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  2014年 02月の日記
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 2月28日 仙台 

 26日の夜から仙台疎開部屋にいる。今朝は雑事をこなす。昨夜つくりおいた おでんに再度具を加え今晩と明日の朝用に整える 和歌山の知人に依頼してた八朔などと 昨日どき食べる。新鮮で美味い



設計施工の時代に 以前から戻っていたと思うのだが 

気になり過ぎる記事@仙台疎開部屋

 読み間違えかも知れないが、最初選んだ案は3度の不調にあい、設計と施工のセットの公募に代わったそうだ。
建築家の絶滅の始まりに警鐘をならしてる記事なのではないか? 独立系建築家の存分は未来社会に ほぼないよ!と受けとめ、対策たてよと。
 身の回りの社会から建築家が絶滅しても、さほどの問題はないとも、考えるのだが、311後大震災の後に有効な存在じゃない!と告げる記事なのではないか



  3月26日 

 家人はガムテープアーテストとなりアート制作に 今日も夢中の様子 ブータンにて仏画を制作している石上さんから 感想などフェースブックに書き込んでいただいたので それに応答したりする

 驚いている人も多いのだろうが いいねを押す人多し


石上:色が欲しい
佐藤:も同感です 石上さんのリクエスト伝えます(笑 今は テカリ 反射など キラキラ光の幻視を観ていると感じます
石上:なるほど・・・反射光ですか(深っ)。ぶっちゃけ、色があると写真写りが良いor見栄えがするってだけなんですけどね どうぞよろしくぅ
佐藤:My建築の質(構成)はガムテープアートを身にまとっても 変わらないのですが 見た目は変わりますね(笑)ですので一般の人は あとずさりしたり、観ることを遮断しおののくと 予想しております。 昨日引き渡した建築は 内部から噴き出す放射能の恐怖幻想と 外部から降り注ぐ見えない放射線の強い影響を受けて出来ちゃったなーと しみじみ 思っているところです
石上:少し暖かみがほしい
佐藤:キラキラの中に曼荼羅を観ているようです。 伝えましたが色テープは拒否されました(笑。 「放射能への恐怖を暖かみに変換しアウトプットできるか?」難問ですね〜。311以後の「フクシマ的状況」を好き方向変換し咀嚼出来る力と状況には 3年間では到達していないです。今日は福島県内にpm2.5の注意喚起情報が発信されました。未来社会は見えない物質などの恐怖との闘いになるのでしょう。精神がへとへとになり心を病む人が多くなっていると推測しております 退行するか進むか  私は答えを急がず、求めず「内部と外部の病と付き合い」老後を楽しく生きる覚悟です
石上:これで受け入れてしまうようじゃぁ本当のアーティストとはいえませんね。半端な気持ちでやってない、命掛けてるってそういうことですよね。おそれいりました 私もそう思ってブータン来て自分表現に挑戦してるんだから、同志ですね・・避けられるものは戦わず逃げ、避けられないものは祈り受け入れる・・・。どっちの恐怖なんでしょう
佐藤:たしかに同志だと思います。相違は自己内の平安の有無。家人の場合は恐怖や嫌悪が泉のようにわき出てしまう日々を長く生きています。311以降はガムテープを貼るカムテープイズムを生きています。ので表現者かどうか?それは認める他者が存在するかどうかで決まると思っています。(私が認めて放置してますが身内ですので) 石上さんはブータンで自己表現を、家人の表現はやむにやまれない病発行為。ガムテープを貼ることに夢中になることで何かに対する恐怖や嫌悪から自己開放されたり、苦悩から開放されるドーパミン噴出することで平安を保つことが出来ている。生理現象かもしれません、20世紀的主体的意思ではないように、そんな感じがします。 やむにやまれぬ行為 いわゆる病を伴った自己表現と正常な人(そういう人が存在するかは疑問ですが)の表現に 差異や意義について想いますが、差はあまりないように思います。 病は祈りで救われない点が 不幸に伴う幸いとも言えるように思います 少なくっても私は家人の病を通して社会を見て暮らして居るので 豊かさや楽しさや平安については平凡に幸いを生きたり求める人よりは 深く感じることが出来ているように感じます

