々木6帖一間木賃アパート。下着泥棒出没 ・調布市6+4.5帖木造平屋 設計部講読書は ・『新建築』 ・『建築雑誌』 ・『ドムス』 洋書屋さんが設計部に出入りしてたのでフランクロイドの本を買う 時々『都市住宅』も買う |
東孝光(塔の家66年竣工・西口広場) 内井昭蔵(70年桜台コートビレッジ) 70年支店と設計部の人々 ・代々木デザインアカデミーの学生たち ・バイト先の人々 70年代派遣された設計事務所の人々 72年中銀タワービル観に行く 西山夘三『住み方の記』 寺山修司『家出のすすめ』 安藤忠雄(本社設計部員を奴隷扱い?) 長屋図・新井組作図 「関西の三奇人」と知るのは後 会社サボって、積水ハムM1 大野勝彦さんの講義を拝聴しに銀座ソニービルへ行く。無料だったし本も配布してたので驚く |
70年 日本万国博覧会 新井組入社の日(給与3万円弱) よど号ハイジャック事件の日 4月東京支店設計部へ 70年5月恵比寿駅前の東京支店転勤 東京支店の人々 支店の傍に劇団天井桟敷! ■地震発生、大陸プレート移動説を構造担当者に教えられる 70年9月からパース専門学校へ 70年11月三島由紀夫腹切り 人妻に追っかけられる 71年3月26日福一原発稼働開始 (工事1967年9月29日〜) ・誕生日にバラの花束がとどき設計部内騒然とする。御裾分けで配る 71年京王プラザホテル 71年8月ドル(ニクソン)ショック 為替相場へ 72年2月あさま山荘事件 イデオロギー、仲間を殺合う 72年5月沖縄返還 72年10月大石寺正本堂 設計部に1人学会員が居て入会をそそのかされそうになる。 72年10月結婚代々木駅傍に借家 72年日本列島改造論 73年福島第一原発電所稼働 73年オイルショック 74年三菱重工爆破事件 三菱系の社員寮を設計中 75年2級建築士東京都登録。一度製図で落ちる二度目で合格し登録できた(笑) 75年伝統的建築群指定法整備 ■75年巨大洋菓子工場ひとり設計監理 78年6月12日宮城沖地震 78年アフガン紛争 |
渋谷区恵比寿 RC7階東京支店ビル 建6,7階に寮付き 6帖一間に2人の寮 7階に和室21帖あり宴会など ・東京に住む、その実態を知る 住宅の質が悪い上司の家や設計した公団タイプの社員寮の設計など。東 代々木競技場・国立競技場 水泳やデートの場所となる愉快 70年桜台コートビレッジ ゼネコン設計は到達できないと実感 臭いし家は狭いし東京は住むため場所ではない! 旧東京都庁舎(新橋)建築課に足繁く通う(現東京フォーラム) |
東京支店設計部へ(恵比寿駅前) 24時間会社に暮らす バイトを寝ずに(?)し稼ぎ家族を養う 巨大企業の人たちが運営している新橋の設計事務所に通い毎夜・図面描きし結婚資金を貯める |
高校卒業寄せ書き「静中動有」 卒制は研修宿泊施設 70年富士山登山 設計部員は非現業社員と 2.5%設計料年4億円目標 入社すると有名無名とわず派遣される事も多 77年〜設計部長は最高裁営繕課長天下り |
・千葉市内の1戸建てへ転居 (78〜80年2月) |
一度で1級建築士試験合格 | 75年千葉県印旛郡に洋菓子工場 工場の人々に愛されつつ デカすぎて24才泣きながら 1人で設計と監理する。 現場監督のパワハラに遇う |
社内で「どこの社員か」と陰口 | ||
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1980年2月福島市に戻る ・RCアパート3DKに住む ・1984年10月〜 RC自邸で暮らしだす 福島市での 10年間は面白かった |
