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  2013年 12月の日記
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 12月28日  朝方うっすら積もる雪

1日籠もって ヘリテージマネージャー 地域のお宝 用資料を読み込む。 昼に掛けて 宮城資料ネットニュースHPを更新する  夕方一つ地域のお宝報告書をまとめる

除染作業監理員の仕事と比較して語るのは問題あるんだけど 当たり前のことだけど 長年関わって来た 建築のことを調べたり 設計したり 現場管理していることの方が 楽ちんだし 未来に関わっていると想えるので気楽だ

 除染作業って 建築が作れるための環境を手に入れるためにどうするのか?で関わっているので 俺は ・・そこに至るための環境整備 地ならし露払いの仕事である 作業したからといって 311以前の環境に至らない が放射能は取り除ける その事実を知ってしまい 関わる無念・無力さってのは滲み出るわけだ

  貧しい人や やることが無い人人が集まってくるしかないのだろう で 被曝被災者同士が虐め合ったりするような 働く環境も良くならないのではないだろうか と邪推しておる。
 俺にとっての 311のけじめは付きつつある 

■ 2020年東京オリンピックが開催され るので来年からはインフラ整備もふくめ 競技施設などの各種工事が始まるだろう。少ない 職人の奪い合いになるだろう からフクシマの除染作業も遅れるのは必至だと推測している。 既に311バブルで 建築単価はがっていたが さらなる 高値へと 至るだろう 

■ ドイツで医学工学の研究生活をつづけている my長女よりメールあり 日本との暮らし方 考え方の相違が解って興味深いないようである  スキルさえ身につけば プロスポーツ選手のように世界を渡り歩き活躍し続けることが 出来る どのような領域にも優秀な人を招きいれ活躍させる世界標準の環境が整いつつある 近代の初頭に日本では多数の海外の建築系技術者を招いて 富国をしたわけだで 日本の建築の世界は以前よりそうだったが・・



 宮城資料ネットニュース 210号を更新する  原因不明で HP枠が止めどなく広がるので 更新作業に時間を費やしてしまう



 岡田栄造先生からカードをいただいた ありがたし 俺はカードを出したことがないよ 



12月27日 昨日で除染作業監理員の仕事は終了 今日から貯まった雑事をしこしこ順序よくする する

 宮城資料ネット ニュース209号の更新作業をし 公開する 


 12月26日  寒波襲来で 凹む気温が続くね

背中にホッカイロ 肩にも小さなホッカイロを貼り付け 除染作業監理員の仕事を行う 寒いですね


夕方 ふくしま復興支援フォーラムに参加 続いて 忘年会がありたらふく純米酒を呑み 酔っ払う この会議は内容が濃いのだが 男性の高齢者がほとんどという 偏った集まりであるてん 若者や女性にはほぼ参加しないてん 万人に開かれた内容であると思うのだが 御利益がないののかもで人気がない 



 12月 25日 さーべめーた各種を抱え 放射線量を計測する1日 


 12月24日  寒い 除染作業監理員としての 1日であった



夕方時間ができたので福島市役所に出向き 地域のお宝報告書を作る為に 情報開示請求の申請をする。情報開示請求しても当時の資料が残っていない可能性が高いのであるけれども できることは全て調査して 報告書をつくりたいので 年末年始にかけて市役所の方には迷惑とは思うのだが 実行する 。
工事現場の 写真はあるが 細かな資料になっていない 日本人の公文書へ対する意識 それがそのまま 共有の記憶なのであるとう自覚が当時も現在も足らないことを実感する 工事記録は作った方がよさそうだ 雑誌に発表することも一つの方法だ


 12月23日 ったり晴れたり 

 朝7時に電話したら今日は除染作業監理員の「仕事の割り当てがなし」とのことなので でーた整理を1日する。よるチキンのはいった海老カレーを作る。 うまい



昨日は
  


  12月21日  

午前中 地域のお宝発見 の資料をまとめ 書き出す 資料が沢山あり 提出フォーマットがチープすりて 小学生の報告みたいになってしまう ので どうでもいいか気分になる もっと分厚い報告にしないと レベルを引き下げることに荷担してしまうように思うのであるけれど 日本の人々は俳句という 17文字で身の回りの世界的価値観を 時を越え共有する言葉にしてきたので 諦めないよ(笑)

■ 午後 さくらのせいぼ短大で のフォーラムに参加する ハンナ・アーレントの研究者の千葉大の名誉教授の佐藤和夫先生と 福島高校出身の高橋哲也先生の 講義テーマは 原発事故は日本の社会を変えたか? (高橋教授のはなしは 南原総長の回顧ワイワイを安田講堂で拝聴していらいだ)