石上さんの最後の質問は20世紀主体を持って生きている人の問いであり 家人の主体は20世紀的主体ではないので 答えは無いと思って居ます 動物のようにままに対し生き続ける それが唯一の手法だと 現時点では思います

石上正常な人なんてこの世にはいないと思います・・はい、動物としてありのままでいいと思います。ブータン人もそうとう野生的で動物的です。私が忘れていた(イヤ、便利な社会で退化させられた)もの・・・いまさら学んでいます・・・イヤならやらない、やれるならやる・・・ってことを

佐藤:寺山修司は理性は原子爆弾をつくった 狂気は芸術を つくり続けるto。 フクシマに放射能を沈着させたのも理性でして 人間の脳がつくる 理性というやつは 害が多いのかもしれませんね? 快適に生き続けられる場を保障するのが建築のミッションなので ガムテープアートのキャンパスとなったmy建築は使命を果たしているとも思います
石上はい、野生の範囲で行う機能は(多少は人を脅かしたり害したりはしますが)究極的には無害だと思います。ブータン人見てても最期のトドメは絶対に刺しませんね。そういう意味では慈悲的で「おバカって素晴らしい!」と思います。これこそ「無知の智」、つまり生きる(共存する)智恵だと思います。一方、どうしようもなのが「智の無知」。頭で考えて(他人のことも自分のことも)コントロールしようとするお利口さん・・・最悪です
 
 
マニエリスムにになりますが フランシスベーコンの作品を図録で観て 今日撮った数枚を合成し仕上げると 現代的主体の歪みの時系列を表すことができるかも知れませんですね 私は野の者なので そんな面倒な作業はしませんが






 


  2月25日 曇のちあめ

 13年ぶりのmy建築ができ引き渡しをおこなう
    
 放射能災害で年間20マイクロシーベルト以下の被災地で新建築を建てたり、放射線をブロックする為にどの様に改修すれば効果が上がるか、存分に理解する事が出来、試作建築であるが、My議題に対する、多様な手法の端緒を学ぶ事ができました。


これからも造りながら思考出来るよう努めてもいいかも知れません。 まずは13年ぶりに引き渡すことができ、ため息を一つ吐くことができました。

発注者を始めとし 工事に関わって頂きました、皆さんに感謝申しあげます


 
 外構工事は雪がとけてから 3月末開始か



 2月21日  

 データ整理などする1日  
■ 県立図書館に 『雑口罵乱ー7』を三冊寄贈する 担当者の方によると「1冊は永久保存で 2冊目が貸しだし用 3冊目が人気が高い震災コーナーに置くので3冊必要なのです」とのこと。
   

■ 家人明るく軽快にカムテープアートをしている 素手でガムテープを切るので指先が荒れているけれども 指先の痛さは気にならないとのこと。「綺麗でしょう〜」と快調明るく作業をしている
  

 放射能の害が身の回りを埋め尽くしている環境で 生活している。ので、知性や人の合理的理性のはてに作り上げた原発事故災害を経ると、近代的主体の、混乱がつくりあげる、我が家のアートはとても牧歌的な人間に行為だなーと思います。 次には福島の放射能災害より酷い災害に遇うので覚悟はしてますが、次の世界が、開く軋みなのですから、楽しく付き合いましよー

   
    




 2月20日   

昨日除染を請け負っている関係者が市から 除雪に切り替えるよう道路管理課から注文があったと 話していた 歩道など少しずつ積雪が無くなるもののまだまだ 多量に雪がある 寒さも去らず

 昨日注文していた俺クチャーin県立滋賀大での講義録が入っている『雑口罵乱 ○七』がとどいたので県立図書館に寄贈しようと思ったら 明日まで長期休館とのこと 明日持参しよう
    