市内の若い人々(会田健一郎など) 東松照明 毛綱モン太(ジャズ喫茶「涅雅」に出入り 勅使河原三郎・宮田佳 大野一雄父息子 浜田剛爾 伊藤ターリ 森山大道 渡辺豊和『芸能としての建築』 斎藤隆、瀬戸正人などの作品購入 |
80年1級建築士福島県登録 しに行くと「三年働け!」と 事務所紹介され 入所。現存せず 81年新耐震法施工 82年12月18〜26日「東松照明の世界・展 いま!!」実行委員となり展示計画と展示を監督指導掛かり、イラス担当にも 82年 中曽根構造改革 82年ホテル二ュージャパン火災 83年3月第二次オイルショック 83年1月から朝日新聞にイラスト連載1年間はじまる 83年『東京漂流』話題に 84年土湯温泉アートイベント 毎日新聞社より原稿掲載 記録集刊行 84年10月自邸完成 住宅金融公庫700万円借り入れ 朝日新聞 自邸掲載 85年自邸「信夫野」に掲載 9月2日プラザ合意 経済バブルスタート リゾート法による乱開発 86年4月チェルノブイリ原発事故 87年4月BOX2竣工新聞各紙掲載 87年9月頃か 渡辺豊和さん福島講演参加 88年県内雑誌掲載BOX4・5 88年BOX2商店建築掲載 88年宮崎勉幼女連続殺害事件 福島市内ゼネコンの株主に 88年熊本アートポリス 89年ベルリンの壁崩壊 東西冷戦後の世へ |
福島市児童センター(現役) 県家畜市場(現役) 習作木造3棟 RC1棟など 事業計画書も作り稼ぎ出す BOX1 BOX2 BOX3 BOX4 BOX5 BOX6 劇団状況劇場(赤テント) 福島市公演を何度も支援に借りだされる打ち上げの支援もする。 「カフカの城(秘書たち)」を観る 八戸市豊島重之主宰 モレキュラー・シアター 直方体の森(中村正義の美術館) と交流しだす。 粟津潔邸見学 奥さまに接待いただき体験 |
・80年5月アトリエ風に参加 82年頃フリーペーパー「イメージボックス」発行する 81年ごろから掛け持ちで TAF設計はじめる 84年2月自邸着工〜 84年10月20日〜自邸に住む 84年11月7日 朝日新聞福島版に自邸掲載 84年11月 「建築あそび」開始 講師:毛綱モン太さん |
10年経前に設計部を退社 BOX2は一階がギャラりK 2階がジャズ喫茶のため 多くのアーテストに会い呑む ギャラリーKは 87年4月竣工から1990年八月まで4年ほど運営された。 |
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1990年代 |
大島哲蔵さんと大阪の若い人々 新田正樹 大島さん直弟子たち 柳原照弘(デザインイースト) 家成俊勝 94年3月白川静『字統』 |
90年8月湾岸戦争 90年12月福大経済学部より講義依頼。1月初講義 91年毎日グラフBOX4掲載 91年ニューハウス同上掲載 91年朝日新聞、各務記者の協力により「水を洗う」調査報道全7回の記事になる 91年(?)日の出村焼却灰置き場対案作成。依頼人田島征三、都議会提出 91年12月14日「漂泊の心」 建築あそび、村上護+内藤正敏対話開催 92年マヤ遺跡巡り 朝日新聞福島版掲載 支援活動 同上談話室随筆6回掲載 93年チベット・ラサ+雲南省 94年シャンディガール・カンボジアアンコールワット体験 94年『建築文化』で特集 植田実さん評 建築家と記入 95年仙台SMT公募結果発表 95年1月阪神淡路大震災 3月地下鉄サリン事件 WIN95大流行 95年青島都知事都市博中止 ・TV「お宅拝見」依頼断り続ける 97年BOX11『建築文化』表紙 97年10月28日新都白河発表@白河市文化センター大入り満員 白河市市議会の委員会に何度も呼ばれ議論する 98年建築文化 BOX12掲載 ■清和政策研究会系の文教族による教育制度大学改悪が始まる |