 これ俺自身の 答えは 変えた 明治 憲法に似た主権の在り方に 戻したい二世議員達が この国の主権者の主権を奪い 俺たち2世議員=政治家主権国家に戻すようにする そのことに 主権者が自分自身であることすら知らないので当然主権を放棄してしまった主権者が多数現れ その状況下で ドンドン主権が与えてはいけない権利を政治家に与え依存してしまう それを 選択をしてしまっている この事実のもとで日本の 政治が運営されてる こんな単純明快の事実すら フクシマ被災民は自覚していないのであった その事実を確認できた フォーラムだった やれやれ




 

 フクシマ問題に関わっても 21世紀の困難を拓く 選択を指南できる者にはなれない 数々の産業公害や広島長崎の被曝民の追体験者にしかなれない だからフクシマ問題は つまらない   フクシマ被災民自身が議題設定が出来ない その 困難を フクシマ被災民は 超えることは出来ない と確信したフォーラムだった

 12月20日 午前雪 積もり 午後 

 午前中は久しぶりにごろ寝をする。午後 雑事を処置し 夕方図書館にて 大正14年の新聞記事を探す 目的の記事が見つかる

 




■ 19日 

 




■ 18日 



■ 17日

 




■ 16日月曜日 うっすらつもった初雪にて 福島市内大渋滞している 呼び出し掛かるも 除染作業監理員の仕事中止


晴れていたので 構築物の調査などしつつ 阿武隈川に多数死骸がある鮭の末期の姿を撮り歩く
 




 12月15日  吹雪ました 町にも雪が積もりました

 午前中寝ていた 除染作業監理員の仕事がまじまってからの疲れが貯まっていたようで〜 ぐっすり眠ることができた 午後いろいろ整理をする

 下記絵の 鈴木さんが経営するのは 福島ユナイテッドFCという名らしい 福島市第三中学校出身で 俺と同じ校門や校庭で運動してたようだ 

  

 12月14日  時々 みぞれ 

 我が家傍の古民家 佐藤邸に集まり文化庁の方の現地講義をうける 西側が入母屋づくりで 東側が兜づくり 東に土間があり西に座敷が四列並んでいるのが福島県北民家の特徴とのこと。
 




 


 12月13日  

 朝から晩まで 除染作業監理員の仕事をする  道の隅々は線量が高い
 セシウムが水によって道路や側溝に集まっているので 除染をする必要がある

 



 12月12日  朝雨があったので 放射能を計測不能と成り 大きな工場の室内を測定しあるく 午後通路が乾いたので 計測し 除染作業監理員の仕事

 

 最高裁の判決がでた 性同一性障害の元女性が戸籍上の 父親として認められた

  
 

 12月11日  
日工場の 除染作業監理員の仕事をする 寒いかも?とおもいホッカイロを背負い 動き回るも やや暑かったかも

 10μSv/hを超える いわゆるホットスポット方々にあり 見つけて は取り除く指示をするのが 仕事である



 空き地の草むらも 河川敷の草むらも 線量は1μSv /以上なり 




 12月10日    ときどき小雨となり 冷え冷えする

 1日工場の 除染作業監理員の仕事をする 寒いのでホッカイロを背負いしのぐ。住宅と異なり 機能的にも複雑で 除染要の箇所多数、工場の配管なども多数あり  

 

 仕事をやや早めに切り上げ 食い物をつくり

 

■ 除染作業の合間を見つけ ことば悦覧@大阪2013 新田正樹編を文字に起こし始める 1時間半ほどの 肉声 集中し起こすと2日ほどで起こせるのだが 除染作業監理員をしているので どの程度の日数が掛かるのか分からない 毎日5分ぶん文字に起こしても 18日は掛かるな・・もっと掛かりそうだ


 12月09日  朝方零度だったようだ。冷え冷えしているのでホッカイロを背負うも何処が最も効果的な ホッカイロ仕様方なのか分からず 数時間ごとに 移動中

 

 川底に数多し 白き鮭の死骸 青空に映えおり 師走かな

■ 午後除作業監理員の仕事がなく 我が家の除染をする 庭の木々落葉ほぼ終える 冬支度進む

     

 12月08日  

 信達盆地を南下し境 当たりをでると、みぞれであった 風もやや強い

 県中に12年ぶりに設計し工事をしている「一家」愛称 なまこの工事監理を行う。監理の中身は各種機器の確認 蓄熱モルタルと温水配管の写真確認、外断熱よう置屋根下地の確認、外部追加工事 である樹木植え込み位置 東側のフェンス新設位置についてなど 

放射線量が外部より躯体が打ち上がった内部のほうがやや高く 年間1mSv超える可能性もあるので 線量がやや高い 原因がどこにあるのか?つきとめるよう生コン業者などの躯体に関する関係者の製品管理状況を報告するよう指示をだす。 