 5人の建築(家)関係者(末光弘和井出健一郎佐藤敏宏藤森照信竹内泰)の講義録が学生さんたちの文字起こし編集によって納められている本で 1000円と極安い 読み応えがあると思う 

 日中は家人の手当などしつつ 上記の本を読んだり 買い物雑事にて終える

夜 ふくしま復興支援フォーラムに参加 テーマは「汚染土壌の減容化」名古屋大学の名誉教授の椿先生であった 放射能に汚染されているのは土壌のなかの粘土の割合が高いので 理解出来た 。でも行政からは採用されていないのであった。

この手の恨み節は そこら中で何度も聞いたが 除染技術として判定する第三者機関が無い つるくことが出来ない日本の現在の力不足の問題を語る機会はほぼないので 咀嚼もすすまないなーと感じる 

 夜和歌山さんに再度八朔の注文をする

  
 






 
台所に立つと必ず
平和記念の碑が見えるように設えてある
 



 通路兼書庫 物置など


 2月19日  

 13年ぶりに出来上がったmy建築「一家・いちいえ」愛称なまこ の引き渡し前検査をする 外部は積雪があり3月におこなうこととし 放射線測定を含め検査をする

   
    厨房機器もセット 大理石テーブルも設置 
     左側に「平和記念」の碑が見える



   
 北西部より見る  奥のRC建築は26年前のmy建築
 RCの躯体に外断熱を施し 鉄板を貼った部分と塗装部がマダラにししあげた
                          
  
 北東よりみる 左奥のRC建築は26年前のmy建築


躯体打ち上がりで放射線を計測したら 年間線量が1m超えだった。床暖蓄熱モルタルと大理石で放射線ブロックに成功したようだ  1m超え部はほぼ無くなった。だが在るので計測するたび報告し 引き渡し時には4度の計測値を書面に綴り渡す セシウム都市の建築に必要な「建築的放射線履歴」だからね
   

13年ぶりに造ったmy建築「愛称なまこ」の放射線量を 躯体から 仕上げまで4度測定しつづけたが あんがい辛い監理仕事だった「放射能都市で建築を造ることは未来を生きていることなので不可欠」と語ると工事請負業者の人も積極的に協力してくれるのだった 同じ被曝被災者なので解るんだね

 2月18日  残り雪が氷の塊になり 道道に放置されて歩きにくい

 家人 ガムテープアーテストになり 低気圧の影響を受け 活動盛んなり フェースブックに写真を公開したら カトマンズで仏画を描いている 石上さんから賞賛のメッセージ エクセレントアートとのこと 我が家の内部はガムテープアーテスト=家人のキャンパスとなっている 設計者としては 如何に活用されても文句は無い なぜなら my建築の構成が 表面の処理のされ方によって 消え去ることがないからだ 
  

 ガムテープアーテスト ごま悦です すばらしい さっそくガムテープ代をさしあげました 

   
    
  

  2月14日  今夜から先週末のような大雪になるそうだ

もうじき 3月15日の放射能噴出 そしてよるの雪で沈着しちゃってセシウム都市福島になり 3年が経つ 

そのとき 福一原発現場ではなにがあったのか ようやく 一般の人が観ても観やすいように 編集されたドキュメンタリーが公開されているようだ。大変労力が要る作業だったと思い 感謝せずにはいられない
 
 木村英昭さんのツイートより 再生回数がもう500回を超えてます。""報道ドキュメント「東電テレビ会議 49時間の記録」の予告篇ができました。ぜひご覧ください。素晴らしい予告編になってます
   はめ込みうまく行かないので
  画像をクリックすると 予告編に飛ぶようにした
 

 あの日リアルライブでこの映像が流れていたのなら 事態は今とはまったく変わっていただろうな〜  今後よそくされる原発事故に対応するためにも皆でみるべき 貴重な動画だと思う。観て TV会議の内容が本になっているのでそれを読むのもためにも よいメディアが出来た