91年9月渡辺豊和邸、1+1/2、西脇市古窯陶芸館、龍神村体育館、オッパイハウス、神殿住居など多数 見て歩く。 BOX7(施工中止させる癌で亡くなる) BOX8 BOX9 BOX10 河合健二邸 大島さんと2人で 閑谷学校〜浄土寺浄土堂の旅 BOX11(表紙を飾る) 大島哲蔵さん若い人を連れて何度も来福。大島さんを通じて洋書も買う。 BOX12(会計事務所) 大島哲蔵さん宮島さん12に泊る 阿部仁史さんに伝わりハウスレクチャーが始まる BOX13(3・11後解体) 長野県内の開拓者の家発見、招き入れられて長時間語り合う 夏の家冬の家は見つからず |
91年9月奈良県の渡辺豊和さんの自宅に2週間泊り初期建築を観て歩く 晩年作 現代磐座(いわくら) |
91年秋渡辺豊和さん自邸滞在 91年頃?家人 病発症気づかず 「豊和塾」に参加する ↓ 「春秋塾」大島哲蔵さん 渡辺菊眞さんと知り合う 1995〜2001年までの大島哲蔵さんとのFAX交信記録公開中。2002年以降はWEB掲示板交信。(下部参照) 「大阪アーキフォーラム」に呼ばれる 大島哲蔵さん実家滞在 白河市内加嶋神社社務所滞在 田中浩也さん木賃家 滞在 |
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2000年代 植田実 山中新太郎 八重樫直人 渡辺豊和 2001年 槻橋修 田中浩也 五十嵐太郎 |
花田達朗 (公共圏+サイトサキノハカ) |
99〜2000アサヒファインに「千万家連載 00年『建築文化』BOX13掲載 市内ゼネコン株主やめる 00年同上千万家掲載 |
千万家 BOX14 原広司邸フォトコラージュ作成『建築文化』CD付録内 |
田中浩也さんに出会いPCで情報発信を知る 自邸はちいさい公共圏 |
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2002年 花田達朗(春+秋) 藤本壮介 八重樫直人 2003年 太田浩史 寺田真理子 菅野裕子 2004年 石川初 藤村龍至+ベラ・ジュン 南泰裕 松田達+堀井義博 |
田中浩也(多次元フォトコラージュ) 五十嵐太郎(エディフカーレ) 花田達朗(東大研究所所長) SMT・「公共圏」 樫原徹(デザインヌーブ・翻訳) |
01年『住宅建築に』表紙小特集 01年小泉構造改革官から民へ ■01年8月21日SMT記念イベント花田達朗先生に会う 8月23,24日日記参照 01年9月11日米国同時多発テロ 02年3月3日花田達朗先生と建築あそび 02年11月5日民友新聞社会面トップ記事「千万家」大きく載る 県・土木部次長より電話あり「幾ら払った」と聞かれる。注文の電話ならず 02年box12、13 FTV放送 03年CASA12 03年3月イラク戦争 03年11月姉歯事件リーク読売 03年12月27日田中浩也さん率いるEcmitによるジャスコンサート古関裕而記念館ホール30人開催 04年建築雑誌4 |
槻橋修(仙台の家?) 南泰裕(パークハウス) 山中新太郎(谷戸の家) 太田浩史(久我原のロッジ) |
・fullchin サイト開設し発信中 ■田中浩也さんの木賃アパートに泊まり込んで多次元フォトコラージュを作る01年8月4日建築あそび開催 検索エンジン・ストリュートビューが出来てフォトコラ活動断念 日本人は若者に投資も支援もなにもしない国であり国民であると知る ・六本木ヒルズ都市展に参加 ・太田浩史さんの事務所を拠点に日中は聞き取り活動。夜樫原徹さんと床で寝る。 |