一角が コンクリートで出来た町並みふうになってきた感あり 植木の位置など決め数年経てば一層その気配を醸し出すかも知れない 

■ ドイツに暮らすmy長女のメールによると 大家さんがクリスマスプレゼントをくれたのだそうだ 。俺には宿と朝飯提供するからとの招待状も届いている。日本人でそのような姿勢を表す大家さんに出会ったことがないので ドイツ人の暮らしぶりに 嬉しくなる。 俺もそのような構えを持つ人間になろうと 思った my長女の自主的な生き方によって 国際交流が生み出す多様な姿をしることになった。 my子たちは みな 親孝行の者である 

 

 12月07日  

 我が家に積もった 落ち葉など片付ける 他 銀行などへの事務処理をする。日常品の買い出しなど色々たまった雑事を処置 

夜 高畑恒志さんと呑む。多様な 情報交換を行い やや酔っ払う  
 

 12月06日  

夜 宮城資料ネットのHP更新を行う



日中は 除染作業監理員の仕事 をする 書類づくりが思ったより手間取る



■ 夜はラーメンやで水餃子とラーメンとビールをいただきました 30年前から何も変わってないオヤジの店である



 12月05日 

 

 7時半の新幹線にて仙台を目指す。 3年に一度の建築士の定期講習会を受講するた日建学院仙台校へ 3年前は2月に受講したのだが 直後に大震災が来て当時のことは忘れたが 一つだけ覚えているのは 老眼鏡を忘れてテスト時に問題が読めなく 適当にマークしたが合格だった(笑) 今回は昼食と老眼眼鏡を持参した

各自ゲージの様な檻ふう机に座らされ 9時〜17時30分まで 受講しテストを受ける 3年に一度の呆け防止にやくだつよき機会であろう



 my長男の家にいき 水餃子をつつきながら ワイワイする 研究所の仕事の他に 各地へ講演にでむいたり 東北大で授業など多数抱え 忙し過ぎるようにみえるmy長男研究者生活。 my長男にとっては天職だし、よい環境を手に入れているように思う

■ 町はイルミネーションが点灯され 師走の様相をふかめている。俺は除染作業監理員になってしまって 現場に出たり そののち書類整理をしたりで 朝の8時から夜の7時ほどまで、サラリーマン以来 34年ぶりの 生活を楽しむ時間も無いあほな暮らし方を手に入れてしまう




 12月04日  
 
 3日と4日も除染作業監理員の仕事をする



 12月02日 朝方曇 のち 

 肉眼では全く見えないし 五感でも感じることができないが 計測器をもちいて日々測定してみると放射能だらけである。だから我が故郷はセシウム都市であると実感する日々

今日は朝からセシウム都市福島市内の工場の除染作業監理員の仕事を夕方までする 3〜4ヘクタールあるのだろうか 全容がわかっていない広い敷地に 沢山の建物が在る 区域を区切り 番号を付け モニタリングをし立ち会い記録を作る  住宅と比べると 区切りがつかづどこまでも続くので 調査しすぎると 後の記録作成が 飛んでもなく長時間かかってしまう 今日は12ブロックを検査 

冷え冷えとした場所が多いので ホットカイロを 背中に貼って作業をしてみた 
     


 12月01日   朝夕 冷える 夜になると冷えだす

 12年ぶりに設計し工事中の「なまこ」の打ち合わせをする GM管サーベイメーターと シュンチュレーションサーベイメーターを持ち込み 放射線量を測ってみる
 仕上げができてないけれど 躯体のみで室内と外部を測定する 

外部をほぼ変わらない が25年前のmy建築内部と比べると高い部位だと倍の線量があることが判明し ややショック。

311以前のようにほぼ放射線が無い建築はセシウム都市福島で造るのは困難なのかも知れない。

最高値の部位で積算線量を 計算してみた。 1年間のべつくまなっくその部位で 24時間暮らしても1ミリ被曝をしないことが分かる。のでOKにしたが 大理石を貼って仕上げると 線量が下がるか?



 床暖房の配管や敷き込んだ断熱材に少し問題があったので指示し 断熱は床下に吹き付けて 不良箇所を補い次の手を発し対応してもらうことにした。

セシウムバブル経済下と 職人の高齢化によって 以前のmy建築の施工精度より 明らかに技術の質が落ちていると思う 社会に暮らす人々の 建築を造る意欲や熱意が消えて行くことを肌で実感している 。 この12年間で以前あった この地の社会経済や技術を支える人々の心的構造が変わってしまったのだろうか 俺のやる気の問題なのか?



 鶏ドンをいただき 帰る