 2月13日   
 3月11日かけて 色々 活動しなければと思い ことしは早めに確定申告を提出してしまった  my活動の準備も少し整いだす


  2月12日  道の積雪の山はやや小さくなる

  家人のガムテープアート作業を横目でみながら、確定申告のデータ整理をする 1日 

  2月11日  のこり 1ヶ月で 大災害から3年すぎるんんだなー

 13年ぶりのmy建築 施工中だが足場がとれたので 現場に行く

13年前のmy建築「千万家」と 比べると やはり放射能におびえて建築が萎縮し鈍重な点は 311以降俺が置かれた状況を素直に投影できたので お気に入り http://www.hanadataz.jp/・・・/01z・・・/2000zyu/zaltusi200zyu.htm と比べ観ると福島に沈着した放射能と そこから出る「放射線防御」のため外壁が強まり鈍重 また外壁の一部を壊した形式にしたが 綺麗に仕上がりすぎ

   

  25年前につくったmy建築の食堂より 平和記念と刻まれた碑の背中をかいして ひさしぶりの13年ぶりのmy建築の南面を観る  素っ気ない 外観だ

いいねを大勢の方々に 押していただきありがとうござんす 皆さん! ■プランを書き予算調整したが 詳細設計は ほぼ業者任せの 役所発注常識的にはでたらめ満載 イカ様細部が面白いです。ですからデザイン行為もありません成り行きまませ。■(再度沈着するだろう 放射線対策ばっちり!!建築ですぞー・笑)★南側に26年前につくったmy建築が在り比較できてしまうのですが 311以降の「セシウム都市福島の もの造りマインドの凋落を素直に建築に刻印したかった」できました〜。(福島の建築業界はうんこのごとく ヘタレだめになりましたですね〜 そんな状況を肥料に転換するのが俺の役割ですね)■建築家の職能であるガバナンスを放棄しても建築が出来てしまう 日本の建築地力と世界化した建築業の様を観察し現すための my建築です ★建築など鼻歌交じりにプランを書き上げ設計料をいただき完成してしまう 好き仕事であることを思い出すこともできました ■ 小学校入る前にmy建築ができ数十年暮らした 発注者の娘さんが数日前に ハワイで結婚識をあげたそうです  結婚式から帰国した 発注者が 「ハワイの別荘より こちらの建築ほうが 別荘らしい」 と喜んでおりました。たしかに観たことない建築ではある・笑 ★結婚式で配った 記念のアルバムには 26年前のmy建築でうまれた 彼女の思い出がびっしり並んでいました  ■★■ 身の回りの歴史と建築と個人の記憶を深く考え 記録都市=建築に個人史を刻印することが出来たmy建築となりました

 外断熱をほどこし 木造の置屋根を施した 軒したはステンレス貼り 素材の使いかたは逆である 
 北側の国道より観るとこのような姿 

    

 25年前のmy建築手前と 奥に小さくある 13年ぶりのmy建築 プチ町並みかも 通路は町屋のようにすっきりしてず うねっているけれど通り抜けることは出来る 


 内部は 機器が搬入され あとすこしで設置が終わりそう 
  

 藤村さん参加表明 ありがとうございます。 13年ぶりのmy建築(311以降 おれの行為を建築と呼んでいいのか〜?)は建築なのか? もはや建築は不要だと思いますし 311以前の建築の手法で造っていいわけないセシウム都市福島内部です。大変まよいましたが 建築みたいなのを造ってしまいました。もうじき完成し皆さん集っていただき ワイワイに使えそうです。「一家 はじめのいえ」愛称「なまこ」を使い 語り合いたいのですね。 我が家は病の家人が内部をガムテープ貼りまくって驚く内装となっていますが ワイワイは出来ます。けれど「泊まるのは いや」と申しております  もうちょい暖かくなり 外部工事ができたら ひさしぶりに「全力ゼミの連中」とワイワイできれば 嬉しいですね〜 この5年間で みな〜 変わったねー 放射能浴びにきてねー