02年6月大島哲蔵さん亡くなる(54才)葬式の帰り 2002年6月10日原宿でのイデフィカーレのイベントに参加し五十嵐太郎さん南泰裕さんはじめ多数の関東系建築人と知り合う 03年エディフィカーレ賞いただく |
2005年 槻橋修(仙台ハウス) 植田実 小林聖明 2006年 荒武賢一郎 井上匠巳 岡部友彦 2007年 柳原照弘 松本晴子(未公開) |
■05年4月21日建築学会小委員会、田中浩也さん、俺二日酔い 06年日経アーキテクチュアネット活動紹介 07年3月16日ROUNDABOUTJORNAL1建築あそびロールモデル 07年3月31日柳原照弘建築あそび 07年『都市住宅クロニクルU』掲載 08年4月早稲田大学ジャーナリズム大賞記念講座15コマ開始 08年6月8日秋葉原事件 09年大阪デザインイースト始まる |
2008年東京ことば悦覧大阪ことば悦覧 金沢ことば悦覧 |
2005年4月21日建築学会にて多次元フォトコラージュ発表。学会とは知らず酔って行ってしまい顰蹙を買う。 藤村龍部屋滞在 花田達朗ボクセルハウス滞在 |
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2008年(東京ことば悦覧) 藤村龍至 岡部友彦 高橋元気+つばさ 木村俊介+石川琢磨 龍光寺眞人 和田誠 倉本剛 岩堀未来 |
2008年(金沢ことば悦覧) 松川昌平 林野紀子(寺町のAIR) 鷲田めるろ 中村彩+橋本浩司 寺尾ユリ子 |
2008年(大阪ことば悦覧) 今津康夫 笹岡周平 井戸健治 香川貴範 岸上純子 伊藤立平 新田正樹 金村仁 シェフツオバガリーナ 市井洋右 望月芳恵 幸家太郎 原田祐馬 柳原照弘 福井一郎 |
2008年 仙台学生6名 船引町の人々 |
横浜ホステルビレッジ滞在 金沢 寺町AIR 寺尾ユリ子自邸 大阪西九条A邸 滞在 京都 川勝真一邸 滞在 |
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2009年仙台ことば悦覧 斎藤歩 桜井一弥 本江正茂 |
2009年京都夏ことば悦覧 魚谷繁礼 門藤芳樹 山本麻子 岩崎泰 柳沢究 森田一弥 浅見俊幸 満田衛資 川勝真一 岡田栄造 榊原充大 山崎泰寛 牧野研造 小林聖明 太田浩史 松島潤平 |
2009年神奈川大学ことば悦覧 小金丸信光 村上敬祐 屋長谷川明 坂本友里恵 杉山聖昇 本間義章 松野由夏 丸山美紀+新田有平 |
2009京都秋ことば悦覧 浅野翔 松岡聡 森田一弥 渡辺菊眞 江崎貴洋 渡辺菊眞 柳原照弘 岡田栄造+喜美子(O邸) |
丸山美紀+新田有平邸滞在 川勝真一邸まるとご借り建築あそび O邸滞在 発注者+設計者(意匠と構造)+施行者、母親も聞き取りし、現在も観察中 法然院の家滞在 満田衛資 自邸見学ワイワイ |
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2010年代〜ことば悦覧 2010年春東京 本瀬あゆみ 刈谷悠三 藤井亮介 平塚桂 伊庭野大輔 ベラ・ジュン |
2010年夏 京都〜大阪ことば悦覧 たかぎみ江 江頭昌志 満田衛資 井口純子+勝文 水野大二郎 永岡弘(O邸施工者) |
八賢邸 | |||
2011年東日本大震災・福一原発事故 | |||||
2011年東日本大震災後(大阪) 多田智 (動画・村岡ミキヒサ 山田登美子 岡田栄造 石川あき子 大橋力 花田達朗 今井敬子 牧野研造 川勝真一 満田衛資) |