 2月10日 

ことしの初積雪は36pほどあり 今日も溶けてながれず いたるところに雪があり 歩行にもじゃまとなる 昨日はいた我が家の庭は歩きやすし

今日明日と 暁参りで 大きなわらじをセシウム都市福島市を担ぎあるいたとのニュースはあるものの 出会わず 信夫山の放射能による線量は高いと聞くが 対処のついて語られたことはないのかもしれない 1日滞在してもさほどの被曝量ではないのだろう せいぜい 2,3μSv程度なのかもしれない



唐桑半島の鮪立湾地域で 311以降から 被災地支援活動を模索していただいた 東京大学の太田浩史先生より この2年半ほどの報告書をいただく 

大方の人々は 日本の制度と格闘し たたが何もなすこと出来なかったことを痛感し合ったように思う この被災状況の事実を体験した若い人々が これらの災害を乗り越える 社会を造るためのリーダーとなるだろう という 感覚は共有出来ているように思う報告書だった  鮪立に参加いただいた全ての皆さんに感謝いたします




 2月09日  

 昨日から今朝までの 冬なら普通の量の大雪 の後片付け 地熱が高いので雪をはくと 残雪は直ぐ溶けてしまう 

   
 
     

都知事せんメモ)

お!まいどおいらが カキコしている 福島県は東京都の24番目の区とし 311以後の放射能災害などに関連した問題を解決しようとする姿勢が大切に思う でないと 原発事故処理と事故の記憶などは 被災民と消費者の対立として語られるだけで 共有平等に扱えない。いままでのように 単に富を生み出す都市と 再配分を受ける地方の対立でとどまり 相変わらずの政治的痴呆状態は変わらないからだ。  そうねがいたいですね 原発事故処理は両領域民に同等になりませんからねー 大島・父島より近いはず 福島県は島なので離島扱いでお願いいたします 

広域連合 道州制を脱し 第一歩 福島圏民を創出せよ! 

福一事故で放射能が沈着した 地域の連合こそ 21世紀の行政区の在り方の一つだと 思うおれは 阿保なのだろうか?やはり 被災者同士で 政治的課題を共有し答えをださないと 何も始まらない  津波圏民とか 被曝圏民とか 限界集落圏民とか 多様に圏民は想像でき 可視化が容易である したがって一つの県民が 多様な圏民である そんな ありかたこそ 21世紀的だね

 こういうこと書いても理解されないでしょうが (平野啓一郎さんが言う 分人の一例として ○△×圏民の連携をつくりだし つながり 今日的政治課題を政党ではなく圏民協働で解決したいなー  還暦過ぎた老人の俺は思うのですがねー 


 2月08日  大雪 

 吹雪がやまないなか 第14回ヘリテージマネージャー育成講習会 はいわきにて 古民家など観たり ワイワイ この冬初の大雪とあり 高速道路も止まり 2時間ほど早めに終了する 

今年は積雪なしかと 想うほど雪がなかったが ようやく冬らしくなる

   

 民家改修の青年の話す内容は 四半世紀前から語られていた (要点が大くふくまれていた)で 色々疑問が多数残った。 建築士も少子高齢化社会のなかを生き残るのが大変だ    若者・取得者に役に立たない その資格で生活が維持できそうもない 国家資格も なさそうに思うが 近世期の大工圏に戻る前兆かもしれない
 2月07日  

 ふくしまのお宝 福島市立清明小学校南校舎の動画をつくる 清明小学校はmy子たちが一時 学び my長男が卒業した学校であるけれど 南校舎は福島市内で初めての鉄筋校舎である

 
 簡単な清明小学校南校舎を紹介する動画をつくってみた

     
 清明小学校は大正8年福島第五尋常小学校として校舎落成まで福島4小を間借りし開校となった。昭和224月福島市立第五小学校と改称された。第一期工事は1958116日起工式が行われた南校舎林谷主計市長のもと最初の小学校の鉄筋コンクリート3階建12教室である。設計は市建築課鈴木氏。3059360円にて青木工業所が施行。1959220日竣工。北校舎、管理棟の順に毎年工事がおこなわれ1961422日に新校舎落成式がおこなわれ清明小学校と改称された。体育館(講堂)は921日加藤工務店によって1147300円で起工1962421日完成した。第三期工事の予算の一部が通らずマフラーに顔を包んだお母さん方を中核に毎朝、市長登頂前に市役所に出向き陳情した。「彼女たちは各工事に当たり工事従事員に茶菓子の接待を交代制にして毎日奉仕。また姉さんかぶりの女先生がモッコを担いで花壇作りにおそくまで働いた。気の毒だったが結構楽しかった」との記録が残っている