井口勝文・純子 満田衛資(関西圏義援金まとめ役) ・関東圏からも支援多数頂戴する ・宮城歴史資料保全ネットワーク参加 (アーキエイド不参加) ・東大生産研究所・東京芸大・東京理科大・東京工芸大学・京都工繊大などで被災地報告 ・京都被災地報告会、柳沢究+魚谷繁礼さん開場設営にて ・大阪は原田佑馬さんの事務所にて被災地報告 神戸大学奥村弘研究室で報告 大橋力さんと知り合う my長男(近世史) my長女(医学) my次男(音楽・WEBサイト) 石巻本間家土蔵 竹内泰 |
■動画サイト 写真サイトをつくる ■福島県の友人、大阪や東京ことば悦覧者たちから義援金が送られてきた。 ・my長男と宮城県内での被災地支援活動開始 2011年4月『新建築』寄稿 11年石巻市本間家 被災土蔵レスキュー 11年唐桑町被災港鮪立港町づくり支援 12年被災地支援 新聞発行するも市会議員など回収に走る言論妨害 女子会を立ち上げ語り合う 蓄膿症手術入院 12年『建築雑誌』09 寄稿 12年ふくしま会議に参加 13年チルドレンチンびど掲載 13年新サイトfullchin 次男サイト間借り容量大きく、大きな画像で配信可能となる 13年福島県ヘリテージマネージャー講習をうけ、HM登録。 13年6月滋賀県大で俺クチャー 13年10月から12月まで福島市除染作業監理員をする 13年10月18〜22日早稲田大学の学生と共に沖縄県内米軍基地などを視察 2014・6・29 県滋賀大談話室掲載 「元祖が建築あそび」と知る 『雑口罵乱』F14・1・27刊行 |
BOX15 ・放射能沈着で小学校母校廃校 |
被災地支援しながら動画記録など作り続ける 動画サイト 写真サイトをつくる ■3月12日からTwitterを使い時々刻々被災状況を発信する (日記にまま転載) 08年〜11年石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞にて(4冊刊行を手伝う) 花田達朗先生 早稲田大学ジャーナリズム研究所設立し招聘研究員になる 3・11後の活動あらまし (ふくしま会議とは?フクシマ問題 港町支援 本間家土蔵再建 サンチャイルド像など) 13年中山英之、三島香子さんに聞く 13年6月滋賀県大で俺クチャー 13年10月10〜12日花田ゼミ福島研修支援活動 14年ことば悦覧 岩堀未来 倉本剛 鷲田めるろ 林野紀子 橋本浩司・中村彩 清水久和 新田正樹 幸家太郎 17年 細尾直久 伊藤立平 浅見俊幸 浅見千晴 和田寛司 小西由御吾 内田康博 満田衛資本 川井操 森田一弥 山崎泰寛 井口夏実 岡田栄造 川勝真一 牧野研造 龍光寺眞人 山川陸 石榑督和 石川琢磨 木村俊介 松島潤平 花田達朗先生 早稲田大学ジャーナリズム研究所設立し招聘研究員になる 08年〜11年石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞にて4冊刊行を手伝う 3・11後の活動あらまし (ふくしま会議とは?フクシマ問題 港町支援 本間家土蔵再建 サンチャイルド像など) |
11年 my次男に被災地撮影写真用HPを作ってもらい支援得る サイトの一部fullchin間貸ししてもらい2024年に至る 宮城県唐桑町鮪立公民館や民家に延べ半年(?)滞在 高台用地場所決する 石巻市本間家土蔵再建支援 たかぎみ江シェアハウス滞在 井口勝文+純子八賢邸滞在 11年建築と歴史を融合した活動を始める。それに関してmy長男・国会で講演(参考人) 同内容で国連で講演 (動画)・村岡ミキヒサ 山田登美子 岡田栄造 石川あき子 大橋力 花田達朗 今井敬子 牧野研造 川勝真一 満田衛資など) 被災地に入った人々動画 片岡佑介 松井貴之 県滋賀大の学生 満田衛資 自邸見学ワイワイ |