 2月 5,6日は寒中見舞いを作りつづけ投函した 雪もうっすら積もり ようやく福島の冬らしくなる

 2月04日  雪もちらついており

 参加予定の 3月1〜2日の2日間 早稲田ジャーナリズム研究所が勉強会を催すので HPの更新をする 懇親会などもあるので楽しみである(詳細PDF) 

 除染監理員の仕事のデータ整理などをおこなう午前中 雪のちらつきあり 今年は積雪が無いので雪はき一度もせずである

 311以降部屋の六面をガムテープで埋め尽くす作業を続けている家人 今日も熱心に作業中 ちかごろ腕があがり 美しい模様が現れるようになり ご機嫌の家人である のんびり気ままなガムテープアーテストは 一杯呑みながらご機嫌に気ままに作業をしているので 表情が明るくなっている 2700円の愛媛の純米酒は辛口なのだが それがいいと言う





 2月03日 春先の陽気のなか 松川地区で除染作業監理員の仕事を朝から晩までおこなう 線量が比較的少なく 除染作業員の人々も慣れている 監理員の仕事が要るのか?やや疑問 監理員が測定せずとも 作業員が測定器を持ちながら除染作業をしているのでそう思う 除染作業全般への評価判断はとても難しと感じる 年間1mSVの数値が人々を拘束したり 難しい作業へと追い込むように感じる 

県立図書館の再除染がおこなわれているけれど 汚染廃棄物の山である この前を通過すると グッタリする 三年経ってもまだこれだ 

(持って行き場無き除染作業 効果の程が不明 放射能は健康に害が無いのか不明など)
    









 2月02日   

 13年ぶりのmy建築が完成しつつある

 だが311後の震災バブルによる工事費の高騰 や専門職の不足によって工期が大幅に遅れている 小さい建築ほど 遅れて職人の手配がままならない。
で  まだ足場がとれていない現場にてワイワイする
足場を外して  庭の構成をワイワイすればほぼ終わり  放射線量を測るも 物が多くあったので 全て片付いた段階で 最終引き渡し前の放射線量を測ることにし終える





  最下段 右絵が 63年前に建立された 平和記念の碑である
 内部に在る 各領域のスリットからこの平和記念と 刻まれた碑が見える 唯それだけの建築である

それ以外は何も設計しなかった はたして建築か?
 建築から逃走するかのような 建築から離れるかのような 建築の作り方はないのだろうか

 試作品(試作建築)となった
 まずは 現場からの帰り道ので まずまずの試作品ということにしたい



  2月01日    今日は引きこもり 外に出ず しこしこ作業などしたりゴロゴロ寝たりしている

 昨夜観た映画 『「ハンナ・アーレント』はについて多面的に深く考える機会を与える好い映画だった。 ハンナ 1906年ハノーバーで生まれ 1975年12月4日ニューヨークで死去)

最終日とあって 福島市内の女子校生も含め高校性が先生につれられて 30名ほど観ていた


監督はマルガレーテ・フォン・トロッタ (ドイツベルリン生まれ ヌベルバーグやイングーマル・ベルイマンの影響を受けた)かただそう

筋は アイヒマン裁判とハンナが雑誌に発表した 「イェルサレムのアイヒマン」騒動 現代風に言えば論文を発表したら 同胞から炎上の様子を描いていた

 みすず書房 刊行『悪の陳腐さについての報告』 3990円  
 
ユーチューブには英語字幕つきのインタビューが公開されていた(Hannah Arendt "Zur Person" Full Interview (with English subtitles)