19年9・9柳沢究研究室の皆さんと「建築あそび」 19・12渡辺菊眞建築展(高知市内) |
渡辺菊眞展参加し 感想を書く 白内障手術 |
18年 SDL学生聞き取り活動 19年9・9柳沢究研究室の皆さんと「建築あそび」 19・12渡辺菊眞建築展(高知市) |
竹内泰事務所滞在 法然院の家滞在 |
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菊眞展参加し 感想を書く | 足摺岬空海修行の地逍遥 | 2019年『住経験インタビューのすすめ』刊行される | |||
2020年代 |
新型コロナ世界中で流行 | ||||
■2020年6月27日より自撮動画日記を始めました | 東京オリンピック開催 | 20年10月05日 『別冊渡辺菊眞建築書 感涙の風景』 について書き始め 20年10月22日 35回福島県建築文化賞受賞 岩堀未来さん講演録 |
20年10月05日 『別冊渡辺菊眞建築書 感涙の風景』 について書き始め 20年10月22日 35回福島県建築文化賞受賞 岩堀未来さん講演録 |
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22年 ZOOM解約 |
森純平 |
22年福島原発事故後対応で、護福まち計画をつくりはじめる 300年後の2323年完成予定 22年八戸市美術館訪問 7月8日安倍晋三首相狙撃事件、元首相即死。 18〜23年花田達郎コレクション全6巻刊行。第3巻『公共圏』に2度の「建築あそび内容」収録 我が家ソーシャルディスタンス造りにて、害なし 22年八戸市美術館訪問 23年5月より花田達朗先生サイトfullchinサイトに間貸し |
八戸市美術館 千鳥文化 渡辺菊眞・自邸 法隆寺再体験 狭山池体験 辻琢磨・自邸滞在 11・27竹内泰事務所 |
■県職員3・11を語る(聞き取り) ■22年1月4日 おめでとうを語り合う 22・3高知工科大学渡辺研 4月4日 「私塾を語る」 6月23日 森純平さんと語る@八戸市美術館 7月16〜22日京都ことば悦覧 8月28日森純平さんとパラダイスエアーについて語る 6・23森純平@八戸+松戸 7月柳沢究@京都 同 川勝真一 同 大阪 柳原照弘 ・8月 森純平+花田達朗+中村睦美@松戸PAIR 9月渡辺菊眞自邸泊 大橋力@篠山市 幸家太郎 原田佑馬今井敬子+林貞利 笹岡周平 辻琢磨@浜松 |
22年福島原発事故後対応で、護福まち計画をつくりはじめる300年後の2323年完成予定 ・聞き取り9時間半 @ドットアーキテクツ全記録完 渡辺菊眞邸 滞在 辻琢磨邸 滞在 |
23年 |
家成俊勝と所員の方々 岡田栄造 |
1月浜通り視察 (建築ジャーナル) ■前立腺癌発見 3月花田達朗+小池航@我が家 23年5月より花田達朗先生サイトfullchinサイトに間貸し ■来福 23・6・辻琢磨@佐藤自邸+F1 同9月山崎泰寛@佐藤自邸 同10・3大室佑介@佐藤自邸 自民党清話政策研究会などによるパーティ券キックバック発覚。この20年の政治状況は変わるのか? |
23年3月13日花田達朗 弟子と語る@福島市 重源法要参加 |
23年7月森純平+岡田栄造+家成俊勝+所員 目次をひらき読む 同 加嶋章博@今日音 同 牧野研造 同8月 原田佑馬@大阪 |
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24年1月17日 シラス | |||||
年代 | 影響を受けた人々(敬称略) | 事件 | 建築 | 活動 | その他 |